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「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板
194
:
a hope
:2011/09/28(水) 23:49:50 ID:MNrNIsM2
うのはなさま
琴音さまの質問に、答えてあげたくても、わたしも答えがわからないから、
答えてあげられないのです(笑)。
琴音さま
わたしも、その答えが知りたいです。
気長にお返事を待ちましょうね!
195
:
うのはな
:2011/09/28(水) 23:54:23 ID:iM0b0bt6
>176 続き
全人類の光明化 新春伝道講話 楠本 加美野 先生
生長の家の素晴らしさは、全人類の光明化を目ざすところにあります。
皆さんが伝道に出かけますと、キリスト教会もあるし、創価学会の家もある、
それこそ色々な家がある。しかし、創価学会の人であろうが共産党であろうが皆
全人類の一人です。省略しちゃいけない。伝道していると、留守の家もあるし、役場に
行き当たることもある。
「おい、これちょっと入りづらいな、やめとこうや、まだ他に家は一杯あるじゃないか」
・・・これはいけない。みんな素晴らしいんです。役場なら役場が素晴らしい。
それうぃ人間智で、いいとか悪いとか言うことは迷いです。進めないうちに、“あの人は
進めても無駄だ、やめとこう”なんて言っていると進める人がなくなってしまう(笑声)
だから、人間智でもって最初から無駄だなどと決めて省くのは、全人類の光明化という
生長の家の根本精神に反するわけです。
伝道練成に来た人でこんな人がいました。子供の頃噛まれたのがもとで犬嫌いになり
猫のように小さな犬でも怖ろしいという人でした。その人が伝道に歩いていて、
目の前に“猛犬”と書いてある家にぶつかった。さあ困った。省略してはならないし、
猛犬なんて字を見るだけでも震えが来る。考えたあげく、“そうだ、犬と和解しよう”
と思いついた。「私はあなたを赦しました。あなたも私を赦しました・・」
と、その人は一心に和解の祈りをしたそうです。伝道というのは時間がかかりますよ。(笑声)
そうして、「門番御苦労さま、有難うございます」と犬に感謝しながら庭先に入った。
するとやはり凄い犬がいた。ところがその犬がニコニコして迎えてくれたというのです。(爆笑)
これが皆さん、無限生長の道なんですよ。ここが大切なんです。
その人は御主人と仲が悪くて、練成を受けに来ていたんです。犬と仲が悪いのは幼い時から、
御主人とは、結婚してしばらくしてからでしょう。“犬と仲良くなれたんだから、主人と仲良くすることなど
大したことじゃないわ”とふっ切れて、その人は素晴らしくなったんです。
本当にどこに救いがあるかわかりませんね。犬を避けてその家をとばしていたら、
こうは行かない。
つづく
196
:
うのはな
:2011/09/29(木) 00:28:03 ID:iM0b0bt6
>195 続き
神 吾を選びしなり
谷口先生御自身が『生命の實相』の中に次のように書かれています。
「これは、神が起された運動であるということがわかったのであります」と。
「わかったのである」ということは、それまではわからなかったということですね。
谷口先生はそれを四十何年か前にわかったのでしょうが、私たちにも愈々
“これは神様が起された運動である”ということが解る時が来た。
そしてそれを解って運動をしなければならないギリギリの時が来ているのです。
これが本当に解ったときに、冒頭で述べた最も大切な自覚である「吾 神を
選びしにあらず、神 吾を選び給いしなり」ということが信じられる。
伝道の根本はここで、これが本当に解ったときの喜びが信仰の神髄でもあると思うわけです。
「諸君よ、選ばれた使命をゆるがせになしたまうな。時は過ぎ行く。“後なる者先とならん”
わたしはあの信仰深きキリスト教徒が戸別訪問しながら聖書を売り、入信を勧めて歩く熱心さに
心を打たれ襟を正す。諸君も、光明思想をひろめるのに、この熱心なキリスト教徒をならって
下さることを希望する。希望は実現の母である、わが希望は必ず実現する。信じて望めば能わざる
ことは一つもないのである」
『生命の實相』第一巻にはこうお示し下さっています。
「選ばれた使命をゆるがせになしたまうな」という御文章は『生命の實相』の
ここにしか出ておりません。最も具体的に、選ばれたる者の行くべき道をさし
示して下さっているわけで、河口湖の伝道練成も、ここに拠って始められたのです。
ところでこの生長の家の練成ほど人生の縮図はありません。色んな人が来る。
時には道場破りのような人も来ます。あっちの道場こっちの道場と巡って品定めをしている。
(笑声)そういう人がこの間も河口湖へ来た。「私は練成を受けている時はいいんですが、
帰ると段々冷めちゃうんです。冷めると練成へ来るんです。なるべく冷めにくいところへ来たいと
思うんですが、河口湖はどのぐらい保つでしょうか」と言う。
練成道場を温泉みたいに思っている(笑声)「君は入信の動機は何だ」
「それを言われるとお恥ずかしいんですが、刑務所の中で触れました」
そこで私は、「何と素晴らしいじゃないか」と言ったんです。
「生長の家の信者は沢山いるけれど、刑務所の中で触れたなんていうのは十万人に一人ぐらいしか
いないだろう。君は神様から選ばれて刑務所に入ったんだぞ」
「そう刑務所刑務所と言われると、身が縮む思いがします。しかしこれは初耳です。
どういうことでしょうか?」
「この生長の家の運動は全人類を救わなければいけない。全人類の中には刑務所から出た者も
沢山いる。その人たちを救う使命が君にはある。そのために神様は君を刑務所に入れてまで
生長の家に触れさせたんだ。その自覚をしなさい。その自覚とともに君の使命に
邁進した時に、君はもう冷めることはない。温まりっぱなしだ」(拍手)
つづく
197
:
役行者
:2011/09/29(木) 15:23:11 ID:yGZ.h2pU
>>191
>訊けさん〜
日の本を守り、闘った英霊に対し奉り、最敬礼!!
黙祷!
お直りください!
以上
198
:
役行者
:2011/09/29(木) 17:54:55 ID:yGZ.h2pU
>>192
琴音さま
遅れてスミマセン!
>霊波ではそんなことひとつも書いてないから きっと円応教の教えなのか、それとも仏教かと 思うのですが 真言宗でもそんなこと書いてなかった気がする のですが… そんな教えが仏教では一般的なんでしょうか?<
結論をいいますと、一般的でございまする。
真言宗の即身成仏という教えがあります。
また、般若心経など、神の子、仏の子の教えですね。
一般的に、仏教は、生老病死の苦悩を解決しようか?というところから始まり、スジャーターの愛により、悟りを開き、そして、菩提樹での大悟に至ります。
つまり、座禅瞑目しての気づきから始まってます。何に気づいたのか?我がうちに、神性、仏性が存在する!と気づいたのです。
その悟りを普遍化したのが、仏典です。ですから、誰でも、神性、仏性が存在し、気づきにより、即身に成仏するというのが、本来の仏教の教えです。
それは、一人一人により、霊魂は違います。
ですから、慈愛深い方もいれば、非情な方もいます。しかし、みな平等に神性、仏性を秘めており、それに気づくことが可能であると説くのが、仏教の教えでありましょう。
つまり、これが一般的な教えで、もし、指導者を通して、御札を通して、でなければ救われないとすれば、それは、一般的ではありませんね。
199
:
琴音
:2011/09/29(木) 22:11:30 ID:Q3WxxcVs
役行者様
回答ありがとうございます!
>我がうちに、神性、仏性が存在する!と気づいたのです。
そうですよね。大日如来、宇宙と一体となるのが真言宗、また
座禅であったり・・・
>慈愛深い方もいれば、非情な方もいます。
しかし、みな平等に神性、仏性を秘めており
確か、観世音菩薩は私たちの魂を磨くために
様々に変化して現れる、でしたっけ。
だから怒る人、しかられることにも、「菩薩が言われているんだ」と
感謝して受け止める、というのは聞いたことがあります。
指導者が神とのつながりをもつ唯一の存在であり、
それにつながらないと救われない、とか、
御札がないと霊波をうけられず病気が治らない、っていうのは
やっぱり正しい宗教ではないですよね。
200
:
役行者
:2011/09/30(金) 09:11:28 ID:yGZ.h2pU
>琴音さま
そうなんです。ただ、自分のうちに燦然と灯明している光に気づけばいいのです。まあ、そのことにみな苦労しているのですけど・・・
古今東西、お釈迦様やイエス・キリストをはじめ、あらゆる聖者の方々は、その気づきを自覚された方と存じます。
至上者の自覚の神示
創始者・谷口雅春先生ご執筆の神示ですが、訊け管理人さんのブログに掲載されてます。
「憑霊が説くほどの教なら人間 自身も霊であるから説き得るべ きであるのに、釈迦自身の教で はなく釈迦の憑霊の教であると 説くスピリチュアリズムは 自己 撞着に陥っているのである。人 間よ、人間自身の尊厳を奪還す ることである。『生長の家』は 人間自身の尊厳を奪還するため に出現した人生の燈台である」
と。
琴音さま自身の尊厳を奪還するために、生長の家は出現したのです。
上記で、うのはなさまが記載してくださった御文章がございます。
刑務所に入る方は使命があって入るのだよ!と・・・だとすれば、某宗教に入ったのも使命があって入ったのでしょう。この人類の迷妄時代、使命こそあれ、無駄なことは何ひとつないかと存じまする。
>指導者が神とのつながりをもつ唯一の存在で あり それにつながらないと救われない、とか 御札がないと霊波をうけられず病気が治らな いっていうのは やっぱり正しい宗教ではないですよね<
よくぞ!私の述べたいこと咀嚼してくださいました。琴音さまは高い魂の持ち主かと拝察しました。どのような環境で育てられたかは存じませんが、昭和天皇陛下のことを正しく伝えて行かねば・・・と考えるだけでも素晴らしいことです。
もう、読んでおられるかも知れませぬが、紹介したき本がございまする。
『昭和天皇の御巡幸』
著者 鈴木正男
発行所 展転社
是非、一読あれ!
