[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
1501-
1601-
1701-
1801-
1901-
2001-
2101-
2201-
2301-
2401-
2501-
2601-
2701-
2801-
2901-
3001-
3101-
3201-
3301-
3401-
3501-
3601-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
「今の教え」と「本流復活」を考える・挨拶板
445
:
さくら
:2011/09/21(水) 07:11:55 ID:6tmMyXBA
>信と理は両輪であるべきだと思います。
こう義春さまが、仰るように、信とは、何をどう信じることか、それを理、でどう理解していくか、このことは、私にも、やはり、重要なことだと思えるのですよね。
雅宣総裁は、その事を「真理を分かる」とは、どういうことなのか、というテーマで、小閑雑感、の中で、慎重に、考察されていました。もう少し、生長の家ではこれについても考えて良いかな、と思っていました。
ちなみに、雅宣総裁の一挙手一投足、それがどうした、というのは、私にはあまり重要ではないのですよね、たぶん、それ程に、愛情がないのかもしれません、すみません、笑。
一つの、与えられた課題、として、自分の信や、理に、ヒントを与えて下さっているように、受けとっているところがあります。だから、雅宣総裁の文章に、教えてもらうことがあっても、私は、雅宣派、というわけではありません。「今の教え」を支持しているわけではありません。
では、そこで、自分の信仰をどう考え試すか、それだけは、考えてはいます。
大風呂敷…
これは、雅春先生の、大きすぎる、愛のことでしょうか、
人間は神の子である、という偉大な、そして、全ての人に分かりやすく、愛深く、これ程あらゆることに行き届いた真理で、全ての人類を救われた。それ以上の愛を、私は生長の家に触れるまで知りませんでした。
だから、雅春先生は、私の人生の最も敬愛すべき師となり、これが私の信、となったと言えると思います。
そして、私の信となったことで、雅春先生からも、自立、しなければならないとも同時に思われました。自立することが、雅春先生の教えを、本当に生かすことだと思いました。自立とは、どういうことなのか、これも自分で考えていかなくてはならないことです。
自分に、信の部分で、迷いはなくても、人や世の中を動かしているのは、何であるか、この迷いの正体というか、やはり仕組みは、慎重に考察の必要はあると思っていました。組織、国家、宗教団体とか…人の信仰というものまで、何がそれを動かしているのか。
初心者さまや皆さまが議論されていた、シニフィアンの暴走の危険性は、私には理解を助ける大きなヒントになりました。今のゴタゴタの原因の理解もそうと言えます。
ただの言語学の迷い、とは受け取れなかったのですね。
「真理を求めて迷っている人」には、今は、この信の部分、理の部分、両方を知る必要は、あると思います。
そして、信とは、何か、理とは何か、この本質も見分けることは、大変重要だと思います。
復興Gさま、いつも、適切なご指摘で、大変勉強させて頂いています。
言葉、にすれば、全ては相対化されてしまうのでしょうか。
やはり、信仰の部分は、言葉ではなく、自分の内の信を実行し、そこにできる道、しか、示すものがないという気も改めていたしました。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板