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トーキングスティックボード
624
:
さくら
:2011/11/07(月) 01:07:38 ID:T/77sMGw
ややイケメンの、訊けかんとく
おかしいですね。
内部の人間であるトキさまなんて、
ここ、読んでくださってないのですよ。
わたしがいままで3回、削除してくださいって頼んだ3つの文を、
削除して下さらないのです。
・・でも、トキ王子のいじわるは、甘んじて受けようと、わたしは思っています、。
それはさておきまして・・
今回の件、これは、信徒が教団に対する不信感の決定的根拠にするのに、
充分な理由になると、危惧を感じるところです、。
つまり、この事実に関連する情報、(独り歩きも始める情報も含め)
例にもれず、過剰な反応を、またもや生むことになることとなると思いますし、
その反応自体もまた、おそらく、
問題を大きくする原因になっていくだろうとも思われます・。
もうすでに、過剰反応は起こっておりますので、それが加速するだけのこととは思いますが、。
物事を複雑にしていく過剰反応が、私には、いまだにとても厄介に感じてしまいます。
雅宣総裁率いる現教団は、生長の家の命ともいえる、生命の實相を抹殺する。
・・というような。
今までの経緯からしても、この情報は独り歩きをするのに充分な内容ですが、
感情的な反応が、またさらに、分裂を大きくしていくような気がしています。
訊けさま
わたしのような一信徒が、このような重大な事柄に意見を述べようとすることは、
難しい、と改めて感じています、
情報を冷静に把握して、みなさまともに、考え話していく大切なことですよね、
わたしの問題意識に関連して考えますなら、
まず、根本的に、生長の家が、言葉を使った運動であること、
これが何を意味するのか
まず、このことを考えていかなくては、ならないと感じてしまいます、
この「言葉の正体」とは何であるかということです。
雅春先生のお悟りや教えの根本は、本物でありますが、
その運動の展開は、「言葉による運動」であったのは、何を意味するのか。
今まで、初心者さまとの対話でも、焦点になってきたことだと思っています。
はたして、「生命の實相」を、
このような形で、頑な迄に守ることは、
まず、根本的に、どこに意味があると思っているのか、
わたしは問いたくなってしまうというところがあるのです・。
この疑問は、ちょっと、簡単に言い切れないところですが、・・
生長の家の教えの神髄は、どこにあるのでしょう。
「生命の實相」は、裁判という世俗なものに落としてまで守るべきものなのでしょうか、
一番大切にされているのは、信徒の信仰ですか、それとも、組織の事情ですか?
言葉による、宗教運動とは、どんな意味があり、どんな結果をもたらしてきたのでしょうか。
「生命の實相」を失った、生長の家の「信仰運動」とは、どんな運動になりますか。
この点は、訊けさまとは、違う視点かもしれません・・。
そして、現教団は、大きな流れの中で、もしかしたら、
「生命の實相」を失うべくして失っていく。
そのようなこともあるかもしれません、
それは、善し悪しの判断を加えなければ、
なるべくしてなっていくような流れ、なのかもしれません・・、
個人的には、色々な想いが湧いてきますが・・
感情的な反応だけで、考えたくはないのですね。
訊けさまと方向を同じくしているのは、
では、信徒として、何をすべきか、という点でしょうか。
信徒は、なんらかの理想を求めて、その理想を叶えるためという理由で、
組織に関わってはいけないということを、最近さらに感じます。
組織に、期待ばかりを求めては、いけないということを感じます。
逆に組織に影響を与えるような思いで、自分の信仰や行動を考えていかなくてはならないと思うようになりました、
さて、信徒の皆様には、どんなことができますでしょうか。
わたしも考えていきたいのですが、
あくまで最も大切にしたいのは、
各人の信仰、
ということだと思っています。
それは、私の問題意識に関連しますなら・・
「生命の實相」を、頑なに守ることには、限定されてはいない気がしているのですよ、。
あなたの求める答えには、なってないかもしれません・・
ただ、ボードで対話することで、見えてくるものもあるかもしれませんね、、
訊けさまの今後のご参加を、期待する次第であります。
追伸:そういえば、義春さんが、旅に出たっていうのは、本当ですか。
もしそうなら、ここでも、とても、困りますね・・。
625
:
さくらモノローグ
:2011/11/07(月) 02:19:14 ID:T/77sMGw
わたしも、自分で納得いくまで、考えられたら、
卒業して、自分の果たしたいことに、
きちんと取り組んでいこうと思います。
626
:
さくら
:2011/11/07(月) 03:30:10 ID:T/77sMGw
訊けさまがおっしゃってた。教団に頼らずとも。
この姿勢、わたしも、賛成です。
もう組織の方針に頼ったり、非難するのでなく、
具体的に何ができるのか考えていくことが、各々大切になってきているとおもっています。
それで、むしろ、そのことが組織を変えることにもなっていけばよいとおもうのですよね。
訊けさまは、ブログで、「雅春先生関連のブログ」を開始しましょう。
との提案をされていました、
ただ、もっと現代の問題に即した、
できれば、その問題を抱えた人たちに、さらに寄り添う心で、
「真理の真髄」、を伝えていかなくてはならないとも、おもうのですね、
各人の立場で実践しながら、具体的に取り組めることがあるとおもうのです、
真理の実践を、各人の立場で、展開して出来ることが、たくさんあるとおもっています。
その中で、正しい方向を伝えられることが、あると思います。
ブログももちろん、そのひとつですよね、
それから、真理、信仰、救済。
この違いの把握は、
やはり、どうしても。大切であるような気がしています。
人は、何を求めて来るのか、
そのことにたいして、明確に示すことができないと、
現実的な対応に、限界があるような気がします。
このことは、ちょっとまだ、考えていきたいです、。
627
:
「訊け」
:2011/11/07(月) 11:39:43 ID:ujuBWtC6
>さくらマネ
㊉ お 知 ら せ ㊉
ご丁寧な返信をありがとうございました。
今、プリントアウトしまして拝読中です。現在多忙ですが、必ずレスしま
す!(一部は作成しましたが、まあ、他スレで話しが進んでしまった際は、
申し訳ありません)
628
:
役行者
:2011/11/07(月) 12:58:06 ID:odX3izAU
>初心者さま
さくら美人マネージャーに呼ばれたので、ついつい、こっちに来てしまいました。弱いのよ(T_T)
先コメントは・・・なんと、役行者でした(^^;)
>ご理解いただいて、ありがとうございます。<
身に余るお言葉ですけど、
ご期待に添えるほどの、理解力はないかと、存じます。
では、早速!
>思うに、今のこの事態は、雅春先生の教えが、批判にたいして、超越項で擁護する
よりほかはないほどに、すでに劣化してしまっているということを示しているのでは
ないでしょうか。<
ここですが、一般的に解釈すると、雅春先生の教えが劣化しているのでなく、反証不可能な超越項をもってくることでしか対処できない、いわゆる思考の停止状態が問題なんでしょう。
この違いは、問題が、実相哲学にあるか、それを把握する側にあるか、という大きな違いとなるのです。大切です。
>ひも理論、M理論、Dブレーンにかんしては、雅春先生は、いっさい
言及をなされておりません。Dブレーンは、救済という意味で、雅春先生の教えを
はるかにしのぐ可能性を持つとわたくしは考えます。さらに、量子力学の主流と
なった多世界解釈にたいしては、雅春先生の教えは、超越項をもってしても対処でき
ないのではないかという気がいたしております。超越項で対処できなければ、あとは
否認があるのみであります。<
まあ、難しい哲学、物理学用語が連ねてありますが、昼休みということもあり、飛ばします( ・_・;)
>雅春先生の教えの再活性化は、説得力のある、反証可能な言説に
よってなされるべきものと考えます。それができなければ、『生命の實相』を再活性化
させる意味はないと、わたくしは考えます。<
とりあえず、ここは同意します。ならば、現存の生命の実相哲学を土台としての、再活性化となりますね。劣化していると烙印を押すのでなく、土台にしてアウフヘーベンしてゆくよう、つとめるのが、後世、生まれた我々の使命かと存じます。
実相哲学により、生長の家の方は救われているのです。
ここは、みなさま、譲れないと存じます。
合 掌
629
:
初心者
:2011/11/07(月) 13:16:03 ID:hogyfr1M
役行者様
救済としての雅春先生の教えの有効性は、わたくしも認めております。ただそれが
真理かというと、どうもちがうような気がいたすのであります。救済としての有効性を
持つものは、それが即、真理であると認めてよいのか、という問題提起であります。
これが争点になるかと存じます。
もっとも、真理とは何かという定義が、第一でありますね。生長の家では、このあたり
の定義が、きわめてあいまいなままに、「真理」という言葉が使われてまいったような
気がいたします。もちろん、救済にかんしても定義が必要となるでありましょう。
まずは定義の問題を、最初にかたずけることにいたしましょう。
真理とはなんでありましょう。訊けさまが、「真理の言葉をブログに書く」といって
おられますので、まずは、「真理」とは何かということについて、訊けさまに定義して
いただくのがよいかと存じます。
それとですね、M理論やDブレーンにつきましては、数式で示されても、わたくしは
チンプンカンプンであります。ただ「真理」を考えるにあたって、M理論やDブレーンは
きわめて重要な概念になると考えます。避けておとることはできないと考えております。
630
:
さくら
:2011/11/07(月) 13:24:43 ID:MVa4lFHc
役行者さま
あら、いらっしゃいませ。
せっかくですから、
お抹茶でも点てましょうかしら、
何か気のきいた和菓子の差入れでも、ありますかしら…
まあ、差入れがなくとも、
いつもながら、理解と共感で、
本質をまとめて下さり、
感謝しております。
わたしも、救済に関する、ひも理論、M理論、Dブレーンの理論など、なにやら、さっぱり分からないのですが、
生長の家が、言葉による救済運動である以上、
初心者さまが、再三言われているように、
言葉というものの本質にも、
無関心では、いけないと感じています。
そして、宗教が、言葉をどのように扱うべきか、
ある方向で言葉を扱えば、どのような結果がもたらされるかも、
慎重に考慮する必要もあるとも感じています。
今までの歴史に、学ぶべき点は、ここにもあると感じます。
また、信仰とは、その言葉の関門を、通過したところにあり、
どのような言葉であってももたらされず、
また言葉でつくられたこの世の何ものにもよらないものだということを、
はっきり自覚する必要も感じています。
そして、真理とは、人間の善悪を超越したところに厳然と存在するもので、
この真理に直面した時に、人間ができるのは、ただ恐れること、敬うこと以外にないのではないかと、感じています。
信仰、そして、真理、によって、他人を救うことは出来ないし、
世の中は、変えることはできない、
このことの自覚がたいせつだと、感じています。
初心者さまが言われるように、それを、まず、はっきりさせなければ、ならないのでしょうね。
この混同を解消しなければ、
雅春先生の言葉を、
語っても、
同じことが繰り返されるように、
わたくしも、感じているのです。
631
:
トキ
:2011/11/07(月) 13:31:19 ID:BAKVEHUo
さくら 様
おはようごうざいます。礼の通達の問題、教団内部でもじわじわと波紋が広まっていますね。
さくら様の教区での反応はどうでしょうか? 私の教区では大変な状態になっています。
教団上層部にも、光明思想社や社会事業団にも、信徒一般からは強い非難の声が出ています。
昨日から今日にかけて、本流掲示板にこの問題が取り上げられていました。全文を掲載していたので、
関係者から原文を入手されたのでしょうね。さくら様の教区では、もう広まっているでしょうか。私
もさくら様と同様、現場の人間ですから、今回の事は唖然としております。原文を見せてくれた人もそ
それなりの立場のある人ですが、やはりものすごく怒っていました。同時にこの話を聞いた別の会員は
今までは、総裁万歳の立場の人でしたが、「さすがにA先生は支持できないが、M先生となら手を組んでも
良い」とか口走っていました。
現実を見れば、聖典を信徒に滞りなく提供する、という最低限の事すら組織はできなくなっています。
この数年の組織指導には、納得のできない部分が多々あり、だから分派がこんなに大きくなったのです。
しかし、多くの信徒は、今は理解できないだけで、将来は分かるはずだ、という期待だけで頑張ってきた
のです。その挙げ句が生命の実相や甘露の法雨の在庫切れというのは、裏切り行為であります。
どんな組織でも、定款には「目的」があります。今、手許に規約集(教団の定款を書いた書面などを
集めた本)はありませんが、生長の家は、谷口雅春先生が始められた信仰の研鑽と宣布が目的であり、
その中で中核になるのが「生命の実相」であることに疑いの余地はありません。教団も裁判でそう
述べています。これが信徒の手に届かなくなったのは、どういう観点から見ても重大事です。
そうすると、教団の理事なり参議なりは、今回の事態につき、詳細な説明をすると共に、信徒のお詫び
をし、対応策を説明する義務があると思います。少なくとも、「生命の実相は行事に使わないで下さい」
で済む話ではありません。
うがった見方をしたら、今回の通達は、生命の実相がなくなった場合に信徒がどういう反応をするか
という観測気球なのかもしれません。もし、これに信徒の反応が鈍ければ、裁判が敗訴しても、そのまま
生命の実相を使わない、というつもりかもしれません。しかし、私の周囲の現場の人間の多くは、怒っていました。
ただ、この件が契機になり、教団側も本流復活派も、初心に戻る事が必要なような気がします。
どうも、横レスでつまらない事を書いて、すみません。
合掌 ありがとうございます
632
:
役行者
:2011/11/07(月) 13:40:13 ID:odX3izAU
>初心者様
>救済としての雅春先生の教えの有効性は、わたくしも認めております。
ただそれが真理かというと、どうもちがうような気がいたすのであります。救済
としての有効性を持つものは、それが即、真理であると認めてよいのか、という
問題提起であります。
これが争点になるかと存じます。<
なぜなら、病気直しがもし救済なら、あちらこちらの宗教団体が救済してますから
・・・救済の定義も大切かと!
また、真理と救済がイコールなら、これまた、真理が歪曲されやすくなりますね。
救済というのは、個人の感情によりどころがある場合が多いですから。
>真理とはなんでありましょう。訊けさまが、「真理の言葉をブログに書く」
といっておられますので、まずは、「真理」とは何かということについて、訊け
さまに定義していただくのがよいかと存じます。<
訊けさあ!!
お願いされて!!
>それとですね、M理論やDブレーンにつきましては、数式で示されても、
わたくしはチンプンカンプンであります。ただ「真理」を考えるにあたって、M
理論やDブレーンはきわめて重要な概念になると考えます。避けておとることは
できないと考えております。<
ならば、わたしも挑戦しましょう! 合掌
さくらさま!