201
:
うのはな
:2011/09/30(金) 18:16:29 ID:iM0b0bt6
>196 続き
皆さん、この、人類から劣等感をなくするのが光明化運動なのです。
その劣等感はどこから来るかというと、過去の失敗から来る。
『あなたは無限能力者』の本に次のような谷口雅春先生の御文章が引かれています。
「失敗を自分の無能力に直結させるところから劣等感が生れる」と。
劣等感をもっていると、いくら生長の家をやっていても幸福にはなれないんです。
過去の失敗は、それを利用して同じ失敗をして苦しんでいる人々を救うために、
神が為さしめ給うたのだと自覚を新たにして、伝道に邁進して素晴らしくなった人は
河口湖に来た人の中には一杯います。女道楽の限りを尽し、奥さんに連れられて伝道練成に
来られた大友さんなど、今では三角関係解消の名人です。
このように、生長の家に触れたことによって、過去のぬぐい難き劣等感をなくすることができる。
その人の人生の暗い影が、みんな世のため人のために使うことができるところに、
生長の家に入った喜びがあるのです。
“神 吾を選びしなり”の自覚がどんなに大切であるかがお分かりになると思います。
つづく
202
:
うのはな
:2011/09/30(金) 18:41:42 ID:iM0b0bt6
>201 続き
神は献身を要求し給う
中には、「私はまだ病気がよくならないから、治ったら伝えます」とか、
「“生命の實相”をもっとよく読んでから伝道します」とか言う人がいる。
また、「自分は教養がないし、地位も何もないから伝道に自信がない」と言って
尻込みする人もいる。ところが、そういう、信仰が浅いとか深いとか、病気が治って
いるとかまだだとか、あるいは、学問や地位があるとかないとか、話がうまいとかへただとか、
そんなことは、神様は、選ばれた人に要求し給わない。神は献身だけを要求し給うのです。
実際、伝道に出てみるとわかるのですが、伝道には地位も肩書きも通用しません。
そういう意味では、大変厳しいものです。伝道に必要なのは心から相手の幸せを祈る愛と、
神への無条件の献身、これあるのみです。
これが唯一無二の、選ばれた使命を果たすための条件です。
神様、こうして下さい、ああしてくださいという祈りをなくすることですね。
神様どうぞ私を自由にお使い下さいと願う祈りこそ、最高の祈りなのです。
この願いこそ本当の願であり、他のものは何も要らない。純粋に“神様のお役に
立たせて下さい”と祈るとき、あなたの願いは神様の願いと一致する。
それを神の子と言うのですよ。他のものは何もいらない。
これさえあれば伝道者として既に充分であり、また、信仰者として充分であり、
そして、人生の目的というものも結局ここにあると私は思うのであります。
皆さん、私たち高級霊は一日を終るに当って、生長の家のお陰で金がもうかった、
うまいものが食べれたぐらいじゃ喜べないですよ。高級霊の喜びは、今日一日神様のお役に立つ
ことができたんだという喜びですよ。この時に、神の子の純粋な喜びを神より幸えていただけるのです。
私も二十数年間、ひたすら練成で行きぬいて来ていますが、一番うれしい
練成会は、本当に神意を実現できた練成です。
おわり
伝道こそ信仰の生命 楠本 加美野 先生 生長乃家誌 昭和52年新年号
203
:
うのはな
:2011/09/30(金) 22:10:51 ID:iM0b0bt6
太陽の讃歌
わたしが昔見た光は
月光を帯びて幽谷を流れる水であったのに
今わたしの見る光は
旭日を映した真赤な大海洋になっている
いつのまに
こんなに大きな海原に出て来たのか私は知らない
ただわたしは
海の波のその一つ一つが 唇をそろえて太陽をたたえる
その讃歌を聞くのみだ
ああわたしも
太陽を讃えたくなった
太陽をほめる千万の波の唇と共に
わたしも声をそろえて
生命の讃歌をうたおう
谷口雅春 先生著 『ひかりの語録』より
204
:
トキ
:2011/10/05(水) 09:44:28 ID:cjNjb78g
>>203
谷口雅春先生の御文章はいつ拝読しても、心が洗われます。素晴らしい御文章を紹介して下さり、
ありがとうごいます。
205
:
うのはな
:2011/10/07(金) 18:32:24 ID:iM0b0bt6
想念の行動化について 『真理』第九巻 生活篇 谷口雅春 先生著
メンタル・サイエンスの幽祖(かくれたる一番もとの祖先)であるといわれているトロワード
判事(トロワードの著書には田中忠雄氏訳『聖書の神秘を開く』日本教文社から発行されていた)
は「なまけ物には決して特別配当はない」と云う警句を言っていますが、
心に思うことが形にあらわれるのだからとて、ただ念ずるだけで、その念に相応しい行動を起さない
ようなことでは、その「心に思うこと」が成就しないのです。
「わたしは神から無限の糧を与えられているから既に満腹している」といくら
念じても、食物を行動に於いて食べなかったならば、いつまで経っても空腹は去らないでしょう。
空腹を去らしめるには行動に於いて「与えられている糧」を受けることを実践しなければならない。
「私は健康である」と念じたならば、行動に於いて健康である通りに実践しなければならぬ。
健康者が朝起きる如く起き、健康者が仕事する如く仕事するのである。
206
:
うのはな
:2011/10/07(金) 18:56:10 ID:iM0b0bt6
夫のこころ妻のこころ 『女性に生まれ 愛に生き』 谷口輝子 先生著
皆さんありがとうございます。
今月の月初めに東京から私の娘の恵美子がこちらへ参りました。
彼女が仕事の都合で、二ヶ月か三ヶ月に一遍わたしの顔を見に来るのか、見せに来るのか
やって来てくれます。そして、私が齢いって甲斐甲斐しく働けないものですから、
公邸の掃除係になったように、来たらもうそこらじゅうを掃除をしたり片付けたりして、
バタバタ働いて整然と整理してくれております。私の机の上に山盛りになったような書類でも
みな片付けたり捨てたり勝手なことをしましてね、
「お母様、要らないものいくらでも積んでる」なんて言いまして整理して呉れますので、お陰で助かって
おるんでございます。
その恵美子がこの間参りました時に、半切の大きさの写真を何枚も持って来て呉れました。
見ましたら、私達夫婦の二人だけの写真なんです。昔のそんな写真が欲しいと思っていたわけでもないのですが、
恵美子が勝手に持って来て呉れまして申しますのに、「お母様ったら昔から今に至る迄同じ髪型をしていらっしゃるのねえ」
そう言うんです。若い時と今とちっとも変化が無い。今年九十一歳になりましたが未だ若い時と同じ髪型をしていると恵美子が申しますので、
「そうよ、今の流行だとか何とか言って、違った髪しておしゃれで良い気持ちになったりしようと思ってもね、お父様が『違った髪型したら僕の
奥さんじゃない』
と言って喜んで下さらないから、私は結婚当時と同じ髪の形でこれでもう一生行くんでしょう」
と、そんな話をしたんでございます。
つづく
207
:
琴音
:2011/10/07(金) 21:58:50 ID:XdUh1mvU
>うのはな様
素晴らしい言葉を紹介してくださりありがとうございます。
今日、帰りの電車を待ちながら、
「めんどくさい」思いについて考えていました。
私の心からそれがなくなれば本当によくなれるのに、と。
行動しないときは、ひっそりとその思いにきづかずにとらわれている
ことがあります。
>「私は健康である」と念じたならば、
行動に於いて健康である通りに実践しなければならぬ。
健康者が朝起きる如く起き、健康者が仕事する如く仕事するのである。
本当にそうですね。
ありがとうございます。
208
:
うのはな
:2011/10/08(土) 17:39:26 ID:iM0b0bt6
治病霊力の根源 『真理』第九巻 生活篇 谷口雅春 先生著
他を祝福しましょう、あなたは他より祝福せられます。
私たちは時々他の人が自分に冷淡であったり、利己主義であったり、過ちを
犯したりするのを見て、腹が立ったり、嫌気がさしたりして、祝福することを忘れがち
です。そのために私たちは神から放送されている祝福の霊波を受け得ない心の波長に
なるのです。
神はわが家の「戸の外に立ちて」祝福の波動で扉を叩きたまえども、自分自身が其の
絶縁体(縁を切って通さなくするもの)で扉を閉してしまうのです。
祝福するとは、讃美し、感謝し、相手の幸福を祈ることです。
キリストの治病伝道の歴史を見ますと、彼は先ず神を讃美し、次に感謝し、そして其の人の
幸福を祈っているのです。
この三つを忘れてはなりません。「自分の霊力で病気を治す」などと考えてはなりません。
イエスの驚くべき治病力は「われみずからにては為し得ず、天の父われに在して御業を
なさしめ給う」と神を讃美している処に根源があるのです。
211
:
トキ
:2011/10/20(木) 19:15:00 ID:0U2KhEc6
>>210
商人様
ダライラマの話には、興味深いものが多いですね。彼は、中国のチベット侵略を批判して
いますが、同時に、チベット自体も閉鎖的で他の世界に目を向けなかった、と反省しているのです。
彼の非暴力でのチベットの解放を目指す話には、学ぶべき点がありました。
”仮に、武力で中国を排除し、チベットを開放したとしても、それにより得られるものは、単なる
土くれにすぎない。しかし、もし我々が非暴力の運動を始め、それがどんなに長い時間かかっても、
非暴力で中国を排除することに成功するならば、それは今後の世界の紛争の一つ手本になる。
そして、世界の平和に大きく貢献する事になる”
確か、そういう趣旨の話でした。他にも、結構、面白いというか、考えさせられる話がありました。
生長の家の板ですが、生長の家以外の話題を排斥するような板ではないので、また、気が向いたら
ダライラマの話も投稿して下さい。
合掌 ありがとうございます
212
:
商人
:2011/10/20(木) 20:24:38 ID:7IsmmGqA
トキ様 210は削除してください。
やはりこの板にはあっておりません。
お手数おかけしますがおねがいします。
213
:
トキ
:2011/10/20(木) 20:34:07 ID:0U2KhEc6
>>212
私見ですが、別に問題はないと思いますが・・・。
どうしても御希望なら、削除しますが、気にされる事はないと思います。
214
:
商人
:2011/10/20(木) 20:49:59 ID:7IsmmGqA
気が向いたら投稿します。
削除おねがいします。
すみません。
215
:
うのはな
:2011/10/24(月) 00:47:54 ID:iM0b0bt6
神国實現への手紙 『静思集』 谷口雅春 先生著
神の国とは此処に見よ彼処に見よと云ってはないのである。
汝の心の中にありとイエス・キリストは被仰いました。
ではあなたの立っていらっしゃるところが、あなたの坐っていらっしゃる
ところが、そのままで、あなたが天国を見出しなさったならば、其処が
天国なのです。
神の国とは、神のいらっしゃるところでございます。
浄土とは佛のいらっしゃるところでございます。
ではあなたが今、神様を其処に見出されましたら、其処が浄土なのでございます。
神ここに在す、佛此処にましますと、どうぞあなたの心の中で誦えて下さいませ。
吾々は、眼をつぶっていては光を見ることが出来ないでしょう。
まず心の眼を開くには、言葉でとなえることでございます。
神道に於ける「大宇宙に神詰ります」という祝詞、佛教に於ける南無阿彌陀仏
の称名念佛、基督教に於ける讃美歌、・・・まだ色々御座いましょう。
すべて此処に佛ましますと云う念を深める言葉を常住となえることは、
天国浄土を地上に實現する基礎でございます。
此の世をば 浄土とぞ思う大神の 名誦しおれば眼の裏あかるし
216
:
うのはな
:2011/10/24(月) 21:40:42 ID:iM0b0bt6
何処にか天壌無窮ありや 『真理』 第4巻 谷口雅春 先生著
『叡智の断片』の書は続いて問う
「某僧あり、問うて曰く『大和国過って戦争を始め、敗戦して大小都市悉く
廃墟(くだけた市のあと)と化す。如何なるか是大和国』と。或る人答えて
曰く、『脚下そのまま是れ大和国』と。わかったような、解らぬような。」
『叡智の断片』にはまだ色々つづいて書かれてはいるが、この問題は
「わかったような、解らぬような」と云う曖昧な語で一応終っているのである。
進駐軍の厳しい検閲下において、日本を久遠不滅の国と説くような言説は超国家主義的言説
として、占領軍占領政策違反として拘束される当時の状況に於いては、それ以上ハッキリと
説くことが出来なかったのである。しかしあれだけ伏線に色々の例話を話して来た後であるから
