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トーキングスティックボード

1909じっそおー:2012/05/09(水) 18:15:54 ID:vsZYH/3w
流れ ぶった切って申し訳ありません。
訊け様
初めまして じっそおーともうします。

>>1661 :★「訊け」司会★:2012/04/28(土) 23:39:05 ID:???>何があろうと、よくなる過程であるから動揺するな、「今」が常に生命の生長するチャンスである、ということですね。
ですので「自壊作用」の概念を紹介くださった雅春先生には、もう感謝感謝な私です。

上記の件を読んで、ちょっと考えた事がごじます。
で、教えていただきたいのです。
実は私は昔、宇治の練成に行った事があります。その時に仲良くなった人といろんな事(悩み事等)をしゃべりあったのですが
その人は思春期に「わきが」が発症して以来、ずっと悩んでいてそれを解決したくて生長の家に入信したそうです。(御兄さんもわきがらしいです。)
「自分は神の子、そんな臭いにおいのする肉体ではない。」と思おうとしても
神の子の自覚は難しかったので、「もう感謝だけで行こう」
と思って一日に二〇〇〇回くらい「ありがとうございます」と唱えていたそうです。
が、10年たってもわきがはなくならず.....
で、練成に来た。と言ってました。

私が何が言いたいのかと申しますと、「わきが」が自壊作用として表れたとしても
そのわきがは、消えないのじゃないですか?
つまり、「自壊作用として表れる」「良くなる過程として表れる」という意味は
現れた後その悪い状態が、その後、もっと良い状態になる。というニュアンスを
含んでる。と思うのです。
しかし、このわきがだけでなく、表れてずーっと現れっぱなしの病気はいっぱいあります。
これはどう考えたらいいでしょう?
ひまなときで結構ですから
御返事くだされたらありがたいです。

1910トキ:2012/05/09(水) 19:09:22 ID:mZokqxfs
>>1909

じっそおー 様

 ご投稿、ありがとうございました。

 「久遠生命」の神示には、以下のようなくだりがあります。
 
”神が病気を治してみせるのは、肉体は心でどうにでも移り変わらせることが
出来るという事実を見せて、「体」は念の影だという真理をさとらせるためである。”

 これは、私も何回も目撃したのですが、医者が見放した病気が生長の家の練成会で治った
事例は多数あります。同時に、治らなかった事例も確かにあります。しかし、人間から見たら
病気が治る、治らないというのは重大事ですが、神様から見たら、病気の問題よりも、魂の
向上のほうが大事ですから、その病気を治さない事が、その人の魂の向上のために必要だと
思われたら、病気をそのままにされる事はあると拝察する次第です。

 なお、本当に真理が悟り、病気が完治する事例もありますが、病気を治す為に信仰をする
のでは、なかなか難しい場合もあると思います。ただ、私は、その人の事は直接知りません
ので、一般論としてだけ申し上げます。

 合掌 ありがとうございます

1911復興G:2012/05/09(水) 19:48:11 ID:84pogn5s

>>1903 :志恩様。

>他のK宗派の総裁が、秘書と不倫して、女狂いして、奥さんともめて、奥さんを追い出したとかで、しばらく前のこと、世間で話題になりましたが,そのK宗派の総裁の蠻行は、K宗派の信徒の合わせ鏡、つまり、そこの信徒全員の心の陰であり、信徒の責任でしょうか。<

「他人事」というのは一つもない、すべて「自分事」なのですね。K宗派のことも、他人事(つまりそこの信徒だけのこと)ではなく、自分のため、私たちのために、そういう姿を見せて何かを教えて下さっている、観世音菩薩のお姿と拝すべきものでしょう。

>「悪」を消滅する道は「悪」をみとめないことより始まる。闇をみとめながら闇を撲滅せんと欲しても、到底それは不可能のことである。(『叡智の断片』)<

闇を消すには、光を出せばよいのですね。光すなわち神を、神の心を出さなければ、「闇」(悪)を消すことはできないのですね。

ありがとうございます。


1912志恩:2012/05/09(水) 20:50:27 ID:.QY5jUA6
復興Gさま

ご指導、感謝申し上げます。
これは、深い真理ですね。内省させて頂きます。礼拝

1913復興G:2012/05/09(水) 22:41:46 ID:84pogn5s

>>1909 :じっそおー様。

ご質問は「訊け」様宛てでしたので遠慮していましたが、「訊け」様からお返事がなく、トキ様もお答えがありましたので、私も思ったことを書かせて頂きます。

トキ様の>>1910 のご指導は、まさにその通りであると思います。そして、こういう視点もあります――

その方は
>それ(わきが)を解決したくて生長の家に入信したそうです。……「自分は神の子、そんな臭いにおいのする肉体ではない。」と思おうとしても、神の子の自覚は難しかったので……<

ということは、「わきががある。これを何とかして治したい」
と、「わきが」を「ある」とみとめておられたとすれば、「認めるものが存在に入る」という心の法則によって、いつまでもわきがが消えなかったのかも知れません。

こんな体験談を聞いたことがあります。
ある方のお子さんが、額に大きなイボのようなこぶができていて、そのうち消えるだろうと思っていたが、いつまでも消えない。それで、「こぶが消えますように」と一心に祈って聖経『甘露の法雨』を熱心に誦げ続けたが、こぶはますます大きくなるばかりであった。それで、これはどうしたことでしょうかと講師に質問したら、講師は答えた。
「それは、“こぶがある、こぶがある”と心にしっかりとこぶをつかんで精神集中して聖経を誦げるから、心に描いたとおりにこぶが大きくなったのですよ。額に包帯を巻いて、こぶが見えないようにして、ただ実相の円満完全を念じ感謝の聖経をあげなさい。」
そう言われて、その通りこぶが見えないようにして、1ヵ月もただ感謝の聖経をあげていた。
そしてふと包帯を外してみたら、こぶはきれいに無くなっていた、という話です。

一つの例として、ご参考になれば幸いです。
ありがとうございます。

1914ユタカ(なせば成る我ハ神の子):2012/05/09(水) 22:59:03 ID:Y36tJrpA
復興G様

谷口雅春先生は「皆さんが神の子=神ですよ」と、『生命の實相』の本を通して、今も私たちを拝んで下さっているのです。

「ありがとうございます」と、その御言葉を素直に受け、私たちもまた、常不軽菩薩となって、自分を拝み、すべての人を拝ませて頂く。それが、「信徒一人一人が法燈を継承する」ことではないかと、今、思っています。

バンザイ! うれしいです! ありがたいです! ありがとうございます!
感謝 合掌 拝


公案の答えは自分の中で出ていました。先日の神示の件で分かっていましたが、
人に伝える時はどうなのだろう。と考えながら、本棚を開けたとたん上段からファイルが落ちてきて、開くと、昔の聖使命新聞で谷口創始者先生の言葉が沢山掲載されていてどっぷり浸かっていました。今度謹写しますが、
本当に復興G様の仰るように、『神の子、神の子』と繰り返しあらゆる角度から仰っていらっしゃいました。
それを読んでいて、もう、こっちの事を忘れるくら良い気分になりました。 本当の「生長の家」の教えは素晴らしい!!!

本流の人は使命がありそれでよい。 本部もそれでよい。 自分が善悪を超える絶対善の位置にたつとすべてが善としか見えない。

生命の実相は光明社でそのうち全巻買えるし、しかも、戦後に生命の実相から落ちていた本の古事記と日本の使命などが世の中に出てきているのを考えると、やっぱり、バージョンアップし、さらに広がっていっている、これは、現象的にはアクドイことをしているが・・・「雅宣氏のおかげ」だと思うから、感謝する。私は。

自分はひたすら「神の子」の自覚を深めるべく精進したい。 全てが自分だからである。

以上が解答です。 いつか・・・後に聖使命新聞の謹写します。。。。この聖使命新聞最高でした!!!

有難う御座いました。 合掌

1915じっそおー:2012/05/09(水) 23:08:46 ID:vsZYH/3w
>>1910
トキ様
御返事下されて有難うございます。
>>”神が病気を治してみせるのは、肉体は心でどうにでも移り変わらせることが
出来るという事実を見せて、「体」は念の影だという真理をさとらせるためである。”<<

>>神様から見たら、病気の問題よりも、魂の向上のほうが大事ですから、その病気を治さない事が、その人の魂の向上のために必要だと
想われたら病気をそのままにされる。>>

上記読ませて頂きました。しかし、これに対してこういう文があります。(重箱のすみをつついてるみたいですみません)

<今でも生命の実相をよんで病気が治る事実を「神が癒やし給うのだ。」と考えてる人があるかもしれないが
神が癒やすのでなく、読めば心の目が開けて既に最初から健康であった自分の「実相」を見出すのである。
病気だとみえたのは人間の仮想でしかなかったのである。
もし、びょうきが実際にあって神が病気を治し給うのであったならば、何らかの事情で、神が直し給わない場合は
全能の神ならば治せば治し得るものを治さないのであるから、その治さないことに真意があるので、これはかつての
「ひとのみち教団」の教えのように「神のみしらせ」とみなければならないのである。

しかし、それは生長の家の思想ではないのである。

「神のみしらせ」の思想の中には「現象宇宙の実在」を肯定する思想と
「神そのものの中に聖暗とでもいうべき何らかの暗黒を内包している」という思想をふくんでいるのである。
即身成仏の真理 P 196

本当に重箱のすみをつついてすみません。
しかし、私が言いたいことがトキ様に伝わっておりません。
病気(わきが)は、ただ一つのたとえで言ったのです。

私が言いたいのは、訊け様の1661の文にある

:★「訊け」司会★:2012/04/28(土) 23:39:05 ID:???>何があろうと、よくなる過程であるから動揺するな、「今」が常に生命の生長するチャンスである、ということですね。
ですので「自壊作用」の概念を紹介くださった雅春先生には、もう感謝感謝な私です。

この上記の文の意味は、さっきも書きましたが「悪いことが現れてもそれは自壊作用である。これからその状態がもっと良くなるのである。」
というニュアンスがふくまれてるとおもうのです。

しかし、例えば(またわきがで説明させていただきますが)
例えば、わきがが発症します。それが自壊作用としてあらわれます。そのわきがが自壊作用としてあらわれて
さて、そのわきがは、何の良くなる過程なんだろう?。その後そのわきがは勝手に消えてもっと良い匂いの放つ体になるのでしょうか?普通わきがはなかなか治らないです。

ああ、変な説明になってしまいました。うまく説明できません。
要は、訊け様は何が起こっても「良くなる」と考えよ。といいたいのですよね。
そういう風に考えないと、自壊作用として起こった悪い出来事はそのままずーっと続いたりしますよね。

1916ユタカ(なせば成る我ハ神の子):2012/05/09(水) 23:11:08 ID:Y36tJrpA
復興G様
本流の人は使命がありそれでよい。 本部もそれでよい。 自分が善悪を超える絶対善の位置にたつとすべてが善としか見えない。

全ては自分だから。と言うことも上記にあてはまると思いますが・・あと、観世音菩薩様も、自分の鏡と言うのも、現象にたって現状を見るか、

実相にたって現状を見るかで捉え方が全く違いますね。 私は、まだ自分が神だとハッキリ分からないのでG様みたいに拝めないので

生命の実相を熟読して学んでいきたいです。 チョット遅くなってもうこの話題終わってました。。。はははのは。。。

1917じっそおー:2012/05/09(水) 23:31:21 ID:vsZYH/3w
復興G様
御返事を下さって有難うございます。
1913を読む前に1915を書きこみました。
尊敬する復興G様とトキ様に御返事をいただけて感激です。
私は、信仰歴は長いですが現象無しがなかなか実感できません。現象をつかんでは悩んでしまいます。
生きてるうちに無理かも。と思うほどです。トホホ
でも、復興G様の実相独在の文などを読んで、心を一生懸命もりあげてます。

1918ユタカ(なせば成る我ハ神の子):2012/05/10(木) 00:03:17 ID:VKNQFJKU
>心を一生懸命もりあげてます。

WEB誌友会で「生命のじっそおー」を一緒によんで盛り上がろーぜよ。

1919ももんが:2012/05/10(木) 00:48:04 ID:XXCuaQns
>>1906

復興G様

復興G様、丁寧な、お返事、ありがとうございます。合掌、拝。

まさに、言われるとうりであります。現教団においても『生命の実相』はテキストとして使われいるわけであります。復興G様の、御言葉をいただき、私も心強い限りであります。

