[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
1501-
1601-
1701-
1801-
1901-
2001-
2101-
2201-
2301-
2401-
2501-
2601-
2701-
2801-
2901-
3001-
3101-
3201-
3301-
3401-
3501-
3601-
3701-
3801-
3901-
4001-
4101-
4201-
4301-
4401-
4501-
4601-
4701-
4801-
4901-
5001-
5101-
5201-
5301-
5401-
5501-
5601-
5701-
5801-
5901-
6001-
6101-
6201-
6301-
6401-
6501-
6601-
6701-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
トーキングスティックボード
3726
:
縹
:2014/06/10(火) 15:37:44 ID:oeUx5MQw
志恩様へ
合掌 ありがとうございます
こんにちは、志恩様、この度も色々とお助け下さりありがとうございます。
今御礼の投稿をさせて戴こうとしておりましたら、「天使の言葉」の件が掲載されていることに気が付きましたので、そちらのほうが急ぐ内容のようですので、先にお返事させて戴きますね。
これは、雅春先生が、最初に、神様から受け取られた内容が、「月光の曲」であったが、
その後、間違った情報を持ってくる人がおられて、その時に、雅春先生は、「月光の曲→諸作品」に変更された、ということでした。
そして、後世になってから、「やっぱり月光の曲の作曲時から、耳は聞こえていなかった」事が確かめられ、
雅春先生が、最初に、神様から受け取られた「月光の曲」の方が正しかった事が分かりました。
続く
3727
:
志恩
:2014/06/10(火) 15:53:34 ID:.QY5jUA6
光明掲示板
--------------------------------------------------------
追伸、
只今、トーキングスティクボードの過去文を、見直しましたところ、
231 :トキ様が、昨年、:2013/11/25(月) に、
ベートーベンの部分の変更は、東山半之助先生の「ざっくばらん」に書かれていたと記憶しております。
読者からの指摘に応じて谷口雅春先生が変更をされたと書いてあったと思います。
とコメントされてます。
そして、光明掲示板に、童子様が、次のように書かれておられました。
谷口雅宣生長の家総裁へ資料提供します (570)
日時:2012年08月19日 (日) 06時15分
名前:童子
合掌
こちらの掲示板は御覧になっておられるでしょうか
「唐松ブログ」にて聖経の成立過程の研究に感謝申し上げます
そしてついに東山(とうやま)半之助著の『ざっくばらん』にありますところの『天使の言葉』にたどりつけました
でも生長の家総裁であるならば、まずは『生命の實相』にて検証して欲しいところでありました。
手持ちの『生命の實相』黒表紙 12年7月15日初版 14年2月18日発行の
第三巻 聖霊篇・実証篇では序詩『天使の言葉』(8p)
かの楽聖ベートヴェンの
有名なる『諸作品』は
・・・・・・
こころの耳はピアノの鍵盤に触るゝに従ひて
第十ニ巻 常楽篇・経典篇・参考篇・質疑篇では『天使の言葉』講義(148p)
かの楽聖ベートヴェンは
有名なる『月光の曲』を
・・・・・・
彼の指頭(ゆびさき)はピアノの鍵盤に触るゝに従ひて
と書かれてあります。
まず、この『生命の實相』での違いから論を展開していただきたかったですね。
たしかに東山講師の「ざっくばらん」によれば、一般信徒からの指摘によって修正されたとあります。
同様に、総裁制作の「讃歌」も一般信徒から誤りを指摘されて修正されていますね。
しかし、雅春先生は東山講師の「ざっくばらん」を認めましたが、
雅宣総裁はポスティングジョイの投稿文を削除させ、投稿者のIDをも剥奪しているのではありませんか。
..............................................................
童子様、ありがとうございます。 (574)
日時:2012年08月19日 (日) 08時30分
名前:道産子
私も、確かに<ベートーベン>の箇所はなにか引っ掛てはおりました、というのは、
果たして<諸作品>が<耳聾いて>より多くあったのか、ということでした。
しかし、雅春師は、あくまで<一つの譬え>として<天眼天耳>を表現されたのであるわけですから、
何も疑問を挟む余地は一つもないことは歴然としております。
<しかし、雅春先生は東山講師の「ざっくばらん」を認めましたが、総裁はポスティングジョイの投稿文を削除させ、
投稿者のIDをも剥奪しているのではありませんか。>
童子様のご指摘のとおり、雅春師とお孫さんには雲泥の差がありますことも明白ですね。
…………………………………………………………
志恩ー
これによりますと、東山先生の「ざっくばらん」というご著書に、一般信徒からのコメントが載っていて、
東山先生の「ざっくばらん」を認められた谷口雅春先生が、お言葉を、直されたのですね。後世の人が、直したのでは、なくて。
こうなりますと、複雑ですね。
どちらも,雅春先生が,書かれたとしますと、最初のインスピレーションのままで、よかったのに、
一般信徒にいわれて、言葉を直されてしまったんですから、雅春先生が。
こうなりますと、説得力に、欠けてきましたね。
月光のほうが、正しかったのに!!と、個人で気付いた人だけが、そのように読めばいいように、思えて来ました。
だって,どちらも,雅春先生作なのですから。
3728
:
志恩
:2014/06/10(火) 16:07:38 ID:.QY5jUA6
>>3726
:縹様
「月光の曲」の件は、後世になってから,最初のインスピレーションの方が、正しかったことが、
分かって来たんですね。
ですけれど、雅春先生ご自身が、諸作品という言葉に、一般信徒に言われて、変えてしまった場合は、
それを、元のが、やはり、正しかったと、歴史上からみて、判明しましても、
聖経の言葉を,元に、印刷し直してまで,翻す(ひるがえす)ことは、弟子がやるとしますと、
非難轟々になり、結局、縹様が、変な人だと、散々言われて、終わりになるように思います。
これにつきましての、原点回帰は、困難だと感じました。
それにしても、私が「諸作品」を「月光」に、縹様に同意して、油性ペンで書き替えた事を、
光明掲示板の人は、知ってたという点も、
え〜っ、ここを,読んでいるんだ!って、驚いたところです。
私は、縹様のおっしゃることは、わからないところだらけの人間ですので、
わかったことだけは、納得させて頂いておりますが、多々ある分からないところは、
パスさせて頂いております。
3729
:
縹
:2014/06/10(火) 16:07:47 ID:oeUx5MQw
(3726番の続きです)
月光の曲については、今まで詳しく書かせて戴きましたので、もうご説明の必要は無いでしょうか?
『聖経』は、観世音菩薩様が、灌がれた事になっておりますし、
『終戦後の神示』に、「住吉の大神様はまだ本當にあらはれてゐぬ。併しもうあらはれるに間もないのである」と書かれてあります。
私は、聖典を拝読させて戴いていたり、月の重要性を知りますと、自然と「月光の曲」の意義の深さが分かって参りましたので、直接、神示・聖典類をお読み戴ければと存じます。
続く
3730
:
縹
:2014/06/10(火) 17:00:07 ID:oeUx5MQw
3728番 志恩様
合掌 ありがとうございます
3728番に気が付かないまま、3729番を投稿してしまいました。
色々とお調べ下さってありがとうございます。
その”偽情報”を持って来られなかったら、「月光の曲」のままであったのにと残念でなりません。
月光の曲という言葉には、重要な意味が込められている事に、だんだんと気が付くようになってきました。
聖典の同じ所を、何度も繰り返し拝読させて戴いたり、その中の短い言葉の中でも、他の聖典には、どう書かれているかと対比してみたり、とにかく、真理と谷口雅春先生は凄いと思わせて戴きました。
私の意見を信じるのではなく、聖典類を直接お読み戴ければと存じます。
生長の家は神様がお作り下さって、運営されている事を私は感じております。
色々ご説明させて戴いても良いのですが、妄想と言われるので、これでも申し上げていません。
続く
3731
:
志恩
:2014/06/10(火) 17:37:35 ID:.QY5jUA6
縹様
縹様が、以前に、ベートーベンの詳細を教えて下さっていました。
あの月光の曲も13分である事や,その他、様々な事…を、
今回の「天使の言葉」経の月光の曲は、ベートーベン作曲でしたので、
ここの板で、ベートーベンの作品のことや、彼が、56歳で肝硬変で亡くなった事や、
超難聴時代のことや、彼の生い立ちのことまで、いろいろと、調べ尽くしましたよね。
ですから、私は、このことにつきましては、縹様の仰る通りだと同意申し上げておりますが、
縹様のおっしゃることは、通常の人の感覚では,大変分かづらいですので、
理解しにくくて、賛同される人は,少ないのだと思います。
ほんとうに、偽情報をもってこなかったら、最初のインスピレーションのままの言葉であったわけで、
後世の今の時代になってから、最初の言葉の方が,正しいことが、
分かってまいりましたのに、残念なことですよね。
3732
:
縹
:2014/06/10(火) 18:04:51 ID:oeUx5MQw
3731番 志恩様
合掌 ありがとうございます
志恩様、早速レス下さったのですか、どうもありがとうございます。
>縹様のおっしゃることは、通常の人の感覚では,大変分かづらいですので、
>理解しにくくて、賛同される人は,少ないのだと思います。
ありがとうございます、神示や、聖典に書かれてある事を前提にして、お話しさせて戴いているのですが、重版保留書もあり、残念ですね。
世の中を観察致しますと、世の中には、単刀直入に真理に気が付き始めた方もおられるようで、「これは、今後、素晴しい展開になっていきそうだな」と感じています。
やっぱりみんなそのままで神の子さんなのですね。
ほら、「魂が高くなると、宗教の垣根を突破出来るようになる」、といった内容の投稿文が、かつてございましたね、
あの時、ふと保存させて戴いておりましたので、こちらに転載させて戴きます。
レンゲソウ様、ありがとうございました。
3652 名前:レンゲソウ 投稿日: 2014/02/04(火) 00:47:27 ID:qlSX5ozQ
浅野和三郎先生の「新樹の通信」には霊界についての詳細な情報が書かれています。
生命の実相第2巻に一部が引用されています。
本には、キリスト信者や熱心な日蓮宗の信徒が亡くなってからどうなるかを実例をあげてかかれています。
各自の宗教はそれぞれ独自の死後の世界を描いていますが、実際に死んでからは、かえってそれらの知識が邪魔になって正しい霊魂の進化に行き着けないとあります。
ですから、最初、キリスト教信徒はイエス様の姿で、日蓮信者は、僧侶の姿で高級霊が指導に当たるとあります。
しかし、これらの信仰も、魂が高くなると、区別など不要であり、ここに谷口雅春先生が、信仰の違いは実は対した事がない、とご指導をされた根拠があると信じます。
・・・転載終わり
3733
:
縹
:2014/06/10(火) 18:30:04 ID:oeUx5MQw
(3729番の続きです)
>ももんがさまが、疑問点を投げかけておられますが、
>その内容につきましては、私には、難しすぎて、わかりません。
ももんが様は、「生長の家の神示は間違っているのではないか」、と仰られるのですが、私は「間違っていない」と申し上げてさせて戴いているところです。
志恩様、色々と長時間どうもありがとうございます。
光明掲示板の皆様も、こちらをご覧下さっているのですね。
月光の曲のほうが、絶対に世のためになると思いますが、それで私は皆様と仲良くして戴けないのですか。残念です。
志恩様も、私の事はお信じになられずに、聖典を直接お読み下さいね。
(今回の一連の投稿の目的に戻らせて戴きますと…)
私は、「総本山の事は諦めるように」と、多方面から説得されているのです。
でも、総本山を諦めきれないのです。
雅宣先生のことも、皆様、諦めておられるのです…
志恩様、本当にありがとうございます。
私の事は大丈夫ですから、一緒に批判されないようにされて下さいね。
深い感謝を込めて… 再拝
3734
:
縹
:2014/06/10(火) 19:07:17 ID:oeUx5MQw
8980番 破邪顕正様
合掌 ありがとうございます
総本山の必要性についてのご質問に、お忙しい中ご回答下さり、誠にありがとうございました。
総本山の必要性についてのご回答が、縹のほうが本当に危ないとなっていますが、
創価学会の母体を生んだ時のいきさつに、よく似ているのでとても気になり、投稿させて戴きました。
日蓮宗は、分裂しても、谷口雅春先生がおられましたが、この谷口雅春先生の御教えを、日蓮宗のようにしてはならないと思いました。
生長の家は、最後の御教えだと思うからです。一宗一派でなくて、家だと思いますので、七つの燈台のある総本山は、なんとしても護らないといけないと思いまして、
単に、「独立して良し」では、生長の家の使命が全う出来ないのではないかと思いました。
鎮護国家も、総本山抜きでは、出来ないと思います。
ですから、単に「辞めて、受け皿へ」だけでは、非常に困ると思い、「大本と比べないで欲しい」と申上げさせて戴きました。
日々ご活躍下さり、誠にありがとうございます。 感謝を込めて… 再拝
3735
:
曳馬野
:2014/06/10(火) 20:06:07 ID:I/wU8psA
有名なる諸作品は 肉體の耳聾ひて 物體の音響を辨別し難き【晩年に到りて】作曲せしに非ずや
「月光の曲」はベートーベン30歳の作品であり少し乍ら聴力のある時のもの。
「晩年に到りて」とは符合しない。
【肉體の耳聾ひて 物體の音響を辨別し難き】状態に於いて音を弁別するものは何か、が聖経の説くところなので、
聖経の後半に符合するのは、彼の40歳から没年の56歳までの15年間の作品と云う事で【有名なる諸作品は】が正しい。
「幻想曲風ソナタ」という題名であり「月光の曲」は死後に云われ出したことであり、月光に何らかの意味を見出す事は、
牽強付会と言わざるを得ない。
何よりもお山で先生以下ご家族で読み続けられた事実を無視するものでしょう。
3736
:
ももんが
:2014/06/10(火) 20:47:12 ID:oI68lYAA
>>3733
縹様
合掌 拝
興奮気味の御様子でしたの、ご遠慮申し上げて、おりましまた。
志恩様とのお返事の中に、私の話題が、ありましたが、お返事先日、既に、していまして、下記の様に、縹様の思い込み回答、になっております。
<< ももんが様は、「生長の家の神示は間違っているのではないか」、と仰られるのですが、私は「間違っていない」と申し上げてさせて戴いているところです。>>
この発言は、ナンセスです?
私の質問に?対して?神示の誤りを、認めたのは、縹様の方で、ございます。
再度、返答文を読まれて下さい。
私の質問に、縹様が、納得いく回答、が、一つも、まだ、ないことです。
それと、縹様のもっとも近い、思考は、グーノシスと思います。これは、二元論です。
生長の家は、一元論のはず?
それでは、縹様、お返事、お待ちして、おります。
合掌 拝。
3737
:
志恩
:2014/06/10(火) 20:53:01 ID:.QY5jUA6
曵馬野様
「天使の言葉」のことで、ご意見を下さって,有り難うございました。
『諸作品』に変えた正しさの理由も、教えて下さいましたが、
>>何よりもお山で先生以下ご家族で読み続けられた事実を無視するものでしょう。<<
は、動かぬ証拠ですね。
3738
:
神の子さん
:2014/06/10(火) 21:38:59 ID:???
