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五大明王スレ避難所2
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五大明王スレ避難所。
五大明王スレとは?
不動・降三世・軍荼利・大威徳・金剛夜叉の五大明王・五大忿怒使者並びに
烏枢沙摩・馬頭・無能勝など忿怒尊一般や修道論などを語る2ちゃんねる神社仏閣板のスレ。
忿怒尊をお祀りしてる寺院や、在家向きの行法、
ネットだけの情報で行に挑むことなどを語りましょう。
行法テンプレや過去ログ
http://vidyaraja.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%88%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8
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>甘露呪でおk。
甘露呪とはオン アミリティ ウン ハッタという真言ですよね
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>>2
そうです。あるいは三昧耶真言ね。
一応経軌には三昧耶真言の中間をはしょった形の真言が富貴聡明の真言としてあるのだが、
撥遣呪という尊勝陀羅尼の倍ぐらいある陀羅尼とセットで使う必要があるみたい。
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大呪の存在意義が問われる位、甘露呪万能仕様
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極楽金剛さん
お世話になってます。一昨日、朝のお参りをした時、灯明を消したつもりでいたところ、すぐ近くに置いていた電池式蝋燭が燃え始めると言う事態に。(自然発火ではないと思いますが。)
目をはなしていたら大惨事、とゾッとしますが、仏の御加護で電池式蝋燭が駄目になっただけでした。(結構派手に煙が出ました。)起きた場所が場所だけにショックではあります。
これは何かの警告、お叱りというように考えるべきでしょうか。この一年、不動行は欠かしたことがありませんが、回数は4月以降大呪216回を21回にしています。中級作法は忠実にやってます。
仏教学を正式に学び始めて、そちらは順調に単位を取れてますが、仕事も含め忙しくなってしまった、という事情です。ただ、勉強しない日も回数を増やしたりはできてないです。週末に元通りの回数を唱える事はあります。
すみませんが、ご意見賜れますと幸甚です。
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>>5
蒙初六
これは折檻してでも躾るという意味の卦です。
やはり何かの警告のようです。
直接の原因:
剥六四
これは何らかの不具合がじわじわ来たという卦です。
原因は物理的に説明出来ることのようです。
ただ、ちょっと触れば維持崩壊どうにかなるような程度の事であれば、割と神仏は干渉されるものです。
何に対する警告であるか?
姤九三
これはある事象を求めても得られないので焦ったり落ち着かなかったりするが、実はそれを
得られないことがより大きな災いから遠ざかることになると言う意味の卦です。
男女のことですと、ある女性と仲良くなりたいが、伝手が無くてどうしようもなくて煩悶するが、
実はその女性は悪女で、伝手がないことがその人にとって消極的な幸運であると。
あるいは、どうしても雇ってもらいたいと思ってた企業の面接に堕ちて凹んでいるが、実は
その企業はブラックだったので、不採用はその人にとっては消極的な幸運だった。
そういう感じのことで何か心当たりはございませんか?
最初の蒙初六と考え合わせますと、それをキッパリ諦めなさいと言う感じです。
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誠にありがとうございます。
少し心当たりを探してみます。別れるべき人間とはほとんどわだかまりなくめでたく別れ(本音です)、これが一年半年くらい前ですね。先月メールしたのが悪かったかもしれません。会う気は全くありません。基本的に男女や金銭の執着は薄いと思っています。
仏教学は生涯続けたいと思ってます、真言宗系ではありませんけど。何かが手に入らなくてイライラ、ということはないと思います。成績は気になりますが、悪くても落ち込んだりしませんし、割と順調でもあります。
今やってる仕事は好きではありませんが、異動しようがしまいがどちらでも、という感じです。永年勤めてますし。
全般に不健全、不安定な生活ではないとおもってます。孤独には見えるかもしれませんがピシッと生きてる。さて、何なんだろう?
