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トーキングスティックボード

168復興G:2011/09/10(土) 14:36:18 ID:Ir7svY6w

<165>の誤字訂正お願い。

×發せぎる → 發せざる
×有數に → 有効に

169復興G:2011/09/10(土) 19:40:01 ID:Ir7svY6w

さて、156八百比丘尼様・鈴夜様のご質問がきっかけで勉強させていただきました、
『無門關解釋』の第1則「趙州狗子」ついて。
――「実相独在」の信を固めるのにとても役に立つと申しますか、うれしくなるご文章と出会いましたので、ご披露させて頂きますが、その前に――。

前にご紹介しました第2則「百丈野狐」の補遺です。

<自分の実相が既に迷わず、既に輪廻せず、既に病まないものであることを知ったならば、五百生(ごひゃくしょう=五百回生まれかわる間)野狐に生れていても、菊五郎が四谷怪談のお岩をやるのと同じことで、迷っているとは言いながら、それは芝居をやっているのも同じこと、五百生風流三昧(ふうりゅうざんまい)をやっているようなものだ>

と谷口雅春先生のご解説にありますので、八百比丘尼様、鈴夜様、どうぞ安心して妖怪でも野猫でも演じて楽しませてくださいませ。

さて、ここから(第1則「趙州狗子」)の範例:

<< >> は「無門關」原文
< > は谷口雅春先生ご解説

です。(ご解説の原文は歴史的仮名遣ひですが、現代かなづかいにして引用させていただきます)

*************

<<趙州(じょうしゅう)和尚、因(ちな)みに僧問ふ、狗子(くし)に還つて佛性ありや也(また)無(なし)や。州云(いわ)く、「無」。>>

という「公案」がまず最初に出てまいります。

<或る僧が「狗子(いぬころ)に佛性があるか無いか」と趙州和尚に問うたところが、趙州和尚は「無」と答えたというのである。その趙州和尚は何故「無」と答えたのか考えて見よというのが第一則の公案である。>

これに対して、無門慧開(えかい)和尚は、まず

<<參禅は須(すべか)らく祖師の関を透(とお)るべし>>

と一喝しています。

これは、「まず祖師の関を透るべし」と言われたら、私たちにとって祖師は谷口雅春先生ですから、「谷口雅春先生に聴き、学びなさい」という意味に受け取れそうですが、谷口雅春先生のご解説は、ちょっと違いました。

<祖師というのは先輩の僧侶だと思っている人もあるらしいが、先輩の僧侶ではない。……師につくことが「祖師の関を透る」ことであるならば、禅門の万僧悉く悟っているべき筈であるが、衣鉢を伝えられると称する悟りの境に達した者は、極く僅かな数に過ぎない。「祖師の関」とは「真理の関所」である。真理こそ唯一の祖師であって、そのほかの「祖師」は悉く偽の祖師に過ぎない。>

とおっしゃられているのです。だから無門和尚の評には
<<佛に逢うては佛を殺し、祖に逢うては祖を殺し、生死岸頭(しょうじがんとう)において大自在を得(う)>>
というような言葉も出てくるのである、と。

かと思えば、
<そこで「祖に逢うては祖を殺す」と言って真理を無みし、師恩を無みし、旧師の悪口を言って、「自分」のみ鼻高々として自己吹聴する者があるならば、彼はまだ祖師を殺していない──自分を「祖師」としているのであって、祖師の殺し方が足りないのである。「自分を祖師とすること」さえも殺さなければならない。>

と、また鉄槌が下ります。

<「狗子に佛性ありや?」は、やがて又、「人に祖師ありや?」の公案にも通ずる。「僧問う──人に祖師ありや? 州云わく、無」と書き直してもよいであろう。これは祖師だけを否定したのではない。師なんてないものだ! こう否定して鼻高々となったとき、いつの間にか自分が「師」になっている。人もない、祖師もない、祖師もないという者もない。どこまでも否定はその極の極まで進まなくてはならない。……ギリギリの所まで達すれば否定するに否定し得ない究極実在に達する。そうしてただ真理のみあることが解る。光明一元である。そう判って見れば、万物祖師ならざるはない。そのまま、師を師とし、感謝の心湧き出で、報恩の行おのずから調うのである。>

(つづく)

170「訊け」管理人:2011/09/10(土) 21:21:01 ID:snP.vX5s
>>168

 閣下に恥をかかせてしまいもした。すんもはんでした!

追伸

 「熱鉄丸を呑了(どんりょう)するが如く」

 すごい表現ですよねホント(爆笑)いやーまさに、そんな理解が
欲しい!!!

171復興G:2011/09/10(土) 21:26:48 ID:Ir7svY6w
(つづき)

「現象無し」「実相独在」が生長の家の御教えの神髄である。われわれは「無」の門関を通過しなければならない。ところで、「無門関」はこう教えています。

<<如何なるか是れ祖師の関、只者(この)一箇の無の字、乃(すなわ)ち宗門の一関なり。遂に之(これ)を目(なづ)けて禅宗無門関と曰(い)ふ。>>

<<透得過(とうとくか)する者は但(た)だ親しく趙州に見(まみ)ゆるのみにあらず。便(すなわ)ち歴代の祖師と手を把(と)つて共に行き眉毛(びもう)厮(あい)結んで、同一眼(げん)に見、同一耳(じ)に聞すべし。豈(あ)に慶快ならざらんや。>>

──谷口雅春先生
<祖師の置いた関所とは「無」の関門である。そこで吾々は関所であるから、関所に引っかかっているものでは駄目である。「無」は真理に到る関門であつて、真理そのものではない。「無」を通過して来なければ、「実」に到ることは出来ない。「無」を透得過(とうとくか)したとき「実」の世界、真理の世界に於て、趙州和尚に相見えるのみならず、歴代の祖師と互いに手をとり、眉と眉と相結ぶほど親しく、一心同体になつて、真理を把握することが出来る、何と楽しい慶ばしいことではないか。>

<そこで「狗子(くし=いぬころ)に仏性ありや無しや」という某僧の問いに対して趙州は「無」と応えたのは、肉体は無い、物質はない、迷っている心が悟って仏になるような、狗子の皮袋の中に入り込んでワンワン言っているようなそんな仏性もないと答えたのである。狗子の中に仏性が入り込んで生きているというような「仏性」というものもないという時、そんな二元論は否定されてしまったのである。全体を否定したとき、全体が生きて来たのである。>

<そこで完全に真仏が肯定されて来、狗子は狗子そのままで正法現前であることが判ったのである。狗子と仏性を分けたり、「有る」と「無い」との相対的有無にちょっとでも捉われたりしたならば本当の生命を失ってしまうというのである。「狗子仏性の公案は全体を提(ひっさ)げて真理を宣命しなければならぬ。少しでも相対の見に立ったら千仞の奈落に堕(お)ちて身を喪(うしな)ひ命を失うぞ」というのが、

<<狗子仏性、全提正令(ぜんていしょうれい)、纔(わず)かも有無に渉(わた)らば、喪身失命(そうしんしつみょう)せん>>

という「頌(じゅ)」の意味である。全否定を通過しての全肯定の世界である。180度回転を通過しての360度回転の世界である。そのままこの世界が肯定されて、自由自在、関羽将軍の大刀を奪取して無明の首を刎(は)ねる働きの出来る世界である。>

──だいたい以上が『無門關』の第1則「趙州狗子」の御解釈のポイントになろうかと思うのでありますが、ここには先人が、そして谷口雅春先生が私たちに下された「頂門の一針」(頭の上に針を刺すように、人の急所を押さえて戒めること。痛切な戒め)とも受けとるべき事が示されているのではないでしょうか。

榎本恵吾先生は、
<禅宗に問答があります。『無門関』など、千五百年も昔に発せられた質問であり、生命が唱いあげた比類のない美しいテーマであります。それですから後代の人々が、いのちをぶっつけてこの公案に取り組んで来ているのであります。取り組んでも取り組んでもつきない、いつも新しいすがたをもって、後代の人々から新鮮ないのちの喜びを発露させるのであります。「美しい」とは「素直」ということであり、それは永遠に古くならないのであります。ますます新しい姿で私たちに迫ってくるのであります。それは大自然のごとくであり、それは青空のようであり、大海原のようであり、また一輪の野の花のごとき偉大さとやさしさがそこにあるのであります。問題自体が感動を与えるということがあるのであります。>

と、『研修のヒント』に書かれていました。

  *************

さて、この1週間のあいだ、トキ様はじめ皆々様のご愛念ご声援をいただいて、トーキングスティックを持たせて頂き、だいたい存分に私の思いを書かせて頂きました。皆様には十分とは行かないまでも、ある程度ご理解、共感をいただけたのかなあと勝手に思っておりますが、いかがでしょうか。
初心者様、いかがでしょうか。

トキ様からスティックを奪い取ってしゃべらせていただいたような感じですので、そろそろスティックをお返ししてもよろしいかなと思っておりますが、皆様、ご質問とか何かありましたら、どうぞよろしくお願い申し上げます。

172八百比丘尼:2011/09/10(土) 23:41:43 ID:j8iOdie.

 復興Gさま
ありがとうございます。素晴らしいお話、大変勉強になりました。
私は、もう憶えていないほど遠い昔より、何度も生まれ変わって参りました。
遥か昔に、一番信じるべき方の心を疑い、その苦しさから楽な道に逃げた
報いにて、このような姿で生き続けております。
そろそろ元の時代に戻ろうかと思っていましたが、
こちらもなかなかおもしろい世界。
もうしばらくは、鈴夜と共に遊ばせていただきましょう。
私の身の上話は、そのうち女子会にてお話しいたしましょうか。

鈴夜は、復興Gさまのお言葉に大喜びして、
こともあろうに劇団四季の『キャッツ』のオーディションに出かけましたが、
浅利慶太先生に放り出されました。
これで、あかり姫との共演は夢と消えました。

何ですか、今度は長靴を買ってくれと申しておりますが、
『長靴をはいた猫』にでもなるつもりでしょうか。


   −−鈴夜 かくし芸大会に出るーー

《 残念だったなぁ『キャッツ』絶対受かると思ったのに。
  浅利慶太センセイ、チョ〜こえェ〜。
  あ、そうだ。帰りに伊勢で、貝新の「アサリの志ぐれ煮」
  買って来いっていわれてたんだ。

  ん〜? 隣の店で「赤福」買ってんのは、
  ハル・ヨシリータじゃねえの。

  帰ったら、新しい長靴はいて、手拭いかぶって、ザル持って、
  鼻に五円玉つけて・・・・・
  商売もんのドジョウすくいに行こう。

  ちなみに、ドジョウ内閣を救う気はありません。》

173復興G:2011/09/11(日) 06:25:28 ID:Ir7svY6w

>172 :八百比丘尼さま、鈴夜さま。
ありがとうございます。

鈴夜ちゃん、
>劇団四季の『キャッツ』のオーディションに出かけましたが、浅利慶太先生に放り出されました。
これで、あかり姫との共演は夢と消えました。

それは、チョ〜 ざんねんだったねえ。

でも、かわりに貝新の「アサリの志ぐれ煮」買って帰って、新しい長靴はいて、手拭いかぶって、ザル持って、・・・・「ドジョウすくい」・・・・大いに楽しんで見てますよ。

お伊勢参りに行ってきたとは、すばらしいねえ。
お伊勢様は、日本人の魂のふるさとだからねえ。

それで、大事な忘れもの(実は、ないしょ<内証>にしていたもの。「内証」っていうのは、もとは禅の用語で、仏の悟りの境涯、心内の悟りを意味し、「自内証」ともいう)がありましたので、最後になりましたが、内証の秘密を発表させて頂きます。それは、谷口雅春先生が『無門關解釋』の「はしがき」に書かれていることです。

  ───────────────

   は し が き

 この書は太平洋戦争中に書きおろしたものである。
(中略)真理は戦前も戦中も戦後も変るものではない。今も私は天皇信仰を持ちつづけてゐるのである。……
戦中に書いた″はしがき″には次のやうな事が書いてある。真に興味があるから読んでほしい。

 「天皇への帰一の道すなはち忠なり。忠は天皇より出でて天皇に帰るなり。天皇は一なり。ハジメなり。一切のもの天皇より流れ出で天皇に帰るなり。わが『忠』、わたくしの『忠』、我輩の『忠』などと云ひて、『我』を鼻に掛ける『忠』はニセモノなり。私なきが『忠』なり。

 「天皇は天照大御神と一体なり。天照大御神は天之御中主神と一体なり。斯くして天皇はすべての渾てにまします。『忠』の本源は天之御中主神の『御中』の理念より発して再び天之御中主神に復帰するなり。天皇を仰ぎ、天皇に帰一し、私なきが『忠』なり。わが『忠』と誇るとき、もうそれは『忠』にあらず、『我』となるなり。

 「すべての宗教は、天皇に帰一するための前提として存在の意義があるなり。すべての宗教が、『我』を捨つるを説き、『無我』を説き、富を捨つるを説き、『無所有』を説くは、『この世は何にも無いものだから諦めよ』と云ふ意味に非ず。すべてのものは、天皇の一元より発現することを教へたるなり。すべての森羅萬象天皇の大御いのちの顕現ならざるはなきなり。天皇を説かず、仰がず、『無』のみを説く宗教は準備時代の宗教に過ぎず。

 「わたくしの『生命』を愛護すること勿れ。『生命』が尊きは天皇の大御いのちの流れであり、岐れであるが故に尊きなり。寸時も、『天皇のみたまのふゆ』なることを忘るべからず。『天皇のみたまのふゆ』なることを忘れるとき、人は悪逆無道の迷妄の徒となるなり。

 「すべて宗教は天皇より発するなり。大日如来も、釈迦牟尼佛も、イエスキリストも、天皇より発する也。ただ一つの光源より七色の虹が発する如きなり。各宗の本尊のみを礼拝して、天皇を礼拝せざるは、虹のみを礼拝して、太陽を知らざる徒なり。すべてのもの太陽にて生くるが如く、すべてのもの、天皇の大御いのちにて生くるなり。

 「生長の家が、一宗一派を樹てざるは、宗派と云ひて党を樹て、閥に籠りて、相争ふことが『忠』に非ることを知る故なり。

 「宗はオホモトなり。天皇なり。すべての教も則も範も矩も規も法も、悉くスメラミコトより発するなり。宗教が宗派と云ふものに立ち籠りて、宗祖と云ふ一人の國民に過ぎざる人間を尊崇するは邪道なり。されば我は夙に喇叭に過ぎずと云ひたるなり。すべての宗祖は喇叭に過ぎざるなり。宇宙の大教祖は、天皇にてあらせられるなり。ミチとノリとは悉く、スメラミコトより出づればなり。

 派閥や党派で到る處に争ひが見られる現代に、この戦中に書いた序文は頂門の一針のやうな気がするのである。みんな野郎自大、「わしが」「わしが」で争ってゐて、その争ひが終熄しないのは、無我になって宇宙の中心真理に帰一しないからである。

 私は無私絶対愛の宇宙の中心真理の人格的表現を抽象概念ではなく具体的に生ける人格として天皇に於て見出さんとするものである。それが真実であることは終戦時の天皇の絶対無私の愛の行蹟がこの世界を戦火の地獄から救ひ出した事実によつてテスティファイせられてゐるのである。兎も角この本を読んで私の考へが間違つてゐるか正しいか沈思黙考して頂きたい。

   昭和三十九年十一月一日
            谷 口 雅 春 識

174復興G:2011/09/11(日) 06:26:15 ID:Ir7svY6w

さて、a hopeさま。

あなた様は、「生長の家本流復活掲示板」の方まで行って、このボードのことを宣伝してくださいましたね。

そして、こちらの「女子会板」<118>で

>破邪顕正さまがおっしゃる通り、わたしはもうどんな批判的文章も、体が受け付けないようになってしまったのですよ(笑)。
それが、現教団批判であれ、本流批判であれです。
もはや、a hope は愛と真理の世界でしか生きていけません(笑)

とお書きになっています。

すばらしいです。
私は、貴女の前に、ただただ平伏礼拝あるのみです。
ありがとうございます。

175トキ:2011/09/11(日) 10:07:11 ID:xEVYjD4.
>>171

復興G様、ありがとうございます。

復興G様へのご質問やご感想がありましたら、どんどんお寄せ下さい。

合掌 ありがとうございます

176復興G:2011/09/12(月) 14:21:47 ID:Ir7svY6w

さて、<56>で八百比丘尼さまが

   −−鈴夜より質問状ーー
>ボクも、野猫から人間にもどれるのでしょうか。
うちのオニババも、妖怪から真人間になれるのでしょうか。どうして私たちが、このようなあさましい姿になってしまったのか……<