眼のある者は見、耳ある者は聴くであろうと信じていたのである。
若し私が今、「某僧の問」を再び書くとするならば、もう少しハッキリ書いて、
次の如く問うであろう。
某僧あり、問うて曰く、「天壌無窮の大和国過って戦争を始め、敗戦して
占領軍下に支配さる。いずこにか天壌無窮ありや、又いずこにか大和国ありや」
と。
この公案に対する答は、君達自身に答えて貰いたいのある。猿の口真似返答では
ものにならぬからである。
217
:
義春
:2011/10/25(火) 22:39:41 ID:iu5Ar./Q
使命邁進の神示
人がどう思うかも知れぬと、そんなことばかり気にかけているようなことでは
心の苦しみは絶えぬものだ。自分がどの位愛したか、自分がどんな仕事をしたか、
そればかりを考えるが好い。肉体の人間は誤解するものだとあれほど言いきかしてある。
肉体は念の集積で出来たレンズ又はプリズムであるから、
人によってその『眼鏡』は違うから、どんな光線でもみんな屈折して見えるし、
人によって屈折の仕方も違うのだ。三角のものも丸く見えるし、丸いものも三角に見える。
深切で言ったつもりが悪意に取られたり、失敗って言った言葉でおかげを受ける人もある。
誰が何と思っても、それは迷いで屈折して色々に観るのであるから、
ただ神に知られることだけを求めて人に知られようなどと思わぬが好い。
人間の苦しみの一つは元は上べを飾りたい心である(昭和七年三月十五日執務中神示)
218
:
うのはな
:2011/10/25(火) 23:14:27 ID:iM0b0bt6
いのち立つ生活 『静思集』 谷口雅春 先生著
木下籐吉郎は織田信長の草履取をしていて或る寒い朝、主君の御足の温かいようにと
思って其の草履を懐ろへ入れて温めたような忠實さが信長にみとめられて、ついに
普請奉行に取立てられ、次第に引上げられて、最後に太閤にまでなる出世の緒を開いたのである。
茨城県の真壁に平四郎と云う男があって、やはり領主の草履取をしていたと云うことである。
平四郎は藤吉郎と同じように、或る冬の寒い朝、その主君のお履きになる駒下駄を自分の懐ろへ入れて
温めていたのである。其処へ突然殿様がお出ましになったので、平四郎は急に驚いて、その駒下駄を出して
踏石の上に揃えたが鼻緒が押し挫げられているのをチャンと伸ばす暇がなかった。
癇癖の強い此の殿様はこれを見ると「この駒下駄の鼻緒が挫げているのは、下郎の分在で、主君の駒下駄に
腰を掛けていたのに相違あるまい」と想像して、その駒下駄を以って、発止と平四郎の眉間を打ったのである。
平四郎の額は破れて、血が流れる・・・。
「わしが深切に貴様の駒下駄を懐ろで温めてやっていたのに、此のわしの眉間を
殴るとはな。そして此の額に生れもつかぬ傷をつけたな。もう主君でも何でもない。
今に祈り殺してやるやるから覚えておれ」こう考えて平四郎は領主の国から逃げ出して、
加持祈祷の勉強をした。ついに支那にわたり、高僧に会い、佛道をきわめて日本へ
帰って来たが、もう復讐心は無くなっていた。
つづく
219
:
うのはな
:2011/10/25(火) 23:54:20 ID:iM0b0bt6
同じように草履を温め、木履を懐中で温めながら、一方は誉められて出世をし、
一方は「不届者奴」と叱られて、あまつさえ眉間をその駒下駄で傷つけられるのである。
何がそうさせたか考えて見ると深い真理が教えられる。
一所懸命「善」をしようと心掛けながら叱られ通しの者もある。
それほど善もしないでいながらすらすらと何事も都合が好く往く者もある。
すらすらと都合が好く往く者は「我」がないか「我」が少ないのである。
深切をしながら都合好く往かない者は「我」の心で深切をしているのである。
「わしが深切に貴様の駒下駄を懐ろで温めてやっているのに、此のわしの眉間を
殴るとはな」こう思って平四郎は腹が立った。やっぱり「わし」があったのである。
眉間を破られるどころか十字架にかかれと言われても、ハイと十字架にかかったのが
イエスである。
殻が破れ自分が透明になることが必要である。そのとき儘十方世界が自分のものとなり、
自由自在が得られるのである。
同じように履物を温めても、平四郎が眉間を破られたのは「所」と「時」と
「人」とを得なかったからである。
一切の動作は、或ることを賞められたからと云って、他の時、他の場所で、他の人に
仕掛けても賞められるものだとは極(きま)っていないのである。
「善」は生きているものである。常に同じ形ではないのである。だから本当の善は、
「善悪不思」「真も求めず、偽をも求めず」などと云うと大変むつかしいようではあるが、
易しく云えば「そのままの心」になることである。
「わしが、わしが」と云う我の心を除去ることである。拝むこころになることである。
何事でも「わしがする」のではなく感謝しながら「させて頂く」気持になることである。
真壁平四郎は支那の高僧に会って帰って来ると、時の帝の御不例平癒祈祷の御儀を仰せ附けられ
たりして、有名になった。恰度郷里茨城の某寺の住職の席が空いているのでその住職になることに
なった。新帰朝の住持を迎えると云うので殿様もその席に参列されて鄭重な挨拶がある。
住持の大切そうにしている持物に駒下駄の古いのがある。
その時、殿様は駒下駄の由来を訊いた。「この駒下駄は私の恩人なのでございます。
この駒下駄が私の眉間を割ってくれたので、私は発憤して支那へ渡って勉強したのです。
もう恨みも何もありませぬ。法身を覚了すれば無一物、咄!この私が真壁の平四郎です」と
偈を以って答えたと言う。
つづく
220
:
商人
:2011/10/26(水) 06:49:32 ID:TCt66b8E
義春さま
>>217
いい文章ですね!今日一日肝に命じがんばります!
さすが義春さん。
私はどこを毎日読んでいるんだろう 笑
いつもありがとうございます。
うのさま
>>218
>>219
『静思集』いのち立つ生活 ありがとうございます!!!
これだけ文字入力するのは大変ですよね、恐れ入ります。
でも実にすばらしい!
私もさっそく『静思集』を買います!
うのさんのおかげですよ!ありがとうございます。
うのさんは、やはり知らないことをお教えされるほうがお似合いですね!
ありがとうございました。
221
:
志恩
:2011/10/26(水) 07:01:44 ID:psrFh/ZU
うのはなさま
すばらしい真理のご文章を、いつも載せて下さって、ありがとう!!今朝も、しみじみとした気持ちで拝読しました。
世界中の方々が、これを読まれてるから、うのはなさまは、世界中の方々に、聖なる光をおわけしてさしあげてる。
神さまのお仕事を、なさってる!貴いことです。
222
:
役行者
:2011/10/26(水) 08:13:42 ID:kmUbezAE
私もそのように思います(*^_^*)
223
:
「訊け」管理人
:2011/10/26(水) 08:24:08 ID:???
>うのはなさん
『静思集』のその箇所は、一昨日に読んでおりました。なので、びっくり!
>義春
いい仕事、するじゃないか(笑)これは後日、ブログで使わせてもらいます。
>志恩さま
>役行者さま
本日もブログ、更新しました。
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65600543.html
しかしお世辞ではなく、雅春先生の御本は何度拝読しても飽きませんね。
この飽きっぽい私がここまでどっぷりハマッてます。ホント、神様がお書きに
なられたのですね。
<本日ブログより一部引用>
祈りは必ず成就すると知っていたならば、あたかも壁に向かって祈ってい
るように、きかれない祈りで気をくさらすこともない筈である。
「何故なら私は、祈りの真の目的は祈りそれ自体であり、祈りそのものが祈
りの報いであることを知るからである。」
「正しい祈りには真実の動機と豊かなる信仰との外には何もいらないのであ
る。」
「かくして私は祈りの生活に於いて結果を求めるという心がほとんどなくな
り、何らの好結果が得られなくても、私は失望落胆しないようになったので
ある。」
「私が或る人のために祈ると言う事は、私がその祈りの成就の責任をとると
いうことではなく、それは私が神を求め神によって見出される機会を得ると
いうことなのである。」
「彼は私の個人的問題ではなく、実に神の問題なのである。彼は〝私に〟神と交通する恵まれた特権を與えてくれるのであり、その特権とは意志の自由と、同意の自由と、選択の自由という人間の最大の恵みなのである。」
『健全の真理』321項
224
:
義春
:2011/10/26(水) 12:37:01 ID:iu5Ar./Q
訊けさあ
親鸞の本心ですか、父方の祖母が持っていました。
懐かしく思い出されます。
225
:
義春
:2011/10/26(水) 12:48:28 ID:iu5Ar./Q
「生死の教」
生死はままならぬと云えども生死は心のままである。
兄弟を生かす心の者は生き、兄弟を殺す心の物は死す。殺すと云うても刀で切ることではない。
兄弟を生かす心のないものは殺しているのである。
周囲の人々の思惑を生かしてやるのは『兄弟を生かす』の最も大なるものである。
自己の好まざる所を他に転嫁するは『兄弟を殺す』の最も大なるものである。
周囲に痰を吐き散らすな、紙屑を投げ捨てるな。
これは物質の事でもあれど、物質のことだけではない。
口角泡を飛ばして兄弟を非難するものは兄弟の心に唾を吐きかける者である。
腹立ちを手紙に書いて送る者は兄弟の心に紙屑を投げる者である。
かれは兄弟の心を言葉で殺し文字で殺す者である。
兄弟の心を殺すよりも尚大なる殺しがある。汝の両親の思いやりを殺し、
汝の主君の思いやりを殺す者である。
本当に汝が、心の殺人の止めて感謝の心に充たされるようになるまでは、心の波長が違うから神の救いの霊波は受けられぬ。
(昭和六年九月五日神示)
226
:
志恩
:2011/10/26(水) 23:19:15 ID:psrFh/ZU
訊け君
今日もブログを更新されたのね。今日のも、実に心に沁みるすばらしい真理の数々ですね。
ありがとうございます。
また、絵が、きれいですねぇ。荘厳で宗教的な絵。小さな美術館を訪れているみたい。
親鸞の本心、私も昔,読みました。今は、弟が蔵書にして保存していますけれど。
私も懐かしく思い出しました。
227
:
義春
:2011/10/30(日) 01:03:26 ID:iu5Ar./Q
帰幽の神示
汝の肉体は汝の念絃の弾奏する曲譜である。
生命が肉体に宿ると云うのは二元的な考えであって真理ではない。
正しく云えば、生命はその念絃の弾ずる曲譜に従って肉体を現すのである。
肉体と云い、複体と云い、幽体と云い、霊体と云うはこれ悉く念の映像に過ぎない。
汝の念譜の種類に従って或は肉体を現じ、或は複体を現じ、或は幽体を現じ、或は霊体を現ずる。
すべての人はいつか肉体を失うであろうが死ぬのではない。
人は神の子であるから不死である。
念譜の形式が変わるに従って汝の仮有の形式が変わるのである。
すべての人の仮有は念の異なるに従って、その顕現を異にする。
念の形式は大変動を生ずれば、何時の仮有は他界に顕現し、
今迄の念の顕現たる肉体は速かに自壊自消する。これを人々は死と呼ぶが死ではない。
それは『生命』が念の絃をもって一曲を弾じ終ってそれを止め、他の奏曲に移らんとするにも等しい。
『生命』の弾ずる念の曲譜の形式に大変動を生ぜず、その念絃の律動に
ただ調和を欠きたるのみなるを病と云う。
かくの如き病は、念絃の律動の調子を直せば治るのである。
併し如何にその念絃の律動正しくとも初歩の一曲を必ず終って一層高き形式の曲譜を
学ばねばならない。吾が云う意味は地上の生活は必ず終らねばならないと云うことである。
地上の生活は汝の初歩の一曲である。
速かにこれを終るものは、初歩の教本を速かに終えたものである。
一曲が終らんとするを悲しむな。それはなお高き一局に進まんがためである。
その前に調律者が来て汝の念絃の調子を正すであろう。
その調律のため一時汝の仮有は調子ならぬ調子を奏でるであろう。
此の世の一曲が終る前に肉体の調子が乱れたように見えるのは此調律のためであって真に調子が乱れたのではない。
汝らかくの如くして次第に高き曲譜に進み行け。一局は終るとも弾き手は終るのではない、
弾き手は神の子であって不死であるぞ。(昭和六年六月二十六日神示)
228
:
義春
:2011/10/30(日) 01:20:44 ID:iu5Ar./Q
児童教育に関する神示
多くの母親は子供のことを余り取越するために、
却って子供に悪思念を放送して子供の健康や運命を害している。
或る母親は一瞬間でも自分の眼の前にいないと心配でたまらないのである。
