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「今の教え」と「本流復活」を考える・挨拶板
443
:
復興G
:2011/09/21(水) 06:22:05 ID:yhDBe2kY
>>405
:義春様
>翻って考えてみますれば、私は2つの言葉が暴走している様に想います。
【中心帰一】と【実相独在】…この2つの言葉をピン止めしないといけない…と。<
私は、初心者様のおっしゃるソシュール言語学、シニフィアン、シニフィエなどの言葉の意味を咀嚼できないまま、ずっと別世界のようなところで【実相独在】を言って来ました。そしてやっと最近、どうしてもこれは元に戻って勉強し直さなければならぬと気がつき、理解を深めるための勉強を始めたところであります。
その間、義春様のたいへんなご努力による丁寧なご解説はとても有意義だったと、感謝しています。
そうして、今【実相独在】という言葉が暴走しているように思う、とおっしゃっていることを受け止めて、考えています。
私は、次のように考えます。
********
「独在」というのは、言葉にしてしまうと相対になってしまいますが、本当は、相対するものは何も無い、対立を絶しているから「絶対」というべきものなのです。しかし、この世界で表現されるもの(言葉を含む)には、絶対というものはない。「実相独在」というのも、言葉にした途端に「相対」的なものになってしまって、それはシニフィアンとして暴走する危険性を持ったものになってしまう。で、すでに暴走を始めている、という義春様の発言は、おそらくその通りであろうと、反省しています。
ところで、私は「スレッド(1)」の<376>あたりのところからの初心者様の発言をめぐっての論議を読み返しています。そうした中で、
>>587
で初心者様は、
>神は無限の表現力を持っています。
であれば、神の作品は無限の数になるはずです。
実相世界は、その無限の作品のなかのただの1作品にすぎません。
これでは少なくとも「実相世界独在」とはいえません。
ただの1作品である実相世界にどれほどの価値があるのでしょうか。<
と書かれているところがありました。
この、「実相世界は神の1作品」という考え方は根本的に違うと思います。
「実相世界」は、神自身、神そのものであり、「神こそ全ての全て」であって、「神の外にあるものなし」「実相世界の外にあるものなし」というのが真理であると思います。
それは、『新版真理』第7巻第1章(10頁)に
──────────
神が子供を生んだというようなのは、譬喩的な擬人的な、一種の小乗的な説き方でありまして、人間になぞらえて、そして判り易く、あまり哲学的な思索傾向をもっていない、人間的な愛情関係に於いて神を観たい人に、そういう説き方をするのであります。それでも間違ではないんですけれども、神様がこうして万物を生み出すというような考え方は最高の真理ではない。何故ならば、そのような考え方には、何処やらに相対的な(それ自身独立していないで他との関係に於いてある)あるものがあるからです。創造者と被造物とが対立している。……
──────────
とあって、華厳の相即相入の哲学──主観と客観は一つ、創造者と被造物とは一つというのが大乗の真理である、と書かれている通りであります。
********
(つづく)
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