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外部からの持ち込みが制限されていた本を参考にした主張

2灰人@スキゾキッズ:2015/11/13(金) 05:09:10 ID:MiBClXXY
国や自治体の強権に対して、異議を唱え、抵抗するのは、表現の自由であり、人間の幸福を求める権利である。公共の福祉と人権との兼ね合いについて、話し合いがつかない場合、裁判所が判断することもある。
人権を侵害する最大の行為は殺人である。殺されるのは人権の抹殺であり、殺す行為は人間性の喪失である。個人的、あるいは集団的な殺人行為は、もっとも許しがたい犯罪である。と同時に、死刑制度も、国家がおこなう重大な人権侵害として、廃止する国がふえている。
国家による殺人行為である戦争は、死刑制度と同じように、国家による人権に対する攻撃である。
戦争を放棄し、国際的な紛争を武力によって解決しないと世界に向かって宣言した日本国憲法は、世界で最も、人権的な憲法といっていい。
「特権と人権」という対比で問題を提起したのは、物理学者の武谷三男さんだった。医者は患者を治療するとか、人民の健康を守るという意味では、人権の立場だが、看護士などに対しては、絶対の権威を持っている。また軍隊では、下士官は上の将校には弱いが、下っぱの兵隊にはこっぴどく当たる。
小さな特権を与えられることによって、その人自身も権力者となって、他人の人権を侵害し、つまりは自分の人権を侵害することになる、との指摘である。このように、ひとりの人間にも「特権と人権」の両方の世界が含まれている。人権は平等の論理、特権は差別の論理、という。
「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う」
というのが、日本国憲法の前文である。
「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平等のうちに生存する権利を有することを確認する」
憲法の精神を世界にひろめ、恒久の平和のために力を尽くす、というのが戦後の日本人の決意だった。表現の自由、信仰の自由、欠乏からの自由、恐怖からの自由。これらは平和の世界でなければ達成できない。戦争は相手の国の人たちを殺そうとして人権を奪うばかりではない。自分達の国でも、人間としての権利を奪いつつ進められる。人権はたしかに、生まれながらにしての人間の権利である。しかし、それが拡大するか縮小するかは、人々の不断の努力によっている。
といって、努力しない者にはあげられない、善く生きる事を怠った者にはあげられない、というようなものではない。人権を拡大するため、勇気ある人々の闘いによって、人間の権利が定着してきたのが、人類の歴史である。


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