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「今の教え」と「本流復活」を考える・挨拶板

1462神の子さん:2013/04/18(木) 14:42:40 ID:3KkpxWqw
7. 愛国
2012年04月21日 07:09
 帝國軍人が、天皇陛下の大御命令に帰一して、生死を超越して、爆薬を抱いて死地に飛び込み、或は、数千米突の高空から急降下して敵陣に火焔となって散ることも惜しまないのは、一つに、この大御命令に帰一する喜びのためである。
 仏教では、釈迦の心に考へられたる仏の生命に帰一するのであり、基督教は、そんな心に考えた架空な本尊ではなく、歴史的に本当に存在したイエスの生命に帰一するのだと云ふが、帝國軍人はそれ以上に尊い本尊――仏教のように釈迦によって考へられたる架空の本尊でもなく、基督教のやうに、歴史的に過去に存在したのみの本尊ではなく――――生ける天皇神の信仰であって、天皇は過去に在(ましま)し、未来を永劫に貫いて在すばかりでなく、今現に具体的に在すところの宇宙生命の最高表現であらせられ、最高神位に在(ましま)すところの現人神なる天皇を、生命の本源と仰ぎ奉り、その大生命に帰一する最大崇高なる宗教的行事として戦争に従事するのである。従軍する者は全て、もう既に千仭の絶壁から跳んでゐるのである。戦死しない者も、戦死する者も、永遠に天皇と申上げ奉るところの、具体的な大生命の中心神位に帰一してゐる―――この帰一の崇高極まりなき行事が従軍である。かうなれば、もう御心のままである。戦死を早まる必要もないし、生還が帝國軍人の恥辱でもないのである。ただ命これ従ふ、死ねよと云はれれば死ぬるし、生きよと云はれれば生きるのだ。この崇高極まりなき行事を利権のためだなどと云ふことは、此の実相をくらまし汚すことになるのである。
 
(谷口雅春「吾等従軍の眞意義」『谷口雅春選集』潮文閣、1941年、306−308頁)


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