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「今の教え」と「本流復活」を考える・挨拶板
3110
:
志恩
:2017/11/19(日) 08:11:18 ID:6hRUvSRg
傍流で、トンチンカン信徒さんが、明治維新後に行われた「廃仏毀釈」について書かれてますが、
私も私で、別のところを検索してみましたところ、江戸時代における「僧侶の堕落」が、1つの大きな原因だったようですね。
ネットより
>>「徳川幕府が、その宗教政策の中心として、最も厚遇したのは、仏教であった。
それは、幕府の初期に、切支丹の跋扈で手を焼いたので、これを撲滅するため、宗門人別帳をつくり、
一切の人民をその檀那寺へ所属させてしまった。
そのため、百姓も町人も寺請手形といって、寺の証明書がなければ、一歩も国内を旅行することが出来なかった。
それは勿論、切支丹禁制の目的の下に出たものであったが、結局、檀家制度の強要となり、
寺院が監察機関としても、人民の上に臨むことになったのである。
しかも、この頃から葬式も一切寺院の手に依らなければならなくなり、檀家の寄進のほかに、
葬式による収入も殖え、寺院の経済的な地位は急に高まるに至った。
僧侶を優遇するというのは、幕府の政策の一つなのであるから、僧侶は社会的地位からいっても、
収入の上からいっても、ますます庶民の上に立つことになった。
そして、このことが同時に、江戸時代における僧侶の堕落を齎(もたら)したのである。
江戸三百年の間、名僧知識が果たしてどのくらいいただろう。天海は名僧というよりも、政治家であり、白隠は優れた修養者というよりも、
その文章などを見ても、俗臭に充ちている。
しかも世を挙げて僧侶志願者に溢れ、…しかも彼らは、宗教家としての天職を忘れ、位高き僧は僧なりに、
また巷の願人乞食坊主はそれなりに、さかんに害毒を流したのである。…
それだけにまた、江戸時代ほど僧侶攻撃論の栄えた時代はなく、まず儒家により、更に国学者により、存分の酷評が下されている。
『堂宇の多さと、出家の多きを見れば、仏法出来てより以来、今の此方のようなるはなし。仏法を以て見れば、破滅の時は来たれり。
出家も少し心あるものは、今の僧は盗賊なりと言えり。』(大学或問[熊沢蕃山の著書])
…
荻生徂徠も、
『今時、諸宗一同、袈裟衣、衣服のおごり甚(はなはだ)し。これによりて物入り多きゆえ、自然と金銀集むること巧みにして非法甚し。
戒名のつけよう殊にみだりにて、上下の階級出来し、世間の費え多し。その他諸宗の規則も今は乱れ、多くは我が宗になき他宗のことをなし、
錢取りのため執行ふたたび多し.....<<
●江戸時代になぜ排仏思想が拡がり、明治維新後に「廃仏毀釈」の嵐が吹き荒れたのか
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-339.html
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