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トーキングスティックボード

2247志恩:2013/11/26(火) 10:29:00 ID:.QY5jUA6
閲覧者の皆様へ

過去の「唐松模様」によりますと、「お経の言葉」の訂正のことで
雅宣総裁がおっしゃるには、
雅春先生も、「天使の言葉」の中の言葉の一部についての、いくつかの 間違いを指摘され、訂正された経緯があるのだ。

だから、
わたしのお経の言葉も、信徒の一人に指摘され 訂正したことも、なんら問題がないのであると、
申されていらしたのでした。

しかし、
雅春先生の、その後の、出所への対処の仕方と、
雅宣先生のその後の、指摘した人への対処の仕方とは、天と地ほどの大きな違いがある事が、光明掲示板に
次のように書かれてあるのでした。
....................................................................
光明掲示板より

名前:道産子様
私も、確かに<ベートーベン>の箇所はなにか引っ掛てはおりました、というのは、果たして<諸作品>が<耳聾いて>より多くあったのか、ということでした。

しかし、雅春師は、あくまで<一つの譬え>として<天眼天耳>を表現されたのであるわけですから、何も疑問を挟む余地は一つもないことは歴然としております。

  (童子様ー)
🔑>>しかし、雅春先生は東山講師の「ざっくばらん」を認めましたが、

🔓総裁はポスティングジョイの投稿文を削除させ、投稿者のIDをも剥奪しているのではありませんか。<<

童子様のご指摘のとおり、雅春師とお孫さんには雲泥の差がありますことも明白ですね(^o^)/
................................................................................

話は変わりますが、

雅宣総裁は、ご文章を書かれるときも、ご講話のときも、

雅春先生の真理の言葉を引用されることが多々ございますが、そのときの最後の結語は、

いつも、決まっているのです。

「だから、人間は自然を大事にしなければいけないのであります。」となるのです。

今回の、古事記の「タカムスビ、カミムスビ」の神様の例もそうです。
最後は、
「自然と我」「我と自然」というぐあいに、文を、ムスブのは、最終的に「自然」と「我」なんです。

つまり、どこから行っても、雅宣総裁は、「大自然、環境問題」運動にムスブわけです。

その証拠に、雅宣総裁が、皆様に、読誦するように指示されたお経は「大自然賛歌」と「観世音菩薩賛歌」のみです。

それを読誦するときに、神棚に.....ということが書かれてあるのでした。

肝心要の「甘露の法雨」は、読誦するようにとは、申されてはおられないのです。

ですから、皆様、

雅宣総裁が、たとい、古事記に出て来る神様の名を書かれたとしましても、

古事記に返ったとは、一概に 言えませんので、それにつきましては、

雅宣総裁のリップサービスの言葉に、惑わされる事 無きように、

雅宣総裁の「本心の言葉の現れ」である「彼の行動」...の方が、あのお方の「本当の言葉」なのですから、

生長の家の総裁として雅春先生の教えを継承されておられるか否かも含めて、

今後も 彼が、何をされるかにつきましての「行動」の方を  ご注目されますように!!

ただのリップサービスには、ごまかされませんように、ご注意下さいませ。


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