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>>7
あと姤九三で考えられるのは、
・そう言ったことが近い将来起こり、深追いするなという警告。
・上からの命令・伝達事項の不徹底で何か迷惑がある。
と言う事が近い未来に起こるかも知れないので、備えときなさいと言うことかも知れません。
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ひとつだけ。世間的に何ら指さされることのない付き合いで、金銭など一切からみませんか、親にだけ言えないのがあります。
むしろ私が必要とされています。もたろん私にとっても重要ですが。
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>>7
>別れるべき人間とはほとんどわだかまりなくめでたく別れ(本音です)、これが一年半年くらい前ですね。先月メールしたのが悪かったかもしれません。会う気は全くありません。
それがご自分からメールされたというのであれば、もうそれ以上絶対関わるなと言うことかも知れません。
>>9
それは姤九三と関係なさげです。
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極楽金剛さん
ありがとうございます。そうですね。双方にダメージなく、精神的にも「消え去るのみ」たったのは、
不動尊に断ち切って頂いたのでしよう。それを多少なりとも関係を持つのは恩を仇で返すようなものでした。
その通りにいたします。深謝申し上げます。
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極楽金剛さん
ありがとうございます。そうですね。双方にダメージなく、精神的にも「消え去るのみ」たったのは、
不動尊に断ち切って頂いたのでしよう。それを多少なりとも関係を持つのは恩を仇で返すようなものでした。
その通りにいたします。深謝申し上げます。
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極楽金剛さん、
私は数年前から鬱病改善と自殺願望の解消を願って(先祖供養と罪業の消滅)、
家の宗旨に則った信徒用勤行経典を用いて毎日お勤めをしております。
ですが、まったく状況は改善せず、病状は一進一退で苦悶の日々を送っています。
これは、今のお勤めが自分に合っていないということなのでしょうか?
もしくは、ご先祖に供養が届かず、願いも届いていないことの現われなのでしょうか?
大変なことですが、場合によっては改宗も考えています。
私の疑問にご教示をいただければ幸いです。よろしくお願いいたします。
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>>13
先ず運気改善のためには、
結局善行為による功徳の積み上げと戒清浄による功徳の防護に尽きるのですが、その観点から
先祖供養を見ますと、先祖に対する善行為で功徳が生じるわけです。しかし、運気改善のつもりで
するのはかなり作為的であり、本来の感謝や故人を偲ぶ先祖供養と違って見返りを求めてるところに
変な我執が入って功徳を損ねてるおそれがあります。ただ、先祖は身内だから他人に対するのと
違って多少変なことしても大間違いにならないと言うことです。
また、先祖供養に頼りたくなるような人の家の祖霊の多くは失礼ながら餓鬼衆なので、
何かを求めたところで何とかしてやりたいと思っていても手も足も出ないものです。
祖霊が天人に上ってるような家だとそもそもあまり問題ないでしょう。
以上一般論。
以下個別論:
漸九三
これは浮気を戒め、頑固に保守的であることを勧める卦です。改宗は見送った方が良さげです。
現在どちらの宗派か存じませんが、「見返りを求める先祖供養」はいずれの宗派にしても
微妙に劣化した功徳しかいただけないものです。私としてはあなたが真言法で修行されるなり、
持戒や善行為に努められるのをお奨めしたいのですが、先祖供養に関してはむしろ今の宗派で通すべきでしょう。
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ちなみに私の先祖供養も家の宗派と私は違うので、護身法と招請撥遣だけ真言法を用い、
供養の本番は物のお供えでやってます。
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>>15と前後しましたが、先祖供養の法要に関する部分は祖霊の意向もあるので、
なるべく代々の宗派に依拠した方が良さげです。
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まとめサイトの施餓鬼法次第ではあかんの?
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>>14
横から質問で恐縮ですが、やはり精神病やひきこもりなどの家族がいる家は、
先祖霊や家の因縁に問題がある場合が多いのでしょうか?
自分も学生時代からの親友が、精神病を患って家に閉じこもっているので非常に気になります。
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因縁は知らんが遺伝はある。
引きこもりの原因として、発達障害の二次障害としての適応障害が多いから、そういう場合は遺伝性(家族性)は関係あると言える。
因縁は…極楽さんお願いします。
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過酷な虐めを長期間に渡って受け続けたことで人間不信に陥り、
最終的にひきこもってしまう人も多いみたいですね。
祖霊の加護があればひどい虐めなどにも遭うことはないと思うので、
彼らに行法を勧める極楽さんの思いはよくわかりますね。
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>>17
まあ確かに、13氏は施餓鬼だとどうだろうねえ?