やっぱり、総本山は“聖地”です! (8697)
日時:2012年04月27日 (金) 12時13分
名前:「靖国見真会」参加者
ひょんなことから、昔の『神誌』が手に入りました。
『生長の家』誌、昭和55年の9月号、通巻620号とあります。
その中に教化部長リレー随想というところがあって、当月号には福岡県教化部長・八日市屋二三雄先生のご文章が掲載されていました。
私も初めて知る話がそこにはありました。
生長の家総本山の意義を知る上で、これはぜひ多くの方に知っておいていただきたいことであると思い、ここに引かせていただく次第です。
…生長の家総裁谷口雅春先生も、生長の家総本山の総裁室に於いて、宇宙浄化の神想観とともに、先ず東方の「伊勢神宮」並びに天皇陛下のおわします「皇居」に、毎日毎日、日本国家の隆昌と世界の平和を、そして陛下の御長寿を祈願されてから、御多忙の一日が始まるのであります。
また、「龍宮住吉本宮」も「鎮護国家出龍宮顕祭殿」も朱の大鳥居も、同じく東の方、「伊勢神宮」と「皇居」の方角に正対して、法爾自然に建立されています。
「皇居」におわします天皇陛下と、生長の家総本山の地にお住いの谷口雅春先生は、一直線上に於いて、東と西から「伊勢神宮」の天照大御神をおろがまれ、おそれ多きことながら、毎日毎日、相倶に礼拝されていることを知ったのであります。
さらに仲山氏(※皇宮警察本部の警務部長)の言によって、新宮殿の「御座所」の御床の高さと、宮中三殿中央の「賢所」の御床の高さと、「伊勢神宮」の「内宮」の御床の高さが、海抜標高に於いて、「どうした理由かわかりませんが、同一平面上の高さに建てられていますですね」と聞いた時私は心中驚きました。
それは「住吉本宮」建立の際、総裁先生が地図の上に○印で示された位置が、「大神平」という字名の土地であり、そして地形の関係で、現在建立されている「住吉本宮」の御床の海抜標高が、「賢所」の御床の高さとほぼ同じになっていたからであります。
即ち、「陛下の御座所」と「賢所」と、「伊勢神宮」と、「住吉本宮」の四つの御床は、相等しい高さで建立されていることの不可思議を知ったからであります。
いやあ、こういう「不可思議」さというのがあるのですね。
こういうのが、まさしく、“神はからい”ということなのではないでしょうか…?
「鎮護国家」生長の家総本山の総本山たるゆえん、まさにここにあり、面目躍如というべきか?
こういうことはきちんと後世に伝え続けなくてはなりません。
そういうことを言い伝えしないでいるから、総本山は聖地ではない、などという妄言まで飛び出すのではないでしょうか?
改めて思います…
かつての“神誌”はやっぱりいいなあ!
3739
:
神の子さん
:2014/06/10(火) 21:40:44 ID:???
総本山の大構想 (8715)
日時:2012年04月28日 (土) 02時18分
名前:童子
先ずこの土地を開発するには国道に面した平地に仮道場と、それに附属の職員寮を建て、職員と練成会参加者との協力的献労によって先ず道を拓くことと、造園に経験と趣味とをもつ専門の造園技術者に来て貰って、雑木の中で、そのまま保存して庭木として美しく生長する種類の樹木を適当な位地に残して、ただ雑木(ざつぼく)として、今後いくら伸びても却って殺風景になる樹を伐採して、それらが奪う土地の養分を、将来伸ばしたい苗木〈それは現地にある木のほかに、適当な苗木を植える〉が、充分伸びるための栄養を供給し易いようにする。
峯が数十峯あるので、ある峯は杜鵑花(つつじ)の峯、ある峯は紅葉の峯、ある峯は蜜柑の峯、ある峯は枇杷の峯、ある峯は水密桃の峯という風にして、更に、ある峯には檜の植木、ある峯には杉の植林、適当な湿地には桐の植林をしてよいと思う。
兎も角、広漠なる地に峯々がつづいているのであるから、私は全山美しい公園にするのには十年間を要すると思った。今私は七十七歳であるから、八十八歳の米寿の祝の時には、現在の宇治別格本山ほどの神社と練成に必要な本建物を完成する。そしてそのほかに公園的な峯々や果樹園的な峯々が併存することになるのである。
この長崎県の土地は、開拓には宇治以上の献労力が要るけれども、それだけに規模が宏大であり、それに創作的な庭作り、峯作り、町づくり、公園作りが出来るのである。誰か、造園の天才が来てくれないか知ら。私の構想を下にして、その人の指揮の下に、その造園的天才を発揮して十年間に六十万坪を宏大な公園にしてしまうのである。
するとこの町が観光の町となって栄える、丁度国道に面した平地から峯の方へ分け入った近いところに五万坪位の平地があり、その平地の中に川が流れているので、その川の一部を堰き止めて、人工の湖を作り、湖の周囲に風光明媚の庭園をつくり、「園林諸々(おんりんもろもろ)の堂閣(どうかく)」と法華経にあるような實相浄土の写しとしての諸建物を建て、その周囲に点々として開拓功労者及び職員のための建物を建てるのである。これは第二期工事である。
「老人ホーム」をほしいという誌友からの要求も来ていたので、湖を見渡す景色のよいところに建てたいとも思う。大都会では墓地に困っていて、コンクリートのアパートみたいな霊廟を建てて収容することを大都会の宗教教団ではやり始めているが、それではあまりにも霊魂に気の毒であるので、生長の家の信徒のための霊園を、適当な奥の峯の幽寂なところにも建てたいと思っている。
出版社と光明社印刷所を移転したいと最初思っていたが、現在の光明社の印刷設備を移転しようと思うと二億円も要るそうなので、これは出版設備の移転は中止した。
『明窓浄机』 45年12月
この大構想の中に、信徒のための住宅、老人ホーム、霊園があったのは嬉しいですねぇ。
霊園の話があったので、長い間、親父の墓を建立せずにいましたが・・・。
ほかに『生長の家学園』の構想もありましたね。
3740
:
神の子さん
:2014/06/10(火) 21:44:22 ID:???
総本山は"聖地”です。 (8760)
日時:2012年04月30日 (月) 00時27分
名前:光の泉
合掌 ありがとうございます。
総本山が過去から神意によって定められた聖地であることを二つの文章から確認したいと思います。
わたしは近いうちに、九州別格本山の八十万坪の聖地に、護國の心霊住吉大神の神殿を建立する準備のために移住する。この雑誌が皆様に届く頃には既に移住が完了しているかも知れない。宇宙創造の大神は、神示に、『われに神殿は不要である』と仰せられているのである。絶対者にまします大神にとっては神殿は不要であるが、住吉大神と名を示して個別的にあらわれ給うた神については又別の相対的意義があるのである。人間にとっては礼拝精神の対象として、信仰心の集中の一点として、崇敬の心を散乱せしめないためには神殿が必要なのである。しかし神殿に奉斎する御神体は偶像ではないのであって“護國の神剣”をもって御神体とするのである。・・・・それが完成して住吉神社に神霊が入魂したとき、この八十万坪の聖地を、“別格”の名を廃して、生長の家本山とする予定である。本山か完成すれば本山が教化及び祭祀の中心となり、東京本部は出版及び宗務及び事務の中心となるのである。ここに於いて顕界の中心秩序整い、人類光明化の聖業は一層の神助を得て急速に拡大することと信ずる。同士よ集まれ、愛國の青年よ来ってこの大神の聖業に参加せよ!
谷口雅春先生『人類光明化運動の神々の系譜』理想世界 昭和四十九年十二月号より
「宇治別格本山」という名前は、講習会二日目の早朝、谷口雅春先生がこの優雅な庭園から山王荘の奥域を歩いてまわられたとき、「ここに生長の家宇治別格本山を建てようと思う」 と指さされた場所こそ現在宝蔵神社本殿の建てられている場所であった。 宇治別格本山の初代宮司であった故嘉村俊莿氏は、谷口雅春先生が“宇治別格本山”と初めてお言葉にされたことを聞き、「其の当時、宇治に何が出来るかわからない時で別格本山の意味がよくわからなかったが、昭和三十年一月六日、本部に於いて開催された正月の講習会で“宇治に宝蔵神社を造り生長の家所縁の霊を祀ることとする。生長の家で霊の祭りをする所は宝蔵神社一カ所とする。他では祀らない”と谷口雅春先生は仰せられた。ああ、そうであったかと思った。この時初めて別格本山という名前がふさわしいものになったと思われる」と当時を回想している。なお、「別格本山」と聞いて「本山」もないのに「別格」とは?と疑問に思った人もあったが、昭和五十三年十一月六日、生長の家総本山が建設されるに及んで、ただただ谷口雅春先生の深い御心を感じた人は多いのである
楠本加美野先生 生長の家宇治別格本山開山由来記 第1章
http://www.uji-sni.jp/rekisi/rekisi01.htm
愛國青年の皆様 再び心に聖地を刻み
真の生長の家を取り戻しましょう
合掌再拝。
3741
:
縹
:2014/06/10(火) 23:46:13 ID:oeUx5MQw
3735番 曳馬野様
合掌 ありがとうございます
ありがとうございます、これは、「月光の曲」が正しいと思います。
ベートーベンは、月光の曲から難聴になっていますし、
何より、真理は歴史的経緯以上のものだからです。 学術的にどうか、ということで、真理を説明するのではなく、お悟りが大事と思います。
月光は、とても住吉大神様とご縁があるものですので、月光の曲でインスピレーションが降ろされたのだと思います。
>何よりもお山で先生以下ご家族で読み続けられた事実を無視するものでしょう
これは、以前にもお答えさせて戴きましたが、『終戦後の神示』に、「住吉の大神様はまだ本當にあらはれてゐぬ。併しもうあらはれるに間もないのである」と書かれてあることからご説明させて戴いて参りました。
又、古事記が1300年祭を迎えたり、数々の神社が、1300年、1800年祭を迎えている事もご説明させて戴いて参りました。
3742
:
縹
:2014/06/11(水) 00:00:46 ID:oeUx5MQw
3677番 ももんが様
合掌 ありがとうございます
こんばんは、ももんが様、お返事が遅くなり申し訳ございません。
塩釜神社についてお詳しい先生とお会い出来まして、お話しをお伺いする事が出来ました。
そう致しましたら、やはり塩土老翁神のお社のほうが、脇に小さく造られているそうで、神示通りと仰られていました。
ホームページにも、以下のようにございます。
http://www.shiogamajinja.jp/lineage/index01.shtml
→これは伊達家の守護神たる鹿島・香取の神を仙台城の方角に向けて建て、大神主たる藩主が城から遙拝出来る様に配し、海上守護の塩土老翁神には海難を背負って頂くよう海に背を向けていると言われております。
>それに、当地に、塩土老爺(住吉神)と、鹿島神、香取神が、来たのは、古代のお話ですし、その後に、塩土老翁だけ残して、関東へ香取神も鹿島神も自分の宮へ帰られたのですよね。
いえいえ、香取・鹿島の神様である経津主神、武甕槌神は、今でも、正面に大きく祀られているそうです。
塩釜神社は、高い階段の上にございますが、
又別に、塩造りを教えた事に関する神社は、麓の方にもあるとお教え下さいました。
谷口雅春先生は、
「水火津霊は、また“水火交ム”(塩釜)とも申上げ、いずれも「創造」の神・龍宮の神の化身であります。」
と、お教え下さってます事が、『神の真義とその理解』にございます。
学問の世界では、そうではないですが、谷口雅春先生のお悟りが正しいと思います。
ももんが様は、古事記でも、雅春先生のお説き下さった説とは、違う説をおとりになっておられるようなのですが、私は雅春先生のお説き下さった古事記が正しいと思うのです。
偉い先生にお伺い致しますと、学術的な記述とは、かけ離れているのだが、谷口雅春先生はそのように書かれておられるとのことで、
先日も、塩釜神社のお祭りと、浅草寺の四万六千日が同じ日であったということが分かり、
学術的には、同一とはとても見えない神様が、同一の神様であることがわかります。
ルシファーについては、また次回にまわさせて下さいね、いつもありがとうございます。
3743
:
ももんが
:2014/06/11(水) 00:19:23 ID:ixTHY3D.
>>3742
縹様へ
合掌 拝
あの?だから?先日のおお返事に、伊達家の事も書きましたよ。
お願いしますよ。思い込みで、お返事は、止めていださい。
しつこいよいですが、再度、探してから、読みおしておねがします。
合掌 拝
3744
:
縹
:2014/06/11(水) 00:34:48 ID:oeUx5MQw
志恩様へ
合掌 ありがとうございます
光明掲示板を拝見させて戴きました。皆様も亀の子様も色々と資料を出してきて下さってありがとうございます。
私は、当時をご存じの先生から、直接、もうご本人のお名前は忘れましたが、
「あの時は、音楽学校の学生の、誰々が、谷口先生が間違われていると思って、相当悩んで悩んで、とうとう打ち明けに行った。ものすごく悩んでいた」
とお聞きしていますので、それが本当だと思います。
それで私が、「実は、月光の曲の時から、難聴になっていた、ということが分かったのです」と申し上げますと、とても驚かれていました。
それから、学術的な事を根拠に、真理を間違っている、と指摘する事は、して為になる事もございますが、インスピレーションが大事な事につきましては、そちらを優先すべきだと思います。
塩釜神社の神様と、浅草寺の観音様が、同じ神様であることなど、学術的には、到底説明が出来ないですが、
先生のインスピレーションによって分かって、その後、後の世になってから、お祭りの日が、同じ日であった、ということまで判明したのですから、こうした事は、インスピレーションが優先だと思います。
お聖経に関しましては、神がかり状態で書かれたということでしたから。
そして、私は今まで月光について調べさせて戴いて、確信がございますので、一番最初に、谷口雅春先生に天降ったのが、「月光の曲」であったという事が、今回亀の子様がお出し下さった資料を拝見させて戴きまして改めて分かり、月光の曲であることは、本当に凄い事だと思いました。
以前から、総本山と月の関連について何度も書かせて戴いて参りましたので、今回総本山についてのお話しの時に、これが分かったという事がまた不思議です。
私本人はそれで良いですが、志恩様はご自由にされて下さいね。
書き込みの量が多くて、大変でらしたでしょう、私のせいでご苦労をお掛けしてしまって、大変申し訳なく存じております。
私の事はどうぞお気になさらないで下さいね。
3745
:
縹
:2014/06/11(水) 14:24:50 ID:oeUx5MQw
3738.3739.3740番 神の子様
合掌 ありがとうございます
この度は、総本山についてのご文章をご転載下さり、誠にありがとうございました。
心より感謝申し上げます。
大変な時にお助け下さり、本当にありがとうございます。
何方様か存じませんが、本当にありがとうございます。再拝
3746
:
縹
:2014/06/11(水) 14:26:56 ID:oeUx5MQw
3743番 ももんが様
合掌 ありがとうございます
こんにちは、ももんが様、伊達家についての記述を探させて戴きました。こちらでしょうか。
>しかしながら、たぶん、伊達家が、当地に来は、徳川時代ですから?それは、おかしな、お話です。もちろん、神社ホームぺージ等は、読んではいますが、それだけでは、ありません。
>それに、当地に、塩土老爺(住吉神)と、鹿島神、香取神が、来たのは、古代のお話ですし、
神社の方にお電話で、お伺い致しましたら、伊達家が来られる以前は、塩竈神社の社殿は、三神が同所に、正面の一つの社殿にお祀りされていたそうです。
そして、伊達家が、お城から遥拝するために、正門を入って正面に、香取神・鹿島神を祀られ、
右脇に、海を背にするように、塩土老翁神を小さな社殿に祀られたそうです。
どう考えましても、神示通りだと思います。
続く
3747
:
縹
:2014/06/11(水) 14:53:49 ID:oeUx5MQw
続き
ももんが様が、どうしてそんなに、神示が間違っていると指摘されるのか、分からないのですが、
現総裁も、神示を、間違っていると、批評されるそうです。
かつて本部におられた方にうかがいました。
例えば、学者から見ると、物質観を元にしたり、現象的歴史を根拠に指摘されますから、色々言われると思われますが、
これは、神様から直接、天降った内容ですので、学者よりも正しいと思いますので、
何も心配は要らないと思いますよ。
ですから、生長の家は間違っていたと考えなくても、良いと思います。
ルシファーが気になられるようですが、罪滅ぼししないと、と思わなくても、良いと思います。
ルシファーが愛の為に堕ちたと仰られますが、“愛の為に”でしたら、“愛”こそが神様ですので、堕ちようが堕ちまいが、“愛”と偕にあるなら、どこへ行っても、神様と一体、ということではないですか。
3748
:
縹
:2014/06/11(水) 22:02:37 ID:oeUx5MQw
本流の方からご回答を戴きました。
総本山は、雅宣教のものなので、要らないと激怒されました。
そんなものを大切と言う、貴方は危険人物だ、信仰者ではない、ということで絶縁されました。
「私達の活動を邪魔するな」と訴えられました。
本流の方は、総本山が無くても、活動が出来ると思っておられたということが分かりました。
生長の家の運営正常化のためだ、とお聞きしていましたのに、途中から、変化されたのですね。
「足をひっぱるな」と言われますので、ここで書く事は良くないのかも知れないですが、
総本山は大切ですので、書かない訳にはいかないのですが…。
……総本山が、まだ大切と思っていて下さる方はおられるのでしょうか?
