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「今の教え」と「本流復活」を考える・挨拶板

471復興G:2011/09/22(木) 09:18:28 ID:yhDBe2kY

初心者様。

昨夜は疲れのため中途半端で終わってしまい、失礼しました。
あなた様との対話は、非常に意味のある果を結ぶことになるのではないかという期待感が湧いてきます。あわてることなく、じっくり腰を据えて対話、論議を進めてまいりたいと存じます。よろしくお願いを申し上げます。

さて、昨夜最後に書きましたことを少し補足しますと、
「すべては「一」の展開である。一即多であり多即一である」というのが、宇宙の本質・実相であると私は思っています。すべては「一」から出発した。それは、具体的にはビッグバンとなって展開してきたわけですが、時空の世界に展開し出てきた「多」は、元は「一」であり、今もあらわれは「多」であっても実は「一」である、というのが実相で、「対立」は本来ない。現象界にいかに対立や不調和があらわれて見えようとも、実相に於いては今も「一」であって、不調和はない、ということを私は信じているわけです。

ソシュールのいう「シニフィエ」と「実相」との関連については、これからソシュールを勉強し、考えてみたいと思っております。ご指導下さい。

さて、
>>468で初心者様から

>わたくしが、「神が時間と空間を創造なさった」と書きましたのは、復興G様の、神は「時間・空間をも生み出した」との説明を受けたものであります。「生み出した」というのは、どういう意味なのでありましょうか。しかも、これは、「生み出した」と過去形になっておりますが、創造は過去ではない、との説明のあいだに矛盾が生じているようにも感じられます。こまかいことではありますが、過去と今の関係で、いまいちどご教示いただければと思います。<

とのご質問をいただいています。
神は「時間・空間をも生み出した」というのは、「神は時間空間の枠組みの中に生まれ出た(出現した)のではなく、主客が逆である」ということを明確にしたかったので、そういう表現を使いました。そこでは過去形を使いましたが、今も「時間と空間」を、現象世界の認識の形式として仮にあらわして、そこに「無限」を展開しつつあるわけですね。しかし、時空は本来存在しない、「無」であるから、時空の中に展開している現象はすべて「影」であって、本来「無」である、ということになると思います。

もっと言えば、私たち人間のいのちも神のいのちであり、人間の本質は時空の中に生まれ出てきたものではなく、時空を認識の形式としてつくりだし、その中に、神のいのちの表現口として、みずから出てきたものであると言えます。それが「神の子」ということでしょう。

次に、<469>で初心者様は、
私が<459>で、初心者様が以前「ドリームタイム」について語られたことを引いて、
『「すべての存在者が混然と一体化された世界」を、現実世界の根源として認められているのですね。それは、「実相世界」と極めて近似した世界であると思われます。』
と書いたことについて

>復興G様は、かつて、実相世界は、現象世界とは相似の関係にあり、そこには長身の美女もいれば、酒も飲めるとご説明くださいました。わたくしのいう実在宇宙には、美女も酒も存在することができません。そこは、すべてが混然と一体化した流体的世界であります。
美女や酒が存在する余地はどこにもありません。「近似した世界」とはどのような意味でいっておられるのでありましょうか。<

とのご質問をいただきました。

私は初心者様のおっしゃる「ドリームタイム」について十分な理解ができていませんので、不適切なことを書いたかも知れません。その点はご海容下さい。
「ドリームタイムでは、すべてが一体化され、あらゆる区別が存在しません。そこは、分離も分割も不可能な世界であり、すべての存在者が混然と一体化された世界であります。こうした世界は、現実世界の根源であります」
と書かれたところを読んで、「実相世界」と近似していると私は感じたのですが、間違っていたらごめんなさい。


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