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「今の教え」と「本流復活」を考える・挨拶板

1471うのはな:2013/04/29(月) 19:11:33 ID:GZkMBgak
   社会とは“流れるプール”のようなもの

 たしか私が小学校の五年生のときでした。学校のプールに一学年六クラスの生徒全員が入って、
運動場を回るように、同じ方向にグルグル円を描くようにして歩いたことがあります。
 しばらく歩いていると水流が起こり、すごいスピードの“流れるプール”ができあがりました。
歩き続けているうちに水に勢いが出て、その勢いがどんどん強くなっていくのです。

 そのうち水に背中を押されるようになり、歩くのが楽になります。
中には水流に体を預けてプカプカ浮いて、はしゃいでいる子もいましたが、真面目な子はずっと歩き続けていました。
 私は最近、社会というのは、この“流れるプール”みたいなものなのではないかと考えるようになりました。
社会が円滑に回っていくためには、みんなが一所懸命学び、真面目に働き続けなくてはなりません。
その歩みを止めると、やがて社会の勢いが弱まり、停滞してしまうことになります。ちょうど今の日本は、そういう状態にあるのではない
か、とも思っています。

 江戸時代の人々はよく、よく学びました。幼いときから寺子屋で『実語教』を学んでいたから、学問の大切さをよく知っていました。
みんな勉強の意欲が高くて、漢文で書かれた本でも一所懸命に読む努力をしていました。
それが明治維新へとつながっていくのです。

 明治維新は日本の近代化の第一歩となった出来事です。これからあと、日本は、科学技術を導入し、工場をつくって大量生産を行い、銀行のような
金融システムや民主主義のような政治システムを整えて、国のかたちを変えていきます。その結果、当時の東洋で近代化に成功した唯一の国になりました。
これを見た世界各国は、東洋の小さな島国が、西洋諸国が長年かけて実現した近代化をどうしてわずかな時間でなしとげたのかと驚き、不思議に思いました。
「日本は奇跡の国だ」ともいわれました。

 しかし、この奇跡には理由がありました。それは日本人の学力の高さです。子どもの頃から『実語教』や『童子教』を読んでいた日本人には、学ぶ姿勢がしっかり身についていました。
そのため、福沢諭吉や中村正直が外国の本を翻訳し、「文明国ではこんなことが行われている。これを日本にも取り入れよう」というと、昨日までちょんまげを結って着物姿で町を歩いていたような
人々が一斉にちょんまげを切って、西洋の学問を学びはじめたのです。

 つまり、日本の近代化の基礎をつくった人たちの、そのまた基礎に『実語教』があったのです。
その後、日本は近代国家への道を歩みますが、昭和二十(一九四五)年戦争に敗れ、大きな挫折を経験します。
それでも焼け野原の中から立ち上がり、三、四十年で世界の経済大国になりました。

 戦後の日本を立て直した人たちは、戦前に教育を受けた人たちです。この人たちは『実語教』こそ学ばなかったものの、
それと同じ内容を、「教育勅語」などを通じて学んでいました。すなわち、学問の大切さを知り、両親・先生・年上の人たちに
対する礼儀を学び、小さく弱い人には慈愛をもって接することを学んでいたのです。
 そういう人たちが、日本をもう一度強い国に建て直していきました。何か足りないものがあっても文句をいわずに真面目に働き続けて、
再び日本に強い流れを起こしたのです。

 そのように努力して先人がつくった社会の上に、私たちがいま生きていることを忘れてはいけません。
そして当然、私たちにも、この社会を勢いあるものにして次世代に受け渡す責務があります。
そのために、常に学ばなければならないのです。
 もしも私たちが学びを忘れてしまえば、やがて水の勢いは弱まって止まってしまうでしょう。
それは日本という国の終わりを意味しているといってもいいのです。
そうならないためにも、よく学び、よく働かなくてはいけないのです。

 『 子どもと声に出して読みたい 実語教 』 斉藤 孝 著 致知出版社


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