3749
:
縹
:2014/06/11(水) 22:31:27 ID:oeUx5MQw
総本山のことを書くと、いけないなんて、本当に生長の家なのか、
もう茫然としてしまって、悲しくて…
3750
:
縹
:2014/06/11(水) 22:38:51 ID:xPhLnWm.
初心者様
合掌 ありがとうございます
この度、志恩様から過去の総本山についてのご投稿文をご紹介戴きましたので、
ご返信させて戴いてもよろしいでしょうか?
私は、本流から置いて行かれましたが、
総本山は、生長の家にとって、本当に大事だと思うのです。
次のお言葉が、目に止まりました。
初心者様のお言葉…
>「聖地を外国に奪われたらどうするか」
>「生長の家では、現象世界に聖地があるとは考えない」
>「聖地を守るためであれば広めなくてもいいとお考えですか」
・・・・・・
3752
:
縹
:2014/06/11(水) 22:57:33 ID:oeUx5MQw
3751番 神の子様
合掌 ありがとうございます
神の子様、ご親切にありがとうございました。
実は、その事は、何度も知り合いから注意を受けているので、
頭では分かっているのですが、ごめんなさいね。
自分が悪い事は分かっているのです…
3754
:
縹
:2014/06/11(水) 22:59:42 ID:xPhLnWm.
削除申請:
管理人トキ様へ
合掌 ありがとうございます
いつもお手数をお掛けしてすみません、
3748.3749番とこちらの削除を、申し訳ございませんが、
よろしくお願い致します。
お世話になり、ありがとうございます。再拝
3755
:
解説者
:2014/06/11(水) 23:06:55 ID:???
縹様
はじめまして。解説者と申します。
縹様の投稿をいつも興味深く拝見させていただいております。
さて、以前に縹様の投稿の中で、「総本山を訪れることができるのは会員のみ」と、ありましたが、団体参拝練成会は会員限定かもしれませんが、普通に参拝するだけでしたらどなたでも訪れることができます。
最近、私も参拝に行きましたが、会員であるか否かは問われることはありませんでした。
>本流の方は、総本山が無くても、活動が出来ると思っておられたということが分かりました。
総本山は要らないが「鎮護国家」は必要、ということですね。「鎮護国家」を外す教団も教団ですが、総本山を「要らない」とする本流も本流ですね。私には理解できません。
3756
:
あめり
:2014/06/11(水) 23:15:58 ID:H3PMcaFg
縹様
合掌ありがとうございます。
どなたかの会話の中で、気を落とされるようなことがありましたでしょうか?
>>……総本山が、まだ大切と思っていて下さる方はおられるのでしょうか?<<
…私は、縹様が、総本山を大切に思われている書き込みに希望を持ち、こちらに勇気をもって書かせて頂きました。
縹様が書かれておられることで、希望を持った一人です。
最近はネットの情報は色々控えておりましたが、縹様の書き込みのお陰でさまで、光明掲示板の貴重な資料などに気づきまして、学ばせて頂けることに感謝しておりました。
>>3739
〜
>>3740
の
神の子様の転写も拝読させて頂き、ありがとうございます。
総本山や宇治別格本山に想いを馳せると、本当に心が澄んでくるような気持ちになりますね。
…正直、現象的には今の状況が残念で、
知人より、楠本総務を始め職員皆様も、欠かすことなく鎮護国家を日々祈られていることを聞いていましたが、
そのら楠本総務が非常任参議を外されるようですし…
どんどん中心がなくなるような心細さを感じていたのは事実で、
信徒はどう考えればいいのかと、実相直視が大切と分かっていても、心配になってしまいます。
(縹様、これも「予言」の一部なのでしょうか?
良いものが顕れるための「自壊作用」であれば良いと思っておりますが…。)
それでも、縹様のように深い見地から総本山をお護りされようとされる方がいることが、希望となっております。
私は、力不足で何も助けになるようなことが出来ず申し訳ありませんが、
これからも、縹様にはご活躍されることを願っております。
雅宣総裁がいかにあろうと、信徒の信仰の柱に総本山があることを思いたいですが…。
私も実相哲学板に書いたように、解説者様の意見と同じなのです。
信仰運動であるはずなのに、なぜ、総本山がいらないと言えるのでしょうか…?
3758
:
あめり
:2014/06/11(水) 23:20:20 ID:H3PMcaFg
>3754の書き込みに気づかず、書いてしまいました。
言葉を引用してしまいまして、
申し訳ありません。
不都合でしたら、削除要請いたします。
拝
3760
:
曳馬野
:2014/06/12(木) 00:03:52 ID:I/wU8psA
『病気も治らぬよりは治る方が日本國に必要でありますが、そんな事が生長の家の目的ではない。
人間は神の子、陛下の赤子であることを自覚して、美しく正しく、まこと獻げて盡す人々をつくるのが唯一の目的なのであります。』
生長の家誌より 谷口雅春先生
「人間は神の子、陛下の赤子であることを自覚して、美しく正しく、まこと獻げて盡す人々」に該当されていると云える方居りますか。
日本人にとっては、陛下の赤子であることの自覚が、とりもなおさず鎮護国家そのものです。
この唯一の目的にかなうことが大切であると思う次第です。
3763
:
縹
:2014/06/12(木) 08:44:45 ID:oeUx5MQw
3755番 解説者様
合掌 ありがとうございます
こちらこそはじめまして解説者様、ようこそお越しくださいました、トキ様のトーキング板にお世話になっております縹です。
ご閲覧下さり誠にありがとうございます。又この度は、総本山には団参以外では、誰でも参拝出来るという事実を教えて下さいましてご親切にありがとうございました。
>総本山は要らないが「鎮護国家」は必要、ということですね。
どうやって出来るのでしょうね。
>「鎮護国家」を外す教団も教団ですが、総本山を「要らない」とする本流も本流ですね。私には理解できません。
“総本山が無いと、鎮護国家が出来ない“という主張は、退けられました。
その理由は、総本山は、事実として、雅宣先生の個人所有物だからだ、という事でした。
雅宣先生は、『生命の實相』自体がお嫌いなようですから、もう生長の家でない、とも言えますが、
総本山が売却され、別の所に総本山を建てるのが神様の御心なのかが、私にはまだ分かりません。
現象界は、實相界の投影なので、實相界は、どうなっているのでしょうか。
いずれにしましても、偉い先生方がお決めになられるのでしょうから、私には何も出来ないのですが。
この度は本当にありがとうございました。 再拝
3764
:
縹
:2014/06/12(木) 08:54:59 ID:oeUx5MQw
3650番 神の子様、3651番 神の子様
合掌 ありがとうございます
先日、総本山に会員以外でも参拝出来るかどうかをお尋ね戴きました時は、「会員以外は不可」であるようにお答えさせて戴きましたが、
解説者様から正確な情報を戴きまして、団参以外の一般的な参拝でしたら、「会員以外でも可能」であることが分かりましたので、訂正させて下さい。
間違いまして、申し訳ございませんでした。又お書き込み下さり、本当にありがとうございました。再拝
3765
:
志恩
:2014/06/12(木) 10:44:31 ID:.QY5jUA6
縹様
本流のお方で、総本山は、(雅宣様のものなので?)要らない、と言われたお方が
いらっしゃるとか?、それは、驚きですが、本流にも色々なお考えのお方が、いるのですね。
縹様は、初心者様に、総本山のことで、問いかけられましたが、
それに対して、初心者様でなく、曵馬野様が 次のように答えられましたね。
>>3760
:曳馬野:2014/06/12(木) 00:03:52 ID:I/wU8psA
『病気も治らぬよりは治る方が日本國に必要でありますが、そんな事が生長の家の目的ではない。
人間は神の子、陛下の赤子であることを自覚して、美しく正しく、まこと獻げて盡す人々をつくるのが
唯一の目的なのであります。』
生長の家誌より 谷口雅春先生
「人間は神の子、陛下の赤子であることを自覚して、美しく正しく、まこと獻げて盡す人々」に該当されていると
云える方居りますか。
日本人にとっては、陛下の赤子であることの自覚が、とりもなおさず 鎮護国家 そのものです。
この唯一の目的にかなうことが大切であると思う次第です。 <<
志恩ー
このように、曵馬野様が、縹様の総本山についての質問に、答えられました。
初心者様も曵馬野様も、雅宣総裁の代弁者ですから、
結局、雅宣総裁は「総本山という土地を護ることが、鎮護国家を護ることではない。」と、結論づけておられるというように
聞こえました。
曵馬野様は、雅春先生のご文章の一部を引用されて、「鎮護国家とは、
人間は神の子、陛下の赤子であることを自覚して、美しく正しく、まこと獻げて盡す人々のことと云える。」
と答えられたのですから。
實相哲学について語る板に、あめり様が要望されましたので、鎮護国家のこと、総本山のことについての
雅春先生の数々のご発言の資料をお調べ下さいました亀の子様のご投稿文と、それについての重要さを
述べておられる破邪様の記事を、光明掲示板より、いくつも転載させて頂きました。
これを読ませて頂いた限りでは、本流は、総本山は要らないと、思われているようには、私には思えませんでした。
でも、過去に、縹様には、本流の人が、総本山は、要らないなんて、言った人もあるのですね。
今回、縹様が、総本山の存在の重要性を、お説き下さいましたので、
皆様が、生長の家の出現の意義に於ける総本山と鎮護国家の、大切さを再認識する切っ掛けになりましたことは、
大きな意義が、あったのではないでしょうか。
しばらく前に、初心者様が、突然、ここの掲示板へ出ていらして
(総本山は、聖地ではない)「現象世界に、聖地はない」と、宣言されましたが、
なぜ、この機に、わざわざ、それをおっしゃりに出ていらしたのか、
このご発言は、なにを意味するのか、私にも 理解できないでおります。
総本山は、教団のものです。つまり、雅宣様のもの。
ですから、教団の外にいる本流は、外野席にいますので、例え、どんなに、総本山は聖地だとか、
鎮護国家は、護らなければ……と、強く主張しても、
今後のことは、雅宣様のお考えと、雅宣総裁の鶴の一声で、決定することだと思っております。
3766
:
志恩
:2014/06/12(木) 11:04:58 ID:.QY5jUA6
縹様
私は,先に、原宿本部会館解体を教団が、公表した昨年の12月に、本流の皆様の中でも特に、
中仙堂様が、率先して、ご発言と行動を起こされましたので,私も、本流の皆様の後に続いて、
本部会館解体の見直しを、雅宣総裁と,教団に、お願いしていたのですが、
そのことで、先日,私は、「新館」の方は、耐震改修工事が不可能のために、取壊されてしまいましたけれど、
耐震改修工事が、可能だと、教団が言った 「光明の塔、並びに本館の建物」は、
取壊されていないように,写真には、写っていましたと,申し上げましたが、
今年の4月に,原宿本部の解体工事現場を見にいらしたお方が、
光明掲示板にですが、「「光明の塔」だけは、残されていたが、その他の建物は、
全部、解体されていた。」とコメントされてるお方がいました。
そうしますと、私の、思い違いになります。建物は、後から建てられた「新館」だけでなく、
最初に、光明の塔と共に建てられた「本館」も、一緒に解体されていたようですから。
私の末端信徒としての、必死のパンチのお願いも、雅宣総裁と教団に、虚しく 却下されていたのでした。
「光明の塔だけ 残す」という事は、
解体するという教団の発表のときに、
元々,教団が言っていたことですから、私の あのときのお願いとは関係のないことです。
3767
:
志恩
:2014/06/12(木) 11:22:08 ID:.QY5jUA6
本部から徒歩10分〜15分で行かれる「お山」は、清超先生が ご昇天遊ばされる前に、
谷口家の名義ではなく、生長の家教団の名義になりました。
谷口家が、生長の家教団に「お山」の土地と家(雅宣様ご夫婦が住まわれていた家と、恵美子先生が
住まわれている家。2軒とも)売ったからです。
そこだって、個人名義ではなく、教団名義になっていますから、売買は、雅宣様のお考えと、雅宣様の
鶴の一声で,決まるのではないでしょうか。
住所は、以前、山ちゃん1952様が、谷口雅春先生の古い著書にお山の古い住所が掲載されていましたと、
掲示板に、その古い住所を、載せられていました。
「お山」は、個人名義ではなく、教団名義なっておりますので、公表しても問題ないと思います。
旧住所は、渋谷区隠田3-76
現住所は、渋谷区神宮前6-33-24
3768
:
破邪さんから
:2014/06/12(木) 11:22:18 ID:S6w/.2h.
私どもの“立ち位置”とは、谷口雅春先生の「立教宣言」にある“イカニセバ”にこそあります…NEW*(9078)
日時:2014年06月12日 (木) 11時14分
名前:破邪顕正
私が、どうして“立ち位置”の問題を言うのか…。
最近も、「トキ」掲示板に、こんな投稿がありましたので、ここではっきりと言っておきたいと思います。
>3755:解説者 2014/06/11(水)
(前略)「鎮護国家」を外す教団も教団ですが、総本山を「要らない」とする本流も本流ですね。私には理解できません。<
こういう投稿者に共通するのは、何か。
だったら、あなたはどうするんですか、ということが何も述べられていないことなんです。
>総本山を「要らない」とする本流も本流ですね。
どうして、「本流」を勝手にこう決め付けるのだろうかと、本当に、残念ではありますが、こういわないといけないのが、この人の“立ち位置”なのだと私は理解しています。
だって、“「鎮護国家」を外す教団も教団ですが”と言ってしまっている以上、この人は、このままでは「教団批判者」と烙印されてしまうわけです。
しかし、それは困る、というのが、どうも、こういう人(こういう人たち)に共通した心理のような気がしてなりません。
「教団も教団だが、本流も本流」
常に、そういう言い方をして、自分の“立ち位置”をはぐらかそうとする。
はっきり言って、こういう煮え切らない人のところに、人心は集まりはしません。
だから、何の「力」も持ち得はしません。
>「鎮護国家」を外す教団も教団ですが
そういうのだったら、その教団に対して、あなたはどうするんですか?
教団がオカシイと思うのであれば、それをどうして正そうとしないのですか?
「本流」も「本流」だと、どうして、そこに逃げ込むのですか?
「本流」がどうであろうと、あなたには関係ないことでしょう。
“「鎮護国家」を外す教団”に対して、あなたはどう生きるのか、どういう行き方をするのか?
大事なことは、そこでしょう!
こういう人たちに、私がいいたいことは唯一つ。
もう一度、谷口雅春先生の「立教宣言」を拳拳服膺すべであるということです。
…自分のかざす火は人類の福音の火、生長の火である。自分は此の火によって人類が如何にせば幸福になり得るかを示そうとするのだ。如何にせば境遇の桎梏から抜け出し得るか、如何にせば運命を支配し得るか、如何にせば一切の病気を征服し得るか、また、如何にせば貧困の真因を絶滅し得るか、如何にせば家庭苦の悩みより脱し得るか……等々。
まさに、この精神です。
これを、今の教団状況に当てはめるならば、さしずめ、こういうことになりましょうか?
