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「今の教え」と「本流復活」を考える・挨拶板

1341うのはな:2012/12/03(月) 14:51:22 ID:Pp0T7lVc

 信仰というのものは、乱暴に大雑把にいえば
 『それにもかかわらず、愛する』ということである。

 
 夫がこうで私がこうで、そして子供がこんなに不幸になった。
 私がこうだったから、夫がこうで、子供がこうなった。

 それそうかもしれないが、それにもかかわらず彼らを愛してるから、
 人は聖典を読もうするし、行をしようとするのではないか。

 そんな思いは、誰が教団総裁か、『誰が』どうしたということに関係ない。

 みんな、誰もが幸せにならなくちゃいけないし、感謝しなくちゃいけない。

 生長の家でも「誰でも」どこでも、人は感謝や愛を学ぶためこの世に来ているだけではないか。


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