《《私も誌友会で必ず『生命の實相』をテキストに使います。それがいけないなどというおとがめはどこからもありません。東京第一教区では、教化部長指導による『生命の實相』勉強会が毎月行われ、300人? もの人が集まっているとか。どなたか、『生命の實相』をテキストにすることが禁止された、というようなことをおっしゃっていたかと思いますが、教区によって、そんなところがあるのでしょうか。私は、ないと思いますが。

ただ、『生命の實相』の出版権が日本教文社からなくなり、今後品切れが多くなれば、光明思想社版を買わなければ『生命の實相』はなくなる、ということになるのでしょう。このことが、あらためて本当に『生命の實相』の真の価値を見直す好機になり、「大和解」へ踏み出すきっかけになればと、ひそかに期待し、祈るものであります。》》


この、掲示板の皆様の中には、現教団の、練成道場へ行かれたことさえない方も、いますから、現在の教団でのカリキュラムの実態を自分の想像だけで、言う人も、いることでしょう。


『生命の実相』を光明思想社版を使う、使わないは、別としてまして、

本部の講習でも、練成道場の輪読会でも、テキストに『生命の実相』を使うのは、真の真意は、それを大切にされてるからではと、思わされることがあります。

それと、復興G様も、ご存知と、思いますが、『電子ブック』が、現実味を帯びてきたようですね。

ライブラリーには、絶版本もありますから、電子ブックなら、『字も自由に拡大』しますから、いいですね。


絶版本も、蘇りますなら、このうえない、ことと、私は、思いなが、いつも、練成道場で、先生のお話に耳を傾けていおります。


復興G様、いつも、お心つくしの御言葉、ありがとうございます。また、よろしくお願いいたします。合掌、拝。

1920神の子さん:2012/05/10(木) 05:29:50 ID:K9V7MPMo
>>1919どなたか、『生命の實相』をテキストにすることが禁止された、というようなことをおっしゃっていたかと思いますが、教区によって、そんなところがあるのでしょうか。私は、ないと思いますが。


↑ この人は生長の家非会員ではない。 学ぶ会でもない。 現状音痴の他流の人。

1921神の子さん:2012/05/10(木) 05:31:00 ID:K9V7MPMo
非会員でない→ 非会員。 訂正

1922「訊け」管理人:2012/05/10(木) 08:36:33 ID:???
>>1909じっそおー様

 こんにちは。毎日が〝自壊作用だらけ〟、「訊け」管理人です。今回のおもしろいお話しですが、よくぞ私に振って頂きました。この種のやり取りは、もう、大好物であります。私も勉強になりますので、宜しくお願いします。
 なお、貴殿の疑問の所在が現在不明です。ツラツラと語っていきますが以下はおそらく、的外れな話になりましょう。この種の話、たぶん「一発回答」は不能でしょうから以後、やり取りを継続致しましょう。(問題の所在さえ判明すれば、復興Gさまやトキさまから「一転語」が飛び出すと思いますし)・・・・それでは以下、語って参ります。そして既述のとおり、現在の語る目的は「貴殿の疑問の所在」、これを明確にすることであります。宜しくお願い致します。

 ・・・さて本文に入る前に、この点に関しては答えを出しておきたいと思います。

――――――――――――――――――――――――――――――――
普通わきがはなかなか治らないです。
――――――――――――――――――――――――――――――――

 この認識は、間違いだと思います。実例を挙げますが舞鶴の長村婦美子講師という方、この先生が「観普賢菩薩行法にての克服事例」、これを発表されておられる様です。やりとりを開始するにあたり、まあ、ご参考までにご高覧くださいますと幸いです。

●観普賢菩薩行法
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65635825.html

『詳説 神想観』133頁より謹写――

舞鶴にその人が部屋にいると異臭ぷんぷんするというようなひどいわきがのお嬢さんがおられて、舞鶴の長村婦美子講師に相談された。人間はそんな臭い匂いのするような肉体にあらず、物質にあらず、それはウソである。その〝ほんもの〟でないウソを〝ほんもの〟であると思っているのが迷いである。〝ほんもの〟は何であるかというと、人間は仏のいのちであり、普賢菩薩そのものである。普賢菩薩を前に述べたお寺にあるような、そういう恰好をした仏で、釈迦牟尼如来が説法された時代に観世音菩薩などと一緒に出現して説法を聴かれた、そういう菩薩であるというのは顕教的な、表れている表面的の解釈でありますが、密教的(密教というのは、お経の表面の意味の奥にかくされた秘密の意義を解する教えの意)に言うと自分自身が普賢菩薩そのものであるというわけです。すなわち「普賢」というのは「普(あまね)く賢い」――どこにもかしこにも充ち満ちている智慧そのものである。その智慧によって一切のものができている。宇宙のありとしあらゆるものはみんな法則によって支配されている。それが人間智慧によって解明できるということは、一切のものが智慧によってできているからである。それで、人間の身体は肉身にあらず、智慧身である。それを観ずるのが観普賢菩薩行法です。真言密教では、普賢菩薩を描いた掛軸を目の前一間位のところに掛けて置いて、それをじっと見詰めて精神統一して、その像がずっと自分の方へ入ってきて、自分自身が普賢菩薩であるというすがたを観ずるのであります。

 さてこの観普賢菩薩行法をやんなさいと長村婦美子さんがお嬢さんにすすめ、長村さんとお嬢さんが向い合って神想観をしたところ、終るとたちまちその異臭ぷんぷんたるわきがが消えておったというような体験もあるのであります。

(つづく)

1923「訊け」管理人:2012/05/10(木) 08:38:22 ID:???


>>1909じっそおー様(つづき)

 それでは以下が、返信本文になります。

――――――――――――――――――――――――――――――――
私が何が言いたいのかと申しますと、「わきが」が自壊作用として表れたとしても
そのわきがは、消えないのじゃないですか?
つまり、「自壊作用として表れる」「良くなる過程として表れる」という意味は
現れた後その悪い状態が、その後、もっと良い状態になる。というニュアンスを
含んでる。と思うのです。
しかし、このわきがだけでなく、表れてずーっと現れっぱなしの病気はいっぱいあります。
これはどう考えたらいいでしょう?
――――――――――――――――――――――――――――――――

 論点を整理します。貴殿ご提題はこの二点になりますか。

○ (自壞作用には)もっと良くなるニュアンスがある、間違いないか。
○ ずっと顕れている病気は、どう解釈すべきか。

 上記に関してひとつひとつ、私の考えを述べて参ります。以下に掲載する私見に対し、あらたな疑問をぶつけてくださいませ。そうすれば貴殿の疑問の所在、より明確なものになると思います。

<(自壞作用には)もっと良くなるニュアンスがある、間違いないか。>

 ここで申される「もっと」の意味ですが、これが難点なのかもしれません。ここで申される「もっと」が「実相を完全顕現すること」を意味するならば、私見回答は「そのとおり」、というものになりましょうか。
 以下は余談ですが、まあ、実相というものは本当に、「人間知恵では計り知れない」もののようです。この「もっと」が文字通り、なにかたとえば、わきがという自壞作用を経てその後、その人間の体から「香水のような香りを放つようになる」という可能性も、「含んで」いるとは思います。(笑)いや、真顔でそう申している次第です。
 まあむろん、繰り返しではありますが、人間知恵では「ムリだろ」と思うようなこと、そんなことでも顕現してしまうのが、御教えの素晴らしさではないでしょうか(私などは多々、現象面でも体験しております)。


<ずっと顕れている病気は、どう解釈すべきか。>

 これは非常におもしろい話だと思います。ちなみに私もずっと、「花粉症」に悩まされております。御教えに触れましたがこの花粉症、なかなか良化して参りません。で、この「花粉症」に関する私の解釈を披露致します。
 
 なんてこと云いながら突然、藤原敏之先生のお話です。おもしろい逸話があります。
 この先生に対し、生意気な学生が或る日、こんな質問をぶつけてきたそうです。「先生は信仰してんのに、なーんでメガネしてるんですか?」・・・・いやホント、生意気なヤローですね(笑)たぶんこの学生、「野球部あたりの色魔な理屈屋」そう察する次第ですが、まあそんな質問、藤原先生に対して飛び出したそうなのです。で、その質問に対する藤原先生のご回答ですが、これがおもしろいのです。なんと同先生のご回答、「そりゃ、わしの信仰が足らんからだ」だったとか(笑)
 本来、長い補足話を掲載せねばならぬのかもしれぬ、このやり取りですがここにも真理があるように思います。どんな真理かと申せば、やはり、「實相は完全円満」なのです。そして、完全円満なのに「花粉症」などの病状が出ているとすればそれ、やはりなにか「信仰が足らぬ」わけでありましょう。そして、その「信仰の足りなさ」ですが、それすらも神の導きがあるのではないでしょうか。(註:本来「信仰の足りなさ」といってもその不足分、それすらも全托できるはずですから)

 この、神の導き(=「花粉症」がなかなか治らない点)についての解釈、以下披露すればこうなります。私が今、なかなか御教えの効果見られず花粉症に悩まされているのは――神はおそらく、「そう、焦るな(笑)」ということをお教え給うておられるように察しております。「天の時間」を逆さまにする〝天斑馬〟(あまのふちこま)という話が『古事記』に登場しますけども、あれ、あのスサノオノミコト絡みの話はいつも、耳が痛い私です(笑)短気になってそして、「なかなか成果が上がらない」と焦る気持が私には強いのです。
 「花粉症如き、なくなってしまう」「治そう治そうと焦らない」――私の信仰がそんな領域になればこれ、あっさり消えてなくなるとは確信しております。ですので現状、この花粉症に関しては、心から放下しております(笑)いやどーせ、治っちゃうんですから、なにもする必要、ないでしょ?(笑)

(つづく)

1924「訊け」管理人:2012/05/10(木) 08:39:28 ID:???



>>1909じっそおー様(つづき・最終)

追伸

――――――――――――――――――――――――――――――――
「自分は神の子、そんな臭いにおいのする肉体ではない。」と思おうとしても
神の子の自覚は難しかったので、「もう感謝だけで行こう」
と思って一日に二〇〇〇回くらい「ありがとうございます」と唱えていたそうです。
が、10年たってもわきがはなくならず.....
――――――――――――――――――――――――――――――――

 この点への感想ですが、上記登場の方には「受難礼賛」の気、これはなかったでありましょうか。まあ私、当然ながらその方のことを知らずに語っております。ですので妄想談であること、これは認めますがその、「ありがとうございます」がたとえば、「悪い私を罰して頂き、ありがとうございます」――こんな風になってはいなかったでしょうか。また、復興Gさまご回答にある如く、

>「わきが」を「ある」とみとめておられたとすれば、「認めるものが存在に入る」という心の法則によって、いつまでもわきがが消えなかったのかも知れません。

 これが真理でありましょう。

 なお、「認めるものが存在に入る」の心の法則ですが、おもしろいお話を掲載致します。「六文の定やん」です。最後半の部分を謹写致します。

『そのまま極楽の道』(藤原敏之著書)166頁より謹写――

 さらに、この定やんについて感心したことは、個人指導のことであります。(中略)しかも定やんにかかって治らない病気も解決しない難問題も一切無いというのであります。
 神経痛も喘息も胃癌もてんかんも、全部半日で治ってしまうそうであります。どうするのかといいますと、先ず机を中にして向かい合って座り、目をつぶれといって、膝に手をおいて、定やんのいうとおり大きな声でどなるのだそうです。何を怒鳴るのかといいますと、「ナイ!」というだけなのだそうであります。

 普通の場合、誦行といって、ことばに出してとなえ続けているうちに、奥底の心が感動して迷妄を取り除く働きがあるといいます。一般には言葉に出して唱え続けているうちに、啓示的な働きとなって、潜在意識を浄化する効果があるとせられていますが、その場合大抵の病気の場合等、「病気はナイ」と大声で唱えるのが普通でありますが、定やんは、「それはおかしい。病気はないのだから、〝病気は〟という必要もない。ありもしない病気なら、〝病気は〟と唱えることは無駄なことだ。逆に言葉の力で病気を造ることになる。そんなつまらないことはしない」と言って、病気を抜きにして〝ナイ!〟だけを大きな声で半日くらい怒鳴り続け、汗びっしょりかくくらいに唱えているうちに、どんな頑固な病も問題も、例外なく解消するのだそうであります。〝病気は〟といって心で造っておいて、〝ナイ〟といっても、言葉が原因でそれは造る働きを持っておりますから、〝病気は〟といえば病気だけ余分になる。一方で造っておいていくら〝ナイ〟と言って打ち消しても差し引きすればゼロとなる。無いものは無いのだから余分の〝病気は〟と言う必要はないという信念で押し通して、ナイ、ナイだけを徹底して、心の迷いを打ち消すことによって、万事解決するというのであります。

 以上のように、ここでわざわざ定やんのことを持ち出したのは、宗教による救いが人間のこざかしい知恵や判断力や理解力等によるものではなく、解かるとか解からないとかに全く関係なく、信心一つでどのような結果にも現われるという事実を証明するためであります。

1925「訊け」管理人:2012/05/10(木) 09:03:29 ID:???



