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「今の教え」と「本流復活」を考える・挨拶板
984
:
八咫烏
:2012/03/31(土) 07:47:19 ID:GspmSDCg
初心者様
林武画伯は国学漢学者の血を引く方で、父の林甕臣氏は非常な愛国者であり、
アーネスト・サトウの通訳をした人ですが、
アーネスト・サトウとは強い親友の絆を結んだ人です。
またこの人は、生涯をかけて国語を守ろうとした人です。
ところで、林武画伯は言っています。日本語は西洋の言葉とは違うのであり、
ソシュールの言語学などの国際的な言語学(主としてヨーロッパ言語の成り立ちを研究し、
それによってうちたてられた学問ですが)
を学ぶことはいいが、それをそのまま日本語に当てることは間違いであると。
日本語をもっとも理解し、研究してきたのは国学者です。ところが明治以後国学者は生活ができなくなり、
段々国学が廃れていくのですが、明治の欧米礼賛主義は、国学に変わって、国際言語学をそのまま日本語に
応用してしまうのです。
本来日本語というものは非常に自然発生的な言語であり、音一つ一つがその音の響きのなかに意味をもつと
言われる言語です。日本人は、全てのものにはそれ固有の音があると感じ、その音の中に、ものの発する
いのちの響を感じ取ったのであります。
だから、『あ』という音には「あ」特有の響きがあり、口を大きく開いて上唇で音を発する
ので、感歎詞のああ、あな(かしこ)あはれ、あふぐ(仰ぐ)、あやし、あめ
など、「天上、開放、嗚呼、仰天、感慨、天性、信仰、果然、嗟嘆、天空、感嘆、無為、感泣、豪放、開明」などの
意味になるそうです。このように、日本語の五十音は、それぞれ、一音一音が、
その響きによって、それだけですでに心に届く感覚というものをもたらす、
音自体の意味を持つ言語なのです。
たとえば、雅春先生は、「あ」の音を陽をあらわす音であるとおっしゃいました。
それは口を大きく開きのびのびと声を出すところからも、感じ取れます。
そして、「う」の音は陰をあらわす音であるとおっしゃいました。
これも、口を閉じてこもるように発音するのですから、
いかにも内にこもる陰の響きを発しています。
このような自然発生の、宇宙に存在するすべての音を言葉としてとらえた日本人の音霊の感覚
その音霊からできた言葉に宿る言霊の感覚、これは西洋にはない日本人の感覚です。
あなたは右脳、左脳の働きに興味がおありだと思いますが、
言語を司る脳の領域と、世の中の言語以外の音を聞く脳の領域は、
同じように音のひびきを聞くにしても異なっているのですが、
日本人は、虫の音、風の音、小川のせせらぎの音、
こうした自然の音を言語を司る脳で聞いているという話はご存知だと思います。
西洋人は、これらを言語ではなく、単なる音として聞きます。
いわゆる雑音として聞こえるということです。
このような音に対する感覚の違いを持つ日本人の言語を、
西洋の言語学で、当てはめて考えようとすることに、
私は、違うと思うのです。
私はソシュールは、林武画伯が言及しておられるので、名前は知っていますが、
読んだことはないので、内容はしりませんが、
しかし、あなたが言われるように、言葉に意味がないと感じたことはありません。
空という言葉を聞いただけでも、イメージが広がるのです。
それは文章によりさらにまた別なイメージとなるかも知れませんが、
それは、元々の空に意味がなかったからではなく、
他の言葉との組み合わせによって、
たとえば絵画がいろんな絵の具で、美しい絵画が出来上がるように、
一音一音が、織り合わされて言葉ができ、さらに言葉が織りなされて文となる、
日本語はそのような命を持った言語であると考えています。
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