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「今の教え」と「本流復活」を考える・挨拶板
2964
:
トンチンカン
:2017/05/30(火) 22:03:30 ID:IIMV1pVY
(つづき)
《(1)練成会等における行のコンセプトを下記の通りとする。
生長の家ではこれまで、練成会などにおいて、『人間・神の子』の真理を中心に教えを説
いてきました。
神想観、聖経・讃歌の読誦、浄心行、笑いの練習、献労などの『行』の実修を通して、『人
間・神の子』の教えを理論としてでなく、心身の体験として参加者に会得するように努め
てきました。
しかし、練成会等で実施されるこれらの行は、戦前に始まり戦後の高度経済成長期までに
は様式が確立したため、当時の時代背景を反映して“人間中心”の視点から考案されてい
ます。
極端な例として、病気や貧困などで窮地に追い込まれた人々に対して、救いを与えること
が練成会の重要な役割と考えられてきました。
しかし、21世紀の人類の最大の課題は、経済発展により人間が「自然から奪う」ことで、
かえって人類全体が危機に陥るという逆説を克服することです。
そのためには、病気や貧困などの窮状の克服に加えて、自然を養うことにより自然と人間
との一体感の中に幸福を見出すことが必要です。
このためには、今後の生長の家の練成会などの行事では、「神・自然・人間は本来一体な
り」の真理を会得し、その中に喜びと生き甲斐を見出す体験が続出しなければなりません。
そして「神・自然・人間は本来一体なり」の信仰に基づく「倫理的な生活者」が飛躍的に
増大することが必要です。
そのためには、まず、人間が日常的な意識の中にも「自然」を取りもどし、「自然と一体
の自己」を回復しなければなりません。
よって、今後実施する練成会等の諸行事においては、従来実施してきた行やプログラムを
一部見直し、参加者を〝自然即我〟〝我即自然〟という自然との一体感に導くことに主眼
を置いた内容に修正します。
具体的には、従来の「行」の内容を一部変更して、自然との一体感の大切さを参加者に伝
え、さらに自然との触れ合いを重視した自然体験型の行事を加えることです。…》
この文章の中の、何が重大な間違いか?
これまでの練成会を「“人間中心”の視点から考案」と決め付けた点です。
何と言うことでしょうか。
「人間・神の子」の教えがどうして“人間中心”という言葉で矮小化されなければならな
いのでしょうか。
〝真理への道はただ一つ―人間は神の子だ―ということである〟
谷口雅春先生のこのお悟りを、“人間中心”という言葉で置き換えられたことに、私は得
も言えぬ憤りを禁じ得ませんでした。
そして、通達はこうもいうわけです。
〝自然即我〟〝我即自然〟
谷口雅春先生の教えは全然、違います。
それを言うならば
〝神即我〟〝我即神〟でなければなりません。
ところが、教団は、それをそっくり変えて、「自然=神」にしてしまったのです。
これは、完全なる〝自然崇拝教〟です!
この〝自然崇拝教〟が更にどんな害毒を与えることになるのか。
それを次の投稿で明らかにしていきたいと思います。
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