<超余談>

 参考資料として掲載致しましたブログ記事、

●観普賢菩薩行法
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65635825.html

 これに関しまして補足致します。いやこれ、「ああ、恥ずかしい」、そんな話なんですが(笑)

 この記事冒頭に、画像が掲載されております。この画像ですがこれ、わたしは「普賢菩薩ダロ」と思って、掲載したのです。ところがその後、「これ、文 殊 菩 薩 ですよね?(笑)」てな指摘が読者から、ございました(笑)いやー・・・「そうなんの?ははは(笑)」と、笑って誤魔化している現在です。
 ・・・とまあこんな、「元無神論者」が運営するブログです。宗教に精通された方から見れば間違い画像、多々掲載でお送りしております。こんな感じの、たとえば「中国のディズニーランド」みたいな変なとこ、ございますブログですがこれからも、よろしくお願い致します(笑)

1926復興G:2012/05/10(木) 18:20:13 ID:84pogn5s


>>1914 :ユタカ(なせば成る我ハ神の子)様。
>谷口雅春先生は「皆さんが神の子=神ですよ」と、『生命の實相』の本を通して、今も私たちを拝んで下さっているのです。
「ありがとうございます」と、その御言葉を素直に受け、私たちもまた、常不軽菩薩となって、自分を拝み、すべての人を拝ませて頂く。それが、「信徒一人一人が法燈を継承する」ことではないかと、今、思っています。
バンザイ! うれしいです! ありがたいです! ありがとうございます!

……公案の答えは自分の中で出ていました。先日の神示の件で分かっていましたが、人に伝える時はどうなのだろう。と考えながら、本棚を開けたとたん上段からファイルが落ちてきて、開くと、昔の聖使命新聞で谷口創始者先生の言葉が沢山掲載されていてどっぷり浸かっていました。今度謹写しますが、本当に復興G様の仰るように、『神の子、神の子』と繰り返しあらゆる角度から仰っていらっしゃいました。
それを読んでいて、もう、こっちの事を忘れるくら良い気分になりました。 本当の「生長の家」の教えは素晴らしい!!!<

すばらしい!
「昔の聖使命新聞で谷口創始者先生の言葉」、謹写されるのを待っています。急がなくてもいいですよ。時間のできたときに、ゆっくりやってください。

ありがとうございます!

1927復興G:2012/05/10(木) 18:26:29 ID:84pogn5s


>>1919 :ももんが様。
ご丁寧なコメント、ありがとうございます。

>それと、復興G様も、ご存知と、思いますが、『電子ブック』が、現実味を帯びてきたようですね。
ライブラリーには、絶版本もありますから、電子ブックなら、『字も自由に拡大』しますから、いいですね。
絶版本も、蘇りますなら、このうえない、ことと、私は、思いなが、……<

そうなのですか? 知りませんでした。
実現すると、ありがたいですね。
ありがとうございます。
感謝 合掌 拝

1928じっそおー:2012/05/10(木) 23:25:15 ID:vsZYH/3w
>>1921〜1925
訊け様 私の訳の分からない文章に膨大な量の文章で答えて下さって有難うございます。
私は訊け様のプログへは何度も御邪魔させて頂いてます。すばらしいプログですね。
大好きなプログです。
ただ貼り付けて下さった観普賢菩薩行法のページはまだ見せていただいていませんでしたので
有り難く拝見させていただきました。

さて私の言いたい事は 訊け様の1661の訊け様の文章や訊け様のプログ等での自壊作用についてです。
自壊作用に喜ばれてますね。その内容から察して
「自壊作用として表れたという事は、かえって良くなるためである」との理由で訊けさんが喜ばれてるのかな
と、解釈しましたんです。
(そもそも私のこの解釈自体が間違ってるのかも知れませんが)

私はやっぱり必ずしも自壊作用の全てが、良くなるために現れてる様におもえないんです。
東北の地震や津波(これも自壊作用ですか)にしたって良くなるために現れてるなんておもえません。
病気にしたって、発症したら(自壊作用として現れたら)、良くなるために現れたもくそもなく、
現れたら最後、癒やすためにはやっぱり実相の自覚が必要です。
訊け様は、ご自身のプログで悪感情というかネガテイブな考え方が出た時も「自壊作用として喜ぶ」と
書いておられませんでしたか? と、言うことは、その後でその悪い感情が自然に良い感情に変わると考えてますか?
それと
>>そして、その「信仰の足りなさ」ですが、それすらも神の導きがあるのではないでしょうか。(註:本来「信仰の足りなさ」といってもその不足分、それすらも全托できるはずですから
この文ですが、は本当にそうなりますか?

私はほんの2週間前位まで、肉体なしや実相独在を把握できてて(知識でですが)喜べていたのですが
今は全然分からなくなって喜ぶことができなくなってます。
まあまあ分かって(知識でですが)嬉しくなったり、また分からなくなったりと二十数年この繰り返しです。
<<信仰の足りなさ」といってもその不足分、それすらも全托できるはずですから>>
全託も難しいかも。
わあ、また支離滅裂になりました。書いては消して、書いては消して何時間もかいて
まだうまく書けません。申し訳ありません。
こんな文ですが一度、投稿させていただきますね。

P.S
私は今いきずまっておりますので、すっごい否定的な考えになってますね。ダメですね。
訊け様、私も藤原先生の本を持っておりますよ。

1929「訊け」管理人:2012/05/11(金) 08:30:24 ID:???

>>1928 じっそおー様

 東日本大震災が「自壞作用と思えない」に関して――

 結論から申しますに、同意致します。たしかに、あの規模の震災ですけれどもホント、「神も仏もあったものか」という考えに陥ってしまいます。信仰から見れば零点という、そんな回答になりましょうけれども、まあ・・・私は貴殿に同意です。繰返しになりますが、ホント、なんであの規模の震災が必要だったのでしょうか。そして、あの規模の震災を経なければ実現されないという「善」、あるとするならばいったい、どんなものなんでしょうか。

 ちなみに雅春先生ですが、「急激なる死」に関する真意、これをご解説くださっておられます。(『生命の實相』9巻37頁)参考までご高覧ください。
(「急激なる死」http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65638494.html)まあでもホント、本音を申せば余り納得できずにいる部分もあります。自分の中ではこれ、「あの規模の震災、必要なのか」という思いは拭いきれるものではないですね。

 ・・・・たとえばこの前、警察官の知人から聞いた話です。先日本県で、「死体遺棄容疑」で逮捕された者がいたそうなのですが、調べますとこの男性、年齢は60代で、死体遺棄した相手は80代の実母とか。・・・話の詳細はこうです。この容疑者は仙台から軽自動車に乗りそして、死に場所を求めて日本中をさまよっていたそうです。南九州に着いた頃、後部座席に乗せていた実母が亡くなっていたとかで・・・・・そして「死体遺棄容疑」で逮捕、そんな話なのでありました。まあ、こんな悲劇を聞くたびにやはり、「自壞作用」という言葉で割り切ること、かなり困難になりますね。ですので、冒頭部繰返しになりますが、東日本大震災が「自壞作用と思えない」に関しては「同意」を表明致します。そしてそれは無論、信仰から見れば零点の回答でありましょうが・・・


追伸

 「全托」に関しては、また書きます。話が大きくなりますので途中、断念してしまいました(笑)でもこの話、「全托」ですけれどもこれ、非常に良質のものになると思います。宜しくお願い致します。



1930役行者:2012/05/11(金) 14:23:57 ID:ne2N0HEs

じっそおーさま

訊けさあ

お久しぶりです。また、初めまして!
 横割りします。失礼。


 自壊作用とは、どうなんでしょう。今までの過去の業が崩れ、
壊れる作用なのではないでしょうか、それまでの業です。今後のコトは今後の生
き方により作用していくと思われます。現象世界は常に過去の現れです。それを
断ち切る唯一の方法が、超時の今、をいききることと存じております。今、瞬時
に実相を生きる!

原因があって結果が起こるというのは、物理、精神双方共に通じる、真理かと存じております。
 ですから、震災に関しても過去の業の壊れゆく姿であることは違いないでしょう。
 ではこれからのことは、どうなんでしょう、我々の心がけ次第なのではないでしょうか?
 ことの大小にもよりますが・・・

 ただ、このままゆくと、人類の業の破壊は、立て続けに起こることがいろいろな
方により唱えられています。
 また、ノアの洪水に代表されるよう、
歴史的史実であると聴いているので書いてます、心の法則、自壊作用、原因結果
の法則は、無慈悲に、冷厳に行われるモノと存じています。

           合掌

1931じっそおー:2012/05/11(金) 14:34:45 ID:vsZYH/3w
>>1913
復興G様
<<ということは、「わきががある。これを何とかして治したい」
と、「わきが」を「ある」とみとめておられたとすれば、「認めるものが存在に入る」という心の法則によって、いつまでもわきがが消えなかったのかも知れません。>

有難うございます。
私は、「わきがくらい大した事ないじゃん」と思っていたのと(そんなに匂わなかったので)それともう昔の事なので
話した内容は全部覚えてないのでその人の心の中までわからないんですが。
そういうところはあるんじゃないかとおもいます。
しかし、私にとっても現、「認めるものが存在に入る」から認めないでおこう。すなわち現象を無し と観jずるのは本当に難しいですね。
結局のところ、「現象は無しで、実相は神の子」 って分かりさえしたら苦しみや病は無くなるんでしょうけど
そこがかなり難しいです。

1932じっそおー:2012/05/11(金) 15:21:31 ID:vsZYH/3w
>>1929訊け様
御返事ありがとうございます。
<東日本大震災が「自壞作用と思えない」に関して――>

と、ありますがちょっと違うのです。
私は「自壊作用と思えない」といってるのではなくて
訊け様の自壊作用にたいする発想がね、
「自壊作用として表れたという事は、かえって良くなるためである」
と考えておられるような気がしたんですね。それは、訊け様のプログを見たり
1661の訊け様の文章等でまあそう想ったんです
それで、あんなひどい災害のどこが良くなるために起こったんだ。
その「全ての自壊作用が、かえって良くなるためなんてうそだ。」と、想って
書いたのです。
病気でも、分微物が出た場合などは良くなるための自壊作用だけど、ほとんどの病気は良くなるためにあらわれてないじゃん。
と想って書かせていただいたのです。
伝わらない文章でもうしわけありません。

しかし、訊け様の自壊作用に対しての解釈が{自壊作用というのは、現れただけでなく良くなるためである。」
と、私は感じましたがもしかしてわたしの勘違いかもしれません。
自分が訊け様の言葉尻をとらえてそう思ってるのかもしれません。
もし、そうなら本当にもうしわけないです。
ほんとになにをごちゃごちゃいってるんでしょうね。わたしは。
沢山書いてくださりありがとうございます。
書いて下さった事に全部感想やら述べてませんが
全部ちゃんと読ませていただいてます。ただ、返答がうまく書けなくて結局かいたものを消してしまいました。
また、全託の件について書いてくださるのですか?
わー、嬉しっ
でもちょっとずつでいいですよ。暇なときでいいです。
大変ですから。
私だけでなく、みなさんもきっと楽しみにされますねっ。嬉しっす。

1933じっそおー:2012/05/11(金) 15:35:50 ID:vsZYH/3w
役行者様
>>1930 ありがとうございます
読ませていただきました。
そうですね、そう想いますです。

分かりにくい分を書いて皆さまに迷惑をかけました。

1934「訊け」管理人:2012/05/11(金) 15:41:37 ID:???


