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「今の教え」と「本流復活」を考える・挨拶板

740うのはな:2011/11/21(月) 00:00:01 ID:iM0b0bt6
>739 つづき

 裸一貫で神戸の養父の家に暫く落ち着きましたが、わたしが就職した会社は、
私の郷里の養父母の家からは非常に遠くて交通が不便でした。無論、自動車のない時代であり、
阪神電車や阪急電車は通っているが、その電車の停留所まで行くのにずいぶん時間がかかるのでした。
電車の駅まで行くのに三十分ぐらい歩かなければならない。往復は一時間になりますが、あんまり時間が勿体ないと
思いまして、その“時間が勿体ない”と思ったことが、つまりそういう不便な処へ住まわねばならんようになったことが、それが、
その“艱難”が道を開くと、いうことになるわけであります。
艱難は道を開くのであります。
 それで、交通時間が短くてすむような、“もっと便利な所へ往きたい。どこか神戸市の郊外に、そんな処はなかろうか”と、
思いまして、阪神間すなわち大阪と神戸の中間の位置で、神戸の衛星都市みたいな処を探しておったのです。
そしたら、阪神電車の住吉駅の少し山手に上がった処に、良い家が見つかったんです。
それが住吉村梅ノ木という所でありました。
 ちょうど好い位置に、空き家が見つかったので、その家にあがって二階から見渡すと何と立派な広い庭園が自分のお庭のように見えるのです。
当時その住吉村っていうのは日本一の富豪村でした。当時の日本一の大金持の久原房之助の邸やら。東洋紡績の阿部社長邸宅やら、名前はいちいち憶えてませんが、
当時の関西の富豪たちの邸が充満している村です。まことに竜宮が実現しているような街でした。
 それですから、その梅ノ木の空き家の二階へ上がって見渡すと、何という富豪の庭か知らんけれども見渡す限り、広々と美しーい庭園が見えるんです。
「これは良い家だぞ」というわけで、これを借りることにしようと、いうことになりまして、其の家に引越して来たのであります。
 交通不便の養父母の家を先ず私は神から与えられ、他の住所を探さす気を起させ、それで、神戸市の郊外を探させ、住吉村に引越すようになったことが、
つまり神様の導きであります。

 その住吉村字梅ノ木の極く近くに、本住吉神社と称われましてーー
ましたが、神功皇后様が、歴史では三韓征伐といわれている時のことです。新羅の大軍が日本を襲って来つつあるその時に、
仲哀天皇が香椎宮に本陣を構えて、敵軍に対峙しておられましたが、仲哀天皇は戦い半ばにして薨去(おなくなり)あそばされた。
そこへもって来て熊襲が反乱を起して南方から攻めて来る。まことに内憂外患交起るということになったわけです。
 敵に“交戦中の日本の国の王様が今亡くなられた”なんていうことを知らしたら、敵は、ますます気勢を添えて、攻撃の矛を強めることになるというので、神功皇后様は
男装をして、そして仲哀天皇の薨去を秘匿して遺骸を密葬なさいまして、近畿地方の河内の国へ御遺体を運ばれまして、
そこで埋葬なさったわけであります。

 つづく


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