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トーキングスティックボード
726
:
役行者
:2011/11/09(水) 20:49:19 ID:YEUC93mw
野の花のユリ!の姿が、本来の雅春先生の姿なのでしょうね。 されどされど沈思黙考すればするほど、ご心中、お察し申し上げます。
727
:
役行者
:2011/11/09(水) 21:02:04 ID:YEUC93mw
訊けさん!
お願いされてください。
野の花の百合の詩!
久しぶりに読みたくなりまた。
ワガママばかり言って、ごめんチャイ(>.<)
728
:
さくら
:2011/11/09(水) 21:20:35 ID:HgY4n68E
役行者さまは、スティカーの鏡のように素晴らしい、です、
が、スティカーは、ときどき、わがまま言っても、
良いですよね、笑。
729
:
役行者
:2011/11/09(水) 21:25:52 ID:YEUC93mw
さくらさん!
なんか、解放されてますね(゚◇゚)
730
:
ももんが
:2011/11/09(水) 23:58:29 ID:XXCuaQns
>>698
皆様、今晩、ありがとうございます。合掌拝。
今日も、1日、愛行《仕事》を、終えて、帰宅出来ました。皆様も、それぞれの、御愛行、お疲れ様で、ございました。また、明日も、世の為、人の為、愛する、家族の為、そして、神様へ感謝の為に、頑張って、愛行いたしましょう!ありがとう、ございます。
a hope様,トキ様へ>
a hope様、トキ様、私への、レスと身に余る祝福の御言葉、ありがとうございます。
私の、修行未熟な、体験談が、皆様の、御修行のお役に立つのなら、『信仰版・体験版』の方に、場所を変えさせて、お話させて、もらいます。
トキ様?『信仰版・体験版』の場所は、また、別の場所なのですか?場所だけ、ご案内、願いますか?すいません。
a hope様、トキ様
私は、現在、頭注版『生命の実相』第1巻を読んでますが、以前、黒革表紙『復刻版・生命の実相』と、頭注版『生命の実相』の読み比べを、した事が、ありまして、『復刻版・生命の実相』と頭注版『生命の実相』では、内容や、編集に、大分、違いが、有る事が、わかりました。
そして、それらし、意味の事が、頭注版『生命の実相』『生命の実相』の頭注版に序して、に、書いて、ありますね?
トキ様や、志恩様みたいに、本部にお勤めで、要らしたかたなら、違いは、ご存じなのでしょ。
後、頭注版『生命の実相』『生命の実相』の頭注版に序して、に、一番大切な、事が、書かれて、います。
今回、『生命の実相』裁判になりましたが、実は、頭注版の、編集には、少年時代の雅宣先生も関わっていらっしゃるからです。
以下の内容文です『さらに今度、頭注を付し、新仮名遣いを採用し、終戦以来、歴史的仮名遣いを習った事のない年齢層にも解りやすい形でだすことにしたのが本書である。頭注は中学六人に本文を読んでもらい、意味のわかりにくい語にしるしを付けてもらって、その説明を上覧に書くことにしたので、辞書を引く世話もいらぬし、国語の学習の補足にもなる思う。』
上記に、ある、中学六人とは、雅宣先生とその友人らしとの事です?これは、良く、祖母や、母が、話してました。
つまり、雅春先生は、すでに、頭注版『生命の実相』は、雅宣先生も編集者の1人であると言えますね?
雅春先生は、雅宣先生の為に、頭注版作成されとも言えますね?
即ち、雅宣先生が、裁判しようする、気持ち、私は、理解して、あげられますよ。
だって、お祖父様から直接伝承された、『生命の実相』を盗まれた感じですもの?
学ぶ会の、中島さんて、だって、日本教文社の元社長でしょ?
まあ、暗い話しは、辞め時ましょう!
皆様、とにもかくにも、頭注版『生命の実相』は、戦後の日本人の為に、雅春先生が、編集されなおされた、内容で、大変読みやすいです。
皆様、『生命の実相』
成るべく、読むように、頑張ってみましょう!
a hope様 、トキ様、志恩様が、幸せで、健康で、ありますように、ありがとうございます。合掌、拝
731
:
ももんが
:2011/11/10(木) 00:26:43 ID:XXCuaQns
>>693
志恩様へ
志恩様、ありがとうございます。
レスの御文章、大変、ありがたく、読ませて、頂きました。
流石わ、志恩様ですね。『生命の実相』の鍵を持って、神の摂理の、お話をされてるところは、ミニ講話で、思わず、拍手でした!
雅春先生も、清超先生も、良く、『生命の実相』の鍵を持って、神の摂理や、神の理念なんか、『理想世界』とかに、出てきて、成る程ねなんて?関心してました。
私も、わからない事、たくさん、有るので、また、よろしく、お願い致します。
志恩様が、健康で、幸せで、ありますように、ありがとうございます。
合掌、拝。
732
:
志恩
:2011/11/10(木) 03:07:23 ID:psrFh/ZU
ももんが様
コメント、ありがとうございます。
いつもすばらしいご文章を載せて下さいまして、まるでミニ練成会を受けさせていただいているような、心洗われる気持ちにさせていただいてます。
それから、ももんが様は、文の最後に、祝福の言葉を載せて下さって、ほんとに、うれしくなります。ありがとうございます。
733
:
志恩
:2011/11/10(木) 03:45:36 ID:psrFh/ZU
初心者さま
真理と救済と信仰について、思っている事を話して下さいということで、その言葉のおかげで、私は、真理とは、自分でわかっているように言ってるけれど
なにを真理といってるのかと、自分の心に問うてみることができました。私は、いつも生意気な口をきいていますが、ご存知のように、本部時代も幹部でなく平職員でしたし、今も
末端信者ですし、それについては、私のほうが、貴方に教えて欲しいくらいですが、一応、私は、こう思っていますということを、生長の家用語をなるべく使わず、
書かせていただきます。私個人の拙い意見です。
私が考えている「真理」とは、(ももんがさまがおっしゃる神の摂理とか神の理念や宇宙の法則)、雅春先生を媒介にした「霊界の高級霊からのメッセージ」だと思っています。
”人間とは何なのか。人間はなぜに生まれてくるのか。それはすべての人間に目的があるからです。それも、こういう環境でこういう状態に生まれてくると決めて来ている。
しかし、現象の世界で、苦しみがあるのは、すべて霊性の開発のためである。
苦しみもなく、痛みもなく、どうして霊性が開発されると思われますか。幸福の絶頂を体験するには、反対も体験しなくてはいけません。
それは、深く沈んだ分だけ、高く上がれるからです。
このような、苦しみのなかに対している人には、是非共に学んで欲しい「霊界の高級霊からのメッセージ」の一部だけ書きましたが、それが、「真理」だと、私は、思っております。
救済とは、この真理を知り、祈り、実践したことにより、苦しみから開放されることを指します。
信仰とは、生長の家なら生長の家の教えている真理を実践して、自分も他人も共に幸せな生き方をすることです。”
このように、貴方からみられたら、つっこみどころ満載でしょうけれど、私は、思っています。
続き
734
:
はちみつ豆腐
:2011/11/10(木) 05:17:23 ID:psrFh/ZU
宗教は、本来は必要ないものではなかったかというのは、私も同感です。
縄文時代なんか、大自然に囲まれていましたから、季節の移り変わりや 月の満ち欠けさえも、畏敬の念を抱かずにおれなかったでしょうから、
大自然に祈り、また畏れの気持ちで暮らしていたと思いますから、生き方そのものが信仰生活みたいなものでした。
ですから、とりたてて、信仰は、要らなかったでしょうね。
でも、文明が発達し、機械化も進むと、社会や人間関係は、複雑になり素朴さから離れていきますから、自分が元気で幸せに生きて行きたいと思い、
苦しみなど発生しますと、自分のご縁のある宗教を、必要とされるお方は、必要とされてきたのでは、ないでしょうか。
生長の家は、時代に適合した宗教でしたし、いまも、そうなのだと、われわれは考えていますが、実際の今は、過渡期になり、
初心者さまは、今のままでいいのか、それとも、生長の家自体が、賞味期限が過ぎた内容の教えになってはいないかと、
教えの内容と組織のことを合わせて、今後のことを真摯に考えておられるのでしょう。
初心者さまは、ジャック・ラカンの哲学をよく引用されてます。そして、実は,雅春先生は,この人が達した哲学には、達していなかったと思うと、
度々いわれてきました。この方の諸概念と理論を高く評価されてます。彼の哲学を強く指示しておられます。
雅春先生の哲学より強くね。
ですので、雅春先生より、ジャック・ラカン高い位置に置かれているので、それは、貴方の雅春先生に対する評価だと考えているのです。
wikipediaで、ジャック・ラカンを検索してみました。
彼は、20世紀の哲学者。1981年に、80才で没。死亡原因は、大腸がん。フランスの精神科医、哲学者、精神分析家。
高等師範学校で哲学を学び、パリ大学で医学を学び、精神科医として働く.
20年以上にわたり、セミナーを開き、そのなかの1つに「大文字の他者」もありますが、自己独自の理論を発展させた。
フロイトの大義派。
日本におけるラカン理論の現状は、その理論の独自性とともに不思議な面白さが有り、一部の人には根強い人気を保ちながら、
現在も力強くラカン理論は日本において紹介され続けている。その内容自体も難解なままに留まっており、ラカン理論は臨床技法や
治療理論としてよりも、人間を理解する一つの精神理論、もしくは哲学理論として重宝されているようである。
理論は、難解すぎて,私には理解出来ないのですが、
興味をもったのは、ラカンが生存中、彼はパリ精神分析協会の会長に就任したのですが、同協会に内紛が生じ、分裂したとあります。
彼自ら「パリ・フロイト派」をたちあげたが、たちあげた約15年後には、これも、解散しています。
そして,フランスでは、「ラカン派」は、ラカンの死後、内部の分派抗争のためにさまざまな団体・派閥に分裂して活動することになった。
とありました。
いずれの時代にも、このようなことが起きているのですね。
735
:
志恩
:2011/11/10(木) 05:44:31 ID:psrFh/ZU
はちみつ豆腐は、志恩です。失礼しました。
736
:
志恩
:2011/11/10(木) 06:03:08 ID:psrFh/ZU
今日は、朝から所要で出かけます。なので、夜に,皆様の投稿を拝見させていただきます。
737
:
「訊け」管理人
:2011/11/10(木) 06:54:05 ID:D0Kb5yw.
>役行者さま
――――――――――――――――
訊けさん!
お願いされてください。
野の花の百合の詩!
久しぶりに読みたくなりまた。
――――――――――――――――
在庫切れです、すみません(笑)
(頭注版20巻に掲載してあったかち、思い申す。雅春先生、ヴァキュームオイル
社の机でその詩、書いておられて上司からジロリと睨まれたとかw
そのジロリと睨まれながら作成されたこの詩は、『ひかりの語録』にもあった
はずです。)
738
:
「訊け」管理人
:2011/11/10(木) 07:01:08 ID:D0Kb5yw.
>初心者さま
(なお、716以降のご投稿文章未読のまま作成したものです。他の方のご文章
とも重複している箇所があるかもしれません。ご了承ください。)
ご返信をありがとうございます。なお、「ここで書きましたことは、ただ
の屁理屈なのでしょうか。」とのお言葉がございましたが、そうは思いませ
ん。(むしろ興味を持つ次第です)
ただ今は・・・バカげた事を言うようですが「救済を優先したい」と思う
のです。宗教に於ける真理とはこれ、やはり救済を含むべきではないか?そ
う思えてなりません。たとえば、
――――――――――――――――――――――――――――――――
人をしあわせに導く。たったこのひとことの言葉の背後にも、広大な真
理の領域が広がっております。この広大な領域に、わたくしは踏み込ん
でいきたいのでございますよ。たとえそれが救済には結びつかなくと
も、です。
――――――――――――――――――――――――――――――――
というご文章(714)があります。たしかに広大な領域があるわけです
が、そして以下は提案になるのですが、たとえば「自殺」や「倒産」あるい
は「貧困」などの身近な問題を解決するには?こういった方向でやり取りで
きぬものかと思います。(勝手ではありますが)
ややツラツラと語ります。と、いいますがここがTSBであることを敢えて忘
れ(笑)独演させてもらうことになるやも・・・身勝手な要請もしてしまう
でしょう(笑)結果的に話の流れを切ってしまった際には、無視して頂いて
結構です。
冒頭で貴殿ご提示の話を「むしろ興味を持つ次第です」と書きました。し
かし今はなにか、「優先順位が違う気がしており」「あまり乗る気がしない」
と云うのが本音です。世間にはもう、とんでもない話が多すぎるからです。
「救済を含まない真理」に興味はあるにせよやはり、今の私は「救済こそ真
理」なのです。
「救われる」とは、どういう状態をいうのでしょうか。それは、一切の不
安・焦躁から解放され、大安心の、喜びの境に導かれること、と言えると思
います。「そんなことで良いの?」と、もしかしたら(明晰な)貴殿からは
言われてしまうかもしれません。しかし、「そんなことでも良い!そんな話
がおありならば、ぜひお聞かせ願いたい」という現在です。「表現された真
理をそのまま読者が生活に生きるように押し出す迫力があるのが哲学である。
哲学は哲学〝せしむる〟力を持たねばならぬ。」という、一昨日掲載の雅春
先生お言葉に惹かれる(思考を優先させる)理由はたぶん、私の住まう地方
には「あまりにも悲しい話があふれていること」(※)が原因かもしれませ
んが・・・
追伸
とは申せ貴殿が「呑気に屁理屈をこねまわしている」とは思えません。た
だ、そのご聡明な考えを少々、「救済」の方へと振向けてくださると楽しい
やり取りになろうかと。そして多数の方も参加しやすくなりはせぬかと、こ
う思う次第です。(私の様なw)救い難き凡夫にも伝わる言葉で、語って頂
くことは可能だと思っております。
<註>
※ 「あまりにも悲しい話があふれていること」
たとえば「餓死」なんて事件がありました。私が住まう南九州ですら、そん
な状況です。自殺者も半端な数ではありません。失業者なんてもう、珍しいも
のではなくなっています。青少年のドラッグも、もう街中ではアタリマエの光
景と化しておりますし・・・・もう、バカげた表現で恐縮ですけども、「男子
として見過ごすわけにはいかぬ」そんな状況です。
もしかすると(貴殿言われるところの)真理では、救えないのかもしれませ
ん。しかし、それがいくら真理でも今の私には「そんなものに用はない」とい
う感じがしております。そして、雅春先生の申される「真理」であればこれ、
大幅に減ずることが可能だと思っております。(なお「大幅に減ずる」という
表現は、現象語での説明です。本当は違う表現になりますが)そしてくどいで
すが、たとえそれが「真理ではない」と云われてしまおうとも私は、その方向
で邁進したい現在です。お知恵をお貸しくださいませ。
739
:
初心者
:2011/11/10(木) 07:04:34 ID:X1fDhvjY
志恩様
わたくしが突っ込みたくなるのは、高い場所に身をおいて、「真理」を大上段に
かかげながら、説教調の言説を弄する人であります。「あんた、真理、わかっとらん
やろ」といいたくなりますね。
ところでわたくしは、ラカンの著書は1冊として読んだことがありません。ラカンの
理解には、ジジェクだけが頼りといったところでしょうか。ただですね、重視するのは
構造です。世の中の構造、言語の構造、無意識の構造。こうした構造に、雅春先生は
ほとんど言及しておられませんよね。たぶん、あまり言及しておられないとおもいます。
構造が理解できてないと、なぜそれが起こるのか、その理由が説明できませんよね。
ラカン好きは、それが何であれ、とにかくすべてを説明しようとします。ジジェクに
よれば、たぶん「病的ナルシシスト」と呼ばれる人たちです。あらゆる問いかけに
答えようとする。これが「病的ナルシシスト」ですよね。
雅春先生の教えだけでは、あらゆる問いかけに答えることはできませんね。
大文字の他者も小文字の他者も、雅春先生は説いておられませんものね。
「病的ナルシシスト」は、雅春先生よりも、ラカンを好むのかもしれません。
たとえばラカンは、デカルトの「われおもう。ゆえにわれあり」を「わたしは
わたしのいないところで考える。ゆえにわたしはわたしが考えていない場所にいる」
と、こんなふうに言い換えます。
「わたし」には2種類あるのだ、ということをラカンはいいたいのですね。「われおもう」
の「われ」と「われあり」の「われ」はちがうのだ、ということを、こうした独特の言い
まわしで、ラカンは説明します。
どうちがうのか、ちがうことに意味があるのか、これまで単純に1種類の「わたし」
で生きていた人が、途端に予期せぬ難問に巻き込まれてしまうのであります。
ラカンは、人生を、世の中を、ともどもに複雑にする。だから面白いのですよ。
単純に考えていたのではわからなかったことが、なんとなくわかってくる。何が
わかってくるのかといえば、「本当はなにもわかっていなかったのだ」ということが
わかってくる。
世の中も人間も、ふつうにおもわれているほどには単純でなく、じつはあまりにも
複雑で、誰にも理解できるようなシロモノではないのです。ラカンに接すれば、
たいていはこうしたことに気づきます。そして、さも何もかもわかっているかのごとく、
「真理」を大上段にかかげて、他者を見くだしたような言説を弄しつづける人たちに、
「あんたさぁ、本当は何もわかっとらんのよ」ということを、言ってあげたくなるのです。
きょうの志恩様は、いつにもまして素敵でございます。けっして突っ込みたいとは
おもいません。
740
:
初心者
:2011/11/10(木) 07:55:02 ID:X1fDhvjY
訊けさま
まことに失礼ながら、訊けさまも、ようやく物事を、広く解釈しながら、ご自分の
考えを開示できるようになられたようであります。それが、わたくしの望むところで
ありました(生意気ですね。ちょっといってみたかっただけです)。
訊けさまは、人を救いたいという思いを強くもっておられるということでありますね。
ボードのテーマも救済となっておりますし、そのことを中心に、これから話をすすめる
ことにいたします。
最初にことわっておきたいのは、わたくしに人を救うような力量はないということで
ありますが、ただ言葉の上であれば、それなりのことは語れるかもしれない、といった
ところだろうとおもいます。
それでまず、最初に考えるべきことは、救済とは何か、ということですね。何をもって
救済というのか。これが最初の関門になるかと存じます。わたくし流の救済があると
すれば、それは、他者の苦悩や問いかけにたいして、絶対的に応えようとする、という
ことであります。
それは、言葉だけでなく、行為、態度、思いといったものによって絶対的に応える、
ということでありますが、応えた結果が救済につながるかどうかは、いっさい考えない
ということでもあります。
絶対的に応えようとはするが、結果はいっさい関知しない。これがわたくし流の
救済にたいする考え方であります。絶対的に応えることのできる自分を育てる。
これが求道であると考えます。
わたくしは世捨て人でありますので、このようなことを実践したいと考えたことは、
ただの一度としてありませんが、訊けさまが救済を強く望んでおられるのであれば、
わたくしも及ばずながら、この「絶対的に応える」ということを実践してみてもよいか
とも考えます。応えられる自分がどこまで育っているか、それが問題でありますね。
正直なところ、自信はまったくありません。それと、応えるにあたって、雅春先生の教えは
あまり役立たないとも考えます。そのあたり、こちらで対話できればとおもいます。
741
:
役チャン
:2011/11/10(木) 08:16:57 ID:YEUC93mw
>>737
無尽蔵の宝庫!実相世界に在庫はある(v_v)
きけさあへ!