>>1928じっそおー様

 こんにちは。「でかした」よりも「しでかした」と言われることが多い、「訊け」管理人です。中国のディズニーランドみたいなブログ、ご愛顧頂きありがとうございます。さっそく以下、例の「全托」問題、これに関して述べて参ろうと思います。よろしくお願い致します。

――――――――――――――――――――――――――――――――
>>そして、その「信仰の足りなさ」ですが、それすらも神の導きがあるのではな
いでしょうか。(註:本来「信仰の足りなさ」といってもその不足分、それすらも
全托できるはずですから<<
この文ですが、は本当にそうなりますか?
――――――――――――――――――――――――――――――――

 全托すらも神に「全托できる」――これは本当に、おもしろい話であると思います。そして貴殿お問い合わせは、「本当にそうなりますか?」と云うものでございます。さあ、どこから語りましょうか(笑)わたしの個人的体験や読書経験から上記問題を、このように言い換えてみます。こう言い換えると問題がわかり易くなると思うのですが如何でしょう。
 さて、この「信仰の足りなさという不足分、これも全托できる」という設問を、「罪の意識は人間の努力で除去すべきなのか?」と言い換えます。こう言い換えて以下、話を進めていこうと思います。

<罪の意識と實相顕現>

さて、この罪の正体である「包み」というものは、肉体人間側がそれこそ、〝自力で努力〟して取り払わなければならないものでしょうか。そして、それに成功しなければ、「神に生かされて貰えない」のでしょうか。これが第一の問題です。
そして第二の問題としてこういうものがあります。實相というものは包まれてしまったくらいでそして、縛られてしまったくらいで、身動きのとれなくなる(程度の)代物なんでしょうか。それでは實相が完全円満であると言うわけにはいきません。實相が完全円満であるのでしたら、自分で顕れ出てくる力も備えているはずではないでしょうか。いったんこの問題を、簡潔にまとめます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○ 罪の意識は肉体人間側で自力解決せねば、神から生かされないのか?
○ 實相とは罪の意識に包まれたくらいで、機能しなくなるものなのか?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(つづく)

1935「訊け」管理人:2012/05/11(金) 15:42:41 ID:???
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○ 罪の意識は肉体人間側で自力解決せねば、神から生かされないのか?
○ 實相とは罪の意識に包まれたくらいで、機能しなくなるものなのか?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

○ 罪の意識は肉体人間側で自力解決せねば、神から生かされないのか?

 → 榎本恵吾先生の「葩(はなびら)さんさん」、これを参考にしながら以下述べて参ります。さてこの問題、「この罪、包みは本当にあって、これだけは自分で何とかしなければ救われないものなのでしょうか?」に関してですが榎本先生はこの様に回答なさっておられます。

「葩(はなびら)さんさん」より謹写――

 とにかくこの罪、包みは本当にあって、これだけは自分で何とかしなければ救われないものなのでしょうか? そんな疑問と悩みを持つ人もいらっしゃるのではありませんか? その疑問と悩みを代表して、天の童子は天使に、「罪は実在なりや?」と訴えているのです。すると天使は「罪は不完全なるが故に実在にあらず」と答えたと、聖経『甘露の法雨』には記されています。

 生長の家の教えは、罪の正体を暴露して無に帰せしめた教えであります。つまり包みが罪なのですから、「罪は無い」ということはそのまま「包みは無い」ということなのです。皆さんの實相から言えば、★「私は一度も包み隠されたことはありません」と言っているのであります。それは解るとか、納得するとかしないとかの問題ではないのです。理解できないとか、納得できないとかいう罪も不完全なるがゆえに実在にあらず、すなわち無いということなのです。「罪は不完全なるが故に実在に非ず」と書かれてありますように、不完全という不完全は神が造り給うたものではないのですから「無い」のです。

 ★ですから、實相を観じられないという罪も無ければ、包み隠してしまうという罪はもちろん、感謝が足りないという罪もありません。徳積みの足りない罪も無ければ、供養の足りないという罪も、潜在意識の浄まっていないという罪も、教えを実行できていないという罪もなく、与え方が足りないという罪もまた無いのです。

(引用終了)

 特に★印を付けた二点は個人的に、感動があった箇所になります。
 實相は未だかつて、一度たりとも「罪の意識に包まれたことはない」、そう云っているわけです。つまり「全托できない」こと、言い換えれば「罪の意識に苛まれて、自分には神の救いなど来ないだろう」、そう考えてしまう考えなんて、本当に「無」であるわけです。こんな迷妄が浮かんだ際にはこれ、それを「自壞作用」として喜べばよいのではないでしょうか。なぜと申してその意識――「罪の意識があるから實相が顕現しない」――これが自壞して果てた姿なのですから。

 やや余談です。ここの部分を確信にするにはおそらく、『生命の實相』の通読が必要なのかもしれません。が、仮に通読する時間がなくとも依然として實相、これはありがたいことに「私は一度も包み隠されたことはありません」と、言っているわけですよね。本当にありがたい話だと思います。

 ・・・それでは第二の問題、「實相とは罪の意識に包まれたくらいで、機能しなくなるものなのか?」に移りたいと思います。

(つづく)

1936「訊け」管理人:2012/05/11(金) 15:48:24 ID:???

○實相とは罪の意識に包まれたくらいで、機能しなくなるものなのか?

 → ここでは「仮に」、あくまでも仮にこの罪の意識は、「自力対処せねばならぬ」代物、そう仮定しましょう。そしてその自力対処が「困難である」、そんな仮定を基に話しをしてみましょう。つまり、こんな話になります。「自力で罪の意識を拂拭できません。そんなときに實相は、どんな動きを見せるのでしょうか?」――以下語ってみます。

 聖典を拝読しますと判りますが、雅春先生は、恨み心や憎み心、赦せない心があると「完全な實相が出てくることを邪魔をしてしまって出て来れなくしている」、そう表現されておられます。ですがこれ、ある段階の信徒に向けた「方便である」そう云えることに気づいたのです。悪感情を持つと「完全な實相が出てこない」、仮にそういう表現をされておられますが実は、その恨みや憎みや赦せない心も神様が取り去ってくださるのであるというのが本当の教えの様です。

 これに気づけたのは藤原敏之先生や、榎本恵吾先生の御著書に拠ってでありました。いろいろおもしろいご文章がございますがここは、やはり恵吾先生の「葩さんさん」よりの謹写文、これを以て回答とするのがよいと思いましたので以下。

「葩(はなびら)さんさん」より謹写――

 実はこのような人は、實相は完全円満であるというときの、この「完全」の意味をよく解っていないだけのことなのです。實相は完全なのですから、こちらの心で観ようが観まいが、いちいち努力して實相を引っぱり出そうとしなくても、絶対的に自分で出てくる力を完備しているのです。それを知らないから観る、観ないに引っかかってしまうのです。

 そして、實相と現象の中間あたりに自分を置いて、「實相⇔現象」「實相⇔現象」と左を向いたり右を向いたり、その中間あたりでキョロキョロと首を振っている状態を「観ずる」とか「観じない」とか、「自覚する」とか「自覚しない」とかということだと思ってしまっているのです。なるほど「實相は観ずれば顕われ、観じざれば顕われることなし」と書かれていますし、また、『生命の實相』の第1巻の本論の第1行目には「生命の實相の自性円満を自覚すれば、大生命の癒力が働いてメタフィジカルヒーリング(神癒)となります」と書かれています。しかし、そこに書かれている「観ずる」「自覚する」ということと、自分の受け取っている「観ずる」「自覚する」ということの意味が違ってはいないでしょうか。

 谷口雅春先生が抱かれたお悩みというのは、すべては心の展開であり、いわゆる三界は唯心の所現であるということは解るけれども、その心が思うように支配できなくて困り果てられたのです。そして、「この心を改心して懺悔して改めてからでないと救われないのであれば、自分は決して救われることはない。改心しないまま、懺悔しないままで救ってくれる神が欲しい」と切実に願われたのでした。この悩みを拡げて解釈すれば、實相の円満完全を観ようとしてもなかなか思うように観ることができないから、實相を観られないままで、自覚もできないままで救ってくれる神(實相)が欲しいと言われたということになるでしょう。

 やがて、現象無し、不完全無し、観る観ない、自覚するしないという心も無い、實相はそのまま円満であり、この實相は完全なるがゆえに自ら出てくる力をも備えているということを神からの啓示によって知られたのでした。そして、そのとき初めて「心」というものから解放されて、「生かされている」という喜び、つまり感謝が湧き起こられたのでした。「實相は完全であるからこちらの力は何も要らない」というふうに、喜ぶのを遠慮しないことが「實相を観ずる」とか「自覚する」とかいうことであったのです。

 (つづく)

1937「訊け」管理人:2012/05/11(金) 15:49:12 ID:???
(「葩(はなびら)さんさん」つづき)

 ですから、實相にはこちらの力というものが要らないのです。ただただ實相のみの世界なのです。實相を現象に顕すといっても、實相が自分で顕れて来るのであり、實相だけがすべてのすべてなのです。顕れる、顕れないは現象であって、顕れても顕れなくてもどちらも無いのであって、實相だけを喜んでいればよいというのが「今を生きよ」ということなのです。實相は「今」完全であり、實相だけでよい、というのが「今」ということなのです。顕すための心や時間というものは要らないということなのです。

 「観ずる」ということについては、生長の家で行う行(ぎょう)の一つである「神想観」がまず思い浮かぶのですが、「神想観」は「神を想い観る」ということと同時に、「神が想い観給う」ということでもあるようです。神想観を始めるときに唱える「招神歌」にありますように、すべては神が為し給うのでありますから、自分はどこにも要らないのです。観ることも、自覚することも、感謝することも、すべては神が為し給うているのです。

(引用終了)

 またなにか、ご返信頂けましたら幸いです。わたしもたいへん、勉強になりました。このような機会をお与え頂きまして、ありがとうございました。



追伸

 >>1932に関しては返信文、少々お時間をください。まあ、簡潔に申せば「自壞作用」と東日本大震災の件ですが、「わたしの信仰の浅さ」ゆえの解釈です。たぶんあの震災すらもこれ、なにかの好転作用なのだと思います。ですが現状、わたしは自分の言葉であの事件、解釋することは不能なのです。まあ、そんな意味になりましょうか。

1938じっそおー:2012/05/11(金) 15:49:46 ID:vsZYH/3w
訊け様
今、ちょっと藤原先生の本の内容を思い出しました。訊け様も藤原先生好きですよね。

「藤原先生の「何が起こってもこれから良くなると思え」こういうくだりありましたね。
こういう光明思想に対して、陰気臭い考えをわざわざ書き込んでしまって
申し訳ありませんです。
役行者様も、悪いことが現れても過去の影。今実相を生きる。といってくださいましたが
それにも通じますね。
難しいけど←(恥ずかしながらこれ本音です)がんばりまっす。

1939「訊け」管理人:2012/05/11(金) 16:30:50 ID:???


>>1938じっそおー様

>「藤原先生の「何が起こってもこれから良くなると思え」こういうくだりありましたね。
>こういう光明思想に対して、陰気臭い考えをわざわざ書き込んでしまって
>申し訳ありませんです。

 正確に申しますと藤原先生、もっと過激な表現をされておられますよね(笑)ええ、「これから良くなると思え」、そんな表現もされておられますが、「現れないと困る」とまで、おっしゃっておられます(笑)こんな感じのところがもう、大好きですねえ(笑)


藤原敏之先生・昭和三十八年練成会ご講話より――

 神様がおつくりにならないものを、私達がつくっているということは、これはまさしく夢なのです。年がら年中医者と薬でもっておった私が、全然アホらしゅうなって病気をやれんようになりました。ただたまに出ることはあります。私だって生の身体ですから、風邪引いたような傾向のときはあります。呼吸困難になることもある。そんな症状が現れることもある。現れたってそれは心配することはないのです。何故かといいますと、無いものをつくっているんですから、出たら消えるんです。想いというものは、現れたら消えるんです。だから、現れないと困る。

(引用終了)

 なお、自壊作用に関しましては以前、復興Gさまがご謹写くださったご文章がございます。

●『生活と人間の再建』第11章 「信仰生活の種々相」より
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65625580.html
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65626652.html
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65627152.html


追伸

 また、あの徳久克己先生は、こんなことまでおっしゃっておられます。文末は、「だああはあははは(笑)」てな感じでしょうか。

徳久克己先生ご発言――

 谷口先生が〝病気はない〟と言っておられるのだから、〝無い〟と言いなさい。もしも責任を問われたら、それは谷口雅春先生の責任ですからね。

1940「訊け」管理人:2012/05/11(金) 16:38:08 ID:???
<云い忘れ>

 私は特に、以下の文章が好きです。

『生活と人間の再建』第11章 「信仰生活の種々相」より謹写――
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65625580.html

○「現象の善さ」よりも「魂の善さ」を

 一たん蒔かれたる真理の種子は、吾々が信念の欠乏から、掘り返してみない限りは必ず膨張し、必ず根を拡げ、必ず芽を出し、頭をもたげ、土を破るのである。その結果は破壊と振動とがその周囲に起こるのである。それが起こらないようでは、その祈りが効果があったというに足りないのである。新しい大きな芽が頭をもたげる時には大地の周囲が破壊するのである。かくて古きものは破壊し新しきものが現れるのである。周囲に起こる不調和と見えたものは吾々が祈りを求めた新しき状態に移るために古き状態が真理によって爆撃されつつある光景にすぎないのである。これを吾々は「迷いの自壊作用」といって来たのである。