…如何にせば谷口雅宣総裁の独裁の桎梏から抜け出し得るか、如何にせば『生命の實相』「聖経」を護り得るか、如何にせば谷口雅春先生の「鎮護国家」の教えを広め得るか……等々。
すべては、ここに還るべきなのです。
この「如何にせば」こそが、「谷口雅春先生を学ぶ会」の“立ち位置”だということです。
「谷口雅春先生を学ぶ会」の「如何にせば」について、賛同できないなら賛同できないで結構です。
それならそれで、自分の、自分たちの「如何にせば」を論じてほしいと、私はそれをこそ望んでいるのです。
ことここに至ったら、あれこれと論議している時代は過ぎ去った、もはや、いかに具体的な運動を起こすべきか、そこにきているのではないかと私は思うものであります。
意のあるところ、お汲みとりいただければ幸いです。
3769
:
縹
:2014/06/12(木) 11:54:20 ID:oeUx5MQw
3768番 破邪さんから様
合掌 ありがとうございます
ご親切にどうもありがとうございます。いつもお世話になります。
破邪顕正様へ
合掌 ありがとうございます
破邪顕正様が、こうしたお役を引き受けて下さるお陰で、別の所に居る事が可能でありますので、
破邪顕正様のご存在は、とても有難く感じさせて戴いております。
もしいらっしゃらなければ、誰かが、もしくは自分がその役を代わりにしないといけなくなると思われますので、
いつも尊い御存在に感じて、仏様のように拝ませて戴いております。
多分、今回の解説者様のご発言は、私のショックを緩和させるために、
短いご投稿をして下さったのだと思われますので、
どうか責めないで差し上げて下さいませんでしょうか。
これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。
ありがとうございます。 感謝再拝
3770
:
縹
:2014/06/12(木) 11:56:31 ID:oeUx5MQw
3756番 あめり様
合掌 ありがとうございます
こんにちは、あめり様、いつも助けて下さいまして、誠にありがとうございます。
とても助けて戴いてます、でもくれぐれもご負担になられないようにされて下さいね。
本流の方から、迷惑だと指摘が来て、投稿に困っておりました。
総本山が大事ということは信仰者ではない、としたお考えで、総本山の大切さを訴えるのは危険思想になるとの申し入れでした。
何もしない私(?)が投稿する事は、足を引っ張るそうで、それで困ってしまって…。
>…正直、現象的には今の状況が残念で、
>知人より、楠本総務を始め職員皆様も、欠かすことなく鎮護国家を日々祈られていることを聞いていましたが、
>その楠本総務が非常任参議を外されるようですし…
次の方は、小林先生と仰られる明るい女性の先生でしたでしょうか。
>どんどん中心がなくなるような心細さを感じていたのは事実で、
>信徒はどう考えればいいのかと、実相直視が大切と分かっていても、心配になってしまいます。
そうでしたか…。私が存じております事を、申し上げさせて戴きたいのですが、申し上げても良いものか、また批判が来る事が目に見えていますし、躊躇しております。
>(これも「予言」の一部なのでしょうか?
>良いものが顕れるための「自壊作用」であれば良いと思っておりますが…。)
神示集や雅春先生の古事記をお読みになられると、良いと思われます。
私はそれを拝読させて戴き、未来に対する不安は消えました。
>それでも、縹様のように深い見地から総本山をお護りされようとされる方がいることが、希望となっております。
>私は、力不足で何も助けになるようなことが出来ず申し訳ありませんが、
>これからも、縹様にはご活躍されることを願っております。
いつもとても助けて戴いてます、本当にありがとうございます。
でもどうかご無理なさらないで下さいね。
私がこれ以上、掲示板にとどまっても良いものか、考えていました。ご迷惑をお掛けしているそうです。
あめり様のように仰って下さる方もおられるのですね。ありがとうございます。
生長の家の本当の姿を知って戴ければ、もう争う必要は無いと知って戴けると思っているのですが、
現在は、とてもそんな雰囲気ではないですね。
削除申請の必要など無いです、温かいお言葉を本当にありがとうございました。
ご無理されずに、あめり様らしくされて下さいね。 感謝を込めて… 再拝
3771
:
縹
:2014/06/12(木) 12:00:18 ID:oeUx5MQw
志恩様へ
合掌 ありがとうございます
志恩様、私に近づいて大丈夫なのですか?(笑)
色々と詳しくお教え下さり、ありがとうございます。
只今、曳馬野様にご返信を差し上げていたところでしたので、
先にそちらから投稿させて戴きますね。
いつも行き届いてご親切にして下さり、本当にありがとうございます。
3772
:
縹
:2014/06/12(木) 12:20:38 ID:oeUx5MQw
3760番 曳馬野様
合掌 ありがとうございます
こんにちは、ご投稿ありがとうございました。唯一の目的について教えて下さりありがとうございました。
鎮護国家という言葉は、日本のためにある訳ではないので、鎮護国家の心得は、日本人にだけ当てはまる事ではないですが、
その心得は、日本人に必要でしょうね。
鎮護国家は、日本のために必要なのではなく、世界のために必要なのだと、私は考えます。おそらくこれが日本人古来の思考回路だと思うのですが…。
宗教や思想上でのいざこざを、万教帰一の御教えで解決して行けると思います。
日本の役割だと思います。
世界を愛し、すべての人の為に尽くす、それが日本だと思います。
どこかで分け隔てるのは、日本ではないと思います。
「セルビア「日本はいつも助けてくれた」 震災時 セルビアからの支援が凄かった」
http://kaigainohannoublog.blog55.fc2.com/blog-entry-1199.html
単に国粋主義や、天皇陛下“だけ”が大事では、
唯物論者で、単に“かついで、権威を利用する人”で、
戦前の日本にはびこり、戦前の日本をおかしくした、天皇を隠れ蓑にした共産主義の形に近くなると思います。
この昭和維新の事は、本流の偉い先生に伺いました。
「人間神の子、礼拝し合う、今此処實相。話し合って、仲良く」でないと、おかしくなるそうです。
政治活動にもお詳しい先生にお伺い致しますと、「人間神の子」といことで政治活動をしていない人は、大抵途中で燃え尽きて居なくなってしまうそうです。
「人間神の子」の信仰をしながら、政治活動も行われる方は、長く続くそうです。
活動家の中でも、「人間神の子」が分からないばかりに、間違った活動をしておられる方も多いそうです。
その方向性を訂正するのが大変であるそうです。
ですから、何事をするにしても、『生命の實相』の御教えが必要であるそうです。
道はたった一つ、「神の子」の道しか開けてないですよね、それが法華経の教えですし、生長の家は本当の法華経を説くところだと思います。
この本当の法華経でないと、生長の家ではないのだと思います。
本流の偉い先生が仰られていましたが、人間神の子がわからないと、結局、天皇陛下の素晴らしさが分からないそうです。
せっかく生長の家に触れていても、神の子がわからないと、天皇陛下について苦しむので、どうしても、“神の子の道”を通るしかないそうです。
ご投稿誠にありがとうございました。再拝
3773
:
志恩
:2014/06/12(木) 12:51:27 ID:.QY5jUA6
「天使の言葉」の例の「月光の曲」という箇所のことですね。
あれは、曵馬野様も『諸作品』の方が、正しいと,言われました。,その上、
お山の皆様が、訂正後の言葉で、ずっと読まれていたとも、おっしゃいました。
そして、
私が、光明掲示板に、自主退去の身でありながら、柵越えして、入りまして、
本流の方々のご意見も、伺いましたが、皆様、口を揃えて、『諸作品』の方が、正しいと
お答えでしたので、あの戦いは、縹様と私の負けに なっております。
と言いますか,例え、縹様の御主張が、正しかったと致しましても、
教団・本流….揃って、『諸作品』の方が、正しいと言うのですから、
今後、あの言葉が、もとの『月光の曲』に,もどることは、残念ながら、不可能になりましたので、
ご報告させて頂きます。
3774
:
志恩
:2014/06/12(木) 13:34:45 ID:.QY5jUA6
縹様
3773の件
>>例え、縹様の御主張が、正しかったと致しましても、
教団・本流….揃って、『諸作品』の方が、正しいと言うのですから、
今後、あの言葉が、もとの『月光の曲』に,もどることは、残念ながら、不可能になりましたので、
ご報告させて頂きます。<<
につきましては、
「今の時点では」・・・に、訂正させて頂きます。
縹様が、とても、大事なことを、問題提起して下さいましたので、次期 生長の家総裁に替わりました折りには、
この件は、次期 総裁が、検討して下さる可能性は、ある と存知ますので。
3775
:
縹
:2014/06/12(木) 14:07:25 ID:oeUx5MQw
3765番 志恩様
合掌 ありがとうございます
こんにちは、志恩様、色々な事について教えて下さってありがとうございました。
お山のご住所をお教え下さいましたのは、お手紙を送れるようにですか?
>結局、雅宣総裁は「総本山という土地を護ることが、鎮護国家を護ることではない。」と、結論づけておられるというように聞こえました。
そうなのですか、志恩様は鋭いですね。
鎮護国家という言葉を、日本人にとっては、と限定されているのが気になりまして、曳馬野様にご返信させて戴きました。
多くの方々が、鎮護国家という言葉を、現象の日本国について使われますので、余計、総裁が反発されるように感じています。
総本山は、売却の方向に進んでいるのでしょうか?
総本山の事は、本流の方の逆鱗に触れるようです。雅宣先生側のものですので…。もう私も、本流のかたには、総本山のことを申し上げられないようになりました。
本流のかたは、総本山は既に、全然ダメになった、と感じておられるので、無くなっても気になられないかも知れないですね。
数々の資料をご転載下さいましてありがとうございました。
多分以前に、日本・鎮護国家というものを、悪しきナショナリズム的に、使用しすぎた過去があったのだと思います。その反動で、日本・鎮護国家という単語に悪いイメージがついてしまって、
でも、本当の意味での日本・鎮護国家というものは、狭い意味でのものでないと思います。
本流の偉い先生も、戦前にそれらの主義は、日本で悪い意味で使用されて、かえって国を危うくしたと残念がっておられました。
どうやっても私達は、人間神の子の道を通らないと、鎮護国家もままならないようになっているようです。
ですから、生長の家のかかげる、本当に鎮護国家が必要になってくると思います。
それにはまず、日本国の本当の姿を知らない事には、日本をいかようにすれば良いか分かりませんので、
日本の本当の姿をご説明させて戴きたいと思っていたのですが、
本当にそうしてもよいものか、解って戴けない可能性が高いように思えて躊躇しております。
そんな事を言っておれない程危機かも知れないですが…。
3776
:
縹
:2014/06/12(木) 14:16:24 ID:oeUx5MQw
3773.3774番 志恩様
合掌 ありがとうございます
志恩様、お気遣い戴きまして、誠にありがとうございました。
心より深く感謝申し上げます。
月光の曲の事で、ご訪問して下さったのですね、
私は数々の証拠になるようなものを見て参りましたので、私一人の秘密にさせて戴きますね。
このような事を申し上げると、知ったようなつもりになってと叱られるのですが、
生長の家は、神様が運営される本当に凄い教えだと感じています。
その神様は、全世界の人々の、一人一人の内に宿って、活躍しておられるのを感じています。
ですから、そういう意味での生長の家(大宇宙のこと)は、全然駄目になってないと思います。
教えられてます通り、それを感知できるかどうかであるような気がします。
志恩様は、私から離れられたほうが良くないですか? 私と一緒に居れば、疑われませんか。
未来の事は、神示集を直接お読みになられますとよく分かられると思います。
全世界の全ての人が、素晴しい神の子さんで、ご活躍中で、
私たちは、合掌礼拝せずにいられない程だと思うのです。
広い世界でもそうですが、
実際一番身近な所でも、
私たちの細胞は、刻々瞬間に生れ続けていて、
その新細胞は、必ず善なる姿なのですって。
その後、病念を持っていれば、どうなるかわかりませんが…。
しかし初めがそうであれば、私たちは、常に善である事になりませんか。
私たちは、常に常に善に生れ続けている存在なのですね。
神様が光源で、そこから届く光が私達なのですから。
そう致しますと、全世界の人々が、神の子で、必ず素晴らしくて、素晴しいご活躍中であることも不思議でないと思います。
みんなが一つの智慧に導かれているのを感じるのです。
だから、月光の曲の事も、いつか解決すると思います。
3777
:
解説者
:2014/06/12(木) 14:26:10 ID:???
>>3768
「破邪さんから」様
破邪顕正様の投稿をご紹介くださってありがとうございます。
光明掲示板の方に直接お返事させていただこうと思いましたが、「粛正」される恐れがありますし、光明掲示板の管理人様が「トキ掲示板のことはトキ掲示板で」との注意をされていましたので、ここでお返事をさせていただきます。破邪顕正様も管理人様のご指示に従ってくださらないと「粛正」されますよ(笑)。
破邪顕正様の「立ち位置」というのは、「議論が許されない“安全地帯”で演説する」ことですよね?
トキ掲示板「本流対策室」に「前原先生の教え子」という方から以下のような投稿がありました。
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1358853467/7951
>生高連全国幹部研修会での前原先生の言葉が忘れられません。それは、
「 お 前 ら は 豚 だ ! 」でした。
言い返すことができない高校生を相手にそのようなことを言われる前原先生と破邪顕正様は似てますね(笑)。やはり、お二人とも「学ぶ会」だからでしょうか(笑)?
さて、前置きはこのくらいにしておきましょう。
>「教団も教団だが、本流も本流」
常に、そういう言い方をして、自分の“立ち位置”をはぐらかそうとする。
「教団も教団だが、本流も本流」という私の立ち位置の基準になるのは、「谷口雅春先生の教え」以外の何物でもありません。
なぜなら、破邪顕正様は、光明掲示板で常々「雅宣総裁は独裁者である。早い段階で独裁者として見ていれば、現在のような混乱は起こらなかった」とか、「祈りは現実逃避であり、気休めにしかならない」と、仰ってますよね。これらの考えは破邪顕正様たち本流派が護ったと胸を張る『生命の實相』のどこに書いてありますか?(つづく)
3778
:
解説者
:2014/06/12(木) 14:26:51 ID:???
破邪顕正様
勘違いしてほしくはないのですが、私は「批判するな!」と言っているのではありません。「批判の先にあるのは何か?」が重要である、と申し上げたいのです。
そもそも大調和の教えを説く生長の家の運動において、和解をめざさないというのは「背教」ではありませんか?
そんなことを考えていたら、訊け様の掲示板で「元本部職員」様という方と訊け様の興味深いやりとりを見つけました。
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11764/1376694222/164
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11764/1376694222/165
訊け様の問いかけ
>いやさて、「和解ができぬ相手」なのですね、現総裁は。それでは「和解ができぬ相手」と相対する場合、どの様に振舞うのが正解なのでしょうか。(言うまでもなく〝正解〟とは、信仰に於ける正解の意味)
に対して、「元本部職員」様は、
>雅宣総裁に対する批判は、原因結果の法則がいま現象に現れている姿ですわな。
原因が取り除かれない限り続きます。現象の法則ですからしょうがありません。
雅宣総裁の実相は神の子ですから、遠くで現象を見ないでお祈りしましょ。
これが正解。と言いたいが自分の事ではなく多くの人が悲しんでいる現状ではあえて
背 教 と 言 わ れ よ う が 戦 う 人 も い る。
そういうこと。
「背教」であることを認めましたよ!
私は「谷口雅春先生の教え」が立ち位置ですから、「背教」行為であるところの本流派の立ち位置に立つことはできません。(つづく)
3779
:
解説者
:2014/06/12(木) 14:27:25 ID:???
破邪顕正様
>だって、“「鎮護国家」を外す教団も教団ですが”と言ってしまっている以上、この人は、このままでは「教団批判者」と烙印されてしまうわけです。
私は教区の人間ですが(現在は運動をしていません)、顔見知りの幹部には口が酸っぱくなるほど言ってます。納得の行く返答はもらっていませんが、話を聞いてくれる分だけ、まだ教区の方が懐が大きいと思っています。
きっと、破邪顕正様は、「では、どうするのか?行動を起こさないのか?」と仰るでしょう。
>…如何にせば谷口雅宣総裁の独裁の桎梏から抜け出し得るか、如何にせば『生命の實相』「聖経」を護り得るか、如何にせば谷口雅春先生の「鎮護国家」の教えを広め得るか……等々。
残念ながら、私は「生長の家を善くしよう」なんて、まったく思っていませんし、これまで思ったことがありません。破邪顕正様だって、教団に在籍なさっていた頃はそうだったと思います。「谷口雅春先生の教え」は、教団のためにあるのではなく、全人類のためにあるわけですから。
谷口雅春先生が「生長の家出現の精神」の中で仰った「如何にせば」の先にあるのは、全人類の幸福のはず。「学ぶ会」の「如何にせば」の先には教団という、ちっぽけな容れ物の変革程度のことなんですね。
私の「行動」は、本流・教団に関係なく、私の与えられた場で「谷口雅春先生の教え」を実践し、広めていくことです。
従って、「教団」及び「学ぶ会」の立ち位置に立つことはできません。
感謝合掌
3780
:
志恩
:2014/06/12(木) 17:49:38 ID:.QY5jUA6
お山の現住所は、
今は、どなたもお住まいでないようですので、書きました。
お山は、藤棚の家と同様に、生長の家のパワースポット的存在だと思います。
原宿駅から、徒歩15分~20分くらいのところにあります。
門の前までしか行かれませんが、お家は門から入り、石段で出来た坂道の小山の上にあるので、
お山といわれていました。お住まいは、見上げるかたちで、昔は、見ることが できましたが、
現在は、どうなのかは、しりません。
いらしても、門の前までしか、行かれないと思います。
3781
:
志恩
:2014/06/12(木) 17:54:37 ID:.QY5jUA6
昔、私が、本部職員時代は、お山に用事があるときは、自由に出入りさせて頂いていましたけれど。
3782
:
マリーゴールド
:2014/06/12(木) 18:33:08 ID:???