とご質問をくださった問題は、八百比丘尼様たちだけの問題として、私は偉そうに書いてまいりましたが、実はこれは私自身の問題であったと、気がつきました。五百生野狐を演じていたのは、自分ではなかったか? と。

それで、もう少し書かせて頂きます。

『無門關』の第1則「趙州狗子」に

<<・・・・生死岸頭(しょうじ がんとう)において大自在を得、六道四生(ろくどう ししょう)の中(うち)に向つて遊戯三昧(ゆげざんまい)ならん。>>

という語があり、それは、(「無」の門関を透過すれば)生死の岸頭(生死のさかい)にいても自由自在、少しも畏れることはない、ということである。
六道とは地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の六つの境涯。
四生とは胎生、卵生、湿生、化生の四つの生まれ方。
とまでは谷口雅春先生のご解説にありましたが、その「四生」の意味がもう一つ具体的にわからなかったので、ここは引用していませんでした。

が、「四生」の意味をくわしく勉強してみますと、

(1)胎生(たいしょう)というのは、哺乳動物のように母親の胎内で育てられて、形あるものとして生まれてくるもの。
(2)卵生(らんしょう)というのは、卵として生まれ、それを親鳥が温めて孵化し、はじめて形あるものとして出てくるもの。
(3)湿生(しっしょう)とは、しめり気のある所に生まれてくるもの。例えばカビとか植物など。
(4)化生(けしょう)とは、妖怪、お化けのように突然出てくるもの。

と、生まれ方をこのように四つに分けた。そして生まれ方によってまた生きている状態もきまるわけで、胎生・卵生は動物、湿生は植物、化生は変化(へんげ)となる。

ということなのでした。(仏教教義解説のサイトより)

そして、谷口雅春先生のご解説は──

<むづかしいことは何もない。難かしいと思つてゐたのは「無」の関門を通らずに引掛つてゐたからである。「無」にさへ引掛らなかつたら、生死の岸頭(生死のさかい)に於ても自由自在、少しも恐れる事はない。六道のうち地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上のどの世界へ行かうが、四生のうち胎生、卵生、湿生、化生のどの生れやうをしようが、もう引掛ることがないから遊戯三昧(ゆげざんまい)に化して了ふのである。此の境地に達したならば、もう本当に自由自在「驀然(まくぜん)として打発(だはつ)せば天を驚かし地を動ぜん」で、関羽将軍の大刀を奪ひ得て敵陣に躍り入るが如く、佛も、祖師も、衆生も悉く、その自由自在の働きで粉砕されて了ふのである。>

──とお教え頂いており、これはまさに、八百比丘尼さま、鈴夜さまのご質問への答えそのものではないか、とちょっと思ったのです。が──

「それはちがうぞ。それは、お前自身のことだ!」
「五百生野狐を演じていたのは、お前自身だ!」

という、内なる声が聞こえたような気がしたのであります。

野狐を演じていながら、そのことに気がつきもせず、
「祖に逢うては祖を殺し」と言いながら「自分」のみ鼻高々と自分を「祖師」として、祖師の殺し方が足りなかったのは、お前ではなかったか! 
という痛烈な一喝を受けたように思ったのであります。

ごめんなさい。・・・・・
と私は、その声にただただひれ伏すしかないのであります。

177復興G:2011/09/12(月) 14:58:31 ID:Ir7svY6w

<<箇の熱鉄丸(ねってつがん)を呑了(どんりょう)するが如くに相似て、吐けども又吐き出さず。>>
<<従前の悪知悪覚を蕩尽(とうじん)し、久々(きゅうきゅう)に純熟して自然(じねん)に内外打成一片(ないげだじょういっぺん)ならば、唖子(おし)の夢を得るが如く只自知することを許す。>>

という語が、やはり『無門關』第1則「趙州狗子」の中にあります。

谷口雅春先生のご解説──
<冷暖自知せよ! 絶体絶命、熱鉄の灼熱せる団子が咽喉につまつたやうに吐けども吐くことが出来ない。最初は無いと感じてゐたが、その無を感ずる感覚器官さへも焼けて了つて熱いも冷たいも無い、ただそこに熱鉄だけがある。のがれる道はない──その儘受ける──その心境になると、従前の悪知覚がなくなつて、苦しい熱鉄の団子を呑まされたと思つてゐた苦しい感覚がなくなる。そして<<久々に純熟して自然に内外打成一片>>となる。受ける自分(内界)と与へる外界とが渾然熟して一体となる。一体となるとき、そのままそこが極楽であることが、喋らないでも唖子(おし)が夢を見て自得するが如く自得するやうになるのである。忠義とは苦しいもの、孝行とは面倒くさいもの、夫婦相和は退屈なものと思つてゐたのが、忠孝とは愉しいもの、孝行とは悦ばしいもの、夫婦相和は楽なものであると其のまま素直に行へるやうになるのである。病気なら病気が癒える。>
と。

──この「熱鉄丸を呑了する」ということは、「死んでしまう」ということ。
いっぺん死んでしまわなくてはだめだ、ということだと思いました。「自我を死にきるべし」ですね。

「自分」というものはなかった! と思ったら、
「すべてが自分だった!」
となる。
そしたら、神想観をして「われ今五官の世界を去って実相の世界に入る」というとき、「われ」は「全てのもの」となり、「全てのもの今五官の世界を去って実相の世界に入る」となる。「同時成道」である。

──今朝、神想観のとき、そういう思いになりました。

178a hope:2011/09/12(月) 15:51:43 ID:MNrNIsM2

復興Gさま

わたしは、まだ全部読み終わってないんですが、「不退転の決意」ということについて、
わたしなりに感じたことがあるので聞いてください。

拙い例えで、恥ずかしいのですが、わたしは子どもをたくさん産んだので、
なかなか体型が昔のように戻らないんです。

それで、何年も前から、早朝ウォーキングをしているのですが、始めたばかりのころは、
とにかく、体重を減らしたい、健康になりたい、という思いだけで、必死に歩いていたんです。

だから、全然楽しくなかったし、子どもが具合が悪くなって、ウォーキングに行けなかったりすると、
行けないと日が続くと、もうウォーキングに行く気が全く失せてしまい、長続きしませんでした。

ですが、ある日、朝日がとてもきれいな日があって、今日はウォーキングに行きたい!
って心から思ったんです。

そしたら、朝の空気がとてもすがすがしくて、道端に咲いている小さな花とか、
遠くの山の緑とか、すれ違う人の笑顔とかが とにかくすべて美しく見えたんです。

その時、わたしの生きている世界は素晴らしいんだ!と感じました。

その日から、ウォーキングはわたしにとって、楽しみになったんです。
行ける日もあるし、行けない日もあるんですが、それでも、ずっと続いています。


わたしにとっての、神想観も同じようでした。

最初は、30分も正坐しているのはとても辛く感じました。
でも、そういう風にやらなければ、なんの効果もないんだから、やらなければいけないんだ!
という気持ちのほうが強くて、我慢してやっていました。

そして、途中、子どもに邪魔されるとイライラしたりして、でも、そんな風にがんばってやっていても、
何にもいいことがありませんでした。

でも、今は、全然違います。
神さまに包まれるのが、心地よいのです。

時間も、その日により、10分間の時もあれば、1時間近くする時もあります。
でも、全然気にならなくなりました!

だって、楽しいですから!

「不退転の決意」というのは、そういうことなのではないかと、感じました。

反応が、遅くて、申し訳ありませんが、a hope は、忙しい主婦なので許して下さい(笑)

復興Gさまが、書き込みを続けてくれていて、とてもうれしいです!
がんばってついていきますので、見捨てないでくださいね。

179復興G:2011/09/12(月) 15:57:09 ID:Ir7svY6w

「全てのもの、今五官の世界を去って実相の世界に入る。<五官の世界>は、無いのである。今ここ実相世界、神の無限の智慧、愛、生命、供給、喜び、調和のみ光の大海原に在し、神の無限の智慧、愛、生命、供給、喜び、調和に満たされているのである。ありがとうございます。ありがとうございます。」

命をかけてこの「実相独在」に徹し、全てを礼拝するのみであります。

  *************

もし「現象あり」とすれば、「谷口雅春先生を尊敬する」と言っても、先生のご業績が素晴らしいからだというなら、逆に言えば、「それだけのことしかお出来にならなかったのか」ということにもなります。三代目様に正しく真理を嗣がせることすら出来なかったのか、と。そして、「いつになったら日本の実相顕現はできるのか」「まだだめだ、まだだめだ」ということが永遠に続くのではないでしょうか。

すでに
「住吉大神宇宙を浄め終わりて天照大御神出でましぬ」
であります。

「現象あり」とすれば、現総裁は野狐を演じていらっしゃるかも知れない、その総裁を擁護するものもみんな野狐かも知れない。では、その総裁の退陣を求めて戦っていらっしゃる「本流」の方々は、野狐ではないのか。

──お前はどうか、と言われれば、「ハイ、私は野狐の最たる者です」と言わざるを得ません。

みんな実は野狐を演じている、というのが現象のすがたかも知れません。

しかし、苟くも生長の家の御教えに触れ、谷口雅春先生の御教えに生きようとする者が、たとえ今、五百生野狐を演じ、争っているように見えていようとも、それは「無」である。

<自分の実相が既に迷わず、既に輪廻せず、既に病まないものであることを知ったならば、五百生(ごひゃくしょう=五百回生まれかわる間)野狐に生れていても、菊五郎が四谷怪談のお岩をやるのと同じことで、迷っているとは言いながら、それは芝居をやっているのも同じこと、五百生風流三昧(ふうりゅうざんまい)をやっているようなものだ>

<そこで「狗子(くし=いぬころ)に仏性ありや無しや」という某僧の問いに対して趙州は「無」と応えたのは、肉体は無い、物質はない、迷っている心が悟って仏になるような、狗子の皮袋の中に入り込んでワンワン言っているようなそんな仏性もないと答えたのである。狗子の中に仏性が入り込んで生きているというような「仏性」というものもないという時、そんな二元論は否定されてしまったのである。全体を否定したとき、全体が生きて来たのである。>

<そこで完全に真仏が肯定されて来、狗子は狗子そのままで正法現前であることが判ったのである。狗子と仏性を分けたり、「有る」と「無い」との相対的有無にちょっとでも捉われたりしたならば本当の生命を失ってしまうというのである。「狗子仏性の公案は全体を提(ひっさ)げて真理を宣命しなければならぬ。少しでも相対の見に立ったら千仞の奈落に堕(お)ちて身を喪(うしな)ひ命を失うぞ」というのが、
<<狗子仏性、全提正令(ぜんていしょうれい)、纔(わず)かも有無に渉(わた)らば、喪身失命(そうしんしつみょう)せん>>
という「頌(じゅ)」の意味である。全否定を通過しての全肯定の世界である。180度回転を通過しての360度回転の世界である。そのままこの世界が肯定されて、自由自在、関羽将軍の大刀を奪取して無明の首を刎(は)ねる働きの出来る世界である。>

この谷口雅春先生の御教え、「実相独在」の真理に徹し、<歴代の祖師と手を把(と)つて共に行き眉毛(びもう)厮(あい)結んで、同一眼(げん)に見、同一耳(じ)に聞すべし。豈(あ)に慶快ならざらんや>という喜びのみの、遊戯三昧(ゆげざんまい)の生き方をしてまいりませんか。

180復興G:2011/09/12(月) 16:15:11 ID:Ir7svY6w

>>178 :a hopeさま。
> 朝の空気がとてもすがすがしくて、道端に咲いている小さな花とか、遠くの山の緑とか、すれ違う人の笑顔とかが とにかくすべて美しく見えたんです。
その時、わたしの生きている世界は素晴らしいんだ!と感じました。
その日から、ウォーキングはわたしにとって、楽しみになったんです。
わたしにとっての、神想観も同じようでした。
神さまに包まれるのが、心地よいのです。
だって、楽しいですから!<

──最高ですね。うらやましいぐらい。

>反応が、遅くて、申し訳ありませんが、a hope は、忙しい主婦なので許して下さい(笑)

よろこんで、楽しんで、ゆっくりとまいりましょう。

181フク子:2011/09/13(火) 05:03:14 ID:Ir7svY6w

「女子会板」の方に、

  ○

134 :フク子:2011/09/12(月) 22:12:38 ID:Ir7svY6w

>>130 :八百比丘尼さま。
> 今夜は、中秋の名月。
> 皆さまの所でも、美しいお月様が見えますように。
> 今夜の神想観は、浄円月観。

今、私のところからも、一点の曇りもない夜空に、まん丸く清く美しいお月様が見えています。

私も大好きな、浄円月観の神想観をしました。

「神の無限の愛、すべての人々に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。すべての人々に浄円月の雰囲気ただよう。皆様の雰囲気は、やわらかくあたたかく浄く美わし・・・・」

と念じさせていただきました。
そして、谷口雅春先生は、
「たといお月様が欠けて三日月のように見えるときも、実はお月様はまん○で欠けてはいない。それは地球の影が写って欠けて見えるだけである。
お月様に雲がかかっているように見えるときも、それは地球に雲がかかっているだけであって、月には水蒸気がないから雲がかかることはないのである」
とお教えくださっていることを思い出しました。

   ○

・・・・と書きましたのは、わたくしの変化身でございます。

上記、谷口雅春先生の御教えは、もちろん、
「まんまるいお月様」は實相のお月様。
欠けて見えたり、曇って見えるのは現象のお月様。
のたとえであることは、言わずもがなでございます。

そんな理屈は、女子会板の雰囲気をこわすような気がして書きませんでしたが、昨夜の美しい中秋の名月は、谷口雅春先生とともに、天も「實相独在」の真理を讃えて現れてくださったかと、感無量でありました。

182復興G:2011/09/13(火) 05:06:29 ID:Ir7svY6w

↑「フク子」は、復興Gでございます。

183a hope:2011/09/13(火) 13:08:10 ID:MNrNIsM2

復興Gさま

昨晩のお月さまは本当に、美しかったですね。
わたしは、夕食前に夜のウォーキングに行ってきました!

わたしの住む所は、震災後、節電が実行されているため、
余計にお月さまの明かりが目に染みました。


復興Gさまは、>159の中の、「訊け」管理人さまへのお返事で、

>構えたら、負けですね。
>「構える」ってことは、相手は自分と相対した向こう側にいると思うから構えるんですね。
>構えたら、必ずどこかにスキが出来るから、負けちゃうんです。

とおっしゃっていますね。
なんか、「坂本龍馬みたいでかっこいいな」と、思いました。

184復興G:2011/09/13(火) 21:22:38 ID:Ir7svY6w

>>183 :a hope様

>昨晩のお月さまは本当に、美しかったですね。
わたしは、夕食前に夜のウォーキングに行ってきました!<

私が見たのはかなり夜が更けて10時ごろだったので、すでにお月さまはかなり高いところにあり、あまり大きくは見えませんでしたが、本当に、美しくかがやいていましたね。夕食前なら、低いところにあって、もっと大きく見えたことと思います。そのときに夜のウォーキングをされたとは──きっと、「あのお月さまと私はひとつ、私はお月さまだ」というような気持ちになられたのではないかと、察しています。よかったですね。

>わたしの住む所は、震災後、節電が実行されているため、余計にお月さまの明かりが目に染みました。<

震災後、「節電で家中を暗くしたら、前よりもずっとお月様がきれいに見えた」という話は、ほかの方からも聞いたことがあります。何があっても、よくなることがあるのですね。

>復興Gさまは、>159の中の、「訊け」管理人さまへのお返事で、
>構えたら、負けですね。
>「構える」ってことは、相手は自分と相対した向こう側にいると思うから構えるんですね。
>構えたら、必ずどこかにスキが出来るから、負けちゃうんです。
とおっしゃっていますね。なんか、「坂本龍馬みたいでかっこいいな」と、思いました。<

えっ?
坂本龍馬、ですか。そんなこと言われたのは、a hopeさまからが初めてです。
「構えたらスキが出来る」というのは、谷口雅春先生のお教えなんですが・・・・私がもう50年ぐらい若かったら・・・・なんて考えちゃいますよ。

185復興G:2011/09/13(火) 22:41:53 ID:Ir7svY6w

さて、私は約1週間のあいだではありましたが、「実相独在」について、引用文も随分多くなりましたが、勉強させて頂き、考えさせて頂いたことを発表させて頂きました。
自分の考えというより、何者かが導いて教えてくれたことにように思われますが・・・・。

榎本恵吾先生は、
「生長の家とは何か。それは、自分のいのちのことである。」
そして、「生長の家にいのちをかける」とは、「実相独在にいのちをかける」ということである、と言われた。
それは、「自分はなかった。今、全てが自分であり、全てが神だった」ということであり、ただ喜んですべてを礼拝し祝福して生きることなのだと、私は自覚いたしました。
ただただ静かな深い感謝のうちに、喜んで愛を行じさせていただきたいと、決意しています。

皆様には、すでに深いところでご理解と共感をいただいたものと、私は満足しております。天にも共感をいただいたかと。
それで、そろそろトキ様にトーキングスティックをお返ししようと思いますが、よろしいでしょうか。

186トキ:2011/09/13(火) 22:48:12 ID:JGTh/CoE
>>185

復興G様

 素晴らしいご指導をありがとうございました。

 では、一度、トーキングスティクを受け取る事にさせていただきます。ただ、復興G様の
ご指導は素晴らしいものですから、カーテンコールも多いと思います。続きは
「「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板 」でお願いする事にしようかと
思いますが、どうでしょうか?