742
:
「訊け」管理人
:2011/11/10(木) 10:05:42 ID:MPQg3/HY
>役さあ
>無尽蔵の宝庫!実相世界に在庫はある(v_v)
爆笑
あの〝イケメンブログ〟にアップしもしたあ。
見てくいやんせ!
●「野の百合の生きる道」
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65604625.html
743
:
「訊け」管理人
:2011/11/10(木) 10:10:21 ID:MPQg3/HY
追伸
雅春先生は、上司からジロリと睨まれながらこの詩をお書きになりました。
私は部下から怪しまれながら、WEB投稿中です。
合掌、ありがとうございます。
余談
しかしあらためて拝読しますとこの詩・・・いいわ、実に。
744
:
ももんが
:2011/11/10(木) 10:42:36 ID:XXCuaQns
>>693
皆様、おはよう、ございます。今日も、嬉しい、楽しい、朝が、やってまいりました!さー、元気、喜びを持って、御愛行を、頑張っていきましよ!ありがとうございます!
と、言います、私は、今日は、お休みなですが、色々、日常的に、頑張っていきます!
ありがとうございます。
>志恩様、昨日の素晴らしいお話で、大変、気になる、部分が、有りましたので、お話させて、下さい。
それは、『流産児と津波』についての事です。以下の部分的です。
>『たとえば、「津波」のことをとっても、雅春先生は、津波が起こるのは、水関係のものは何万人と毎年中絶されている流産児の悲しみによるものであるのです、と言われてます。』
上記の事は、生長の家取り組みでも、戦後、雅春先生、輝子先生が一番取り組んだ、御仕事の重要な1つですよね?
私は、祖母や祖父が、宇治別格本山に永代供養されていますから、宇治行くと、必ず、『水子供養』してる観音さまに、手を合わせて来ます。
終戦前後混乱期の、満州や朝鮮半島の引き上げ者の話しを聞くと、ソ連軍や朝鮮兵、中国兵による、強姦で、妊娠た女性が、たくさんいたそうで、当時、内密で、福岡に、だ堕胎施設が、作らたそうですね。
国内でも、戦後直ぐは、三國人不法や、進駐軍により、上記と事により、妊娠してしまい、いわゆる『望まれない子供』、『愛の無い子供』が、産まれたり、堕胎されたりしたようですね。(涙)
今年の初めだったか、テレビ見ていたら、作家・五木寛之が、自分のお話をされましたが、五木さんも、満州引き上げ者で、御両親が、中学の教師でしたが、ある朝、ソ連兵が、自宅に侵入して、ご家族の目の前で、お母様を強姦したそうです。その後、お母様は、気がふれて、亡くならたとお話してましたが、さぞかかし、辛い体験だったと、思いました。
話しは、飛びますが、戦後、雅春先生、輝子先生が、『妊娠中絶に反対運動』をされのと、この、宇治の流産児供養は、生長の家が、立教いらい、命大切に、愛を唱えてきた証拠です。
これを、守る為に、愛国運動も、されて、日本に元気、即ち、生きる、希望や精神を唱えられたのだと思わずにおれません。
もう、戦後とは、時代も、状況も違いますが、違う、意味で、命を大切する愛する心を、神様は、我々に、教え下さってるんでしょうね。
長々、書いてしまい、申し訳ありませんでした。
神の子の命を大切生きて、いきましよ。
志恩様、いいお話、ありがとうございました!
志恩様が、幸せで、ありますように、ありがとうございます。合掌、拝。
745
:
トキ
:2011/11/10(木) 11:59:12 ID:4s1j/Hko
ももんが 様
素晴らしいご投稿、ありがとうございます。本当に大切な事を書かれましたね。感心しております。
こういう事は、最近、教えられませんが、忘れてはいけない事だと痛感します。
五木寛之さんの話は、胸に迫る話でした。満州から引き上げた人が、生長の家だが、
どうしてもソ連を許せない、と悩んでいた人の事も思い出します。
ほんとうに、ご教示には深く感謝申し上げます。
合掌 ありがとうございます
746
:
役チャン
:2011/11/10(木) 12:38:30 ID:YEUC93mw
>>743
訊け 野の百合 さま
ア、アリガトウ・・・
実相世界から舞い降りた(゚◇゚)
スティッカーもつと、不思議ドォス(゚ロ゚)(☆。☆)
感謝<m(__)m>
>追伸 雅春先生は、上司からジロリと睨まれながら この詩をお書きになりました 私は部下から怪しまれながら、WEB投稿中で す<
実況中継、アリガトウ(*^_^*)
感情移入したんでしょうo(^o^)o
> 合掌、ありがとうございます 余談 しかしあらためて拝読しますとこの詩・・・ いいわ、実に
確かに・・・
747
:
ももんが
:2011/11/10(木) 14:43:26 ID:XXCuaQns
>>745
トキ様、ありがとうございます。合掌礼拝
何時も、お誉め言葉、頂き、ありがとうございます。
本当に、終戦直後は、日本崩壊に、近い、情況だったと、私も、色々、歴史を自分なりに勉強して、理解してましす。
昭和20年代は、日本崩壊に、近い状態、現在、暴力団は、違法ですが、当時、暴力団を自警団として、警察などと連係して、三國人対策に、あったていたようです。
当時の雅春先生の『愛国運動』をたくさん、なされたのは、やはり、終戦直後の外側から、内側からも、日本崩壊が、感じられる風潮が、あったのでは、私には、感じられます。
敗戦によって、やはり、結果、苦しい思いをしたのは、
女性や子供だったのを、雅春先生も、輝子先生も、何とかしたいと、切に願われたと、思います。
現在、終戦さら、だいぶたち、情況も、変わりましたね。
終戦てなんか、遠い昔の出来事ですね。
だって、サッカー良く、テレビ観戦しますが、日本代表の李選手なんか、在日四世から、帰化して、日本人となり、国家斉唱も確りしてるし。
終戦記念日は大切だけど、現在をより良く、生きる事に、毎日、努力して、行けば、ご先祖様や、先人達の、ご苦労も、報われる事でしょうね。
トキ様が、幸せで、健康で、ありますように、ありがとうございます!合掌、拝。
748
:
役行者
:2011/11/10(木) 17:29:07 ID:YEUC93mw
合掌
なるほど、愛国運動がはじまる時代背景が見えてきました。
ありがとうございます。
>昭和20年代は、日本崩壊に、近い状態、現 在、暴力団は、違法ですが、当時、暴力団を自警団として、警察などと連係して、三國人対策 に、あったていたようです。
当時の雅春先生の『愛国運動』をたくさん、な されたのは、やはり、終戦直後の外側から、内 側からも、日本崩壊が、感じられる風潮が あったのでは、私には、感じられます 敗戦によって、やはり、結果、苦しい思いをし たのは 女性や子供だったのを、雅春先生も、輝子先生 も、何とかしたいと、切に願われたと、思いま す<
わたしも、山口組三代目である田岡さんの半生を読んだことがあります。
女、子供を守るため、自警団として、活躍されていることが書かれてました。その当時はまさしく侠客だったのでしょうね。
生長の家におきましても、日の本を守ることと、義と情から愛国運動が始まったようだと、当時の時代背景から理解できました。
今上陛下も、昭和天皇の悲願である沖縄の御巡幸を果たされ、戦争を体験してこられた方々の思いに馳せ、平和へのお祈りを捧げたと聞いております。
愛国運動をしてこられた先達の背景を鑑み、暴走に対しては反省をし、日本の未来に貢献してゆきたいと心新たにいたしました。
なるほど、愛国運動も、ひとつの救済から始まっているのですね。
749
:
役行者
:2011/11/10(木) 17:52:39 ID:YEUC93mw
>初心者さま
>重視するのは 構造です。世の中の構造、言語の構造、無意識 の構造。こうした構造に、雅春先生は ほとんど言及しておられませんよね。たぶん あまり言及しておられないとおもいます 。<
真理は常に進化向上するものですから、深く探求することは大切かと存じます。その求道心、本当に、頭が下がります。
>それでまず、最初に考えるべきことは、救済とは何か、ということですね。何をもって 救済というのか。これが最初の関門になるかと 存じます。わたくし流の救済があるとすれば、それは、他者の苦悩や問いかけにたいして、絶対的に応えようとする、という ことでありす 。
それは、言葉だけでなく、行為、態度、思いと いったものによって絶対的に応える ということでありますが、応えた結果が救済に つながるかどうかは、いっさい考えない ということでもあります 。絶対的に応えようとはするが、結果はいっさい 関知しない。これがわたくし流の 救済にたいする考え方であります。絶対的に応 えることのできる自分を育てる 。これが求道であると考えます。
わたくしは世捨て人でありますので、このよう なことを実践したいと考えたことは ただの一度としてありませんが、訊けさまが救 済を強く望んでおられるのであれば わたくしも及ばずながら、この「絶対的に応え る」ということを実践してみてもよいか とも考えます。応えられる自分がどこまで育っ ているか、それが問題でありますね 正直なところ、自信はまったくありません。そ れと、応えるにあたって、雅春先生の教えは あまり役立たないとも考えます。そのあたり こちらで対話できればとおもいます。<
訊けさん!初心者さまが絶対的に応えると仰ってます(*^_^*)
救済について、ドンドン、尋ねてみてください。
また、初心者さま!
絶対的に応える!に対して、雅春先生の教えがあまり役に立たないとは、どういうことでしょうか?
750
:
ももんが
:2011/11/10(木) 19:48:24 ID:XXCuaQns
>>748
役行者様
役行者様、レスお読み、頂き、ありがとうございます。
正しく、役行者様の言われるように、終戦直後の救済運動が、愛国運動へつながったと、言えるでしょ。
戦後60年たち、愛国の心は、心は心に、抱きつつも、今、人類の全体を、覆う危機は、人類の人口爆発による飢餓へ危機、地球の温暖化に気候変動、オゾン層破壊による太陽放射線直射等様々に、人間だけでなく、他の動物生命の命を奪う、危機に、直面中です。
人間は、人間の知恵では、未だに、解決できない事、色々場所で、思い知らせれたと、思います。
しかし、こんな、危機的な、世界だから、こそ、神様に、真剣に、祈り、神想観して、神の知恵、ありがたさを、実感したい物です。
長々、失礼しました。
役行者様の、健康と幸せを、祈りして、ありがとうございます。合掌、拝。
751
:
役行者
:2011/11/10(木) 21:04:01 ID:YEUC93mw
>>750
ももんがさまへ
神想観、聖経読誦をはじめとし、日々、精進しまして、神の叡智を拝受できるよう努めます。
>戦後60年たち、愛国の心は、心は心に、抱き つつも、今、人類の全体を、覆う危機は、人類 の人口爆発による飢餓へ危機、地球の温暖化に 気候変動、オゾン層破壊による太陽放射線直射 等様々に、人間だけでなく、他の動物生命の命 を奪う、危機に、直面中です 人間は、人間の知恵では、未だに、解決できな い事、色々場所で、思い知らせれたと、思いま す。<
確かに、思い知らされてます。神想観をし、右脳を活性化させ、未来ある人類に対して、成せる使命を、皆で、全うしていきとうございます。
全然、長くないので、もっと長い文章をお書きいただいても構いません。
合 掌
752
:
もんもんが
:2011/11/11(金) 12:19:51 ID:XXCuaQns
>>748
役行者さんへ合掌、拝。
ありがとうございます。
昨日、レス、ありがとうございました。
昨日の、役行者さんのレスの、御文章で、面白いなて、おもう、箇所ありましたから、コメントさせて下さい。
>『わたしも、山口組三代目である田岡さんの半生を読んだことがあります。
女、子供を守るため、自警団として、活躍されていることが書かれてました。その当時はまさしく侠客だったのでしょうね。』
の上記の箇所です。
山口組・三代目田岡組長。
DVDで、高倉健さんが、主演で、やってましたよ!