>>3761
>>3762
縹様
合掌ありがとうございます。
昨夜、縹様の投稿に対して、私は返信の投稿を3つさせていただきました。
しかし、縹様は昨夜のご自身の投稿を、削除要請されました。
その後、私も昨夜の3つの投稿を、縹様の削除要請に伴い、削除要請しました。
現在、管理人様が削除されましたから、昨夜の縹様と、それに伴う私の投稿はございません。
よりまして、返信は控えさせていただきます。
3783
:
ももんが
:2014/06/12(木) 20:48:45 ID:oI68lYAA
縹様へ
合掌 拝
お返事やっと、お読み下さったようで、ありがとうございます。
ですけど?まだ、まだ、正直違うと思うのでが?。
縹様は、何やら、この雅春先生の神示が、正しいの一点張りに、"転換"されたわけですよ。
御自身が、"誤認"と取られる様な御発言されたました。それは、違うとうおもいます。何か思い違いされて、回答、されるように、思います。
私は、学問的であるか、どうか、別として、縹様に、"質問"したわけです。
そして、以下の、縹様の以下のご解答を、"雅春先生の誤認"ですねと、確認を申し上げたのです。
<<<<本流の偉い先生は、この時、谷口雅春先生は、その場面を御存知無かったと仰られていました。>>
と、上記の縹様の御言葉をもって、私は、"誤認なのですね"と確認を申し上げたのですよ。
それが、その後は、耳は、貸さず、伊達家のお話や、ホムペの神社と電話のお話に展開されて、行かれて、他の方とお話されて、挙げ句、私のことを、"ももんが、悪い"みたいな、方向に、お話を展開されて行かれたのは、縹様の、勝手なお話です。
私は、伊達家のことも、ホムペも、ある程度は、知ってます。
でも、そうであれば、質問は、しません。
前にも言いましたが"社"は、江戸時代のお話ですよ。
あの社に、鹿島神も、香取神の御霊が、居ない、空御輿だから、て、ことです?
そこが、変だと思ったんです。
神田明神でも、将門公を明治時代に、空御輿にして、昭和大河ドラマを記念して、御霊復活させたらしいかい。
香取神も、鹿島神も、何百年も前に、自分の社の関東に帰還されていてるわけです。しかも、当地に、残ったのは、平和が回復した為だとか、そこで、塩のつくり方を教えていたのでしょ。
と?考えると、おかしいのですよ。
しかも、関東にも、住吉の神は、御一緒に居ます。
息栖神として?
だから、押し込まれたて、観かたは、変だなと、思いませんか?
私は、兎に角、御霊が、無いのに、押し込まれたのは不自然と思うので、質問したんですよ。
合掌 拝
3784
:
縹
:2014/06/12(木) 21:41:46 ID:oeUx5MQw
3780.3781番 志恩様
合掌 ありがとうございます
こんばんは、お山の事を教えて下さってありがとうございました。
志恩様は思い出が沢山でいいですね。
私は、お山で働かれておられた方からお話しを伺うだけです。
雅宣先生は、幼少時、一番優しくて、いい子であったこと、
お風呂から上がってくるのが遅いので、見に行ったら、後に入られる、お山で働かれている皆様のために、
一生懸命追い焚きをされていたとか、
働かれている皆様のために、代わりにお布団を敷いて下さったりとか、
一番お優しかったそうです。
そして、ある日、お山の風呂桶がふと壊れた時、
雅春先生が一生懸命直して下さったこと。
その他も、とても楽しいお話しを伺って、本当に心から笑いました。
そうした方々は、“神縁”で繋がっているのを感じました。
法華経関係の先生でしたから、きっと前世で、そのご縁が強くてらしたのでしょうね。
やっぱり法華経の力は凄いですね。
浅草寺も法華経のお寺でしたね。
3785
:
縹
:2014/06/12(木) 21:57:20 ID:oeUx5MQw
3782番 マリーゴールド様
合掌 ありがとうございます
こんばんは、マリーゴールド様、
いつもご親切にありがとうございます。
投稿文が無いですか、申し訳ございません。
私の削除のせいでマリーゴールド様も削除申請を、三つもして下さり、
お手数をお掛けしてしまい申し訳ございませんでした。
トキ様も申し訳ございませんでした。
マリーゴールド様がお越し下さって嬉しかったです。
ありがとうございます。
3786
:
縹
:2014/06/12(木) 22:31:11 ID:oeUx5MQw
3783番 ももんが様
合掌 ありがとうございます
こんばんは、ももんが様、前回の神示についてのご説明で、ほぼ、その神示の箇所はご説明を終了させて戴いたと思っておりましたので、ももんが様が、まだ疑問を持っておられる事に驚きました。
><<<<本流の偉い先生は、この時、谷口雅春先生は、その場面を御存知無かったと仰られていました。>>
>と、上記の縹様の御言葉をもって、私は、"誤認なのですね"と確認を申し上げたのですよ。
どうしてこちらが、誤認となりますでしょうか?
雅春先生は、神様からメッセージを受けられた、とそれだけの事です。
>それが、その後は、耳は、貸さず、伊達家のお話や、ホムペの神社と電話のお話に展開されて、
そうですか、以後気を付けます。
>挙げ句、私のことを、"ももんが、悪い"みたいな、方向に、お話を展開されて行かれたのは、縹様の、勝手なお話です。
そうですか、申し訳なかったです。
>あの社に、鹿島神も、香取神の御霊が、居ない、空御輿だから、て、ことです?
>そこが、変だと思ったんです。
空神輿? そんな事は、神社の方は一言も仰っておられませんでしたよ。
あまり度々、お電話するとお邪魔ですので、今度はご自身でご確認して戴けませんか?
>香取神も、鹿島神も、何百年も前に、自分の社の関東に帰還されていてるわけです。しかも、当地に、残ったのは、平和が回復した為だとか、そこで、塩のつくり方を教えていたのでしょ。
>と?考えると、おかしいのですよ。
おかしいですか? 現にまだお祀りされていまして、神示は、その事へのご指摘でしたね。
塩の造り方を教えていたのは、別の神様ではないでしょうか?
前回もお話しさせて戴きました通り、山麓に、塩造りの神社があるそうですよ。
私は現地を訪れさせて戴いた事がないので、現地の方にお尋ね戴けませんか?
>しかも、関東にも、住吉の神は、御一緒に居ます。
>息栖神として?
これは、どこの事ですか? 私は、現地に実際足を運んだ事が無いのです。
>だから、押し込まれたて、観かたは、変だなと、思いませんか?
変では無いですよ、神社のお祀りの仕方として、社殿が小さく、脇に造られているのですから。
>私は、兎に角、御霊が、無いのに、押し込まれたのは不自然と思うので、質問したんですよ。
どうして御霊が無いのですか? その御霊とは、香取神・鹿島神の事ですか? 塩土老翁神の事ですか?
実際にお祀りされてあるのですから、そんなことはないでしょう。
ももんが様は、どうしてそこまでこだわられるのですか?
3788
:
あめり
:2014/06/12(木) 23:54:05 ID:H3PMcaFg
>>3770
縹様
合掌ありがとうございます。
たくさん返信なさらなくてはいけないのに、お心遣い頂き、本当に恐れ入ります。
助けなどとんでもないです…
縹様はこころ優しい方ですね。
そして無理どころか、わたしは嬉しくて仕方ないのですから、あまりご心配されませんようにいてください。
生長の家の素晴らしい出現の霊的意義をこの機会にまた改めて学ばせて頂き、喜びが湧いているのです。
(そして、この喜びや感謝からはなれてしまうときは、不安や「問題」が起こってしまうのでした…)
生長の家の信仰の喜びを語りたい信徒はたくさんいますし、
縹様の書き込みも励みになっているのは私だけではないと思います。
…総本山を諦める、という人がいるのを聞いて私も残念ですし、縹様はもっと想うところもおありかとおもいますが、
これからもどうぞご活躍願っております。
>>神示集や雅春先生の古事記をお読みになられると、良いと思われます。
私はそれを拝読させて戴き、未来に対する不安は消えました。<<
アドバイス頂き誠にありがとうございます!
…実は、数日前より、「古事記と現代の予言」や神示講話集などを開き始めたところでした。
縹様は霊感があるので、おわかりだったのでしょうか(笑)
いまの現状に不安に想う知人にも、古事記や神示の勉強をお誘いしてみますね。
また楽しみが増えました。
私も、信仰の喜びをもって、私らしく学び続けていきたいと思います。
これからも、どうぞ掲示板にてご活躍され、教えてくださいませ。
ありがとうございます。
拝
3789
:
あめり
:2014/06/12(木) 23:56:38 ID:H3PMcaFg
他の方の対話のなかなので失礼ですが、
生長の家の「如何にせば」ということをいえば、「行動」とは、「真理に触れた喜びそのもの」だと改めて思わされました。
今朝謹写させて頂いたご文章でもありました。
>>神は“一”であると同時に“全”であり“多”である。“一即多”“多即一”であり、一神即万神であり、一仏一切仏である。
しかし神は自己の個性化的顕現をもって、自己内在の無限を表現し給うのであるから、同一個性をもって万人又は万物があらわれることを嫌い給うのである。
それ故に“一神即万神”として色々の使命をもつ神々を顕現し給う。また“一仏一切仏”として無数の如来を顕現し給い、その使命又は役割も、個性をもって各々異なり給うのである。<<
中心に一なる神があり、万神の個性が調和の展開として顕れる、
というのは、神の子である人間の活動も示しているように思います。
解説者様が、自分の置かれた立場で真理を伝えることを書いてらっしゃいますが、
家庭人であっても社会人であっても、どの立場であっても置かれた場で個性を発揮し、
神の子の命を喜び、自分の周りから光明化していくということですね。
生長の家に触れてどんな運動すべきかということがありますが、
中心に神がある運動であり、それぞれの個性に応じて展開する運動であってほしいです。
環境運動でも政治運動でも、
中心にあるはずの信仰が置き去りにされた運動では、調和の展開でなくなるようですから…。
縹様のお言葉が嬉しくなります。
>>全世界の全ての人が、素晴しい神の子さんで、ご活躍中で、
私たちは、合掌礼拝せずにいられない程だと思うのです。
広い世界でもそうですが、
実際一番身近な所でも、
私たちの細胞は、刻々瞬間に生れ続けていて、
その新細胞は、必ず善なる姿なのですって。
その後、病念を持っていれば、どうなるかわかりませんが…。
しかし初めがそうであれば、私たちは、常に善である事になりませんか。
私たちは、常に常に善に生れ続けている存在なのですね。
神様が光源で、そこから届く光が私達なのですから。
そう致しますと、全世界の人々が、神の子で、必ず素晴らしくて、素晴しいご活躍中であることも不思議でないと思います。
みんなが一つの智慧に導かれているのを感じるのです。<<
みな、いま神の命を生きることに気づき、それを礼拝することが真理を生きることと感じ、ありがたいですね。
再拝
3791
:
志恩
:2014/06/13(金) 03:53:48 ID:.QY5jUA6
あめり様
あめり様がいらしてくださって、本当に、うれしいです。
あめり様は、真理をよく咀嚼されていらして、その真理を 平易な言葉で、自由自在に
表現がお出来になるすごい文才の持ち主でいらっしゃいます。
縹様も、よろこんでいらっしゃると思います。
あめり様ー
>>中心に一なる神があり、万神の個性が調和の展開として顕れる、
というのは、神の子である人間の活動も示しているように思います。
(略)
家庭人であっても社会人であっても、どの立場であっても置かれた場で個性を発揮し、
神の子の命を喜び、自分の周りから光明化していくということですね。
生長の家に触れてどんな運動すべきかということがありますが、
中心に神がある運動であり、それぞれの個性に応じて展開する運動であってほしいです。
環境運動でも政治運動でも、
中心にあるはずの信仰が置き去りにされた運動では、調和の展開でなくなるようですから…。<<
志恩ー
これ、ポイントですよね。
3792
:
志恩
:2014/06/13(金) 04:05:54 ID:.QY5jUA6
このうちの
「環境運動でも、政治運動でも、
中心にあるはずの信仰が置き去りにされた運動では、調和の展開でなくなるようです。」
ということですが、
いまの「教団」は、中心にあるはずの「信仰」を、抜きにした、「信仰」を置き去りにした「環境運動」を
試しに、されてみているのだと思います。
3793
:
志恩
:2014/06/13(金) 04:24:23 ID:.QY5jUA6
トーキングスティクボード
(過去文)
〜信仰について、宗教について語られていた初心者様とさくらちゃん(さくらちゃんは、初心者様だという説がありますが、真偽は不明です)〜
317 :初心者:2011/10/19(水) 16:43:44 ID:4IaAZAME
さくらちゃん
>また、宗教運動の目的が、はっきり、「欲望」に基づくもの、と認識されないところも
(目的は、地上天国実現のためなどとする)問題であるように、思えることもあります
宗教の根底に欲望の実現があるのは、事実でありますね。生長の家では、一般的に、欲望が実現したときに、
「実相があらわれた」といい、欲望の実現がさまたげられているときに、
「これは現象だ」とか「それは迷いだ」とかの言い方がなされているような気がいたします。
健康でありたいとか、経済的に豊かでありたいとか、結婚相手を見つけたいとか、これはすべて欲望でありますよね。
信仰とは、欲望の実現のためにあるといってもよいものですが、
一方では、欲望を捨て去ることが、信仰の場で要求されたりもいたします。信仰によって欲望を実現していながら、
欲望を実現したわけではないと考える。こうしたダブルバインド状態のなかで、
個人や組織の在り方が次第にゆがめられていくという現実がたしかにある、ということがいえそうでありますね。
>なるほど、言葉以前の、世界ですね。
人間の、本来の霊性が取り戻される、状態とも言えそうですね。
このような状態は、当然、既存の宗教組織の存在意義は、失われていく、と考えられるのですが、違いますか。
ブッダやキリストは、ジュリアン・ジェインズの二分心の仮説によれば、左右の脳が脳梁でむすばれたことで、
高度な言語能力を獲得した人類が、自然状態をはなれ、文化状態へとひきこもったことによって生じた不具合を矯正するために登場したということになっていますね。
この意味では、既存の宗教の存在意義は、自然状態への回帰とともに、失われていくことになると考えられるはずでありますね。
>しかし、一気にその状態へ移行することはないので、
その過程での、今の組織のあり方の変容を考えていく必要があるのではないでしょうか。
わたしは実は、「今の教え」による組織の方向性をそれぼど関心を持って、把握しようとしてなかったから、はっきりいえないのですが、
「今の教え」による組織のあり方をこの過程として考えた時、
あながち、全く外れている、とは言えないのではないか、と思う所がありますが、いかがでしょうか。
わたくしは以前から、教団の今のありようは、変容のための過渡期であるという言い方をしているはずであります。
過渡期においては、なにごともそうですが、不都合な出来事がつぎからつぎと起こってくるものでありますね。
それを見て、人は非難や批判の集中砲火をあびせつづけることになるのですが、これは、過渡期においては
いつの時代にも起きてくる、ありがちな現象なのでありますね。
生長の家は変容の時期をむかえていると、個人的には考えております。
言葉の世界に閉じ込められた個人意識に救済はない。
これが、変容を必要と考える理由であります。現教団の方向性は、ほとんど自覚はされてはいない内的な衝動に促されて、
自然状態へと 変容する方向へ向かっているような気がいたします。今は その過渡期であるということであります。
つづく
3794
:
志恩
:2014/06/13(金) 04:33:34 ID:.QY5jUA6