 ご異議のない場合は、次の方を募集したいと思います。

合掌 ありがとうございます

187復興G:2011/09/14(水) 05:14:48 ID:Ir7svY6w

>>186 :トキ様
ありがとうございます。

私は、トキ様がスティックを持ってご発言の途中で、無理にスティックを奪い取ったような気がしていましたので、スティックを早くお返ししなければ……と思っていました。まだトキ様のご発言が3回程度で、「途中中断」だったと思います。ですから、私がスティックをお返しすれば、当然スティッカーはトキさんになるものと思っていましたが、ちがいますか?

それから、私は184で

>皆様には、すでに深いところでご理解と共感をいただいたものと、私は満足しております。

と書きましたけれども、たとえば初心者様にも十分理解と共感をいただけたとは思っておりません。
正直言えば、一人であまり長くスティックを持たせて頂いてもいけないかな、この「実相独在」というテーマは、前にも申しましたように、(144)
<「実相独在」とは、「現象無し」つまり人間の五官、眼耳鼻舌身でだれでも認識できる五感の世界を「ない」と否定して、それを超えたものを全生命的に把握する、いわゆる「悟り」の境地にかかわるものですね。だから、通常の感覚の「理解」とは次元の違う理会というか、そんなことが求められるとすると、完全に「理解と共感」が得られたと感じられるまでやるとなれば、とても難しいということかも知れません。>

ですから、皆様に徹底してこのテーマを理解し、共感していただくためには、延々といつまでも書き続けなければならないかも知れない。

このボードのずっと前の方、>>57 で、初心者様は

>わたくしは、神や天とつながるよりも、人とつながることのほうが、はるかに難しいと感じます。神や天は、こちらが心を開きさえすれば、かならず受け入れてくださるはずですね。でも、人は違いますね。・・・・

と書かれていました。私は、その「人とつながる」ことが全く不十分です。自己中で、正直いえば、孤独という思いも残っています。ですが・・・・

たとえば「現象無し」ということでも、ある程度は物理学からも説明できることかも知れないけれども、それは真理の周辺のことであって、真髄ではない。本当にその真髄をつかむには、「実証」「実体験」が必要なのかなあ、と思います。

ですから、<続きは「「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板」で・・・・>とトキ様がお書き下さったのは、ピタリのご助言だと思います。そうさせていただければありがたく思います。

188トキ:2011/09/14(水) 10:13:52 ID:39Q2Y2jk
>>187

復興G様、素晴らしいご投稿、ありがとうございました。心から感謝申し上げます。

さて、次の「トーキングスティク」を持ちたい方は、遠慮なく立候補して下さい。
自薦、他薦を問いません。

復興G様のような高いレベルの内容は求められません。自分の気持ちや感情を
素直に書いて下されば結構です。

 ちなみに、私は管理人ですから、いつでも書けます。だから、小生の事は無視して
下さい。

以上、宜しくお願い申し上げます。

合掌 ありがとうございます

189復興G:2011/09/14(水) 11:34:31 ID:Ir7svY6w

>>188

ありがとうございました。
では、私はこれから約5日間休暇をいただきまして、19日頃から、「信仰/体験板」の方で、また「実相独在」のテーマに関することを、今度は先師のご文章の引用や理屈ではなく体験を主にして、楽しく書かせて頂きたく思います。(しばらく、ほかの公私にわたる用事がありますので)

よろしくお願い申し上げます。
合掌 ありがとうございます。

190トキ:2011/09/14(水) 17:43:27 ID:39Q2Y2jk
 えーと、では、次の「トーキングスティク」を希望される方を募集します。

「a hope」様、どうでしょうか? 書いてみませんか?

191a hope:2011/09/14(水) 22:04:03 ID:MNrNIsM2
あら、ここにわたしの名前が...気付いてよかったです。

トキさま

今までも、ずっとそうでしたが、わたしが、本流宣言の先輩方にお応えいただきたいのは、
たった一つのことですし、今までも何度も質問させていただいてきたことなのです。

トーキングボードで、お話するような内容ではないので遠慮しておきますね。

それよりも、わたしは復興Gさまのお話の内容を、まだ、すべて理解できてないので、
そちらの勉強に時間を使わせていただきます。

そして、自分の考えや思いがまとまりましたら、もしかしたら、トーキングスティックボードに、
挑戦させていただくかも知れません。

その時は、よろしくお願いいたします。

192復興G:2011/09/15(木) 07:14:20 ID:Ir7svY6w

私は、a hopeさまの速やかなご登場を期待します。

a hope様は、「自分の考えや思いがまとまりましたら」とおっしゃっていますが、書き始めましたら、書いているうちに自然にまとまっていく、というのが私の体験からの実感です。私が書き始めたとき、何も考えはまとまっていませんでしたが、書いているうちに、なにものかが私にのりうつって書かせてくれ、自分で自分の書いたものに感動している、というようなことでしたから・・・・。

a hope様は、“忙しい主婦なので”とおっしゃってましたから、推薦をご遠慮していましたが、多分、時間というのはなんとかなるものだと思いますよ。ぜひご登場を、お待ちしています。

193a hope:2011/09/15(木) 23:06:36 ID:MNrNIsM2

うのはなさまや、復興Gさまに推薦していただいているのですが、
わたしにしては、珍しく、気乗りがしないのです。

というのは、この、トーキングスティックの方法なんですが、

①トーキングスティックを握っている人だけが発言できる。
②そのトーキングスティックを持っている限り、理解されたと納得できるまで一人で話すことができる。
③他者は主張することも異論を唱えることも反対や賛成することもできない。
④彼らにできることは、発言者を理解し、理解したことを説明しようと努めることだけである。
⑤発言者が理解されたと認識できるように、傍聴者は発言者の主張の趣旨を正しく説明する必要がある。
(以上、『訊け』さまブログから引用させていただきました。)

ですよね。

わたし的に、なんで気乗りがしないのかと考えてみたんですが、
だってこの板では、最初から、わたしの発言が、理解され共感されるってわかっちゃってるんですよ。


わたしは、みなさんのように博識ではないので、自分のなかにそんなに言いたいことが詰まっているわけではないのです。
それに、まだ、生長の家の教えに触れて、数年しかたっていないし、生命の實相だって、半分も読み終わってません。

それなのに、この板で話せと言われるのは、話すべき知識が十分ないのに、
公衆の面前で一人で演説しろ!といわれるくらいのプレッシャーなんです(笑)。

でも、わたしがここでそれに挑戦することで、
これからの「生長の家」になにかしら、明るい兆しが見えてくるのであれば、
そんな、自我を殺してでも、挑戦してみようかと思います。

復興Gさまのいうように、書いてるうちに何かが、のりうつってくるかも知れませんしね(笑)


トキさま

トキさまは、本当に後回しでいいのですか?
わたしは、トキさまの後でも、全然構わないです。
と、いうよりそのほうが、助かるんですが...(笑)

194うのはな:2011/09/16(金) 10:04:02 ID:iM0b0bt6
>193

トキさんは理事長の仕事やサイト運営やいろいろと忙しいからダメダメ

 a hope さま、トビトビでもいいから
落ち着いたときスティックもってくださいよ。
ホントニ書きながら考えがまとまると思います。

195トキ:2011/09/16(金) 10:04:48 ID:njwnsdfY
>>193

a hope 様

 いやー、どうも勝手にご指名をして、申し訳ありませんでした。
 
 小生がトーキングスティクを持ったのは、まあ、ある種の責任感からですので、
どちかと言えば、他の方が書いて下さる方が良いと思います。それに、小生は
いつでも書く事ができますから、気にされないで下さい。一般信徒だった方から
の視点というのは、とても大事だと思います。

合掌 ありがとうございます

196a hope:2011/09/16(金) 14:44:59 ID:MNrNIsM2

うのはなさま 

重ねてのご推薦ありがとうございます。
うのさまに、そうまで言われては、やらないわけにはいかないですね。


ときさま

テーマなんですが、女子会板で、うのさまと話しあっていた、
「愛」「伝道」「真の生長の家の教え」というテーマを、
を取り上げたいんですが、これ、どう考えても、わたしが一人で演説するのは無理です(笑)

だって、女子会板でわたしは

それでは、真の生長の家の教えとは、何なんでしょうか?
わたしは、何をどのように伝道すれば、本当に人を救えるのでしょうか?

だって、雅春先生は、「人間はみな神の子」だと言っているではないですか。
生長の家の愛は実相を見て、「赦す愛」だと言っているではないですか。


と、先輩方に問いかけているんですから...
それは、すべての生長の家の先輩方に答えていただきたいことなんです。


本流宣言の掲示板でわたしは、先輩方に生長の家の愛と本流の運動の関係について、
3回形を変えて質問させていただきました。

でも、どの先輩方からも、わたしの求めるお返事はいただけなかったのです。
だから、わたしは、本当にわからないのです。

ですから、わたしの場合は、トーキングスティックボードのやり方からは、
少し外れてしまうかもしれませんが、わたしへの理解、共感よりも、
みなさんのご意見を是非聞かせていただきたいのです。

そのご意見を聞いてからではないと、わたしが話し出すことは不可能です。

そんな形でもいいでしょうか?

197a hope:2011/09/16(金) 14:53:48 ID:MNrNIsM2
訂正

うのさま→うのはなさま

です。お昼寝の後だったので、ボケてました(笑)
省略してしまってごめんなさい。

198トキ:2011/09/16(金) 15:07:30 ID:njwnsdfY
 了解しました。では、まず、他の皆様から、a hope様からの問いかけに
ご返答お願いします。

 例えば、義春様、どうでしょうか?

199a hope:2011/09/16(金) 15:13:32 ID:MNrNIsM2

トキさま

ありがとうございます。
でも、ちょっと待ってください。

いっぺんにたくさんの質問に答えていただいたら、わたしは混乱します。

質問に関しては、今夜改めてさせていただくので、もう少し待ってください。

よろしくお願いいたします。

200トキ:2011/09/16(金) 15:59:31 ID:njwnsdfY
>>199

a hope 様


 了解しました。どうも、失礼をしました。もし、よかったら、一度、他の方も
当たってみましょうか? その方がここに書いているうちに、他の板でa hope様
が他の方々と納得のいくまで問答をし、ある程度、考えを整理してもらい、
それから「トーキングスティク板」でa hope様がまとめてもらう方法もあります。

201トキ:2011/09/16(金) 16:05:26 ID:njwnsdfY
 途中で失礼をしました。もちろん、a hope様のやりやすい方を選んで下さい。

合掌 ありがとうございます

202神の子さん:2011/09/16(金) 16:57:15 ID:MNrNIsM2

トキさま

わたしは、どの板でもいいですが、
でも、どこで質問すれば、一人でも多くの先輩方に答えていただけるのしょうか?

もう、すでに、一度、女子会板から、呼びかけてみたのですが、
うのはなさまだけからしか、お返事をいただけていないものですから...
他の板で、お答え下さっている方がいたら、ごめんなさい。
教えてくださいね。

ここなら、わたしが納得いくまで、みなさんのお答えを待てそうだと思ったのです。
そして、自分の主張もちゃんと聞いていただけそうだとも思ったのです。

ですから、トキさまやみなさまさえよろしかったら、こちらの板で、
やらしていただきたいです。

203a hope:2011/09/16(金) 16:57:47 ID:MNrNIsM2
↑ a hope です。

204トキ:2011/09/16(金) 17:24:30 ID:njwnsdfY
>>202

 了解しました。では、この板でお願いいたします。
皆様、ご協力をお願い申し上げます!

205a hope:2011/09/16(金) 21:44:06 ID:MNrNIsM2
トキさま
わたしのわがままを聞いていただきありがとうございます。
それでは、感謝の気持ちを込めて、トーキングスティックを握らせていただきます。合掌。


まず、最初に「愛」について、みなさんに質問させていただきます。

これについては、以前、女子会板で、うのはなさまに質問したことと同じ質問をさせていただきたいと思います。
どうして、わたしがその質問を、うのはなさまにしたのかは、すみませんが、
女子会板の、>123 >124 をご覧になってください。

質問1、雅春先生は、雅宣先生を愛しておられないんでしょうか?
    お孫さんとしてではなくて、一人の神の子として、愛しておられないんでしょうか?
 
みなさまの、お返事をお待ちしています。
本流宣言の先輩方にもぜひお応えいただきたいです。

わたしは、雅春先生の愛=生長の家の愛 だと思っているので、
できれば、その愛がどのような愛なのか、具体的に説明していただけるとありがたいです。


どうぞ、よろしくお願いいたします。

206トキ:2011/09/16(金) 22:45:01 ID:njwnsdfY
 私は直接、谷口雅春先生から親しくご指導を受けた経験はありません。

 しかし、戦前、生長の家の揺籃期に、谷口雅春先生から親しくご指導を受けた
直弟子の先生方から谷口雅春先生のお人柄はよく聞かされました。

 平成の信徒の中には、谷口雅春先生を石部金吉というか、堅苦しい人のように
勘違いをする人もいます。しかし、実際には、明るく、朗らかで、人間味の溢れた
方だったと聞いております。ですから、講演の後に、信徒が谷口雅春先生を囲んで
冗談を言い合ったり、和気藹々と話をするのが日常だったみたいです。
 反面、教えには厳しく、妥協を許さない人だったとも聞いております。

 例えば、地方にご巡杖にいかれる場合でも、電車の中では、御付きの方と楽しく
会話をされますし、それほど窮屈な態度を取られません。が、会場に入ると、お
付きの方にも厳しい態度を取られたようです。谷口雅春先生は細かい点にも気が
つく方なので、信徒へも細かい心遣いをされます。ですから、職員にも同様に
行き届いた態度を要求されたみたいです。普段は温和な先生ですが、怒られると
たいへん怖かった、とも聞いています。

 ただ、戦後になり、超ご多忙になると、地方にご巡杖に行かれた時でも、休憩時間
にご公務やご執筆をされるので、そういう姿を信徒は見る機会がなくなったようです。

 この極端な差は、やはりどちらも「愛」の発現であると思います。
生長の家では、「愛」とは「自他一体の自覚である」と説きます。しかし、同時に
「智慧のない愛は、愛ではない」と説き、「峻厳な愛」という発想もします。

 個人としての、谷口雅春先生は、家族を愛し、隣人を愛し、信徒を愛する人でした。
が、生長の家の指導者としては、ある場面では、教えを護る為に、一見すると厳しい
態度を取られる方でした。それは、公務という場面では、いい加減な事をすると、
多くの人に迷惑をかけるので、きびしい態度を取る事が必要だったからです。ですから
信徒には優しい谷口雅春先生でしたが、本部の職員が間違いをした時には容赦なくお叱り
になられたようです。が、それでも、その人を放逐するようなマネはなかったとも聞いて
います。現象として、弟子が間違いをした時には厳しかったとしても、基本的には
神の子として拝み愛する気持ちは忘れた事はないかと拝察しております。

 なお、生長の家の講師でありながら、野心を起こして別派を建てたり、間違った
言動をする人は何人もおられました。再三注意しても言動が改まらない場合は、
信徒に迷惑をかけないために破門されました。
 戦前、既にそのような人がいました。が、それを信徒に公告する「明窓浄机」の
谷口雅春先生の御文章は悲しみに満ちていました。

 生長の家に限りませんが、仏教でも、「智慧と愛の十字」と言います。
誰かが間違いをした時は、「智慧」という観点から、厳しい態度を取る事は必要
ですが、同時に「愛」も大切です。(河田亮太郎先生の「ほとばしる生命」をお持ち
の方は、谷口雅春先生と河田先生の会話をご覧下さい。)
 そして、谷口雅春先生は、どんな相手でも「愛」を忘れた時はなかったと思います。

質問1、雅春先生は、雅宣先生を愛しておられないんでしょうか?
    お孫さんとしてではなくて、一人の神の子として、愛しておられないんでしょうか?

