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「今の教え」と「本流復活」を考える・挨拶板

452初心者:2011/09/21(水) 11:36:54 ID:4IaAZAME
さくらちゃんへ

何を信じるか、ではなく、何を信じたいか、が先にあるのではないですか。

人は信じたいものを信じる。こういうことではないですか。

信じたいものをはじめに決めさせてしまう。何がそうさせるのか、その仕組みを、わたしは
知りたいと思います。そこにこそフロンティアがあると思います。

信がフロンティアであるというのは、適切ではないと考えます。信とは、追い詰められた
心理状態です。これしかない、と思わせる心理状態です。対立するふたつの概念を、人は
信じることができません。人にできるのは、対立する概念を知ることだけです。

信を基調にする人々は、対立する概念を受け入れることができません。つねにそれを
排除しようとするはずです。対立する概念を受け入れないかぎり、フロンティアは
広がらないのではないでょうか。対立する概念のすべてを迷いであると切り捨てて、
ひとつところに安住の地を求めているかぎり、フロンティアが広がる可能性は、ほとんど
ないと考えます。

信の世界を生きる人たちは、信じるべきものを、最初から決めているように考えます。
信じたいものを信じようと努力しているだけのように感じます。信じてしまえば、そこが
終着点です。あとは、信を守ることだけを考えるようになります。信がおびやかされ、
それを失ってしまうことを、必要以上に怖れるようになります。対立する概念を受け入れて、
フロンティアを広げようとする勇気や柔軟性は、もはやどこにも残されていないのでは
ないでしょうか。

信の世界。それは、はじめから結果がわかっている世界なのではないでしょうか。


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