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「今の教え」と「本流復活」を考える・挨拶板

3006トンチンカン:2017/08/10(木) 22:03:06 ID:IIMV1pVY

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“今の教え”が生まれた背景には何が?

結局、それは『谷口雅春先生の教え』を切り捨てるための 仕掛け としてあった!
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<谷口雅春先生に帰りましょう・第二>
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“今の教え”が生まれた背景には何が?結局、それは谷口雅春先生の教えを切り捨てるた
めの仕掛けとしてあった! (7310)
日時:2017年08月10日 (木) 12時19分
名前:破邪顕正


表題は、機関誌『生長の家』8月号の56頁を読んで、改めて痛感したことです。

そもそも、“今の教え”という表現を用いた段階で、宗教・信仰としてはアウトだった
のです。

「真理に新しいも古いもない」  それが至極当然のことだからです。

 もかかわらず、どうして、総裁は、“今の教え”という言い方を用いたのでしょうか?

“今の教え”ではなく“今の解釈”というのであれば、まだ話は分かります。

ところが、総裁は、敢えて“今の教え”という言い方に拘った?!

そうです、総裁にとって、“今の解釈”では駄目で、それはどうしても“今の教え”と
いう表現でなければならなかったのです。

何故と言って、それによって初めて、谷口雅春先生の教えは“古い教え”という考え方
を信徒に周知せしめることができるからです。

それを如実に物語っているのが、この56頁であります。

この中で、山岡睦治・国際運動部次長はこう語っています。

《戦後の愛国的な説法は、当時の東西冷戦の影響で、国内でも左翼革命が起こりそうな
状況下で説かれたものです。》

つまり、谷口雅春先生の“愛国論”は、すべて昔の時代、即ち革命前夜の時代状況を背
景にして説かれたものであって、今の時代にあってはそぐわない!

だから、『聖典』と雖も絶版にもするし、何だったら神さまだって変える!

そういうことだったのです。

つまり、“今の教え”という仕掛けをつくらないと、谷口雅春先生の教えを葬り去れな
いということだったのです。

総裁は、3代目を継ぐ条件として、自分の好きなようにさせることを挙げました。

その、好きなようにさせることというのが、谷口雅春先生の教えを葬り去って、自らの教えを説くということにあった…。

みんな“まさか”、如何に何でもそこまではしないだろう…。

そういう甘い認識をもった人達が、今となっては懐かしい話になってしまいましたが、やたらと“和解せよ、和解せよ”と言い募ったわけです。

自らの不明を恥じてか、今や、誰もそんな“和解論”を唱えたりはしません。

総裁がどんな人で、どんな考え方をもっているか、その本性、正体が見えてきたからです。

結局、総裁が谷口雅春先生の教えの破壊者であること、そしてそれを目指して総裁は教
団に乗り込んできたのであり、その仕掛けとしてあったのが“今の教え”なるものである
ということなのです。

言うまでもなく、谷口雅春先生の教えは、或いは運動論は、すべて「神示」に基づいて
展開されています。

「神示」に基づいて成り立っているものを、単なる“状況論”でしか捉えようとしない、
そこにこそ、総裁が尊師の教義を歪めた一番の問題があるです。

その総裁に媚びるかのように、訳知り顔に回答している山岡理事の姿には、嫌悪感以外
のなにものもありはしません。

尊師・谷口雅春先生に誓ったあの魂は、いったい、何処に行ったのか?

そう思うばかりです。

“飯の食いようで言い方も変わる”とはよく言ったものです。

「人はパンのみにて生くるにあらず」という聖句は、少なくとも、今の教団幹部にとっ
ては歯牙にもかけたくないようなそれなのでしょうね。
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