というご質問については、以上から忖度してくだされば、幸いです。

合掌 ありがとうございます

207a hope:2011/09/16(金) 23:50:03 ID:MNrNIsM2

トキさま

さっそくのお返事ありがとうございました。
トキさまの文章を読んでいると、雅春先生のお人柄がとてもよく伝わってきます。
そして、生長の家の教えを学びながらも、「野心を起こして別派を建てたり、間違った
言動をする人は何人もおられた」、という事実には少々驚かされました。
そして、そのことを雅春先生は、とても悲しまれていたようですね。
わたしは、雅春先生に不可能はないのだと思っていました。
雅春先生が祈れば、すべてが解決するものだと思っていたので、
そこのところは、少し意外でした。

ところで、生長の家の愛についても丁寧にお応えいただいているのですが、
これについては、他の方々の意見をもっとうかがってみたいです。

よろしくお願いします。

208復興G:2011/09/17(土) 21:57:51 ID:yhDBe2kY

>>205 :a hope様

質問1、雅春先生は、雅宣先生を愛しておられないんでしょうか?
 お孫さんとしてではなくて、一人の神の子として、愛しておられないんでしょうか?

──2日間、所用で旅に出かけていて、お答えが遅くなりました。お答えします。(明日もまた出かけます)

 谷口雅春先生は、晩年に(昭和55年2月29日)、「全国代表者会議」の御結語で、「皆さんが谷口雅春である」とお話になったことを思い出します。

  ──────────────
 こんなに大勢生長の家の代表者が集まっていらっしやる。そしてみんな若々しい、元気溌溂たる姿で真理の伝道の抱負をお話しになるのを承りまして、私は「若さというものはいいなあ、私もあんなに若くなりたいなあ」と思ったんです。そう思ったけれども実は、その私というのは皆さんの生命の中に、みんなに私はいるのであって、皆さんが谷口雅春である、というのを感じたのであります(拍手)。そうすると「私もまだ若いなあ」と思うんです(拍手)。僕の跡継ぎの副総裁先生、還暦を少し前に経験したというので、僕からみればまだ元気溌溂たるものでありますけれども、僕の歩く姿はよぼよぼとしていて、自分ながら愛想がつきる感じがするのであります。けれども、この自分ながら愛想のつきる肉体は私ではない、ということを感じるんです。皆さんが私である。真理を元気溌溂と伝道していらっしやる皆さんが谷口雅春で……(後略)
  ──────────────

 とお話になった。これは、『生長の火をかざして』という谷口雅春先生追悼のグラフにも載っているお言葉ですが、私はその場にいて直接お聞きしました。たいへんな感銘をうけました。

 谷口雅春先生は、「自分というものはない。皆さんが自分である」と、お感じになっているんです。
 一信徒のことですらそうなのです。
 いわんや、御自身の後継者となられるお孫様においておや、であります。

「神は愛なり」とは、「神は全てを御自身として見給う」ということだと、お教え頂いています。谷口雅春先生は、まさにすべてを御自身として見給うているのです。
 そのような愛をもって、今も雅春先生は雅宣総裁を見守ってい給うと私は信じます。

209復興G:2011/09/18(日) 04:37:28 ID:yhDBe2kY
(208のつづきです)

谷口雅春先生は、総裁谷口雅宣先生はもちろんのことですが、総裁だけではない。すべての信徒、いやすべての人類、生類、山川草木国土すべて、みんな自分であると見給うている、というのが本当でしょう。

では、それなのになぜ、総裁派(擁護派)と追放派と対立し、争っているのか? という疑問が生じるかも知れませんね。

それ(対立)は、「無い」のです。

「実相独在」ということは、神しかない、調和しかないということです。

たとい現象界から見たお月さんが三日月に見えたり雲にかくれて見えなかったりするときも、ほんもののお月さんはまん円であるように、すでに円満完全大調和しかないのです。「宇宙(くに)静かなり」なのであります。

擁護派もなければ追放派もない。大調和の神以外は「無」である、ということなのです。

ですから、前に書きました、昭和55年(1980年)「生長の家全国代表者会議」での谷口雅春先生御結語のつづきには、次のようにおっしゃったいます(グラフ『生長の火をかざして』より)。

  ──────────────
……生長の家の一大宣言──“現象なし”“実相独在”“真理のみ独在する”という、この大思想に人類の大部分が置き換ってしまうことによって初めて人類は、一九九九年に亡びる筈が、亡びないで助かる。まだ十九年間ある。その間に皆さんがこの真理をずーっと広めて行くことだ。それが本当の救世主、皆さんが救世主なんだ。僕一人が叫んでみても仕方がない。皆さんが谷口雅春で、皆さんが救世主で、そして人類を滅亡から救う役割をもっておられるのが皆さんである。
 「自分が真理の伝道の旗頭として、神様から選ばれているところの素晴しい役割をもっているんだ。そういう使命を戴いているんだ。全世界にこの生長の家の“現象なし”“実相のみある”という、この大真理を宣伝して行くんだ。自分は神から選ばれた天使である。人類の滅亡を救うために生長の家の教え、真理を聴くことが出米たんだ」
 という大使命を、それを改めて自覚し直して、尚一層勇気と明智、そして無限の愛とをもって、人類を救って戴くことを希望しまして最後の結語と致します。
  ──────────────

 上記、「一九九九年に亡びる筈が、亡びないで助かる。まだ十九年間ある」って、何? と思われるでしょう。
それは、その頃『ノストラダムスの大予言』という後藤勉さんとかいう人の書いた本がベストセラーになって、話題になっていた。それによると、1999年に神の最後の審判として天変地変が起こって人類が滅亡するという。そんなことを生長の家では信じないが、方便説法として、谷口雅春先生は上記のように説かれたのです。

自分の心が「現象あり」と見て動揺していると、池に波が立てば水面に映ったお月さんは動揺してちりぢりに砕けて見えるかも知れないけど、本当はそんなものは無いのです。完全円満大調和しかないのです。

 私はそれだけを観て、感謝し、よろこんで、
「住吉大神宇宙を浄め終わりて天照大御神顕(あ)れましぬ。天照らす祖神(みおや)の神の大調和(みすまる)の生命射照らし宇宙(くに)静かなり」
と唱え、念じてまいります。

210復興G:2011/09/18(日) 07:40:20 ID:yhDBe2kY
 今日は午前中、『真理』の勉強会をします。(午後からは旅に出ます)
 『真理』の勉強会のテキストは第10巻第6章なのですが、その最後のところにこうありました。

  ──────────────
  「悪」の存在は幻に過ぎない
 すべての人間は神の子であるから、悪人も悪行も、決して実在するのではない。彼が悪を犯したと見えるならば、彼が悪いのではない。それは人類意識の迷妄によって、謂わば人類意識から幻術をかけられて、幻術によって無い「悪」をあるかの如く見せられているに過ぎないのである。「彼が悪と見える」ことは「非実在である、幻である」として否定せよ。やがて必ず彼は実相の完全な姿をあらわす。必ず必ず、何処にも「悪」は実在しないこと、「病い」は存在しないこと、「罪人」は実在しないことを心の中に強調せよ。光明思想の生活とは斯くの如きものである。もしあなたが「悪」をみとめ、「罪人」をみとめ、「病い」をみとめるならば、あなたは、少くとも其時だけは、光明思想のレヴェルから墜落したのである。やがて凡ての悪が終る除夜の鐘が鳴るであろう。その鐘の音と共に一切の悪があると云う迷妄を追放せよ。人を憎むと云う煩悩を追放せよ。(『新版真理』第10巻162ページ)
  ──────────────

 今の私たちのために書かれているように感じました。
 ありがとうございます。

211a hope:2011/09/18(日) 14:40:23 ID:MNrNIsM2

復興Gさま

お返事をありがとうございます。

わたしは、復興Gさまを尊敬させていただいているので、
復興Gさまのおっしゃることには、すべてうなずきたくなる衝動に駆られます。


ですが、今わたしがそれをしてしまっては、何にもなりませんよね(笑)

わたしは、一人でも多くのみなさまの意見を聞きたいのです。

わたしの質問は、「雅春先生は、雅宣先生を愛しているか、いないか」というとても、
シンプルな質問です。

YES かNOだけの、お答えで十分ですから、ひとりでも多くの方にお答えいただきたいです。

どうぞ、よろしくお願いいたします。

212a hope:2011/09/20(火) 18:47:57 ID:MNrNIsM2
みなさまからのお返事をいくら待っても、いただけないので(笑)、話を進めたいと思います。
あらためて、トキさま、そして復興Gさまお返事をありがとうございました。
それから、女子会板で、かびばらさまや初心者さま、さくらさまなどからもとても貴重なご意見をいただきました。
ありがとうございました。

みなさまのお返事を読ませていただいて、わたしはますます、「雅春先生は雅宣先生を愛していらっしゃる!」という確信を深めることができました。
(ですが、今、ここでは、ここにお返事をくださった方のご意見だけを、取り上げて考えさせていただきますね。)
トキさまのおっしゃる、生長の家の愛の定義(?)『「愛」とは「自他一体の自覚である」』ということと、
復興Gさまが、おっしゃっている、「皆さんが谷口雅春である」というのは、同じことのような気がしました。

生長の家の愛が、「自他一体の愛の自覚」であり、わたしたちみなが、「谷口雅春先生である」ならば、
生長の家の教えを愛する者ならだれでも、雅宣先生を愛しているはずですよね。
だって、雅春先生がそう、おっしゃっているんですから。

それでも、「愛せない」のは、その方が、谷口雅春先生を愛していないか、
もしくは谷口先生がおっしゃっていることを、全然理解されていないか、どちらかということになりますよね。

それに、自分がどんなに、ひどい仕打ちを受けたとしても、それを乗り越えて相手を赦し、相手を愛するのが、
生長の家の教えなんだと、わたしは理解しています。

次に、トキさまのおっしゃっている、「智慧のない愛は、愛ではない」と、「峻厳な愛」なんですが、
>、ある場面では、教えを護る為に、一見すると厳しい態度を取られる方でした。それは、公務という場面では、
いい加減な事をすると、多くの人に迷惑をかけるので、きびしい態度を取る事が必要だったからです。
>ですから信徒には優しい谷口雅春先生でしたが、本部の職員が間違いをした時には容赦なくお叱りになられたようです。
が、それでも、その人を放逐するようなマネはなかったとも聞いています。
現象として、弟子が間違いをした時には厳しかったとしても、基本的には神の子として拝み愛する気持ちは忘れた事はないかと拝察しております。

これのことではないかと思いました。
雅春先生は、『多くの人に迷惑がかかるようなときには容赦なく叱られた、』でも、その人を、『放逐するようなマネはなかった』んですよね。

復興Gさまのお話は、その後、「実相独在」や、「大調和」、「悪」の存在と続いていますが、わたしは、ここで、もう一度、お話を女子会板での、
うのはなさまとの対話に戻させて、いただき、あらためて、質問させていただきます。

質問2、もし、雅春先生が、本流で雅春先生の教えを守ろうとがんばっている先輩方を愛しておられるのと同じくらい、雅宣先生のことも愛しておられたら、
それでも、先輩方は愛なき批判を続けられますか?

この、掲示板は、本流宣言の先輩方も、見ていただけていると確信しています。
ぜひ、ご意見を聞かせてください。破邪顕正さま、蒼穹さま、コスモスさま、葵新吾さま、山ちゃん1952さま、光の泉さま、オズの魔法使いさま、その他、
わたしの今までの失礼な質問やお願いに心をこめて答えてくださった、たくさんのわたしの尊敬する先輩方、どうか、お返事をください。


また、女子会板では、良子さま(義春さま?)が

>うのはな様の仰る様に、愛の逆が否定ではないと思います。愛の逆は無視ですよ。
今の青少年のいじめはシカト(=無視)らしいですが、なんとも寂しいものです。
私の子供の頃は殴られたりでしたから、今と比べると温かいものでした…。
と、いうご意見を下さっています。

ぜひ、ここで、良子さまのご意見も聞かせていただきたいです。
わたしは、本流宣言の先輩方が、「生長の家の愛」を忘れることなく、雅宣先生をご批判されていると信じています。

どうぞ、よろしくお願いいたします。

213a hope:2011/09/20(火) 19:10:09 ID:MNrNIsM2

すみません。
訂正です。

上から11行目、「自他一体の愛の自覚」→「「自他一体の自覚」

よろしくお願いします。

214神の子さん:2011/09/20(火) 19:39:04 ID:???
裁判に愛が無いという根拠は何でしょうか。

愛するゆえに気がついて欲しいという愛もあるかもしれませんよ。

215a hope:2011/09/20(火) 19:49:18 ID:MNrNIsM2
神の子さま

お返事ありがとうございます。

生長の家の教えとは、裁判で裁かれるようなものなのでしょうか?

愛するゆえに気がついて欲しいという愛もあると思いますが、そ
れと裁判と何か関係あるのですか?

すみません、もう少し、詳しく説明してください。

216神の子さん:2011/09/20(火) 20:18:11 ID:gWnzZ.Zk
質問2は、いわゆる本流復活派の方々へ向けられた質問だと思います。
が、私も少し考えてもよいかと感じております。

 少し前に後藤清一さんが松下幸之助から叱られた話を別のスレッドに書きました
が、叱る場合でも、どこかに相手への思いやりとか愛情とかがないと、索漠とした
世界になってしまいます。これ、私もついつい忘れがちなんですね。

 ただ、組織の幹部とか職員とかの立場になると、一般の信徒さんよりも本部と関る
ことが多くなります。また、みんな、たいへんな状況の下で運動をしているので、
本部がいい加減な指導をすると、率直に言って、憤激もします。特に、谷口雅宣先生
の指導には納得ができない人は多いですし、みんな運動には真剣に取り組んでいるので
この状態に憤りを感じるのは、普通のことです。
 しかし、本流復活の運動とは、正しい生長の家の信仰に戻ることだと思っています。
その視点で言うのなら、生長の家の視点から、解決に向けて努力することが大事だと
思っています。

 私は、「和解」というのが、正しい答えだと思っています。ですから、総裁も
本流復活派の先輩方も、尊敬し、愛しております。その視点から、発言や批判を
することが大事だと考えています。

 以上、ご参考まで。

217神の子さん:2011/09/20(火) 20:18:50 ID:gWnzZ.Zk
>>216

失礼をしました。トキです。

218神の子さん:2011/09/20(火) 21:15:04 ID:???
a hope さん、突然書き込んでしまって申し訳ありません。

教えを裁く裁判所などありません。

裁判所は「行為」について法に照らして正しいかどうかを判断する場所です。
特に今回の場合は、著作権に対する双方の考え方の相違が争点であって教えの
内容や布教のあり方を争っているわけではありません。そんなことは裁判所は
無関係ですから。
 ですから「生長の家」が裁判されているのではなく、それを運営する行為者の
判断が(著作権に関して)正しいかどうかと云うことです。

 教団内でどんなに偉い人でも、法の元ではただの人です。団体も同じです。
教団内の論理が法律に照らして正しいかどうかは、トラブルがあったときには
当然第三者をたてて和解するか、争うかを判断し解決します。今回は争うことになり
残念なことですが、裁判の判決は出直して考え直す良いチャンスですので
裁判=悪いこと  ではありません。
 これをきっかけに良い方向に向かうことを願うのも、愛の表現と云うことです。

 和解をするという事は最善とも思われますが、双方の考えが違っていれば
「妥協」によって表向きの和解となりますが、争いのタネは残ります。
長い目で見れば、裁判所に判断をゆだねて、その結果によってそこから和解の
道を探すほうが良いこともあるのかもしれません。
 それから・・・これが本題だと思いますが
「雅春先生は雅宣さんを愛しておられたか」ということは当然イエスです。
ただし、行為ではなく本質を愛されていると思います。
「雅春先生は雅宣さんも愛しておられるし本部も社会事業団も宮澤さんも貴康さんも
みんな愛されています」この原点に気がついて本当の和解が出来る日を信じましょう。

 わたしはその第一歩は「雅宣さんが雅春先生を愛しきれるか」だと思っています。
これが出来れば、すべては解決するとまで思っています。

219神の子さん:2011/09/20(火) 21:28:36 ID:???
ことばを補足しますね。

雅宣さんが雅春先生を愛しきれるか・・・ということですが
「雅春先生の御いのちが我がいのちに流れいり一体となって正しき道を進む」
というご自覚が出来るかどうかです。
「わたしと雅春先生は違うのです」など決して放言してはいけないのです。

220a hope:2011/09/20(火) 22:52:17 ID:MNrNIsM2

神の子さま

詳しい説明、
ありがとうございます。

>特に今回の場合は、著作権に対する双方の考え方の相違が争点であって教えの
内容や布教のあり方を争っているわけではありません。そんなことは裁判所は
無関係ですから。
ですから「生長の家」が裁判されているのではなく、それを運営する行為者の
判断が(著作権に関して)正しいかどうかと云うことです。

神の子さまは、11月30日の裁判のことをおっしゃっていたのですね。
わたしは、そのことに関しては、あまり詳しく知らないので、なんともいえないのですが、

神の子さまが、おっしゃるように、

>裁判の判決は出直して考え直す良いチャンスですので
裁判=悪いこと  ではありません。
これをきっかけに良い方向に向かうことを願うのも、愛の表現と云うことです。

裁判の結果が、教団も、本流もいいほうに向かうのであれば、それはそれでいいことだと思います。


>「雅春先生は雅宣さんを愛しておられたか」ということは当然イエスです。
ただし、行為ではなく本質を愛されていると思います。
「雅春先生は雅宣さんも愛しておられるし本部も社会事業団も宮澤さんも貴康さんも
みんな愛されています」この原点に気がついて本当の和解が出来る日を信じましょう

このように、はっきりとお返事をいただくと、わたしは、とてもうれしいです!

