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トーキングスティックボード

2010トキ:2013/05/04(土) 17:55:57 ID:1lpvUpuM
硫黄島の体験を生かす 体験記 石飛清吉 その4 (生長の家誌 昭和29年2月号 p65)

 昭和19年6月から20年2月の上陸まで、この小島に米軍がうちこんだ砲爆弾は4万トンといいます。
ために島の形はほとんど同一地とは思われぬほど変形しまいました。頃は良しと物量を頼む米軍の上陸を
三度までは阻止しましたが、既に制空権制海権を完全に奪われて遂に上陸を許し、有名な擂鉢山の激戦が
展開されました。丘陵を巧みにいかした友軍の洞窟を利用しての反撃は最初全く五分五分の戦いを進めました
が、補給を祟れば守備ぐらい悲惨なものはありません。一寸刻みに攻略をされ3月17日「全員玉砕せんと
す」との内地への最後無電となったのです。しかしながら、その後も2ヶ月あまり文字通り最後の一兵まで
肉弾相撃つ激戦を続けてついに敵に陣地をゆだねたのでした。上陸以来、米軍は最強の清栄6万3千。2里
に1里の小火山島に我彼8万数千の人間が3ヶ月の間、血みどろになって戦ったのです。3月8日私が旅団長
以下総員切り込み隊の一員として、かねて覚悟の生死を超えた出撃をした時には、私の隊はわずか38名であ
りました。

(続きは後日)


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