歓迎の言葉、ありがとうございますσ(^_^;
633
:
初心者
:2011/11/07(月) 13:50:09 ID:hogyfr1M
さくらちゃんへ
たしかに、生長の家の方々は、「完全でなければならない」と決めつけておられ
ますよね。思い込んでおられますよね。どうしてなんでしょうね。疑問であります。
神は完全であるから、神の子である人間も完全でなければならない。言うのやめて、
といいたくなるような、使い古されたセリフでありますが、きっとこのようなことを
考えておられるのでありましょうね。
それと、雅春先生の教えの劣化ということでありますが、これは、雅春先生の教え
じたいが劣化するという意味ではありません。対抗勢力が日々、進化を遂げて、
批判力を強めているということであります。
宗教にたいする批判は、より精密化し、高度化していますよね。それにたいして、
雅春先生の教えは何も変わらないのでありますから、相対的な尺度でいえば、
日々劣化している、ということがいえるような気がするのであります。
神は完全であるから、神の子である人間も完全でなければならない。おなじことを
いうにしても、もっと表現を現代的な言いまわしに変えて、センスアップしていただき
たいとおもうところであります。
神は完全であるにしても、神の子が完全であるべきかどうかは選択の問題である
から、完全でありたいと願うものだけが完全であろうと努めればよい。せめて、こうした
言いまわしに変えていただきたいと思うのであります。表現のセンスアップは、センス
のある方におまかせいたします。
634
:
初心者
:2011/11/07(月) 13:57:27 ID:hogyfr1M
生長の家って、意外と心情主義的でありますよね。みんなおなじでなければ
ならない。こうした心情主義が蔓延しているような気がいたします。
自分は信が第一と考えるから、ほかのみんなも信が第一でなければならない。
悪しき心情主義の代表例でありますよね。
635
:
「訊け」管理人
:2011/11/07(月) 14:27:58 ID:UodBcqiE
>トキさま
>生長の家は、谷口雅春先生が始められた信仰の研鑽と宣布が目的であり、
>その中で中核になるのが「生命の実相」であることに疑いの余地はありません。教団も裁判でそう
>述べています。これが信徒の手に届かなくなったのは、どういう観点から見ても重大事です。
チェスト!!!
>校長
>役さん
>真理とはなんでありましょう。訊けさまが、「真理の言葉をブログに書く」
>といっておられますので、まずは、「真理」とは何かということについて、訊け
>さまに定義していただくのがよいかと存じます。
ぎゃー!!!
しばし時間を(笑)
636
:
「訊け」管理人
:2011/11/07(月) 14:30:18 ID:UodBcqiE
>さくらマネ
―――――――――――――――――――――――――――――
ややイケメンの、訊けかんとく
―――――――――――――――――――――――――――――
ええっと重要な話ですので強調致しますが、ここは、「ややイケメン」で
はなく、「やや、スーパーウルトライケメンな監督」にご修正願います。
「やや」という言葉の懸る、分母が小さい、そんな問題が・・・(中略)・・・以下、
本題に入ります(笑)
・・・なお事前にお断りを致しておきますが、ここはTSBであります。その
趣旨を理解したうえで対話をする所存です。つまり、たとえば以下で、貴女
に疑問を呈する場面も出てこようかと思いますがそれは、単なる反論なので
はなく、「貴女の反応を見て真意を理解せんがため」という意図があるため、
であります。他意はありませんし、まして攻撃意図はございません。その点
をご確認ください(いきなり斬り付けるなんてこと、私は好みません)
――――――――――――――――――――――――――――――――
それはさておきまして・・
今回の件、これは、信徒が教団に対する不信感の決定的根拠にするのに、
充分な理由になると、危惧を感じるところです、。
――――――――――――――――――――――――――――――――
たぶんそうなるでしょう。たとえばもう本流掲示板、お祭り騒ぎになって
はいないかと危惧します。(まあ私、かの掲示板に接続するとPC不調になる
ため読めないんですがw)
――――――――――――――――――――――――――――――――
つまり、この事実に関連する情報、(独り歩きも始める情報も含め)
例にもれず、過剰な反応を、またもや生むことになることとなると思いますし、
その反応自体もまた、おそらく、
問題を大きくする原因になっていくだろうとも思われます・。
――――――――――――――――――――――――――――――――
その通りでありましょう。しかし今回の問題は「事実のみ」でも結構な衝
撃のような気がします。つまり今までの問題と違い、普段は過剰反応しない
人たちでも騒ぐのではないか?そんな懸念はあります。
喩え話が不適切ですが、たとえば美女が体育を休みますと男子は「あいつ
●●日か?」と(ドキドキしながらw)噂をするわけです。これは、デマの
可能性もあるわけであり、そしてデマ可能性である限りそこには、「男子、
黙りなさい!」な弁護人も登場する余地が、生まれるわけです。
しかしたとえば「本当に●●日だった!」な事実を、先生が発表すればそ
れは、デマではなくなります。(そんな教師、いないがw)その後は「事実」
を基にした反応が生まれましょう。
今回の件(『生命の實相』講義禁止)はこれ、デマにして扇動する必要も
ないくらいに、衝撃があります。「あの子、体育休んだけど、●●日じゃな
いわよ!」「野球部の男子、黙りなさい!」な弁護人、生まれる余地が無い
気がしてます。扇動者は「扇動の手間も省けて」大喜びではないでしょうか。
(てか、「喩え話が下手過ぎてすみません」なのですが)
つづく!
637
:
「訊け」管理人
:2011/11/07(月) 14:33:21 ID:UodBcqiE
――――――――――――――――――――――――――――――――
もうすでに、過剰反応は起こっておりますので、それが加速するだけの
こととは思いますが、。
物事を複雑にしていく過剰反応が、私には、いまだにとても厄介に感じ
てしまいます。
――――――――――――――――――――――――――――――――
・・・済みません。それは私のことだと思います。言い訳しますと変な祭
りに参加した直後でありまして「戦闘モード全開」状態での書き込みであり
ました。(この平成の御世に「朝敵♪討つべし♪」「関東サムライ、討つは
薩軍♪」な歌を、歌っていた直後の投稿でした)
しかしながら同時に、こうも考えました。「削除依頼、これはしない」と。
やはりなにか、個人的に怒りを覚える事態であったから、かもしれません。
なお後日、考えが変わりましたらトキさんに、「削除してください」とお
願いすると思います。
――――――――――――――――――――――――――――――――
雅宣総裁率いる現教団は、生長の家の命ともいえる、生命の實相を抹殺する。
・・というような。
今までの経緯からしても、この情報は独り歩きをするのに充分な内容ですが、
感情的な反応が、またさらに、分裂を大きくしていくような気がしています。
――――――――――――――――――――――――――――――――
ただ現在、組織部外者による愚生妄想談ではこれ、「そのとおりなのでは?」
になります。疑いが強いのです。つまり、雅宣総裁は本当に『生命の實相』
を抹殺にかかっておられるのではないか、そんな疑念は拭えない現状です。
無論、「抹殺」という言葉は強すぎかもしれませんがそこは、組織部外者
の身にはなんとも判断がつきません。まあ、抹殺ではないにせよ、「『生命
の實相』をスキップしようとされておられる?」な疑念は、ございますでし
ょうかね。
――――――――――――――――――――――――――――――――
訊けさま
わたしのような一信徒が、このような重大な事柄に意見を述べようとすることは、
難しい、と改めて感じています、
情報を冷静に把握して、みなさまともに、考え話していく大切なことですよね、
――――――――――――――――――――――――――――――――
いやー、本当にそうでしょうね。本当に難しい問題です。貴女のように組
織が判り、かつ聡明な方すらそうなのですから、私にはなおのこと「難しい」
わけです。
私が不調和なマンガ(AA)を掲載して、現教団を茶化しました。そしてそ
の反応は(志恩さま等以外)あまり無かったわけですが、それで私は「小さ
い問題を大きくしちゃった?オレ?」な疑いを、自分に対して持っていたと
ころでもあったわけです。ところが・・・・我がメアド宛には「よくぞ言っ
てくださった!」な激励文、結構寄せられております。皆さん、言葉に気を
つけて、考えをまとめられておられる現在なのでしょう。現時点で騒いでい
るのはこの、組織にしがらみの無い私だけですが、これから噴出してくるか
もしれませんね。
ただその際も「情報を冷静に把握して」が大前提になりますが。云うまで
もないですけどね。
638
:
「訊け」管理人
:2011/11/07(月) 14:35:19 ID:UodBcqiE
――――――――――――――――――――――――――――――――
わたしの問題意識に関連して考えますなら、
まず、根本的に、生長の家が、言葉を使った運動であること、
これが何を意味するのか
雅春先生のお悟りや教えの根本は、本物でありますが、
その運動の展開は、「言葉による運動」であったのは、何を意味するのか。
今まで、初心者さまとの対話でも、焦点になってきたことだと思っています。
――――――――――――――――――――――――――――――――
そうですね。私もそのやり取りには、尋常ならざる関心を持って注目して
おります。ただしなかなか私の頭では付いていくことが難しく、参入できま
せん(すんもはんw長州DNAの校長さあw)
ただ一点だけツラツラ語るならば・・・いわゆる〝本流掲示板的なるもの〟
と、〝雅春先生の御教〟とはこれ、「 全 く 別 物 」というのが私見
です。
一例を挙げるならば「書き込み禁止にしました」なる処置、これは雅春先
生の御教が「暴走している」のでは〝ありません〟。この処置はあくまでも、
御教の「暴走」と称されるものではなく、「曲解」(「誤読」)と表する方
が適切だと考えております。重要なので念を押しますが、雅春先生の御教に
感化されておられれば、「あんな反応はないよね?」と思いますし、極論め
いた印象談になるかもしれませんが、「御教が〝真に暴走〟していれば、大
調和する」と確信します。(〝御教えの暴走〟って表現は、ややヘンとは申
せ)
――――――――――――――――――――――――――――――――
はたして、「生命の實相」を、
このような形で、頑な迄に守ることは、
まず、根本的に、どこに意味があると思っているのか、
わたしは問いたくなってしまうというところがあるのです・。
この疑問は、ちょっと、簡単に言い切れないところですが、・・
――――――――――――――――――――――――――――――――
ここは私が誤読してるかもしれませんが、「ああさくらマネ、おはんまで
そぎゃんこと言うトか(寂しかあ)」てな感じでしょうか(笑)
でもまあ、真摯な求道者ならばそんな段階、必ず通るのでしょう。あの雅
春先生だってかつては、『神を審判く』なんて御著書、お書きになられたわ
けですからね。善悪二現論で世の中を深く悲しく嘆かれたわけですから。
なお、「このような形で、頑な迄に守ることは、」の〝このような〟です
が、これが指す内容はマイナスなものでありましょう。しかしその、マイナ
スな要素ってのは(聡明な貴女ならお気づきだと思いますが)それ、雅春先
生の御教とは、別のものではないでしょうか?信徒側の曲解暴走を指し示し
てはいないでしょうか?(つまり下手人は『生命の實相』に〝非ず〟なので
は?)
――――――――――――――――――――――――――――――――
生長の家の教えの神髄は、どこにあるのでしょう。
「生命の實相」は、裁判という世俗なものに落としてまで守るべきもの
なのでしょうか、
――――――――――――――――――――――――――――――――
貴女ご主張は「裁判沙汰にまでなった。故に破棄する」という、そんな意
味では〝ない〟とは思っています。その前提で以下も拝読します。
――――――――――――――――――――――――――――――――
一番大切にされているのは、信徒の信仰ですか、それとも、組織の事情ですか?
言葉による、宗教運動とは、どんな意味があり、どんな結果をもたらしてきたのでしょうか。
「生命の實相」を失った、生長の家の「信仰運動」とは、どんな運動になりますか。
この点は、訊けさまとは、違う視点かもしれません・・。
――――――――――――――――――――――――――――――――
トキさん曰くですが生長の家、組織としてはこんな感じで、形成されたよ
うですね。雅春先生と輝子先生が(入金率10%の中で懸命に)雑誌発行を
継続され、その感動に包まれた方々が自然発生的に〝集まってこられた〟と。
この、「自然に集まって出来た組織」という事実ですが、これは結構、貴
女にも良き思考の補助線となりはしないだろうか?信仰歴の後輩の身で僭越
ながら、そのようなことを思う次第です。
639
:
「訊け」管理人
:2011/11/07(月) 14:37:13 ID:UodBcqiE
――――――――――――――――――――――――――――――――
そして、現教団は、大きな流れの中で、もしかしたら、
「生命の實相」を失うべくして失っていく。
そのようなこともあるかもしれません、
それは、善し悪しの判断を加えなければ、
なるべくしてなっていくような流れ、なのかもしれません・・、
――――――――――――――――――――――――――――――――
うーん・・・ここもきっと、私が誤読しているでしょうけども私見を述べ
ます。そして敢えて、愚見真意を了解して頂く為、極論めいたことを述べま
す。
・・・オフィスが森に移るは、〝よし〟としましょう。絵手紙や自殺問題
よりもCO2重視、これも〝よし〟としましょう。宇治の竹林が切られるのも、
〝よし〟としましょう。さらには、教団のマークが変更されるのも〝よし〟
としましょう。服部先生のブロンズ像が、破壊されても〝よし〟としましょ
う。長崎の本山建物が消滅してしまっても、〝よし〟としましょう。ですが
・・・『生命の實相』だけは、失ってはならぬのではなかろうかと。「大き
な流れの中で」失われるものがあろうとも、この神殿だけは死守せねば、な
らぬのではなかろうかと。
――――――――――――――――――――――――――――――――
信徒は、なんらかの理想を求めて、その理想を叶えるためという理由で、
組織に関わってはいけないということを、最近さらに感じます。
組織に、期待ばかりを求めては、いけないということを感じます。
逆に組織に影響を与えるような思いで、自分の信仰や行動を考えていかなくてはならないと思うようになりました、
――――――――――――――――――――――――――――――――
その求める「理想」とはなになのか?それ次第なのでしょう。そして以下
は余談とは申せこれ、「入り口ではどうしても、現世利益が必要」となろう
かと(貴女がこの視点、外しているとは思いませんが。)わたしのような凡
夫では、現世利益なき宗教など意味をなしません。同時に「現世利益を求め
るな!そのほうが余計に現象界が整う」の意味も了解できつつある、信仰五
年目の秋でもあります。信徒は問題の解決、これを求めてくるでしょう。そ
れに対して「余裕で応え」ながら、「現世利益・・・これよりも信仰の方が
大事ですよね?」なことをなにか絶妙のタイミングで示してくれる組織なら
ば、最高だと考えます。(難しいとは申せ)
――――――――――――――――――――――――――――――――
それは、私の問題意識に関連しますなら・・
「生命の實相」を、頑なに守ることには、限定されてはいない気がしているのですよ、。
――――――――――――――――――――――――――――――――
繰返しになりますが、これが貴女の本音であるとすれば・・・残念な気が
して参ります。「自分側の誤解であって欲しい」そう思えてなりません。
その「頑な」の意味されるところが不明とは申せ、頑なに守るものが生長の
家に於いて「『生命の實相』以外に、なにかあるだろうか」というのが本音
のところであります。
余談
というか提案なんですが、榎本恵吾先生の『弟子像』・・・これを拝読し
て頂けないかなあ、と。貴女が組織に抱かれておられる疑問ですが、榎本先
生も同質のところで悩まれておられたような気がします。問題意識の全部が
全部、貴女と恵吾先生のものが一緒とは申しませんが、かなり良質のヒント
が得られるのではなかろうかと・・・これまた信仰の先輩に対し僭越ながら、
そのように考える次第です。
<了>
640
:
さくら
:2011/11/07(月) 17:31:20 ID:M/Y5HBTg
トキさま
トキさまは、このような状況になっても、
これからも、和解を、提唱いたしますか?
怒りの声を、信徒の本音を、
声をあげて、教団に訴えるれば、いいのですよね。
はじめから、そうすれば、
良かったのです。
本音なんて、いくらでも、
言えば良かったのですよ。
なぜ、こうなるまで、
押さえつけられ、誤魔化され、
生命の實相を、失うまでの状況を、止めることができない、
そういう、組織なのですか?
だれも、本当に、止められなかったのですか?
生命の實相を、
失うとは、なんですか?
今までの信徒の声をなんだと思っていたのですか?
学ぶ会だの、復活だの、
分派を起こして、
本当にそれは、信徒の信仰を、
守るためだったのですか?