神の子さまは、本流の先輩なのでしょうか...
だとしたら、もっと嬉しいです。

ありがとうございました。

221a hope:2011/09/20(火) 23:10:07 ID:MNrNIsM2

トキさま

今回、トキさまが、生長の家の愛について、詳しくご説明してくれたおかげで、
わたしは、自分のなかで考えをまとめることができました。
本当にありがとうございました。


教団に残ると決意された、トキさまのお立場がどれだけ大変なのもか何となくわかります。

でも、

>本部がいい加減な指導をすると、率直に言って、憤激もします。

とか、

>特に、谷口雅宣先生の指導には納得ができない人は多いですし、みんな運動には真剣に取り組んでいるので
この状態に憤りを感じるのは、普通のことです。

とか、

生長の家の教えに触れて、まだ数年の新入生のわたしに、そのような愚痴をこぼされると、
ますます、教団離れしてしまいますよ(笑)

でも、

>私は、「和解」というのが、正しい答えだと思っています。ですから、総裁も
本流復活派の先輩方も、尊敬し、愛しております。その視点から、発言や批判を
することが大事だと考えています。

という、トキさまの言葉をきいて、さすが、トキさまだと、あらためて尊敬させていただきました。

これからも、よろしくお願いいたします。

222義春:2011/09/21(水) 01:01:33 ID:iu5Ar./Q
a hope様
 遅くなりましたが、お答えしますね。
・・・一つ、私の話をいたします。
色々誤解や批判や非難は覚悟の上でお話いたします。
まぁ…もう、そういったものに慣れてしまってもいるのですが…。

 私は去年の今頃、癌に倒れ、手術をすることになりました。
生きるか死ぬか…まぁ…私は一度死した身で、こう生かされているから、
特に寿命自体を気にすることも無いのですが、さすがに周りの人達のことを
考えるとそうもいかなくて、腹を切る覚悟を決めました。

 それで、父親に病状を報せた手紙を送ったのです。
最初の癌の時に酷い仕打ちを受けたとは言え、お父さんには変わりないです。
だからと…思って。

 やはり何も返事は無かったですね。
分かっていたとは言え、悲しかったです。
今も書きながら涙が出てきますね…ほんと、もう分かっているのに…。
たぶん、父の中では、私という存在が無いのかもしれません…。
シカトされる事こそが愛が無いといったのは…そんな事を思ってのことです。

 ですが、私はそれを恨みには思いません。
そして、今でも戸惑いはありますが、やっぱり父の事は恨めない。
恨めないのですよ。恨めたら、、どれだけ楽か分かりません。
だから、あの苦しさや悲しみは…全て、我が責、そう思っております。
それだから、親父の事を、自分なりに感謝し、何も出来なくても、
平穏に長生きして幸せであるように、先祖に祈っています。
たぶん、親父の事を愛する気持ちがあるんだろうと思います…たぶん。

 翻って雅春先生が雅宣先生を愛されていたかとなると…
自分の経験からすれば、勿論、愛されていると思います。
ただ、私は当事者ではありませんので愛し方はどうかは存じ上げません…。
でも、トキ様や神の子様の仰る様に、雅春先生は皆を愛されていたと思います。
その雅春先生の愛された方々が争うのは、自分の人生がオーバーラップして
本当に辛い気持ちであります。

 だから、素朴に和解していただけたらなぁ…と思うのです。
なんか見苦しい話をお聞かせして、申し訳ありません。
これが、私の思う事なのです。

223a hope:2011/09/21(水) 09:53:17 ID:MNrNIsM2

義春さま

直接、義春さまとお話をするのは、これが初めてなのかもしれませんね。

わたしは、今まで、あなたさまの体験談を色々お聞きしてきて、わたしがあなたさまと関わることで、
あなたさまの辛い心情を、直接自分が受けてしまうことが、怖くて、今まで、お返事ができなかったのです。
決して、無視をしていたのではないのですよ。
義春さまのことは、とても気になっていました。(変な意味ではないので、ご安心を...)


でも、今わたしは真剣に「生長の家の愛」とは何かを理解しようとしています。

そのうえで、義春さまにお返事させていただきます。

お父様は、決して義春さまに、酷い仕打ちもしていなければ、無視もしていないですよ。
だって、人間は一人残らず、神の子ですから、神の子が神の子に、酷い仕打ちができるわけないですよね?
神の子が神の子を無視できるわけないですよね?

現象には、酷い現実は、確かにあらわれているように感じます。
でも、それだって、きっと、義春さまに何かを気付かせて、さらに、
義春さまの魂を向上させてくれようとしている、お父様(神さま)からの愛なのではないかと思います。

わたしは、お父様は、義春さまのことを愛していらっしゃると思いますよ。
義春さまが、お父様のことを、心から愛することができるようになれば、きっと、
現象にもあらわれてくるのではないでしょうか?

だって、生長の家の愛は「自他一体の自覚」ですからね!

義春さまは、わたしよりお若いですが、生長の家の大先輩です。
後輩のわたしが、このようなことを言うのは、とても失礼なことだと思いますが、
ごめんなさい、でも、今、わたしには、何かがのりうつっているようなので(笑)
、そのつもりで聞いていただけたらありがたいです。 合掌。

224義春:2011/09/21(水) 10:15:22 ID:iu5Ar./Q
>>223
a hope様
 有り難う御座います。私も同じように思っています。
私はあんまり何も考えていないので、お気にされないで下さい。

 父のお陰で大概の事は、笑って受け流せるようになりました。
だから、それほどひっかかりは持っていないのです。
まぁ…友人が「過去とは過ちは去ったと書いて過去なんだよ」と、
言っておりますが、私も、現象として現れたのだから、それで良し、
と思っております。
それでも昔を思って涙を流すのは心の奥底で辛い気持ちが、
未だ残っているのでしょう。まだまだ、鍛錬・精進致さねばなりませんね。


 ただ・・・母が、毎日の様に父の悪口を言うのは、少し閉口しています。
気持ちは痛い程に分かるのです。だから、黙って聴く事が多いのですが、
耐えられない時は、
「それでも俺は親父の子だから・・・一寸今日は辛い、ごめんね」
って言って、自室に篭る事があります。

 なんにしても「人生は学校である」という清超先生のお言葉が
心に染みる今日この頃です。
a hope様の御言葉をシッカリ受け止めて精進いたします。
宜しくお願い申し上げます。

義春拝

225a hope:2011/09/21(水) 22:50:53 ID:MNrNIsM2

義春さま

義春さまは、お母様想いなのですね。


わたしも思い出したのですが、子どもの頃、
よく母が、祖母(父の母)の悪口をわたしに言っていました。

そして、祖母は、母の悪口をわたしに言っていました。

まあ、嫁と姑の問題なんですが、まだ、小学生のわたしに愚痴るんですよ!
ほんとに、いやでしたね。
だって、わたしにとったら、どちらも大切な人でしたから...

祖母は、近所の人の悪口なんかも平気で言ってました。
面倒見の良い、とても、親切な祖母でもあったんですが、
その分、自分のしたことに対しての、お礼やお返しがなかったりすると、
不満に思ってしまっていたようです。


でも、そんな二人から、わたしは学んだんです。

わたしは自分の子どもの前では、絶対、人の悪口は言わないようにしよう!
人に親切にするときは、見返りを求めないようにしよう!

なんてことをです(笑)。

やっぱり、その気になれば、どんなことからも学べますね!

義春さま、こちらこそ、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

226a hope:2011/09/21(水) 23:19:04 ID:MNrNIsM2

神の子さま

神の子さまは、わたしへのお返事の捕捉で、

>雅宣さんが雅春先生を愛しきれるか・・・ということですが
「雅春先生の御いのちが我がいのちに流れいり一体となって正しき道を進む」
というご自覚が出来るかどうかです。
「わたしと雅春先生は違うのです」など決して放言してはいけないのです

と、言っておられますが、すみません、昨日は、神の子さまのこの発言まで、
ゆっくり考える余裕がありませんでした。

本当に、そうですよね。
わたしも、雅春先生が、神さまから霊感を受けて書かれた、
「生命の實相」の教えを学びたくて入信しました。

わたしも、雅宣先生が一日も早く、雅春先生の深い愛に気づいてくださり、
雅宣先生も、わたしたち生長の家の教えを愛する者たちすべてを、
雅春先生のように深く愛して下さるといいな。と思っています。

また、書き込み、よろしくお願いいたします。
ありがとうございました。




ここで、もう一度、質問させていただきます。

わたしは、本流宣言の先輩方だけではなく、
どなたでも、トキさまのように、お返事をいただけたら嬉しいです。


質問2、もし、雅春先生が、本流で雅春先生の教えを守ろうとがんばっている先輩方を愛しておられるのと同じくらい、
雅宣先生のことも愛しておられたら、それでも、先輩方は愛なき批判を続けられますか?

この質問にどうそ、お返事をよろしくお願いいたします。

227トキ:2011/09/22(木) 09:43:25 ID:DVizAEi.
a hopeさまより、ご質問がでております。 
  
えー、ごらんになられた方々のご投稿をお願いいたします。

228神の子さん:2011/09/22(木) 10:00:06 ID:???
・・・えーーっと
「愛無き批判・・」という意味が判らないのですが・・・

 たとえば、どんな批判が愛無き批判なんでしょうか。

最も冷たい愛の無い行為は「無視」だと思います。
「そこが間違っていますよ」と指摘することは愛の無いことなのでしょうか。
自他一体の思いがあるからこそ、直してもらいたいのではないですか。

229a hope:2011/09/22(木) 11:28:50 ID:MNrNIsM2

神の子さま

>最も冷たい愛の無い行為は「無視」だと思います。
「そこが間違っていますよ」と指摘することは愛の無いことなのでしょうか。
自他一体の思いがあるからこそ、直してもらいたいのではないですか。


わたしは、そう思って、そう信じているんです。

でも、以前、本流宣言の掲示板で、わたしは、そのことについて、
何度も先輩方に質問しているのですが、はっきりとしてお返事がいただけなかったものですから、
こうして、また、質問させていただいているんです。

生長の家の教えを、谷口雅春先生の教えを、竹筒から水を流すように伝えていただくのなら、
わたしは、先輩方からは、まず、第一に、生長の家の愛を伝えていただきたいのです。


だって、神=愛 ですよね?
谷口雅春先生=愛 ですよね?

先輩方、違いますか?

230さくら:2011/09/22(木) 11:39:36 ID:6tmMyXBA
a hopeさま

はじめに。ここに書いて、答えるつもりが私にはある、というわけではなく、すみません。答えることは私にはできませんので。
でも、つらつら私の言葉で考えを述べさせていただくことをお許しください。

私は、愛という問題は、大変個人的な、問題でもあると思っています。これが、公人であっても、そうだとも思います。
何に対して、愛を感じているのか、誰に対して、愛を感じているのか、そのことは各人の心の核心の部分にあると思うのですよね。経験や、受けてきた影響、置かれた環境、立場によっても違ってくると思います。
しかし、同時に、この部分は、普遍的でありますよね。それは、人間が深遠なところで繋がっていて、それも、この愛という核心の部分が、それを繋げいる、とも言えるかもしれません。a hopeさまは、そのところを聞きたい、確かめたいのだと思いますが、そうでしょうか。

真理によって人は救われると言いますが、
私は、人は、愛によってしか救われない、と、これは、固く信じているところがあるのですよね。

例えば、伝道するということにおいても、雅春先生のお言葉はすでに愛に満ちていて、そのままをお伝えすればよいのですが、やはり、伝える側に、本当に、この人が幸せであってほしい、救われてほしい、と愛の気持ちがあるならば、愛のない正論よりも、稚拙でもその思いの方が、救われることがあると、思っています。

私はそうでした、心が自分ではぼろぼろに感じていたときだったので、余計に、生長の家には、帰ってきた、と思うような懐かしい愛がありましたので、ここに私は救われた部分は、ありました。
大きな愛だったのですよね、私は存在していいんだ、と思えたのですよね。

愛を受けたので、私は、「自立」、という言葉が自分の中に出てきたのだと思います。
愛を受けたものから、「自立」することが、その愛に報いることではないかとも思っているところがあります。
親の愛を受けたら、自立し、自分の家庭をもち、子供を愛する。それは、親から言われた一言一句を、子供に伝えることではないですよね、自分が育った家庭の規則を徹底して守ることではないですよね。
これはa hopeさまが先輩ですので、私の方が教えていただくことですけど、笑。
自分なりに悩んだり、苦しんだり、そうしながら、愛して育てていく、その時に、さらに自分がこんな目線で、いろんな愛を受けていたんだ、と改めて思ったり・・。そんなことを思うのですが、どうなのでしょうか・。

雅春先生だって、愛には大変悩み多き人生を歩まれてこられていますよね、自伝を読ませていただくと。現象界に生きていれば、個人的に、いろんな感情は持つものですよね、きっと。

雅春先生は、すべてを否定されて否定されて、神まで否定されて、その時に、否定しきれないものを、悟られたのでしたね。
雅春先生の魂には、なんの比べようもないのですけど、そう思うと、否定することも恐れなくてよい、とも、思えるのですよね、恐れからでなく、否定して否定して、それでも、残るものが残る、ということも、それもあるのかな、と思うところがあります。

なんのまとまりもなくすみません。
愛について、自分と向き合った言葉は、まだまだ拙くて、これからもっと学びたいな、笑。

231初心者:2011/09/22(木) 14:37:44 ID:4IaAZAME
a hope様

お久しぶりでございます。書き込みが遅くなってしまいました。
「愛」についてのおたずねですね。わたくしがもっとも苦手とするテーマといってよいかと
存じます。

まず、関係のない話になりますが、 a hope様は、本流の方々を敬愛しているとおっしゃって
おられますが、この感覚が、わたくしには理解しかねております。本流の方々がやっておられ
ることは、人としてなしてはならないことなのですね。他者を批判しておきながら、自分たち
への批判は、いっさい封じておられますね。他者の批判はするが、自分たちの批判はさせない。
こういったことをやっておられるわけです。

これは人としてなしてはならないことであると、わたくしは考えます。他者を批判するので
あれば、いかなる理由があろうとも、批判は受けるべきであります。批判されたくないので
あれば、他者への批判はつつしむべきであります。一方的に批判するということは、これは
いってみれば、一般市民を、武器を持たない人々を、一方的に殺戮しようとする行為に等しい
ものであると、わたくしは考えます。

このような行為を平然と続けてらっしゃる方々を、 a hope様は敬愛しておられるかのように
述べておられます。こうした感覚に、わたくしは疑問を呈してみたいところなのであります。

愛については、生長の家では「自他一体」という言葉で説明されることが多いかと存じます。
自他一体感は、それはともすれば、自分と他者とを同一視するようなことにつながるような
気がいたします。何を同一視するのかといえば、それはおそらく、理想の自己像であるかと
思います。あるべき自分の姿を他者に映し出してみる。これが自他一体の感覚ではないでしょうか。

こうした自他一体感の問題点はふたつほど考えられると思います。ひとつは、自他一体である
はずの他者をコントロールできると錯覚することです。他者は、自分の思いどおりになる。
あるいは、自他一体であるはずの他者を思いどおりにしたい。こうした錯覚や欲望が避け
がたく出てきてしまうという問題点があるような気がします。

あとひとつの問題点は、他者とのこまかな違いが気になるということです。自他一体である
はずの他者が、自分と異なっているのは許せない。自分と他者とのささいな違いが気になって
仕方がない。こうした感覚もまた避けがたく生じてしまうのではないか、という気がいたします。

思いどおりになるはずの他者が思いどおりにならない。一体であるはずの他者が、自分とは
どうしようもなく異なっている。しかもその他者とは、理想の自己像を映し出すべき他者で
なければならないのですね。

こうした状況に、人は耐えられるはずがありませんね。思うようにならない相手を、ついには
許せなくなり、憎しみをさえいだくようにさえなるはずですね。これが近親憎悪と呼ばれる
現象だろうと思います。一体感を強く感じれば感じるほど、憎悪の感覚がそれに比例して
大きくなる。これが近親憎悪の感覚だろうと思います。

本流の方々は、おそらく自他一体という意味で、総裁先生を愛しておられことでありましょう。
それがゆえに、思いどおりにならないこと、自分とはあまりにも異なっていることに、抑えきれ
ない憎悪の感情をいだいてしまうのではないでしょうか。

生長の家が説くべき愛とは、近親憎悪の危険性をうちにはらんだ自他一体の愛ではなく、
さくらちゃんがいっているような「放つ愛」でなければならないと考えます。自他一体とは
錯覚ですね。こうした錯覚を捨て去るのが「放つ愛」なのではないでしょうか。愛という
テーマは苦手でありますが、このようなことを考えてしまいます。

232さくら:2011/09/22(木) 18:15:46 ID:6tmMyXBA
さくらちゃんの「放つ愛」について、触れていただいて、ありがとうございます、笑。

この機会だから、私もお願いしてしまおうかしら・・、
トキ様。

まだまだ、a hopeさまのテーマは続くと思いますが、
順番待ちで誰の後でも良いので、この「放つ愛」のテーマで、トークはできますか?

