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「今の教え」と「本流復活」を考える・挨拶板

442うのはな:2011/09/21(水) 00:26:29 ID:iM0b0bt6

● 事件が起こったとき、妙な言いがかりをつけて来たとき

 その相手を憎んだり、腹を立てたりしてはならない。
それは、相手に宿る“キリスト”があらわれていないからである。相手の悪をみとめて、
それを憎んだり腹を立てたりしている限り、相手の悪は消えないのである。
みとめるものが顕れるのが“心の法則”であるからである。
現象悪をみとめず、その人の實相の“キリスト”をみとめて、拝み、尊敬すればよいの
である。實相の“キリスト”をみとめるということは、キリスト教的な表現であるけれども、
仏教信者ならば、相手に宿る“観世音菩薩”をみとめ、拝むようにすればよいのである。
 相手の人が、姑であってお、嫁であっても、他人であっても同じことである。

 良人や舅姑たちから何かいいつけられても、それを困難だと思ってはならない。
魂の向上に役立つところの仕事なのである。
低学年の生徒には易しい問題がテストとして与えられるが、高学年の生徒には難かしい
問題がテストとして与えられる。
それと同じように難かしい問題があなたに課せられるのは、あなたの魂がそのテストに
耐えることができると神が判断せられたからである。
あなたに与えられた問題であなたの力で解決できない問題はないのである。
その問題を超えることによって、あなたの魂はそれだけ進歩する。
問題を与えて下さった人を救世観世音菩薩だと思い、神想観中に感謝の念を
繰り返すと問題が好転する。


『幸福を開く鍵』 谷口雅春 先生著 より抜粋


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