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「今の教え」と「本流復活」を考える・挨拶板

236復興G:2011/08/12(金) 19:05:26 ID:Ir7svY6w
>>233 :「訊け」管理人殿。
 そして、皆々様。

 ●「調和ある愛国運動とは?」──

 生長の家の過去の運動を振り返ると……あの激しい左右の激突時代に、国民総自覚運動、救国運動としての選挙運動、『理想世界』百万運動などを展開してきた……聖歌よりも「ああ紅(くれない)の血は燃ゆる」「おみなといえど命がけ」などの戦時歌謡を合唱しながら、「祖国日本のために」とやってた………
 それこそが、『生長の家』誌創刊号巻頭の「生長の家発進宣言」に記された尊師谷口雅春先生の御悲願──
 「自分はいま生長の火をかざして人類の前に起つ。起たざるを得なくなつたのである。友よ助けよ。同志よ吾れに投ぜよ。人類は今危機に頻してゐる。……自分は今覚悟して起ち上つた。見よ! 自分の身体が燃え尽すまで、蝋燭のやうにみづからを焼きつつ人類の行くべき道を照射する。……」
 と書かれて、身銭を切って『生長の家』誌1000部を
いる尊師のご悲願をしっかと受けつぐ弟子としての道だ。「数は力なり」だから、同志を増やすために、頑張らなくてはいけない──
 とやってきた運動……

 それは、迷いの運動だった──と、その立ち位置の根本を否定する、たいへんな言葉、すごい言葉が、ここ(ブログ「谷口雅春に訊け」)には「これでもか、これでもか」とばかりに記されています。例えば──

  * * * * * * *

――榎本恵吾曰く、徳久先生は「単なる数を集めて、数は力だ、というのは唯物論ですよ」と言われたことがあった。……

――吉田國太郎曰く、根底に於いて悪を見、困却の相を見たところからの心の動きは、その心自身が、如何に尊げな姿に於いて現れても、いずれも全てよしなく空しいことである。それは神の心にもとり、実在の相を忘失し、業の輪廻を深めたに過ぎない。

――榎本恵吾曰く、根底に於いて悪を見、困却の相を見たところからの心の動きとは、悟っていない心、救われていない心のことである。私達の今やっている人類光明化運動は世界の危機、悪、祖国の困却の姿を見たからこそ行っているというような運動ではないだろうか。もし世界に危機が存在しなかったならば、行う必要がなくなるというような運動をしてはいないだろうか。
 それには何かが足りなかった。絶対的に尊いとは言い得なかった。神以外に、神に相対する困却を認めていたからである。神に対立するものは何もない。神のみが唯一の実在であると云う絶対の世界を知らなかった。

――尊師曰く、それがわからなければ第一自分が救われていないのです。『生長の家』の『智慧の言葉』に「自分に深切であれ」という言葉がある。自分が救われなければ、他を救うことがわからないのです。救われたという状態はどんな状態だということがわからなければ、本当に人を救われた状態に導くことができないのです。(『生命の實相』頭注版第4巻175頁)

(つづく)


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