条件など言っては生意気なのですが、生長の家の聖典の言葉や祈りなどの
言葉でなく、皆さまの体験や実感のお言葉でお聞きできれば、私には大変有り難く勉強になるのですが、
「放つ愛」について、皆さまが考えていらっしゃることを、テーマにお願いできないでしょうか?

後は、もうひとつは、信仰と、「宗教組織」というものの関係について、
学びたいのですが、これは、私の疑問の段階で、複雑なことだと思うので、
いつかは、学びの機会を与えていただけたら・・などとも思います。

まだ、a hopeさまのテーマの途中で失礼しました。

233トキ:2011/09/22(木) 19:15:43 ID:DVizAEi.
>>232

さくら様

 了解しました。では、次の順番でお願いします。すばらしい内容になると
思います。期待しております。

234<削除>:<削除>
<削除>

235義春:2011/09/22(木) 19:49:50 ID:SjZg29/2
>>232
さくら様
横レス失礼します。
まぁ…今はa hope様がスティックを握ってらっしゃるので、
a hope様の話が終わるまで、一先ずお待ちになられた方が、ここのルールとして合ってると想うのですが…。

236トキ:2011/09/22(木) 19:53:51 ID:DVizAEi.
>>235

了解しました。失礼をしました。

さくら様、申し訳ありませんでした。a hope様がスティックを司会に返す
際まで、今しばらく、お待ち下さい。

237トキ:2011/09/22(木) 19:55:30 ID:DVizAEi.
>>234

 今の段階で書くのは不適切かと思いますので、よそのスレッドで改めて
投稿することにしますので、一度、削除します。

238a hope:2011/09/23(金) 00:22:19 ID:MNrNIsM2
 
さくらさま

書き込みありがとうございます。
さくらさまが、わたしの後に、「放つ愛」について、トークされたいと、おっしゃっていますが、あれはきっと、わたしが今朝女子会板で、
「愛いうテーマは、私だけでは重過ぎる」という発言をしたために、さくらさまも、一緒に「愛」について考えてくださろうとした、
そんな、さくらさまの優しい気持ちの現れなのではないかと思い感謝しています。

わたしも、さくらさまのトーク楽しみにしていますが、今しばらく「愛」のバトンタッチはお待ちくださいね(笑)。


本題に入ります。

>しかし、同時に、この部分は、普遍的でありますよね。それは、人間が深遠なところで繋がっていて、
それも、この愛という核心の部分が、それを繋げいる、とも言えるかもしれません。a hopeさまは、
そのところを聞きたい、確かめたいのだと思いますが、そうでしょうか。

と、さくらさまが問われている部分が、まさにわたしにとっては、「生長の家の愛」ということになります。
トキさまや、復興Gさまが教えて下さった、生長の家の愛「自他一体の自覚」です。 

わたしが、本流の先輩方に問いたいのは、「先輩方は、この愛をもって現生長の家教団や、雅宣先生を批判されているのですよね?」ということです。



>私は、人は、愛によってしか救われない、と、これは、固く信じているところがあるのですよね。
わたしも、そう思います。 愛以上に大切なものは、ないのではないかと思います。



さらに、さくらさまは、伝道ということについても触られていますが、たとえば、同じ童話を子どもに読んで聞かせるにしても、
愛情をこめて自分もその物語に感情移入しながら読んであげるのと、「めんどくさいな」と感じながらただ義務感だけで読んであげるのでは、
そのお話の内容の伝わり方は全然ちがうと思うのです。

だから、谷口雅春先生の教えをそのまま伝えるにしても、伝える人が本当に雅春先生の教えを理解しているときのみ、
本当のことが伝わるのではないかとわたしは思っています。



>親の愛を受けたら、自立し、自分の家庭をもち、子供を愛する。
それは、親から言われた一言一句を、子供に伝えることではないですよね、自分が育った家庭の規則を徹底して守ることではないですよね。
これはa hopeさまが先輩ですので、私の方が教えていただくことですけど、笑。
自分なりに悩んだり、苦しんだり、そうしながら、愛して育てていく、その時に、さらに自分がこんな目線で、いろんな愛を受けていたんだ、
と改めて思ったり・・。
そんなことを思うのですが、どうなのでしょうか・。

ここのところは、わたしは正直、そこまで考えていませんでした(笑)。
でも、そう言われると、まさしくそのとおりだと思うのです。
さくらさま、エンパスの能力を超えてますね!わたしの、潜在意識を、覗かれた気分です。(冗談ではなくて、ほんとに驚いてます。)



>雅春先生だって、愛には大変悩み多き人生を歩まれてこられていますよね、自伝を読ませていただくと。
現象界に生きていれば、個人的に、いろんな感情は持つものですよね、きっと。

実は、わたしはまだ、雅春先生の自伝であるといわれている「生命の實相19巻、20巻自傳篇」を読んでいないのです。
読むのを楽しみにしているのですが、今は、生長の家関係の掲示板を読むのが精一杯なのです(笑)



さくらさま、いつもわたしのことを理解してくださり、ありがとうございます。
いつか、生長の家で、お会いできる日が来るのでしょうか?
そんな日が来るのを、楽しみにしています。



初心者さま

お返事、お待ちしておりました。ありがとうございます。
初心者さまは「愛」については苦手なテーマだとおっしゃっていますが、わたしが、この掲示板に書き込み始めた理由、
それは、あなたさまの「愛」にお礼が言いたかったからです。
あの時(本流でわたしが先輩方に質問している時です)、初心者さまは、まるで、自分のことのようにわたしをかばってくださったではないですか!
わたしは、うれしくて、涙を流して感動していたのですよ。
あのときは、本当に初心者さまの応援がうれしかったのです。感謝しています。


さて、初心者さまの、わたしへのお返事読ませていただきました。
とてもよくわかる内容でした。
わたしのために、わかりやすく書いてくれて、ありがとうございました。

ですが、今夜はもう遅いので、また明日、お返事させていただきますね。
もうしばらくお待ちくださいね。

239さくら:2011/09/23(金) 08:16:32 ID:6tmMyXBA
a hopeさま

丁寧な返信を心から感謝いたします。
あなたこそ、私の思いを理解して下さり、心をこめて、返信をして下さいました、
そのことを、本当にありがたいと思っています。

ごめんなさい、割り込むような申し出をしてしまったようですが、
a hopeさまのテーマをじっくりされてからで、私はいつでも良いというつもりで、申し出ました。
次の立候補など、他のところに書けばよかったですね、
お気遣いなく、じっくり取り組んでください。

私は、あなたにどこかでお会いできたら、抱きしめてしまいそうです、笑。
美しい心を、本当に、抱きしめてしまいそうです。

愛の形には、色々な現れが、ありますね。
これも愛。あれも愛、そう言われれば、その方にとってはそうなのですから、無碍に否定することは、出来ないものがあります。

それでも、生長の家においての、愛、について学ぶ機会を持つことができる、というのは、これは、本当に、人生の恵み、だと思うのですよね。

まだまだ、a hopeさまのテーマを楽しませていただきますので、
よろしくお願いいたします!

240a hope:2011/09/23(金) 18:30:31 ID:MNrNIsM2

初心者さま

昨晩は、失礼いたしました。
あらためまして、初心者さまに、お返事いたします。


>a hope様は、本流の方々を敬愛しているとおっしゃっておられますが、
この感覚が、わたくしには理解しかねております。

わたしは、初心者さまのおっしゃるように、本流宣言の先輩方を敬愛しています。

その理由は、二つあります。

一つ目は、本流の先輩方が現教団や雅宣先生の間違いを指摘してくださり、わたしを救ってくださったからです。

本流宣言の掲示板がなかったら、今、ここでこうして書き込みしている自分はいなかったと思います。
掲示板では、素晴らしい出会いがたくさんありました。
わたしの書き込みに、心をこめてお返事をくれたたくさんの先輩方に、わたしは命を救われたからです。
そして、その経験がなかったら、わたしはこの掲示板で書き込みすることもなかったでしょうし、初心者さまはじめ、
この掲示板で書き込みされている、素敵な方々と出会うこともなかったからです。


二つ目は、本流宣言の先輩方が、谷口雅春先生の教えを残してくださろうと、必死に頑張ってくださっているからです。

確かに、初心者さまが、
>本流の方々がやっておられることは、人としてなしてはならないことなのですね。
他者を批判しておきながら、自分たちへの批判は、いっさい封じておられますね。
他者の批判はするが、自分たちの批判はさせない。

とおっしゃるようなことを、本流掲示板ではされています。
だから、わたしも「もうやめてください」と一度お願いにあがりました。

そして、今、『訊け』管理人さまが、本流の先輩方に、「和解の倫理の解釈が、間違っているのではないですか?」とか、指摘されています。
生長の家の教えに触れて、数年しかたっていないわたしですら、その間違いに気付きました。

それでも、批判を止められないということは、本流宣言の先輩方は、すべてわかっていらっしゃるのではないかと思うのです。
わかっていて、あえて、悪役を引き受けてくださっている、最近は、そんな気がしているんです。
だって、正義を強調するためには、悪役が必要ですよね?
初心者さまは、そういうの、よく御存じなのではないですか(笑)?

要するに、本流宣言の先輩方は、「谷口雅春先生の、教えに逆らってまでも、谷口雅春先生の教えを守ろうとされている。」んです。

だったら、わたしたちは、生長の家の、谷口雅春先生の真説をそれにぶつけていけばいいのだと思うのです。
わたしは今、本流宣言の先輩方が、わたしたちに、そう言ってくれているような気がしています。


つぎに、「自他一体の自覚」についてですが、初心者さまの解釈は、すべて現象を見ての解釈なので、色々の問題点が出てきてしまうのだと思います。

他者をコントロールするとか、自分と異なったものが許せないとか、そんなことにこだわっていたら、疑惑や、怒りや憎悪などという良からぬ感情ばかり噴き出して、
何にもいいことないじゃないですか。

わたしは、そんな人生はいやです。

わたしが思う、生長の家の「自他一体の自覚」とは、「神の子(自分)が相手も神の子であると気がつくこと。」だと思っています。
だったら、完全に相手と一体化できますよね!


でも、現象を見れば、色々問題があるのも事実なんですが、たとえばその、問題解決をするにしても、自分の気持ちの中で、「こいつ、いやな奴」とか、思うよりも、
「ああ、この人は本当は神の子なんだ!」「こういう悪いことが起きているのは、神の子がわたしに何か教えてくれようとしているからなんだ!」って、思って対応したほうが、
全然気分も楽ですし、結果もいい結果が出るのではないでしょうか?

それに、相手だってそう思われていれば、悪い気はしないでしょから、きっとそのうち本当に神の子の実相を現わしてくるのではないでしょうか?

実相がお嫌いな初心者さまなので、理解してもらえないかもしれませんが、言葉を変えれば、「プラス思考」ってことなんだと思います。

初心者さま、ご存じのようにわたしはアホなので、このように稚拙な解釈しかできませんが、わたしは「自他一体の自覚」をこのように解釈しています。

「放つ愛」については、後で、さくらさまと一緒に考えていきたいと思っています。初心者さまのご意見もまた、是非聞かせてくださいね。


さくらさま

どこかで偶然お会いしたら、お互いのエンパスの力で、必ず見つけましょうね!
そして、抱き合ってから、一杯やりに行きましょう!

241a hope:2011/09/24(土) 20:53:34 ID:MNrNIsM2

初心者さま

わたしの、「自他一体の自覚」の解釈は、どうでしょうか?
初心者さまにも、理解していただけたでしょうか?

お返事をお待ちしています。

242初心者:2011/09/25(日) 16:53:22 ID:4IaAZAME
a hope様

わたくしは、実相について語ろうとは思いません。現象だけを語り、現象のなかで苦悩したい。
そんな気持ちでいます。美食がゲテモノ食いに行きつき、女色は男色に行きつく。それと似た
ようなところなのかもしれません。

そんなわたくしが、みなさまと語りあったところで、不愉快な思いをさせるだけのようです。
去ることにいたします。この掲示板を去るにあたって、こうして最後に、a hope様にメッセージ
を書き込めることに、これがひとつの出会いであったことを感じないではおれません。

自他一体感。それは、相手のなかに自分を見るということでもよいのではないでしょうか。
a hope様に、わたくしは何を見たのでしょう。それを見るだけにとどめておく。相手にその
実現を求めない。それでよかったのだろうと思います。

このまま、静かに去ります。誰にたいしても、何も語りません。a hope様と最初に出会えて、
こうして最後にわかれを告げることができました。これがひとつの出会いであったにしても、
あまりにもできすぎているような気がいたします。

243商人:2011/09/25(日) 17:34:30 ID:7IsmmGqA
初心者さま

初心者さまもここを去られるのですか?

 お願いです。去らないで下さい。

これからもいろいろ教えてください。

商人

244かぴばら:2011/09/25(日) 18:08:42 ID:TjlpqfpM
初心者さま

今帰ってきてパソコンを開いたら「去る」の文字が・・・。私は初心者さまの言われることが高度すぎてよくわからないこともありましたが、完全同意すると処もたくさんありましたよ。

本当はっていうか実際とてもお優しい人柄が見え隠れしていて、とてもシャイな方ではないかなっと思います。

私の好きなルドルフ・シュタイナーの話ももっとお聞きしたいのに・・・。しばらくお休みしてもいいから、すぐ又戻ってきてください。秋のセンチメンタルに浸ってないで・・ねっ!

245 志恩:2011/09/25(日) 18:16:43 ID:psrFh/ZU
初心者様

あなたも旅にでるのですか。さびしいかぎりです。そういえば、スナフキンも、よく旅へ出かけていました。

私のほうが、もうそろそろ、おいとまさせていただこう。ナガイナガイ旅にでかけましょうか、と最近、思っていたところです。

もう出発とは、先き越されましたね。

あなたは、ここの校長だったのに、とても賢い人なのに、出かけちゃうなんて、さびしいです。

あなたは、右脳が人一倍発達されておられるようですから、建築企画設計士に向いているかもしれない、と思っていました。

また、気が向いたら、ここへ戻って来てくださいね。

246トキ:2011/09/25(日) 18:20:11 ID:BlE9Vn1Q
初心者様
さくら様

 今日も1日、パソコンに触れない場所におりました。
で、帰ってきて、パソコンを開いたらびっくり仰天。初心者様と
さくら様がこの掲示板から去られるとの事で、いやー、管理人に不都合
があったら、お詫びしたいので、ぜひこれからも投稿を続けていただき
たい、という気持ちです。

とにかく、初心者様はこの掲示板が生まれた時からお世話になっている
し、この掲示板がここまで定着したのは初心者様のおかげですから、感謝
感謝です。いつもご投稿を感心しながら拝見しておりました。それだけに
おられなくなるのは個人的にも寂しいです。ひょっとしたら、生長の家の
未来を変えるのではないか、と思えるほど意味の深い討論もされていたの
で、期待をしておりました。本当に寂しいです。

 さくら様も暖かい文章をいつも書いてください、掲示板の雰囲気を暖かく
して下さりました。やわらかい文章だし、暖かい人柄もうかがえて、わくわく
しながら文章を拝読しておりました。

 お二人が去られるのは、本当に寂しいです。また、管理人として多大なご
迷惑を数々かけた点は深くお詫びします。それ以上に素晴らしい投稿の数々
をして下さり、厚く御礼を申し上げます。しばらくお休みになられてから
ぜひ、こちらへお戻り下さい。心からお待ち申し上げています。

合掌 ありがとうございます

247八百比丘尼:2011/09/25(日) 19:48:40 ID:j8iOdie.

