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「今の教え」と「本流復活」を考える・挨拶板
420
:
さくら
:2011/09/20(火) 17:50:15 ID:MwO0IqU.
役行者さま、義春さま〜
わたし、参戦表明してませんけど、どんな闘いですか、これ、笑…わたしは、いつも丸腰、です、笑。
ただ、センノウ、と言われるものについて、色々な見方を学べたら、良い機会だな〜。
役行者さま。違うスレッドで、すみません、
>答えになってないかも知れませんが、以前、初心者様は、「宗教家の役目はシニフィエを説くことである」と述べられていることを想い出しました(*^-^*)
また読み返し必要かも、です、わたし理解が、まだら、なんですよね。
絵手紙について、ですが、わたし、結構頑固にやらなかったんですよ、笑。でも、やっぱり、調和が大切だし、描いてみたですが、新しい発見は、ありました。
まず、絵手紙書くとき、書く対象を、すごく観察するんですよね、花なら、花の形状を、そのまま、写し取ろうとする。
その時、自分の意識は、無になってて、なんというか、集中すると、花と一つになる感覚なのかもしれません。
この、そのままを写し取ろうとする、というのが、良い気がしました。自分の我でうまく書こうとしたりせず、自然の対象と、そのまま向き合う、というんでしょうか。
茶道の時も、同じ感覚がしている気がします。頭を真っ白にして、型、に集中し、ただ、お客様に、一服を差し上げることに、集中する、時のような。
芸術的感性や、日本的な文化も、奥の深いものが、ありますね。
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