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「今の教え」と「本流復活」を考える・挨拶板

925うのはな:2012/03/14(水) 21:15:17 ID:El6gIMAw

 玉音放送の前日、八月十四日に大阪で空襲がありました。現在、大阪城公園となっている
広大な敷地には、かつて東洋一とうたわれた砲兵工廠があり、軍の主要兵器はほぼここでつくられましたから、
格好の標的となり、七○○トンの爆弾が投下され、この日だけでニ○○人もの市民が亡くなりました。
十四日というのは、もはやポツダム宣言を受諾することが決定していた二日後です。
この十四日の空襲の中を逃げ惑いながら、死屍累々たる大阪の街を彷徨い黒焦げとなった人々の死とはいったい何だったのか。

彼らの死にいったいどれだけの意味があったのか。兵士として死んだ人々もかわいそうだが、それでも彼らの死は「名誉の戦死」です。
靖国神社では英霊として祀ってもらえるのです。
しかし、大阪で死んだ人の死は何の死だったのか。

私は空襲で亡くなった人々も靖国に合祀すべきだと、不公平だと言いたいのではありません。
靖国神社は、ひとつの私的な宗教法人ですから、彼らはひとつの宗教的信条を持って教義を立て、
それに基づいて、いわば「勝手に」兵士の身分、あるいは国家によって軍人帰属とみなされた人々「のみ」を
祀っているにすぎません。
それは靖国神社の宗教行為ですから、それに対しては誰も批判できませんし、そういう筋合いのものでもありません。
キリスト者に「十字架を使うのはいかがなものか」と批判することはナンセンスです。
信教の自由は保護せねばなりません。国家が圧力などかけたら宗教弾圧となります。
ですから政治家が「私人として」靖国神社に参拝するなら、それは私人の宗教行為ですから、「英霊は近代以降の国家が行った戦争で
公式に兵士だった戦死者に限る」という靖国神社の教義であって、たとえそれが世界中の人々すべてに受け入れられなくても、信者がそうだと
信じればそれでいいというものです。


 静かに「政治」の話を続けよう  岡田憲治 著


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