(引用終了)

 (一見)悪いこと、これが起らないようでがそれ、「その祈りが効果があったというに足りないのである。」とまで申されておられます。いやーホント、もう雅春先生がこのようにおっしゃっておられるのですからもう、雅春先生に責任、取って頂きましょう。
 わたしも事業環境の悪化、これに苛まれております。ですがもう、徳久先生ではないですが「雅春先生に責任」を取って頂こうと思っております。ええ、トンデモないことが起らない限りその祈り、「効果があったというに足らない」んですから(笑)バンザーイでありましょう。・・・・・・・ツライですけども。(笑)

1941ユタカ(なせば成る我ハ神の子):2012/05/11(金) 23:54:48 ID:LkXpkkXI
復興G様 
遅くなっったけど、公案の最中、読んでいた新聞の一部を掲載しますから一緒に読んで下さい。
感想も書いて下さい。
人間はみな神の生命 谷口雅春先生お言葉 
       相互礼拝の生活を

皆さん、大勢お集まり下さいましてありがとうございます。
さて、人間の生命(いのち)の実相というものが、どんなに尊いものであるかということが本当に分かったら戦争なんか起こりようがないとつくづく私は考えるのであります。
日本が真珠湾を奇襲攻撃するということでも、本当に人間の生命と言うものがどんなに尊いという事が分かったら、もう奇襲はできません。攻撃したら、人間の生命が失われるのであると考えたらもう一歩も攻撃の歩を進めるわけにはゆかないのであります。 ただ拝むのであります。 全ての人間の生命を神の生命、命(ミコト)として拝むのであります。そうしたら戦争など起こるはずはないのであります。
日本語では、人間の命(いのち)と言う字は、ミコトと呼ぶ字であります。
皆さんだけじゃない。全ての人々が命である、ね。

最大の徳は”不殺生”

ところで、聖書には次のように書かれているのであります。「太初(はじめ)に言(ことば)あり、言は神と偕にあり、言は神なりき。この言は太初に神とともに在り、萬(よろず)の物これに由り手て成り、成りたる物に一つとして之によらで成りたるはなし。」(ヨハネ伝)
「神なりき」と過去形になっているから間違いを生ずるのである。 「言は神」なんです。 皆さんは命なんです、ね。
古代の吾々の大祖先はみんな自分を命と呼んでおったのであります。
また、命(ミコト)とは、御言(ミコトバ)ということであります。神の言葉 いでて人間の命(いのち)となったのでありますから、皆さんは神の命、皆さんはみな命(ミコト)ですよ。

ところが、ダーヴィンの進化論みたいなものが出てきて、人間は猿の進化したものであると考えて、獣類の子孫が人間であるというような、間違った人間観が地球上を覆うようになった。 それで人間は獣類のように、自分の欲望を満足させるためには、同類でも相食み、殺し合いをするということが、生きている権利であるかの如く」、殺すことを何とも思わなくなったのであります。日本が真珠湾を奇襲攻撃した。それは何の為かと言うと、何かある利権を守ろうとしたからだ。利権とは利益と権益である。つまり、利益と権益という、捉えどころのない本来無いものを守ろうと、そのためには人間を殺すことぐらいは何でもないと思って紀州攻撃を始めた。
しかし、人間を殺す事が、一番の悪徳である。仏教でいう「十善の徳」の最初の徳は”不殺生”−−殺生しない、ということですね。モーゼの十戒でも、最初の最も重大なる一カ条がまもれたら戦争なんかする気持ちが起こる筈がない。

ところが、”殺生をしない”という一番の大徳を無視して、何かの利権を得ようと、あるいは奪われるのを妨げるために、あるいは、権力をふるうための邪魔ものをころしてしまえと考える。権力とはなんであるか。そんな迷いの権力、ニセモノの権力のために人間の生命を殺してもいいという、そんな馬鹿な人生観を持っている政治家がどこの国にもいて戦争をはじめる(略)
全ての人類は吾々の兄弟であり、祖先であり、子孫である。(略)それを殺す言うことは、全く愚かなことである。全ての人間が生長の家の思想になって、仏教の「十善の徳」の第一徳、モーゼの十戒の第一番にあるところの、”不殺生” ”殺すなかれ”という徳を実行することによって、世界に平和が広がるのである。
生長の家では生命(いのち)を拝む。生命の實相(ほんとうのすがた)というものを人類が自覚したら、戦争なんかしなくなる。

1942ユタカ(なせば成る我ハ神の子):2012/05/11(金) 23:57:13 ID:LkXpkkXI
天照大御神の御子

日本には天孫降臨の神話があるがあれは神話じゃない。 實相話である。 天孫・邇邇藝命様が天降ってこられるときに、五伴緒命(イツトモノヲノミコト=天児屋命、布刀玉命、天宇受賣命、伊斯許理度賣命、玉祖命)という五柱の命が一緒に天降ってきた。伴緒(トモノヲ)の緒というのは、魂緒(たまのを)の緒で、命の繊維が緒みたいになって天降ってくるという、古代人の悟りが、魂緒ー魂(たましい)の緒というような言葉となって表れているのである。又、天孫の「孫」とは三代目というのではない。孫とは真子(まことのみこ)ということである。 人間は天の命が天降ってきているのである。男は日子命(ヒコノミコト)、女は日女命(ヒメノミコト)。 ”人間はみな日の大神の御子、日の大神の天降りである。仏教の神話にも、兜率天という天界におったところの如来の命が天降ってきて、摩耶夫人(まやぶにん・釈迦の母)の右脇腹に妊娠したというのがある。不染妊娠=イマキュレートコンセプション)と英語で言うがね。

つまり、吾々は淫行によって生まれたのではない。如来の命が天降ってきて、そして人となった。
『生命の實相』には、「人間は未だかって女の子宮から生まれたことはないのである」と書いてある。
それが生長の家の哲学だ。(略)こんな非常識なことがかいてあるけど、僕から見たら非常識じゃないんだ。 それが本当だ。


     実相は直覚で分かる

吾々は如来である。真如・実相から来生ー来たり生まれた如来である。谷口雅春無量寿如来、皆さんも無量寿如来、無量寿如来の集まりだから、ここは極楽浄土である。だれも悪人はいない。殺生をするような人は、一人もいない。菩薩雲集という言葉があるが、菩薩以上だ。皆さん御仏だ。御仏雲集。 皆さんは猿の進化したような、そな馬鹿なことはない猿の毛が抜けたのではない。禿げている人もいるけど、そうではない。人間は初めから如来である。
真如・実相からうまれたのが人間である。そのことが本当に分かるのは直覚による。
常識で考えてもだめだ。インテュイション、直覚、直観によって分かるんだ。

いいですか、天孫降臨 ---邇邇藝命様が天降るときに、五伴緒命が一緒に天降ってこられて、その子孫が日本民族になっている。だから、日本民族は、全て邇邇藝命様の子孫(直系)であるところの日本の御皇室の、その親類である。(略)
日本の御皇室の、その伴緒が、ここに何某命として大勢集まっておられるのが、皆さんだ。ここだけじゃない。
日本中、みんな伴緒命である。
この自覚を新たにするとともに、お互いに拝み合う生活を、今日からはじめたいと思うのであります。
ありがとうございます。(文責編集部)

以上が創始者谷口雅春先生の総本山での御言葉です。 WEB誌友会からここまでたどり着きました。
他にも、感動する文章が盛り沢山あって、以前の新聞は本當に聖使命新聞と言うにふさわしい新聞です。
読んで、感動、感動でした。 このような素晴らしい教えを隠していてはならないと心から思いました。

1943ユタカ(なせば成る我ハ神の子):2012/05/12(土) 00:03:28 ID:LkXpkkXI
最初は新聞の見出しの抜書きと清超2代先生の文章

人類を救わずにはおかないと、永遠不滅の真理をかかげられて起ちあがられた総裁(雅春先生)。その先生の説かれる真理によって、洋の東西、人種、民族、宗派をこえて、数限りない人々が救われているーーそうした重いが参列者自信の体験と重なり合って感激は一層深まってゆく。そして御教えに触れた感激、尊師とともにある喜びが最高頂に達したのは、(略)「神霊降誕譜」の合唱をはさんでの両先生の言葉は左掲の通りだが、いずれも心を打たずにはおかないものだった。

大いなる喜びと感激の中、住吉霊宮、住吉本宮秋季記念式典に参列した信徒一同、住吉大神の全身全霊との自覚も新たに、総裁先生の御心ーー人類光明化の躍進、真理国家日本の顕現を固く誓い合うのだった。


         師の御心を現成せん 谷口清超先生御言葉

「戦争には行かなかったのかね」と仰いましたので、「ハァ、残念ながら行きませんでした」と申し上げたら、「そりゃ、良かった」と仰ったのです。 何故かと言うと「それは人を殺さなくてすんだからだ」と仰ったんですね。
その時私は、「谷口先生が本当に心の底から、人類を愛しておられて、敵も味方も無い世界におられるんだなぁ」というのを感じたのであります。(略)

・・・だから一木一草にいたるまで愛しておられる、という事が本当に分かりました。今でも先生はこのような御心で全人類を愛されるとともに一木一草まで愛していらっしゃいます。 そしてことのほか日本国を愛しておられ、日本の実相顕現を本当に心底からさけんでおられるわけでありますので、私達もこの御心を心から体得し、お腹の赤ちゃんは勿論の事、全ての人類に実相円満の真理をお伝えし、そしてまた 山も川も草も木も愛するところのの本当の宗教の伝道をやっていきたいと心から思っている次第であります。

このおめでたい日に、私は谷口雅春先生のお誕生日にこうして皆さんが沢山お集まりくださいましたことを本当に心から喜びにたえなく思っている次第であります。 それは、だだ単に”うれしい”というだけではあいすまんのでして、やはり御心をこの地上に現成し、地上天国浄土を建設する運動を展開しなきゃいかんと思うのであります。

どうか、皆さんも夫々の組織の幹部として・・略・・ み教えを全世界に光被さしていっていただきたいと念願する次第であります。 これで挨拶とさせていただきます。

以上で終わり。  これらを読めて感動に感動しました。。。。

写真からも熱気が伝わってくるようでした。

1944ユタカ(なせば成る我ハ神の子):2012/05/12(土) 00:16:33 ID:LkXpkkXI
写真付きの新聞を直接読むと感動するなぁ。。抜書きよりずっと。。。

1945じっそおー:2012/05/12(土) 01:00:14 ID:vsZYH/3w
訊け様
今帰ってきて1934から1937、1939,1940までまず読ませていただきました。
(1938は上記文を読む前に書き込んだ文です。)
書くのが遅いので書いてるうちにどんどん書き込んでくださって前後するみたいになっても許して下さい。

またまた膨大な文を書いて下さって有難うございます。
一部、あなたのプログで読んだ文もございました。榎本恵吾先生の文とかです。
その時おおーっと思ったこともありましたが、血となり肉となってませぬ。
しかし、ここに書いて下さった文章は系統だって書いて下さって、(うまく言えないのですが)
もっと、分かりやすくなっていて良いです、(うわー上から目線みたいな書き方ですみません)
もう何回も読ませて頂きます。
そして、1928の私の質問の
<訊け様は、ご自身のプログで悪感情というかネガテイブな考え方が出た時も「自壊作用として喜ぶ」と書いておられませんでしたか? 
と、言うことは、その後でその悪い感情が自然に良い感情に変わると考えてますか?>
上記の質問にも答えて下さってる内容になってますね。
<こんな迷妄が浮かんだ際にはこれ、それを「自壞作用」として喜べばよいのではないでしょうか。なぜと申してその意識――「罪の意識があるから實相が顕現しない」――
これが自壞して果てた姿なのですから>
↑この文がこたえですね。
今は何回も読み返してます。今、全部御返事出来ません。
訊け様、要は喜んでたらいいんですかね?
全託も喜んでたらいいのでしょうか?

1946ユタカ(なせば成る我ハ神の子):2012/05/12(土) 11:02:29 ID:ugahnkyw

公案も目途がついたようですし、素晴らしいお話も部室板で沢山されておりますが、

そろそろ、恒例、WEB誌友会をしませんか??

続けて行きましょうよ! 皆さんで読むと、新しい発見がありますよ!!

ユタカは続行しますよ!!

1947ユタカ(なせば成る我ハ神の子):2012/05/12(土) 12:04:22 ID:ugahnkyw


W E B 誌 友 会 やりた〜〜〜〜〜〜〜〜い!!!