彼は自分の想像の中で、躓いて転んでいる自分の子供の姿を思い浮かべる。
自動車にひかれて死にかかっている自分の子供の姿を思い浮かべる。
水に陥って溺れかかっている自分の子供の姿を思い浮かべる。
世の母親よ、何故あなたはこの反対をして可けないのか。
こんな取越苦労が起るのは、子供を神の子だと思わないで人間の子だと思うからである。
神の子は神が育て、人間の子は人間が育てる。
人間の子だと思うものは終生、取越苦労をして育てねばならぬ。
子供を神の子だと思うものは、子供を尊敬して出来るだけその世話をさせては頂くが、
神が守ってい給うと信ずるが故に取越苦労は必要ないのである。
人間力で子供を生かし得ると思うなら終日終夜起きて子供の番をしておれ。
それは出来なかろう。出来ない間に子供を生かしているのは神の力である。(日付不明)
229
:
うのはな
:2011/10/30(日) 18:44:12 ID:iM0b0bt6
生命の本源とつながること 『真理』第10巻 實相篇 谷口雅春 先生著
我が教えは葡萄の樹(新約聖書ヨハネ伝の「葡萄の樹」のたとえになぞらえたもの)
神はそれを養いたまうものである。
衆生は葡萄の枝である。衆生はわが教えに連らないではよき実を結ぶことが出来ないのである。
葡萄を植えたまうた者は神である。
神に植えられない葡萄の樹は枯れてしまうのである。
挿し芽や、挿し枝をして、別に独立してついている葡萄の樹もあるが、自分の生命の本源に感謝を
忘れるものは神がこれを養い給わないから枯れるほかはないのである。
神は普遍の霊である。一切のものに行き亙り、一切のものの生命となり、一切のものを愛したまい、
一切のものの内在の智恵となって導いていたまうのである。
私たちが自覚すると否とに拘らず常に斯くの如くであるけれども、自覚して特に波長を合わすように
するとき、神から最も多くの恵福を受けることができるのである。
230
:
トキ
:2011/11/01(火) 16:34:22 ID:uoY2yMQI
>>229
うのはな様の本領は、やはり聖典の講義をこれからもお願いします。
素晴らしい内容ですから、私も、大いに期待しております。
合掌 ありがとうございます
231
:
トキ
:2011/11/01(火) 16:35:58 ID:uoY2yMQI
>>230
失礼しました。
うのはな様の本領は、何と言っても聖典の講義ですから、これからも
聖典の講義をお願い申し上げます。素晴らしい内容ですから、私も多いに期待しております。
合掌 ありがとうございます
232
:
うのはな
:2011/11/01(火) 23:25:25 ID:iM0b0bt6
今日の「谷口雅春に訊け」ブログでは、真理の書から引用して、
まるで「訊け」管理人さんがご自分に対する反省でも書かれているようでしたが、
私の書いてる聖典文は単なる「一部抜粋」で、「聖典講義」なんて大げさなつもりでは
ありません。講義できるぐらいなら、「みんなの迷惑になってるよ」と
何回もいわれることもないし怒ることもないでしょうから。
トキさんも、ひとつの表現として「聖典講義」という言い方をされただけだと
思いますが、こっちにしたら丁寧すぎるように思えたのでひとこと言わせて貰いました。
かつて大論争掲示板があったころ、そのころ大論争で見た「不立文字」について
「静思集」から雅春先生の不立文字についての箇所を引用させてもらったのが
最初のバツガキだったのではと思っています。
それからは他の人達から、聖典のバツガキに関する嫌がらせや中傷を受け、
ネット以外の場でも古い本を良く思っていない人達から妨害もあり、こんなことは
いいかげんやめようと思い、なぜこんなことしてるのかと自分でも疑問に考えていましたが、
去年わかったところでは、私自身がやりたくてやっている以外に、霊界から
書かされている面もあったようです。
そんなこともしばらく控えさせもらいますが、今まで読んでくれた方たちへ
お礼をいいたかったので、ここに書いておきます。ありがとうございます。
233
:
a hope
:2011/11/02(水) 07:09:33 ID:JZDU.bbQ
うのはなさま
わたしは、うのはなさまの書き込みや、歌のプレゼントに、
どれだけ救われているかわかりません。
うのはなさまは、わたしにとって大切なお方です。
いつまでも、この掲示板で書き込み続けてほしいです。
きっと「訊け」管理人さまや、みなさまも同じように思われていると思います。
これからも、どうぞよろしくお願いいたします。
234
:
トキ
:2011/11/02(水) 19:52:03 ID:RBO3WEsc
>>233
a hopeさま
おっしゃられた事に全く同意します。うのはな様も、他の投稿者様も、管理人としては、大切な
仲間であり、同志です。教団援護派も、本流復活派も、どちらでもない人も、ここにご縁があり
投稿して下さる事で、私も勉強になりますし、ここをご覧の方々も多くの事を得られると思いま
す。
こちらに投稿をされる人は、まだまだ少ないですが、閲覧者はもうすぐ5万人を越します。
ある意味では、すごく影響力をもった場所になっています。(管理人がぐーたらなのに、何故?)
ですから、この場所で結論を出す、というよりも、投稿はしていないが、見ている人に向かって
語りかける事で、きっと多くの共鳴者が出ると思います。
板の管理人としては、今後も、どの立場の意見も大切にしたいと思いますので、どうか、皆様
ご投稿をお願いします。本流復活派の投稿も勿論、大歓迎です。
以上、宜しくお願い申し上げます。
合掌 ありがとうございます
235
:
義春
:2011/11/04(金) 18:37:21 ID:iu5Ar./Q
七つの燈台の誓願について
元青年会様のお勧めにより、七つの燈台の誓願と、その意味するところを、
拙いながらも考えを述べて参りたいと存じます。
至らぬ点は多々あろうかと存じますが、皆様のご指導・ご鞭撻の程、よろしくお願い申し上げます。
まず七つの燈台についてですが、長崎県西海市西彼町に在る生長の家総本山にあります。
wikiには、1978年に建立され、毎年数万人の参拝者が訪れる。総本山練成道場、温故資料館、
生長の家創始者である谷口雅春の家を復元した「藤棚の家」、谷口雅春ならびに妻で白鳩会初代総裁の谷口輝子の墓(「谷口家奥津城」)、
「龍宮住吉霊宮」とその周囲を囲む形で作られた、教義の神髄を込め建立されたとされる「七つの燈台」などがある。
総面積は約100万坪と言われ、海を望むことができる。また、総本山とは別に京都府宇治市に生長の家宇治別格本山がある。
そして七つの燈台の誓願は以下の通りです。
・天孫降臨皇御国成就燈
・伊邪那岐文化成就燈
・伊邪那美文明成就燈
・三界万霊悉皆実相開顕成仏燈
・万物一元万教帰一成就燈
・地上天国世界連邦成就燈
・君民一体地上天国成就燈
七つの燈台の誓願について1つ1つ意味するところを述べていきたく存じます。
236
:
義春
:2011/11/04(金) 18:37:52 ID:iu5Ar./Q
先ず、天孫降臨皇御国成就燈は天孫つまり天皇陛下を中心とした日本の国が成就する事への誓願です。
そしてこの天孫降臨については天照大御神の天壌無窮の神勅が根底にあります。
【天孫降臨皇御国成就燈について】
天孫降臨皇御国成就燈について記していきます。
以下の項目では、このような事を記していきます。
●天壌無窮の神勅について:天照大御神が下された神勅
●葦原千五百秋瑞穂の国について:日本の原始の姿
●葦について:環境浄化に大変重要な植物
●千五百秋の瑞穂の国について:米は日本の在り様を示している
【天壌無窮の神勅について】
天壌無窮の神勅 とは、『日本書紀』の天孫降臨の段で天照大神が孫の瓊瓊杵尊らに下した神勅を指します。
神勅は以下の通りです。
葦原千五百秋瑞穂の国は、是、吾が子孫の王たるべき地なり。
爾皇孫、就でまして治らせ。行矣。宝祚の隆えまさむこと、当に天壌と窮り無けむ。
一般的な解釈では、高天原の主神である天照大御神より日本の治めさせるというものであります。
以下でその意味するところを述べてまいりたく存じます。
【葦原千五百秋瑞穂の国について】
此のうち、葦原千五百秋瑞穂の国についてですが…
豊葦原 ( とよあしはら ) とは豊かに葦 ( あし )の生い茂る原のことで、日本国の美称です。
千五百秋の瑞穂の国 ( ちいほ、あきの、みずほのくに )とは、豊かに稲などの穀物が実る同じく日本国の美称です。
となります。豊かに葦の生い茂る原…それは日本の自然の姿かと存じます。そのうち葦について調べてまいりました。
【葦について】
葦についてwikiより引用させて頂きます。
葦とは(関西では)ヨシと読み、主として河川の下流域から汽水域上部、
あるいは干潟の陸側に広大な茂み(ヨシ原)を作り、場合によってはそれは最高100ヘクタールに及ぶ。
根本は水につかるが、水から出ることもあり、特に干潟では干潮時には干上がる。
水流の少ないところに育ち、多数の茎が水中に並び立つことから、その根本には泥が溜まりやすい。
ヨーロッパとアジアでは特に、ヒゲガラ、ヨシキリ、サンカノゴイといった鳥類と関わりが深い。
泥の表面には巻き貝やカニなどが多数生息する。アシハラガニはこの環境からその名をもらっている。
このように、多くの分解が行われ、多くの水生動物のよりどころとなる芦原は、
自然の浄化作用の上で重要な場所であり、野生動物と環境保護に重要な植物群落であると言える。
このように多くの泥が集まり、蓄積する区域は、その分解が多く行われる場所でもある。
他方で、その茎は多くの動物の住みかや隠れ場としても利用される。
このように、多くの分解が行われ、多くの水生動物のよりどころとなる芦原は、
自然の浄化作用の上で重要な場所であり、野生動物と環境保護に重要な植物群落であると言える。
以上、引用です。実際、私が学んでおりました、
バイオテクノロジーに於いても環境保全に重要な役割を果たす植物と習いました。
近年では大阪の淀川で、葦の再生に取り組み、劇的に水質が改善し、ウナギが戻ってきたと聴きます。
それなので、葦と云う植物は自然と人間の調和を促す植物とも言えましょう。
237
:
義春
:2011/11/04(金) 18:38:27 ID:iu5Ar./Q
【千五百秋の瑞穂の国について】
瑞穂、つまり瑞々しい稲…そこから生み出される米とは日本人が有史以来慣れ親しんだ植物であります。
それだから米は氣という様に、氣の根本とも見なしてもいます。
それはひいては日本の在り様、精神を重んじる根源的な食物ともいえます。
又、米と云うものは織田四天王の丹羽長秀の別称である「米五郎左」というように、どんな物とも合うというもので、
日本人が漢字を崩してかな文字を作ったり、明治維新後に西洋文明を取り入れたように、
日本人の柔軟性をも表すものでもあります。
【天壌無窮の神勅の意味するところ】
それなので、天壌無窮の神勅とは、単に日本の統治権についての文言に留まるのではなく、
日本の在り様をも表したものではないかと存じます。
植物も伊勢神宮・外宮に祀られている豊受大神が生み出したる物、その植物の1つ1つに神の心が表れているとも、
私は感じているのです。
それだから、以上のところより、【日本は神の子孫である天皇が霊的に治める地である。その日本とは、自然と人間が調和し、
天壌無窮に…つまり永遠に平和に栄える国である】でなろうかと存じます。
【天皇について】
以上のことから、天皇陛下が何故、常に自然と共にあろうかとされるかのかという所に思いを致す時に、
この天壌無窮の神勅が根底にあるのではないかと感じています。この天壌無窮の神勅は、霊的に治めるという願いがあるのではないかと、
勝手ながら感じております。それなので、例えば、昭和天皇様が『雑草と云う草は無い』と仰られて草木を真に大事にされたのも、
これによるのではないかと存じます。
それだから、御皇室の本廟である伊勢神宮に於いても、参道に大木があっても、そのままにし、神宮の作りに於いても、
自然そのままの姿で建物をお作りになっていると私は感じております。
その様な天皇陛下の在り方と云うものは、この環境の破壊が叫ばれる中で、大事になってくると感じております。
それ故に、その天皇陛下が真に霊的な中心者とし、刃に血を塗らずして…つまり、動植物を含めた犠牲の元で成り立つ、
社会の在り方ではない日本の姿への誓願ではなかろうかと私は勝手ながら感じております。
238
:
「訊け」
:2011/11/04(金) 21:18:04 ID:UodBcqiE
>義春
おはんやるなあw
「心はイケメン」
239
:
義春
:2011/11/04(金) 21:26:22 ID:iu5Ar./Q
訊けさあ
有り難うございますw頑張るデス!
