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「今の教え」と「本流復活」を考える・挨拶板
1052
:
うのはな
:2012/04/09(月) 15:28:14 ID:El6gIMAw
理想を守る定め 式年遷宮
神宮がいつの時代にあっても瑞々しいのは、二十年に一度という式年制度を守り、
宮を遷し替えてきたからです。
どんなすばらしいことでも、理想だけでは意味をもちません。行わなければ、伝えることも
できません。とても大切なことを、つい忘れてしまった経験は、誰にでもあるはずです。
それ以上に、棚上げしていることも多いのではないでしょうか。
イギリスの詩人、アレキサンダー・ポープの一文に、「誤るのは人、ゆるすのは神」とあります。
宗教というよりは律法と思われる唯一絶対の神と契約した民族でさえ、神には甘えてしまうようです。
まして日本の神は寛大です。教義や戒律を強要することなく、空気のように人をつつみこんでくれます。
祭事の定めであり式を守ることで人は、神との絆を深めてきたのです。
式年遷宮が制度として確立したのは、持統天皇の御代(六八八)です。その発案は、天武天皇と推測されます。
天武天皇の時代は、中国大陸から様々な文物が導入されました。明治時代の文明開化による欧米文化の氾濫に近いものを感じます。
瓦葺の大寺の造営が進むなかで天皇が、古来の精神文化を守り伝えるために、式年制度を考えられたとしても不思議ではありません。
式年が二十年とされたことについては諸説があります。有名なのは宮大工が二十代で入門、四十代で一人前、六十代で指導者になれるという、
世代技術伝承説です。
これは現代の平均寿命との対比のなかで説得力をもちますが、千三百年前に当てはめることはできません。
学説として紹介できるのは、神宮の小堀邦夫禰宜の稲の貯蔵年限説(倉庫令説)です。
古代、神社の遷宮は税(稲穀類)によって行われていました。その税の一つである糒(乾飯)の倉庫貯蔵年限が二十年であり、その期間中に遷宮を
行なうことは、科学と経済に裏付けされた道理であったということです。
『伊勢神宮の智恵』 河合真如 著
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