本当ですか?
この状況は、雅宣総裁や本部幹部だけが望んだのですか?
この状況を選択したのは、
生命の實相を同じく読み、
神想観をし、
生長の家の信仰を同じく持った、方々ですよね。
どちらにも、反省を求める、ですか。
生長の家では、信仰が足りなかったと、反省することは、無いように聞きましたが、
では、なにを、だれが、反省するのでしょうか。
生長の家への、不信感。
ますます、はっきりしてくると思いますよね。
どちらも、誰でも、どこまでも、
自分の信念を、貫いたらよいのですよ。
「生命の實相」なく、信仰運動をしたらいいのですよ、
「生命の實相」を頑なに守りながら、
それだけを、伝えていったらいいのですよ。
でも、これ以上、組織の都合で、
信徒の信仰を、惑わすようなことだけは、
やめて頂きたいですね。
私は、どちらにしろ、もともと、組織に対して
信仰への、期待もありませんでしたので、
冷たい言い方かもしれませんが、
組織が、これからどうなるか、
観察するような、それだけの
気持ちでいます。
トキさまへの、怒りではありません、
が、少し力の入った表現であれば、
失礼をお許し下さいますように…
641
:
さくら
:2011/11/07(月) 17:51:34 ID:M/Y5HBTg
微妙にイケメンで、
スーパーお祭り男の、
訊けかんとく。
(ごめんなさい、これ以上、分母、むり、笑)
かなり、曖昧なわたしの表現、
かんとくには、さぞや、
気持ちの悪いことでしたでしょう。
それを丁寧に返信して下さり、ありがとうございます。
とうとう、高名なる、「谷口雅春に訊け」ブログ管理人さまが、
ボードにツッコミをいれてこられました。
わたしは、ある程度は、●●ネタOKな女子、
ということで、そんなことは、
全く気にしないのですが、
あなたのような、
生長の家に対して、
真っ直ぐな信仰をもった方に対峙するのが、
ここでは、何といいますか。
色んな意味で辛いことのように、感じる面があります。
…意味分かりませんね。
時間の都合があり、また後で、
書きます。
642
:
初心者
:2011/11/07(月) 18:20:33 ID:hogyfr1M
さくらちゃんへ
この掲示板にもたしかにいますね。何をいっても言葉がつうじない人。自分の
いいたいことだけをいいづける人。
いましたよ、青年会にも。かたくなに自分の信念だけを持っていて、まわりが
何をいっても、自分のいいたいことだけをいいづける人。まるで社会病質者の
ような人でした。
こういう人を、宗教はつくりだしてしまうんですね。『生命の實相』を読んで、こういう
人間ができてしまうんですよ。もちろん、まともな人もいますよ。だけど、まともで
ない人も生み出してしまう。それが宗教であり、『生命の實相』でもあったんですよね。
宗教はこわいですよ。救済を必要とした、人類の失敗の象徴ですよ。
わかっている人は、たぶん大勢いる。言葉のつうじない人には、永久にわからない。
643
:
トキ
:2011/11/07(月) 18:46:25 ID:BAKVEHUo
>>640
さくら様
個人的な回想になりますが、私が青年会時代にも、激しい対立がありました。
そのおかげで、小生はずいぶんと虐められました。
しかし、その後、「和解をする」と決意をし、話し合いをし、互いの立場を
思いやるようにすると、自然と対立は消滅し、憎んでいた人とも再び友達になり
ました。後になると、そういう事があったなあ、という程度の感じです。
今は、本流復活派も教団側も頭に血が上っている状態です。また、聖典の事も
あり、教団自体も危ない状態です。が、最終的には、和解できると信じています。
カルトのスパイならともかく、生長の家の人間なら、きっと和解を望んでいる
と思いますから。
それまでは、少しいろんな事があるでしょうが、それは覚悟して、いきたいと
思います。
合掌 ありがとうございます
644
:
うのはな
:2011/11/07(月) 19:10:04 ID:iM0b0bt6
>>642
失礼ですが、初心者さんは以前ご自分のブログでも、ここでも、
さくらちゃんと延々と対話なさってと思いますが、またそういうブログを
再開されたらどうでしょうか?
645
:
さくら
:2011/11/07(月) 19:20:23 ID:M/Y5HBTg
>640
感情的になり、トキさまには、
失礼いたしました。
トキさまの、信念、理解いたしました。
これから信徒がどう考えていくべきか、
どうぞ、共に考え、ご指導下さいますよう、
お願いいたします。
私も、もう少し本気で考えますから。
わたしはカルトスパイでしたので、
大変組織に不信感をいだいております。
それを、認めます。
静かないじわるは、身に応えますね、
笑。
ここは、共生すべき堪え難き、真実を、求める場となりそうです。
646
:
初心者
:2011/11/07(月) 19:26:33 ID:hogyfr1M
うのはなさま
なかなかに鋭いことをおっしゃいますね。いずれ、ということにしておきましょう。
647
:
初心者
:2011/11/07(月) 19:37:56 ID:hogyfr1M
トキ様
わたくしは、雅春先生は、宗教というものを必要としない古事記的世界への
回帰を模索しておられたとおもうのですが、いかがでありましょう。
宗教を必要とする世界にたいして、雅春先生は異常性を感じておられたと
おもうのでありますが、いかがでありましょうか。
もしそうであるとすれば、『生命の實相』に固執するということは、宗教を必要と
する異常な世界に固執することにもつながりかねないような気がいたします。
『生命の實相』でさえも必要としない世界。そうした世界への回帰を、雅春先生は
模索しておられたように、わたくしには感じられて仕方がないのであります。
648
:
トキ
:2011/11/07(月) 20:32:36 ID:BAKVEHUo
>>645
さくら様
コメント、ありがとうございました。さくら様の事をさしたつもりはなかったの
ですが、気分を害されたら深くお詫び申し上げます。
現在のさくら様は、立派な生長の家の人ですから、私はその件をすっかり忘却
しておりました。いや、すみませんでした。
合掌 ありがとうございます
649
:
ももんが
:2011/11/07(月) 21:28:31 ID:XXCuaQns
皆様、ありがとうございます。
今日も、1日、お仕事(愛行)お疲れ様でした。また、明日も、頑張って、神様に、与えらた、お仕事を、頑張っていきましょ!
さて、今日は、私が、強化部の早朝行事に、毎週日曜日に、参加して、いた、時のお話をします。
早朝行事は、毎日やってますが、私は、日曜日のみ、出席してました。朝、6時〜8時位まで、ですが、神想観、聖経読呪、地方講師の方の講話、朝の感謝行(お掃除)、笑いの体操、と、充実してます。
その中で、『生長の家・信徒行持要目』を、全員で、読み上げます。
1、天地一切の物に、感謝すべし
2、そのままの心を大切にすべし
3、何事にも真心をだすべし
4一切の人に物に事に行き届くべし。
5常に人と事物との光明面を見て暗黒面を見るべからず
6常に自我を死に切るべし
7人生を神生となし常に必勝を信じて邁進すべし。
8毎日一回は必ず神想観を実修して、心を光明化すべし。
以上が、『生長の家の信徒』あるいわ、生長の家を信仰する人が、守るべき、通常の宗教なら、戒律ですが、生長の家は、比較的、優しいので、『戒め』や『心得』ですね。これを、なるべく、普段の生活に取り入れ、守りながら、生活するのです。神想観しないで良いみたいに、言って、方や、やらない方、速やか、神想観を実修しましょう。
後、もう1つ、早朝行事での、思い出は、ある、御高齢 の地方講師の先生で、大変、ご立派、宗教生活ぶり、改めて、頭の下がる、思いでした。その、先生の御年齢は、86才で、小さな、リホーム会社会長さんです。
その方の凄いのは、毎朝3時起きて、シャワールームで、『禊(みそぎ)』を、して、聖経をあげてから、神想観をして、朝仕事に、入るそうです。その、生活を、もう、30年以上、毎日、休まず、続けて、こられたとの、事でした。その時、使われて、いた、テキストが、『生長の家誌・第1号』から、日時計日記のお話や、谷口雅春先生のお話などをされてました。
帰り際に、先生と、少しお話する機会が、あり、先生となんだか、大変、ウマが合い、その日使った『生長の家誌・第1号』のテキストを譲り受けました。先生のアンダーラインの後が、あり、今も、大切に、読んで、います。
仕事を持ち、毎日欠かさず神想観をする、その、姿勢こそ、宗教を実践者として、お手本のだ思いました。
忙しいときは、つい、出来ない、時も、ありがちですが、なるべく、継続出来るよう、頑張って行きたいですね。
それでは、皆様が、幸せで、有りますように、ありがとうございます。
650
:
トキ
:2011/11/07(月) 21:31:54 ID:BAKVEHUo
>>647
初心者様
コメント、ありがとうございます。いつも知性的で、優れたご投稿をして下さり、勉強に
なります。心から感謝申し上げます。ご指摘の件も優れた内容だと感嘆しました。
個人的な印象では、谷口雅春先生の発想は、現在のスピリチュアルイズムに似ていると感じて
おります。例えば、地方講師は、別に職業を持たなければならない、という規定などを見ている
と、従来の宗教組織の形骸化を谷口雅春先生は警戒されたと思っています。その点、初心者様の
ご指摘は鋭いものがあり、さすがに傾聴に値すると思っています。
ただ、その問題と、生命の実相などの聖典の裁判問題とは、別に考えないといけない問題かと
考えています。現在、谷口雅春先生の教えは唯神実相哲学として一つの体系を持ち、また宗教法人
生長の家は100万人以上の信徒が在籍し、その勢力範囲は、南米、欧州、東アジアにも及んでお
ります。大変な数の利害関係者が存在しているのです。
このような現状を考えると、生長の家という信仰、そしてその中核になる「生命の実相」は、
教団や社会事業団はもちろん、著者の谷口雅春先生の手からも離れた存在だと言えるでしょう。
谷口雅春先生が、版権を社会事業団に寄付されたのは、生命の実相が一個人の私有物ではない、
既に社会的な存在になった、というお考えが背景にあったと拝察しております。
しかし、今回、裁判になり、結果、生命の実相の在庫がなくなった件は、単に出版社である
日本教文社(と実質上の所有者である生長の家教団指導部)と著作権の法律上の保持者である
生長の家社会事業団(と心情を共有する人達)との感情的な齟齬によるものが原因です。このような
経過で、生命の実相や甘露の法雨が一時的とは言え、信徒へ頒布されないのは、訴訟当事者である
両者を除けば、他の利害関係者、特に信徒には納得のいくものではありません。
確かに、過去の生長の家の運動では、行き過ぎもあり、間違いもありました。その点は私も異存
はなく、冷静に検証をされるべきだと信じております。が、それは組織の指導者や運動方針の
問題に帰結すべきで、聖典の存在とは全く違う問題だと思っています。聖典自体は、過去も現在も
信徒の心のよりどころであり、多くの人が救われ、また現在も沢山の人が必要としている存在であ
ります。
今回、聖典が発端になり争いが生じた事も悲しみですが、一部の人達の間の問題で聖典が信徒の
手に入らない事態に至ったのは、やはり現場の信徒には納得の行かない話かと思います。今回の
訴訟についても、両当事者とも言い分があり、それぞれに理解はできます。が、当事者以外の
多くの利害関係人の存在を考えると、両者とも社会的な責任という観点がかけているような印象
は持っております。
ただ、両者ともに、すぐれた知性と人格を持った、尊敬できる人達であり、共通の信仰を持つ
人同士ですから、話し合いを繰り返せば、双方とも納得の出来る解決が可能だと信じております。
以上は、現場で活動する「三下」の会員である私のミクロの視点から見た感想であり、至らない点
が多々あるのは、お許し下さい。
では、今後とも、宜しくお願い申し上げます。
合掌 ありがとうございます
651
:
「訊け」
:2011/11/07(月) 21:42:15 ID:UodBcqiE
>校長どの
横槍かもしれませんが私見をツラツラと。
>宗教を必要とする世界にたいして、雅春先生は異常性を感じておられたと
>おもうのでありますが、いかがでありましょうか。
そう思われる記述はたしかにありますよね。生長の家もこれ、税金対策
のために「宗教法人」格、取得したんではありませんでしたっけ?(戦時
中になにか、文部省から指示があったとの記述を読んだ記憶があります)
また雅春先生はたしか、「勉強会や研究会のようなものにしたかった」な
んて記述もありましたよね。ですんで〝宗教団体〟を必要とするような世の中
には、異常性を感じておられたと、言えなくは無いのかもしれません。ただ、
>もしそうであるとすれば、『生命の實相』に固執するということは、宗教を必要と
>する異常な世界に固執することにもつながりかねないような気がいたします。
『生命の實相』に固執するということは、「神の祝福を認める」という意味
になりはしないかと思います。宗教団体は(ひょっとすると)必要ないとお考え
だったかもしれませんが、「諸君はこれだけ、神から生かされた存在なのだ」
といったことに振り向く機会(=『生命の實相』拝読)までも、否定されては
おられない気がします。
>『生命の實相』でさえも必要としない世界。そうした世界への回帰を、雅春先生は
>模索しておられたように、わたくしには感じられて仕方がないのであります。
そうなれば最高でしょうね。ただ「知恵の果」を食べてしまった人類を相手
にするならばやはり・・・『生命の實相』は必要となるでしょう。最終的に
不要になるその日までは。
これが私見になりましょうか。不完全ですみません。
652
:
ももんが
:2011/11/08(火) 00:01:42 ID:XXCuaQns
>>650
トキ様、合掌、拝。
トキ様、レス、読ませて、頂きました。大変ですね、色々、御言葉に、出来ない、ご苦労、御有りだと、心底拝察、申し上げます。
皆様の、ご苦労も、きっと、神様の何らから、知恵の現れなのだから、皆様の御苦労も、必ずや、報われる日が、来ます。
私も、一信徒として、神想観中に、必ず、元の、生長の家に、成り、トキ様が、言われいる『和解』出来るようになると、確信しております。
その為に、生長の家の信仰心のある信徒は、利害を越えて、神想観して、『和解』の為、祈るのが、神様へ道、生長の家の本道と、私、個人は、思います。
私が、良く拝聴する、雅春先生の講話テープで、雅春先生は、大東亜戦争中、生長の家で、『皇軍必勝、必勝生還』を、全国の信徒に、呼び掛けたそうですが、戦前は、信徒数が足らず、残念ながら、この、祈りは、国民の潜在意識までには、と届かず、逆に、お昼のラジオで流していた『海ゆかば』を当時、政府は、大々的に国民に歌わせていたことに、当時、生長の家は、反対していたと、お話されて、いました。雅春先生は、講話の中で、祈りの力で、全体意識さえ変え事が、出来る事のお話をされていました。
だから、トキ様、お力落とさず、頑張って下さいませ。
トキ様が、幸せで、有りますように、合掌、拝。
ありがとうございます。
653
:
さくら
:2011/11/08(火) 00:12:53 ID:M/Y5HBTg
トキさま
わたしは、本当のことを言われたり、
静かないじわるをされたりすることには、
気分を害したことは、ありませんよ。
本当のことを知りたいときに、だれも本当のことを知ろうともしなかったり、
本当のことを語ろうとはしないときに、
苛立ちが表にでてしまいます。気をつけますね。
未熟者です。…あ、生長の家では、言わない言葉ですね、
失礼しました。
私が、立派な生長の家の人、ということだけは、
違っています。
今回の裁判のことは、トキさまが書かれている様に、
やはり、一部の組織のご事情や、相互の感情的な齟齬が、
原因なんですね。
よく分かりました。
今後とも、よろしくお願いいたします。
654
:
<削除>
:<削除>
<削除>
655
:
【はあ?】「訊け」【ええ?】
:2011/11/08(火) 07:51:05 ID:D0Kb5yw.
