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「今の教え」と「本流復活」を考える・挨拶板
326
:
さくら
:2011/08/28(日) 13:15:58 ID:z3t2N02w
トキ様
私はトキ様が、「今の教え」と復活派との和解や話し合いを提供される姿勢を、支持しておりました。新しい信徒として、今の状況が、果たして何処からくるのか、その本質を知りたいと思ってきました。
しかし、つくづくと、和解が非常に困難な方向にもう走りだしてしまった後なのだと、確認するばかりです。
生長の家を熟知される、尊敬する山ちゃん1952様や志恩様が言われることです、これは、本当だと思いました。
もう、自戒作用の大きな波に諸共身を任せるしかないと私自身は思うようになりました。
総裁がどんな非難を浴びようとそのいく道をトコトン行けばいいし、学ぶ会や復活派も、トコトンその道を行けば良いです、それも、徹底して行けば良いと思います、…まあすでにもうそうした状況ですから、ずっと前に和解は失敗しているのですよね。どんな自戒を迎えるのか、あとは見守るしかないと、そんな風に思うようになりました。
でも、「今の教え」の是非はともかく…理解しようとする態度はある程度あっても良いと思うのはあまいのでしょうか。
そのことさえ、虚しく思える状況です。内情をよく知る方も、本部の人間でさえ、雅宣先生の真意を分かっていないという。確かに本部の方針には、違和感ありますし、皆感じていることですから。
しかし、「今の教え」「雅宣総裁」という現象もまた、今までの生長の家の歴史が産んだもの、といえる部分はあると思います。雅宣先生が総裁になったのは、お一人の力でなく、生長の家の組織からしかうまれないと思っています。暴走を止めようとした実力ある方は皆辞めさせられた、ということですが、それだけが問題の本質かどうか、私には分からないのです。
雅宣先生のされていることは、明らかに偏りがあり、問題があると思います。
しかしそこにさえ意義を見つけて理解しようとする、そういう姿勢がなければ、またただの「間違った過去」として、葬られるのですよね。今は雅宣先生の是非を問う段階を超え、夫々の感情だったり、経験による無念さだったり…もう抜き差しならない問題をそこに感じました。
>生長の家ではない人と生長の家を理解できない人は、お友達になると言うことです。
…この言葉が私には残ってしまいます。
…私、どうしようもないんですけど、「生長の家ではない人と生長の家を理解できない人」も、…大好きなんですよね(笑)
この論理だと、私はもしかすると、生長の家じゃなくなるかもしれないくらい、好きです(笑)
そして、これからもこうしたことが組織の体質として残るなら…私自身は生長の家の組織にはもう関わることが出来ないと思っています。
どんな意見があっても良いと口では言いながら、どちらの心にも、他への排除が、徹底して、あるのです。
理解出来ないものを理解しようとするものもまた、排除される、そんな気がするのです。
それは、とても冷たい心ですね。
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