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「今の教え」と「本流復活」を考える・挨拶板

2455tapir:2016/09/08(木) 14:40:03 ID:Cw7YWKn2
>>2405
>>2406 「訊」様

興味深いコメントをありがとうございました。いろいろとあって、ご返事が遅くなりました。

>>男系とか女系とか言葉は踊りますが、皇統は「双系で保たれてきた」わけです<<

明治憲法制定までの2500年あまり、『皇統は「双系で保たれてきた」わけです』から、私tapirもこれからは、「双系派」と名乗りたいと思います! 

>>ただ、ホシュ派の言い分で同意できる点は「不埒な者による皇位奪取」です。女性天皇にあの、竹田ナントカみたいなヤツが近づいては正に、皇位の危機(笑)「華原朋美にフラれた旧宮家」ですが、華原朋美(アイドル歌手です)には見る目があった。ですんでココは、「明文化を避ける」ってのも手かもしれません。なんの話かと申せば、「皇室典範・改正論議」なんですが、「(女系だろうが男系だろうが)御皇室に一任」みたいなもの、それを、法律に明記すれば良いような気もします。


「不埒な者による皇位奪取」については、心配無用と思います。愛子様が皇太子になられる場合は帝王学を受けられ、今より一層、ご自身の立場に強い自覚と責任感を持つようになられるでしょうから、「不埒な者」を見抜けないはずがありません。必ず「高貴な魂の方」をお選びになるはずです。女性だから簡単に男性のいいなりに、騙されるだろうという考え方は、「男尊女卑」思想ですよ(笑)竹田恒泰氏は、華原朋美だけでなく、彬子女王殿下にも嫌われたようですね。寬仁親王殿下は騙されたようですが。

「御皇室に御一任」のことですが、皇室典範に双系でよいことを明記すれば、その後は皇室会議に一任されますから、天皇陛下のお考えが生かされるのではないでしょうか。
なお、明治22年に制定された「旧皇室典範」は、「大日本国憲法」と同格の法規でしたのに、昭和22年に制定された「皇室典範」は、「日本国憲法」に基づく法律になってしまい、
「皇室の制度そのものに国民が国会を通じて関与することとなった。これは、制定当時、日本を占領していたGHQの強い意向によるものである」
と言われています。(参考Wikipedia)

皇室典範を憲法の下に置いたというのは、GHQの日本弱体化政策の一環かも知れませんね。

「皇室典範」は皇室の家法のようなものですから「旧皇室典範」の形の方がふさわしいのではないかと思います。そうなれば、国民がこのように論争することも必要なくなるでしょう。

>> スメラミコトは英邁な者のみ、です。時代の全てを透見しその都度、適当な者を皇位継承者とされるはずなのです。<<

全く同感です。

>>昭和期に実際、そのような事態があったそうで陸軍の一部が常陸宮を擁立し「宮中にクーデターを企てる」みたいな事件も、あった様子<<

常陸宮ではなく、秩父宮ではないでしょうか。2.26事件の時の時ですね。あの当時は、天皇は大元帥でしたから、軍人が秩父宮殿下を天皇に擁立したかったのでしょう。今は、その心配はないと思います。


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