>萌えのおくりびと
削除依頼してもいいですか、ご主人さま?
656
:
初心者
:2011/11/08(火) 08:05:48 ID:hogyfr1M
神想観をつづけていたはずの生長の家に亀裂が走った。
その亀裂を、またしても神想観だけで修復しようとする。
宗教に反省はなく、おなじことのくり返しですね。
657
:
初心者
:2011/11/08(火) 08:21:13 ID:hogyfr1M
うのはなさま
たしかどこかで、わたくしのことを書いておられましたね。いいたいことだけを
いう人。この発言にかんして書いておられたような気がいたします。
どこでしたか、ちょっと見つかりませんので、ここで書かせていただくことにいたします。
わたくしが述べましたのは、いいたいことだけをいう人ではなく、人の話を聞かずに
いいたいことだけをいう人、という意味でする。
人の話を聞きながら、いいたいことをいうのは、よいのではありませんか。
658
:
役行者
:2011/11/08(火) 08:47:07 ID:odX3izAU
>>633
>初心者さま
>雅春先生の教えの劣化ということであ りますが、これは、雅春先生の教え じたいが劣化するという意味ではありません 対抗勢力が日々、進化を遂げて 批判力を強めているということであります。 宗教にたいする批判は、より精密化し、高度化 していますよね。それにたいして 雅春先生の教えは何も変わらないのであります から、相対的な尺度でいえば 日々劣化している、ということがいえるような 気がするのであります。<
真理というのは、弁証法的にアウフヘーベンされ、無限大に進化向上してゆく。このような存在かと存じます。ですから、常に、歓喜とともに進化向上してゆきたいものです。
真理探求のシンクタンクが生長の家に必要なのかもしれませんね。
>神は完全であるから、神の子である人間も完全 でなければならない。おなじことを いうにしても、もっと表現を現代的な言いまわ しに変えて、センスアップしていただき たいとおもうところであります。 神は完全であるにしても、神の子が完全である べきかどうかは選択の問題である から、完全でありたいと願うものだけが完全で あろうと努めればよい。せめて、こうした 言いまわしに変えていただきたいと思うのであ ります。表現のセンスアップは、センス のある方におまかせいたします<
と、初心者さまが仰られております。対処すべきは、広報の関係者になるのかな!?
確かに、表現方法は、常にリフレッシュしてゆく必要性があるかと、私も存じます。
退化しているか、進化しているか、は別として、現代に相応しい、真理探求・言葉の表現方法は、大切なことだとぞんじます。
がしかし、そのことと、広くいいますと、昔書かれた仏典、聖書、生命の実相は、現代に必要ない書物だと、割り切ることとは、別問題だと思います。
特に、生命の実相は、
時代背景は別として、聖書、仏典より、わかりやすく解説してくれているところが随所に見当たるからです。
このような時代には、尚更、必要とされる書物かと存じます。
それにプラス、これからますます、我々の手により、真理のアウフヘーベン化は必要とされるのではないかとぞんじます。
659
:
さくらモノローグ。
:2011/11/08(火) 08:50:45 ID:M/Y5HBTg
さくらが寝ている間に、ボードには、メイドカフェ、まで
出来たのでございますか。
たえがたき真実に相応しく、なんでもあり、ということにいたしましょう。
660
:
初心者
:2011/11/08(火) 08:59:48 ID:hogyfr1M
トキ様
わたくしは、みなさまがなぜ、『生命の實相』を重要視なさるのか、正直いって
その理由が理解できずにおりました。わたくしにとって、『生命の實相』は、それほど
重要ではないのですよね。なぜかといえば、『生命の實相』には、わたくしの知りたい
ことが、ほとんど何も書かれていないからであります。
けっきょく、みなさまとわたくしとでは、求めているものが違っているのですよね。
わたくしが求めているのは真理です。真理に救済を求めてはならない。これも
正しいことだと考えています。
みなさまが求めていられるのは、救済ですね。そして真理に救済を求めようとして
おられるのでありますね。このあたりに、根本的な考え方の違いがあるような気が
いたします。
『生命の實相』には、救済の言葉がちりばめられているのでありましょうね。ですが、
わたくしの求める真理は何も書かれていない。それはたしかなことであります。
わたくしが求める真理とは、物質世界の成り立ち、人の世の成り立ち、言葉の
成り立ち、人の心の成り立ち、こうした成り立ちを知るということが、わたくしにとっての
真理を知る、ということになるのだろうという気がしています。
わたくしは、神想観はいたしません。神想観を実習することで、たしかに救済は得られ
るかもしれませんが、物質世界や言葉の成り立ちについての説明は、おそらく得られ
ないと考えるからであります(もし得られるというのであれば、わたくしが納得できる
形で、それぞれの成り立ちを説明していただきますことをお願いいたします。ただし、相当に深く、詳しく説明していただかなければ、とうてい納得できるものではありません。生長の家で語られている程度の説明は、まったく意味がありません)。
神想観よりも重要であるのは、ドリーミングですね。それとフロンティア。以前、
わたくしは、神想観意識状態という言葉を使いましたが、これは右脳意識状態と
言い換えたほうがよさそうです。ドリーミングは、世界の成り立ちを実感できる、
という意味では、神想観よりもすぐれた方法であると、わたくしは考えております。
以上のように、わたくしにとって、『生命の實相』は、重要な書籍ということには
なり得ません。このあたりが、みなさま方とは、根本的に考え方が異なっている
ところだろうという気がいたしております。ですから、教団から『生命の實相』が
消えたとしても、それはそれで、少なくともわたくしにとりましては、なんの問題に
もならない、ということになってくるのでありますね。
まずは、真理と救済の混同をやめること。これが重要であります。救済を求めて
おられる方々は、救済を求めていかれればよろしいのであります。ただ、それを
真理と混同することはやめていただきたい。真理と救済を結びつけることが、
問題を大きくしてしまうのでありますよ。
総裁先生が、『生命の實相』は必要ないと判断されたとすれば、それは、現教団が、
救済活動から離脱するということを表明されたものと考えます。求めるのは真理。
そういうことであるのかもしれませんね。
それと、救済を求めているかぎり、真理にとどくことはないと、ひと言、このように
いっておきたいとおもいます。それが真理であるとおもえていても、真理でない
可能性が高いとおもいます。
661
:
さくら
:2011/11/08(火) 09:08:03 ID:M/Y5HBTg
トキさま、初心者さま、訊けさま、役行者さま、みなさま。
合掌ありがとうございます。
わたしは、生命の實相を、頑なまでに守る必要があるのか、という、
と誤解を招く様な表現を使いましたこと、失礼しました。
私のテーマとして、ここで、いざこざの原因の、表面的ではない、
もっと本質的なものは、どこから来るのか考えたいと、このボードをお借りしてきました。
宗教組織の弊害、生長の家という、宗教団体の問題、
宗教が意味する、信仰とは何か、真理とは、救済とは。
正直言いまして、わたし自身には、確信に似たある信仰の核となるものがすでにあり、
これは、どんな教えにも、
どんな宗教的権威にも、
どんな宗教的真理にも、
どんな信仰の先輩にも、
どんな現象の出来事にも、
犯されることのない世界であると、感じているものがあります。
この一点だけは、譲れないものが、わたしの中でふつふつと、日々、湧いて来る想いです。
それだけで、わたしは、どんなに日々満たされているか、それは表現しきれませんが、
この想いを感じると、どんな真理の言葉も、僭越ながら、陳腐に、感じるほどです。
わたしの、その信仰の核となるものは、宗教組織や、真理の書を、全く離れた時に、おとずれたものでした。
正直言いまして、既存の宗教から、離れれば離れるほど、
その核は、育ち、わたしは満たされるようになりました。
この確信があったからこそ、
わたしは、また、生長の家に戻りました。
それは、生長の家が、ご縁が深く、また良心的な、善良なる、宗教でありましたし、
そのなかでなら、わたしがずっと疑問に思っていた、
組織の実態を、宗教団体の本質的問題を、話したり、考えることができると、思ったからです。
生命の實相や、榎本先生のご著書にも触れたとき、
真理の真髄に触れる想いに打たれますし、
その言葉に触れる度に、新たに学ぶべきことがあることを、感じています。
ただ、わたし個人的には、
それは、わたしの辿った道ではなく、わたしの表現ではない、
という、
本当に、ただ、それだけの理由で、静かに執着を手放している、そういうことも、感じておりました。
わたしにとって、真理、真実とは、
結局、神を宿したこの不完全な自分が生きている、という、
その事実だけに、集約されている気がしておりますので、そのような拙い真理への想いがありますので。
誤解を招く様な表現をしまして、
生長の家の生命の實相の問題に対する発言として、相応しくないものとなり失礼いたしました。
このボードで、はっきりしましたのは、
やはり、自分の言葉を見つける為に、学ばなければいけないということ、
また、ここでは、言い切れないことに、正直、少し苦痛を感じることも多くなりました。
これからも、こちらで学ばせて頂くことに変わりはありませんが、
わたしは、わたしのテーマにおいては、納得し、スティックを、今、置きたいと思っております。
お付き合い頂いた方、
他の板においても理解を示して下さった方、
参加して下さった方、
色々な学びや気づきを与えて下さった方、
大変、お気遣いを頂きまして、
心から感謝しております。
話はどうか、このままみなさま、お続けください。
わたくしは、ボードの続きを、
初心者さまにして頂くことを、提案いたしますが、いかがでしょうか。
662
:
初心者
:2011/11/08(火) 09:14:11 ID:hogyfr1M
役行者様
聖書や仏典は古いがゆえに価値がありますね。それは、あまりにも聖書や仏典は
古すぎて、その古さにリアリティーが感じられないからであるかと存じます。
雅春先生の言葉の古さは、リアリティーのある古さなのですよ。いかにも古い
という、リアリティーが感じられ古さなのですね。月日がたてば、そうしたリアリティー
も消えて輝きを放つでありましょうが、 今はリアリティーが阻害要因になっており
ます。聖書や仏典とちがい、それはすぐそこにある古さであるような気がいたします。
663
:
初心者
:2011/11/08(火) 09:23:24 ID:hogyfr1M
さくらちゃんへ
たしかにこのままでは中途半端でありますし、しばらくは語り続ける必要があり
そうです。あきらかに方向性が異なっているわたくしの発言につきあってくださる
方がおられるかどうか、トキ様の許可がえられるかどうか、それは疑問でありま
すが、さくらちゃんが希望しておられるように、とりあえずは、このまま書き込んで
いこうとおもいます。
ただし、スティッカーの希望者があれば、その方に語っていただくのがベストかと
存じます。
664
:
さくら
:2011/11/08(火) 09:33:14 ID:M/Y5HBTg
初心者さまの言葉や方向性は、
わたくしの感覚的な想いを、的確に表現して下さることが多く、
有難く思っておりました。
このまま、お続けくださいますよう、
このスティック、いかがでしょうか。
665
:
初心者
:2011/11/08(火) 09:35:30 ID:hogyfr1M
このボードで、スティッカーにたいして、「それはあなたの問題であるから神想観せよ」
と、強要、あるいは要望するような発現がみられましたが、それは、共感と理解、
無条件の受容的態度、積極的傾聴を標榜するこのボードの趣旨とは、あまりにも
かけはなれた発言でありました。
わたくしも、スティッカーの意向を無視して、いいたいことをいってきたという経緯が
ありますので、あまり大きなことはいえませんが、少なくとも、スティッカーに何かを
要求するというのは、ここの精神とはあまりにもかけはなれた物言いであるという
気がいたしました。
666
:
さくら
:2011/11/08(火) 09:36:46 ID:M/Y5HBTg
あ、返信もらってて、ごめんなさい、初心者さま。
反応、はや…。
ということで、それはたのしみにしております。
申し訳ありません、不謹慎ではございますが、
ひとことだけ。…
わーい!旅の準備しよー、!