強制ではありません、あくまでも、自分のこころの叫び!!!


WEB誌友会〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ぃ!!やろぉ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!

1948復興G:2012/05/12(土) 12:25:22 ID:84pogn5s

>>1941・ 1942・1943・1944:
ユタカ(なせば成る我ハ神の子)様。

合掌 ありがとうございます。
昔の「聖使命」紙、長文のご謹写、拝読しました。
ありがとうございました。
昭和何年のことだったでしょうか、生長の家総本山で行われた秋季記念日祝賀式のことを報じている「聖使命」紙ですね。この祝賀式には、私も参列していました。谷口清超先生のご挨拶の御言葉で引用された最初のところは、鮮明に覚えています。

谷口雅春先生の御言葉は、今初めて拝聴するように、深く感じ入りながら、拝読しています。

本当に、そうだ! と感じ入りながら。

写真からも熱気が伝わってくるような紙面なのですね。
そのまま拝見したいような思いです。

>日本の御皇室の、その伴緒(とものお)が、ここに何某命(なにがしのみこと)として大勢集まっておられるのが、皆さんだ。ここだけじゃない。日本中、みんな伴緒命(とものおおのみこと)である。この自覚を新たにするとともに、お互いに拝み合う生活を、今日からはじめたいと思うのであります。<

この御言葉を、しっかり体して、光の前進をしてまいりましょう!

1949復興G:2012/05/12(土) 12:52:06 ID:84pogn5s

>>1947 :ユタカ(なせば成る我ハ神の子)様。
>W E B 誌 友 会 やりた〜〜〜〜〜〜〜〜い!!!<

いいですね。
ただ、もし私が司会するとなると、19日(土)も26日(土)も、きびしいです。
私は14・15・16日(月〜水)はパソコンのないところへ旅に出て別のことに集中していますので、もし19日(土)に司会するとなれば17日(木)に帰ってきてから、おそらく大量に書き込まれている皆さんの投稿文を読み、皆様の心と流れを十分につかんで準備を整えないと、司会は難しいと思うので、19日はきびしい。26日は地元で夜の誌友会に出ることになっているので、ぶつかります。
ですから、今回は司会をパスさせていただきたいと思います。

すみませんが、皆様、よろしくお願いいたします。

ありがとうございます。

1950ユタカ(なせば成る我ハ神の子):2012/05/12(土) 12:55:27 ID:ZUZysn6c
復興G様
昭和59年12月1日となっております。

黒髪の信徒さんの輝いた顔、創始者先生の参加者全員を祝福する万歳のお姿の写真、

人であふれた、顕祭殿、そして、茶色になった新聞が余計に感動を誘います。

コピーして送付しましょうか?

1951復興G:2012/05/12(土) 13:22:02 ID:84pogn5s

「訊け」管理人殿。

去年のプロ野球は、震災や電力不足をおもんぱかって、予定より18日遅れの4月12日に開幕しました。その日の日経新聞「春秋」子は、次のように書いていたのを、私も自戒の言葉として切り抜き、目の前に貼っていました。
「今こそ正念場。今ほどへっぴり腰と決別しなければならぬ時はない」と題して。
それには、次のようにあります。

   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
(日本経済新聞「春秋」欄 2011. 4. 12)

広辞苑に載っていないのが不思議なくらい、「球春」の一語は日本人になじみ深い。予定より18日遅れてきょうプロ野球が開幕する。震災や電力不足をおもんぱかった決断にあずかった新井貴浩会長(阪神)率いる選手会。その真摯な姿勢には、敬意を表する。

▼ことしは反発力の小さい「飛ばないボール」の採用がみどころなのだという。プロ野球が長らく飛ぶボールを使ってきた弊害を、評論家の豊田泰光さんが書いていた。「一番の罪は打者のスイングから品格を奪ったことだ。へっぴり腰でもオーバーフェンスするから、だれも腰の入ったスイングをしようとしない」

▼思えば、ことは野球に限らない。「何とかなるだろう」とへっぴり腰で構えているうちにそれが習い性となってしまう。そんなわが身を映し出す鏡のような言葉である。そして、この国に住む一人ひとりが今ほどへっぴり腰と決別しなければならぬ時はない。飛ぶボールはもう来ないのだ。

▼目先の観客がいかさまホームランに酔うバブル野球でなく、おなかがよじきれるくらい振り切った美しいスイングが見られるか。豊田さんの期待はそこにある。地震の後は被災者への配慮で腰の入った覚悟を示してきた選手たちだ。飛ばないボールを相手にどんなプレーをするのか。ことしはことのほか気になる。
   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

今まで、何かものを言うときに、私もよく聖典とか他人の言葉をたくさん引用して、それで自分が何かを言ったような気になっていることがよくあった。しかし、そんな「へっぴり腰」でなく、自分の魂の底から出た自分の言葉を語るべきではないか。そうして「おなかがよじきれるくらい振り切った美しいスイング」をしなくては――「もう、飛ぶボールは来ないのだ」と自覚して、心底「神の子」を生きなくてはならない時である。それが「正念場」すなわち「正念」を出さなくてはならない場だということである。

――そう、私は自戒しています。それは、難しいことだけど。あなたも同感ではないかと思うのですが、いかがでしょうか。

ありがとうございます。

1952ユタカ(なせば成る我ハ神の子):2012/05/12(土) 13:35:54 ID:b/mZDJhk
新聞には、顕祭殿に入りきらない人が祭殿下の外に大勢いて、キチン整列された椅子に座りながら本殿にむけて、一斉にお経を読んでいるような

写真もあったりです。ちょうちん?を持った、男女信徒が全身で万歳と伸び上がり、本当に、以前は活気があり、当時の総裁先生に信徒の感謝と歓喜とに全心身が溢れている様子が分かります。

訊け様が前に仰っていた、谷口先生の言葉を浴びるように・・・という心境に納得です!

復興G様、先回りして司会は今回は無理ですとのこと、分かりましたが、神の子ですから、「私(復興G様)は○月○日ならできます。」

と、不可能な日時を言うなら、ついでに可能な日時を皆さんにおしらせしてもいいかも知れませんね。。。。

1953復興G:2012/05/12(土) 13:38:37 ID:84pogn5s

>>1950 :ユタカ(なせば成る我ハ神の子)様。
>黒髪の信徒さんの輝いた顔、創始者先生の参加者全員を祝福する万歳のお姿の写真、人であふれた、顕祭殿、そして、茶色になった新聞が余計に感動を誘います。
コピーして送付しましょうか? <

いや、もしそう願えればありがたいことですが、コピーしようとして破損してしまったとしたら、取り返しがつきませんね。
合掌

1954ユタカ(なせば成る我ハ神の子):2012/05/12(土) 13:44:22 ID:b/mZDJhk
復興G様

ご心配ありがとうございます。これも神の御心のままに・・・ですね。

1955ユタカ(なせば成る我ハ神の子):2012/05/12(土) 13:52:28 ID:hKR/lICc
トキさま、訊け様 皆様、

今夜どう?ですか?(笑) 誌・友・会!?(笑)

1956復興G:2012/05/12(土) 13:56:11 ID:84pogn5s

>>1952 :ユタカ(なせば成る我ハ神の子)様。
>復興G様、先回りして司会は今回は無理ですとのこと、分かりましたが、神の子ですから、「私(復興G様)は○月○日ならできます。」と、不可能な日時を言うなら、ついでに可能な日時を皆さんにおしらせしてもいいかも知れませんね。。。。 <

いやー、一本やられました。

では――土曜日なら6月は9日が16日が大丈夫です。
ウイークデイでもよろしければ、5月第4週目は今のところいつでも結構です。23日(水)とか、25日(金)とかでも、よろしければ――私は大丈夫です。

1957復興G:2012/05/12(土) 14:05:38 ID:84pogn5s

>>1955 :ユタカ(なせば成る我ハ神の子)様。
>今夜どう?ですか?(笑) 誌・友・会!?(笑) <

残念ながら、私は今夜は無理です。

1958ユタカ(なせば成る我ハ神の子):2012/05/12(土) 14:10:13 ID:b/mZDJhk
復興G様

ありがとうございます!!!!!

神の子復興G様!よくぞ、仰ってくださいました! 感謝申し上げます!!

万が一、急用などで日時を変更しないといけない場合は、急用が出来た時点で直ぐに

お知らせ下さい。 


トキさん、訊けさん、

復興G様、上記の日程は都合がよろしいそうであります。 返事を待っています。

1959ユタカ(なせば成る我ハ神の子):2012/05/12(土) 14:15:44 ID:hKR/lICc
>1597

は〜〜い、分かりました。 きっと皆さんもそうだと・・・ダメもとで言ってみました。。

1960トキ:2012/05/12(土) 16:21:33 ID:.qT77rPQ
誌友会の件、了解しました。参加しない方のご都合も聞きたいので、不参加の方も日程などの御希望を投稿
お願いします。もちろん、参加希望者の投稿もお願いします。

合掌 ありがとうございます

1961志恩:2012/05/12(土) 16:51:05 ID:.QY5jUA6
トキ様

トキ様、おせわさまで〜〜す。

WEB誌友会の件、
復興G様のご都合や、トキ様や、、皆様のご都合に、合わせますので、私は、いつでもOKです。

私は、観覧席ですけど、期待しています。(笑)

1962a hope:2012/05/12(土) 16:58:21 ID:kcv2QXTk

みなさま、こんにちは

ユタカさまが、次回のweb誌友会の提案をされていているようなので、参加申し込みさせていただきます。

>>では――土曜日なら6月は9日が16日が大丈夫です。
ウイークデイでもよろしければ、5月第4週目は今のところいつでも結構です。23日(水)とか、25日(金)とかでも、よろしければ――私は大丈夫です。 <<

と、復興Gさまがおっしゃっていますが、いずれの日程でも夜でしたら参加可能です。
よろしくお願いいたします。

実は、みなさまの最近の書き込みを拝見していて、自分も何か発言したいと思うのですが、
わたしは納得しないと次に進めないタイプなので、なかなか、みなさんのテンポについて行けずにいますが、
書き込み内容はしっかり拝見させていただいております。

じっそおーさま(はじめまして!)と訊け管理人さまや、他のみなさまのやり取りもとても興味深く、
色々お勉強させていただいていますし、
ユタカさまの聖使命新聞を謹写してくださった内容の深さにはとても感動しています。
(プリントアウトして、読み返しています)

みなさま、本当にありがとうございます。
わたしは、「真の生長の家の教え」ここでみなさまと一緒にお勉強できて本当に幸せです。

感謝 合掌。

1963じっそおー:2012/05/12(土) 17:00:26 ID:vsZYH/3w
>>1918
ユタカ様
<WEB誌友会で「生命のじっそおー」を一緒によんで盛り上がろーぜよ。>
ご親切に言って頂いて有難うございます。
1941から1943を読ませて頂いてます。
今、訊け様の文やら訊け様のプログを必死で読ませて頂いております最中ですが
訊け様の文の内容と同様、ユタカ様の貼り付けて下さった文(1941から1943)も
うわーって、感動しました。 訊け様の文とユタカ様の文と復興G様の実相独在の文で
今、何回も読みなおして自分を盛り上げてますです。有り難いです。

WEB誌友会は書き込みこそしてませんがずーっと読ませていただいてますよ。
トキ様の掲示板には書き込みこそしてませんがほとんど最初から読ませていただいてますです。
最も違うハンドルネームで何回か書き込みしたこともあるんですがね。
管理人のトキ様だけには、ばれてますでしょうね。

1964役行者:2012/05/12(土) 17:46:57 ID:Mz/PLXe6
  復興G様

 >>1951
 >今まで、何かものを言うときに、私もよく聖典とか他人の言葉をたくさん引用して、それで自分が何かを言ったような気になっていることがよくあった。しかし、そんな「へっぴり腰」でなく、自分の魂の底から出た自分の言葉を語るべきではないか。そうして「おなかがよじきれるくらい振り切った美しいスイング」をしなくては――「もう、飛ぶボールは来ないのだ」と自覚して、心底「神の子」を生きなくてはならない時である。それが「正念場」すなわち「正念」を出さなくてはならない場だということである。<


横割りさせていただきます。また、ご無沙汰しています。
 チェスト!!!
 
 聖典引用も写経ですから、蔑ろにはしてはいけないことですが、自分の魂から湧イズル言葉も大切かと存じます。
 多少、真理にハズレててもいいではないですか!
 皆共に、切磋琢磨してゆきとうございます。

1965ユタカ(なせば成る我ハ神の子):2012/05/12(土) 18:28:27 ID:NPr6GOGs
トキ様、   よろしくお願いします。 日時を決めたいので、〜日までに希望をだしてくださいと、
日にちを区切った方がよくないですか? 司会の方はどうしましょうか?ユタカは1時間に一言位しかかきこめないけど・・?これじゃ、まずくない?ですか・?
トキさま、今月されますか? 