何回も見ました!
宝塚駅の朝鮮進駐軍《現在の朝鮮総連》に、よる襲撃場面とか。、山口組が、決起する、場面は、カッコよかったな!高倉健だからですかね。
余計な、お話して、すいませんでした。
また、お話させて、下さいませ。
役行者さんが、幸せで、ありますように。
ありがとうございます。
合掌、拝。
753
:
トキ
:2011/11/11(金) 15:39:45 ID:LVFKIZfw
ももんが様
終戦後は混乱していたので、そういう事もあったみたいですね。先達と拝察しますが、さすがに素晴らしい
ご教示に感謝申し上げます。
ところで、生長の家で「正しい愛国心」を説く事の重要性ですが、戦後の日教組教育のような、亡国的、
売国的な洗脳から純粋な青少年を守るという意義があります。が、同時に、排外的、狂信的な似非愛国心
から青少年を守るのも目的になるかと思います。
最近、ネットを見ると、日本人の誇りを強調するのは良いが、外国人を見下したり、排外的な発想の
書き込みが散見されます。このような偏狭な考えでは、逆に國のためにはならないと思います。
その点、生長の家が説く愛国心こそが、偏りがなく、納得の行くものであると感じております。
その意味で、谷口雅春先生が説かれた愛国心についての御教示を勉強したいと思います。
今後も、ご投稿をお願い申し上げます。
合掌 ありがとうございます
754
:
役行者
:2011/11/11(金) 18:03:39 ID:???
>ももんがさま
>山口組・三代目田岡組長。<
ここで、田岡組長!
http://www.youtube.com/watch?v=0gu_rVce42Q
>DVDで、高倉健さんが、主演で、やってましたよ!
何回も見ました!
宝塚駅の朝鮮進駐軍《現在の朝鮮総連》に、よる襲撃場面とか。山口組が、決起
する、場面は、カッコよかったな!高倉健だからですかね。<
それはまあ、高倉健だからでしょう。
今度、結構、尊敬している ビートたけし共演で映画に出演しますね。
上演を楽しみにしております。
◆80歳高倉健、6年ぶりの映画は妻を亡くした男のロードムービー!
http://www.cinemacafe.net/news/cgi/release/2011/08/11182/
それから、ついでに、懐かしい曲をどうぞ!!
http://www.youtube.com/watch?v=0-KQs4UIyeU&feature=related
うぅ〜ん 重い空気が流れてきた・・・訊けさんか、だれか助けて!
ツッコミかボケをお願いします(;O;)
755
:
さくら
:2011/11/12(土) 09:09:47 ID:SCTr8mD.
役行者さま、
トーキングボード、なんで、こんなところに!笑。
上げさせて、頂きますよ、
役行者さまは、生長の家の、社会起業家的(的なってところでしょうか。)
な取り組みについて、どう思いますか?
思いつきなので、どんな展開になるかは、
各々のやり方次第だと思うのですが、。
756
:
さくら
:2011/11/12(土) 22:53:08 ID:SCTr8mD.
役行者さま
高倉健は、うちの、父に似てる。
とりあえず、ボード、あげとこ。
757
:
役行者
:2011/11/12(土) 22:57:46 ID:YEUC93mw
さくらさま
アリガトウ(;_;)/~~~
758
:
さくら
:2011/11/12(土) 23:26:32 ID:SCTr8mD.
お、役行者さま、
お久しぶり〜!^^
759
:
さくら
:2011/11/12(土) 23:27:31 ID:SCTr8mD.
えっと、なんの話でしたっけ、役行者さま。
760
:
役行者
:2011/11/12(土) 23:38:00 ID:YEUC93mw
そうなのよ!
だいぶ、話がズレちゃったのね!
明日まで沈思黙考し、建て直しますσ(^_^;
761
:
さくら
:2011/11/12(土) 23:54:34 ID:T/77sMGw
そうっすね、役行者さま、それも人生ですね、
今日もすごく良い日だった〜、これも人生です。
762
:
役行者
:2011/11/13(日) 00:26:56 ID:YEUC93mw
さくらさま
人生いろいろ ですね!
今日は、この歌を聞いて寝入ります(-_-)zzz
建て直しは明日に任せて!
http://www.youtube.com/watch?feature=youtube_gdata_player&v=IF6ayxBqO2U
763
:
役行者
:2011/11/13(日) 11:02:14 ID:nwkuWMUo
◆ スレッド2 の2000回達成記念を祝しまして、2の内容も引用します。
トーキングスティックボード・・・最近、下がりやすいのを無理に上げてくれたさくら樣に感謝の意を捧げながらはなしを進めてゆきます_(._.)_
どのように、元に戻してゆくか?が大切かと存じます(v_v)
沈思黙考しながら書き進めてゆます。
果たして生長の家はどこまで許容してくれるのでしょうか?
アウトサイダーは許容範囲であっても、アウトローともなると・・・ちょっと行き過ぎたところがありました(。・・。)
生長の家において、最前線の拠点は自宅や施設で開催される誌友会ですよね。そして、練成会になるかと・・・その練成会は昔の記憶を遡ると、結構、許容範囲を広げてました。駆け込み寺的な要素が随分ありましたね。いまでも、その名残はきっとあると信じてますが・・・
訊けさんが熱弁されているよう、いまこそ、ますます、アウトローを受け入れるような駆け込み寺を、時代は要請していると存じます!!
ところで、初心者さまがこのボードで以前このようなことを仰ってました。
>問題はダナオイの贈り物、つまりは言語ですね。言語によって設定された限界をどうやって 乗り切るか。これが生長の家に課せられた課題 であるような気がいたします 。ただし、「スマートグリッド」という言葉で義 春さんが表現しておられるように、現教団は 言語の問題に真向から取り組むのではなく まったく異なった方向から自然状態へのアプ ローチを試みているようでもあります。<
これが初心者さまが模索されてます第三の道なのでしょう。
世間ではTPPの話で持ちきりですが、真っ向勝負するのでなく、まったく、異なった方向からのアプローチを展開してゆく!ということなのでしょう。
また、
>ロゴスの誕生とともに、人は、自然の制圧を欲 望しはじめました。その欲望が実を 結んだのが近代科学でありますね。人は、近代 科学の力によって、自然の秘密を つぎつぎと解き明かし、それまで、人間の手に は負えないものと考えられていた 自然を、欲望の対象へと置き換えることに 徐々に成功するようになってきたので ありますね 当然のことに、近代において、信仰のあり方も 大きく変貌してまいりました。自然に たいする恐怖や畏怖の念から、欲望の充足へ と、信仰のあり方が置き換えられる ようになってきたのであります。現代の信仰 は、ロゴスの成果である近代科学の 発想の延長線上に、それと酷似する形であらわ れてきたということがいえるはず でありますね<
つまり、文明への迎合という形で、宗教組織がなりたざるおえないということでしょう。また、程度の差あれ、どの宗教団体もこのような要素を抱え込まざるおえないということでしょ
う。
続きます!
764
:
役行者
:2011/11/13(日) 11:04:50 ID:nwkuWMUo
上記文章の続きです。
随分と大きな話をしてまいりましたが、話を最初に戻します。
このような現代の新興宗教が抱えざる終えない背景があり、この世にアウトサイダーやアウトローを排出してきたことは歪めない事実でありましょう。
ならば、ホンモノの宗教はアウトサイダー・アウトローを受け入れるべきでありましょう。
なお、先ほど触れた「ロゴスはダナオイの贈り物」のことは、2000回を達成しましたスレッド2の700半ばから、800代、900代に掲載されております。ご参考にされてください。
続きます。
スレッド2から引用!初心者さまの言葉です。
>ジャック・ラカンは、「言葉はダナオイの贈り物」だといっております。
「内容は無害」。そういって贈られたのが「ダナオイの贈り物」です。
「ダナオイ」とはギリシャ人です。
「ダナオイの贈り物」とは、トロイア人が、アガメムノン率いるギリシャ人から
贈られた木馬であります。<
私は以前、トロイという映画を見て、トロイの方々に日本人をダブらせて観ておりました。
負けるとわかっていながら、やむにやまれずの悲しいサガを観てしまったのです。
そして、初心者の言葉はこう続きます。
>愛国心や信仰心が簡単に激情へと向 かってしまうのは事実だから、楽観はできないんだよね。こんなことを言っているあたしにしたところで いつな
んどき激情へ向かわないともかぎらない のだから、あやうい バランスのなかで、
やっとこさ平静をたもてて いるという気がしないでもない<
と・・・そして、わたしは応えました!
>「悲しいサガ」ですね。シニフィアンの一人歩きに翻弄されるのが、人間なのですね。
言葉の重みを感じます。<
高倉健が出てきました!悲しいサガの象徴ですね。それはそれでよいと思います。ただ、生長の家は先に進まなければならないとそう思えるのです。
先に進む話は、あとで展開します。
結論を言います。
アウトサイダー、アウトローをも受け入れる、こらからの生長の家のあり方を問う。
大変失礼なことだと分かりつつ言います!初心者さまのようなアウトサイダーな方を受け入れることも、また私のようなアウトローな人間も受け入れるような、そんな生長の家について、考えてゆきたいのです。
やっとこ、もとに戻しました(^。^)y-゚゚゚
765
:
さくら
:2011/11/13(日) 11:20:21 ID:T/77sMGw
役行者さま
わたしは、救済運動として活動するなら、各自が問題意識を
持って、社会的なアプローチを考えていくことがよいと思っています。
活動していくと、アウトサイダーでも、アウトローでも、
関わることで、多面的な対応の仕方が見えて来るとおもいますよね、
その際の、信仰、救済、真理の意義をはっきりしておくことが、
大切だと思うのですが、。
766
:
役行者
:2011/11/13(日) 11:32:19 ID:nwkuWMUo
そうですね。
社会起業家の話ですね。
他スレットでも挙げてましたね!
いろいろ、教えてください。
私も、考えてゆます。
767
:
役行者
:2011/11/13(日) 12:27:25 ID:nwkuWMUo
>>764
一箇所訂正です。
初心者 → 初心者さま
768
:
「訊け」管理人
:2011/11/13(日) 17:14:59 ID:D0Kb5yw.
>役さあ
>さくらマネ
うーん・・・あまりよく解りません(笑)社会起業的アプローチとか「ダ
ナオイの贈り物」とか、そんな難しい言葉は不要だと思います。(定義する
だけで時間を取られましょう。そして定義できた頃にはもう、半数の人間が
飽きているやも)
簡単に申します。まあ、ここまで簡単に表現しちゃうと「有難み」はないで
しょう。ですんで印象面では不利となるんでしょうが、しかし・・・個人的
には以下の話、「これ以外になにかすることがありますか?」なのでありま
して・・・まあ、有難みもなく、あっさり話しすれば、
『 生 命 の 實 相 』 を 皆 で 拝 読 し よ う 。
これにしかナラヌのです(笑)繰り返しですが、愚生意見では、これにし
かなりません。アウトローだろうがアウトサイダーだろうが、シニフィアン
が暴走しようが(笑)「『生命の實相』の拝読者、これを増加させること!」
これに尽きると思います。(暴走しようがそれ、『生命の實相』的世界観が
暴走する限りは大歓迎です。怖いのは「曲解・誤読の暴走」なのであり・・
・)
追伸
随分細かい話を省略して語っております。理由は「主張をより明確にせん
がため」でありますが、お尋ねなどございましたら返答致します。なお、さ
くらマネ問いかけには全面的に返答できておりません。なにかの話の流れの
中で、触れていこうと考えております。(例えば『生命の實相』をone of them
にする件など)
769
:
「訊け」管理人
:2011/11/13(日) 17:19:02 ID:D0Kb5yw.
補足
>社会起業的アプローチとか「ダナオイの贈り物」とか、そんな難しい
>言葉は不要だと思います。
このあたりの記述ですが・・・無論、貴殿たちの意見を拝聴し、「やはり
重要だなあ」と感じたら意見を替えると思います。つまり、あくまでも現時点
では「不要と考える」という意味に過ぎません。議論される分にはわたしも、注視
して参りますので、どうぞ活発な議論をお願いしたい次第です。
770
:
初心者
:2011/11/13(日) 17:32:42 ID:X1fDhvjY
訊けさま
たしかに、救済だけを目的にするのであれば、ダナオイの贈り物を問題にする
必要はございませんでしょう。真理を追究するものだけが考えればよいことで
ございます。たしかに、訊けさまには、猫に小判、不必要なものでございます。
771
:
さくら
:2011/11/13(日) 17:34:43 ID:Iv0u5ptU
訊け監督
生 命 の 實 相 』 を 皆 で 拝 読 し よ う 。
あなたの主張は、了解しました。私も、それを、して行けばよいとおもいます。
やってみて、限界や具体的対策が見えるでしょう、頑張って下さい。
私の考える、救済運動や信仰運動とはちがいますが、
あなたには、関係ないようですので、
意見交換は無駄のようですね。
私は、社会的アプローチに、定義を求めておりません。
具体的アイデアを求めていました。
周りの方々と、やっていこうと思います。
この後、あなたが、めんどくせえな、と思われる反論が、
初心者さまからあるかとも思いますが、
ご健闘をお祈りしております。
772
:
初心者
:2011/11/13(日) 17:36:10 ID:X1fDhvjY
役行者様
どうもですね、雅春先生の教えを学ぶであるとか、教えを広めるであるとかの
話は出てくるのですが、では、教えを学んでどうするのか、広まったらどうなる
のかと、こういった話になると、具体的な言及は出てまいりませんですね。
学べばなんとかなる、広めればなんとかなると、こういった考え方であると
おもいますが、これはプロセス志向の考え方でもあるような気がいたします。
学ぶプロセス、広めるプロセス、こうしたプロセスに価値を見いだそうとする
考え方であるような気がいたします。
たとえば、人類光明化という目標があるとすると、すべてを目的達成の
ためのプロセスとみなし、プロセスじたいに価値をおこうとしているかのように
おもえるのであります。
そうなると、問われるのは、将来の具体的な見通しであるというよりも、今この
瞬間になにがおこなわれているか、ということになりますよね。役行者様は、
生長の家が人類の未来のためになにができるかという、具体的な将来ビジョン
を、こちらで問題にしておられるとおもうのでありますが、多くの生長の家の方々は、
今なにをなしているか、なにをなそうとしているか、を問題にしておられるのかも
しれません。
じつはこのプロセス志向ですが、わたくしはほとんど存じておりません。プロセス
重視とはなんであるのか、それは単に問題解決の先送りであるのか、それとも
それじたいに価値を見いだせるものなのか、そのあたり、なにも存じておりません。
しばらく、沈思し黙考いたす所存でございます。
773
:
役行者
:2011/11/13(日) 17:46:39 ID:cNX117R.
