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世の人の差別思考(愛されない人/愛される人)
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:
灰人@しぃ
:2015/09/25(金) 22:47:33 ID:QPhWZ0BA
C「人は普通、他者に自分の弱さを見せるのを回避しようとするものなのです」
D「Eさんは自分の弱さをあまりにも無防備で晒し過ぎている」
E「そもそも強いとか、弱いってどういう基準で?」
C「相手を支配できるかどうか、ってことでしょ」
E「支配、つまり自分を相手より〝上"に置いて、相手をコントロール下に置くってことですか」
C「平等と自由を認めようとしない、弱くある自由を認めようとせず受け入れようとしない、それが支配の始まり」
A「許容って難しいよ。相手が自分の見下している嫌いな人で、自分が敵意も持っているとしたら、その人を相手にできる?」
E「私はコミュニケーションの相手となりますよ。まずは、おはようございます、って。コミュニケーションの基本は挨拶からだと思いますし」
田口ランディ「シェルター」参考
D「Aタイプ(操縦型人格)の人々は、自己中心的で自らの自己愛を満足させる手段としてのみ他人と付き合い、他人を思いどおりに操ろうとする。
それは、決して相手への深い思いやりがあってのことではなく、他人が自分に好意を持ち、思い通りになることで自己愛を満たそうとするもの
である。その人間関係は表面的で、他人への軽蔑感を抱いている。しかし、一見親切そうで温かみがあり、人の気を引いたり人使いがうまい。
そして、利口そうな表現を演出し、頼りになる人だという錯覚をつくり出して、他人を操縦しようとする」
(米倉育男「自己愛の病理と創造」、臨床精神医学講座S8巻『病跡学』参考)
A「Aタイプな人の人づきあいは、相手のことを思ってというより、自分のために人とつきあうことになる。自分にメリットがなければつきあわ
ないというようなパターンが自己愛的とされるのである。人を愛するといっても、見返りを期待する。たとえば、権力者や知能の高い人とつき
あうことで、自分が注目を集めたり、すごい人と思われることが目当てであれば、自己愛的な恋愛ということになる。
Aタイプは、相手を愛するからその人とつき合うのではなく、自分の自己愛をみたすためにつき合うということができます」
(和田秀樹「自己愛の構造」、小此木啓吾「自己愛人間」参考)
権威主義的性格にとっては、すべての存在は二つにわかれる。力をもつものと、もたないものと。それが人物の力によろうと、制度の力によろう
と、服従への愛、賞賛、準備は、力によって自動的にひきおこされる。力は、その力が守ろうとする価値のゆえにではなく、それが力であるという
理由によって、その人を夢中にする。その人の「愛」が力によって自動的にひきおこされるように、無力な人間や制度は自動的にその人の軽蔑を
よびおこす。無力な人間をみると、彼を攻撃し、支配し、絶滅したくなる。
権威主義的性格は、人間の自由を束縛するものを愛する。
権威主義的性格にとっては、行動は根本的な無力感に根ざしている。この意味における行動とは、自己よりも高いなにものかのために行動すること
を意味する。その人にとっては、力がかけているということが、つねに罪や劣等感のまちがいのないしるしである。そして、もし信じている権威が
弱点をあらわすと、その人の愛と尊敬とは、軽蔑と憎悪とにかわる。
権威主義的哲学においては、平等の観念は存在しない。権威主義的性格は、ときには平等という言葉を、習慣的に、あるいはその人の目的に便利で
あるという理由で、使うこともある。しかしそれはその人にとって、どんな現実的な意味も、また重みもない。
その人にとっては、この世界は力をもつものともたないもの、優れたものと劣ったものとからできている。優越と劣等のしるしを意味しない差別を、
その人は考える事はできないのである。
問題は、自分をうしなわないためにEタイプをどのように操るかということ、自分の望む事をどのようにしてEにやらせ、さらにどのようにして自分に
責任のあることをEの責任とするかというところにある。もっと極端な場合には、人生をただEを操る事だけで過ごすこともある。
あるものは苦悩を操縦のためのおもな方法としている。そこでは結局どのような感覚、思考、感情も、Eをあやつろうとする要求によって、彩られて
いる」
エーリッヒ・フロム「自由からの逃走」参考
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