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「今の教え」と「本流復活」を考える・挨拶板
3394
:
志恩
:2018/05/13(日) 02:33:06 ID:6hRUvSRg
傍流:トンチンカン信徒様専用版
5758: シャンソン :2018/05/12(土) 16:42:56
>あのころは、安保闘争があったり....
正しい話は.....大熊が手紙にこう書いていて田中イソノ先生に
相談したら
私は、共産党からしたらカルトスパイね、とか
大熊とのご縁はそこで切れましたとか、
そんなところへ出かけるへんな私ですのにとか、
そういう話が自意識過剰じゃないか、そもそも勉強会のテキストに
使用された山口先生にそんなに心配ならひとこと相談したらいいのじゃないかって
いう話を書いただけです。
そのとき志恩さんは何がいいたいのかというと、当時の本部では異論左翼の本でも
受け付けていたという、当時は自由だったというような話だったのだと思います。
___________________________________________________________
志恩ー
先日は、あの時は、田中イサノ先生にご相談して..という話だけを 書かせていただきましたが、
それは、私が、田中イサノ先生のほうのアドバイスに従い、大熊信行氏に、行かれなくなったと書いた手紙と
菓子折りとともにお借りした大熊著「国家悪」を郵送にてお返ししたからです。
もちろん、その件は、生長の家に入信される前は、元共産党の活動家でいらした山口悌治先生にも
お話ししました。
すると、その当時は、山口先生は、総企画局局長でいらっしゃいましたが、やはり、当時は、
山口先生と同じ、総企画局にいらした
おおはざまれいぞう先生が、その話を聞き、「その著書を返す日の夕刻のその時間に、
〇〇ちゃん(私のこと)と、ホテルオークラのロビーに自分も一緒に行くから」と、
申し出てくださいました。
つまり、若い女性の私一人では...と心配してくださり、男である自分(おおはざま先生)も、
行くから、自分も一緒に、あんたと行くからという もう1つの案を出してくださっていたのです。
普通はそうは仰らないと思うでしょうけれど、おおはざま先生という先生は、男気も強い
情も深いご性格の先生でしたから、私のことを心配してくださって、
そう仰られたのだと思います。で、その時の私は、考えた末に、田中先生の方のアドバイスに従ったわけでした。
当時は、共産主義の勉強をすることも、共産主義の本を本部で読むことも許されていたという意味は、
あの当時は、日本国全体を共産主義思想が、謳歌していた時代でしたから、
その反対の思想である生長の家としては、敵であった共産主義とはどういうものであるかということを
学ぶ必要に迫られていたのです。で、共産党という 敵を倒すために、
敵の思想を知るために、共産党、共産主義のことをより深く本部で山口悌治先生を中心に勉強会まで開いて
勉強していたという意味です。
天皇陛下を打倒することを党の綱領にしている共産党や、共産主義を、
今の教団のように 応援するために勉強していたわけではないのです。
のところが、昔の時代の本部と、今の教団本部との共産主義に対する
気持ちが大きく違っているところです。
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