つづき
生長の家の今後の運動や真理について、真面目に考えておられた初心者様の過去文
トーキングスティクボード
01 :初心者:2011/11/06(日) 14:51:42 ID:hogyfr1M
おもえば、生長の家の運動は、神想観と実相知と、そして神によってなされてきた
のであります。その、神想観によってなされたはずの運動が、失敗につぐ失敗という
現実となってあらわれてきたのでありますね。
それはなぜなのか、問題点はどこにあったのか。それをこの場で考えようとして
いるところでありますが、「理屈ではない、神想観せよ」との回答が与えられました。
こうした回答が与えられるところに宗教の本質があるようにおもいます。神想観に
よる失敗を神想観で解決する。こうした無限後退のループを温存させることで、
問題の解決を永遠に先送りできるというのが、宗教の宗教たるゆえんであるような
気がいたします。
………………………………………………………………………………………………
603 :初心者:2011/11/06(日) 15:45:32 ID:hogyfr1M
わたくしはこちらで、真理と救済はべつものだ、ということを申し述べさせていただい
ております。これによって救われた、だからこれは真理だ。人はこのように思い込もう
といたします。
救われた、とはどういうことでしょう。それは、不都合な出来事が消えて、自分にとって
都合のよい出来事が起きた、ということでありましょう。自分にとって都合のよい
出来事が起きた。だからこれは真理だと、人は考えてしまうのでありますね。
悪はない、善のみがある。これは真理でしょうか。悪とは、不都合ということですね。
善とは好都合ということですよね。自分に不都合なものはなくて、都合のよいもの
だけがある。これが真理ということになるのでありましょうか。
悪はない、善のみがある。これは真理ではありません。これは救済です。都合のよく
ないものはなくて都合よいものだけがあるとすれば、これは、救済ではあっても、
断じて真理ではないということを、ここで強くいっておきたいとおもうのであります。
善や悪とは、言語による2分法でしかありません。善の反対が悪であり、悪の反対が
善であるという、相対的な尺度による2分法でしかないのであります。こうした2分法
で真理が語れるはずがありません。善悪とは「無の関門」以前の問題なのであります。
善悪の判断で真理を語ることはできません。語れるのは救済であります。「善一元の
世界」とは、真理ではなく、救済について語られた言葉なのであります。「神は善なり。
善一元の世界、これが真理だ」と口に出した途端に、その人は大きな過ちをおかした
ことになるのであります。
3795
:
志恩
:2014/06/13(金) 04:42:28 ID:.QY5jUA6
(飛びましたが,3793のつづきです。)
「自然」に向き合う運動への展開について、ふれておられます。
320 :さくら(=初心者様だという説。ありますが??):2011/10/19(水) 21:49:02 ID:T/77sMGw
>317
初心者さまへ
宗教において、欲望をなくしたい、悟りたい、浄化したい、などの「欲望」もありますね。
一部の世界の宗教的な行事や祈り、苦行も、結局、ある「欲望」を果たすための形になってしまった気がします。
トキ様の文章引用。
>例えば、お金や地位が欲しい、というのも「欲望」ですが、「世の中を良くしたい」「困っている人を助けて挙げたい」「生長の家を広めたい」というのも欲望です。
人間である以上、
欲望から解放される事はないとは思いますが、その欲望の内容を高い方向へと変化させることは可能だということでしょう。
つまり、最初は、成功をしたい、とか、病気を治したい、という動機ですが、最後は、天皇陛下のため、世界平和のため、というレベルになるのでしょう。
この辺りは、法華経の火車のたとえに似ていると思います。
本来の信仰の原点は、神に対する、感謝と畏敬の念から出発して、その恐れ多いものに対しての敬いの儀式だけだったのではないのでしょうか。
お釈迦さまも、(雅春先生も、)結局、苦行は、全て無駄だったと、そのままの心、無為自然の心境となって、悟りを開かれたののだと思います。
いつも、乱暴な、言い方ですけど、組織の体質は、この「欲望」を絶えず喚起するような気がします。
だから、ある形の宗教にかかわれば、結局「欲望」からは、逃れられないのではないかと、そんなことも考えます。
>ブッダやキリストは、ジュリアン・ジェインズの二分心の仮説によれば、左右の脳が脳梁でむすばれたことで、高度な言語能力を獲得した人類が
、自然状態をはなれ、文化状態へとひきこもったことによって生じた不具合を矯正するために登場したということになっていますね。この意味では、
既存の宗教の存在意義は、自然状態への回帰とともに、失われていくことになると考えられるはずでありますね。
宗教組織の求心力が落ちているのは、ある一面からすると、良い兆候なのではないかとも思えます。社会的な原因は様々、あると思いますが、
人の意識の中にも、時代の変化が流れているので、新しい形を、無意識にでも望んでいるのかもしれません。
>生長の家は変容の時期をむかえていると、個人的には考えております。言葉の世界に閉じ込められた個人意識に救済はない。
これが、変容を必要と考える理由であります。現教団の方向性は、ほとんど自覚はされてはいない内的な衝動に促されて、
自然状態へと変容する方向へ向かっているような気がいたします。今はその過渡期であるということであります。
そのような流れが、見えてくると良いですね。
過渡期?と思われる、今の生長の家の方向で、全く個人的に、おおざっぱに、良い流れだと思ったこと。
原理主義発言は問題になりましたが、雅宣先生は、宗教による、いわゆるシニフィアンの暴走を非常に懸念され、この方向を防ごうとされたこと。
奇跡的な体験などについての言及をされず、ご本人の言葉や文章も神聖化されなかったこと。
自然に向き合うことで、自然への恐れ、を取り戻そうとされていること。
右脳的活動の推奨。
炭素ゼロ運動により、移動を少なくして、地域の小規模体制が強くなると考えられること。数にこだわらない運動をしていくこと。
インターネットの活用なんですが、これは、組織のしがらみとか利害関係を超えて交流するのに、よい働きをしていると思います。
同じ志をもって繋がった有志が、社会への働きかけをしたり、(たとえばボランティアを募ったり)するようになってます。
今までの組織のような形にこだわらず、ネットの繋がりで場所や立場を超えて、ある意味ゆるい共同体のようなものができるのではないでしょうか。
自分の得意分野を生かして、そこで社会の働きかけや、人の役に立てたりする。
よい志をもっている、(特に生長の家の信仰をもつ仲間などは)そんなつながりが、出来るのではないかとも思います。
3796
:
志恩
:2014/06/13(金) 04:48:54 ID:.QY5jUA6
3794:
× 01 ◯ 601
3797
:
志恩
:2014/06/13(金) 04:56:32 ID:.QY5jUA6
なぜ、過去文を再掲させて頂いたかといいますと、初心者様の宗教・信仰に対する考え方を知って頂くためです。
3798
:
志恩
:2014/06/13(金) 05:08:48 ID:.QY5jUA6
光明掲示板より
“月光の曲”についてNEW (9096)
日時:2014年06月13日 (金) 02時27分
名前:あめのうずめ
皆様ありがとうございます。
トキ掲示板における縹様の説について、いちいち取り上げて反駁するつもりはありませんが、
どうしてもこれだけは、お伝えしたい事があります。
縹様は、「数」を御自身の論の立証の為に、良く用いられますが、
「“月光の曲”は、13分代であって、3つの楽章からなっている」と述べられていました。
そして“13”や“3”が、御自身の説に符号していると、大変驚かれた様子で仰っていましたが、
これは正しくないと思います。
この内容は、昨年の11月末頃の御投稿でしたが、その時から気になって仕方がありませんでした。
たまたま“月光の曲”の話が出ましたので、思うところをお伝えしたいと思いました。
どのピアニストも、譜面にある速度記号を無視して演奏する事はありませんが、
その速度記号の許容範囲に於いて、演奏家自身の曲への解釈によって、演奏速度は異なります。
したがって、“月光の曲”は、13分何秒という決まりなどは、全くありません。
ちなみに、私の持っている遠藤郁子さんのCDに収録されている月光は、収録時間は16分を越えています。
実際のコンサ−トでお聴きした時は、CDよりももっと緩やかに演奏されている様でした。
また、ピアノソナタですから、通常第3楽章、時に第4楽章まであるのは、当たり前の話であって、
ベ−ト−ベンの三大ソナタと呼ばれる、月光、悲愴、熱情は、すべて第3楽章まであります。
私は“月光”が好きなので、この曲の“名誉”を傷つけられた気がして、どうしても投稿せずにはいられませんでした。
申し訳ありません。。
3799
:
志恩
:2014/06/13(金) 05:57:18 ID:.QY5jUA6
縹様へ
あめのうずめ様が「月光の曲」の13分に、疑問を呈されましたので、
恐れ入りますが、ここの板で、あめのうずめ様に、お返事をお願いします。
3800
:
志恩
:2014/06/13(金) 06:21:32 ID:.QY5jUA6
(志恩:過去文ですが、これでしょうか?)
2238 :縹:2013/11/25(月) 19:27:54 ID:oeUx5MQw
志恩様
(略)
ピアノソナタ第14番(月光の曲)は、3楽章からなる。
ベートーベン1801年に作曲した曲―――ピアノソナタ13番と、
組になって一つの作品(作品27)として発表されていた。
日本では、寛政(かんせい)13年。
月光の曲は、3楽章に分かれていたのですね。
そして、3楽章で、およそ13分、(13:38分)
これは、偶然なのでしょうか? 13という数字が、3回ほど出てきますね?
1801、13、27、「かんせい」という文字もあります。
13番と14番で一組の作品27だった、ということですが、
11,27−34、とすると、すごい数字になりますが、これもまた偶然か こじつけになるのでしょうか??
11月27日は、『終戦後の神示』の天下った日です。
そして、34は、斎女の神の数字です。(正確には、妙音菩薩)
3801
:
志恩
:2014/06/13(金) 06:34:56 ID:.QY5jUA6
・ピアノソナタ・ 🎹
op.27-2 『月光』
ベートーベンのピアノソナタの中では,おそらく,最も良く聞かれるのがこの『月光ソナタ』でしょう。
構成は以下のように,3つの楽章からなっています。
楽譜[第一楽章]
『月光の曲』といえば,あまりにも有名すぎて,コメントのしようがありません。((TB)48)
①[標準演奏時間 5 分 09 秒(.mid/13k, .lzh/5k)]
楽譜[第二楽章]
[第一楽章]とは対照的に,軽やかな曲です。[第一楽章]と[第三楽章]の「つなぎ」という感じが大いにします。
なお,速さの変化を付けやすくするため,データ中では 3/8 拍子にしてあります。((TB)96)
②[標準演奏時間 2 分 06 秒(.mid/8k)]
楽譜[第三楽章]
速いテンポと激しい出だしのこの曲は,[第一楽章]と同様に良く聞かれるでしょう。
なお,速さの変化を付けやすくするため,データ中では 4/8 拍子にしてあります。また,楽譜上の繰り返しは,「くどい」と感じたので,カットしました。
更に,YAMAHA(XG) 用のデータ (27_23be3.mid) では,不快な『パフパフ音』を減らすため,一部の音を 1 オクターブ上げてあります。(→ 関連した『研究室』)((TB)96)
③[標準演奏時間 5 分 16 秒(.mid/36k, .lzh/15k)]
………………………………………………………………………………………………………………………………………………….
webに、ベートーベンの「月光の曲」の ※標準演奏時間※ というのが、載っていましたが、
①②③を、合計しますと、12分31秒でした。演奏者によって、多少の演奏時間のずれが、あるのでしょう。
3802
:
縹
:2014/06/13(金) 12:53:55 ID:oeUx5MQw
3788.3789番 あめり様
合掌 ありがとうございます
こんにちは、あめり様、丁寧にお返事下さってありがとうございました。
あめり様は、信仰的な態度を重視される方でらっしゃるのですね。
大事な事だと思います。
私が掲示板に残っても良いと仰って下さってありがとうございます。
とても辛いですが、せめて総本山の行く末を見届けるまででもと…。
ここにきて、総本山が大事か、もうあれは雅宣先生の物になったので別物になったと、意見が分かれましたが、
みんな生長の家の方なので、仲よくして行きたいですね。
先日の輪読会で、偉い先生が新細胞について教えて下さり、
嬉しい気持ちで帰り道を辿りました。
いくら論破しても、相手は変わらないと教えて下さった事もあります。
聖典に、こうこう書いてあるという事を沢山知って、物知りになる事が目的でないと。
その先生は、楽しく信仰していれば、みんな寄って来るよ、という方針でした。
私は、沢山の信徒の方が、今苦しんでおられるので、生長の家の御教えの偉大さを知って戴ければ、苦しまずに済むのにと思って、掲示板上にお邪魔させて戴いてました。
生長の家は、通常知られているよりも、もっと偉大な教えなのだと思うのです。
(知ったつもりになってと叱られます)
多分、周囲の皆様は、あめり様に、私に近づかない方が良いと思っておられるのではないかと思うのですね。
私も人を動かすのが嫌いで、それぞれが自由に振る舞って戴きたいほうですので、自分の影響を及ぼすのが、あまり好きでないのです。お助けするのが好きなので、あれこれしていますが。
でも、あめり様は、あめり様らしく振る舞われるとのことで、私も安心しました。
温かい数々のお言葉、本当にありがとうございました。再拝
3803
:
縹
:2014/06/13(金) 13:18:05 ID:oeUx5MQw
志恩様へ
合掌 ありがとうございます
こんにちは、志恩様、今日も沢山の事を教えて下さってありがとうございました。
志恩様は、資料を探されるのがお上手ですね、ご親切にありがとうございました。
私も、以前から初心者様のご意見にもっと耳を傾けさせて戴いていれば良かったと思いました。
人を理解する事の大切さを、志恩様の温かいお人柄から学ばせて戴きました。
今朝、お聖経を読ませて戴いてましたら、今日あたりに浅草寺で、何か記念日があるような気がしまして、浅草寺のHPを拝見させて戴きましたら、
6月17日が、勝海上人忌で、浅草寺、開基・勝海上人様の遺徳を讃える法会がある、となっていまして、驚きました。
6月17日は、雅春先生がお亡くなりになられた日ではないですか。
http://www.senso-ji.jp/annual_event/index.html
6月17日については、今まで何度も取り上げさせて戴いて参りましたが、もうこれは、偶然ではないですね。
あめのうずめ様のご意見についても、教えて下さってありがとうございました。お手数をお掛け致しました。
それから、昨日のお山にお務めになられていた方の事ですが、雅宣先生以外の方の事は、随分仰られていて、
雅宣先生が断とつに良い子であったそうです。ごく幼少時の事です。
3804
:
縹
:2014/06/13(金) 14:03:03 ID:oeUx5MQw
資料として再掲
3742 :縹:2014/06/11(水) 00:00:46 ID:oeUx5MQw3677番 ももんが様
(中略)
谷口雅春先生は、
「水火津霊は、また“水火交ム”(塩釜)とも申上げ、いずれも「創造」の神・龍宮の神の化身であります。」