667
:
初心者
:2011/11/08(火) 09:38:30 ID:hogyfr1M
このテーマでのスティッカーは、役行者様が最適であると考えますが、
いかがでありましょうか。
668
:
さくら
:2011/11/08(火) 09:52:38 ID:M/Y5HBTg
あ、今回のスティッカー、わたしなりに、精神的にハードでした。
共感と理解って、大変ですよね、ほんとうに。
信じている宗教の言葉や考える趣向が違うと、
なかなか同意しづらいところが、
でてきますね、
真髄は、同じでも、
言葉のアヤ、も難しいです、ね。
669
:
さくら
:2011/11/08(火) 10:09:24 ID:M/Y5HBTg
司会のトキさま
お世話になりました。
もし、読んでいたらですが、
お手数ですが、
次の展開を、お願いいたします。
670
:
初心者
:2011/11/08(火) 10:21:09 ID:hogyfr1M
この掲示板で「信が第一である」と執拗に主張する方がおられます。信が第一とは
どういうことなのでしょう。物質世界の成り立ちを信じる。こういうことなのでありま
しょうか。わたくし的には、物質世界の成り立ちは、信じるものではなく、理解する
もの、わかるもの、であります。
世のなかの構造や、言葉の構造、人の心の構造、それは、信じるものではなく、
理解し、知るべきものであります。
実相世界の実在を信じる。これはいいでしょう。このように信じれば救われる。
いいのではないですか。そのように信じて救われてください。ですが、実相世界
があるかないか、それはわたくしにはあまり関心のないことなのであります。
問題はですね、たとえこのように説明したところで、このような方は、これからも
執拗に「信が第一」であるといいつづける、ということが確実に予想されることであり
ます。まちがいなく、これからも「信が第一である」と主張なさいますね。
ようするに、言葉がつうじないのですね。こちらの言葉がいっさい理解していだけない
のであります。宗教はこうした人間を生み出します。掲示板でも、さまざまなことが
学べますね。
671
:
トキ
:2011/11/08(火) 10:37:01 ID:hKCzLzOI
さくら様
トーキングスティクの御勤め、ありがとうございました。
重たいし、難しいテーマですが、よくまとめられていると思いました。さすがはさくら様だと
感じました。
組織や運動の問題は、本当なら組織内でもっと活発に議論をされるべき課題だと思います。
さくら様がご提案下さった「教団組織」板(仮称)も、今の掲示板が満杯になったら「部室」板
と同時にアップしようかと考えています。引き続き、そちらでも議論が継続されたら、有益かと
考えています。
さて、さくら様の以上のご発言に関して、御質問や共鳴のご意見などがありましたら、お願い
いたします。
合掌 ありがとうございます
672
:
「訊け」管理人
:2011/11/08(火) 10:37:37 ID:MPQg3/HY
<ブログで取上げる「真理」について>
>校長殿
昨日のご質問にお答えいたします。できるだけ端的にお答え致しますので
やや、無愛想な感も否めないでありましょうが、そのあたりはご海容くださ
いませ。
さて今回のご質問をたまわりましたので、過去ご投稿文を拝読し、貴殿の
疑問の所在を(大凡)把握致しました。そしてそれに応ずるかたちで真理――
私が今後、ブログで取上げる「真理」とはなにか、それについて述べさせて
頂くわけでありますが、まあ、以下雅春先生の御文章に集約されるかもしれ
ません。その御文章とは『人間死んでも死なぬ』の下記抜粋箇所になりまし
ょう。
――――――――――――――――――――――――――――――――
生長の家に哲学が無いという人は、実はその人は、私の全集『生命
の實相』を読んでいないからである。真理を感情的に移入する文章を
芸術であると観るならば、全集の『生命の實相』は私の文章芸術であ
るが、哲学そのものは難解なる哲学用語の外にあることをしらなけれ
ばならない。私は哲学を難解なる術語から解放したのである。
哲学〝する〟とは難解なる術語を使うと云う意味ではない。真理を
如実に把握して生きると云う意味である。表現された真理をそのまま
読者が生活に生きるように押し出す迫力があるのが哲学である。哲学
は哲学〝せしむる〟力を持たねばならぬ。
『人間死んでも死なぬ』330項
――――――――――――――――――――――――――――――――
わたしが取上げる真理とは、「表現された真理をそのまま読者が生活に生
きるように押し出す迫力があるもの」と、定義できましょう。たとえばAとB
という物質が結合した際、それがたとえ理屈上では「炭ができる」としても、
実験結果で「水」が生まれたならば私は、その実験結果の方に信を置く次第
であります。
雅春先生の御教もこれ、貴殿ご指摘の如く不完全な部分があるのかもしれ
ません。しかし現状愚生に於いては・・・いかに不完全な部分を説明賜ろう
とも、実験結果が違っているわけであります。つまり、「雅春先生の御教え
は間違っている!」と主張される人がおられようとも、「でも体験談(=実
験結果)には、良好なものがたくさんあるんだよなあ」「わたし個人も随分、
救われているんだよなあ」といった感想しか、寄せることができぬ現在であ
ります。
追伸
ただし今後は分かりません。今までは雅春先生最高ッ!と思っていたけど
「こっちの方がすごいじゃん!」になれば私、結構平気で浮気致します(笑)
一般人からは非難されるでしょうが私は、経営者の端くれであります。
「アイツはブレナイ男だ!」な賞賛、浴びていても仕方がないのです。ブレ
ナイと称されるよりは「対応力がある」と云われたい男であります。対応し
なきゃ、即死ですし(笑)
余談
で、ですがここ5年間・・・この「平気で浮気する男」の私がまったく、
浮気心が起きないのです。「いつでも浮気してやるぜ」なこと考えながらも、
浮気できない私なんですが、ここまで私をメロメロにしてくださった方こそ
が、ブログで連日取上げている、 谷 口 雅 春 先生なのであります。
また、私は生長の家信徒さんと違い、「皆さんが賞賛しているから、私も
賞賛する」なんて理由で、谷口雅春に訊いているわけではありません。実際
の戦場(事業経営)で携帯しうるに足る兵器――わたしにとっての『生命の
實相』とはもう、そんな位置を占めております。これが無ければ3年前、リ
ーマンショックで自殺しておりました(笑)
673
:
初心者
:2011/11/08(火) 10:51:39 ID:hogyfr1M
当掲示板でも、雅春先生の教えの抜き書きがくり返し掲載されております。抜き
書きの言葉を読んで救われる。それでよいのですが、抜き書きは、なんどでも
くり返されます。それはなぜかといえば、抜き書きを読んで生じる救いは、永続
する救いではなく、一時的な救いであるからであります。
なんどもなんども真理の言葉を読んで、そのつど救われる。こういうことであります。
そして、それでよいのでありますね。
わたくしの18年前の悟り。これはただいちどの出来事でありました。ですが、それは
ただいちどの出来事で十分な出来事でした。なんどもなんどもくり返される必要の
ない出来事でありました。
救済は、それだけで十分なのです。もはやくり返される必要はないのです。さくら
ちゃんのなかにあるたしかな感覚もまた、これと似たようなものだろうとおもいます。
それは、くり返される必要のない、たしかな感覚なのであります。
この、永続するたしかな感覚さえあれば、神想観をする必要もありません、『生命の
實相』の言葉にくり返し接する必要もありません。
神想観せよ?なんのために・・・。
674
:
トキ
:2011/11/08(火) 10:54:37 ID:hKCzLzOI
初心者様
ご丁寧なコメントを頂戴し、深く感謝申し上げます。さすがに初心者様、鋭いご指摘だと感心しました。
初心者様のスタンスは、初期仏教、とくにお釈迦様のような方ですね。ひょっとしたら、お釈迦様の生まれ変わり
ではないですか(笑)。これは、さっそく拝む必要がありますね。
吉本隆明という左翼の有名な評論家がいます。まあ、吉本ばななのお父さんと言ったほうが今では分かりやすいのですが、
お父さんの世代だと左翼のイデオローグですね。この人が、親鸞の本を何冊か書いているのです。その中に
「レーニンが100年前に言った事は今では全然通用しない。マルクスの言う事も怪しくなってきた。しかし、親鸞が1000年前に
言った事は、今でも通用する」
と書いていたのを、うろ覚えですが、記憶しております。同じ事は、ギリシャ哲学であるとか、聖書や仏典などにも言えるかもしれません。
岩波文庫から中村元先生の翻訳で出版されている初期の釈迦の発言などは、今の普通の人でも理解ができる内容です。同じ事が生命の実相にも
言えると思います。ただ、これらの聖典の役割りが、真理なのか、救済なのか、という点は、広く議論されるべきかもしれませんね。
救済と真理の関係についてのご指摘は、私も気がつきませんでしたから、考えるべきことだと思います。
貴重なご指摘を頂戴した事をあらためて感謝申し上げます。
合掌 ありがとうございます
675
:
「訊け」管理人
:2011/11/08(火) 10:58:50 ID:MPQg3/HY
>トキさま
たしかに校長殿は超越されておられる(笑)
わたしのような凡夫は、それこそ毎日ブログ更新でもしていないと、
すぐに現象に瞞着されてしまいます。
そしてそんな、迷える衆生にとっては『生命の實相』・・・真理なのです。
真理に救いが含まれるか否か・・・「救いのない教えに真理ありや?」と問い
たくなる愚生なのですが、ここは度し難き凡夫の身であります。なにとぞお許し
ください。
676
:
「訊け」管理人
:2011/11/08(火) 11:00:43 ID:MPQg3/HY
というかスミマセン・・・TSB(トーキングスティックボード )
でしたね、ここは(笑)
677
:
トキ
:2011/11/08(火) 11:03:01 ID:hKCzLzOI
ももんが様
愛念深い激励のお言葉、深く感謝申し上げます。
本当に管理人というのは大変だなあ、と痛感します。(笑)。結構、責任があるなあ、とも思います。
「本流掲示板」や「愛国掲示板」が突然消えた事がありましたが、あれは、少し理解できますね。
ただ、幸いな事に、ここの投稿者様は、皆様、人格も見識も信仰も私よりもはるか上の人ばかりですから、
勉強になりますし、ネット上とは言え、知り合いになれて感謝しています。管理人としては、素人で未熟
ですから、皆様から教えられて運営をしているような状態です。
基本的に、特定の個人や団体、例えば、谷口雅宣先生や「谷口雅春先生を学ぶ会」を悪者にしないで、
皆様、神の子として拝みたいのですが、修行が足りずに各方面からお叱りを頂戴するのは小生の不徳の
いたすところであります。
大先達だと拝察しますので、今後とも、ご指導、ご鞭撻のほど、宜しくお願い申し上げます。
合掌 ありがとうございます
678
:
初心者
:2011/11/08(火) 11:13:05 ID:hogyfr1M
訊けさま
>つまり、「雅春先生の御教え
は間違っている!」と主張される人がおられようとも、「でも体験談(=実
験結果)には、良好なものがたくさんあるんだよなあ」「わたし個人も随分、
救われているんだよなあ」といった感想しか、寄せることができぬ現在であ
ります。
現実、体験、それはともに言葉の効果である。これがソシュールの発見だとおもい
ます。いかなる現実があろうとも、いかなる体験が出ようとも、それは言葉の世界の
出来事であり、言葉の効果でしかない。これが、ソシュールの発見であり、現代思想
の中心的な考え方であると考えております。
言葉の効果によって救済は可能であります。たしかに人は、救済を、言葉の効果
として体験いたします。しかし、言葉の効果として生じた体験を、即、真理であると
早合点してよいのか、ということをわたくしは申し上げておるのであります。
雅春先生の教えは、救済としては正しい。ただし、真理としてはどうか。このことを
わたくしは問いかけておるのであります。
そこで起きている出来事を、人はあるがままに認識しているのでありましょうか。
もしもあるがままに認識しているのであれば、救済は真理であります。しかし人間が、
そこで起きている出来事を、あるがままには認識できず、手前勝手に解釈している
のだとすれば、その出来事は、真理ではありません。解釈された現実、それは
真理とは遠いものだとわたくしは考えます。
いかに奇跡的な体験がおきていようとも、それは解釈された現実であり、そうした
現実は、つねに言葉によってつくり出されているのではないでしょうか。解釈され
た現実に、たとえ「良好なものがたくさん」あったとしても、それは真理とは無関係
であると、わたくしは考えるのであります。
認識の不可能性。これが、ソシュールによってもたらされた現代思想の中心的な
主張であります。
679
:
トキ
:2011/11/08(火) 11:18:17 ID:hKCzLzOI
>>676
「訊け」管理人様
いえいえ、すばらしいご投稿、深く感謝申し上げます。素晴らしい掲示板をアップして下さり、感心しております。
また、ご精進により、経営上の問題点を解決されたのも、同じ問題で悩む人達には良い見本となると感じております。
頑張って下さい。ブログもすばらしいので、多くの人が救われていると思います。
聖典の抜粋も的を得ているし、素晴らしいと思います。応援をしています。救済と真理についてのご意見はその通り
でして、今後、時間をかけて議論をすべき問題かと思います。
これは、生長の家の考えではなくて、私個人の考えで、従ってすこぶる怪しい考えなんですが、いろんな意見がある
のは、それなりの意味があるような気がします。最近、飛行機をテーマにした映画を見たのですが、あの飛行機も重力
があり、揚力があり、ついでにいうと推進力があるので、ああやって空に浮かんでいる事ができるのですね。(ちなみ
に飛行機が浮かぶのは、揚力があるのですが、飛行機が前に向かって進む時に翼の断面を不整形にすると気流の乱れから
上に向かって突き上げる力が翼に生じるために揚力がうまれるのです。閑話休題。)
つまり、方向が違う考えがある場合、昭和時代だと「どちらが正しいか」を決着をつける必要があったとかんじますが
平成時代では、両方の考えが作用する事でバランスがとれる、という発想になったのかと思います。
その意味で、初心者様のご意見も、「訊け」管理人様のご意見も、貴重で、大切なご意見だと思います。私のような凡夫
はまだまだ修行中なので、ちょっとわからない、としか答えようがないですね。困ったものです。(笑)
今後とも、宜しくお願い申し上げます。
合掌 ありがとうございます
680
:
初心者
:2011/11/08(火) 11:40:03 ID:hogyfr1M
「悟った」というのは適切でなく、「かわってしまった」といったほうがよいような
気がいたしますね。永続するたしかな感覚があるので、それはそれで、わたくしには
十分なことのようにおもえるのであります。それは、あの右脳意識によって生じた、
自分がどこの誰ともわからなくなるような強烈な幸福観の体験ではなく、それなりに
ハッピーという感覚に常時みたされた状態といったほうがよいような気がいたします。
もちろんそうした感覚も万能ではなく、問題が生じれば、おそらくふつうの人とは
ちがう仕方で精神的な動揺をきたすことはあります。ですが、それは少なくとも、
あくせくと救済を求めなくてはならないという状態からは、解放してくれていますね。
ですから、『生命の實相』がなければどうにもならないとか、不安で仕方がないとか、
こういうことにはなりません。神想観。これもいいです。ほかのことで間にあっていると
おもってますから。
681
:
「訊け」管理人
:2011/11/08(火) 11:54:21 ID:MPQg3/HY
>校長殿
>「悟った」というのは適切でなく、「かわってしまった」といったほうがよいような
>気がいたしますね。
ああ、わざわざの補足をありがとうございます。さてこれからですが・・・
雅春先生の御教に触れ、小説家として大ヒット飛ばした者からランチに誘わ
れております。「入金ホヤホヤの印税」にて私、なにか奢ってもらえる
という(笑)
再度拝読致しまして返信致します。ありがとうございます。
682
:
役行者
:2011/11/08(火) 12:35:18 ID:odX3izAU
◆人類の未来に貢献できる生長の家教壇とその他、生長の家グループ、聖典 生命の実相を問う!
というテーマになりますけど、初心者さま!私で良いのですか?
批判も共感として、受け入れます。
私が忙しい場合は、勝手にやっててください。
どうでしょうか?
683
:
初心者
:2011/11/08(火) 12:36:51 ID:hogyfr1M
訊けさま
雅春先生の教えにふれずとも、小説家として大ヒットを飛ばした方は、数知れず
おられますね。雅春先生の教えと、その方の成功との因果関係については、論証
なさる必要があると考えます。
訊けさまは、その方が神想観をして小説家として成功した、といっておられるので
ありますが、その方の小説家としての能力は、開花寸前であり、神想観によって
最後のひと押しがなされたとも考えられますね。それはそれで素晴らしいことで
ありますが、その方の成功が神想観の威力であったにしても、それがどこまでの
威力であったかは、これまでの説明ではわかりかねます。より詳しくご説明いただけ
ればとおもいます。
もっともこれは、ここでの本題とは、あまり関係のないことのようにもおもわれます。
訊けさまの詳しい説明を、参考までに聞かせていただければとおもいます。その方の
実感から、まったくの偶然の一致ということはないのでごさいますよね。
684
:
初心者
:2011/11/08(火) 12:40:02 ID:hogyfr1M
役行者様
どうすれば人類の未来に貢献できるか、ということでございますね。
その具体的な可能性を問う、ということでございますね。
わたくしはよいテーマだとおもいます。
あとのことはトキ様におまかせいたしましょう。
685
:
役行者
:2011/11/08(火) 12:50:28 ID:odX3izAU
>初心者さま
>どうすれば人類の未来に貢献できるか、という ことでございますね その具体的な可能性を問う、ということでござ いますそ ね <
そうですσ(^_^;また、そのように、話を進めたいです。
が、喫緊の問題として、聖典 生命の実相も問いたいとぞんじます。人類の未来に対して、どのポジションに置くべきか?なのです!
686
:
初心者
:2011/11/08(火) 12:56:29 ID:hogyfr1M
訊けさま
神想観が、その方の成功の機縁になったということはありますよね。ただ、それが
神想観でなければならなかったのか、ほかの瞑想法では、その機縁になり得なかった
のか、あるいはほかの方法では機縁になり得なかったのか、そのあたりにまで言及
していただければとおもいます。
役行者様
役行者様が正式なスティッカーとして認定され、最初の投稿がなされるまで、
ここでの書き込みをお許しください。
687
:
初心者
:2011/11/08(火) 13:04:42 ID:hogyfr1M
役行者様
面白そうですね。そうした観点からも、『生命の實相』の存在意義が問われなくては
なりませんね。『生命の實相』が、人類の未来に貢献できるのか、その具体的な
可能性とビジョンが語られねばなりませんね。
それは救済なのか、それとも、救済を超えて人類に真理をもたらすものなのか。
超越論的な議論になるのではなく(つまり、神相観をすればよいというような意見
になるのではなく)、地に足がついた形で話が進められることを希望いたします。
688
:
役行者
:2011/11/08(火) 13:16:46 ID:odX3izAU
ドンドン、関係なきことでも、書き込んでください。
>それは救済なのか、それとも、救済を超えて人 類に真理をもたらすものなのか 超越論的な議論になるのではなく(つまり、神 相観をすればよいというような意見 になるのではなく)、地に足がついた形で話が 進められることを希望いたします
生長の家の未来のため、人類の未来のため、すべて、明らかにする必要性があります。
689
:
トキ
:2011/11/08(火) 13:20:06 ID:hKCzLzOI
役行者様
さくら様、トーキングスティクのお役目、ありがとうございました。
役行者様、トーキングスティク、お引き受け下さり感謝申し上げます。
テーマもぴったしだし、興味深いですね。ぜひ、お願いします。
690
:
ももんが
:2011/11/08(火) 20:42:44 ID:XXCuaQns
>>677
トキ様へ
トキ様、レス読ませて、頂きました。ありがとうございます。
トキ様は、やはり、生長の家の信徒で、いらっしゃいますね。流石です。全ての人の『光明面だけ見て』対応されてる、姿に、改めて、賛嘆させて下さいませ。トキ様、ありがとうございます!
