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「今の教え」と「本流復活」を考える・挨拶板

954初心者:2012/03/29(木) 14:14:01 ID:ixiWFYoQ
さくら様

宗教にかかわろうとする人なら、誰もが真理を欲望するはずです。

欲望には条件があるはずですね。それにたどりつけないこと。それが何かで
覆われていること。欲望とは欲望しつづけること。真理は、こうした条件に
かなっているようです。

完全な救済があるとすれば、それはどのようなことでしょう。完全に救われた人と
は、どのような人をいうのでしょう。それは「欲望しなくなった人」なのではないで
しょうか。

>仰るように、結果が出ているから真理だ、結果が出るように信仰を深めよう、そのような傾向はなかったか、。

結果が出てそこに真理があらわれたと見なすことができれば、真理を欲望する
必要はなくなるはずです。信じて行ずるとは、それはすでに自分は真理を生きて
いると見なすことですから、それは真理を欲望しないということでもあるのでは
ないでしょうか。救済とは、真理を欲望しないことへの欲望である気がいたします。

>総裁は、組織においては、もっと踏み込んだ分析や思索を深めていくことをご指摘されていたように思います。

自分は何を欲望しているのか、それを明確にしなければなりませんね。

欲望の座標が根本的に異なっている。こうしたことが、踏みこんだ分析や思索に
よって明確にされていれば、いたずらに他者のあり方を否定したり、一方的に
自らの価値観や真理観を押しつけたり、心情的な同一化を求めたりといったような
出来事が減っていくような気がいたします。

少なくとも、たとえ否定され、押しつけられ、同一化を求められたとしても、それが
なぜなのかが理解できそうです。


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