と、お教え下さってます事が、『神の真義とその理解』にございます。
学問の世界では、そうではないですが、谷口雅春先生のお悟りが正しいと思います。
(中略)
偉い先生にお伺い致しますと、学術的な記述とは、かけ離れているのだが、谷口雅春先生はそのように書かれておられるとのことで、
先日も、塩釜神社のお祭りと、浅草寺の四万六千日が同じ日であったということが分かり、
学術的には、同一とはとても見えない神様が、同一の神様であることがわかります。
3805
:
縹
:2014/06/13(金) 14:04:22 ID:oeUx5MQw
資料として再掲
3744 :縹:2014/06/11(水) 00:34:48 ID:oeUx5MQw志恩様へ
合掌 ありがとうございます
光明掲示板を拝見させて戴きました。皆様も亀の子様も色々と資料を出してきて下さってありがとうございます。
私は、当時をご存じの先生から、直接、もうご本人のお名前は忘れましたが、
「あの時は、音楽学校の学生の、誰々が、谷口先生が間違われていると思って、相当悩んで悩んで、とうとう打ち明けに行った。ものすごく悩んでいた」
とお聞きしていますので、それが本当だと思います。
それで私が、「実は、月光の曲の時から、難聴になっていた、ということが分かったのです」と申し上げますと、とても驚かれていました。
それから、学術的な事を根拠に、真理を間違っている、と指摘する事は、して為になる事もございますが、インスピレーションが大事な事につきましては、そちらを優先すべきだと思います。
塩釜神社の神様と、浅草寺の観音様が、同じ神様であることなど、学術的には、到底説明が出来ないですが、
先生のインスピレーションによって分かって、その後、後の世になってから、お祭りの日が、同じ日であった、ということまで判明したのですから、こうした事は、インスピレーションが優先だと思います。
お聖経に関しましては、神がかり状態で書かれたということでしたから。
そして、私は今まで月光について調べさせて戴いて、確信がございますので、一番最初に、谷口雅春先生に天降ったのが、「月光の曲」であったという事が、今回亀の子様がお出し下さった資料を拝見させて戴きまして改めて分かり、月光の曲であることは、本当に凄い事だと思いました。
以前から、総本山と月の関連について何度も書かせて戴いて参りましたので、今回総本山についてのお話しの時に、これが分かったという事がまた不思議です。
3806
:
縹
:2014/06/13(金) 14:28:12 ID:oeUx5MQw
今日、浅草寺の開基、勝海上人忌が、6月17日であることを知りました。
6月17日は、雅春先生のお亡くなりになられた日で、藤棚の家の番地でもあり、日蓮上人の開闢された山の開闢の日でもあります。
この数字に関して知りえました事を再掲させて戴きます。
・・・・・・・・
浅草寺の観音様は、推古天皇の時代に出現されました。
ということは、聖徳太子の時代からです。
聖徳太子は、仏教を元にした国づくりをされましたから、万教帰一の吉祥卐の観音様のマークのような善政をされた事になると思います。
そして、十字や卐は、|と―で、「セイ・チョウ」ということになっています。
ということは、聖徳太子の御世から「セイ・チョウの家」の精神は、浅草寺の観音様の吉祥卐として存在し続けていた事になると思います。
途中、途切れたのを、また繋ぎ治そうとして、再出現した形になると思います。
「釈迦が法華経を説くときわれがあらはれたのは、釈迦は法華経を説いたとき『生命の實相』を説いたからである。『生長の家』にわれが顕はれたのは『生長の家』のとくところは『生命の實相』であるからである。
『生長の家』も久遠の昔からあり、『生命の實相』も久遠の往昔からある。」
(浅草寺は、法華経のお寺です)
「|と―との十字の中心は光の放射を象徴つたものであつてその中心を『光の本(ひのもと)』と言ふのである。」
「高天原――瑞穂の国――生長の家――この三つは三位にして一體である」
とこのように神示にもあります。
・ ・ ・
憲法を調べて行くうちにも、万教帰一が日本の国体なのだと分かりました。
万教帰一が壊れる時に、万教帰一こそが日本国なので、日本が壊れるのだと思います。
それに、そうした日本の實の姿が、生長の家総本山の存在なのだと確信しました。
ですから、総本山を捨ててでも、日本を護ろうとする事は出来ないと思います。
極端な申し上げ方をすれば、総本山が日本国の實相の一角になっているので、それを欠落させて、日本の實相顕現はありえないと思うのです。
・ ・ ・
続く
3807
:
縹
:2014/06/13(金) 14:38:41 ID:oeUx5MQw
(続き)
「縦に無限に生びることを『生』と言ひ、横に無限に長びることを『長』と言ひ、」と、
『久遠天上理想國實現の神示』には、生長の家とはいかなるものかが書かれてあります。
日蓮上人が開宗された山もセイチョウ山で、鯛が集まってきた「鯛の浦」という場所も近くにあるそうで、
鯛という魚は、鹽椎の翁が釣針を探して下さった時に、鯛の喉にひっかかっていることで釣針が発見出来たという言い伝えがございますので、日蓮上人は、さすが同じく法華経を説かれた方であられると思いました。
それが旧暦でしたら4月28日の主権回復の日で、新歴では5月26日にあたります。
数年後の旧暦の5月26日から、『立正安国論』も著されはじめられています。
5月26日と申しましても、新暦旧暦となっていますから、この日付を定めて書き始められたのではなく、偶然であったと思います。
でも、後世になると、同じ5月26日であったことがわかったのですね。
その5月26日は、華厳宗総本山の大仏開眼の日で、
生長の家総本山は、華厳の真理を納める所ですが、
谷口雅春先生の最後の御説法の日が、同じ5月26日でした。
そしてその次の日が、『久遠天上理想國實現の神示』になっています。
日蓮上人は、同じく久遠の生命を悟られ、法華経の中に凡てがあると認識され、この経典によって、国を安んじようとされた方でした。
『無限供給の神示』には、生長の家の大神様が多宝如来様であることが書かれてありますから、本当に同じ神様のお働きであったのですね。
ご講習会で御説法中の谷口雅春先生のお顔が、日蓮上人に見えた、という文章を読んだことがあったと思います。
谷口雅春先生は、日蓮上人の御真意をお説き下さったのだと思います。
どちらの教えも、国に関係する教えで、やはり法華経自体が、鎮護国家の経典であるからなのだと思います。
日蓮上人の開山された寺の開闢の日は、6月17日で、谷口雅春先生のお亡くなりになられた日と同じです。
また、6-17は、藤棚の家の番地でもあります。
しかしその後、この山は、間違った教えに汚染されたとして、
正統を主張する派が、日蓮上人が開山された山を出て行かれたそうです。
正統を主張する派は、日蓮上人を中心とした教義を主張されています。
法華経の原典主義を貫き、
その法華経には、他の経典の存在を許さない内容が書かれていますので、他宗を認めません。
久遠の命を説く宗教ですのに、万教帰一とは凄い違いです。
しかし、その日蓮上人の本当の真意を説かれたのが、谷口雅春先生でらっしゃったと思います。
谷口雅春先生は、自分を尊敬せられず、真理をこそ尊敬せられよと教えて下さっていました。
教団の教祖になりたいのではないとも仰られました。
谷口雅春先生を中心とする事は、谷口雅春先生のお悟りを否定することになるように思います。
(略)
別個に本山をつくって日蓮上人の二の舞に“しない”ようにするのが、弟子の務めではないでしょうか?
・・・・・・・
3808
:
縹
:2014/06/13(金) 14:41:31 ID:oeUx5MQw
合掌 ありがとうございます
「月光の曲」という単語如きは大切でない、というご意見も戴くのですが、
今まで何度もその大切さを書かせて戴いて参りました。
その中の一つで、簡単なものをご紹介させて戴きますと、
「月光の曲」・・・つまり、「曲がった月光」とも読もうと思えば読めますが、吉祥卐も、月光が曲がった形になっています。
吉祥卐は、生長の家のマークです。
それがどれだけ重要な意味を持っているか、ということも、繰返し書かせて戴いて参りました。
とても、“まとめる”力があるのです。
それら、華厳の真理を納めている総本山が無くなりますと、信徒は四散します。まさに諸作品になってしまいます。
別個に本山をつくって日蓮上人の二の舞に“しない”ようにするのが、弟子の務めではないでしょうか?
3809
:
縹
:2014/06/13(金) 15:44:36 ID:oeUx5MQw
あめのうずめ様
合掌 ありがとうございます
こんにちは、お時間を割いて下さいまして、ご指摘下さいまして誠にありがとうございました。
この度は、あめのうずめ様のお心を傷つけてしまいましたようで、大変申し訳なく存じております。
私の不行き届きで申し訳ございませんでした。
当時は音楽の専門の知識の方を必要としておりましたが、見当りませんでした。
あめのうずめ様は、音楽がお好きでらっしゃるのですね。
この度、音楽の専門的な知識から致しますと、間違っているというご指摘を戴きましたので、
先程資料として以下を再掲させて戴きました。
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1311691486/3804
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1311691486/3805
このように見て参りますと、一番大切なのが、真実であることが分かります。
学問を元に致しますと、塩釜神社の神様と、浅草寺の観音様と、住吉大神様が同じ神様であるという事実も、否定されてしまいませんでしょうか?
古事記のどこを探しても、そのような記述は出て参りませんが、事実はその通りです。
月光の曲が13分であるという事だけを根拠にしてはおりませず、
三部になっているという事も、音楽以外の世界でも、三部作になっているものは、沢山ございまして、
この世界は、造化三神の展開した世界ということで、本来の人間の感性で、そうした事がなされるのだと思っております。
とりわけ、住吉大神様に関係するものは、その傾向が強くみられることを今まで見させて戴いて参りましたので、
これも三部作になっているのだな、と思いました。
私の説明が下手で、月光の曲に不名誉な印象を与えてしまいました事を深くお詫び申し上げます。
出来ましたらこれからも、ご指導を賜りますよう宜しくお願い申し上げます。 再拝
3810
:
縹
:2014/06/13(金) 20:20:33 ID:oeUx5MQw
「ロバート氏の筆法で言へば、生長の家の発祥となる四つの神啓「物質は無い」「生命の實相を自覚せよ」「今を生きよ」「天地一切のものと和解せよ」が天降つて来たのが昭和4年12月13日である。
谷口家の祖先も、私の妻の父母も十三日が命日である。
4・1・2は合計7であり、7は完成の数である。十三はキリストと十二使徒との合計数であり、
1953年も三の倍数であり、私がこの年満六十歳の還暦で三の倍数であり、この年に本部會館が完成し、
世界は一フィルムを完成し次の時期に入る、この年に龍宮宝蔵會がつくられ、龍宮の宝蔵が現實界に引上げられる……」『明窓浄机』245頁より
ここにお命日の事が書かれてありますが、両家のご先祖様の全てが、13日にお亡くなりになられたのかと申しますと、そうではないような気が致します。
しかし、13日であることが多く、それで先生は、13日にご縁があることを感じ取られ、宝蔵神社の月次祭も、13日に行われるようになったと思われます。
ですから、厳密にすべて13日でなくても、なぜか13という数字に縁があるように感じるということでも可であるように思います。
3811
:
志恩
:2014/06/13(金) 21:58:08 ID:.QY5jUA6
光明掲示板より
志恩様へ (9113)
日時:2014年06月13日 (金) 13時18分
名前:亀の子
志恩様、ありがとうございます。
横からすみません。
志恩様の「あめのうずめ様 (9102)」の文章を読んで、思うことを書かせていただきます。
>本流の方々のご意見も、伺いましたが、
皆様、口を揃えて、『諸作品』の方が、正しいというお答えでしたので、
あの戦いは、縹様と私の 負け になっております。
と言いますか,例え、縹様のご主張が、正しかったと致しましても、
教団・本流…揃って、『諸作品』の方が、正しいと言うのですから、
今後、あの言葉が、もとの『月光の曲』に,もどることは、残念ながら、不可能になりましたので、
ご報告させて頂きます。<
志恩様、この問題は裁判ではないのですから、どちらが勝ったとか負けたという問題ではないと思いますが・・・。
そして谷口雅春先生、御みずから史実と違うとして訂正されたのですから、一体誰が『月光の曲』へ戻すというのでしょうか?
たとえ『月光の曲』へ戻したとして、教団の現状が、ガラリと変わることがあり得ると思いますか?
信徒の混乱を一層招くだけだと思います。
また、音楽を学ぶ信徒、一般の音楽関係者から史実と違うという指摘を受けて恥をかくのがオチでは、ありませんか?
東山半之助先生も死後、こんな事で、論戦になることを望まれたのではないと思います。
谷口雅春先生の素晴らしさを信徒へ知ってもらうのが、目的ではないかと思います。
自分は、雅春先生の最初に書かれた御文章(インスピレーション?)と神誌等で御発表になった御文章(根幹になるものもあります)で
違うものを幾つか知っておりますが、谷口雅春先生みずからが、最終的に発表されたものが、正しいとの考えです。
雅春先生がそのように決められのですから、弟子としては、そのように受け取ることが信仰だと思います。
もちろん、他の誰かさんが直したり補強したりするということは、許されることではないと思います。
個人的には、『月光の曲』の方が、好きですが、『天使の言葉』を読む時は、雅春先生の謙虚さ、
行き届いた思いやりということを思い出し、感慨深く読ませて頂いております。
感謝 合掌
3812
:
志恩
:2014/06/13(金) 22:00:35 ID:.QY5jUA6
光明掲示板より
皆さん、本当は雅春先生の、月光の曲で正解だったのです。 (9115)
日時:2014年06月13日 (金) 14時51分
名前:月光
確か一昨年、雅宜総裁は、自分のニセ経を少しでも正当化させるため。雅春先生の失敗(真相は失敗ではありませんでした)
をブログに発表。 月光の曲 → 有名なる諸作品 に変更された話を持ち出しました。
雅春先生でも間違えるのか?と、疑問を感じた人が調べた。
真相は、月光の曲の完成時、ベートーヴェンは、すでに難聴だったことが判明。
それでは何故、雅春先生は信徒の誤報(月光の曲完成時、ベートーヴェンの耳はまだ聞こえていた)で、詩の文章
を変更されたのか?おそらく雅春先生の肉体脳髄知識には、ベートーヴェンに関する詳しい事はインプットされて無かった。
ただただ、直観、霊感で書かれたので、信徒の誤報を、あっ!そうか!という事で変更されたのでしょう。結局、雅春先生の
霊感、直覚が正しかった。月光の曲のままでよかったのです。
雅宜(自称)のつまらない蒸し返しで、結局は雅春先生が正しかったのだ!!! と言う事が判明したお話です。
3813
:
志恩
:2014/06/13(金) 22:05:22 ID:.QY5jUA6
光明掲示板
亀の子様NEW (9126)
日時:2014年06月13日 (金) 21時05分
名前:志恩
亀の子様
コメント、ありがとうございます。
お返事させて頂きます。
結論を先に,申し上げますが、皆様は、言葉を直す必要はないと思われて
いらっしゃるので、それにつきましては、私も、同意しています。
私は、縹様では、ありませんから、縹様が、あれほどまでにご熱心に、どうして、
もともとの雅春先生がインスピレーションを受けられた『月光の曲』に、
戻さなければならないと強調されて、おっしゃるのか?