志恩さま   応援有難う御座います。よろしくお願いいたします。

a hopeさま  誌友会御参加表明を有難う御座います。本棚から新聞が落ちてきて・・・まだ数枚の新聞があるのですが、その時はおもわず読みふけってしまいました。不思議が沢山です。あと、今だにFAX、電話がかかってくるので、誠に申し訳ありませんが、開催時間は皆さんと同じ時間でお願いいたします。

じっそおー様 是非とも御参加下さい。ユタカのPCフリーズしてぐちゃぐちゃですが、参加しています。ここの人優しいから大丈夫そうですよ。


役行者様   復興G様の言葉、心に届きました、なぜか、雅宣先生の實相の声のように聴こえて仕方ないです。ユタカはまず、国語の勉強しなくちゃ!! 


訊け様はどうしたのだろうなぁ。。。ユタカが失礼を重ねたからなぁ。。。本当にごめんなさい。。。訊け様。。。

1966トキ:2012/05/12(土) 19:25:32 ID:.qT77rPQ
 了解しました。月曜日の午後11時まではどうでしょうか?
土曜日と日曜日は外出する人が多く、この掲示板をご覧でない可能性がありますから。

1967トキ:2012/05/12(土) 19:34:04 ID:.qT77rPQ
 この板も満杯になりつつありますので、web誌友会 板を作りました。

 ルールについては、今、思案中です。その点もご意見をお願いします。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

1968さくら:2012/05/12(土) 19:54:39 ID:FJ1YZ6qo
>今まで、何かものを言うときに、私もよく聖典とか他人の言葉をたくさん引用して、それで自分が何かを言ったような気になっていることがよくあった。しかし、そんな「へっぴり腰」でなく、自分の魂の底から出た自分の言葉を語るべきではないか。そうして「おなかがよじきれるくらい振り切った美しいスイング」をしなくては――「もう、飛ぶボールは来ないのだ」と自覚して、心底「神の子」を生きなくてはならない時である。それが「正念場」すなわち「正念」を出さなくてはならない場だということである。 

>聖典引用も写経ですから、蔑ろにはしてはいけないことですが、自分の魂から湧イズル言葉も大切かと存じます。
 多少、真理にハズレててもいいではないですか!
 皆共に、切磋琢磨してゆきとうございます。


湧き出ずる言葉、
拙くても、自分の言葉。
ステキです。

1969ユタカ(なせば成る我ハ神の子):2012/05/12(土) 20:27:08 ID:c1MNcl3w
>1966 トキ様 わかりました。

私は参加でお願いします。。。。日時は夜なのでいつでもOKです。楽しみです。 トキ様、訊け様、は日時はどうですか?

今月もしますか?

1970トキ:2012/05/12(土) 21:22:20 ID:.qT77rPQ
 予定が合えば参加しますが、まずは、参加希望者や参加希望でない人のご意見を拝見したいです。

1971「訊け」管理人:2012/05/12(土) 21:48:44 ID:???


>>1951復興Gさま

 こんにちは。野球部時代「おまえは秘密兵器だ」と言われ、秘密にされたまま引退してしまった、「訊け」管理人です。いやー・・・(中略)・・・さっそく本題へ移ります。
 いやそれにしても、おもしろいテーマをご提示頂きました。さっそく(生意気な)私見を披露させて頂きます。よろしくお願い致します。

――――――――――――――――――――――――――――――――
今まで、何かものを言うときに、私もよく聖典とか他人の言葉をたくさん引用し
て、それで自分が何かを言ったような気になっていることがよくあった。しかし、
そんな「へっぴり腰」でなく、自分の魂の底から出た自分の言葉を語るべきでは
ないか。そうして「おなかがよじきれるくらい振り切った美しいスイング」をし
なくては――「もう、飛ぶボールは来ないのだ」と自覚して、心底「神の子」を
生きなくてはならない時である。それが「正念場」すなわち「正念」を出さなく
てはならない場だということである。

――そう、私は自戒しています。それは、難しいことだけど。あなたも同感ではな
いかと思うのですが、いかがでしょうか。
――――――――――――――――――――――――――――――――

 私見を述べます。
 わたしは「真似る」ことの重要性、これを痛い程味わっている現在であります。そして、(偉大な人に限りますけれども)そんな先人、出会えたならばもうどんどん「真似るべき」、そう考えている現在でもあります。つまり、聖典引用などはけっして「へっぴり腰のフォーム」になることではなく、むしろ、「振り切った美しいフォーム」、これを手に入れるための有効な手段なのではないでしょうか。少なくとも現在のわたしは、そのように考えております。
 私個人はまず、「美しいフォーム」、これを身に付けるべき時期なのかもしれません。そしてそのためには出来るだけ、自分の考えを入れずに「御教えを100%拜授する」、そんなことが重要だと思っております。いや、何故と申して六年前、私はようやくこの、「谷口雅春先生」と云う偉大な方と邂逅できたわけです。そしてその感激、やはり尋常のものではないのです。野球選手に喩えれば、いかに批判に晒されようが「真似せざるを得ない」ですし、「どうしても真似したくなる」そんな感じでの現在ではあります。そしてまた、そんな態度がわたしにとっての正念場――「神の子を生きる」ことになると考えております。

 以下はやや余談です。わたしはこの「美しいフォーム」を真似しておりますが現在、変な心配をされております。他の友人からは喩えるならば、「オマエはへっぴり腰のフォームになった」、そう評される場面が増えました(笑)曰く「オマエ、もっと他人を出し抜かないと死ぬぞ」などがそれに該当するのですが、まあ、楽観視できている自分は他人から見れば「ノンキだ」、そう評されてしまうわけです。たしかにそう見えるでしょう。
 ・・・ですがまあ、わたしは雅春先生を信じております。たとえば「久遠の今」から事態を眺める――過去にも捉われず、未来も心配せずという「喜怒哀楽」が発する前の「今」の地点――不完全とは申せこの位置、以前よりは立つ時間が増えている様に感じます。他経営者からは「へっぴり腰のフォーム」に、見えるかもしれませんが。

 信仰六年目のわたしはもう少し、この「美しいフォーム」を真似てみようと思っております。そしてやや余談とは申せこのフォーム、間違っていて騙されたならばもう、「しょうがない」、そう諦めようとも思っております。

追伸

 これまた余談です。
 友人からいかに云われようと雅春先生のご著書ですが、毎日拝読せずにおられないのです(笑)今まで何名もの著者と、本を通じて交流してきた私ですが、少なくとも六年間もの長期に渡りここまで魅了してくださったのは、雅春先生が初めての方であります。いや本当に、なんでこんな「飽きっぽい」うえに「無神論者」だった私がこんなに長期間、ひとりの本の著者にとどまっているのでしょうか・・・・谷口雅春先生、本当に偉大だと思います。なお最近は雅春先生の「古事記関連」の本、これを再読しておりますが、これまた・・・(中略)・・・長くなりますんで省略します(笑)語り出すと止まらない、それが雅春先生ですね。

1972「訊け」管理人:2012/05/12(土) 21:58:26 ID:???

>ユタカさま

 ご苦労様です。さて、WEB誌友会の件ですが、>>1970トキ理事長ご意見に
賛意を表明します。

 まずは他の方々の參加の都合、これを優先致しましょう。

追伸

 しかし大先輩(復興Gさま)に司会をして頂くわけですが、なにか申し訳ない
という・・・・いやこれは本来、復興Gさまのような方はアドバイザー的な役目に
就任して頂くのがよいのかなあ、そう思った次第です。ですので今回の司会をお受け
頂いた件、誠に感謝する次第でございます。

1973復興G:2012/05/13(日) 05:47:35 ID:84pogn5s

>>1971 :「訊け」管理人殿。

> わたしは「真似る」ことの重要性、これを痛い程味わっている現在であります。そして、(偉大な人に限りますけれども)そんな先人、出会えたならばもうどんどん「真似るべき」、そう考えている現在でもあります。つまり、聖典引用などはけっして「へっぴり腰のフォーム」になることではなく、むしろ、「振り切った美しいフォーム」、これを手に入れるための有効な手段なのではないでしょうか。少なくとも現在のわたしは、そのように考えております。
 私個人はまず、「美しいフォーム」、これを身に付けるべき時期なのかもしれません。そしてそのためには出来るだけ、自分の考えを入れずに「御教えを100%拜授する」、そんなことが重要だと思っております。<

というお考えですね。それは、個人としてそう考えて、偉大な人に出会えたらどんどん真似て、自分の考えを入れずに「御教えを100%拝受する」というのは、たいへんよろしいでしょう。しかしそれは自主トレで、自分だけでやればよいことです。こういう掲示板という公の場で、自分の考えを入れない「引用」ばかり多用することは、著作権という面からも問題があると思います。また引用が多量に過ぎると、見る方も消化が困難になるのではないかと思われます(私自身もそれをやってきたので、自戒の意味を含めて今、そう思います)。

ですから、私がもしWEB誌友会の司会をすることになった場合は、誌友会板では聖典等の過多用は原則禁止にしたいと思います。前夜祭で皆さんの気持ちを高めて行く場合などはある程度よいと思いますが、聖典謹写は原則として「聖典板」の方にアップしていただき、誌友会板では引用よりも自分のオリジナルの書き込みを引用よりも多くすることを求めたいと思います。

1974復興G:2012/05/13(日) 06:11:01 ID:84pogn5s

>>1973
上記で「誌友会板では聖典等の過多用は原則禁止にしたい」というのは、
「誌友会板では原則として聖典等の多すぎる引用は控えて頂くようお願いしたい」
と、修正したいと思います。

1975ユタカ(なせば成る我ハ神の子):2012/05/13(日) 06:41:08 ID:1.3e0VxE
トキ様
ありがとうございます。WEB板を作っていただいて本当にありがとうございます。
>1970 分かりました。よろしくお願いします。

復興G様

復興G様のアイデア素晴らしいです! 私にとっては難しいと思いますが、また、楽しく出来そうですね。

とても楽しみにしていま〜〜す。 実力がつくなぁ。。。 すごく、いいアイデアですね。。。

1976志恩:2012/05/13(日) 06:55:07 ID:.QY5jUA6
復興G さま

復興Gさまのアイディアに、大大大賛成です。 合掌

1977ユタカ(なせば成る我ハ神の子):2012/05/13(日) 06:58:36 ID:1.3e0VxE
訊け様

仰る事分かりま〜す。

復興G様から、自学は見えないとこで・・・って聞けて有難う! 見えないところで力をつけて、、、これなんか・・・・カッコイイです!! 私の腹の中に言葉が響き入っていきました。

次回のWEB誌友会での盛り上がりが目に見えるようです。バージョンアップした勉強、喜び、生命が向上していくなぁ。きっと、自分達一人一人の今の力の中の発言でいいのだと思うよ、自分で気が付かない間違えがあれば訂正できるし、本当に良いチャンスですよ。感謝!

