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「今の教え」と「本流復活」を考える・挨拶板

2205「訊」:2016/01/04(月) 12:39:02 ID:ju7cd8Y2



 明けましておめでとうございます。ところで「お父さん!」と小3セガレが叫んでおりまして、「どうした!?」と聞きましたところ、「オレ、富士山の夢を見た!」と。しかも「茄子を食べていた!」と・・・・・・・・・・ほう、良かったな、で、どんな内容だと聞いたら、「富士山が大爆発して、家族で逃げて、避難所で茄子を食べた」と言いやがるんで新年早々、親として返答に窮する事態となりました。「大晦日にお父さんが買ってきたソバ、つゆが入って無かったよね。どんな一年になるのかたまったもんじゃない」とかヌカす小3へ雅春先生の「自壊作用の概念」を切々と述べる私です・・・・・・・・・それは、良いことのはじめだぞ。

 ・・・・・・・・・。

 ・・・・・・・・・・で、やはり、新年早々から私は、雅春先生を読んでいます。いや、読んでいますってモンじゃない、「ここぞとばかりに乱読」しているんですが雅春先生。やはり、只者であろうはずがございません。その時その時それぞれに、ふさわしい御文章が飛び出します。本当に雅春先生は帰霊されても我々の生活ぶりを、ご覧になっているとしか考えられません・・・・・と、云うことで『生命の實相』37巻4頁より謹写――






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 新しい年には新しい心が生まれる。元旦は物事の始めであり、生活更新に最も都合の良い時である。他の時にも新しい覚悟ができ、賢明なる人はいつからでも新生活に突進しうるが、われわれには新しい決意を実行するには元旦がよい。元旦からまず始めよう。

 それは明るい心を持つということである。

一度にあれもこれもと考えて、それが実行できなかったら、新しい決意も最初の一日から崩れてしまう。ただ今日一日明るい心を持つことにしたい。ただそれだけ一つのことである。これだけのことならばわたしにもできると思う。

 明るい心を持つには何事が起こっても怒らぬということである。何事が起こっても悲しまぬということである。何事が起こっても失望せぬということである。何事が起こっても怒らず悲しまず失望せぬためには、起こった事物は「もうすんだのだ」と知ることである。
 去年の暮れはもう起こったからすんだのである。すんだからこそ新しい年が来たのである。木枯しに散る葉があるからこそ、春に美しい若葉の美が讃えられるのである。天地一新。悪しきことは未だかつてひとつも起こらなかったし、これからも起こらない。それはすべて一新しゆく姿である。
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 そうです。これだけを目標にしましょう、「明るい心を持つぞ!」と。

 これだけです。

 これだけは、やれそうです。

 皆さんもご一緒に、いかがですか。以上、今年もイケメンぶりに拍車がかかり新年早々、「待ってるね〜♡」な営業メールが鳴りやまない、訊け管理人でした。





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