ブログの方がは、正直もうしまして、生長の家を、守りながら、ここに、参加してる方は、少ないようです。
それと、もう、1つ、以下の言葉が、凄く、私と、同じ、思いで、ある事に、感激しました。
> 基本的に、特定の個人や団体、例えば、谷口雅宣先生や「谷口雅春先生を学ぶ会」を悪者にしないで、
皆様、神の子として拝みたいのですが、修行が足りずに各方面からお叱りを頂戴するのは小生の不徳の
いたすところであります。
上記の、トキ様の、『谷口雅春先生を学ぶ会』と谷口雅宣先生のどちらの、悪口も、言わず、光明面を見て、必ず、両者が、また、仲良しに、1つ、生長の家の下で、錬成や、講習会できたら、いいし、それより、谷口家の皆様が、1日も速く、仲良しに、なってくれたらと、思います。
これは、1つの単純案なんですが、谷口家の人たちが、皆、どこかで、錬成で、先祖供養や浄心行や、祈り合い神想観なんか、やって、見てくれたら、良い方向に、行くような気がします。だって、皆さん、錬成で、体験談で、たくさん、良い話し、聞きますもの。
私達、一般信徒も、浄心行や、毎日の神想観で、生長の家が、必ず、元に戻るように、祈りますよ。
それでは、個人指導し過ぎて、悪念が、溜まりすぎて、体調悪くなったり、しますから、体調に、きおつけて、光明化運動頑張って下さい!
トキ様が、幸せで、有りますように、ありがとうございます。
691
:
役行者
:2011/11/08(火) 21:13:59 ID:YEUC93mw
どこから入ろうか、かなり悩みました(>_< )が、ここからはいります。
さて さまのご文章!
>多くの方を救ってきた経験を通して色々お互いに参考になるところを出し合っている感じです。
いろいろと具体的に動けるところは直接言えるところに伝えるということは
欠かせぬようであります。学びあい、良く知るということは必要であろうかと思
います。(出来るところから)古きと新しきが良く交わり理解を重ね互いに乗り
切る必要があろうかと思います。
それさえも、出来ない体質が既に存在しているのが問題とも言えるが、それでも何か出来ることはあろうかと・・。この山を皆で乗り越えるところに、
神の見えないなにか(大愛)が大きくそのすがたを現すのではという感じもしています。努力に必ずこたえてくださるのが神と信じております。 <
私も、そう信じてます。人類が混迷である以上、生長の家も混迷であるのは、致し方なきこと・・・それでも、生長の家から人類に貢献していけるよう、このコミュニケーションをとおし、輝かしい未来の訪れを予感できれば、と祈りながら、トーキングに入ります。
昔々、光あまねく輝かしき縄文時代がありました。それは各自、自分の内面を見つめ、和気藹々と生活を営める日々でもまりました。ところが、ある日、ロゴスという闇の帝王が訪れ、平和な国に楔を入れてゆきのです。策略なければ命の危険すら晒される!そんな世の到来です。策略に次ぐ策略!やがて、人間は利便性、便利さを求めるようになります。大量生産、大量消費、それがさらなる悲劇を生むのです。産業の効率化は環境破壊をもたらすようになるのです。
挙げ句の果てに、今、地球は死に体となろうとしております。そのギリギリのいま、人類は果たしてなにができるのか?
縄文的頭脳改革!
と話を進めたいところですが、喫緊の課題である
>聖典 生命の実相も問いたいとぞんじます。人類の未来に対して、どのポジションに置くべきか?なのです!
そうした観点からも、『生命 の實相』の存在意義が問われなくては なりませんね。『生命の實相』が、人類の未来 に貢献できるのか、その具体的な 可能性とビジョンが語られねばなりませんね それは救済なのか、それとも、救済を超えて人 類に真理をもたらすものなのか <
ということで、まず、救済から話を進めていきます。
もう一度、問います!
生長の家信徒は、生命の実相により救われているのです。それだけは譲れません!
まずは問題提供です。
692
:
ももんが
:2011/11/08(火) 22:14:39 ID:XXCuaQns
>>677
トキ様、再度、ありがとうございます。
私の持ってる、生長の家の本で、谷口雅春先生のお写真が付いてる『実相と現象』と言う、ご本が、有りますが、ご存じで、ございますでしょか?
その中で、谷口雅春先生が、『生命の実相』の読み方に、付いて、基本を、教え、おられますが、ご存じですか?
仕事であれ、スポーツであれ、学問であれ、最初、『基本』をマスターする事が大切ですよね?
谷口雅春先生は、その著書の中で、『生命の実相』の読み方を、次のように、言われています
①最も古い黒革表紙の『生命の実相』で一巻1200ページ有る
②新修版『生命の実相』四巻まで
③頭注版『生命の実相』八巻まで
を、十分に読んで頂きたい。
《この、十分に読んで頂きとの意味は、繰り返し、繰り返しと、言う意味です》
と書いて、ありました。
生長の家に、とって、『生命の実相』を読む事は、カトリックの修養である、『霊的読書』である『聖書』を読む事と同じなんですね。ですから、谷口雅春先生は、繰り返し、繰り返し、読むよに、指示なされたんですね。
今、私は、生命の実相・1巻読んでますよ!
後、『久遠の実在』も時々読みますよ。
悩んでる時、良い、ヒントをくれる時ありますね!
実に、不思議ですよ。
修養として、読まないと、解らんよね。
家の母は、私の幼い時、『生命の実相』読んで、幼い私の風邪を治した事が、ありますよ。
これは、実話です。
では、トキ様、下らない、お話に、お付き合い下さりまして、ありがとうございます。合掌 拝
《トキ様の、トキの名は、北斗の拳の、トキですか?》
693
:
志恩
:2011/11/09(水) 06:24:56 ID:psrFh/ZU
何を信じるかといえば、究極的に信じるべきものは「神」以外にないと思います。
「神」とは、この世、あの世を通じた完全なる法則です.無限の宇宙、あらゆる生命を存在させ、極大から極小の世界までを見事なバランスの中で微塵の狂いもなく動かし続けている絶対的な摂理です。
全ての原因からは、正確な結果を導き出し、そこには矛盾も不平等も一切の間違いもありません。
☝
これは、ほんの一部ですが、生長の家の神殿「生命の実相」には、このような神の摂理、普遍の真理のエッセンスが、例えが用いられて全編に説かれています。
.
神とはあらゆる生命の源です。大宇宙の意識です、そして、神のいのちが流れているものは、人間であり、動物であり、植物であり、ひとつひとつの細胞であり、顕微鏡的世界の
すべてのものにも宿っています。すべての存在そのものが神の愛であり、その完全無欠の計画の中で、全ては生かされていると考えられています。
ですから、人間は、この世で何が起きようとどうなろうと、全ては自分に必要なことと割り切り、自然体で前向きにうけいれていくことが、真理に叶った生き方だと思います。
神の計画には、無駄も間違いも予定変更が必要になることもありません。
しかし、人間には、自由意志というものが与えられています。各々の人間が、その思考や行動によって作った原因は、良きにつけ悪しきにつけ正確な結果を生み、各人がそれ相応の
責任をとることになります。
神の摂理からは、何者も逃れることはできません。
神の摂理、普遍の真理は、雅春先生は霊感を得られて、書にご講話に表現されていらっしゃいましたが、神は人智を越えたものであり、人間が真理のすべてを理解することは、大変困難です。
言葉や文字というこの世の表現方法に頼らなければならない以上、その時代に起きている事や、その時代でわかっていた医学や科学などで表現する方法しかありませんから、
いくら真理に近ずいてたとしても、真理を表せることには限界が出ていたとしても当然のことなのです。
たとえば、「津波」のことをとっても、雅春先生は、津波が起こるのは、水関係のものは何万人と毎年中絶されている流産児の悲しみによるものであるのです、と言われてます。
しかし、現代科学の進歩により、津波の発生原因は、カク断層のズレによるものだとわかるようになりました。では、流産児の悲しみは、間違いだったかというと、そうとは
かぎらないと思います。霊界からみた場合とこの世から見た場合のちがいだけではないでしょうか。
うつ病だってそうですよ。セロトニンという脳内物質が脳内で流れなくなっているからだというのは、医学的な意見ですが、それも事実ですが、心に起きている様々なひずみも原因なのですから、
目にみえる原因と、目に見えない原因があるのです。
ときの流れとともに、例えがちがってきたとか、組織にゆがみや垢がついてきたようですが、甚大な人々が「生命の実相」を学び、人生や生き方の励みにして来た、まっとうな正しさを含んでいる
そういう真理という宝石がつまっている書物を、認めず、泥や垢と一緒に捨ててしまうと、雅春先生のご愛念だけでなく、何百万という救われて来た人類の魂も一緒に、捨てることになり、
その間違った行いは、許容範囲をこえていると思います。永遠に、新旧の理解、融合は図れなくなると思います。
究極に信じるべきものは、人ではなく、「神」以外にないということです。
694
:
志恩
:2011/11/09(水) 07:20:56 ID:psrFh/ZU
初心者さまが、悟られたとか、気がつかれたとかおっしゃる哲学や法則があおりになるそうですが、それがどんなものか、皆様にわかるように具体的に表現できますか?
たとえば、アルゴリズム(PCのC言語。建築でいえば、企画設計ですかしら。NHKの教育番組で、アルゴリズム体操というのを放映して、流行ってますが、その理論をとりいれているそうですね。)を変える事により、
現実を変えられる。そういった理論化を、スナフキン君が文や話に表現するとしたら、それも万人に理解してもらうように,その理論が、実際に生活に役立つように表現するとしたら、容易では、ないでしょう。
例え話しを使ったら、貴方の例えも、数十年したら、使い物にならなくなります。
神想観をして、良好な現実を実現したことは、私や私関係者にも数えきれないくらいの実例がありますが、それを、貴方のお話しするアルゴリズムという言葉をつかえば、そのとおりで、心に強く、すでに与えられていると思い続け、
祈り続けたら、実現したというのは、そういう心の法則、宇宙の法則があるからです。アルゴリズムとは、なにを脳にインプットするかでしょう。
真理は、永遠不変、完全無欠、時代や場所にも関係なく、あらゆる場合、どんなときにも通じるものです。しかし、3次元レベルに表した時、表面だけ捉えますので、完全は失われます。
ですから、言葉や文字に惑わされず、自分でその中から真理を見つけ出して行くしか無いのです。貴方が、反発を感じているものは、たとえば、神想観ですが、自分で受け入れたくなければ、受け入れなくていいのです。
このような状況になっしまった生長の家ですが、歴史的な永い目でみれば、後世で振り返れば、必要な過程なのかもしれません。
その教えには、何百万の人たちが、真理が含まれている、自分の成長の肥やし、生きる上での糧だとおもっている場合には、あなたは、そう思わなくても、創始者と一緒に捨ててしまうことはありません。
それは、多くの人類にとっては、価値あるものだからです。
大切なのは、盲信さえしなければいいのです。つまり、「いいとこ取り」をすることです。自分には、いいとこ取りなんて無理だ。自分は、もっと正しい教えを説いていそうな人がいたら、その人を信じ、
そちらのほうについていくしかない。
しかし、そうおもっている限りは成長しないのです。別の哲学に、すがりついて生きて行くしかない。
大丈夫だと思っています.。すべての人の心の中には、神の叡智が,内在されています。真理は、どこに?それを見つけるカギは、自分の内在にあります。心の奥底に。
でも、どんなに考えつくしても、雅春先生の教えから,自分は,学ぶことがない。自分の悟りのほうが、上としか思えないとおっしゃるなら、
「生長の家」の看板は、古いかたがたにお返しして、別に、ご自分の宗派や教団を立ち上げるほうが、まっとうな正しいやりかただと思います。
695
:
志恩
:2011/11/09(水) 07:37:07 ID:psrFh/ZU
すみませんが、今日は、これから用事がたくさんありますので、夜しか、入れません。
よろしくおねがいします。
696
:
役行者
:2011/11/09(水) 08:03:16 ID:YEUC93mw
>志恩 さま
ご投稿、ありがとうございます。
ふたたび、神について、定義し、話を膨らませていきます。
みなさま、私が忙しいとも、ご自由に投稿、お願いします。時が時なので、批判でも構いません。できればなるべく、テーマに関係のある内容の方がありがたいです。
神の定義と信、救済!
大宇宙、大自然、森羅万象、天地一切の生類すべての根元力を神と定義してでのことてしょう。
大宇宙の意識も神ならば、本来、我々一人一人の意識も神なのでしょう。
大宇宙の意識は神秘極まりなく、誰もが認めるところでしょう。
さて、おのおの、個人の意識なのですが、これが厄介な代物のなのです。
この個人意識が今のデタラメの文明を築き上げてきたからです。
問題なのは、個人の意識のレベルがどこに既存しているか?でしょう。
それが、家族なのか、日本なのか、人類なのか、宇宙なのか、
個人に帰属しているなら、現世利益でしょう。
これが、宇宙に帰属しているなら、共同体意識を遙かに超えた、それこそ悟りの境地と思われます。
信じるとは、そして、救済とは?
それぞれ、個人のキャパシティの広さによるのではないでしょうか?
狭量な個人意識なら、外に信を向け、現世利益的な救済を求めることでしょう。
一方、懐が広く深い御仁であれば、内在の光までうち貫く信とともに、人類救済を誓願するのでしょう。
信、救済、と云え、その方の意識の深さに因るところが多大である!
697
:
a hope
:2011/11/09(水) 08:14:19 ID:kcv2QXTk
ももんがさま
はじめまして。
わたしは、数年前に、「生命の實相」に偶然出合い、
その真理に満ちた内容に魂を震わせたものです。
生命の實相の基本的な読み方、教えてくださり、ありがとうございます。
わたしは、今まで、「早く全巻読まなくては...」という、
あせりのようなものがちょっとありましたが、ももんがさまに教えていただいて、
そうか、何度も繰り返して読むことが大切なんだとわかりました。
1巻から、読みなおしたいと思います。
また、ご指導よろしくお願いいたします。
698
:
a hope
:2011/11/09(水) 08:36:12 ID:kcv2QXTk
トキさま
わたしにとって、ももんがさまのお話して下さる、神想観の大切さとか、「生命の實相」の読み方、
などのご指導は、大変ありがたく、とても勉強になります。
このようなすばらしい内容のものは、信仰・体験板のほうにも、書き込みしていただけると、
他のみなさまにもお役に立つのではないかと思うのですがいかがでしょうか?
