したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

「今の教え」と「本流復活」を考える・挨拶板

444復興G:2011/09/21(水) 06:22:49 ID:yhDBe2kY
(つづき)

現象界にあらわれているものは、時間・空間というスクリーンに投影された影であります。神は時間・空間の中に出現したものではなく、時間・空間をも生み出したものであり、あらゆる対立を絶して、超えているから「絶対」と言い、「独在」と言えるのでしょう。それは本当は、現象の言葉では表現不可能なものだから、仏教(禅宗)では「不立文字」と言い、「説似一物即不中」(せつじいちもつそくふちゅう)とも言う。「説いて一物に似たるも即ち中(あた)らず」、何と説いても本当の処には的中しません、それはどんな言葉をもっても表現出来るものではないと言っているのです。

「実相独在」というのも、そう表現したときにもう「中(あた)らず」となっているのかも知れない。それを「ピン止め」しようとすると、ますます「中(あた)らず」となるようなことかも知れないと思います。

それは、初心者様がスレッド(3)の<609>で

>シニフィアンとシニフィエの用語なんだけど、これは特別な意味を持った言葉なんだよね。だから日本語に訳すことは不可能だと思うんだよ。……だから、シニフィアンとシニフィエは、べつの言葉で言い換えることはできないと、あたしは考えているんだよね。<

とおっしゃっているのも、同じようなことかも知れませんね。

そうして、「シニフィアン」という言葉も、意味がよく分からないまま、もしかしたら暴走を始めているんじゃないかという気もしますが、いかがでしょうか。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板