訊けさん!
たぶん、もうすでに、御覧になっていることと思いますが、
ブラッド・ピットのトロイ観て!
薩摩隼人の心を揺さぶるよ!
そこに、木馬がでてきます。
しばらく、留守にしますが、どうぞ、ご自由にお入り下さい。
774
:
「訊け」管理人
:2011/11/13(日) 18:02:34 ID:D0Kb5yw.
>みなさん(笑)
返信、早すぎ(笑)
>校長殿
――――――――――――――――――――――――――――
どうもですね、雅春先生の教えを学ぶであるとか、教えを広めるであるとかの
話は出てくるのですが、では、教えを学んでどうするのか、広まったらどうなる
のかと、こういった話になると、具体的な言及は出てまいりませんですね。
学べばなんとかなる、広めればなんとかなると、こういった考え方であると
おもいますが、これはプロセス志向の考え方でもあるような気がいたします。
学ぶプロセス、広めるプロセス、こうしたプロセスに価値を見いだそうとする
考え方であるような気がいたします。
――――――――――――――――――――――――――――
いやいやいやいやいや(笑)これは違うと思っています。まあ、個人的
体験談としか申せませんが・・・なお、生長の家には多数の事例報告(体験談)
があります。これを根拠とすることは、可能かと思います。
まあ、「AとBを合わせても治癒しない!」な主張がたとえば医学界から
寄せられておろうとも、「・・・実際は治ってます」な事実があればこれ、
私は重視する次第です。たとえその医者が「理屈ではそうはならん!」と主張
されようとも、はたまた経営コンサルタント(笑)が「理屈で行けば倒産です」
と言おうとも・・・・実際はそうは、ならなかったわけであり。
うーん、ここから先は如何に説明すればよいのやら?どなた様か助力願い
たいところです。
775
:
初心者
:2011/11/13(日) 18:02:52 ID:X1fDhvjY
さくらちゃんへ
『生命の實相』が拝読されつづけてきた教団内で、これまで何がおこなわれて
きたのか、それを知るものとしては、訊けさまのご健闘を祈るよりほかはござい
ません。
昨日も、ある知人より、その昔、その方が、教団内でどのようなむごい仕打ちを
受けたのか、その具体的な話を聞かせていただきました。『生命の實相』を拝読し
つづけておられる方々が、世間並みか、それ以下の名誉棄損、あるいは凌辱的
ともいえる行為を、それこそ徒党を組んでなされたのだそうであります。
訊けさまのご健闘を祈ることにいたしましょう。
776
:
「訊け」管理人
:2011/11/13(日) 18:11:02 ID:D0Kb5yw.
>校長殿
それはトキさまが過去、触れておられた衆でありましょうか?
うーん・・・過去の事例はよく判らないのですが、とは申せ『弟子像』拝読
で判ったことを一知半解に述べれば・・・「暴走していたのは、御教えではなく
、曲解」というのが私見なのですよね。
現時点では『生命の實相』に罪はない、そう思えるのですがいかがでしょう?
(まあこの領域の話になりますと、非組織員の私には、よく分からなくなる
ところではありますが・・・役さあやトキさあ、助力してくいやんせw)
777
:
「訊け」管理人
:2011/11/13(日) 18:18:31 ID:D0Kb5yw.
<参考>
『われ山頂より雲を招ぶ』谷口雅春先生(昭和9年5月号)
大宇宙は無尽蔵であって、心に従ってよく金でも物資でも無尽蔵に顕れて
来るのでありますから、本部も富むと共に誌友全体が富み、誌友全体が富む
と共に人類全体が富む事業を私は茲に皆さんの前に発起してゥようと思うので
あります。
それは光明思想普及、地上天国建設事業と言う聖業であります。
『生長の家』は声字即実相の原理により、文章の力、言葉の力によりまし
て、ただ聖典、神誌を読むだけで、此の自分自身を生かして下さっている力
の本体を悟らせ、その生かして下さっている力の救いを、百パーセント受け
ることを得させて、現実には病気が治り貧乏が消滅し、魂には根本的安心を
得させてくれるのであります。
それで私が皆様に提唱して御賛同を得たい事業と申しますのは、こんなに
善い教えを、魂の根本的安心を得させ、生命の自由を得させて、病気も貧乏
も存在しない地上天国を建設する運動を、皆さんに協力して貰って、もっと
早く、もっと大きく、弘めるように努力したいと思うのであります。
今は実に人類の非常時であります。凡ての宗教は真理の山巓を目蒐けて登
る登山道であります。登山道によってその展望は異る。登山道の各々の展望
が異るともいずれも不二の山巓に至る登山口であることに相違はない。各宗
教相争うな。相争うは各登山道の風光相異を語るに過ぎないのである。
ひとり”生長の家”は山頂より俯瞰して、一切の宗教を、そのままの真理
に於て改宗を強いずして、一望の下に包容するのであります。色々の宗教は
形を祭るが、”生長の家”はただ真理を祭る。
色々の宗教は石材木材等にて神殿寺塔を建立するが、生長の家はただ真理
の言葉の神殿を建立して、その神殿(聖典)の中に真理の言葉を祭り込むの
であります。
形の神殿でありますと、仏教と神道と基督教とでは、その神殿教会堂塔伽
藍の建て方がちがう。その建て方を見て互いに異教徒と呼び、排他的になる
のでありますが、”生長の家”では形の神殿を超えて、不二の真理の山頂よ
り俯瞰して一望の下に収め、あの堂塔もよい、この神社もよい、この教会も
よいとして、それでいて今迄の宗教に活が入り入魂されるのであります。
それは唯、山頂にいる者、不二の山頂から俯瞰する”生長の家”にして能
う処であります。全世界にこの真理の聖典を満たせよ。われ今、不二の真理
の山頂にいて雲を招ぶ。雲来りて真理の言葉をのせて、全日本に、やがては
全世界に、その真理を運ぶであろう。
<了>
778
:
「訊け」管理人
:2011/11/13(日) 18:22:42 ID:D0Kb5yw.
>校長殿
さらに一点、疑問を呈します。
>『生命の實相』が拝読されつづけてきた教団内で、これまで何がおこなわれて
>きたのか、それを知るものとしては、訊けさまのご健闘を祈るよりほかはござい
>ません。
この箇所に関してですが、こんなこと書きますと大変なことになりましょう
けども敢えて愚見を述べますと・・・現教団では『生命の實相』
拝読されておられないのでは?
な疑問はありましょうか(笑)吉田國太郎先生が「キミたちは日の丸を
振るよりも、『生命の實相』を拝読せねばなりませんよ」とこう、若き青年
に熱弁されておられるのですが、なんとこれが昭和20年後半という・・・
重要なので繰り返しますが、『生命の實相』ってあまり、読まれていないの
ではないでしょうか?
追伸
信仰五歳児がこんなこと書きますと、いろんな方から叱られそうですが(笑)
779
:
さくら
:2011/11/13(日) 18:39:00 ID:Iv0u5ptU
>校長
生長の家の信徒は、大変律儀で、まじめな方が多く、
生命の實相を何周も読んだりされておりますね。
生命の實相を、読み込んでおられるかたのいる組織が、
この現状を、生んだのですね。
信徒の方が、うんざりする、という状況です。
誰かのせいにして、追い出せば安泰なのでしょうか。
初心者さまは、これまでも、何度も言葉の持つ暴走の危険性や、
宗教組織において、どんなことが行われているか、
言及されてきました。
読んでいる方で、気づかれた方もいるのではないですか。
それでも、同じことを繰り返す方もいます。
私は、それぞれ、いいと思うやり方で、
やってみれば、よいとおもいます。
限界や、弊害を体験して、それぞれ、学ぶしかないのではないか、と思います。
言葉のやりとりの、虚しさを、感じてもいます。
780
:
トキ
:2011/11/13(日) 21:38:49 ID://CPfGPY
さくら様
トーキングスティクで司会が書き込んでも良いのか、少し疑問ですが、投稿をお許し下さい。
教団内部の事ですが、私も過去、確かに極めて不愉快な経験はあります。ですから、初心者様の
言われる意味は理解できます。私の知っている人で、生長の家の信徒ですが、犯罪を犯して有罪
の判決を受けた人もいます。
特に、過去のある時期には、教団の内部統制を無視する形で、勝手な事をした人達がいて、そ
ういう人達の中には、信徒としては勿論、社会通念上も問題の多い行為をした人もいるとは聞いて
います。そういう人達を信徒と読んでも良いか、どうかは別にして、生命の実相を読んでいる人の
中にも、そういう人は確かに存在をします。
しかし、現在、「小閑雑感」や「森の中へ行く」を読んでいる人達の中にも、社会通念上、問題
のある行為をしている人達は確かに存在しています。私は教区の人間ですから、よく知っています。
これは宗教書だけの話ではありませんが、教科書でも、哲学書でも、読んで知識とか教養として
「知っている」という段階で終えるか、そこに書かれている事を自分の血や肉として生かし、
実践するか、という事とは、実は大きな差があると思います。
中世のフランス、カソリックはカタリ派を一方的に大虐殺しました。しかし、マザーテレサは
カソリックの信仰で、多くの人を救いました。同じ信仰を持ちながらも、している事は天と地と
ほど差があります。
ここで、我々は、「真理」を「実践」するときのあり方を考えるべきだと思います。
例えば、E=mc2という方程式がありますが、それを実際に応用したのが原子爆弾であり、原子力発電
です。生長の家でも、「生命の実相」を「実践」する時に、たくさん良い事がありましたが、
同時に、問題も生じた事がありました。
そういう過去のいきさつを見ると、我々は、「実践」とくに「運動」のあり方について、問題点
は問題点として直視して、議論をしなければいけないと思います。
しかし、だからと言って、「生命の実相」や「森の中へ行く」を読むのを止めるべきだ、とは
思いません。ただ、読み方は変化させるべきだとは思います。
以上、とりとめもない感想ですが、お許し下さい。
合掌 ありがとうございます
781
:
さくら
:2011/11/13(日) 23:20:36 ID:T/77sMGw
トキ様
考えてくださって、感謝いたします。
宗教との付き合い方を、私なりに試行錯誤で考えてきたので、
慎重になりすぎると見える部分があるのかもしれませんが、
ただ、私的な感情はともかく、
対話を望むなら、考慮していただきたい部分は、
やはり譲れないところがあります。
根本的な部分を話せないなら、建設的対話が進むとは思えません。
対話を望めないなら、それぞれが信とするところを、
実践して頂くしかないと思っております。
トキさまが言われるように、生命の實相だけを読んだということで、
万人が共通して、現象的に善を現わしうるというわけではありません。
私は、人を救えるというのは、愛でしかないと思うので、
救済運動をしていくことは、どのようなことを実践し、活動していくのかが、
問題になると思っています。
それは、慈善事業や普通のボランティアではなく、
信仰に根ざした運動でなければならないと思います。
神の愛の実践によって、だと思います。
組織の限界を感じております。
ですから、自由な発想が必要だとも思います。
社会の問題に対して、真摯に向き合った時見えてくるものを、
それぞれの課題として取り組んでいく、
その時の実践の仕方や、運動の展開は、
個人や地域や、グループでそれぞれのやり方でしていけば、
きめの細かい、個性の生かされる取り組みになると思います。
生長の家の方は、社会への問題意識も高い方が多いみたいですから、
グループをつくったり、有志を集めたりして、
それぞれのテーマで、活動ができたらよいのに、と思います。
例えばですが、山口県のある方が、過疎化が進んで、農業の担い手が少なくなっている地域に、学生の農業体験を募集したところ、たくさん集まってきて、
農業に関心もつ若者が多いことが分かったそうです。
それで、農家と、農業に関心の持つ若者をつなげる団体をつくって、
農業農村の活性化のために、貢献しているという取り組みがあります。
農家サイドは、そのことでプロ意識や誇りを取り戻し、
また、学生側は、将来農業に従事する方向に行くことを決める人も出てきたそうです。
こうした取り組みは、いろいろありますよね、
地域の小さいと思われる問題意識が、活動に結びついたりします。
本部の方針が、環境問題といっても、色々な取り組みがあるとおもいます、
農業や林業、経済や産業、倫理道徳的問題や、食、教育・・
多方面のことが考えられますので、自分がどう実践していくかだと思います。
大きなことをして、社会変革、などを考えたり、数を追ったりする運動ではなく、
信仰による愛の実践を、していくことが、生長の家の信仰をもっていることで、
出来ると信じています。
救済としての運動や、信仰のあり方、真理の求め方、などについて
生長の家でも、その中でさらに深く話しあえれば良いとおもいます。
なかなか組織に関わると、自由な発想が縛られてしまうこともありますので、
外部との交流などを通して、いろいろなアイディアを取り入れるのも良いですね。
トキさまは、組織の中にいらっしゃる立場ですが、
生長の家で、こうした方向の取り組みが、できると考えられますか。
782
:
初心者
:2011/11/13(日) 23:21:23 ID:X1fDhvjY
訊けさま
訊けさまは、『生命の實相』を読む以外になにかすることがありますか?と
いっておられます。これは、『生命の實相』が書かれる以前には、なにもする
ことがなかった、ということでありましょうか。これは、『生命の實相』を読みさえ
すれば、それ以外のことはなにもせずとも救われるということでありましょうか。
これは、『生命の實相』を読まなければ、ほかになにをやっても、それでは
救われないということでありましょうか。
訊けさまは、『生命の實相』を読めばどうなるといわれているのでありましょう。
読まなければどうなるといわれているのでありましょう。具体的にどうなるのか、
答えていただけますでしょうか。
783
:
初心者
:2011/11/13(日) 23:41:15 ID:X1fDhvjY
さくらちゃんへ
訊けさまによれば、『生命の實相』を正しく読み込む以外になにもすることが
ないということになるようであります。おそらくわたしたちは、『生命の實相』を
正しく読めていないのでありましょう。そしておそらく、正しく読めない人たちは
少なくないのでありましょう。そして、はじめから読まない人が圧倒的であります。
『生命の實相』を正しく読める人は、訊けさまにおまかせいたしましょう。わたしたち
は、正しく読めない人、読もうともしない人が大勢いるという前提で、これから
話を進めていくことにいたしましょう。そうした前提のもとでなにができるかを
話し合っていくことにいたしましょう。
訊けさまにはこれから、『生命の實相』の正しい読み方を広めていただくことに
いたしましょう。訊けさまにはたとえ無意味であるにしても、わたしたちは、
『生命の實相』を正しく読めない人たちのなかで何がなせるかということを、
これから考えていくことにいたしましょう。
784
:
役行者
:2011/11/14(月) 00:27:57 ID:olANqGuI
理想と現実というものがあり、なかなか、理想どおりいかないのが、現実です。
仏典にしても、聖書にしても、また、生命の実相にしても、現実を直視しながら、おのおの悟れた世界を言葉に表現されてきたのでしょう。
それはそれは貴重な書物です。特に20巻など、雅春先生の悟られた世界が如実に表現されております。
イエス、釈迦の悟られた世界がわかりやすく表現されているではないですか。
何度読んでも、心鎮まる自分がそこにいるのです。
大切な書物だと思われます。
生命の実相が説かれているところ、そこに、神が顕れる!といったような内容の文章がありますが、それは、聖書にしても、仏典にしても、生命の実相にしても、おのが世界に内在する光に照らされて読む!そのとき、生命の実相が顕れるのでしょう。
その静かな内在の世界が展開されて、聖書が、仏典が、生命の実相が読まれていれば、宗教がこれほどまで、社会的に、世論に、白い目で見られなくて済んだのに・・・組織になるとどうしても形骸化し、暴走し、宗教組織そのものが利用されてしまうのが、歴史の必然性でした。
生長の家に限ったことではないのです。
いろいろ宗教が出現してきましたが、世の中はなかなかよくならないですね。逆に、利用されてきてますね。それは防がねばならないことです。
がしかし、生命の実相そのもの、仏典そのもの、聖書そのものに罪があるのでしょうか?