699
:
初心者
:2011/11/09(水) 08:52:28 ID:hogyfr1M
トキ様。書き込みははじめてよろしいのでしょうか。すでに書き込んでおられる
方がおられますが、ルールでは、スティッカーの了解が出るまでは、書き込んでは
ならないということになっているのではありませんか。
しかし、とりあえず、わたくし宛ての問いかけなどが記されておりますので、こちらで
書かせていただくことにいたします。
志恩様
わたくしは、自分が雅春先生より上だとはいちども発言したことがありません。
わたくしは、人を救うことはできません。救おうとも考えておりません。真理と
救済を切り離す。それがわたくしのやり方です。真理と救済とを結びつけている
かぎり、これはうまくいかない。そのように結論したからであります。
さらに志恩様は、わたくしが天皇を否定しているだとか、『古事記』が嫌いだとか
といっておられますが、そのような発言をしたことは、いちどもありません。わたくし
がいっていないことを、志恩様は勝手に決めつけられて、それを根拠にわたくしを
非難しておられるようにも感じられるのでありますが、今回の雅春先生よりも自分の
ほうが上だとわたくしが考えているという言及もふくめて、再考していただきますこと
を要望いたします。
それと、わたくしの「悟り」について言語化せよといっておられますが、それをひと言で
いえば、神へとつづく無限次元の空間が見えたということであります。しかしその
ことはそれほど重要なことではなく、それによって生じた特別な感覚があり、それが
永続的に持続しているということのほうが、よほどわたくしにとりましては重要なこと
であります。この感覚をお持ちの方ならおわかりでしょう。これがあれば、ほかはなに
もいらない。これはそんな感覚でもありますよね。
それと、神想観でありますが、わたくしは、人類が宗教を必要としたことも含めて、
神想観をなさなければならなくなった事態も、人類の失敗であると考えます。失敗
の結果が宗教であり、神想観なのですよ。
右脳意識状態というのがおわかりですか?完全ともいえる宇宙との一体感。これが
右脳意識であります。必要とあらば、神との一体感と置き換えることも可能でありま
しょう。この一体感は、圧倒的な感情として体験されます。これが人類のほんらい
あるべき姿ではないでしょうか。ことさらに神想観という方法によらずとも、宇宙との
一体感が当たり前のごとく感じられる。これがほんらいのあるべき姿なのではない
ですか。それができなくなったために、人類は、神や宇宙との一体感を得るために、
瞑想や神想観という方法にたよらざるを得なくなったのではないですか。
ちがいますか。
あるがままの宇宙との一体感。それがあれば、宗教も神想観も、人類は必要とする
ことがなかったでありましょう。左脳意識の発達により、あるがままの宇宙との
一体感が崩壊し、それをおぎなう手段として、宗教や神想観という手段が編み出さ
れたのではありませんか。もしそうであれば、宗教も、そして神想観も、人類の
失敗をおぎなう手段であるということになるような気がいたします。
つづく
700
:
さくら
:2011/11/09(水) 08:59:23 ID:T/77sMGw
役行者さま
テーマ:人類の未来に貢献できる生長の家教壇とその他、生長の家グループ、
聖典 生命の実相を問う!
このたびは、スティッカーとして、ご活躍お祈りしております。
テーマもわくわくしますし、
皆さまの対話を、楽しみにしております。
とりあえず、スティッカーのお祝いに、お花をお持ちしました、
机の上に、飾らせていただきますね、
701
:
初心者
:2011/11/09(水) 09:00:03 ID:hogyfr1M
それと、以前、復興Gさまも、ラカンの思想は百年もたてばあぶくのごとく消え去る
といわれました。そして今回、志恩様も、わたくしの例えは、数十年もすれば
使いものにならなくなるといわれました。まずラカンについては、人類が言葉を
もちいるかぎり、その思想が消え去ることはありません。ラカンの思想とは、
言葉についての思想であり、この問題は、千年以上も前から語られておりますが、
いまだ人類は、その解決の糸口さえ見いだせてはおりません。
しかも雅春先生は、この問題にかんして、おそらくひと言も言及しておられません。
わたくしが、雅春先生の教えに疑問をもつとすれば、生長の家が、言葉によって
真理を宣布しようとする団体でありながら、言葉の問題についてひと言も言及して
おられないということであります。うまく避けられた。そのような印象さえあります。
「スパイ」という言葉がなければスパイを見ることはできません。これと同様に、
「実相」という言葉がなければ、実相を観ることも、観じることもできないので
あります。言葉と、その言葉が指し示す対象は同時に生起します。実相が
まずあって、それに「実相」という言葉がつけられたのではありません。「実相」という
言葉と、この言葉が指し示めした実相は、同時に生起したのであります。少なくとも
わたくしは、このように考えるのであります。
これにより、実相とは、言葉の効果ではないのか、との疑問が出てまいります。
この疑問に、雅春先生は、答えておられない。ただのいちどとして向き合っても
おられないのです。いまだ解決されていない重大な問題を、雅春先生は避けて
とおられた。わたくしはこのように考えているのであります。
ラカンの思想があぶくのごとく消え去ることはありません。たとえ消えたと見えても、
ちがう形で生き残ります。なぜなら、ラカンの思想とは、人類が、そして雅春先生で
さえも解決しえなかった、言語それじたいの問題への言及だからであります。
ラカンは、誠実にその問題と向き合ったのです。。雅春先生は、なぜかしら向き
合われなかった。誠実に向き合ったラカンの思想があぶくのごとく消え去り、なぜか
しら向き合われなかった雅春先生の思想が永遠に輝きを放ちつづけると考える
のは、はたして正しいことなのでありましょうか。わたくしは、雅春先生が、言語の問題
に向き合われなかったことに、重大な疑惑を抱いております。
それとわたくしの例えが数十年先には消え去ると、志恩様はいっておられますが、
これはどのような根拠にもとづく推論なのでありましょう。ひも理論があと数十年で
解消される。そういう意味なのでありましょうか。数学的な記述としては、おそらく
ひも理論は、完全なものなのでありましょう。数学的に完全ともいえるひも理論が、
数十年で解消され、消え去るということが考えられるのでありましょうか。
それは絶対にないとはいえませんが、ひも理論に代わる理論としては、たとえば
ロジャー・ペンローズのツイスターと呼ばれる理論があるということを、わたくしは
存じております。こうした理論が、ひも理論に打ち勝つとすれば、それこそが、
役行者様のいっておられる弁証法的発展ということになるのでありましょう。
科学はこのようにして発展をつづけます。弁証法的発展を拒絶し、変われない
宗教と、弁証法を受け入れて変われる科学。いったいどちらが優れているので
ありましょう。数十年で変わるからといって高をくくっていると、いずれ宗教は、
さらに手痛い挫折を味あわされることになるのではありませんか。
それと志恩様は、「真理」という言葉を使って、それが完全無欠であるということを
述べておられますが、まずひとつは、「真理」という言葉をどういう意味で使って
おられるのか、それを問うてみたいとおもいます。それと、「真理」にしても、「完全
無欠」にしても、これは言葉であります。このような言葉を易々と使われておられる
ことから、わたくしは、ラカンが直面した言語の問題に、志恩様が誠実に向き合われているとは、とてもおもうことができないのであります。いまいちど、言語について
深く考えていただきますことを希望いたします。
702
:
さくら
:2011/11/09(水) 09:02:23 ID:T/77sMGw
役行者さま
ダライ・ラマは、宗教間の調和の障害となるものを克服し理解をもたらす最善の方法は、
他の宗教を信仰している人達と対話することであること、
対話は、個人間、あるいは国家間の意見の相違や利益の対立を解決する唯一の良識ある知的な方法だということを、仰っていました。
対話が大切、このことの意味を頭で理解するのは、まあ、簡単といえますね。
しかし、まずはじめに、対話に持っていくまでの障害が、大きいことが多いですね。
また、何を基準に、対話をするか、対話の成功は、そのことにもあるような気がします。
たとえば、小さな例ですけどね、
うちに、ものみの塔の信者が来たわけですよ、
例の冊子を持って、受け取れというわけです。
わたしは、普及紙を持って、これを受け取って読んでくれたら、
私もこれを読みましょう、と言いました。
あの方たちは、決して受け取らないのですね、他の宗教の本を。
では、わたしもあなた方の本は受け取れないし、読めません、と言うと、
何かぐずぐずといって帰っていきました。
わたしは、その時に、いわゆる、「宗教間の対話」ができなかったわけですよね、
それは、互いの宗教の本を基準として、
それを相手に受け取ってもらおう、お互いの理論や教えを一方的に分かってもらおう、
と、そのようなことしか、出来なかったからです、
わたしは、正直言いまして、池田大作の本も、原理講論も、
他の宗教の「めざめよ!」っていう本も、
やっぱり、読みたくないのですよね、・・読みたくない。
それは、違う宗教をしている人も、生命の實相をいきなり与えられても、
同じ反応になるかもしれませんね。
同じ、生命の實相を、読んでるもの同志でも、対話が難しかったりするんですから・・
違う本の理論を信じている信者と対話するのは、やはりある困難が伴いますね。
わたし自身もそうでした、違う信仰をもっていたとき、
生長の家の話を聞くのは、はじめは困難でした。
様々な違った価値観を持つ方々と、対話し、ともに考えようとした時、
何が必要かを、考えます。
まず、理論や言葉のあやを超えて、
お互いの教本の論理を分かってもらおうとすることを超えて、
教えの真髄で繋がっていることは何かを、
お互いに、理解することも大切だと思いますよね。
真髄はなにか、お互い、理解し合うということ、
やはり、相手に対して、愛を持って、理解しようとする、
まず、そういう姿勢を見せるということは、とても大切であると、感じます。
●人類の未来に貢献できる生長の家教壇とその他、生長の家グループ。
この方向を考えるときにも、
お互いの教えの解釈の間違えを指摘することを超えて、
現在、わたしたち人類が、共通して持っている問題意識は何であるのか、
考えることが必要になると思います。
宗教が、人類の共通の問題である、環境問題について、
ともに対話することは、意義深いことだと思います。
現在キリスト教においても、今までの自然は、人間が支配するものという
自然観を見直し反省するという動きがありますが、
これは、先日の生長の家のドイツでの教修会において、テーマでした、
日本的なの自然観は、これからの世界の動向に重要な価値観になってくると思われますね。
ダライラマも、宗教家と科学者との対話を通して、
とも人類の幸福な未来について考えていくことを、大切にされています。
トキさまのテーマ、対話による、和解。
私は、自分の小さな観点から、難しいと考えてしまいましたが、それは、違っていました。
もっと、大きな観点から、対話の道を考えていくことが大切だと、
考え直したいと思っています。
トキさま。和解なんて無理って思って、ごめんなさい。
703
:
さくら
:2011/11/09(水) 09:02:53 ID:T/77sMGw
・・あ、まだ、かいてはいけなかったのですか・?
すみません、
704
:
志恩
:2011/11/09(水) 09:09:46 ID:psrFh/ZU
神のいのちは、われわれの中にながれていますが、個人の意識は、
考えであり、思想ですから、神とは、ことなります。
人間は、各々自由の意思や意識をあたえられていますが、それが、
大自然の意思とは、別の方向へ向いて生きて来てしまった利己的に生きて来てしまった結果が、このような
世界的な無惨な結果になっているのではないでしょうか。
環境問題に対する運動は、正しいことなのです。これもとても大きな重要な光明化運動の一環です。
祈っていればいいのではなくて、祈りながら、実行することが、たいせつと教えていただいています。
個人の事を,私は,先に言っていますが、意識が高まれば、社会や世界の問題のことも意識はひろがると思いますが。
大概は、まず、個人の悩みを解決したあとに、社会に目をむけている人が多いです。
ですから、a hopeさまが、おっしゃっておられるように、訊け君のブログや、うのはなさま、さてさま、ももんがさまが、書き込んでくださる
生長の家の教えは、とてもわかりやすし、
永遠不変の教えですから、どれも心に響き、私も日々、大変学ばせていただいております。
でも、ここの掲示板だけでなく、ここと、あちらの掲示板をみてもこれだけ意見の違いがあるのですから、生長の家がいまのように
変遷して、たくさんの考え方の人たちがいれば、まとまるのは、容易ではないでしょうね。上にたつ人は、ストレス大だとお察しします。
705
:
トキ
:2011/11/09(水) 09:39:57 ID:LVf.XwNI
おはようございます。
昨日は、少し用事があり早くにパソコンを切りました。どうも反応が遅くてすみません。
いやー、たくさんすばらしいご意見を頂戴し、感謝申し上げます。
>>ももんが様
いつも素晴らしいご投稿、深く感謝申し上げます。
実相と現象、家に御座います。これは大事な部分ですね。ご教示、ありがとうございました。
早速、読み返してみます。a hope様からも御希望がありました通り、ぜひ、続きを「信仰/体験」板
で御書き下されば幸いです。
あ、名前のトキですか。これは、大昔、彼女が私につけたあだ名です。天然記念物なみの変人とい
う意味です。(笑)
では、宜しくお願い申し上げます。
>>初心者様、志恩様、さくら様、a hope様
おはようございます。素晴らしいご投稿、深く感謝申し上げます。
なかなか濃い内容なので、私も勉強になります。私的にも御礼を申し上げます。
登場が遅れてすみません。
トーキングスティクの書き込みの件ですが、そうですね、とりあえず今は役行者様
の貸し切りとなっていますので、役行者様のご意見をお願いします。皆様の議論は信仰/体験板でも
十分に対象になる内容だと思っています。役行者の投稿をひとしきり続けてから、ご意見を募集して
もいいですし、皆様がしばらく議論を続けていただき、区切りの良い所で役行者様が書き込みを継続して
頂いても良いかと思います。
では、宜しくお願い申し上げます。
合掌 ありがとうございます
706
:
役行者
:2011/11/09(水) 09:57:14 ID:YEUC93mw
私のことなど、気にしないで、ドンドンとお願いします。
707
:
役行者
:2011/11/09(水) 10:00:07 ID:YEUC93mw
いろんな意見、感想、提案を共感できるよう、私の魂の糧とします。
708
:
トキ
:2011/11/09(水) 10:06:52 ID:LVf.XwNI
>>707
了解しました。では、皆様、宜しくお願いします。
709
:
初心者
:2011/11/09(水) 11:02:41 ID:hogyfr1M
みなさま方は、真理と救済のちがいがわかりますか。
信じたいものだけを受け入れて、信じたくないものは排除する。これが救済です。
信じたくないものも受け入れる。これが真理です。このちがいを、まずははっきりさせ
ておこうとおもいます。
わたくしはこちらで、人類史的観点から、宗教は失敗である、と主張しつづけて
おります。それにたいして、みなさま方からの反応はとぼしく、失敗ではない、と
する意見は、これまでのところ皆無であります。それでいて、みなさま方はおそらく、
いまだに宗教というものは素晴らしいものだと信じておられるはずであります。
わたくしがいっていることは、真理ではないのでしょうか。もうそうだとお考えで
あれば、みなさま方にとっての真理を開示していただきたくおもいます。わたくし
の主張に反論する形で、宗教は失敗ではない、とする意見を開示していただきたく
存じます。
710
:
初心者
:2011/11/09(水) 11:31:51 ID:hogyfr1M
雅春先生が「実相」という言葉を発せられた瞬間に、実相があらわれました。
雅春先生が「実相」という言葉を発せられなければ、実相はいまだどこにも存在
いたしません。みなさま方は、実相を観ずることはおろか、実相について考える
ことさえできなかったはずであります。
雅春先生は、実相のようなものを観られて、それを「実相」と名づけられたのでは
ありません。雅春先生が「実相」という言葉を発せられたその瞬間に、実相は存在に
入ったのであります。雅春先生が、その言葉を発せられた瞬間に何が起きたのか、
みなさまには想像できますでしょうか。
711
:
「訊け」管理人
:2011/11/09(水) 11:39:18 ID:MPQg3/HY
>校長殿
わたしが参加したき論点でいきますと、こうなりましょうか。それは、
真理に「救済」は含まれるか?