心こそ イケメンでありたい 喪男の冬
240
:
義春
:2011/11/04(金) 21:34:02 ID:iu5Ar./Q
完全無関係閑話
喪男:2ch用語、モテない男性のことを指す。
また喪男板となると2ちゃんねる内のモテない男性板の事を言う。
また喪男はネガティブ思考で自虐的であるため、毒男同様、
アスキーアートなどでは暗い内容のものが多い。
(wikiより…こんなのwikiにあるのが驚きというが嘆きと云うか…)
まっ、ネガティブじゃないですけど、モテない事をネタにはしてます。
で、モテる奴からするとめんどくさい事がなくて羨ましいと言われるのですが、
それは喜んで良いのか複雑な心境になってしまいます。
ホント、関係ない話でした。
次は伊邪那岐文化成就燈と伊邪那美文明成就燈について記していきます。
真面目に頑張ります。
241
:
「訊け」
:2011/11/04(金) 21:52:53 ID:UodBcqiE
外人墓地でスベった俺だけど、俺はキミとは違い、顔はあくまでもイケメ
ン、イ ケ メ ン なのだ。
・・・そこは念入りに強調した上で、次に進むことを許可しよう。
どれどれ・・・
「心のイケメン」が語り、真性イケメンが拝聴する
「七つの燈台の誓願」そのつづき・・・
↓↓↓↓
242
:
トキ
:2011/11/04(金) 21:53:49 ID:0NmfMLAc
義春さん、ありがとうございました!
無理しないで下さいね。でも、感謝、感謝です。
243
:
「訊け」
:2011/11/04(金) 22:00:08 ID:UodBcqiE
(今度こそw)
「心のイケメン」が語り、真性のスーパーウルトライケメンが拝聴する
「七つの燈台の誓願」そのつづき・・・
↓↓↓↓
244
:
義春
:2011/11/04(金) 22:00:20 ID:SjZg29/2
>>241
訊けさあ
ごめんやす、まだ書いてる途中です(汗)
まぁ…次は二つの誓願を一緒に書くことが肝要になってくるのですが、中々大変で…で、母ちゃんにパソコン渡したから、ちょっと待ち時間です。
…にしても、そこまでイケメン強調しないでぇぇぇ〜(泣)
そういえば、さっき織田信成を観て元気になりました!彼は希望です!(違う
245
:
義春
:2011/11/04(金) 22:02:20 ID:SjZg29/2
>>242
トキ様
有り難うございます、ホント、お気を遣わせて、申し訳ありません。
訊けさあのイケメン作戦はブロックします!w
246
:
かぴばら
:2011/11/04(金) 22:02:25 ID:TjlpqfpM
義春様
素晴らしいご講義有難うございます!
イケメン・非イケメンにかかわらず、奇人・変人大好き!であります。
247
:
義春
:2011/11/04(金) 22:05:03 ID:SjZg29/2
>>246
かぴばら様
講義ではありませんって(滝汗)
まっ、私は変人ですね。この頃は仕方ないから認める事に致しました(泣)
248
:
「訊け」
:2011/11/04(金) 22:12:24 ID:UodBcqiE
(今度の今度こそw)
「心のイケメン」が語り、「九州の貴公子」真性のスーパーウルトライケメ
ン アーンド ナウいヤンエグが拝聴する「七つの燈台の誓願」そのつづき・・・
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
249
:
「訊け」
:2011/11/04(金) 22:26:17 ID:UodBcqiE
>義春
いったんCM、入りますか
http://www.youtube.com/watch?v=VpKpRebF8gE
<コメント>
やっぱ関西勢・・・・・レベルが違うわ(爆笑)
250
:
義春
:2011/11/04(金) 22:42:58 ID:SjZg29/2
>>249
訊けさあ
まだ母ちゃん占領中(泣)現在、うめぼしの歌で踊ってるw
まぁ…関電のCMは社員が出てるんですぜw
251
:
「訊け」
:2011/11/04(金) 23:05:33 ID:UodBcqiE
なんだよ、その
う め ぼ し の 歌
ってのはw
気になって仕方ねえじゃねえかw
252
:
「訊け」
:2011/11/04(金) 23:15:49 ID:UodBcqiE
●「生かされている」信心決定
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65603190.html
明日は祭です。島津軍団の格好して、街をネリアルキます。ですんで今の
うちにブログ更新しました。
いやーそれにしても吉田國太郎先生、素晴らしいですね。
253
:
義春
:2011/11/04(金) 23:28:50 ID:iu5Ar./Q
訊けさあ
なんかこれだしい。
婆ちゃんが歌っていて、母ちゃんも気にいったみたいです。
http://www.youtube.com/watch?v=bM4VzYhpQRE
254
:
元青会老人
:2011/11/05(土) 10:51:27 ID:???
やはり義春くんは神の子だった。すばらしい!
義春くん、是非A兄弟やT兄弟やMくんを集めて「新神童会」を結成して後世にまで
雅春先生の偉業と教えを語り続けて欲しい。
金は無いが・・・兵糧を送るぞ。
255
:
義春
:2011/11/05(土) 11:37:55 ID:iu5Ar./Q
>>254
元青会老人様
有り難う御座います!
まだ1つだけですので、これからが大変で頭を抱えていると言うのが
実情です。それですのでビジョンや目的をシッカリと打ち立てて、
皆と手を携えていけるように精進して参ります。
256
:
義春
:2011/11/05(土) 12:00:02 ID:iu5Ar./Q
この投稿では此の2つの誓願について記したく存じます。
・伊邪那岐文化成就燈
・伊邪那美文明成就燈
この伊邪那岐・伊邪那美、2柱で1つの事柄を表す…古事記に於いては国産みの神話に出て参りますが、
この国産みの神話というものは、世界の在り様をも示していると私は感じております。
項目は以下の通りです。
●国産みの神話について:霊的文化と物質文明の関係について記しました
霊的文化が主とならないと生命を蔑ろにした社会になってしまう。
●天津罪と国津罪について:天津罪は生命に関すること、国津罪は社会的な決まり事をしるしています。
●文化と文明について:文化と文明というものの言葉の定義についてしました。
※とりあえず長いです。
257
:
義春
:2011/11/05(土) 12:00:58 ID:iu5Ar./Q
【国産みの神話について】
長くなりますが引用元をしつつ述べていきたく存じます。
引用元は此処です(
http://www.ffortune.net/calen/izumo/sinwa/sinwa02.htm)
--------------------------------------------------------------------------
イザナギ神・イザナミ神は天の神様たちの命を受けて、国作りを始めました。
まずは天の浮橋に立って、まだ混沌としていた地球の表面に棒を入れてかき
回すと、そのしずくが落ちて重なり淤能碁呂島(おのごろしま)という島に
なります。そこで二人はその島に降りて結婚しました。
この時まずイザナギ神がイザナミ神に「そなたの体はどうなっているか?」
と聞くと「私の体には成り成りて成り合わぬ所があります」と言います。そ
してイザナギは「私の体には成り成りて成り余る所がある。私の成り余る所
をそなたの成り合わぬ所にさし塞いで国を生みましょう」と言いました。
そこで、島に柱を一本立て、その回りを回って出会ったところでまずイザナ
ミ神が「まぁなんて素敵な男性でしょう」と言い、次にイザナギ神が「ああ、
なんて素敵な娘だろう」と言いました。そして交わって産まれた子は水蛭子
であったため、葦船に乗せて流しました。次に出来た子は淡島。これも子の
数には入りません。
二人の神は何かおかしいと思い、いったん天にもどって神々に相談します。
神々は太占(ふとまに)をして占った結果、柱を回って女が先にプロポーズ
したのがいけなかったのではなかろうか。今度は男が先にプロポーズしてみ
なさい、とアドバイスします。
そこで二人は再び島に降り、結婚式をやり直して今度はイザナギ神が先に
「ああなんて素晴らしい娘だろう」と言ってから、イザナミ神が「まぁなん
て素敵な男性でしょう」と言いました。そして生もれたのが順に、淡路島、
伊予之二名島(四国)、隠岐の三つ子島、筑紫の島(九州)、壱岐の島、
対馬、佐渡の島、大倭豊秋津島(本州)で、これを大八島国といいます。
更に生み続けたのが吉備の児島(児島半島〜昔は島だった)、小豆島、大島
(山口県の?)、女島(大分県の?)、知訶島(??五島説あり)、両児島(??