それはないと思います。
どう考えても、いま人類は過渡的なところまで来ております。
そんななか、いまこの現実を直視しながら、組織は正しい方向性を示していく必要性はあります。
生命の実相には罪はなく、それを利用する側に罪があることを認識し、組織が、聖典が、利用されないよう、 正しい道筋を説いてゆく必要性があると思います。
それにしても、生長の家は暴走の少ない宗教団体のほうでしょう。
ただ、高い理想をかかげている現総裁は、微塵足りたも、生長の家にて暴走は認められないのでしょう。たぶん!
理想と現実!この兼ね合いは、政治的平衡感覚なのでしょう。果たして妥協も必要なのでは・・・縄文から弥生と変化したとき、頭脳ごと変化したとおもわれますが、現代文明から、新時代が幕を開けるとき、また頭脳ごとの変化が予想されます。それまでは妥協も必要なのでは!!
また、そうした平衡感覚をもちながら、さくらさまが仰っているよう、社会に如何に貢献するか!?大切なことだと思われます。
785
:
初心者
:2011/11/14(月) 09:52:20 ID:X1fDhvjY
雅春先生もまた、「声字即実相」といっておられるようであります。たしかにそのように
考えることはできます。そのように信ずることはできます。そのように断定すること
もできます。しかし、それらのことが、すべて反証不可能な形で語られているのも、
また事実なのであります。
いっぽう、「声字即実相」とは異なる、そうではない考え方があります。それは、言葉とは、他の言葉との差異のネットワークである、とする考え方であります。この「そうでは
ない考え方」は反証可能な形で語られています。これが、「声字即実相」が反証
不可能な形で語られているのとは異なる、「そうではない考え方」のもっとも顕著なる
特徴であるかと存じます。
やっかいなことに、この「そうではない考え方」は、それが反証可能であるにもかか
わらず、いまだ反証を示すことに誰も成功していないと見られている、ということなの
であります。反証不可能な言説に反証できないのは当然であるにしても、反証可能で
あるにもかかわらず、誰も反証できないでいるとすれば、これはなにを意味している
のでありましょう。
この誰も反証できないでいる「そうではない考え方」を、生長の家は、「声字即実相」
という、反証不可能な言説で否定するでありましょう。生長の家がやっていることと
いえば、それは、反証不可能な言説で、それが反証可能であるにもかかわらず誰も
反証を示すことができないでいる言説を、いとも易々と否定してみせるということなの
であります。
こうした安易な方式が当然のごとくまかりとおっていることに、わたくしは疑問を呈さず
にはおれないのであります。「そうではない考え方」は反証可能ありますから、少なく
とも反証ぐらいは示すべきできないかと、このように考える次第であります。「そう
ではない考え方」をひと言でいえば、言葉は他の言葉について語るだけで、言葉以外
のものごとについてはなにも語ることができない、とする言説であります。
それならわたくしが、「声字即実相」を理解しているのかといえば、それは「ない」と
いえるでありましょう。少なくともわたくしは、他者にたいして、反証不可能な言説を
押し立てて語るということを好みません。したがって、他者との語らいにおいて、
「声字即実相」を語ることの必要性を、わたくしは認めません。
他者になにかを語るのであれば、それを反証可能な形で語るというのが、他者に
たいする礼儀であるとわたくしは考えるのであります。もちろん、本人がそのつもり
でも、そうはなっていないというのは、認めるところであります。
786
:
トキ
:2011/11/14(月) 10:58:58 ID:ees7aDWQ
さくら様
今の組織は、束縛が多く、硬直しており、個人の発想とか創意を生かせる体制ではありません。
本部がいくらきれいごとを言おうと、教区の人間は深く失望をしています。
ただ、組織改革をしたら、それは変わる可能性はあります。
携帯電話でも、通話さえ出来れば良いという人もいれば、多機能を望む人もいます。それと
同じで、今、価値観の多様化で、神想観だけしていたい、という人もいれば、環境問題や国家観
の問題にも関わりたい、という人もいます。仕事が忙しくて活動には参加できない人もいれば、
引退して時間はあるが、何をしたら良いか分からない、という人もいます。しかし、それぞれの
事情を認めて差し上げる事はとても大事だと思います。
私の知人で、仕事や介護で忙しい人に、講話のテープを貸している人はいます。行事に参加
できないので、とても喜ばれています。著作権の問題はありますが、こういう試みは条件付き
で認めるべきだと思います。
また、特に特定の活動をしたい人は、外郭団体で活動をすべき、という形が理想だと思い
ます。
以上は、とりとめもない内容になりましたが、お許し下さい。
合掌 ありがとうございます
787
:
役行者
:2011/11/14(月) 12:53:44 ID:z2eJYWCY
>>785
初心者さま
>この誰も反証できないでいる「そうではない考え方」を、生長の家は、「声字即実相」という、反証不可能な言説で否定するでありましょう。生長の家がやっていることといえば、それは、反証不可能な言説で、それが反証可能であるにもかかわらず誰も
反証を示すことができないでいる言説を、いとも易々と否定してみせるということなの
であります。<
「声字即実相」これは、もともと、空海が説かれたコトバです。
この解説で、漢文調の文章 一冊です。すごい方です。昔、読んだのですが、忘れてしまいました。何か、奥義が隠されているのでしょう。
さて、上記文章、難解ですが、何とか読解して、たぶん、ロジックを超える世界は、言葉で表現できないということだと思いますが、
概ね、確かに、言葉の差異を
「声字即実相」で否定する傾向が生長の家にはあることは私も共感します。
それが、たぶんシニフィアンの暴走につながるのでしょう!
788
:
初心者
:2011/11/14(月) 13:11:42 ID:X1fDhvjY
役行者様
「声字即実相」は空海でしたか。昔からつかわれている言葉のようでもありました
ので、「雅春先生もまた」という表現を使いました。ご教示いただきありがとうござい
ました。
それにしても、こうした漢語的表現は、意識の高揚感や、語感から生じる万能感に
酔うことによって、容易にシニフィアンの暴走へと結びつきやすいものであります。
「なにもかもかわっている」という感覚におちいりやすい表現ではあるおもいます。
いうまでもなく、意識の高揚感には、脳内物質が深くかかわっているはずであります。
789
:
役行者
:2011/11/14(月) 13:25:30 ID:z2eJYWCY
脳の専門家ではないですが、深く同感します。
790
:
初心者
:2011/11/14(月) 13:29:29 ID:X1fDhvjY
役行者様
言葉とは、そのすべてが他の言葉との差異であると、わたくしは考えております。
そしてそれが、他の言葉との差異である以上、言葉は言葉以外のものごとについて
は、なにも語れないと考えるのであります。「実相」といえども、それは「現象」との
差異であると、わたくしは考えます。
たとえば、実相があらわれたことで奇跡がおきた、といってみたところで、そうした
出来事のすべてが、言語によって語られ、言語によって理解され、言語によって
現実感が生じせしめられているのでありますから、奇跡的出来事といえども、それは
言語的世界の出来事が言語によって表明されたものと、わたくしは理解いたすので
あります。
791
:
「訊け」管理人
:2011/11/14(月) 13:30:29 ID:D0Kb5yw.
>校長殿
うーん・・・なにから語るべきか、現在不明であります。組織を離れて20
年の貴殿であります。そして、それでも生長の家に並々ならぬ関心を寄せら
れる貴殿でもあられます・・・そんな貴殿への〝言い方・伝え方〟が不明な
のですが、まあ以下で、ツラツラ語ってみようと思います。
<教団の現状は、「御教の暴走に非ず」の件>
再度述べておきますが、私は非組織員です。20年前に組織に属しておら
れた貴殿印象とは、問題意識が違うものになりましょう。教団の問題につい
て貴殿は、間近で観察しておられたでありましょうから、おそらく私よりは
正確に把握されておられると思います。
ただし、教団の問題(これがなにを意味するかはさて置きますが)はこれ、
果たして御教の暴走(※)がもたらしたものなのでありましょうか。その辺
りは正直に申せば「疑問」なのであります。根拠はトキさま過去のご投稿文
と、榎本惠吾著『弟子像』になる次第ですが、まあ、問題は御教の暴走と云
うよりは、「曲解・誤読が放置された」と表現した方が正確な気がします。
つまり問題の下手人は『生命の實相』ではない、そう考えております。
<註>
※ 御教の暴走
「父母に感謝せよ」「隣人と仲良くせよ」「人に深切にせよ」「神の子と
して礼拝せよ」「それは〝悪〟ではない、善が現れた姿」等々・・・これが
『生命の實相』で述べられるところの御教の一部です。しかもその感化力
(説得力)に於いて段違いなのが、『生命の實相』と言えます。また暴走に
ついて申せば、「こんな教えならば暴走して欲しい(笑)」とまで考える私
です。こんな教えならばこれが〝暴走〟していれば、これ、組織としては
「◎だったんじゃないの?」な感想を持つ次第でありまして・・・
<『生命の實相』への異論>
記述内容への異論はもちろん、あると思います。そして個人的にはそんな
話、どんどん聞きたいところでもあるのです。しかし・・・医学で云う臨床
実験データ、これが生長の家では「体験談」に該当すると思うのです。そし
てこの実験データ(体験談)、これを無視してしまうのも、公平な科学的態
度とは言えないと思えます。たとえば心理学者が「谷口雅春の理論はココと
ココが間違っている!」「根拠はこれ!」と提出されましてもこれ・・・
「なんで間違いなのに、こんなにも救われた人が出たんでしょう?」「しか
もなんで、1900万部も売れたんでしょう?」そんな疑問は当然、湧いて
くると思われます。
ちなみに『親鸞の本心』に於いて雅春先生は、西本願寺からの反論を掲載
され、堂々と論破されました。まあ、この論破とは「救済力を重視した結果」
(※)での論破、なのであり、「谷口は論点をずらした」というツッコミを
浴びせることも、ひょっとすると可能なのかもしれません。しかし・・・宗
教を語るに於いて「救済」という視点を外した議論、「これに意味があるの
であろうか」と、個人的にはそう思える次第であり、その意味では「論点が
間違っているのが西本願寺では?」という感想を持ったのが、(うろ覚えで
すが)『親鸞の本心』拝読後の感想でありました。
<註>
※「救済力を重視した結果」
一概にこう申すのは危険です。しかし大筋ではそう評しても差し支えなか
ろうかと。ただ雅春先生の場合は、「救済力に比重を置かず」とも、教義解
釈の部分でも圧勝されておられ(笑)
ちなみに、6年前の私が今の私を見たならば、「ついにオレ、宗教に洗脳
されたか」と申すでしょう。しかし公平に見てもこれ、雅春先生は偉大な方
にしかならぬのであります。
792
:
「訊け」管理人
:2011/11/14(月) 13:31:32 ID:D0Kb5yw.
追伸
言わずもがな、なことですが、私は「真理の追求」を否定しません。です
がこの掲示板では宗教という観点からの話しがメインとなるわけであり、そ
して宗教で云う真理には当然、「救済」という視点は欠かせないものになろ
うかと確信する次第であります。真理に救済力は「含まれるか否か」を語る
よりは、手近な隣人の問題(※)を解決する者でありたい、そう考える現在
です。
<註>
※ 手近な隣人の問題
ここ数ヶ月、私の周囲だけでもこんな問題が発生しています。
1)高校二年生(17)の自殺。原因不明。体育系部で主将まで務めた子であり衝撃。
2)失業した障害者夫婦が家賃滞納。5歳の子供がいるのにアパートを追われそうである。
3)売上不振の経営者仲間、死相が出ている(自殺を考えている様子。私も寸前まで行ったので直感で確信している)
4)障害児の母親がうつ病気味。娘へ虐待している様子。
5)ある小学六年生(父親の浮気が原因で離婚した家庭)の子が、修学旅行前なのに浮かない顔をしている。
6)家賃滞納を許していたアパートオーナーが、逆に提訴されてしまった。借家人の家に子供がいたため、学費までも貸してあげていたのに「なんで?」という問題。
(余談)
・・・世界情勢に触れつつも、間近な問題も決してスキップされなかった
のが雅春先生です。記述箇所で、哲学書と比較すればやや幼稚(?)な部分
もある『生命の實相』でありますが、これは、雅春先生の方便(ご愛念)だ
と思います。少なくとも、人類愛を説きながら、嫁さんから逃げられたとい
うような種類の人よりは、個人的には雅春先生、尊敬に値いする方なのです。
793
:
a hope
:2011/11/14(月) 22:15:54 ID:kcv2QXTk
わたしは、役行者さまのこのボードのテーマについての話しあいに、
組織の事情がよくわからないので参加しませんでしたが、
この、>791と>792の「訊け」管理人さまのお話は、
とても重要なお話のような気がします。
校長殿(初心者さま)宛になっていますが、初心者さまは、他の板では、
盛んに発言されていたようですが、こちらの「訊け」管理人さまのお話には、
13:31から、全く反応されていません。
どうしてなのでしょう?
初心者さま
わたしが、スティッカーだった時も、初心者さまは、都合が悪くなると、
逃げられましたね。
今回も、そうなさるおつもりですか?
794
:
初心者
:2011/11/15(火) 00:55:26 ID:X1fDhvjY
a hope様
申し訳ございません。じつはこれまで「生長の家はなにをなそうとしているのか」
との問いかけをつづけてまいりましたが、訊けさまがようやくその答えを提示な
されただけで、ほかの方々からは、いかなる答えもいただいてはおりません。
訊けさまの勇気を、わたくしは称賛いたしたいとおもいます。ほかの方々は、答える
勇気さえ持っておられぬのであります。わたくしは、答える勇気を示された訊けさま
は、かならずなにかを実現なさるであろうと考えております。
わたくしは別の道を進むことにいたします。もちろん、それもまた具体的な答えであり
ます。訊けさまの問題意識にたいしても、わたくしは異なった方法で、具体的に応え
たいと考えております。
訊けさまは、ふつうでは語れぬ、ご自身の問題意識を具体的に語ってくださいました。
わたくしは、訊けさまの勇気に応えなければなりません。そのために、『生命の實相』
にとらわれることなく、訊けさまによって提示された問題の解決に向けて、これから
じっさいの行動をおこすことにいたします。
これは長い道のりになるとおもいます。a hope様は思慮深い方であられます。
なぜa hope様がここに書き込みをなされたのか。その意味が痛いほど伝わって
まいります。義春さんが、個々別々に分離された個人意識に救いはない、といって
おられたことを思い出します。
795
:
役行者
:2011/11/15(火) 06:08:56 ID:z2eJYWCY
初心者さま
>>790
ほとんど、共感できますが、内容を整理してゆきます。まず、初心者さまの下記投稿文!