 初心者さま
止めても無駄でしょうね。
寂しゅうございます。たまには、洒落た大人の会話を楽しみに
うちの店に寄ってくださいな。
マッカランの30年もの、1杯飲んでって。
最後にこの曲を聴いてから行ってね。
http://www.youtube.com/watch?v=X3cC2Niebyw

それでは、笑ってまたお会いしましょう。
          Queen beeママ&鈴夜

248a hope:2011/09/25(日) 22:39:49 ID:MNrNIsM2

初心者さま

非常に残念です。

>自他一体感。それは、相手のなかに自分を見るということでもよいのではないでしょうか。
a hope様に、わたくしは何を見たのでしょう。それを見るだけにとどめておく。相手にその
実現を求めない。それでよかったのだろうと思います。

初心者さまは、一体わたしの中にどんなご自分を見られたのでしょうか?
そして、わたしをコントロールしようとでもしていたのですか?

初心者さまにそれができなかったのは、わたしと初心者さまがもうすでに、
一体だったからですよ。
わたしが、初心者さまの本当の姿(実相)しか見つめていなかったからです。

初心者さまは、神の子です。
だれが何と言っても、初心者さまは神の子です。

そして、神に愛され、谷口雅春先生に愛され、この掲示板のみんなに愛されているんです。

その事実に目をつぶるのも、初心者さまのご自由です。
でも、目を開けば、素晴らしい世界が待っているのに、本当に残念です。

また、気が向いたら、いつでも声をかけてくださいね。
わたしは、初心者さまのことを、心から愛しています。

249a hope:2011/09/26(月) 12:41:41 ID:MNrNIsM2

気を取り直して、発言を続けさせていただきます。

わたしは、最初にテーマとして、「愛」「伝道」「真の生長の家の教え」取り上げたいと言いました。
「愛」については、本当は「放つ愛」などについてなどにも、みなさんにお伺いしたいところですが、
しかし、それは、また、違うスレッドでも、話しあえるので、次のテーマ「伝道」に移らせていただきたいと思います。


今朝、「本流宣言」の掲示板へ行き、「靖国見真会」参加者の立てられた、「恥ずかしい限りの“ネガティブキャンペーン”」 というスレッドで内で、
パイプさまという方のとても興味深い提案を拝見しました。

勝手ですが、ここにはりつけさせていただきます。


龍様へ(その3) NEW (4678)

日時:2011年09月26日 (月) 03時57分
名前:パイプ

 僕は、筋論としての明治憲法復元改正にもちろん賛成です。
しかし現実問題としては、(本来の)生長の家や谷口雅春先生のみ教えに詳しくない人達に、最初から自主憲法制定を訴えても、残念ながら拒否反応の方が強い。
だから、まずは、谷口雅春先生のみ教えを広め、次の段階として諸悪の根源としての現憲法の、明治憲法復元改正という形による改正を訴えるべきだと思います。 
日野原先生自体は、真摯なキリスト者としての非暴力主義の延長線上に、9条を守るお考えだと思います。
それはそれで構いません。問題は、左翼陣営が、そのような純粋な日野原先生を利用しているということなのです。
でも僕達も、いい意味でもう少しずる賢くなる必要があるのではないでしょうか。
つまり、最初から自主憲法制定という考えとは見解が異なるので呼ばない、あるいは関わらないというのではなく、
谷口雅春先生のみ教えを広めるために有用な方々は、自主憲法の是非に関係なく、学ぶ会や本流復活の運動に関わっていただくべきではないか、
と思うのですが如何でしょうか。

そうしたら、

このスレッドはここまで、とさせていただきます。 NEW (4679)

日時:2011年09月26日 (月) 09時54分
名前:管理人

(内容省略)


というように、管理人さまのストップがかかっていました。

わたしは、大変お恥ずかしいのですが、学ぶ会さまが、「自主憲法制定」を訴えているなどということを、知りませんでした。


>しかし現実問題としては、(本来の)生長の家や谷口雅春先生のみ教えに詳しくない人達に、
最初から自主憲法制定を訴えても、残念ながら拒否反応の方が強い。<


とパイプさんがおっしゃっているように、拒否反応どころか、意味が全然わかりません。
これが、「愛国」とつながるわけですか?



ここで、次のテーマ「伝道」に関しての質問をさせていただきます。


質問3、「生長の家の教え」の、何をどのように伝道していけば、谷口雅春先生の御心にかない、本当に人を救えるのでしょうか?


これについては、すでに、復興Gさまからは、お返事をいただいています。

でも、わたしは、他の、みなさまの意見を聞かせていただきたいのです。

また、学ぶ会さまの、「自主憲法制定」や「愛国」についても、言及していただけると、大変助かります。
どうぞ、よろしくお願いいたします。

250トキ:2011/09/26(月) 19:39:08 ID:W4PkIrQA
 伝道についてですね。もちろん、生長の家の信仰を伝えるのですが、これが難しいです。
つまり、生長の家の教義を説明するのではなく、生長の家の生き方、考え方に共鳴しても
らい、納得してもらう必要があるからです。
 そもそも、なぜ、伝道をするか、という点から考える必要があります。
それは、生長の家という組織の拡大ではなく、自分の教団内部の地位や権勢の拡大でも
なく、相手の人に本当に幸せになって欲しい、という願いから伝える事が動機でないと
続かないと思います。ここが間違うと、変な方向へ暴走する危険があるのです。
 
 これに関連しますが、一部のカルト教団では、詐欺のような手段で伝道するケースが
多いと聞きます。これは一見、正しいように思えますが、間違いである場合が多いです。
 また、相手への敬意、これは相手も神の子であるから、礼拝の対象である、という
認識から出発するのですが、それが欠如していると、手段を問わない方向へと走り勝ち
であります。生長の家が、伝道に際して、教団名を堂々と名乗ることを義務付けている
のは、詐欺的な手段が長続きしない、という点もありますが、何よりも相手への敬意を
失ってはいけない、という視点があると思います。

 伝道という言葉は「道」と「伝える」という意味はあると思います。
ところで、日本では、茶道、華道、柔道など、技能に「道」をつける場合が多いです。
その例にならうのなら、「伝道」の「道」は、それ自体、ある種の精神性を持つべき
かと勝手に考えています。

 これを要約すると、伝道する相手も、自分も「神の子」であり、尊い存在であることを
認識する必要があります。その上で、相手への感謝と愛と敬意を失わない態度と心構え
で、相手の方も「私は神の子なんだ!」と気がつくお手伝いをさせていただく、という
姿勢が必要かと考えています。

251a hope:2011/09/26(月) 20:16:14 ID:MNrNIsM2

トキさま

お返事ありがとうございます。

>それは、生長の家という組織の拡大ではなく、自分の教団内部の地位や権勢の拡大でも
なく、相手の人に本当に幸せになって欲しい、という願いから伝える事が動機でないと
続かないと思います。<

わたしも、本当にそう思います。
「相手の人に本当に幸せになって欲しい、という願い」とは「愛」ですよね!

ところで、

>これに関連しますが、一部のカルト教団では、詐欺のような手段で伝道するケースが
多いと聞きます。これは一見、正しいように思えますが、間違いである場合が多いです。<

具体的には、どんな手段なんでしょうか?
教えていただけますでしょうか?

252トキ:2011/09/26(月) 20:36:37 ID:W4PkIrQA
>>251

a hope様

 ご質問ありがとうございました。

 まず、名前を隠すのが一番多いです。ビデオセミナーだという触れ込みで通行人を
勧誘し、最初は名前を伏せておき、洗脳状態になってから、初めて具体的な名前、例えば
統一教会などの正体を明かします。オウム真理教は、ヨガのサークルを各地に作っていまし
た。ヨガを習いに来た人に、オウムの教義を教え込み、信徒にしていました。
 最近では、日蓮宗系統のカルトや親鸞聖人の名前を使ったカルトが、大学でダミー
サークルを作り、知らないで入部してきた学生を勧誘していました。こういう例では、学業
や仕事を放棄して、行方不明になるケースが続出し、社会問題化しました。

 また、オウム真理教は、過去に「マハーポーシャ」というパソコンの会社を設立して
いました。秋葉原等の電気街にも出品し、安い(信徒が無料で作っているので、人件費
が浮くから)から、結構、売れていました。この購入者のサポート名簿を勝手に流用して
オウムの勧誘をしていた、という報道も見たことがあります。

 他に、カルトがよく使うのが、他の宗教団体の信徒名簿を入手し、勧誘する、という
手段です。オウム真理教など、他の教団のイベントがあると、会場の近くで
ビラを配る、教団の施設の近くにポスターを貼る(生長の家の教化部もやられ
たことがあります)など、あの手、この手で勧誘すると聞きます。

 また、色仕掛け、恐喝なども聞いたことがあります。「同級生の女の子から
○価学会に入ったら、いいことをしてあげる、といわれたので入信したのに、何
もしてくれかなった。詐欺だ!」と激怒した人にもあったことがあります。
(笑)

 まあ、あまり長く書いても面白い内容ではないので、このあたりで。

合掌 ありがとうございます

253トキ:2011/09/26(月) 21:50:00 ID:W4PkIrQA
 余談ですが、愛国掲示板に参考になる投稿がありました。

http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=415415&amp;mode=res&amp;log=326

(1227) ≪生長の家よ、ただの、お人よしであるなかれ!!≫ 投稿者:  宗教評論家 


≪生長の家よ、ただの、お人よしであるなかれ!!≫

  左翼と、統一協会のやりかた。。[ある事例]

統一協会が、「左翼」に負けじと、
世界●●●●●●●●●の総裁が亡くなられたときに、
    (世界最大の○○○○団体)

後継者を指名したというワープロ書面と、弁護士が
なぜか、家族を排除して、「逝去」に立ち会った・・。

大波乱。当時、ありえないと思われていた、
韓国系二世の●●●●氏を指名。

全国の支部長は、大パニック。

その後、イトマン事件で逮捕された許詠中
と、●●●●とのつながり、
総本部の前のビルが統一協会に買収されていたこと、
巨額の援助金が統一協会から出ている事。

前総裁から、「ある宗教団体が100億円で(昭和50年当時)で、うちを買いたいと言ってきているんだが・・」という言葉を聞いたという証言も出てきた・・。

その後、韓国勢力が大きくからんでいた事実が
「文芸春秋で暴露」され、世間は「あっ」と言いました。

今、世界●●●●●●●●●は、
10以上の団体に分裂しています。

ひとつの時代が終わった・・。


ちなみに、統一協会は今でも、
年に数100億を韓国に送金していそうだ。

世界最大。あの有名な「●●高麗ニンジン茶」
や、「●●●コ―ラ」
も、統一協会のブランド名である。。

統一協会は、日本に「仏教系の宗教団体」も有している。


2011年09月25日 (日) 07時24分

************************************

(1228) 「天地正教」のことですね・・・。 投稿者:(ご本人様の安全上、省略させていただきました)





私は学生時代香川大学でしたが、
統一協会は、四国のお遍路さんを狙って、国道沿いに
接待所を設けていました。。。

あと、全国の国立大学から歩いて5分以内の所に
拠点を作っているんですよね・・。す、すごすぎる・・。

(以下、省略)

254a hope:2011/09/27(火) 00:29:25 ID:MNrNIsM2

トキさま

いろいろカルト教団の伝道手段について、いろいろ教えて下さりありがとうございました。
名前を隠すというのは、本当に悪質ですね。

わたしが、新興宗教に良いイメージがなかったのは、
きっとトキさまの教えてくださったような、悪い伝道手段をつかって、
洗脳していくイメージがあったからだったんだと思います。


自主憲法制定については、
「生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える  2」
のほうで、丁寧にお返事くださって、ありがとうございます。

色々、勉強になります。

わたしは、まだ、谷口雅春先生の教えの、ほんの一部しかしりません。
でも、それが、間違いなく素晴らしい教えであることは、確実にわかっています。
自分のこれからの一生をかけて、お勉強していきたいと思っています。

これからも、ご指導よろしくお願いいたします。


みなさま、あらためて質問させていただきます。

質問3、「生長の家の教え」の、何をどのように伝道していけば、谷口雅春先生の御心にかない、本当に人を救えるのでしょうか?


どうぞ、よろしくお願いいたします。

255a hope:2011/09/27(火) 22:03:34 ID:MNrNIsM2

「信仰/体験版」に、うのはなさまが、
171〜176に 「新春伝道講話 伝道こそ信仰の生命 楠本加美野 先生」
を、書き込みしてくださいました。

今、プリントアウトして、読んでします。
生長の家の伝道について、自分の考えをまとめてみたいと思っています。

わたしは、生長の家の教えに触れてはまだ数年ですが、以前から「どうしたら人を救うことができるのか?」
ということには、とても興味がありました。(興味という言葉が適切かどうかわかりませんが...)

わたしには、守らなくてはいけない、愛する家族たくさんがいるので、
自分の生活を犠牲にしてまで、人を救うことはできません。

でも、自分のできることを、無理なくやっていきたいとは思っています。


この「伝道」は、本当に、難しいテーマなので、なかなか考えがまとまりませんが、
途中で逃げ出したくはないので、わたしなりに最後までがんばってみたいと思います。

すみませんが、もう少しお待ちください。


それから、まだまだ、

質問3、「生長の家の教え」の、何をどのように伝道していけば、谷口雅春先生の御心にかない、本当に人を救えるのでしょうか?


へのお返事お待ちしておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。

256うのはな:2011/09/30(金) 10:17:39 ID:iM0b0bt6

> わたしには、守らなくてはいけない、愛する家族たくさんいるので、
 自分の生活を犠牲にしてまで、人を救うことはできません。

 そりゃあそうだ!!
 自分の娘が「職場の男性が頼りない」と憂いている隣で、バカな愛国青年
 や選挙にも行かない男を雅春先生を慕う方はみな同志だ、わたし、雅春原理主義者で
 いくもんね!といきまいている主婦がどうかしてるのであって、まともな
 母親というのは、そう考えるのが普通ですよ。
 でも、伝道って、なにも生長の家の教えに精通している人や活動に命を
 かけている人ばかりができるものじゃないから、難しく考えないで、
 自分のできることを、無理なくやっていきたい、、というその考え方で
 充分だと思いますよ。

257復興G:2011/09/30(金) 13:28:17 ID:yhDBe2kY

>>254 :a hopeさま。
>質問3、「生長の家の教え」の、何をどのように伝道していけば、谷口雅春先生の御心にかない、本当に人を救えるのでしょうか?<

 引用文です。
   *******
 ライファーはデーリーにこう言った。
「そんなに人を救おう救おうと力むものではないよ。静かに坐して君が救い得る相手が得られます様にと祈るんだよ。他の方法で君は君の救おうという相手のところへ闖入する様なやり方はやめなければいかん。すべて救いのことは神の手にまかせるのだ。神にまかせるのだ。そうすると神が、その適当な時と適当な場所とを定め給うのだ。そして又、神は君の口に必要に応じた適当な言葉を与えたまうだろう。まず『愛』を第一に、その次には『信頼』だよ」
とライファーは言った。
 ライファーに言わせれば、伝道の仕事は必須不可欠のものである。併しデーリーの最初の頃のやり方は敬虔なる宗教改革者とは似て非なるものであった。彼はむしろ自分が他を救い得る特権があるなどとは考うべきではなかったのである。それよりも彼は、自分が『愛』を行じさせて頂くために神から与えられた『愛の対象』であると見るべきであり、その『愛』を行ずる事によって誰が救われるのかと言えば、自分が救われるのである。この態度になってこそ霊的プライドというものがなくなり、敬虔な、神聖な、『わしが』というような傲りの心がなくなるのである。自分の力というものは、説教する事によってよりも、如何に自分があるかという事によって効果を現わすものなのである。伝道には歴史的キリストを無視すべきではないが、それよりも大切なのは、自分に内在する神秘的キリストを内部から呼び出して来るべきであるのである。
(谷口雅春先生著『愛は刑よりも強し』より。原文は歴史的仮名遣い)
   *******

 ──上記のデーリーというのは、かつて全米を震撼させた凶悪ギャングの首謀者として投獄された、スター・デーリーという極悪非道の囚人でした。二度も破獄を企てたため、地下牢に入れられて死の宙づりの拷問を受け、人事不省に陥ったときに、(以下、上掲書より)

   *******
『しかし剛胆不敵な彼は死んでも屈服しないと頑張っているうちに人事不省に陥ったのである。……それからどうなったか彼は覚えていない。気がついて見ると、枕元にキリストが立っているのである。「彼は私の方へ近づいて来た。彼の唇は動いている。然し言葉はきこえない。彼は私の側に来た。そして私を見下した。そして深く私の眼に見入ったのである。それはまるで私の魂深く貫きとおるような慈愛の眼であった。自分は未だ嘗て人間の眼で、彼の眼に輝いているが如きそんな深い愛を見たことがなかった。愛の虜となってわけもなく、まったく其処にひざまづいてしまった私をはじめて私は見出した。私はこの夢の中の或る神秘的な感覚によって、私が「実在」の世界の中に浸されていることを知ったのである。永遠に、久遠に、私の生命に力を真えているアルモノを私は見たのである」(「リリーズ」46頁)とデーリーは書いている。』
 どんな外的な物質的な拷問も制裁も改心せしめることが出来なかったデーリーの剛胆きわまる太々しき罪人根性を、ただ夢にあらわれたキリストの慈愛深い眼が、その眼の光が、愛が結実してあらわれた其の眼の光が、デーリーを改心せしめたのである。デーリーの眼の前にあらわれたキリストの姿はやがて幻のように消えて行ったが、その姿が次第次第にある文字としてあらわれて来たのである。それは『愛』という文字であった。やがてその文字も消えてしまった。そしてデーリーは不思議に澄み切った、何とも言えない不思議な心境に一時代を過ごして来たような気持で其処に横たわっていた。……彼は気がついて見ると、地下牢から釈放されている自分を発見したのである。
    宗教的光燿後のデーリー
 スター・デーリーが宗教的光燿を魂の内に感じて炬火のような熱情をもって牢獄生活の友達を顧みた時、彼はこの悦びをそれらの人に頒ちたいという願いが、沸々とたぎりたつように感じられてくるのであった……
   *******

 それでデーリーは誰彼の見さかいもなく伝道を始めた時、今度は囚人たちから「裏切り者」として憎まれ、排斥されるようになる。その時、老人ライファーから諭された言葉が、最初に掲げさせていただいた、
「そんなに人を救おう救おうと力むものではないよ……」
という言葉だったのです。

 とても考えさせられる言葉ですね。

258役行者:2011/09/30(金) 17:31:42 ID:OSVPfqi.