嬉しい!!とても、有り難いです。 素晴らしい勉強会を導いてくださいます、住吉大神様・トキ様、復興G様、皆様に感謝します。

1978役行者:2012/05/13(日) 08:18:27 ID:Mz/PLXe6
 復興Gさま

 >それは 自主トレで、自分だけでやればよいことです。こう いう掲示板という公の場で、「自分の考えを入れない 引用」ばかり多用することは、著作権という面か らも問題があると思います。また引用が多量に過ぎ ると、見る方も消化が困難になるのではないかと思 われます<


 同感です。引用は聖典板にて掲載すれば良いかと存じます。
 沈思黙考し、魂から湧イズル言葉は生きています。
 それは熟考に熟考を重ねて迸る思いで綴った、聖典からの引用文ももちろん生きてます。
 ただ、いかにも引用の多用をみると申し訳ないのですが消化不良を起こします。 
 さくら様も云ってましたが、拙い言葉でも、自分で生み出した言葉であるからこそ、生きたコミュニケーションができると思うのです。
 挨拶板で金木犀さまとの会話でふれましたが、日本の丁稚奉公は確かに学び、つまりマネることを基本としています。それは全身全霊で盗むのです。手取り足取り教わるのでなく、盗むのです。その盗み始めの頃は拙いでしょう、不格好でしょう、でもそこに未完成の美しさがあると思います、そして、熟考に熟練を重ねて自分のものにしてゆくのです。
 マネるとはそのような深い意味が隠されていると思います。
 単なる見よう見まね、書き写しとは違うような気がします。

1979復興G:2012/05/13(日) 09:33:38 ID:84pogn5s

>>1978 :役行者様

ご賛同ありがとうございます。
合掌 拝

1980復興G:2012/05/13(日) 09:35:36 ID:84pogn5s

ごめんなさい

ユタカ様・志恩様も、ご賛同ありがとうございます。

合掌 拝

1982a hope:2012/05/13(日) 16:27:07 ID:kcv2QXTk
>>1981

すみません。わたし内容ちゃんと理解していなかったようですね(笑)

>>1966は、>>1965
のユタカさまへの返信だったのですね。

間違えて、書き込みました。

トキさま、>>1981の削除をお願い致します。

あらためて、提案させていただきます。

「できれば、今までのように、誌友会前に、範囲やテーマを決めていただき、予習できる時間をいただきたいです。」

よろしくお願い致します。

1983a hope:2012/05/13(日) 16:35:10 ID:kcv2QXTk

それから、わたし個人の希望としましては、今回は是非、復興Gさまに、
司会をしていただきたいと思っています。

そして、誌友会の進行の仕方などもお勉強させていただきたいです。

1984復興G:2012/05/13(日) 22:25:41 ID:84pogn5s

ユタカ(なせば成る我ハ神の子)様
皆々様

合掌 ありがとうございます。
私は明朝から3日間、パソコンのないところへ旅に出ます。
その間、WEB誌友会について、日程・範囲やテーマ・司会者・その他のスタッフなどについて、どうぞ話を進めていてくださいますよう、お願いいたします。

もし私が司会せよということになった場合は、前に申しましたように私の都合がつく日は――

土曜日なら6月9日か16日。
ウイークデイでよろしければ、5月第4週目は今のところいつでも結構です。23日(水)とか、25日(金)とかでも、よろしければ――私は大丈夫です。

よろしくお願いいたします。

合掌 拝

1985ユタカ(なせば成る我ハ神の子):2012/05/13(日) 23:10:48 ID:bJxlEOuY
復興G様

トキさんが不参加者の意見待機中ですので、それから日程などが決定されるのではないかと思います。

1986ユタカ(なせば成る我ハ神の子):2012/05/13(日) 23:14:21 ID:6WhImhdM


1960 :トキ:2012/05/12(土) 16:21:33 ID:.qT77rPQ
誌友会の件、了解しました。参加しない方のご都合も聞きたいので、不参加の方も日程などの御希望を投稿
お願いします。もちろん、参加希望者の投稿もお願いします。

合掌 ありがとうございます

>1966 :トキ:2012/05/12(土) 19:25:32 ID:.qT77rPQ
 了解しました。月曜日の午後11時まではどうでしょうか?
土曜日と日曜日は外出する人が多く、この掲示板をご覧でない可能性がありますから。


不参加者でご意見のある方遠慮なくどうぞ。。

1987ユタカ(なせば成る我ハ神の子):2012/05/13(日) 23:19:46 ID:6WhImhdM


1960 :トキ:2012/05/12(土) 16:21:33 ID:.qT77rPQ
誌友会の件、了解しました。参加しない方のご都合も聞きたいので、不参加の方も日程などの御希望を投稿
お願いします。もちろん、参加希望者の投稿もお願いします。

合掌 ありがとうございます

>1966 :トキ:2012/05/12(土) 19:25:32 ID:.qT77rPQ
 了解しました。月曜日の午後11時まではどうでしょうか?
土曜日と日曜日は外出する人が多く、この掲示板をご覧でない可能性がありますから。


不参加者でご意見のある方遠慮なくどうぞ。。

1988ユタカ(なせば成る我ハ神の子):2012/05/13(日) 23:24:23 ID:6WhImhdM
参加者のみんなで考えよう!!

>日程・範囲やテーマ・司会者・その他のスタッフなどについて、どうぞ話を進めていてくださいますよう、お願いいたします。

ドンドン、意見、アイデアを出してください。 この場で言わないで後からダメだしはダメですよ〜〜〜。

先にどうぞーーーーー。 みんなで作っていきましょう。

1989うのはな:2012/05/14(月) 00:53:12 ID:???

トキさんが不参加者の意見待機中。

 なんのためにトキさんが待機中なのか知りませんが、こういうことは、ふつう
運営責任者が率先して決め手いくのでは?

 トキさんに任せるのなら、トキさんが責任者司会者になればいいと思いますよ。

1990ユタカ(なせば成る我ハ神の子):2012/05/14(月) 06:03:41 ID:6WhImhdM

参加・不参加を明記してその立場での意見のほうが、分かりやすいのではないでしょうか?

1991志恩:2012/05/14(月) 06:05:34 ID:.QY5jUA6
うのはな様

誌友会のお世話係の、実質的な進行というか、リーダーは、ユタカ様だと思いますが、

WEB誌友会のスタッフ(運営責任者)は、トキ様、訊け様、ユタカ様の3名になっているのです。
そして、誌友会の顧問みたいな役割は、生長の家の大先輩である復興G様が、お引き受け下さっているのです。

トキ様は、ここの掲示板の管理人でもおられますので、スタッフの「長」の役割を、ユタカ様は、トキ様にお願いしているのだと思います。

(今後のWEB誌友会をスムースに運営していくために。)


それから、ユタカ様

皆様からの意見を求める場合は、締め切りの日時を言ったほうが、いいと思います。
00日までの夜までにご意見を。そこで、一応締め切ります。
締め切ったあとは、皆様のご意見をもとに、スタッフで、決定させて頂きます。

というように、前のように、いつまでにお願いしますとおっしゃらないと,皆様、遠慮深くていらっしゃいますから、
いくら待っていても、なかなか、意見が出て来ないと,思います。


なんといっても、復興G様のご指導は、必須条件ですから、復興G様のご都合のいい日を、第一に押さえられて、その上で、

生長の家教団を中心にされるのなら、土日以外が、いいと思います。でも、現役で、生長の家以外で仕事をされてる方の場合は、
ウイークディは、都合がつかない人もいるでしょう。
そういうお方は、ウイークディは、参加しにくい場合もあると思います。

前回のときは、終わったのが、夜中の12時半。3時間行われていました。

しかし、
参加できる人だけ、参加すれば、いいのですから、後から、感想を延べて下さってもいいのですから、
とにかく、何度も開催してみれば、感じが、つかめてくるのでは、ないでしょうか。
いろいろと、お世話様です。ありがとうございます。

1993ユタカ(なせば成る我ハ神の子):2012/05/14(月) 06:25:33 ID:HzdnruiA
トキ様
>1992の削除をお願いいたします、日付間違いでバカすぎです。

トキ様、月曜日って14日ですか?

確認させてください。

1995ユタカ(なせば成る我ハ神の子):2012/05/14(月) 06:27:35 ID:HzdnruiA
トキ様、訊け様

復興G様のご意見に対する皆さんからのご意見の期限はいつにしますか?

トキ様、訊け様で決めてください。

1998如月:2012/05/14(月) 10:42:23 ID:???
合掌。 ありがとうございます。

平日は基本的に観覧席になりますが、一生懸命、お勉強させていただきますので
よろしくお願いします。

1999うのはな:2012/05/14(月) 13:56:11 ID:???

ユタカ氏は私に対して、これまで何回か、「参加ですか?」と尋ねられていましたが、
前回誌友会前から、わたしは、はっきり仕事などあるしそれ以外の理由でも
不参加を前もって表明していたつもりです。
それでも、司会者から妨害がはじまっているだとか、いろいろ横からからまれました。
そのことについて、誌友会終了後に謝罪を求めましたが、不参加者からの苦情がきているけど
どうしたらいいかといった態度でした。

 次回の誌友会もおそらく土曜の夜になるだろうし、何時間もネットに張り付いていられる
状況じゃないだろうから、不参加のつもりですが、日曜日、あるいは空いてる時間に、誌友会版など
読むぐらいのことはすると思います。

 不参加、参加に価値観おくなら、不参加者は誌友会について一切の感想意見を
控えるように通達するとか、不参加表明者について言及しないだとかのルールを
提示してもらいたいと思います。

 個人的にはどこでやっている誌友会でも、妨害するつもりはありませんし、
参加するつもりはありませんが、個人宅でやっているのとちがい、こういうところでの
誌友会などで前夜祭だとはしゃぎまくり、さまざまなテキスト資料など掲示されると、
●●さんは「実相と現象」という聖典を購入したとか、生命の實相第一巻だとかきいていたけど
テキストは〇巻になったのかな?という疑問ぐらいは出ます。
わたしは前回司会者から嫌な目にあったし、これくらいの質問疑問は不参加でも
書かせてもらっていいと思っています。といっても、これ以上、誌友会や「事業環境が悪い」書き込み者に
まじわらないように注意するつもりですが。

 参加、不参加を問題にされるみたいなので、ひとこと意見を述べておきます。

2000「訊け」管理人:2012/05/14(月) 15:58:01 ID:???

>復興Gさま

>>1973及び>>1974の件ですがご真意、正しく拝受致しました。


>ユタカさま

>復興G様のご意見に対する皆さんからのご意見の期限はいつにしますか?
>トキ様、訊け様で決めてください。


 ・・・私とトキさんで、決めてよいの?(笑)特に私が決めるとあとあと大変なことに・・・(中略)・・・話をいったん、まとめます。>>1984の復興Gさまのご提案ですが、ポイントは二点です。そのポイントとは、

1、 EB誌友会について、日程・範囲やテーマ・司会者・その他のスタッフなどについて、どうぞ話を進めていてくださいませ。
2、 もし、復興Gさま司会が決定ならば、>>1984掲載した日が可。

 現時点で話のポイントは上記の如く、二点あります。ですので、「ご意見の期限」ですが、どうしましょう?いやつまり、「1」「2」のいずれで行くのかを決める判断、これがまず最初でありましょう。そしてもしも、「2」で行くのであれば回答期限、これは3日以内くらいに決するべきなのかもしれませんが。(復興Gさまは候補日を四日分くらいお出しになられておられます。心の準備も必要でございましょう)

 ですので現時点、皆さんへの問いかけは、「1」と「2」、いずれで行くのか?これが第一点の問いかけになりましょう。「私が司会をする!」そんな方がございましたらば、(たとえば)明日中に名乗りを上げて頂くとか・・・そして、名乗りを上げる方がおられない様子でしたらば、「2」に移り日程の希望を聞いていくことと致しましょうか。いかがでしょう?

追伸

 この辺の話ですが、どなたが担当されるんでしょうか・・・・まあそこまで「厳密にいかなくてよい」、そんな話ならば私の方で、もうガンガンに決めていきますが(笑)

2006神の子さん:2013/04/14(日) 12:25:51 ID:???


2007トキ:2013/05/01(水) 19:01:08 ID:VRTidxTM
硫黄島の体験を生かす 体験記 石飛清吉 その1

(昭和29年2月号の「生長の家」誌に硫黄島の生還者の体験談が掲載されています。何日かに分けて
紹介をいたします。この板が今は空いているので、使わせていただきます。お許し下さい。)


 太平洋戦争史上、最大の激戦として2万名の玉砕者を出した、私はその硫黄島生き残りの
わずかの中の一人です。全員玉砕を期した総攻撃において人事不省になって米軍の捕虜とな
り、精神的にも肉体的にも非常に悩んだあげく、送還後間もなくみ教えに触れて使命に立ち
上がったのであります。しかし、未だ詳報されない玉砕の模様と玉砕兵士の最後の心境を遺族
の方にご報告する意味もかねて、その経路を申しあげたいと思います。

 硫黄島は東京から1000キロ、サイパンから1000キロの丁度中間に位する絶海の孤島
で、南北2里、東西1里というほんの小島であります。しかし、米軍の本土攻撃の重大拠点と
なるべき位置ですので、全島要塞の鉄壁の守備を施して、米軍を迎え撃ったのであります。

(続きは後日)

2008トキ:2013/05/02(木) 22:25:42 ID:4pIOd94.
硫黄島の体験を生かす 体験記 石飛清吉 その2 (生長の家誌 昭和29年2月号 p64)

 陸続として上陸する陸軍部隊に先ず問題となったのは飲料水の問題でした。硫黄島は火山島で、地熱があって
砂の上に座るとポカポカと暖かく、椰子、タコ等が繁茂する、この紺碧の洋上の極楽島も、2万余の部隊を入れて
、先ず敵を迎える前に水と闘かはなくてはなりませんでした。辛うじて不自由な設備で蒸留水を作り、最少量の水
で飯ごう炊さんをしている中、サイパン島攻撃のための空襲が始まりました。これが、6月15日です。

(続きは後日)


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