>>322
>文化的状態へのひきこもりは、脳の構造に由来すると、わたくしは考えております。その構造とは、左脳と右脳
の直結ということだけでなく、左脳の能力が飛躍的に向上したという点をあげる
ことができるとおもいます。
自我の担い手であり、個人意識の担い手であるのが左脳でありますね。
そこでひとつのアイデアが浮かんでまいります。それは、左脳の機能を低下させ
ることができれば、自然状態に回帰できるというアイデアであります。・・・
わたくしはかつて、雅春先生の『無門関解釈』を読んだことで、左脳の機能が極端に低下するという事態に陥ったことがあります。自分がどこにいるのか、自分が誰なのか、それさえもわからなくなるという、そんな状態に、長期にわたって陥ったのであります。・・・
左脳の機能を低下させると、たとえようもない幸福感につつまれることになります。脳内麻薬が大量に分泌されている。そんなような状態であります。
しかも、必要なアイデアが、ひとりでに天から天下ってくるようにもなります。
なにかのアイデアを欲するときには、意図的に左脳の機能を低下させます。すると、どこからともなく、最適ともいえるアイデアがあらわれてまいります。さらにはですね、あらゆるものごとを自分は知っているという感覚に満たされること
にもなります。宇宙のすみずみにいたるまで、自分はなにもかも知っている。そんな感覚に満たされることになるのでありますね。
こうした状況が、おそらくは自然状態に近い状況であろうと考えます。
しかし、これには問題があります。すでに述べたように、クルマを運転している最中に、通いなれた道であるにもかかわらず、どこを走っているのかがわからなくなる・・・こうした事態に、たびたび見舞われるようになったのでありますね。
これではですね、近代社会を生きていくのは困難でありますね。
それでわたくしは、もとの状態にもどることにいたしました。完全にもどるのに
5年かかりました。それでもなんとかもどることができました。自然状態への回帰。これは可能であるとおもいますが、近代社会を生きていくには、はなはだしく不都合な状態でもあります。さて、どうしたものでありましょうね。<
に対しまして、私以前、下記のよう返答しております。
>>325
において、
>分かるような気が致します。・・・これから憶測で話しますが、初心者さまはもともと右脳が特に発達しておられたのではないかと・・・恣意的なのか、無意識なのか、人生の途中から左悩を駆使されるようになった。無門関解釈に触れ、その閉ざされていた右脳が活性化され、本人にとっては居心地がよいのですが、カルチャーショックからしばらく生活に支障をきたしてしまった。
そして、戻すのに5年もの歳月をようしてしまった。・・・
人生前半は縄文的世界、それから弥生は結構はやく通り越して、近代的知性にいたった!無門関解釈に触れたとき、その縄文的世界の記憶が再現されたが、あまりにも生活に支障をきたすので、縄文的感覚を記憶に留めながら、もとの状態に戻すよりほかなかった。
考察してみますと、初心者さまの人生史と人類史の軌跡が合致するのです。
これから未来のことに話を展開します。
初心者さまが述べられたよう、右脳が活性化された状態で、近代社会を生活してゆくことは不都合なことが多いのではないでしょうか。
ならばどのように折り合いを付けていけば良いのか?<
と、初心者さまに投げかけたのを思い出します。
まず、私が申し上げたいのは、
>>790
の投稿文は、その左悩意識状態におけるコメントだということです。
ロジックを越えた世界を体現した方は大概、生活に支障を来すと思われます。常識の世界にいないですから!
だから、もとの状態に戻された。その発言かと思われます。
確かに、左悩意識状態からですと、実相は超越項を持ち出してのシニフィアンの暴走でしょう!
左悩と右脳がキャッチボールをし、右脳が再開発された状態なら、どうでしょう、果たして、実相は超越項なのでしょうか?
共同体意識のなお奥に隠された光に導かれることにより現れた実相そのものと心得ます。
大切なところなので、沈思黙考しながら、続けて記載します。少々、お待ちください。
796
:
役行者
:2011/11/15(火) 08:06:18 ID:z2eJYWCY
>>795
上記文章に続きます。
そこで、生命の実相の話なのですが、
仏典にしても、聖書にしても、また、生命の実相にしても、現実を直視しながら、おのおの悟られた世界を言葉に表現され、
それはそれは貴重な書物です。生命の実相20巻など、雅春先生の悟られた世界が如実に表現されております。
イエス、釈迦の悟られた世界がわかりやすく表現されているのです。
何度読んでも、心鎮まる自分がそこにいるのです。
大切な書物だと思われます。
生命の実相が説かれているところ、そこに、神が顕れる!といったような内容の文章がありますが、それは、聖書にしても、仏典にしても、生命の実相にしても、おのが世界に内在する光に照らされて読む!そのとき、生命の実相が顕れるのでしょう。
その静かな内在の世界が展開されて、聖書が、仏典が、生命の実相が読まれていれば、それは、共同体意識を形成する礎となるでしょう。
ところが、宗教が組織になるとどうしても形骸化し、暴走し、宗教組織そのものが利用されてしまうのです。それが自我の申し子である個人意識の大盤振舞を加速してしまう由縁でもあると思われます。
生長の家に限ったことではなく、あらゆる宗教にいえることです。それは避けなければなりません。
がしかし、生命の実相そのもの、仏典そのもの、聖書そのものに罪があるのでしょうか?
それはないと思います。
それどころか、善導すれば、光に照らされた共同体意識への道しるべとなる書物かと思われるのです!
救済の話に移ります。
釈迦、イエスにはじまり、数多くの聖者と言われる方が地球上に誕生してきました。彼らは、何のために道を説かれたのでしょう。真理即救済であるが故の、その慈悲心からのことと思われるのです。
その足跡をみれば、如実に物語ってます。
たしかに、その救済がわれわれシモジモに、聖者方の真理体現と同質の救済をもたらしたかというと、眉唾ものです。
同じ書物を読んでも、十人十色でしょう。
病気が直り喜ぶもの、会社経営が上手くいき喜ぶもの、などなど、さまざまです。なにをもって救済と捉えるか!!
ひと、それぞれなのです。
ですから、慈悲心故に、方便説法なのです。
聖者は、真理即救済を体現されてますが、一般の方々にはその方相応の悟りかた、救済のされ方があると存じます!
その意味に置きましても、真理と救済の政治的平衡感覚は、大切かと存じます。
果たして方便も必要なのでは・・・訊けさあが仰るよう、特に現代のような鬼気迫る現状では、方便救済を第一にもってくることが肝要かとおもわれるのです。
つまり、個人救済も大切かと、思われるのです。たとえそれが現世利益であっても・・・
ひとそれぞれの魂は徐々に進化され、近い未来に自然の摂理そのものがすべてよい方向に解決してくれると存じます。
797
:
「訊け」管理人
:2011/11/15(火) 15:01:27 ID:MPQg3/HY
>役さあ
>その静かな内在の世界が展開されて、聖書が、仏典が、生命の実相が読まれていれば、
>それは、共同体意識を形成する礎となるでしょう。
チェスト!
実現出来るか否かはさて置きまして、少なくとも「そう思える」のが生長
の家の方だと思います。だって『生命の實相』という本、それくらいの威力、
ありますって!
>(いろいろの問題)がしかし、生命の実相そのもの、仏典そのもの、聖書そのものに罪が
>あるのでしょうか?それはないと思います。
>それどころか、善導すれば、光に照らされた共同体意識への道しるべとなる書物かと思
>われるのです!
チェスト!
>特に現代のような鬼気迫る現状では、方便救済を第一にもってくることが肝要かとおも
>われるのです。
>つまり、個人救済も大切かと、思われるのです。たとえそれが現世利益であっても・・・
チェスト!
入り口では〝魚を与え〟る必要がありましょう。そしてそれは、なんら恥
じることではないと考えます。現世利益も実現できずに、なんの真理でごあ
んそか?(笑)
生長の家ならばそんなこと、アッサリ可能だと診ます。そしてその、現世
利益をアッサリ実現せしめてのち・・・「でも信仰ってのは、コレコレシカ
ジカなことも大切なのよね」と善導していく役割がありましょう。
魚の釣り方を教える前に、魚を与えるべし。魚を与えることに、恥じらい
を感ずるべからず。かつ、そんなことはアッサリやってしまい、人々を善導
すべし・・・雅春先生はこんなことを言っているように感じます。
798
:
初心者
:2011/11/15(火) 15:26:57 ID:X1fDhvjY
役行者様
右脳意識にかんしましては、脳科学者のジル・テイラー博士の体験記が参考に
なるはずであります。
http://plaza.rakuten.co.jp/lavenderchoco/diary/200904030000/
ざっとこのような感じになるかとおもいます。
左脳、右脳といいだしますと、これはわたくしが否定する機能局在論となって
しまいますので、真相はまだ藪のなかとしかいいようがありません。しかし、
なんにしても興味深い体験ではあります。
799
:
初心者
:2011/11/15(火) 15:46:37 ID:X1fDhvjY
右脳意識は、生長の家の方々には理解していただけず、受けもよくないようで
ありますが、わたくしは、天皇信仰の理解は、右脳意識だけで十分であり、
ことさらに歴史や霊学を学ぶ必要はまったくないと感じます。
天皇信仰とは、そもそもが右脳意識の働きによって生まれたものであり、歴史や
霊学を学んだことで生まれたものではないと考えます。しかも「学ぶ」ということ
じたいが左脳自我の働きによるものであります。左脳自我の働きによって、はたして
天皇信仰をとらえることができるのか。これははなはだ疑問であります。
左脳自我によってとらえられた天皇信仰というものはあるとおもいますが、右脳意識
によって理解される天皇信仰とは、まったく異なるものであるという気がいたします。
右脳意識の体験が生長の家においても評価される日がきますことを願っております。
800
:
初心者
:2011/11/15(火) 16:04:01 ID:X1fDhvjY
参照していただいたリンク先の記事には、テイラー博士の体験は主観的であると
書かれておりますが、わたくしの体験では、右脳意識においては、数学の解が
自動的に出てくるようになります。いちども解いたことのない、それなりに高度な
数学の解が(といっても、理科系の大学受験レベルの難問題といったところですが)、
何も考えずともひとりでにあらわれてくるようになります。これは主観的な体験とは
異なっているような気がいたします。
801
:
役行者
:2011/11/15(火) 20:21:26 ID:z2eJYWCY
訊けさあ!
>入り口では〝魚を与え〟る必要がありましょ う。そしてそれは、なんら恥 じることではないと考えます。現世利益も実現 できずに、なんの真理でごあ んそか?(笑) 生長の家ならばそんなこと、アッサリ可能だ と診ます。そしてその、現世 利益をアッサリ実現せしめてのち・・・「でも 信仰ってのは、コレコレシカ ジカなことも大切なのよね」と善導していく役 割がありましょう 魚の釣り方を教える前に、魚を与えるべし 魚を与えることに、恥じらい を感ずるべからず。かつ、そんなことはアッサ リやってしまい、人々を善導 すべし・・・雅春先生はこんなことを言ってい るように感じます <
チェスト!!!
とうとう、薩摩隼人コトバが感染してしまった・・・(><@)
802
:
役行者
:2011/11/15(火) 20:24:35 ID:z2eJYWCY
>初心者さま
素晴らしい右脳についての本を紹介いただき、ありがとうございました。
早速、購入し、読ませていただきます。
折角ですから、その内容の一部をここに紹介させていただきます。
>全米で50万部のベストセラーになっている ・・・脳科学者の ジル・ボルト・テイラー博士 は 今から13年前の1995年12月10日に自宅で脳卒中で倒れ、脳の左半球の機能 のほとんど(言葉、体の機能、それまでの人生の一切の記憶や感情)を失 います。・・
そこから8年をかけて根気よくリハビリを続け脳細胞が回復した結 果、脳卒中を起こしてから8年間に右半球の脳で感じていた”幸福感” と”今 を生きる意味” を人に伝えることができるようになり、脳科学者としての目 線からの体験談を各所で語り、多くの人に勇気と感動、そして生きる希望 を与えています 。「脳は復活する」「右脳を使った生き方で宇宙との一体感・幸福感・涅槃 を感じる」 というテイラー博士の生き方、考え方は、脳卒中を体験した患 者さんだけでなく、現代社会を生きにくいと感じているあらゆる人に生き るヒントを投げかけています・・
テイラー博士は、脳卒中で脳の左半球に出血を起こし、左半球の機能であ る、論理的に言葉で思考する回路を失った結果、リハビリ中は脳の右半球 しかないので誰だか分からず、文字も読めなく、計算もできなく、人生の記憶 もない。周りの人から見れば気の毒と思えたであろう状況で、テイラー博 士の右脳は、言葉に頼らず、人の顔の表情やしぐさなどから愛情を読み取 り、手を握ってくれる医師からも手の感覚から愛情を感じ取り、 涅槃(一 切の悩みや束縛から脱した悟りの境地)の心境 に至ります。 ずっと幸福感 で満たされた感覚でいっぱいだった そうです。
右脳だけが機能したからこそ得られた幸福感なのかどうかは まだ断言できないそうですが、「物事を急いでする(左脳的)願望から解 き放たれ、一息つき、リラックスし、自分をもう一度見直そうとする自覚(右脳的感覚)を持つこと。こうした選択があることに気づくことはとて も大切なことです。」 とテイラー博士はインタビューで語っていました。
さらに興味深かったのは、「私自身が木のように感じる。風と一体とな る。ここがふるさとです。」 と森の中を散歩中に語っており、今でも右脳 の幸福感を感じるのは散歩している時だということです。
私も、ちょっと したウォーキングですが、毎日歩いていると、歩いている間は全く考えて もいなかったアイデアや直感が浮かんでくるのを感じるので、深く共感し ました 。
・・心に残った言葉が ありました。 私は脳卒中の"生存者”であり、”犠牲者”なのではありません。
脳卒中を生 き抜くという素晴らしいことを成し遂げました。生き抜くことができたと 思えば、それは回復の手助けになります。 脳の柔軟性を信じなさい。新しい回路は常に作られています。脳は学習 しています。20年努力すれば治るでしょうか?わかりません。でも生活の 質は少しずつ向上すると思います。
生きるということに対する可能性を強く感じる番組でした 。<
右脳ですか・・・見直される時期がいよいよ来たのですね!
803
:
初心者
:2011/11/15(火) 20:28:37 ID:X1fDhvjY
日本が北朝鮮に負けてしまいましたね。昨年、アルゼンチン戦に勝利して以来、
守りつづけていた世界チャンピオンの座が、ついに奪われてしまったのですよね。
世界チャンピオンは北朝鮮ですか?