 >復興Gさま
 
 なんてコトの的を得た a hopeさまへのご回答でしょう。

◆何を

>まず 『愛』を第一に、その次には『信頼』だよ 。

>大切なのは、自分に内在する神秘的 キリストを内部から呼び出して来るべきである のである。


>イエスは私の側に来た。そして私を見下した。 そして深く私の眼に見入ったのである。それは まるで私の魂深く貫きとおるような慈愛の眼で あった。自分は未だ嘗て人間の眼で、彼の眼に 輝いているが如きそんな深い愛を見たことがな かった。愛の虜となったわけもなく、まったく 其処にひざまづいてしまった私をはじめて私は 見出した。私はこの夢の中の或る神秘的な感覚 によって、私が「実在」の世界の中に浸されて いることを知ったのである。永遠に、久遠に 私の生命に力を真えているアルモノを私は見た のである」・・・キリストの慈愛深い眼が、その眼の光が、愛が結 実してあらわれた其の眼の光が、デーリーを改 心せしめたのである。デーリーの眼の前にあら われたキリストの姿はやがて幻のように消えて 行ったが、その姿が次第次第にある文字として あらわれて来たのである。それは『愛』という文字であった。<

 実相・・・それは久遠の愛
 生長の家の教えの根本。



◆どのように

>神が、その適当な時と適当な場所とを定 め給うのだ。そして又、神は君の口に必要に応 じた適当な言葉を与えたまうだろう。


>それでデーリーは誰彼の見さかいもなく伝道 を始めた時、今度は囚人たちから「裏切り者 として憎まれ、排斥されるようになる。その 時、老人ライファーから諭された言葉が、最初 に掲げさせていただいた そんなに人を救おう救おうと力むものではな いよ…… という言葉だったのです とても考えさせられる言葉ですね。<


 この世に愛ある世界が実現しますように、神よ、我等をお使いください。

 合掌

259復興G:2011/09/30(金) 20:49:48 ID:yhDBe2kY

>>258 :役行者様。

きっちり整理してくださり、まことにありがとうございます。

では、もう少し追加させていただきます。

   *******
 デーリーは彼ら囚人達に直接話しかけてよくしてやろうという考えを放棄した。彼ら囚人はデーリー自身の自己改善のために──「あの見苦しく見える極悪者の中にも善にして尊い神性がある」ということを静かに拝み出す自己の力を養成するための自己改善のために──彼らが自分の敵として自分の眼の前にあらわれているのだと考えるようになったのである。かくて、デーリーの囚人達を善導したいというような高慢な心は彼の生活を導く主動力としては消えてしまった。かくて自分自身の魂をみがくために与えられた手段として、其処にあらわれて下さっているのだと受けることが、デーリーの生活活動を導くことになったのである。
 かくして彼はすべての敵の姿を自分の心の画廊に陳列して、それに心のイメージで修正の補筆を加えることにしたのである。即ち彼らと自分との関係を愛の関係において、真実なる、高貴な友情の関係に於いて、現にあると心に描き、その状態に於ける姿が彼の真の姿であると、観ようとしたのである。これは『生長の家』でいうところの『実相を観よ』というのと同じである。デーリーはそれを「この実践は人生に於ける『高き悦楽のゲーム』highly fascinating game)となった」と書いている。それ以来、驚異すべき事実が続々として起った。今までデーリーを避けていた囚人が突然予期もしないのに親しみ出して来た。そんな奇蹟がデーリーの展けかかっていた人格に鉄の信念を加えるようになったのである。
 愛は欠点を見てそれを矯正することではなく、そのいたい傷に触れることではなかったのである。愛はその人の傷をやさしく包んでその人の欠点の奥にある円満完全なる実相を、じっと愛の心で眺めやり、これが彼の実相であるとそれを心でいたわり育ててやることであったのである。デーリーはかかる愛の実践が、ハッキリと敵の陣営にあった人々に此のような奇蹟を演ずる事実を見た。そして彼らを隔てていた障壁が霞の様に消えてしまい、新しい、より高貴なる基礎の上に昔あった友情が再建せられる事実を見た。それは彼にとって最も神聖な、幽玄な、彼が今まで発見し得ずにいた愛の神秘力についての最も美しい事実であったのである。それは一々の場合において、一々の問題に周到に意識的に応用して実践し得る愛の奇蹟であった。彼は実験と経験とによって愛の焔が、どんな復活しがたい魂にも到達し、その石のような堅い殼をも熔融し、到底見込がないと捨てられていた極悪非道のものをも転回せしめる不思議な力があることを知ったのである。ここにこそどんな強靭なキリストの敵、人類の敵にさえも神の与えたまう恩寵があるのである。かかる神の愛の力が彼にも与えられて、彼を通して人々に頒ち得るとは何という悦楽であろうとデーリーは知ったのである。
 (谷口雅春先生著『愛は刑よりも強し』より)
   *******

ありがとうございます。

260役行者:2011/10/01(土) 00:27:29 ID:jd2upWXI

 >復興Gさま


>愛は欠点を見てそれを矯正することではな く、そのいたい傷に触れることではなかったの である。愛はその人の傷をやさしく包んでその 人の欠点の奥にある円満完全なる実相を、じっ と愛の心で眺めやり、これが彼の実相であると それを心でいたわり育ててやることであったの である。デーリーはかかる愛の実践が、ハッキ リと敵の陣営にあった人々に此のような奇蹟を 演ずる事実を見た。そして彼らを隔てていた障 壁が霞の様に消えてしまい、新しい、より高貴 なる基礎の上に昔あった友情が再建せられる事 実を見た。それは彼にとって最も神聖な、幽玄 な、彼が今まで発見し得ずにいた愛の神秘力に ついての最も美しい事実であったのである。<

 伝道とは、道を伝えると書きます。
 言い方を変えると、
 道が伝わる。真理が伝わる。愛が伝わる。
 伝えるには、作為があります。強制であり、力みがあります。

 伝わる。には、傷をやさしく包むイメージがあり、老子の言葉の無為自然が、ピッタリときます。
 久遠の愛が無為自然につたわる伝道!

 復興Gさま!ありがとうございました。

 合掌

261a hope:2011/10/01(土) 00:44:40 ID:MNrNIsM2

うのはなさま、復興Gさま、役行者 さま

お返事ありがとうございます!


ですが、先ほど、「訊け」ブログに行って、雅春先生や榎本先生の講話の動画を拝見し、
ちょっと衝撃を受けてきました。

今夜は、頭がいっぱいなので、また、明日じっくり読ませていただきますね。

おやすみなさい。

262a hope:2011/10/01(土) 23:52:53 ID:MNrNIsM2

うのはなさま

> でも、伝道って、なにも生長の家の教えに精通している人や活動に命を
 かけている人ばかりができるものじゃないから、難しく考えないで、
 自分のできることを、無理なくやっていきたい、というその考え方で
 充分だと思いますよ。<

優しい、お言葉、ありがとうございます。
わたし、今すごく幸せなんです。
きのう、『訊け』ブログで、雅春先生の「久遠の今」の講話や、榎本先生の講話聴いていたら、
なんか、「喜べ」「喜べ」「神のために喜べ」って言われているようで、
今日一日中、訳も分からず、Happy でした!

伝道についても、だんだん考えがまとまってきましたよ!

263a hope:2011/10/02(日) 00:01:48 ID:MNrNIsM2

復興Gさま、

素晴らしいお話をありがとうございます。
デーリー(極悪非道の囚人)のこのお話は、初めて聞きました。
とても感動的な、でも、考えさせられるお話ですね。

>どんな外的な物質的な拷問も制裁も改心せしめることが出来なかったデーリーの剛胆きわまる太々しき罪人根性を、
ただ夢にあらわれたキリストの慈愛深い眼が、その眼の光が、愛が結実してあらわれた其の眼の光が、デーリーを改心せしめたのである。<

>デーリーの眼の前にあらわれたキリストの姿はやがて幻のように消えて行ったが、その姿が次第次第にある文字としてあらわれて来たのである。
それは『愛』という文字であった。やがてその文字も消えてしまった。<

やっぱり、『愛』ですよね!

でも、

>スター・デーリーが宗教的光燿を魂の内に感じて炬火のような熱情をもって牢獄生活の友達を顧みた時、
彼はこの悦びをそれらの人に頒ちたいという願いが、沸々とたぎりたつように感じられてくるのであった……<

というような思いから、デーリーは、牢獄生活の囚人たちに伝道を始めたけれど、
結局は、「裏切り者」として憎まれ、排斥されるようになってしまったのですね。

なぜ、だったのでしょうか?

わたしはデーリーが体験したことは、とても言葉で表現できるようなことではなかったからだと思いました。
それは、本当に神を体験した者しか理解できない貴重な体験だった。
だからこそ、デーリーは自分こそ神より選ばれた他を救うべき特権がある者だと勘違いし、
そして、見さかいもなく伝道しはじめてしまった。
だから、デーリーの体験を理解できない囚人たちは、拒絶する以外なかったのだと思います。

つづく

264a hope:2011/10/02(日) 00:11:15 ID:MNrNIsM2

つづき

でもそこで、

>「そんなに人を救おう救おうと力むものではないよ……」<

と、デーリーは、ライファーから諭されて、囚人たちを改心させようとする気持ちをすて、ひたすら、
自己改善のために、自分自身の魂を磨くための手段として、囚人たちの実相を観るようにしたのですよね!
そして、デーリーはそれを、『高き悦楽のゲーム』highly fascinating gameと呼んでいたのですね。

そしたら、今までデーリーのことを避けていた、囚人たちが、予期せず、親しみ出してきたんですよね!

>愛は欠点を見てそれを矯正することではなく、そのいたい傷に触れることではなかったのである。
愛はその人の傷をやさしく包んでその人の欠点の奥にある円満完全なる実相を、じっと愛の心で眺めやり、
これが彼の実相であるとそれを心でいたわり育ててやることであったのである。<

ここのところは、本当に素敵な文章だと思います。
何度も読みたくなります。
ただ、「相手の実相を観て祈る」というのでは、どんなことか実感しにくいですが、
このような素敵な言葉で表現されていたら、とても分かりやすいのではないかと思いました。

>デーリーはかかる愛の実践が、ハッキリと敵の陣営にあった人々に此のような奇蹟を演ずる事実を見た<

復興Gさまが、一番最初にあげてくださった引用文の後半部分なんですが、

>それよりも彼は、自分が『愛』を行じさせて頂くために神から与えられた『愛の対象』であると見るべきであり、
その『愛』を行ずる事によって誰が救われるのかと言えば、自分が救われるのである。
この態度になってこそ霊的プライドというものがなくなり、敬虔な、神聖な、『わしが』というような傲りの心がなくなるのである。<

とありますが、そうすると「愛を行ずる」とは、相手の完全円満なる実相を観ることで、
自己改善をし、自分自身の魂を磨くことということになりますよね?

つづく

265a hope:2011/10/02(日) 00:22:46 ID:MNrNIsM2

つづき

そして、

>自分の力というものは、説教する事によってよりも、如何に自分があるかという事によって効果を現わすものなのである。
伝道には歴史的キリストを無視すべきではないが、それよりも大切なのは、自分に内在する神秘的キリストを内部から呼び出して来るべきであるのである。<

とありますが、
ここのところは、役行者さまが、

>伝道とは、道を伝えると書きます。
 言い方を変えると、
 道が伝わる。真理が伝わる。愛が伝わる。
 伝えるには、作為があります。強制であり、力みがあります。

 伝わる。には、傷をやさしく包むイメージがあり、老子の言葉の無為自然が、ピッタリときます。
 久遠の愛が無為自然につたわる伝道!<
と最後に教えてくださってますが、

つまり、伝道とは、この場合、相手の実相を観ることで、自己改善をし、自分を磨き、自分の内なる神を呼び出すことによって自然におこる、
愛の奇跡、ということになるのでしょうか?


とても素敵な文章なのに、わたしがこのような形で理解しようとするのは、
ちょっと気が引けましたが、でも、お勉強だと思ってやらせていただきました。

ご指導お願いいたします。

266役行者:2011/10/02(日) 12:52:56 ID:gZGy03g2

>a hope さま

 いそがしくしている復興Gさまのご指導が、いまだのようですが、感想を述べさせていただきます。
 人に愛を行じると、神より愛されると説かれてます。神の愛に包まれた生活って、理想ですね。
 
>伝道とは、この場合、相手の実相を観 ることで、自己改善をし、自分を磨き、自分の 内なる神を呼び出すことによって自然におこ る 愛の奇跡、ということになるのでしょうか? <


 わたしはそのように思ってます。なんの作為もない愛って、その人の魂を進化させ、きっと、ささやかな神からの微笑みがプレゼントなんでしょうね。

267a hope:2011/10/02(日) 22:15:36 ID:MNrNIsM2

役行者さま

温かいお返事をありがとうございます。
そして、わたしの考えに同意していただき本当にうれしいです。

わたしは、神想観が大好きなのですが、最近は「如意宝珠観」が特に気に行っています。

だって、そこに出てくる竜宮城はまるで、わたしのイメージする「生長の家」そのもなんです。

『この大調和の実相の大海原に宮柱太しく立ち、甍高く聳えたり、
ここ竜宮城なり、綿津見の神の宮なり、塩椎の神の宮なり、
一切の宝周く満ち、一切の調度尽く七宝をもて荘厳せり。』

『住む人悉く身健やかに、心美しく、
相形美わしく和顔愛語讃嘆に満たされたり。』

この掲示板にいる人は、みんな優しくて、愛情にあふれていて、とても温かいです。
本流の先輩方も、同じです。

わたしは、如意宝珠観をしているとき、
「生長の家」の教えを愛している人達は、みんなわたしの家族なんだな〜と感じています。

わたしには、まだまだ勉強することが山積してます。

でも、今の時点でわたしができる伝道は「相手の実相を観て、自分を磨くこと」。

そして毎日、神想観をして神さまに包まれて、
神さまから微笑みのプレゼントをもらえるように頑張りたいです!



トキさま

実はわたしは、伝道についてもっと細かい内容のことを、
ここにまとめようかと思っていました。

でも、今、わたしは、もう一つのテーマ「真の生長家の教え」も含め、
それはわたしの仕事ではないような気がしています。

この半月間、トーキングステックを握らせていただき、生まれて初めて、
こんなに真剣に「愛」について考えました。

そして、みなさんのお力を借りて、自分なりに、納得がいく答えを見つけることができ、
自分自身がとても成長できたような気がしています。

ここで、トーキングステックをお返しいたいと思います。


みなさま、約半月間もの長い間、お付き合い下さりありがとうございました。

特に、わたしをここに推薦してくださった、うのはなさま、復興Gさま、
最初はあまりのプレッシャーにお二人を、少々恨めしく思ったりもしましたが(笑)、
今は、心から感謝しています。

本当に、ありがとうございました。


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