[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
| |
森の<id>、あるいは無罪ミメーシス
3
:
灰人@スキゾキッズ
:2015/11/17(火) 23:17:35 ID:v7BNyyE6
16年という歳月が過ぎ去ってしまった今でも、僕の心は終わらない思春期に留まっているように思えた。BIG FOOL と言われる由来の一つである変なペイントをほどこした鞄は公安に回収されたのかもしれず、東北大学サーバーにある「黒木のなんでも掲示板」での柏木さんの「知的階級差別」「バカの発言禁止」という表現に思わず反応して書きこんだ愚かな表現は、玲奈からすると「沢山の人の目にとまるようにしたら、藤田信之はかなり精神的に苦しみ、自殺するだろう。藤田信之とはじめてあった時、俺は生まれて初めて自由になれる気がした、これは本当だぜ」と思えるようなものだったのだろうし、家族会の過半数の同意の上で警察と医師が(田口絵美さん風に言うと黒マフィアと白マフィアが)僕を入院というシステムにとらえて見世物にしているように思った。
OT(作業療法)散歩時に、涼宮ハルヒの憂鬱の舞台の一つとなった池周辺を歩いている。何日か続いたやわらかな雨に、紅葉は落ち道の両端を枯れ葉が埋め、11月の風はすすきの穂をあちこちで揺らせ、羊のような雲が凍りつくような青い天頂にぴたりとはりついていた。空は高く、じっと見ていると吸い込まれるようだった。風は池に模様を作り、Dの髪をかすかに揺らせ甲山の方に抜けていった。そしてOT参加者の足音とたまに通るバイクや車の音が鳴り響いていた。誰一人、家族会メンバーとはOT外出時にはすれ違わなかった。歩きながら僕はDにフロイトの<id>と<es>の話を岸田秀流に話した。
記憶というのはなんだか不思議なものだ。入院当初から半年くらいの事はぼんやりとしているのに、ゼロ年代初め頃のネットで起きた事のいくつかははっきり憶えていて文章として記述できる。点滴に入っていたかもしれない麻酔の効果もあるのかもしれない。OT参加できるようになったのは2014年に1階病棟に来てからだ。僕は僕自身の事を考え、OT散歩時に隣に並んで歩いていた美しいDの事を考え、僕とDとのことを考え、そしてまた僕自身の事を考えた。
僕の心のドライなところが、ウェットな対人関係での傷つきに耐えるタフさを支えていたりするのだろうか、と思った。
今では僕の心に繰り返し響き渡っているのは、愛のこもった言葉での教育的な指導への飢えと、対等な人間とみなしてくれる人との親密な連帯関係の渇望だ。そしてOT散歩時のアニメ舞台地付近の風景だ。草の匂い、冷やかさを含んだ風、六甲山の稜線、そんなものが脳裏に浮かびあがってくる。とてもくっきりと。しかしその風景の中には家族会メンバーはいない。プリンくんもいないし、豊くんもいないし、奴賀くんもいない。家族会メンバーはどのような心境で僕の入院生活を覗いていたのだろう、と思う。どうしてかつての友人が「不必要な強制入院生活を受けている」と知りながら放っておく事ができるんだろう、と。
僕が入院中に他者からもらって手元に残っているのは、仁明会病院で途中で書けなくされたまだインクの残っている9本のペン、ビブリオバトル参加者の中学生の方が高度な教育を受けていると思われるプレゼンテーションを中心にこなしたSST(Social Skill Training)のファイル、仁明会病院での輪っふるタイムの卒業者の私へ宛てたメッセージの寄せ書きと写真、田口絵美さん等との交換したメッセージ、沢山の文章を本からの模倣表現なども入れながら書き記した中辻さんから白紙の状態でもらったノートくらいかもしれない。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板