・・・補足するならば、真理とは(人にとっての真理、現象の、肉体人間
への真理)人を幸せに導く要素、これが不可欠ではなかろうかと思います。
わたしが(そしておそらく『生命の實相』愛読者なら)参加可能なやり取り
としてはこれ、上記論点からならば◎になりましょうか。
追伸
人を幸せにしない真理――もしもそれがあるとすればそれはたぶん、一般
には・・・他に言い方があるような気がします。適当なものが思い浮かびま
せんがたとえば、〝法則〟とか〝事実〟とか・・・無論これ、貴殿は違うと
は思いますが、『生命の實相』愛読者ならば、そういう風な別の言い回しで
表されることのように思います。
712
:
「訊け」管理人
:2011/11/09(水) 12:04:37 ID:MPQg3/HY
>校長殿
うーん・・・たしかに710のお話しもおもしろいものになろうかと思います。
ただ、そう表することも可能とは申せ、雅春先生の実相とは・・・
少々長く(5分)なりますが動画をご紹介致します。
●「久遠の今」
http://www.youtube.com/watch?v=e2ol5ztA3z8
追伸
無論、「真理に救済を含まない」というお話しで行きますと、あまり意味の
ない動画となるかもしれません。ムダとなるかもしれませんが、まあ現段階、
「ツラツラ語りながら糸口を」だと思ってもおります。ご容赦ください。
713
:
役行者
:2011/11/09(水) 12:53:47 ID:YEUC93mw
>さくら様
>様々な違った価値観を持つ方々と、対話し、ともに考えようとした時、
何が必要かを、考えます。
まず、理論や言葉のあやを超えて、お互いの教本の論理を分かってもらおうとすることを超えて、教えの真髄で繋がっていることは何かを、お互いに、理解することも大切だと思いますよね。
真髄はなにか、お互い、理解し合うということ、やはり、相手に対して、愛を持って、理解しようとする、まず、そういう姿勢を見せるということは、とても大切であると、感じます。<
> ●人類の未来に貢献できる生長の家教壇とその他、生長の家グループ。
◆
この方向を考えるときにも、
お互いの教えの解釈の間違えを指摘することを超えて、
現在、わたしたち人類が、共通して持っている問題意識は何であるのか、
考えることが必要になると思います。
宗教が、人類の共通の問題である、環境問題について、
ともに対話することは、意義深いことだと思います。
現在キリスト教においても、今までの自然は、人間が支配するものという
自然観を見直し反省するという動きがありますが、
これは、先日の生長の家のドイツでの教修会において、テーマでした、<
宗教遍歴が多いのは私も人のことを言えません(^^;)
確かに、他宗教や、その教典等を学ぶ、また共感するのは大変なことです。
と思うが故、ダライ・ラマさまが仰るよう、争いが絶えないのでしょう!
愛と、共通の問題意識と、教えの真髄を旨に、胸襟を開いて、話し合う時期が来ているのかもしれません。
714
:
初心者
:2011/11/09(水) 12:54:31 ID:hogyfr1M
訊けさま
真理には人をしあわせに導く要素が必要である、いっておられるのでありますね。
この主張には、2つの論点が提示可能でありますね。1つは、人とは何か、との
問いかけです。あとの1つは、人とは何かをふまえた上での、しあわせとは何か
の問いかけになろうかとおもいます。
はたして「人」とは何なのでありましょう。ラカン的には「自分とは他者である」と
いうことになります。この場合の他者とは、具体的な他者ではなく、どこの誰とも
知れない、寄る辺なき他者であります。
「自分とは他者である」とする考え方はヘーゲルを端緒とする、との見方を示した
のが、アレクサンドル・コジェーヴという人物であります。この見方が、のちの
ヨーロッパ思想に決定的な影響をあたえ、それを純粋な形で継承したのがラカン
ということになるようであります。
では、こうした見方を採用して、「自分とは他者である」ということにいたします。
すると、人をしあわせに導く、ということは、何を意味することになるのでありましょう。
いうまでもなく、寄る辺なき他者をしあわせに導くということになるのであります。
そしてそれは、他者の欲望としての欲望を満たすという方法によるのであります。
わたくしはですね、寄る辺なき他者の欲望を満たすことが真理であるとはおもい
ません。むしろ、自分とは他者であり、他者の欲望を生きているという現実を知る、
ということが真理であると考えます。これが、ジジェクのいう、「共生を学ぶべき
堪えがたい真理」ということであるのかもしれません。
ここで書きましたことは、ただの屁理屈なのでしょうか。しかし、こうした考え方は、
それなりに理論化され、あの手この手の比喩的表現によって詳細に語られても
おります。こうした理論にも、そして比喩的表現にも、納得すべき点は多々ある
ように感じます。真理をとらえようとするなら、「人」や「しあわせ」をつくり出している
構造にまで深く踏み込む必要があるとも考えます。
人をしあわせに導く。たったこのひとことの言葉の背後にも、広大な真理の領域が
広がっております。この広大な領域に、わたくしは踏み込んでいきたいのでござい
ますよ。たとえそれが救済には結びつかなくとも、です。
訊けさまは、真理には人をしあわせに導く要素が必要だといっておられます。
もしも人が、これが自分だとおもっている存在が、じつは寄る辺なき他者であり、
その欲望が他者の欲望であったとするなら、それでも真理には人をしあわせに
導く要素が必要だとお考えでありましょうか。このあたりの対話も、また深く踏み
込んでいけそうな予感がいたします。
ともに理屈好きのようでありますが、どっちの理屈がより複雑で、より深いか。
真理とは、それを競うことでもあるような気がいたします。勝ったほうが救済される。
それでよいのかもしれませんね。
715
:
「訊け」管理人
:2011/11/09(水) 16:46:31 ID:0iB8tX3k
校長殿
SoftBankのiPad売場からなのですが、一応返信文を作成しました。(pcの方に)まだ投稿しない理由は、
「独演会になっちゃった」な文章になったからであります。
もう少し、推敲のお時間を頂戴出来ればと。
追伸
iPad、やっぱイイっすねw
716
:
役行者
:2011/11/09(水) 19:09:25 ID:YEUC93mw
◆話の流れが速いので、経過報告をします。
『生命の實相』が、人類の未来に貢献できるのか、その具体的な可能性とビジョンが語られねばということで、
まず、それは救済なのか、それとも、救済を超えて人類に真理をもたらすものなのか。
この問題を、解決しようとすることになりました。
そして、次のような課題を投げかけました。
生長の家信徒は、生命の実相により救われているのです。それだけは譲れま
せん!
そして、はなしは、
信じるとは、そして、救済とは?と続き、
それぞれ、個人のキャパシティの広さによるのではないでしょうか?
狭量な個人意識なら、外に信を向け、現世利益的な救済を求めることでしょう。
一方、懐が広く深い御仁であれば、内在の光までうち貫く信とともに、
人類救済を誓願するのでしょう。
信、救済、と云え、その方の意識の深さに因るところが多大である!
と話を進めたつもりでしたが、真理についての話になってしまいました。
>それは絶対にないとはいえませんが、ひも理論に代わる理論としては、たとえばロジャー・ペンローズのツイスターと呼ばれる理論があるということを、
わたくしは存じております。こうした理論が、ひも理論に打ち勝つとすれば、それこそが、役行者様のいっておられる弁証法的発展ということになるのでありましょう。
科学はこのようにして発展をつづけます。弁証法的発展を拒絶し、変われない宗教と、弁証法を受け入れて変われる科学。いったいどちらが優れて
いるのでありましょう。数十年で変わるからといって高をくくっていると、いず
れ宗教は、さらに手痛い挫折を味あわされることになるのではありませんか。<
確かに、仰っていることは分かります。
真理というのは、弁証法的にアウフヘーベンされ、無限大に進化向上してゆくものと思っております。
真理はこのような在り方と存じますので、科学に負けぬよう、常に進化、アウフヘーベンしてゆきたいも
のです。
この真理の話題で初心者様にこのように問いかけました。
>生命の実相は、時代背景は別として、聖書、仏典より、わかりやすく解説してくれているところが随所に見当たるからです。
このような時代に生命の実相は、尚更、必要とされる書物かと存じます。
それにプラス、これからますます、我々の手により、真理のアウフヘーベン化は必要とされるのではないかとぞんじます。<
上記問いに対して、応えが、下記文章です。
>雅春先生の言葉の古さは、リアリティーのある古さなのですよ。
いかにも古いという、リアリティーが感じられる古さなのですね。月日がたてば、
そうしたリアリティーも消えて輝きを放つでありましょうが、 今はリアリティー
が阻害要因になっております。聖書や仏典とちがい、それはすぐそこにある古さ
であるような気がいたします。<
リアリティ−が阻害になっている。このリアリティ−の阻害とは
なんなのでしょうか?いま、救済について話を進めたいので、取りあえず、簡単
にお願いします。やがて、詳細に話し合いたいと思っております。
続く
717
:
役行者
:2011/11/09(水) 19:19:45 ID:YEUC93mw
上記文章の続き
下記文章は、初心者さまが以前投稿した内容!
>まずは、真理と救済の混同をやめること。これが重要であります。
救済を求めておられる方々は、救済を求めていかれればよろしいのであります。
ただ、それを真理と混同することはやめていただきたい。真理と救済を結びつけ
ることが、問題を大きくしてしまうのでありますよ。
総裁先生が、『生命の實相』は必要ないと判断されたとすれば、
それは、現教団が、救済活動から離脱するということを表明されたものと考えます。求めるのは真理。
そういうことであるのかもしれませんね。
それと、救済を求めているかぎり、真理にとどくことはないと、ひと言、このようにいっておきたいとおもいます。それが真理であるとおもえて
いても、真理でない可能性が高いとおもいます。<
ここの箇所は、またの機会に、詳細に話し合いたいと思っております。
救済の話に戻します。
この地球という生命体に誕生した人間は、様々な様相を呈しています。
現世利益を求める者から、人類のために捧げる方まで、様々です。その世界の一
角である日本に、生長の家は生命の実相哲学とともに誕生しました。読んで救われる哲学として一世を風靡し、宗教団体になってしまった経過があります。その過程にさまざまな救われ方があったと存じます。誌友会が、講習会が、練成会が、
総合すると、何百万の方々が救われたと思うのです。
そして、その信徒の方々が、
皆で、日本国の実相顕現に邁進していったという足跡があります。
つまり、愛国運動として、生長の家は一世を風靡しました。
この過程のなかで、愛国運動の手段については、かなり暴走していたところもあり、
反省すべきところが多々あるかと存じます。
が、その前段階で、実相哲学を読み、実践した方々
が救済された事実は、自然発露的で否定できないのです。きっと、皆様、生命の実
相を拠り所とし、生活の支えとしているのでしょう。救済の求め方は、それは様々でしょうが、生長の家に、また実相哲学に、心の底から義を感じていることと思います。
その方々の思いによって、いまの生長の家が成り立っているわけですから、齟齬にすることはしてはならないことと思うのです。
救済としての生命の実相について、初心者さまをはじめとしまして、皆様はどのように思われますでしょうか?
私は、共存すべきであると思います。
718
:
初心者
:2011/11/09(水) 19:21:35 ID:hogyfr1M
役行者様、お答いたします。
たとえば、戦前や戦中の記憶や記録。これにはリアリティーがありますね。
『生命の實相』には、こうした記憶を喚起する記述が随所に見られるような
きがいたします。それは「いかにも古い」といった印象を読者にあたえるような
気もいたします。今の若い人たちは、戦前や戦中の話なんて聞きたくない、
という人が多いのではありませんか。
これがたとえば、トロイア戦争であったり、ポエニ戦争であったりすれば、
今の若い人たちにも、「いかにも古い」という感覚よりも、「面白い」という
感覚のほうが優勢となるでありましょう。「リアリティーのない古さ」は
受け入れられても、「リアリティーのある古さ」は、ことに若い人たちには
敬遠されるような気がいたします。
719
:
役行者
:2011/11/09(水) 19:28:55 ID:YEUC93mw
>>718
に関しては、同感です。
720
:
初心者
:2011/11/09(水) 19:32:49 ID:hogyfr1M
役行者様
『生命の實相』を救済の書として特化すれば、活動はスムーズにいくと
おもいます。「数を追う」という運動は、真理としては理解しづらいとおもわれ
ますが、救済であれば、誰もが納得できるのではないでしょうか。
ただ、『生命の實相』が、今の時代に救済としての役割を果たせるかどうか、
ということでいえば、実験的に書店においてみて、その売れ行きで推し量る
ことができそうな気がいたします。
ただし、信徒の方々が意図的に買い占める、という事態が予想されますので、
この方法の信頼性がどこまであるかは、保証のかぎりではありません。
721
:
役行者
:2011/11/09(水) 19:47:29 ID:YEUC93mw
スレッド2において、トキ様が以下のようにコメントしてます。
>だいたい、創価学会や幸福の科学などは、本 屋さんで教団出版物を買って下さい、と信者に 言っていると 聞いた事があります。そうすると、本屋さんは 売れるので、店頭に教団出版物を並べるので それが一般の 人の手に渡る蓋然性が高くなり、しいては布教 効果が期待できるからです。その意味では、悪 い事ばかりと は言えないと思います 。<
との提案。
また、
>>720
において、下記のように
>『生命の實相』が、今の時代に救済とし ての役割を果たせるかどうか ということでいえば、実験的に書店においてみ て、その売れ行きで推し量る ことができそうな気がいたします 。
ただし、信徒の方々が意図的に買い占める、と いう事態が予想されますので この方法の信頼性がどこまであるかは、保証の かぎりではありません<
と、初心者さまが述べてますが、トキ様はじめ皆様!どうでしょうか?
意見、感想、提案、いずれでも構いません。
722
:
初心者
:2011/11/09(水) 19:52:38 ID:hogyfr1M
役行者様
救済を真理と言い換えることの意味が、わかってきたような気がいたします。
救済という言葉をあまりにも前面に押し出しすぎますと、いかにも「救ってやる」
みたいな感じで、押しつけがましさやいやらしさが出てまいりますね。
救済を真理と言い換えることで、そのあたりの押しつけがましさや、いやらしさを
オブラートに包むことができそうでありますよね。ただし、信徒の方々に、真理は
オブラートであるということが、そこはかとなく理解されていなければ、たとえ
『生命の實相』を救済の書と位置づけたとしても、またしても真理の理解がちがった
方向へと向かっていくことにもなりかねませんね。
真理と救済のさじ加減。これは、なかなかにむつかしそうであります。どうしたらよい
ものでありましょう。これは当事者となってみて、はじめてわかることなのかもしれま
せんね。雅春先生もこの点で悩まれたのかもしれません。真理とは何か。それを
はっきりと定義することが、まずは先決であるような気がいたします。
723
:
初心者
:2011/11/09(水) 20:02:27 ID:hogyfr1M
役行者様
真理とは何かが、誰にも理解されずに、あいまいなままに使われているのは
問題ではありませんか。
しかし、定義をしたらしたで、真理を限定することになります。定義しなければ、
またしてもシニフィアンの暴走がはじまります。どっちにしても問題ありとすれば、
これは宗教がかかえる根本的な欠落ということになってしまいそうですね。
話が少しばかり先に進んでしまいました。適当にもどしてください。
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