男女群島説あり)です。
そして国を生み終ると次に神様を生みます。これが大事忍男神、石土毘古神、
石巣比売神、大戸日別神、天之吹男神、大家毘古神、風木津別之忍男神、海
の神である大綿津見神、水戸の神である速秋津日子神・速秋津比売神(ここ
まで10神)、風の神である志那都比古神、木の神である久久能智神、山の
神である大山津見神、野の神である鹿屋野比売神(ここまで4神)、鳥野石
楠船神(天鳥船)、大宜都比売神、火の神である火之迦具土神(ここまで3
神)です。
この最後の火之迦具土神を産んだ時、イザナミ神は陰部を火傷してしまい、
亡くなってしまいます。この時、イザナミ神が苦しみながら成した神様が、
金山毘古神・金山毘売神、波邇夜須毘古神・波邇夜須毘売神、弥都波能売神、
和久産巣日神、といったところです。
イザナギ神は妻の死を泣き悲しみ、出雲と伯耆の国境の比婆山に妻の遺骸を
葬りました。(日本書紀の一書では熊野の有馬村)そして剣を取って、妻の
死因となった火之迦具土神を殺してしまいます。この火之迦具土神の血や死
骸からはまた多くの神様が成っています。これは石拆神、根拆神、石筒之男
神、甕速日神、樋速日神、建御雷之男神、闇淤加美神、闇御津羽神、正鹿山
津見神、淤縢山津見神、奥山津見神、闇山津見神、志芸山津見神、羽山津見
神、原山津見神、戸山津見神、といったところです。
ここまでが古事記が伝える日本創成の物語です。
------------------------------------------------------------------------
258
:
義春
:2011/11/05(土) 12:01:46 ID:iu5Ar./Q
この国産みによって、日本は産み出されました。
まず、天の神様という天神が2神に国産みの命令を出したと書かれています。
又、高天原と混沌としてドロドロだった大地との間に天浮橋という中間地点的な場所があったのが分かります。
高天原が古事記に於いて実相世界を表すのなら、その実相世界と現象世界の間の地点から、
淤能碁呂島を産み出した…とあります。
そして、最初は伊邪那美から伊邪那岐に声をかけて、水子が生まれて、国産みが失敗した…
これは、伊邪那岐…つまり氣・霊的よりも、伊邪那美…実・物質が先んじてしまったというもので、
物質文明が精神文化に先んじてしまうと、物事は上手くいかないと言うものを示しています。
それだから、先ず、霊的文化の象徴である伊邪那岐が、主導していく事で、物質文明の象徴である伊邪那美を
導いていく事で、物質的な文明の暴走を防ぐという事かと存じます。
そしてこれは、現代社会への警鐘ではなかろうかと私は感じております。
なぜなら、現代社会は物質文明が先ず先になって、霊的なものに対しては、全く蔑ろにされています。
その証拠に例えば、肉食の傾向が著しく、キチンと計算したわけではありませんが、同じカロリーを摂取するにしても、
肉食の方が安くなっていると感じています。しかし、肉食と云うものは他者の生命を奪って食する行為にあたります。
古来の日本では肉食自体は仏教伝来までありました。しかし、動物の神への供犠をする事で、盛んになり過ぎないようにしていたようです。
以下は
http://www63.tok2.com/home2/ahonokouji/sub1-59.htm
よりの引用です。
------------------------------------------------------------------------------------
また、祝詞には天津罪国津罪というのがある。天津罪には、畦放ち(あはなち)、
溝埋め、樋放ち、といった水田を荒らす行為と並んで、串刺し、生剥ぎ、逆剥ぎがあげられ、
国津罪には、生膚断、死膚断、畜仆し(けものたおし)、などがある。
これから類推すると、肉食は農耕に悪害をもたらすと考えられたようである。
------------------------------------------------------------------------------------
259
:
義春
:2011/11/05(土) 12:02:46 ID:iu5Ar./Q
【天津罪と国津罪について】
それから天津罪・国津罪について書かせて頂きます。以下はwikiよりの引用です。
●天津罪
・畔放(あはなち) - 田に張っている水を、畔を壊すことで流出させ、水田灌漑を妨害することとされ、『古事記』・『日本書紀』にスサノオ命が高天原において天照大神の田に対してこれを行ったと記している
・溝埋(みぞうめ) - 田に水を引くために設けた溝を埋めることで水を引けないようにする灌漑妨害で、これも『古事記』・『日本書紀』に記述がある
・樋放(ひはなち) - 田に水を引くために設けた管を壊すことで水を引けないようにする灌漑妨害で、『日本書紀』に記述がある
・頻播(しきまき) - 他の人が種を蒔いた所に重ねて種を蒔いて作物の生長を妨げること(種を蒔く事で耕作権を奪うこととする説もある)で、『日本書紀』に記される
・串刺(くしさし) - 『日本書紀』には、その起源をスサノオ命が高天原において天照大神の田を妬んでこれを行ったと記しているが、
その目的は収穫時に他人の田畑に自分の土地であることを示す杭を立てて横領すること、
とする他に、他人の田畑に呪いを込めた串を刺すことでその所有者に害を及ぼす(または近寄れないようにした上で横領する)という呪詛説、
田の中に多くの串を隠し立てて所有者の足を傷つける傷害説、家畜に串を刺して殺す家畜殺傷説の3説がある
・生剥(いきはぎ) - 馬の皮を生きながら剥ぐこととされ、『日本書紀』にスサノオ命が天照大神が神に献上する服を織っている殿内に天斑駒(あまのふちこま)を生剥にして投げ入れたとその起源を記していることから、
神事(ないしはその準備)の神聖性を侵犯するものとされるが、本来は単に家畜の皮を剥いで殺傷することとの説もある
・逆剥(さかはぎ) - 馬の皮を尻の方から剥ぐこととされ、『古事記』『日本書紀』に生剥と同じ起源を記していることから、これも神事の神聖性を侵犯するものとされるが、
本来は単に家畜を殺傷することとの説があるのも同様である
・糞戸(くそへ) - 『古事記』『日本書紀』にはスサノオ命が高天原において天照大神が大嘗祭(または新嘗祭)を斎行する神殿に脱糞したのが起源であると記していることから、
これも神事に際して祭場を糞などの汚物で汚すこととされるが、また「くそと」と読み、「と」は祝詞(のりと)の「と」と同じく呪的行為を指すとして、
本来は肥料としての糞尿に呪いをかけて作物に害を与える行為であるとの説もある
天津罪は農耕及び神事、それから動物の殺生等、生命についての禁忌を記していると私は感じております。
それを天津罪として、真っ先に持って来る所が、日本が霊的文化、生命尊重の国と私が感じる所以であります。
260
:
義春
:2011/11/05(土) 12:03:17 ID:iu5Ar./Q
又、国津罪は
●国津罪
・生膚断(いきはだたち) - 生きている人の肌に傷をつけることで、所謂傷害罪に相当する
・死膚断(しにはだたち) - 直接的解釈では、死んだ人の肌に傷をつけることで、現在の死体損壊罪に相当し、その目的は何らかの呪的行為にあるとされるが、
また前項の生膚断が肌を傷つけられた被害者がまだ生存しているのに対し、被害者を傷つけて死に至らしめる、所謂傷害致死罪に相当するとの説もある
・白人(しらひと) - 肌の色が白くなる病気で、「白癩(びゃくらい・しらはたけ)」とも呼ばれ、所謂ハンセン病の1種とされるが、これが国津罪の一として現れるについては、
『薬師経』に薬師如来が菩薩行を行った時に12の大願を起こし、その6番目で人間の様々な病患も薬師如来の名前を聞けば全て取り除かれるであろうと説き、
その病患の具体例を「其身下劣、諸根不具、醜陋頑愚、聾盲跋躄、身攣背傴、白癩癲狂、」と挙げており、ここに挙げられた「白癩」が相当するとの説がある
・胡久美(こくみ) - 背中に大きな瘤ができること(所謂せむし)で、上記『薬師経』の「身攣背傴」に由来するとの説がある
・己(おの)が母犯せる罪 - 実母との相姦(近親相姦)
・己が子犯せる罪 - 実子との相姦
・母と子と犯せる罪 - ある女と性交し、その後その娘と相姦すること
・子と母と犯せる罪 - ある女と性交し、その後その母と相姦すること(以上4罪は『古事記』仲哀天皇段に「上通下通婚(おやこたわけ)」として総括されており、修辞技法として分化されているだけで、意味上の相違はないとの説もある)
畜犯せる罪 - 獣姦のことで、『古事記』仲哀天皇段には「馬婚(うまたわけ)」、「牛婚(うしたわけ)」、「鶏婚(とりたわけ)」、「犬婚(いぬたわけ)」と細分化されている
昆虫(はうむし)の災 - 地面を這う昆虫(毒蛇やムカデ、サソリなど)による災難であるが、『薬師経』に「悪象・師子・虎狼・熊羆・毒蛇・悪蝎・蜈蚣・蚰蜒、如是等怖」も薬師如来に祈れば取り除かれるであろうと説いており、
ここに挙げられた「毒蛇」以下が相当するとの説もある
高つ神の災 - 落雷などの天災とされるが、『薬師経』の影響を勘案して、『薬師経』にある「夜叉・羅刹・毘舎闍等、諸悪鬼神」を踏まえた広い意味での悪神による災害とする説もある
高つ鳥の災 - 大殿祭(おおとのほがい)の祝詞には「飛ぶ鳥の災」とあり、猛禽類による家屋損傷などの災難とされるが、これも『薬師経』に「怪鳥来集」とあるのが基になったものとの説がある
畜仆し(けものたおし)、蠱物(まじもの)する罪 - 家畜を殺し、その屍体で他人を呪う蠱道(こどう)のことであるが、
これも『薬師経』に薬師如来の力で人々の悪行が全て消滅するであろうと説いている中の、「告林神・樹神・山神・塚神・種々別神、殺諸畜生、取其血肉、祭祀一切夜叉羅刹食血肉者、書怨人字、并作其形、成就種々毒害呪術・厭魅蠱道・起屍鬼呪、欲断彼命、及壊其身」の句、特に「殺諸畜生」以下が基になったものとの説もある
…まぁ、何と申しますか、人間生活の基本となるマナーですね。
正直申しまして、性の乱れが大変な事になっている現在、国津罪を一部復活させても良いじゃないかとすら感じました。
261
:
義春
:2011/11/05(土) 12:06:25 ID:iu5Ar./Q
又、食事について、せい様から、雅春先生の御文章からこの様な投稿をして頂きました。
大事な事なので、私も引用させて頂きます。せい様、真に有り難う御座います!
---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
ところでこの食事をいただくというのは、単に肉体にカロリーを補給し、ビタミンを補給し、蛋白質を補給するというだけの意味で、
食物をたべていますと、その物質によって補給せられ、その物質がかためられて人体というものになっている気がして来ますから、どうしても物質的に人間を見て来ることになります。
食物で養われる人間も、摂取される食物も、それはただの物質である、というだけのことになります。
「物質」が物質を食べて「人間」というものになっている。そう思って食べても毒にはならんけれども、其処には物質を超えた霊的な価値というものは出て来ない。
物質は物質としてただそれだけの値打ちしかない訳であります。
ところが、私たちがいただくところの食物を、そういう風な、単なる物質的カロリーの補給だとか、物質的栄養素の補給だとかだけに思わないで、
その奥にある霊的生命を観て、それに感謝して食物をいただくとき、
内在価値が展開してくるのであります。
---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
この霊的生命に感謝する、そういった霊的文化が主とならないと、食事もまた崩れていきます。
何故、食に関して執拗に記すかと申しますと、食と云うものほど、人の考え方の根幹を成しているからであります。
それですので、食が崩れると言う事から、食で生命への敬意がなくなれば、社会そのものにも、
生命が主ではなく物質が主となってしまいます。そして結局は社会そのものも、今現在の様々な問題が表しています様に、
社会そのものの重圧により自壊してしまうという様になってしまうのではないかと感じております。
また、文化というものは一般的には【質】を重視し、文明は【量】を重視します。
ですので、日本の江戸時代は正に文化の時代で、1つ1つの物を大事にするものでありました。
これは何度も触れておりますが、循環型社会を形成していきます。
又、文明は現代文明が象徴的でありまして、大量生産・大量消費が社会の根本的なシステムの要因であるので、
使い捨てという現象が往々に起こります。現代文明は過労死・うつ病など人間の使い捨てすら起すシステムと言えます。
ただ、霊的文化・物質文明の両方がないといけません。
例えば、肉食は仏教伝来後、平安時代になっていくと、貴族の間では罪を犯す事を極度に恐れる事で全く肉を食べなくなりましたが、
その結果、貴族が日記等から観れば栄養失調としか言いようのない症状で亡くなる等本末転倒な現象が起きてしまいました。
それだから両方が成就する事でバランスの取れた社会の在り方を誓願されたと私は感じております。
262
:
【鎧かぶとで】「訊け」【書込み中】
:2011/11/05(土) 12:14:47 ID:???
>義春
つづきはまだかああ!(うめぼし問題?)
追伸
07:14付近から注目。福山雅治のヘコはオイでごあすw
http://www.youtube.com/watch?v=iUhydSzwek8
263
:
【鎧かぶとで】「訊け」【書込み中】
:2011/11/05(土) 12:17:51 ID:???
(×)福山雅治のヘコ
(○)福山雅治似のヘコ
てかつづいていたのねw
すまんすまんw
264
:
義春
:2011/11/05(土) 12:23:35 ID:iu5Ar./Q
訊けさあ
鎧兜で重そうな中、乙であります!そのまま妙円寺まで(ry
とりあえず読んで下され(泣)
それから体調やっと良くなりましたw喉痛いし鼻は崩壊だし、身体動かんし、
木曜日から体調最悪でしたから、嬉しいですわwww
それも昨日は大笑いさせて頂いたから、有り難う御座います!
265
:
「訊け」
:2011/11/05(土) 12:29:39 ID:???
「チェスト!」「チェスト!」がさっきから、
チョリソ
に聞こえてきました。お腹がすきますね。(戦争は大変ですw)
266
:
義春
:2011/11/05(土) 12:33:04 ID:iu5Ar./Q
訊けさあ
気合だ!気合だ!気合だぁぁぁ!!
