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「今の教え」と「本流復活」を考える・挨拶板

694うのはな:2011/10/25(火) 22:08:16 ID:iM0b0bt6

“和解の神示”の実践こそ第一

橋村正治 今までの皆様の御体験と同じことになるんですが、言葉をかえてちょっと
申し上げたいと思います。
 生長の家のみ教えは、“人間神の子、生き通し”の縦の真理と、“三界は唯心の所現”
の横の真理を悟る事によってわかるということでございますが、これは聖典の読誦、神想観、
聖典読誦によって得られるということになっております。

 しかしもう一つ、「汝ら天地一切のものと和解せよ」という“和解の神示”
の実践がなければ、極端に申せば、いくら聖典の隅から隅まで一行残らず知りつくしたほどの
碩学者であっても、神想観を五時間、十時間なさってもですね、何にもならないんじゃないかと
思うんです。

 この“和解の神示”は要するに感謝行、愛行をせよということでございまして、
この感謝行が実践できる程度にしたがって、その方の悟りと申しますか、み教えに
よって救われる程度が決まるんじゃないでしょうか。

 ですから皆さんはそういう表現ではおっしゃいませんでしたけれども、愛行、感謝行を
実践したとき救われた、悟ったというような心境になられたんだと思うんでございます。
極端に申せば、『生命の實相』は一行も読んでなくても、感謝行、愛行が百パーセント実行
できる人だったら、これは生長の家の完全人と言っても良いのじゃないかと思います。
ありがとうございます。

司会 ありがとうございました。皆さんの御意見は、神想観が非常に大事だということ、
   それから聖典読誦、和解の神示(「大調和の神示」)の実践が非常に大事であるということに
   なります。この“霊の恥部”という問題は、おそらくどなたでも大なり小なり経験されることで、
   皆さんそれぞれ精進され解決しておられることだと思います。

   では、結論としまして谷口雅春先生に御指導をおねがいしたいと思います。


 『實相研鑽』第三集 悟りを深めるための相互研修  谷口雅春 先生監修


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