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トーキングスティックボード
3669
:
破邪さんより
:2014/06/08(日) 13:55:37 ID:???
鎮護国家の教えを説いたら
日時:2014年05月03日 (土) 17時32分
名前:破邪顕正
「組織」に残っている、ある地方講師の言葉です。
「今の教団はオカシイ!だから、教団の指導には従わない。自分は自分なりに、谷口雅春先生のご本をテキストにして真理を説いている。」
どうも、この方は、「組織」に残る“免罪符”として、谷口雅春先生の「教え」を説いていることを理由にしているような気がしてなりません。
なるほど、今の状況下で、谷口雅春先生の「教え」のみを説くというのは、大いに勇気のいることですし、その点については心からの敬意を表したいと思います。
ただ、失礼ながら、それはどうも自己満足の域を出ていないのではないのか?
というのも、谷口雅春先生の「教え」を説くというのには、二つの観点があると思うからです。
一つは、純粋なる「御教え」という部分。
で、今一つが、谷口雅春先生の「御思い」というのでしょうか、「御志」とでもいうのでしょうか、そういう部分があると思うのです。
言うところの「天皇国・日本」「鎮護国家」の教えがそれであります。
果たして、この方は、出講の際、後者についても言及なされているのでありましょうか?
はっきり言って、言及し得ていないと思うのです。
もし、「天皇国・日本」「鎮護国家」の教えを説いたら、それは谷口雅宣総裁の“今の教え”とは真っ向からぶつかり合うからです。
現に、それを説いたばかりに、出講停止にあったとか、地方講師を剥奪された等の様々な処分を受けたとの話を私自身、耳にしております。
ある講師などは、教化部長から直接、「あなたは真理の勉強が足りません」と叱責され、その後、出講できなくなってしまいました。
つまり、この教化部長によれば、「真理」というのは、谷口雅宣総裁が説いていることを指すのであって、谷口雅春先生のお説きになられたものは古い真理、今の時代に合わない真理として扱われているということなのです。
私に言わせれば、「教化部長こそ谷口雅春先生の教えをわかっていない」と言いたいところであります。
しかし、悲しいかな、こんな馬鹿げた論理が支配しているのが、今の“八ヶ岳教団”の実情なのです。
そういう中で、谷口雅春先生の「教え」を説いていると言われても、それをそのまま素直に首肯することはできないのです。
つまり、尊師の「御教え」を語ることと尊師の「御志」を語ることとは自ずから違う、ということを申し上げたいわけです。
尊師の「御志」を語らないで、「御教え」を語っていればそれでいい、という生き方で本当にいいのか?
心ある地方講師の皆さんには、ぜひ、そこのところをお考えいただければと思う次第です。
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