気合があれば何でも出来る!!!(違う
そういえば、昨日ご飯一杯しか食べてなかった…何も食べる気がしなかったから、
食べなかったけど、ちょっとご飯食べます。
訊けさあは梅干が良いと想いますw
267
:
「訊け」
:2011/11/05(土) 13:15:01 ID:MPQg3/HY
>ちょっとご飯食べます。
関西人の昼ごはんって、お好み焼きかペヤングなんだろ?
/\ /\
/ \ / \
/ \ / \
\ かやく \ / ソース /
\ / \ /
\__/ \__/
*∴:・ ///
:※・* ////
∵*÷ /////
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
| ペヤング ソースやきそば |
|______________|
268
:
義春
:2011/11/05(土) 13:21:16 ID:SjZg29/2
>>267
訊けさあ
お好み焼きとご飯は普通ですけどね。何かオカシイのでしょうか?w
269
:
義春
:2011/11/05(土) 18:34:59 ID:iu5Ar./Q
話を元に戻して、只今、三界万霊悉皆実相開顕成仏燈について記していますが、
三界だけで今日は終りそうです・・・。
270
:
元青会老人
:2011/11/05(土) 20:56:13 ID:???
>>・伊邪那岐文化成就燈
・伊邪那美文明成就燈
この伊邪那岐・伊邪那美、2柱で1つの事柄を表す…古事記に於いては国産みの神話に出て参りますが、
この国産みの神話というものは、世界の在り様をも示していると私は感じております。
義春さんの国産みに焦点を合わせた論文感心しました。それが肉食の問題になっていったのは
さすがに今の教えwを学んでおられるとコウキタカーあとニヤケマシタ。
さて、先輩から一言さらに論文を他所からヒントを差し上げますね。
あの七つの燈台の中心になる天孫降臨・・の搭は龍宮住吉霊宮の真後ろにあります。
この七つの燈台と龍宮住吉霊宮はとても深く関連しています。
是非、龍宮住吉霊宮建立の意義や雅春先生の上棟祭におけるお言葉をもう一度読み返して
ごらんになることをお勧めします。(「求道と伝道のために」104〜111頁参照)
別スレでここの管理人さんの姿勢に疑問が出ましたのでたぶんもう書き込みはしませんが
義春くんや仲間たちのご多幸を祈っていますよ。
271
:
志恩
:2011/11/05(土) 23:52:15 ID:psrFh/ZU
トーキングスティクボードの584:に、さくらちゃんが書き込んでおられる
生長の家の信仰に対する箇条書きを見て、私は、おどろきました。私は、今まで何十年と生長の家の教えを学んでまいりましたが、
さくらちゃんが下記に書いておられるような、”超マイナス思考の教え”は、生長の家に入信して以来、私は、いまだかって一度たりとも聞いた事も、読んだ事もないからです。
584:さくらちゃんの文からの一部抜粋
【生長の家でも、信、ということに、かたずけられているような気がします。
まだまだ、信仰が足りないから、未熟なのだ、
信仰が足りないから、教えを理解できないのだ
信仰が足りないから、人が集まらないのだ
信仰が足りないから、社会的に成功もできないのだ
信仰が足りないから、雅春先生の教えを否定するのだ
、、、、、、、、、、、、、、
組織の運動の問題も、いつもこのことで、堂々巡りの様な気がします。
何も根本的な問題の解決にならない、考えだと思いますが、、、
それは、雅宣先生も指摘していました。、、、、 】
《すべて救われ済みの、教え》なのに、、信仰が足りないから、信仰が足りないから、、
なんて、生長の家では、いまだかって一度も 教えられた事は、ありませんでした。
さくらちゃんは、いったい、どこの宗派の教えのことを書かれたのですか。
私は、呆れるばかりです。
272
:
義春
:2011/11/06(日) 01:21:05 ID:SjZg29/2
>>270
元青会老人様
有り難うございます。ヒントを下さり感謝の言葉が見当たらない程であります。
家に殆ど資料がない中、手探りで書いてきておりますので、暗闇の中で一条の光を照らして頂いた思いであります。
正直申しまして、元青会老人様の御教導あればこその七つの燈台の誓願についての論文でありますので、ご投稿されないのは辛いものです。
…とは申しましても、私もこの論文を完成させたら、此処を去るか休もうと思っております。
この頃、体調が思わしくなく、かなり身体を壊しているのが自分でも分かっております。
26の時の癌でガタがきたのです。此処まで再度あちこちに転移した癌を乗り越えただけでも僥幸というものかもしれません。
ですので私は長生きは望んでおりませんが、母の孝行の為に、少しの間でも良い、それだけでも元気に生きたいものです。
草葉の陰から見守る楽しみがあるのを喜びつつ、論文を完成させて頂きます。
この七つの燈台こそが人類救済だと信じています。
273
:
元青会老人
:2011/11/06(日) 12:15:26 ID:???
義春さん、どうか無理をなさらないように・・・
どうか休養中にのんびりと「求道と伝道のために」を手に入れられてお読みください。
ちなみに、現在発行されているかどうか分かりませんが、この本は地方講師と光明実践委員
時にテキストとして渡される本です。谷口清超先生監修です。
H先輩や委員長なら確実にお持ちのはずです。地方講師の先生は必ず持っておられると思います。
それではどうぞ・・・ごゆっくり、心静かにご静養ください。
274
:
義春
:2011/11/06(日) 23:17:17 ID:iu5Ar./Q
元青会老人様
有り難う御座います。
体調は相変わらず優れませんが、「求道と伝道のために」は、
他人様にご迷惑をおかけするのは、申し訳ないので、
なるべく独力で手に入れて、それを読んでから記します。
少し時間がかかること、お赦し下さい。
275
:
義春
:2011/11/06(日) 23:32:30 ID:iu5Ar./Q
今、amazonで注文いたしました。
こういうネットを使った本の注文は初めてしましたが、
便利な世の中になりました・・・。
276
:
さくら
:2011/11/07(月) 01:37:42 ID:T/77sMGw
志恩さま
もともと、わたしは、本物の生長の家の信仰信念を持つ方には、
呆れるような信仰者だと思っています、
組織の疑問なんか持って、ボードしているんですからね。
黙って神想観してください、と昨日も注意されました。
今までも、呆れられることなんて、たくさん言ってますし。
だから、もともと呆れられてる、と思っていたので、
そこを読んで志恩さまが反応されたのは、ちょっと不思議なくらいでした。
これは、以前の教習会において発表されたある本部講師が、
「信仰が足りなかったので、我々の運動が成しえなかった」
というような発言があったことに対して、
雅宣先生が指摘した内容に関連して書きました。
信仰をしていくうえで、
生長の家の皆さまは、感じたことはない想いなのですね。
それは失礼いたしました。
カルトにいたわたしだけなのでしょうかね。
信仰がまだまだ、浅いな、勉強したり、神想観しなくちゃ、
そんなことも以前は思っていました。
そうなんですね、生長の家の方は、そうしたことは感じないのですね。
組織にいても、たまに聞いてたことだったのですが、
これは、呆れる内容なんですね。勉強になりました。
また、ご指導ください、ありがとうございます。
277
:
さくら
:2011/11/07(月) 01:38:24 ID:T/77sMGw
あれ、義春さま、ここにいたんだ。
旅に出たって噂はちがったんだね、安心。
278
:
さくら
:2011/11/07(月) 01:46:03 ID:T/77sMGw
義春さまの前の文をよく読めなくて、失礼しました。
お身体一番に、大切にされて下さい。
義春さまには、本当に助けていただいていますので、
大切にしていただかなくては、いけません。
休養されて、義春さまの本分を果たされて下さい。
書ききれずにすみません、余計なひと言、
失礼しました。
279
:
志恩
:2011/11/07(月) 09:50:24 ID:psrFh/ZU
さくらちゃん
ここの掲示板は、多くの方がご覧になられているので、ご覧になられている皆様が、「生長の家の教えは、こうなのだ。
こんな超マイナス思考の考え方を信徒におしえているのが、生長の家の宗教なのだ」というふうに、生長の家の教団そのものが、誤解されそうなので、
271>志恩で、反論したのです。
あなたのコメント類を読みますと,私達のような古くからの生長の家の信徒のいうことを、ひっくるめて、いちいち自分の都合のいいように曲解して、
時代遅れの、どうにもならないヤツラがこういってるというように述べているな、と感じる事が多々ある。
再度,貴女の文を書きます。
【生長の家でも、信、ということに、かたずけられているような気がします。
まだまだ、信仰が足りないから、未熟なのだ
信仰が足りないから、教えを理解できないのだ
信仰が足りないから、人が集まらないのだ
信仰がたりないから、社会的に成功できないのだ
、、、、、
組織の運動の問題も、いつもこのことで、堂々巡りの様な気がします。】
このようなことを上から指導されていると、貴女が書かれたので、私は、何十年もまえから、生長の家で学んでいますが、私は、このような
足りないから、だめなのだ。足りないから、だめなのだ。こんな暗い憂鬱な思想は、いまだかって生長の家で、聞いた事も読んだ事もないので、
この教えは、どこから持って来たのか。あきれる。と言ったのです.
すると、再びの276>のさくらちゃんからの私へのコメントによりますと、この「足りないからだ」発言は、なんと以前の教習会において、本部講師が、
「信仰が足りなかったので、我々の運動が成し得なかった」という発言があったということを、今度は、お書きになられました。
さくらちゃんは、「訊け君」の”「谷口雅春に訊け」ブログ”をお読みになったことが、おありでしょう。
雅春先生時代の、幾人もの本部講師や、雅春先生ご自身の動画の講話や文章が、たくさん掲載されてますが、どこに、そんな、マイナス思考の教えが載ってますか!
