したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

「今の教え」と「本流復活」を考える・挨拶板

434義春:2011/09/20(火) 21:59:21 ID:iu5Ar./Q
ぼるぼ様
はじめまして、若輩者ですが、何卒、宜しくお願い申し上げます。

 確かに、個人としては暴走や激情も時としては良いと思います。
私もよく、暴走して周りの方々に、良く窘められます。
しかし、宗教組織や国家になってくるとどうでしょうか?
これに想いを致す時、イタリア・フィレンツェの
サヴォナローラを思い出すのです。

 彼は信仰者でした。
そして、暴走する人でもありました。
その彼は法王・アレッサンドロ6世にこう書き送っています。
「理性や感性を超越し、神の力と寛容さに身をゆだねることこそ
あらゆる不孝を耐え忍ばせるだけでなく、
苦悩そのものを喜びに変えてくれるものです」

また、市民達にこうも説教しています。

「市民達よ、もしお前達が神を恐れずに生き続け、また、今の自由の
政体を愛さずに生きるならば、お前達は神に滅ぼされるであろう。
幸せと救いはお前達の息子達にだけ、与えられることになろう」

・・・と。

 その彼がフィレンツェの実権を握って神権政治を行った時、
彼の信じるところのイエスの教えに従って、それに合わないものは
滅ぼしてしまおうとしました。

絵画や彫刻などの美術品の破壊、そして、市民生活は殺伐としました。

 そして、法王と対立したことから、
フィレンツェの立場そのものも危うくなり、
事実、彼の破滅後、フィレンツェは急激に勢力を弱めてしまいます。

 ですから、私は信と理は両輪であるべきだと思います。
宗教は個人を救済し、国家をも救済いたしますが、
もし、狂信に走れば、考えを異にする他者を排除…
下手をすれば肉体的にも、排除しかねません。
それは考えるだけで恐ろしい…です。

 そして、イエスはこうも仰っています。
数あるイエスの言葉の中で最も重要であり、尤も省みられない言葉です。
「神のものは神のもとへ、カエサルのものはカエサルへ」
つまり、政教分離を説いたのだと思います。
その言葉から映し出されるイエスは、
信仰と共に、現実を直視されたお姿なのです。
省みれば、その頃のイスラエルは、後のベスパンシアヌス帝の
イスラエル陥落につながる、政祭一体・考えを異にする他者の排除の
芽が生まれていました。
それですから、イエスの言葉が身に迫ってくるのです。

 思うところをつらつらと書いてみました。
若輩者が出過ぎた事を申しまして、お気を悪くされたら重ね重ね
申し訳なく思います。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板