804
:
トキ
:2011/11/15(火) 20:58:40 ID:0PP4ohfc
>>803
実は、テレビを見ていなかったので、初心者様の書き込みを拝見してからネットで検索しました。
勝敗自体は仕方がないと思うのですが、北朝鮮がイエローカード連発、レッドカードまで出るという
ラフなプレーをしたみたいです。私もスポーツの経験はありますが、勝負をしていると目の前の相手
しか見えません。が、観客という存在を忘れているみたいです。見ていないので、おおまかな事しか
言えませんが、そんなラフなプレーを見ていた海外の人は、素直に北朝鮮の勝利を祝福できないと
思います。そんな感想を持ちました。
805
:
役行者
:2011/11/16(水) 04:58:30 ID:6wm2LQe6
昨夜は、随分早く床に就いたので、起きるのが早かったです^^;
私も北朝鮮戦見る積もりが、ちょっと早く始まっていたので、見送れてしまった。
>小倉純二・日本サッカー協会会長 !ベストメンバーでもなかったし、いい 経験になったのではないか。いろいろな テストができた。異常な雰囲気の中で 若い選手がプレーできたのが大きい <
友達に聞いた話だが、負け惜しみでなく練習だったようだ。
もう既にうえに上がれない北朝鮮には申し訳ないのだが、日本監督の采配は戦略のひとつであるようだ!
806
:
初心者
:2011/11/16(水) 11:30:58 ID:X1fDhvjY
役行者様
うのはなさまが、「生長の家『今の教え』と『本流復活』を考える1」のスレッドの
#1262〜#1265で.抜き書きしておられる「カミ・コメ・ツチ・ヒト、そのあり様」には、
わたくしがこれまで述べてきましたこと、そしてこれから述べようとしておりますこと
の、核心ともいえる考え方が示されているように感じます。
もしまだご覧になっておられないのであれば、ぜひご一読いただきますよう、お願い
いたします。
にしても、
役行者様は、「北朝鮮には申し訳ないのだが」といっておられますが、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%9E%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%82%B5%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E4%B8%96%E7%95%8C%E7%8E%8B%E8%80%85
ご覧のように、北朝鮮はすでに世界チャンピオンとして認定されております。
実をとって名を持っていかれた。そんな気がいたします。
807
:
役行者
:2011/11/16(水) 14:10:24 ID:Xtz8.cdE
初心者さま
>>806
正直、よく読んでなかったです。すばらしいコメントですね。
さすが、初心者さまがシャーマンと認めただけはあります。
うのはまさま!
改めて、感謝です。
簡単に、紹介します。
スレッド1 >1262
カミ・コメ・ツチ・ヒト、その有り様
>現代の日本人のどれほど多くの人間が、自己愛という名の執着に翻弄されているか
を考えると、
気が遠くなる思いをする。
自己中心、自分本意、利己主義、とそれに関連する言葉を幾らでもある。
一体、何故このようなことになってしまったのか?
この件の一因として、日本人の「群れ」として帰属すべき「場」の崩壊と「場」を
中心とする「社会」の凋落が挙げられる。<
地方型社会の必要性がここにもあります。
>ここで、日本の「場」「カミ」「社会」などについて大まかに触れてみたい。
古来、日本人は「カミ」を怖れ、敬い、奉って来た。
宗教という名を当てはめるには、あまりにも原始的なそれは、しかしカミの「心」の
支えであり、規範であり糧でもあったのだ。
当時の人々の奉る「カミ」は、大自然の威力であり、穀物の収穫の多寡を決定
する者であったのだ。
(多くのアニミズムのカミがそうであるように・・・)
・・・
今のようにマスメディアの発達もなく、知識や知恵の伝達者は「長く生きた者」
として「長老」連中が
当たって来た。従って、夫婦単位に分裂した小さな単位の家庭ではなく、かなり大きな単位の家庭が営まれてきた。
良きにつけ悪しきにつけ、人々はモノを考える時にいつも『自分と社会』
を意識してきたのだ。
この当時の「社会」は「ムラ」であった。
人々が「群れ」を成して生活する「場」を「ムラ」と呼ぶのは至極自然だ。
ヒトが多く協同生活を送る時には、そこに個人単位の欲望を剥き出しのまま持ち込むことは出来ない。
「ムラ」には長老を核とした、権力構造もある。
・・・
しかも「ムラ」は「カミ」を奉る、「カミ」を頂点とした組織であった。
・・・
この「ムラ」のシステムの中に、不合理・不条理・非能率的な部分がある、と
人々が最初に気付いたのは、明治維新の頃だった。<
続きます。
808
:
役行者
:2011/11/16(水) 14:18:04 ID:Xtz8.cdE
上記文章に続きます。
しかし、当時(明治時代)は未だ「カミ」の威信が強かったので、相互扶助システムの外で
生きてゆく自信と
覚悟と力を持つ者は少なかった。そして、これは大切なことだが、「ムラ」
のシステムは人々を
規律で縛る反面、その恩恵を分け与える面を忘れてはいなかったのだ。
・・・
大自然の力「カミ」も、その後の科学の発展で人間に制御出来ると思われ始めた。
明治以降、欧米の人間のやり方を学んで来た日本人は、科学力による工業・商業発展の
足を引っ張ると、日本の「ムラ」の不合理・不条理・非能率的な側面を嘆いた。
旧システムである「ムラ」を出ることは、「カミ」を頂点とする相互扶助システムから
はみ出ることであっても、「カミ」に代わる「科学」があるではないか、と人々は話し始めた。
「カミ」は科学の力の前には、結局、無力なんじゃないか、と人々は思い始めた。
天皇は「カミ」の代弁者であり、「カミ」の力の権威そのものだ、と人々は教えられたし、
その通りであった事実もたくさんある。
しかし、「カミ」の威信が薄れると同時に天皇の威信も少しずつ薄れて行った。
特に第二次世界大戦後、天皇は「アラヒトカミ」からただの「ヒト」におとしめられた。
同時に、人々は「カミ」を捨てた。
「科学」という新しい神の前に「カミ」は、成す術もなく沈黙していたかに見えた終戦当時の日本の姿は、人々に「ムラ」を捨て「カミ」を捨てることの良心の痛みを
忘れさせるいい口実になった。
日本人は、こぞって「科学という名の神」を奉り始めた。
何しろ「科学という名の神」を奉った国に戦争で負けてしまったのだから・・・と
人々は暗に感じてもいた。
工業・商業を発展させる為には、「カミ」を奉る農業的視野を捨てなくては
ウマク行かないと人々はいいはじめた。
確かに「カミ」「ムラ」「イエ」「ヒト」という、大きい「場」から小さい「場」への流れというシステムを
遵守していては、現代日本のような工業や商業は発展しなかったかも知れない。
しかし、人々は古い習慣と呼んできたものからの恩恵を忘れはしなかっただろうか?
工業化・商業化の為に、大きい単位から小さい単位へと切り詰めてきた人々の単位。
「場」であった「ムラ」や「イエ」を、切り刻んできた結果何があったのか。<
実に、考えさせられる文章です。初心者さまが以前仰っていた第三の道のヒントがここにあるような気がします。
うのはな樣!
このような素晴らしい文章を
転載させていただいたことに感謝です。
しかし、北朝鮮も、レットカードまでいただいて、名をとるとは、必死ですね。まさしく、世界チャンピオンです(*_*;
809
:
トキ
:2011/11/16(水) 14:52:08 ID:TDtTBIyk
登場が遅れてすみません。少し前に、村本治さんという人が書いた「神の神経学」ー脳に宗教の起源を求めて(新生出版)という
初心者様が好きそうな本を読んでいました。この人は、東京大学医学部を卒業、神経内科医として研修を受けた後に渡米し、現在
は米国、オレゴン州のポートランド在住で、米国の某病院の神経内科医長をされています。言い換えると、脳の専門家であるとは
言えます。この人は、脳の医者という観点から、神を脳内現象ととらえる立場ですが、同時に「脳に内在する神」という解釈を
し、「内在の神に従う事の重要さ」と主張しています。
“過去の歴史が将来を示唆するとすれば、宗教が神経科学の進歩を否定する事は不可能であるし、逆に神経科学の知見が宗教を消滅
させることもあり得ないであろう。宗教は必ずこの知見を基に、新たな方向性を見いだすのではないだろうか” (P7はしがき より)
私は、この本の内容には賛成する部分も反対する部分もありますが、著者が「既存の宗教団体は、”内なる神の反映にすぎない”」
という発想をするのは理解ができます。そして、「宗教団体は継続するし、解散する必要はないが、“内なる神”を信じる信者たちは、
教団の社会的、政治的活動を、真の宗教から切り離すようになると思う。神神経学的神論者にとって、宗教団体は、崇拝や服従の対象
とはならなくなる。宗教団体は、単に信仰を同じくする人々の交流の場、という以外には意義を持たなくなるのではないか」
というのも理解できます。(p242)
科学の進歩により、将来、外なる神=一神教は破綻し、逆に汎神論が脚光をあびるだろう、その意味で、日本の仏教や神道が注目
を浴びる、と主張しています。しかし、そのような本を海外で出せば、ユダヤ教、基督教、イスラム教から怒りを買うのを恐れて、
あえて日本で出版をした、といいます。が、「その日がやがて来る事を、宗教家は覚悟しておくべきだ」という趣旨の事も書いて
います。
この辺りは、また、別の機会に紹介しますが、神という存在は人間の脳に必要不可欠な要素であり、必然があって存在するのだ、
と主張しています。もう一つ言えば、彼は、"神神経学的神論"という言葉を作り、科学の立場から、無神論と宗教との橋渡しは十分に
可能だ、と言っています。あと、私見ですが、この神神経学的神論という概念は、生長の家の考えから説明をする事は可能だと思います。
つまり、神神経学的神という機能は、あくまでも現象の話であり、実相の神の反映という説明はできるからです。
あと、生長の家で言えば、生長の家という信仰には深く共鳴するが、組織としての生長の家には深く幻滅する、という人は珍しく
ありません。これは、百万運動とか今の教えとかは関係なく、根本の組織のあり方を考えるべきだと思います。
合掌 ありがとうございます
「神の神経学」ー脳に宗教の起源を求めて 村本治 (新生出版)2004年4月30日 初版
810
:
トキ
:2011/11/16(水) 15:05:37 ID:TDtTBIyk
追伸
なお、現在、上記の本は絶版になっています。Amazonでは、古書として入手が可能なようです。
教団上層部や本流復活派の指導者の方々には、一読を御勧めします。賛同ができない部分はあると思いますが、
参考にはなります。
また、村本さんは、ご家族があるカルト団体に加入した事から、その方面でも参考になる活動をされています。
なお、村本さんは、現在、ご高齢を理由に、サイトの開設などはされていないみたいです。ですから、本で紹介された
サイトは見る事ができないみたいです。
811
:
初心者
:2011/11/16(水) 15:42:03 ID:X1fDhvjY
役行者様
たしかに、私家版「第三の道」であります。
本家「第三の道」を提唱したアンソニー・ギデンズも「共同体の創設」を唱えていた
ようでありますから、やはり、ここにたどりつくものとわたくしは考えます。
ここでヘーゲルであります。ヘーゲルは、人類史的な流れとして、かつて、個人意識
というものを持たず、素朴で美しい共同体に属していた人類は、いつしか共同体を
離れ、個人意識を生きるようになったのだが、しかし、ここでふたたび人類は、自己の
本性が共同性にあることを自覚し、素朴にあるがままではない、意識された共同体を
こころざさねばならなくなる、と考えていたようでもあります。
自然にあるがままの共同体よりも、ヘーゲルは、自己の本性を自覚し、意識的に
きずかれる共同体に重きをおいていたようでもあります。どちらが優れているかは
ともかくとして、左脳自我を持ってしまった人類は、かつての素朴な共同性を回復
させることは不可能でありましょうから、自己の自由意思にもとづき、あるべき共同性
を模索しなければならない時代を迎える、ということになるのではないかと、このよう
に考える次第であります。
生長の家が説く「中心帰一」は、ともすれば自由意思の否定へとつながりかねない
危険性をはらんでいるような気もいたしますが、これを自己の本性と自覚し、自己の
自由意思にもとづいて成し遂げることこそが、人類にあたえられた課題であるのかも
しれません。
812
:
さくら
:2011/11/16(水) 16:21:56 ID:T/77sMGw
ちょっと、高尚な話の流れを切るようで申し訳ないのですが、
少し考えてたんですけど、
わたし、ずっと迷いがあったんですよね、
おしえを共に学ぶのは好きだし、ご縁のある人と繋がった時生長の家をつたえ、喜んでもらうことが、ほんと嬉しい。
だけど、組織に繋げるとなると、躊躇する心になって、正直、素直な気持ちで、言えないことも多々ありました。
組織の意義や組織に対する信仰を学んでいても、やはり自分の心が、素直になれなかった部分があり、
生長の家の信仰が深い方はそのように思わないとのことでしたが、
わたしは、これを、自分がまだまだ信仰が足りないせいだと、
はじめは、ずっと、おもっていました。
それから、組織活動のなかで、
一体この活動は、何を求めているのか、
わからなくなることがある。
やはり、おしえを活動にうつしていく過程で、「歪曲」がない、というのは、難しい気がしていました。
生長の家を、お伝えしやすい、人間関係つくりに、
近所、地域の中で開催する、誌友会のような役割は、やっぱり、いいですね。
来てくださる方の抱える問題に向き合いやすい、そういう場を作ってあげるのは、大切ですね。
そんな時、組織の方針が、じゃまになることがある。
テーマやテキストが決められて、話すことが、限定されてしまったりする。
わたしのところも、そんな経験をしました。
それでは、もったいないですね。
また、訊け様がいうように、はじめから宗教に抵抗ある方もいる。いろんな事情を抱えた方がいる。
その方たちを、広く受け入れるような会の方が良いですね。
そのような人とのつながりから、
組織の方針に繋げる必要はないとおもいはじめて、います。
それぞれが抱える問題から、
地域の取り組みがどのように出来るかを、有志がでてくれば、話し合っていくのも、良いと思います。それを、活動にしていく。
その活動が、地域で役にたてば、信頼関係を築きやすい。
生長の家では、それが、地域のコミュニティへの、具体的な活動になったりしていくことが、共同体をつくる、一歩になれば良いとも思います。
そのときに、やはり、おしえがイデオロギー化されたり、歪曲されたりするような方向は、避けるべきですね。
その共同体つくりの活動が、自然状態への回帰へと、繋がるような方向を見いだしていけることが良いのではないかと思います。
こうしたことは長く時間のかかることですが、
ビジョンがある 取り組みにしていければ、
良いのではないでしょうか。
813
:
初心者
:2011/11/16(水) 21:17:13 ID:X1fDhvjY
さくらちゃんへ
役行者様をとおり越して、語りかけることにしますね。真理追究モードをはなれて、
あたしはすっかり救済モードになってしまったから、せめてさくらちゃんにだけは、
地のあたしに近い語り口で話しかけることにします。日常の会話でも「あたし」なんて
いってるし。
何をやるにしても、まずは身近なところからはじめよう。これしかないですね。いくら
なんでも、いきなり世界を変えるなんてことはできないですから。誌友会をとおして
人とのつながりをつくっていく。これはすぐにでもできることだし、やるべきことだと
おもうよね。
で、あたしは、カウンセリングなんかをかじってるから、積極的傾聴とか、自己開示と
か、共感と理解とか、こんなことをまっさきに考えてしまうんだけど、これに加えて
大事だとおもうのは、非指示的態度だとおもうんだよね。
生長の家の人というのは、ともすれば、ここが間違っているとか、こうしなさいとか、
そんなこんなをいってしまいそうなところがあるんだけど、基本は非指示的態度だ
という気がします。