最近の本部講師が、「足りないから、足りないから、、」という発言をされたということは、その本部講師が、創始者が説かれた教えと、違ったことを
発言されているといっても、過言ではないと思います。
あの,足りない、、発言は、さくらちゃんが、言ったのではなく、その本部講師が言ったのだということが、わかりました。ですから、
貴女にたいして、あきれるばかりだと言った事は、撤回しますが、「足りない、、」発言は、内容としては、呆れる内容です。これは、撤回しません。
280
:
初心者
:2011/11/07(月) 10:00:42 ID:hogyfr1M
>>271
志恩様
>《すべて救われ済みの、教え》なのに、、信仰が足りないから、信仰が足りないから、、
なんて、生長の家では、いまだかって一度も 教えられた事は、ありませんでした。
孫引きでありますが、プラグマティズムのウイリアム・ジェイムズはつぎのように
言っています。
○一元論の宗教的安定というのは合理的に基礎づけられたものではなくて、
「全実在はすべて善である」という信仰にほかならない。事実、一元論は
こうした楽天的な信仰をいつも好んで用いているのだ。一元論者によれば、
たとえ見かけ上どんな危険があるようにみえても、世界はきっと救われるはず
であり、否、無条件に、永遠のむかしからすでに救われているのである。
ウイリアム・ジェイムズが言っているように、一元論は、「すべてが善であり、
すべて救われ済み」という発想にゆきつかざるを得ないのであります。一元論を
取り上げた時点で、結論はすでに決まっております。「すべてが救われ済み」。
これは、ことさらに新しい思想ではなく、一元論が必然的にたどりつくべき結論
なのであります。これは、哲学的には、すでに決着のついた問題であるはずです。
「すべてが善であり、すべてが救われ済み」と説かれた雅春先生は、哲学が予想する
結論へと必然的にたどりつかれたのであります。一元論は、かならずここにたどり
つきます。ここにたどりつくよりほかはありません。「超マイナス思考の教え」の
ほうが、わたくし的には、意外性があって、一元論の決まりきった楽天的発想よりも、
じつは興味があるのです。
281
:
志恩
:2011/11/07(月) 10:09:55 ID:psrFh/ZU
ここの掲示板をご覧の、世界中のみなさまにお知らせです。
どうか
【「谷口 雅春に訊け」ブログ】 を検索して、一度でもいいですから、観て下さいませんか。
私が、これをお勧めした皆様は一度観たら、お気に入り(ブックマーク)に必ず、入れて観て下さってます。そして、元気に生きて行く糧にされてます。
ここのブログには、本物の生長の家の真理のエッセンスが、まめに更新されて載ってますので、あなたさまも、必ずや お気に召してくださると
存じます。
282
:
さくら
:2011/11/07(月) 10:27:30 ID:ME8aqZFE
志恩さま
志恩さまの、生長の家を愛するお気持ちは、
私のような新米信徒には到底及びませんが、
私の立場において、十分理解します。
私も感じているからです。
志恩さまも、本当の気持ちを私にお伝え下さいました。
私も、では、向き合います。
本流に書いてある内容や言葉、生長の家の中で批判し合う状況
には、もう十分過ぎるほど、生長の家を傷つけられているのですよ。
ですので、まず、 なぜ、私が流れの中で書いた、信仰が足りない発言に、
引っかかり、書かれるのか、わからないところがあります。
信仰する者は、このようなことを、一度は、考えたことが、ございませんでしょうか。
私の信仰が足りないから、こうなったのではないか、
私の心を振り返り、そのような発言をしたことは、ないでしょうか。
今まで一度も、生長の家の信仰を持つ方は、考えたことがないでしょうか。
また私がこれを書いた、流れをよく、ご覧になって考えて頂きたいのです。
ただ、信を問題にするだけでなく、
真理を求めるとは、救済を実現するとは、どういうことかを、
突き詰めて考えなければ、組織運動は、行き詰まる、
そういう意味で雅宣先生は、指摘されたことを、
言いたかったのです。
私には、「全ての問題は、あなたの心にあるから、神想観して心清めて
解決したらいかがですか、」との指摘に対することも、同じです。
言葉のアヤで、私が意図する真意を伝えられない、
表現の拙さを、大変もどかしく感じます。
信で乗り越える、という以上の踏み込んだ姿勢が大切だと仰っていたことを、
私は書きたかっただけです。
283
:
さくら
:2011/11/07(月) 10:35:09 ID:ME8aqZFE
ボードをはじめることは、このような葛藤を生むことが分かっていたので、
大変気の重いことでした。
思いますのは、今までの生長の家のやり方や伝えかたでは、
やはり、限界なのだということです。
今までの歴史の非難では、ないのです。
もう、雅春先生の言葉がこういってるから、
という根拠では、
限界だと思っているのです。
文意の中での言葉のアヤの引っかかりをこえて理解しあおうとしないと、
結局すれ違いの、水掛け論になるので、
それは、避けたいのです。
284
:
志恩
:2011/11/07(月) 10:38:37 ID:psrFh/ZU
スナフキン君
コメント、ありがとうございます。貴方の280:を拝見しないで、281を書き込みました。
いま、来客がありましたので、すみませんが、後ほどお返事させていただきますね。
285
:
八百比丘尼
:2011/11/07(月) 11:27:15 ID:j8iOdie.
さくらちゃん。
あなたにばかり、辛い役目をさせてしまって、ごめんなさい。
あなたの言いたいことは、私なりに理解しているつもりです。
私の中にも葛藤があります。
でも、どうしてもうまく言い表すことが出来ない。
それをあなたは勇気をもって言ってくれました。
ありがとう。
何とかあなたの気持ちに、寄り添ってゆきたいと思っています。
毎回、ふざけた事しか書けない私を赦してね。
良い人の仮面が剥がれなくなってしまった私は、ささやかな
自己破壊をくり返しているのです。
−−ソクラテス鈴夜ーー
《 人間というものは大変だ。
色んなことを知らなければ、生きてゆけないらしい。
良い学校に行って、良い仕事に就いて、偉くなって、お金を沢山稼いで。
で、そのあとどうするわけ?
お金があれば、毎日のんびり暮らせるじゃないか。って。
なんだ、今のオレと同じじゃん。
別にな〜んにも知らなくたって、のんびり楽しく暮らしてるよ。
【他人の無知を指摘することは簡単であるが、
言うまでもなく人間は世界の全てを知ることは出来ない】
ソクラテス
そして人間は、猫世界の全てを知ることも出来ない。 》
286
:
初心者
:2011/11/07(月) 12:34:21 ID:hogyfr1M
ビクニねえさん
他人の無知を指摘するのは簡単かもしれませんが、人間知をさげすみ、自分たちは
人間知の上をゆくと信じておられる方々の無知に言及するのは、簡単ではありませんね。
そうした言及じたいが人間知とみなされてしまいますから。
287
:
さくら
:2011/11/07(月) 13:04:02 ID:MVa4lFHc
比丘尼おねえさま。
この様な時こそ、
簡単に、ありがとうございます、
とは、言えないのですね、
辛い役目なんて、とんでもない、
あなたの言葉だけでも、
充分報われることです。
考えることがあるのは、
幸せなことですね。
完全な神があえて、不完全な姿で、
わたしをこの世におくってくれたのですから、
この不完全を、この無知さ加減を、わたしなりに楽しみたいと思っています。
誰が完全であることが正しいと言ったか、
わたしは、知らないのです。
わたしは、不完全を、足りないことを、
選んで生まれてきたのです、比丘尼おねえさま。
この貴い意味を、わたしは、
何度も、噛み締めたいのです。
あなたのあたたかいユーモアが大好きです。
だから、そのままでいて下さい。
ありがとうございます、
ちなみにこの言葉は、
宗教など、
なにも関係ないところの、
わたしの心のこえ、です。
288
:
志恩
:2011/11/07(月) 13:39:12 ID:psrFh/ZU
初心者さま
中立一元論者のウイリアム・ジェームスの本は、若いころ読んだことがあります.哲学者、心理学者、思想家。
初心者さまは、超マイナス思考のほうが、一元論の「全てが善であり、すべて救われ済み」の思想より、意外性があって、じつは興味があるのですね。
そして、他のスレッドで、18年前に悟りを開いたともおっしゃってますが。
スナフキン君は、名のごとくこころの旅人ですから、哲学的分野のみならず他方面もまなばれ心の旅を現在も続けておいでです。
私達、古くからの生長の家人は、スエーデンボルグ、ラルフ・ウオルド・エマーソン、タゴール、などの至高の知恵が書かれてありますニューソート系の本などを多く読んでいました。
しかし、スナフキン君のように他方面の本は、読んでいません。ですから、貴方のむずかしい数々の哲学的用語は、すごくわかりずらいのです。
最近、ネットで、興味あるブログを、見つけました。
"ITスペシャリストが語る芸術”ブログ。この中に載っている 3つのタイプ別の悟り方 も、他の記事も面白かったです。
ブログの作成者のプロフィールは、KAY(けい)。ソフトウエア開発技術者、MCSD、MCDBA資格者、神道家、タオメスト、神秘思想家、一日一食の菜食者。とあります。
ここへ、内容を書き写したいのですが、大変なので、もし、まだご覧になっておられないのなら、一読されても、いいかもしれません。
2010.08.14に、❶❷❸べつの悟り方があると載っているのですが(それは、ご覧ください)
実際には、どれか1つの道のみということはなく、いくらかは全ての道に関わる。ラマナ・マハリシや、ニサルガダッタ・マハラジは第一の道で悟ったが、普通、そういった解脱者は無名である。
マザー・テレサやガンジーは第三の道の代表的な体現者である。アルベルト・シュヴァイツァーは、主には第三の道を行ったが,先ずは第ニの道で、神学と音楽を極めようとした。次いで、芸術や学問への探求の情熱と
世界の不条理の板挟みとなって、否応なく自己の心をみつめることとなり、第ニの道に入り、最後に第三の道に進んだ。彼の悟りは生命の深い洞察として形(生命の洞察)にもなった。
アルベルト・アインシュタインは、第一の道と第ニの道を渾然とさせ、化学の中に霊的叡智を持ち込んだ。そして、バートラント・ラッセルなどとともに人類奉仕への道を進んだ。完成には至らなかったが、人間として偉大な
一生であった。
ですから、悟りにも、いろいろあり、段階もあるのですね。その悟りをひらくにも、自分に向いた道があるのです。
雅春先生の悟りを,学び、それを実行して、人生のは励みにしている人たち。でも、雅春先生の悟りは、まだまだ、自分が到達した悟りには、達していなかったのだと思われる、といわれるスナフキン君のような方々、
それぞれが、ご自分に向いた道、ご自分と波長の合う道を歩むしかないのでは?
宗教思想も、いわゆる諸刃の剣ですから、組織でも、個人でも、真理を利用して、人を支配するための道具に使うようになったり,他人をさばく為に使うようになったとしたら、宗教は、人類の幸せとは,違った方向を向いてしまっているという
ことになりかねませんね。真理は、本来、自分を鼓舞したり反省したりするもので、それで、自分のできることは、実際に実行しつつ、自分も他人も同時に幸せにするためのものだと思います。
289
:
初心者
:2011/11/07(月) 14:09:22 ID:hogyfr1M
志恩様が書いておられることに共感いたします。悟りはひとそれぞれでよいので
ありますよ。それを、こうでなければならないと決めつけるところに、問題が生じて
くるのでありますね。
真理を少しばかりかじったからといって、人間知をさげすみ、ことあるごとに軽蔑
しようとする人たちがいますよね。わたくしは、こうした人たちが許せません。いずれ
手痛いしっぺ返しを受けるでありましょう。
雅春先生は、こうした人たちの存在を認めておられるのでありましょうか。わたくしは、
認めておられるとはおもわないのでありますが、「信が第一である」といっておられる
ような方々は、認めてもらっていると考えておられるのでありましょうね。
わたしくは認めませんが、雅春先生は認めておられるのでありましょうか。
290
:
義春
:2011/11/08(火) 01:15:40 ID:SjZg29/2
元青会老人様
Amazonより、お勧めされた本を拝読しました…真に申し訳ありませんが、内容が深く、今の私の器量では到底書ききれないと感じております。ですので今は書けません。
それから、私は此の投稿を以て、此処から去る事に致しました。数ヶ月から1年程の期間を観て、養生に勤めたく想います。
簡略ながら、此処でお世話になりました皆々様に厚く御礼を申し上げつつ、去る事に致します。
291
:
【はあ?】「訊け」【ええ?】
:2011/11/08(火) 07:49:12 ID:D0Kb5yw.
>義春
へんな星に、連れていかれんのか?
∩
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義 春
292
:
かぴばら
:2011/11/08(火) 17:23:57 ID:TjlpqfpM
義春様〜〜!(号泣)
数々のご講義素敵でした。私のような理解少ない者にも暖かい愛を注いで下さり、有難うございました。
ほのぼのとした義春様の書き込み(ちょっと違うか?)ををいつもニコニコしながら読んでましたよ。ゆっくりお休みくださいませ。私は貴方様のお話をきっかけにもっと病気に対する理解を深め、患者さまに接しようと思いました。
素敵な義春様にエールを送ります。そして義春様の点滴にも(やってればの話ですが)LOVE♡
ゆっくり休んで又英気を養ってご登場くださいませ。楽しみにしております♪(本当は涙・涙です。寂しいよ〜)
293
:
初心者
:2011/11/08(火) 19:25:33 ID:hogyfr1M
義春さん
事情がわかりませんので、なんといってよいのかわかりませんが、義春さんも
すでに、それがなんであるのかはご存じであるはずですので、心配はしており
ません。わたくしも、数百回にわたる体外離脱経験により、人間の本質が霊で
あるのは、主観的にも客観的にも確認いたしております。なにも心配せず、
養生に、そしてなすべきことに専念してくださいね。
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