何度も何度も、縹様に教えて頂きましたのに、
縹様のお気持ちの真意の部分が、まだ理解出来ずにおりますし、
縹様が、お示し下さる様々な数字が、一致する件も、なるほどと、驚く事が多いのですが、
本当のことを言いますと、私の頭がアホなもんで、なんか、よくわからないんです。
今回の「天使の言葉」のことですが、…、
教団の大幹部らしき人物の曵馬野様も、
本流の方々も、「諸作品」が正しいから、それでよいではないか。
元に戻す必要等ないと、おっしゃいましたので、
私は、頷いて、引き下がりました。
音楽学校の先生?とやらが、今から 約50年ほど前に、「月光の曲」の
間違いを指摘した文が、東山半之助先生著『ざっくばらん』に載り,
それをお読みになった 雅春先生が『ざっくばらん』をお認めになり、
雅春先生が、御自ら史実と違うとして、「諸作品」に、訂正されたお言葉だから…。
と言われました。
亀の子様は、
>>この問題は裁判ではないのですから、
どちらが勝ったとか負けたという問題ではないと思いますが・・・。<<
とも言われましたが、
これは、どちらが 間違っているか、否かということで、
お尋ねという形では、ございましたけれど、私が、ここの掲示板へお邪魔させて頂いて、
皆様に問い、そして、裁判では ありませんでしたけれど、
皆様から、数々の厳しいお言葉を頂きました結果、私が、引き下がったのですから、
一応、論戦した結果,戦った結果、私が負けたということになると思います。
亀の子様ー
>>そして谷口雅春先生、御みずから史実と違うとして訂正されたのですから、
一体誰が『月光の曲』へ戻すというのでしょうか?<<
志恩ー
私は、縹様にこの件を教えて頂きましたときに、史実については、詳細に調べ直していたのです。
それを、本日は、先日より詳しくお話させて頂きます。
「ざっくばらん」に、音楽の先生?とやらが、史実と違うと意見を 寄せられたのは、
この著は,1965年に出版されたので、今から、50年も前に,その人が調べた史実の意見なのです。
今では、インターネットや、豊富な書籍類のお蔭で、50年前よりか、
もっともっと、正確な世界の隅々の情報が、われわれに
届く時代になりました。
今から、50年前には,分からなかった海外の世界的な音楽家や、国内の世界的な音楽家の
詳細につきましても、今では、簡単な方法で、詳細な情報を識る事が、可能な時代になっているのです。
私の場合は、新たな史実が判明したとしましても、
縹様のようには、まだ、言葉を戻すべきだとは、面倒なことに巻き込まれたくないので、
思いません。。このままで、いいと、思っています。
私は、そこが、縹様のように、信仰深くないところです。
つづく
3814
:
志恩
:2014/06/13(金) 22:06:43 ID:.QY5jUA6
つづき
雅春先生がお説き下さいました「真理そのもの」は、
申し上げるまでもなく、
久遠に変わらないものですが、書かれたときの時代で分かった範囲での例を挙げられた、
現象世界の例えにつきましては、
後世で検証して、事実だったか、そうでなかったかと、検討してみる事は、
雅春先生に対しても,東山先生に対しても,失礼だとは、考えられません。
前置きが、異常に長くなりましたが、
トキ様掲示板の方で、縹様が、「月光の曲」をベートーベンが,作曲したときは、
すでに、耳聾いていたという事が分かったとおっしゃってますが、
調べた結果、合っています。
ベートーベンが、超難聴になったのは、28歳。ますます、耳聾いていた
31歳のときに、「月光の曲」を 彼は作曲したのです。
「天使の言葉」の、もともとの言葉
かの楽聖ベートーベンの
有名なる「月光の曲」は
彼の肉体の耳聾いて
物体の音響を殆ど弁別し難き晩年に到りて作曲
せられしに非ずや。
略
彼のゆびさきはピアノの鍵盤に触るるに従いて。
では、31歳が,
何故,晩年に到りてなのかと、思いまして,
ベートーベンが生まれた1700年代の平均寿命をしらべましたら、
今から300年程前なので、
日本は、江戸時代にあたり、平均寿命は,36.5歳だったのです。
つまり、ベートーベンが『月光の曲』を作曲した
31歳は、その時代にとっての晩年だったというわけです。
彼は、長命で54歳まで生きましたが。
(ちなみに、「ざっくばらん」が出版された50年前の男性の平均寿命は、
寿命が延びて、65歳。)
亀の子様ー
>>たとえ『月光の曲』へ戻したとして、教団の現状が、ガラリと変わることがあり得ると思いますか?<<
志恩ー
私は、縹様には、申し訳ないですが、変わるとは思えません。
亀の子様ー
>>東山半之助先生も死後、こんな事で、論戦になることを望まれたのではないと思います。
谷口雅春先生の素晴らしさを信徒へ知ってもらうのが、目的ではないかと思います。<<
志恩ー
私は、生高連時代から、東山先生は、尊敬しておりまして、ご指導いただいておりました。
本部へ入りましてからも
気に入って頂いて、よくお話ししておりました。東山先生は、剣道の達人でも
いらっしゃいまして、ジェントルマンでした。
そのようなことで、びびるような女々しい男性では、ございません。
懐も大きいお方でした。もしかしたら、お叱りになられるかもしれませんが、
その後は、笑って許して下さるタイプのお方でいらっしゃいました。
亀の子様ー
>>自分は、雅春先生の最初に書かれた御文章(インスピレーション?)と神誌等で御発表になった御文章(根幹になるものもあります)で違うものを幾つか知っておりますが、谷口雅春先生みずからが、最終的に発表されたものが、正しいとの考えです。<<
志恩ー
真理は正しくても、例えは、時代の変遷により、新事実の発見もありますので、
変化する事があるという事は、認めていいのではないでしょうか。文は、変えなくてもいいですから。
・・・・・・。
つづく
3815
:
志恩
:2014/06/13(金) 22:07:39 ID:.QY5jUA6
光明掲示板
亀の子様②NEW (9128)
日時:2014年06月13日 (金) 21時36分
名前:志恩
つづき
もう1箇所、「天使の言葉」経で、訂正された言葉についてですが、
旧・彼のゆびさきは ピアノの鍵盤に 触るるに従いて
新・こころの耳は ピアノの鍵盤に 触るるに従いて
ここの言葉も、きっと、今から 50年前による史実でしたら、
耳聾いた、つまり、耳がほとんど聞こえなかったり、全然聞こえなかったりする作曲家が、ピアノの鍵盤を叩いても、音が、聞こえないのだから、
ピアノの鍵盤を たたく訳が無い。心の耳で、聴いて、作曲していたに違いない。
という史実であったと思いますけれど、皆様は、そうは思われませんか?
常識で考えたら、そうです。
私は,50年前は、本部に奉職していた時代でしたが、あの頃は、世の中に、
そのような人は,ひとりも おりませんでした。
しかし、今の時代では、耳聾しいていても、天才的に
人々に感動を与えられる。世界的な日本人女性の
ピアニストがいる。フジコ・ヘミングさんです。
https://www.youtube.com/watch?v=CJV4l0cnNO4
耳聾しいている人だけでは、ありません。
生まれつき、全く目の見えない
全盲の日本人の世界的なピアニストも居ます。辻井伸行さんです。
https://www.youtube.com/watch?v=8vKgawvTbnU&list=RD24OPuC09fVc&index=24
お二人とも、ゆびさきで、ちゃんと、ピアノの鍵盤にふれて演奏されてます。
心の耳だけで、演奏しているのではありません。ピアノを両手の指先で
しっかりと、たたいて、演奏しているのです。
この事実が証明しています。
旧 の言葉の方が、合っていると言えると思います。
3816
:
ももんが
:2014/06/14(土) 01:24:39 ID:oI68lYAA
>>3786
縹様へ
合掌 拝
毎回のお返事まことに、ありがとうございます。縹様は、ご解答終了だとは?
縹様独自の解釈での解答いうことですよね。
私の、言った、質問と、解答とが、丸きる、私は、困惑してるのですよ。(こだわってるわけでないす)
でも、もう、これを、縹様の解答としましょ。
私が、質問したことを加えて、解答をアレンジして、これを、縹様の公式見解として、私は、受け入れます。それと一般の考え方を表示します。
◎縹様の、ご解答の考え。(頭の中)
1)塩竈神社(所在地:宮城県) 陸奥国一之宮で、塩土神、御本体が居ると解釈してる。
2)鹿島神宮(所在地:宮城県)陸奥国一宮で、やはり、御本体は、御社に、同居されてるとの事。
3)香取神宮(所在地:宮城県)陸奥国一宮で、やはり塩土神と同居されているとの事。
※、塩竈神社、香取神社、鹿島神社も、全国にありますから、別に、分霊されて、あっても、問題ありません。ですが、縹様は、上記の解答をされたと、認識いたしました。
◎一般には、こうなります。
1)塩竈神社(所在地:宮城県)陸奥国一宮の総鎮守。
2)鹿島神宮(所在地:茨城県)常陸之国一宮総鎮守
3)香取神宮(所在地:千葉県)下総国之一宮総鎮守
こうなります。したがて、塩竈神社のホムペをちゃんと、読んでいだだけば、わかりますが、鹿島神も、香取神も、自宅は、茨城県と、千葉県なので、帰宅されたのです。
平和が回復したので、塩作りしながら、東北の人たち過ごされのです。
それに、明治以前に、"神宮"と名前の付く、神社は、鹿島神宮、鹿島神宮、伊勢神宮の3神宮のみです。
今も、12年に一度の"遷宮"には、天皇陛下から勅書あるのだそです。
縹様は、"一般の解答"と違う解答をされたわけです。縹様は、天皇陛下を欺く発言を、無意識で、掲示板でなさっいたわけですね。
私は、"神示が間違いてる"なんて、どうでも、良いことです。(だから?縹様のご指摘とは違うとおもいます)
縹様の返答が、不自然だから、何度も、質問を返したんたんです。
神示が間違いてるより、縹様の解答のし方が、間違いて、いたのでは、ありませんか?
私は、縹様が、私に、神示が、どうした経緯で書かれたか、最初に、説明すべきだたのでは?
間違いか?間違いじゃないから、その後の問題です。
では、質問は、縹様が、イヤなようなので、これやめときます。
ルシファーの事わかったら、お返事下さい。
合掌 拝
3817
:
ももんが
:2014/06/14(土) 01:24:42 ID:oI68lYAA
>>3786
縹様へ
合掌 拝
毎回のお返事まことに、ありがとうございます。縹様は、ご解答終了だとは?
縹様独自の解釈での解答いうことですよね。
私の、言った、質問と、解答とが、丸きる、私は、困惑してるのですよ。(こだわってるわけでないす)
でも、もう、これを、縹様の解答としましょ。
私が、質問したことを加えて、解答をアレンジして、これを、縹様の公式見解として、私は、受け入れます。それと一般の考え方を表示します。
◎縹様の、ご解答の考え。(頭の中)
1)塩竈神社(所在地:宮城県) 陸奥国一之宮で、塩土神、御本体が居ると解釈してる。
2)鹿島神宮(所在地:宮城県)陸奥国一宮で、やはり、御本体は、御社に、同居されてるとの事。
3)香取神宮(所在地:宮城県)陸奥国一宮で、やはり塩土神と同居されているとの事。
※、塩竈神社、香取神社、鹿島神社も、全国にありますから、別に、分霊されて、あっても、問題ありません。ですが、縹様は、上記の解答をされたと、認識いたしました。
◎一般には、こうなります。
1)塩竈神社(所在地:宮城県)陸奥国一宮の総鎮守。
2)鹿島神宮(所在地:茨城県)常陸之国一宮総鎮守
3)香取神宮(所在地:千葉県)下総国之一宮総鎮守
こうなります。したがて、塩竈神社のホムペをちゃんと、読んでいだだけば、わかりますが、鹿島神も、香取神も、自宅は、茨城県と、千葉県なので、帰宅されたのです。
平和が回復したので、塩作りしながら、東北の人たち過ごされのです。
それに、明治以前に、"神宮"と名前の付く、神社は、鹿島神宮、鹿島神宮、伊勢神宮の3神宮のみです。
今も、12年に一度の"遷宮"には、天皇陛下から勅書あるのだそです。
縹様は、"一般の解答"と違う解答をされたわけです。縹様は、天皇陛下を欺く発言を、無意識で、掲示板でなさっいたわけですね。
私は、"神示が間違いてる"なんて、どうでも、良いことです。(だから?縹様のご指摘とは違うとおもいます)
縹様の返答が、不自然だから、何度も、質問を返したんたんです。
神示が間違いてるより、縹様の解答のし方が、間違いて、いたのでは、ありませんか?
私は、縹様が、私に、神示が、どうした経緯で書かれたか、最初に、説明すべきだたのでは?
間違いか?間違いじゃないから、その後の問題です。
では、質問は、縹様が、イヤなようなので、これやめときます。
ルシファーの事わかったら、お返事下さい。
合掌 拝
3818
:
縹
:2014/06/14(土) 10:35:24 ID:oeUx5MQw
志恩様へ
合掌 ありがとうございます
志恩様、こんにちは、沢山貼り付けて下さってありがとうございました。お世話になり、ありがとうございました。
志恩様は本当にご親切な方でらっしゃいますね。
光明掲示板の皆様は、こちらの投稿を、ご覧下さらないまま、お話しを進められているようです。
私は、あちらに投稿禁止ですので、どうにも出来ません。仕方ないです。
3819
:
縹
:2014/06/14(土) 10:45:18 ID:oeUx5MQw
3816番 ももんが様
合掌 ありがとうございます
ももんが様、こんにちは、レスありがとうございました。
この神示は、”社殿の形に、心が表れている”、と教えて下さっているものだと思います。
ももんが様のお答えですと、社殿の形は、登場してきませんよね。
ルシファーについても、以前、少しお話しさせて戴きました。
明けの明星は、黙示録では、良い方に書かれていますので、完全に悪だとは思えないです。
ももんが様が、ルシファーのお話しをされたいのでしたら、ルシファーについて、会話を進めていきましょう。
今時間が無くて、短くてすみません、どうかお元気で。
3820
:
神の子さん
:2014/06/14(土) 10:46:36 ID:???
縹さんは、光明掲示板に投稿禁止でも、閲覧することは可能なのですか?閲覧も投稿も、両方が禁止なのですか?
投稿ができないとしても、閲覧だけでも出来るのなら、志恩さんがわざわざはりつけなくても、縹さんが光明掲示板を読んで、ここに投稿したらよいのにと思いました。
3821
:
志恩
:2014/06/14(土) 11:44:12 ID:.QY5jUA6
光明掲示板
今の時代になり、検証した結果、旧・新とも、お言葉は合っている。NEW (9155)
日時:2014年06月14日 (土) 11時24分
名前:志恩
「天使の言葉」…ですが、
亀の子様の資料ー
『生命の實相』黒表紙 12年7月15日初版 14年2月18日発行の
第三巻 聖霊篇・実証篇では序詩『天使の言葉』(8p)
かの楽聖ベートヴェンの
新・ 有名なる『諸作品』は
・・・・・・
こころの耳はピアノの鍵盤に触るゝに従ひて
第十ニ巻 常楽篇・経典篇・参考篇・質疑篇では『天使の言葉』講義(148p)
かの楽聖ベートヴェンは
旧・ 有名なる『月光の曲』を
・・・・・・
彼の指頭(ゆびさき)はピアノの鍵盤に触るゝに従ひて
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
旧・新とも、雅春先生のお書きになられたお言葉ですが、
そして、雅春先生 御自らに よりまして、
「月光の曲」が、「諸作品」に変更されたのでした。
それで,後世になり、今回、論議させていただいた結果、このままでよい、という方々が、圧倒的に
多かったので、このままになりました。
われわれ、後世の信徒たちが、論議しましたら、「諸作品」のままで、よいではないか、ということに
なったわけですが、
中には、
雅春先生が、お決めになられたことなのに、それをとやかく言う人がいるのは、
おかしい、という人がおられますが、
このように、真理についてではなく、その時代に書かれた喩えについての問題を 提起し、それについて、
論議し合う姿勢は、
生長の家全体の活性化のためにも、非常に、たいせつな事だと思います。
何も言わずに、なんでも、上に黙って従っていればいいという空気は、
組織が腐ってまいりますので、決して、よくないです。
今回、この問題を、たったお一人で、矢面に立たれて、非難囂々の中、
勇気ある発言を繰り返して下さいました
縹様に 私は,心からの敬意を表したいと存じます。
この件以外で...縹様は、われわれが気がつかなかった生長の家の、
宇宙的すごさなどを、事細かに語って下さっておられるのも事実ですので、
それは、転載しませんが、そのことも、是非、知って頂きたいと存じます。
変わった意見を述べる人を、異端者扱いするのは,間違っていると思います。
そこは、違うぞ!と思われたら,相手の発言に対しての 反論 は大事ですが、
人間というものは、変わった発言をした人に対して、
そのお方の人間自体を異端者扱い しがちに陥り易いので、
われわれは、その点は、お互い、特に、心して 気をつけて
いかなければ、いけないことだと思っております。
縹様も私も、本来の生長の家と、雅春先生への想いが強いからこその
発言なのです。皆、生長の家の同士なのですから…。
トキ様掲示板
http://jbbs.shitaraba.net/study/11346/
3822
:
縹
:2014/06/14(土) 11:48:06 ID:oeUx5MQw
3820番 神の子様
合掌 ありがとうございます
神の子様、ご親切にありがとうございました。
私は、自主退去で、投稿禁止で、閲覧だけ出来ます。
それで私も、ここに投稿させて戴いているのですが、
光明掲示板の皆様は、こちらをご覧下さらないので、通じないのです。
神の子様、ご関心を払って下さって、本当にありがとうございました。
少し心が楽になりました。 感謝を込めて… 再拝
3823
:
志恩
:2014/06/14(土) 11:51:34 ID:.QY5jUA6
縹様
私は、あちらの管理人様に、トキ様掲示板からの転載は、禁止されているのです。
掲示板への出入りは、自主退去であり、禁止になっておりませんので、
今回は、柵越えして、入らせて頂いて参りましたが。
ですから、縹様も、出入り,禁止ではなく,私同様に自主退去になっておりますから、
入ろうとされれば,入って,書き込めるのではないでしょうか。
本流を批判する文は、書けないと思いますが。
私は、あちらへは、トキ様掲示板をご覧下さい。
トーキングステッくボードで、縹様がお答え下さいますからということは、
あちらへ,書き込んでまいりましたので。
3824
:
志恩
:2014/06/14(土) 11:55:03 ID:.QY5jUA6
和解せよ派”は谷口雅春先生の大本教の「脱会」をどう思うのですか? (8798)
http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=1738
3825
:
志恩
:2014/06/14(土) 12:04:30 ID:.QY5jUA6
あめのうずめ様 (9102)
日時:2014年06月13日 (金) 05時32分
名前:志恩
略
それで、縹様は、ここへ入れませんので、この件につきましては、
あちらの方で、縹様は、お答え下さると存じますので、
下記のトキ様掲示板をご覧下さいますよう,よろしくお願いします。
トキ様掲示板(生長の家「本流復活」を考える掲示板)
http://jbbs.shitaraba.net/study/11346/
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板