ああしなさいとか、こうしなさいとか、こういうことは極力いわずに、無条件に相手の
言葉や感情を受け入れるということが、関係をきずくという点においては、大事な
ことだろうという気がします。
そこでおもうのは、あたしがかつてかじった、そして460もよく知っている、カール・
ロジャースのカウンセリング技法ではなく、アドラーのカウンセリング技法が、なんと
なく面白そうだということなのですね。
いちど、アドラー式のグループカウンセリングの現場のリポートを読んだことがある
んだけど、明るくて楽しそうなんだよね。暗いというイメージがぜんぜんないの。でも、
どちらかという指示的なんだけど、このあたりがちょっと矛盾してるかも。
アドラーというのは、ユング、ランクと並ぶフロイトの3大弟子っていうか、共同
研究者といったほうがよいような人なのですが、3人のなかで、考え方のちがいから、
最初にフロイトとたもとを分かった人なんだよね。
で、このアドーがもっとも重視したのが共同体感覚って話。なぜだか知らないけど、
個人の問題を置き去りにして、共同体感覚を重視しはじめたの、この人。「個人の
悩みなんかほっておいて、みんなで幸福になろうぜ」みたいなノリだったんだろうね、きっと。
個人の悩みなんてものはどうでもいい、というのは、ほとんどがあたしの誇張であり、
誤読であるのかもしれないけど、アドラーの心理学に接していると、ほんとに個人の
問題なんかどうでもよくなってくる。それほどまでに楽天的でノー天気な心理学である
ような気がする。
こうした楽天的な発想にもとづいたカウンセリング技法を誌友会に取り入れろ、とまで
はいわないにしても、共同体感覚を志向するのであれば、アドラー的な楽天的要素を
どこかに取り入れてみるというのも、面白いことだという気がしなくもない。とかなんと
か、参考までに書いてみました。なんにしても、まずは、はじめの一歩だよね。
814
:
初心者
:2011/11/16(水) 21:32:29 ID:X1fDhvjY
追伸
非指示的、というのは、あんまり関係なかったですね。でも基本は、自分の感情よりも
相手の感情を重視するってことなんだとおもいます。ヘーゲルの共同性にしても、
アドラーの共同体感覚にしても、そのまま自然になにもしないでおいて出来上がる
ものではなさそうです。他者との関係性を意識的にきずいていくということが、いまは
必要とされているような気がしますね。
815
:
さくら
:2011/11/16(水) 22:24:59 ID:T/77sMGw
役行者さま
初心者さま
誌友会は、べつに新しいことではないのですが、
ボードを通して、共同体意識の方向が大切だと、考えた時、さらに違った役割が出来る気がします。
共同体つくりの一歩という役割があっても良いのではないかと。
生長の家の誌友会も、威圧感があるというわけではないのですね、たのしいこと多いです。
でも、組織で指導することには、限定感、暗黙の縛り、みたいのは、正直全てにおいて、多く感じます。
誌友会は、初めてのかたに対する紹介や参加の促しも、まだ工夫の余地がありますね。
アドラー心理学の考え方は、誌友会のこの方向を考えるのに、関連がある気がしました。
というのは、個人の問題の解決には、全体を考えると近道だ、という考えです。
個人の問題を考えている時には、にっちもさっちもいかなかったことが、
全体のために考え行動することで解決に導かれることがありますよね。
自分の問題をおいて、愛行してたら、いつのまにか自分の問題も解決されていた、など、
生長の家でも、体験がありますね。
わたしは、これは愛による自己拡大の結果だと思いますが、
共同体意識は、この役割を果たす気がします。
道場などでは、献労、感謝行などしますが、
これを、地域社会への奉仕、などでも体験していくことも意味があるかなと。
誌友会を進化させて学んだことを、どのように、地域や社会にいかしていけるかを共に考え、実際に行動していくための、
学習会にしていけば、
救済的活動に繋がる方向になるとおもいますし、
生命の實相を中心にして、さらに、現代社会の問題に対応できる伝えかたの学習も、考えられるとおもいます。
共同体意識、自然状態への回帰をビジョンとして、
はじめの一歩で何をするかですよね。
やはり人とのつながりを通して、出来るとよいですよね。
816
:
さくら
:2011/11/17(木) 06:36:33 ID:hQpHbMZ6
おはようございます。
今朝は、夜明け前の空が、淡い紅色に透き通るようで、
美しかったです。
>わたくしは、天皇信仰の理解は、右脳意識だけで十分であり、ことさらに歴史や霊学を学ぶ必要はまったくないと感じます。
天皇信仰とは、そもそもが右脳意識の働きによって生まれたものであり、歴史や霊学を学んだことで生まれたものではないと考えます。しかも「学ぶ」ということじたいが左脳自我の働きによるものであります。左脳自我の働きによって、はたして
天皇信仰をとらえることができるのか。これははなはだ疑問であります。
左脳自我によってとらえられた天皇信仰というものはあるとおもいますが、右脳意識によって理解される天皇信仰とは、まったく異なるものであるという気がいたします。
そうですね、理解ができます。
共同体意識による活動を目指すことで、天皇信仰の意識に繋がることになるのではないかと、考えます。
日本国実相顕現は、意識の変化をもたらす、共同体による活動によってであって、左脳による天皇信仰ではないとおもいます。
>ヘーゲルは、人類史的な流れとして、
かつて、個人意識というものを持たず、
素朴で美しい共同体に属していた人は、いつしか共同体を離れ、個人意識を生きるようになったのだが、
しかし、ここでふたたび人類は、自己の本性が共同性にあることを自覚し、
素朴にあるがままではない、意識された共同体をこころざさねばならなくなる、と考えていたようでもあります。
現代社会のなかで、共同体をこころざすには、ヘーゲルの示す状態で良いのでは、とおもいます。
初心者さまがおっしゃるように、右脳活性化状態の人間になり、生活に支障がでるのは、
現代では不自然で、実現不能となってしまいますね。
現代の生活様式や技術、今ここにある現象的なあらわれを生かすことも、神のみこころであるとおもいます。
トキさま
「神の神経学」ー脳に宗教の起源を求めて
参考になる本のご紹介ありがとうございます。
「宗教団体は、単に信仰を同じくする人々の交流の場、という以外には意義を持たなくなるのではないか」
の点など、思い描く方向に共感ができます。
817
:
役行者
:2011/11/17(木) 11:09:50 ID:Xtz8.cdE
>初心者さま
>さくらさま
>誌友会は、初めてのかたに対する紹介や参加の 促しも、まだ工夫の余地がありますね アドラー心理学の考え方は、誌友会のこの方向 を考えるのに、関連がある気がしました というのは、個人の問題の解決には、全体を考 えると近道だ、という考えです 個人の問題を考えている時には、にっちもさっ ちもいかなかったことが 全体のために考え行動することで解決に導かれ ることがありますよね 自分の問題をおいて、愛行してたら、いつのま にか自分の問題も解決されていた、など 生長の家でも、体験がありますね わたしは、これは愛による自己拡大の結果だと 思いますが 共同体意識は、この役割を果たす気がします 。<
同感します。
>道場などでは、献労、感謝行などしますが これを、地域社会への奉仕、などでも体験して いくことも意味があるかなと!<
申し訳ないですけど、さくらさま!たとえば、宇治別格本山では、かなり地域に貢献している模様!
逆にリサーチすることの方が大切かも知れません。
よくありますね!中央行政機関より民間の方が先に進んでいることが・・・
> 誌友会を進化させて学んだことを、どのよう に、地域や社会にいかしていけるかを共に考 え、実際に行動していくための 学習会にしていけば 救済的活動に繋がる方向になるとおもいます。
生命の實相を中心にして、さらに、現代社会の 問題に対応できる伝えかたの学習も、考えられ るとおもいます 。<
以外とアンケート調査したら、みなさん、すでにやっていたりして・・・
初心者さま!
共同体意識の問題は深いです。沈思黙考します。
地域社会への変革!現代においてこれだけでは、通用しないでしょう。
地域社会への変革を促しながらの、個人意識の改革も必要とされるでしょう。
環境と精神面の双方からのアプローチが必要かと存じます。
できれば、話し合いのなか、解決の糸口がみつかればと思っています。
生長の家の未来に対するビジョンを明確にする手助けになればと思います。
818
:
初心者
:2011/11/17(木) 11:15:37 ID:X1fDhvjY
さくらちゃんへ
あたしはね、共同体にあこがれをいだいているとか、同一化を試みているとか、
そういうことはいっさい「ない」と、自分ではおもってるんですよ。孤独を愛する
ボヘミアンであり、世の中とまじわろうとはしないアウトサイダーであり、ほかの
人とおなじ言葉を口にしたがらないスナフキンでありたいと、自分ではおもって
るんです。
しかしですね、訊けさまが言及しておられる、いくつかの悲惨な現実を見ており
ますと、そのすべてに共通するのが、共同性の喪失であるとおもえてならない
のですね。世の中から、相互扶助の精神はもちろんのこと、こころの拠り所としての
共同性が消えてしまっているということが、問題の根底にあるという気がしてならない
のですね。
真理の追求ということだけを考えるのであれば、ボヘミアンであり、アウトサイダーで
あり、スナフキンであり、アヴァンギャルドであり、アルケミスト(錬金術師)であり、
あるいはアーチストでありさえすれば、それだけで十分なのですが、救済ということを
考えるにあたっては、それではあまりに不十分であり、かつては当たり前のものと考え
られていたであろう、共同体の再評価はもちろんのこと、人間の本性でもありそうな
「共同体感覚」を呼び覚まそうとする取り組みが、どうしても必要になってくると、この
ように考えるのでありますね。
この意味で、さくらちゃんがこれから取り組もうとしておられることというのは、大げさに
いえば、人類史的観点からということにもなるのですが、重要で意義のあることだと、
個人的にはそのように考えざるを得ないのですね。先行きは、非常な困難が待ち
受けているはずですけども、何もはじめなければ、何もはじまらないわけですから、
まずは「初めの一歩から」ということで、とにかく取り組みをスタートさせてみるしか
ないような気がいたします。総裁先生を利用できるのであれば、利用すればよいので
ありますよ。
819
:
役行者
:2011/11/17(木) 11:23:34 ID:Xtz8.cdE
さくらさま!
>まずは「初めの一歩から」ということで、とに かく取り組みをスタートさせてみるしか ないような気がいたします。総裁先生を利用で きるのであれば、利用すればよいので ありますよ<
ドンドン、利用したしましょうσ(^_^;
820
:
初心者
:2011/11/17(木) 12:10:40 ID:X1fDhvjY
役行者様
わたくしは、教団の現状につきましては、正真正銘の部外者でありますので、じっさい
にどのような取り組みがなされているのかということにつきましては、知る由もない
立場におかれているのであります。
ですが、想像いたしますに、仮になんらかの取り組みがなされているにしても、おそら
くその多くが宗教的心情によってのみささえられているような気がするのであります。
そこに、先行き展開力のある具体的な将来ビジョンはあるのか、ということが非常な
疑問として感じられるのでありますね。
さくらちゃんがここで述べておられることというのは、たんに宗教的な心情だけでなく、
具体的な将来ビジョンをふくめた、大げさにいえば、人類史的観点からの取り組みと
いうことにもなっていると、わたくしにはおもえるのでありますね。そしてその実現の
ためには、多くの知性や意欲の集約を必要とする取り組みでもあるという気がいたす
のであります。
おそらく、さくらちゃんがこちらで述べておられるような取り組みは、全国各地のどこに
おいても、いまだなされてはいないような気がいたします。これを実現するには、訊け
さまがいっておられるような自己啓発本でエサを撒くという方法だけでなく、さまざま
な手練手管が必要となるような気がいたします。役行者様が述べておられます
ように、「これだけでは、通用しない」のはたしかでありますから、世の常識を超えた、
革新的な手練手管が必要とされるような気がいたします。
はなはだ個人的なことではありますが、自分自身を奮い立たせるために、清水の
舞台によじのぼる覚悟で、ダ○○ンの「エ○○○○○○○アー」を購入いたしました。
この、にわかには信じがたいような革新的技術を目の当たりにしながら(なにもない
空間から○○がでてくるのであります)、わたくしも、革新的な技法を編みだすべく、
沈思黙考することにいたします。
821
:
さくら
:2011/11/17(木) 12:13:59 ID:hQpHbMZ6
このような話の展開、楽しいですね。ありがとうございます。
じつは、自分たちの活動から、この方向を、実感としてかんじていたことでした。
リーダーの志と、それぞれの個性を生かすことなどの工夫で、面白く意義ある活動になる可能性が大きいとかんじていました。
もちろん、冷静に全体のビジョンを語る初心者さまのような、アウトサイダーでございますか、
そういう役割も、大きいですよね。
もちろん、それぞれ各自のアイデアがあると思いますし、これだけではないのですが。
また、役行者さまがおっしゃるように、
宇治の道場もそうですし、
河口湖道場も、地域の森の整備に貢献し、町から表彰され、大変信頼を得ているそうですね。
それを、グループレベルで行うということも、よいかな、ということです。
役行者さま
初心者さま
総裁を「利用する」
そのための、理解なのですよ、
822
:
役行者
:2011/11/17(木) 14:49:21 ID:Xtz8.cdE
>初心者さま
>さくらちゃんがここで述べておられることとい うのは、たんに宗教的な心情だけでなく 、具体的な将来ビジョンをふくめた、大げさにい えば、人類史的観点からの取り組みと いうことにもなっていると、わたくしにはおも えるのでありますね。そしてその実現の ためには、多くの知性や意欲の集約を必要とす る取り組みでもあるという気がいたす のであります。 <
人類史観点からの取り組み!
ですか?
確かに、深いです。
これは確かに、知性と意欲の集約を必要とするでしょう。
ただ、ちょっと、理解が難しいです。
>はなはだ個人的なことではありますが、自分自 身を奮い立たせるために、清水の 舞台によじのぼる覚悟で、ダ○○ンの「エ ○○○○○○○アー」を購入いたしました 。この、にわかには信じがたいような革新的技術 を目の当たりにしながら(なにもない 空間から○○がでてくるのであります)、わたく しも、革新的な技法を編みだすべく 沈思黙考することにいたします 。<
なんと、清水の舞台から飛び下りる!のでなく、よじ登る!ですか・・・(゚◇゚)ガーン
興味深々でございます!
>さくらさま
>役行者さまがおっしゃるように 宇治の道場もそうですし 河口湖道場も、地域の森の整備に貢献し、町か ら表彰され、大変信頼を得ているそうですね 。それを、グループレベルで行うということも よいかな、ということです 。<
それはそうでございます。
規模は大きい方がいいかと!
> 総裁を「利用する 」そのための、理解なのですよ <
利用させていただく前の段階ということですね(^^;)
ご心情、お察しいたします!
823
:
さくら
:2011/11/17(木) 15:19:12 ID:hQpHbMZ6
>規模は大きい方がいいかと!
規模も大切です、が、
わたしは、決めの細かな、人とのつながりを、
重視したいようにかんじます。
組織化、というより、やはり、
コミュニティ、のような、かんじでしょうか、
824
:
役行者
:2011/11/17(木) 15:23:43 ID:Xtz8.cdE
>さくら さま
それなら、宇治でも、河口湖でも、やってますよね!
825
:
さくら
:2011/11/17(木) 15:39:17 ID:hQpHbMZ6
道場、とは、イメージも、働きも、ちがいますね…
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