中孚九五
これは人々と手を取り合う事によって事なきを得るという卦です。大きく改善されることは難しいですが、
人間関係が改善されて、そっちから問題が緩和出来るかもしれません。
出来たらまあそんな感じですが、13氏的に施餓鬼は荷が重いかも知れません。
>>18-19
新宗教の言う怪しい概念としての因縁、つまり何か神秘的な方法で干渉して解消など出来るという
意味の因縁ではなく、本来の意味での様々な原因と条件という意味での因縁ならありますが。
一番近い先祖は両親ですが、親の有り様は子供の人生に決定的な影響を与えます。その親も
その親の遺伝・思想・文化の影響を受けてきたわけであり、それを先祖の因縁と言うことも出来るでしょう。
そう言う意味での因縁ではありますが、あまり一括りに因縁と片付けてしまうのは一種の思考停止であり、
それぞれの人の因縁一つ一つと向き合って対処していくと言う姿勢を放棄してはいけないと思います。
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>>20
祖霊の中に生前功徳を積み上げて上天している方がいれば、
それこそ「氏神」なんだがねえ。
餓鬼レベルの祖霊に守護霊になってもらうには、普門品を聞いてもらってピンチの時に代わりに
念彼観音力してもらうとか。自分では気が付かない危険が迫って気が付いたときにはもう遅いと言うことも
端から見ればまだ余裕があるときに、代わりに観音様に頼んでもらう。
それを考えると、ちゃんとそのことが書いてある普門品長行を普段からちゃんと読誦しておきたいものです。
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>>22
1日と15日に極楽さん次第の施餓鬼してますが(うちは実家は神道ですが、明治以前は曹洞宗だったのでちょうどいいかとも)、観音経部分は普門品偈で読んでました。普門品全部の方がいいですか?
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>>14
極楽金剛さん、
返礼が遅くなりまして申し訳ありません。丁寧なご回答有り難うございます。
また、わざわざ易まで立てていただきまして有り難うございます。
>しかし、運気改善のつもりでするのはかなり作為的であり、本来の感謝や故人を偲ぶ
>先祖供養と違って見返りを求めてるところに変な我執が入って功徳を損ねてるおそれがあります
なるほど、「先祖供養の心がけ」という基本的な部分で当方の思い違いがあったようですね。
先祖供養の基本に立ち返って、今の宗派の教えを守って一からやり直します。
>先ず運気改善のためには、結局善行為による功徳の積み上げと戒清浄による功徳の防護に尽きるのですが
開運を目的とするならば、善根功徳の積み重ねと持戒しかないのですね。
極楽さんがお勧めになっている真言法の修行も行いたいところですが、
今のところは私の体調もありますので、日常における功徳の積み重ねと、
宗派の教えによる先祖供養をコツコツと行なってまいりたいと思います。
ちなみに、
>漸九三
>これは浮気を戒め、頑固に保守的であることを勧める卦です。改宗は見送った方が良さげです。
とのことですが、うちの宗派は祈祷や行法などにも力を入れている宗派なので、
(持戒や善行為は当たり前として)先祖供養以外の修行も宗派立てのもので行なったほうがよいのでしょうか?
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再びお邪魔致します。
つまらぬことをお尋ね致しますが、護身法の仏部にあたる印は、宝珠とは関係ないのでしょうか?
形がそのように見えますし、観想の「福恵増長」にもつながるように思えるのですが。
もしかして、仏部(宝珠)・蓮華部(蓮華)・金剛部(三鈷杵)が光明真言の「まに・はんどま・じんばら」に対応しているのでは?とも。
加えて先祖供養のお話、興味深いです。
普通普門品は長行まではなかなか読まないと思いますが、具体的にはどの条が極楽様の仰る内容にあたるのでしょう?
あと、先祖代々で宗旨替えが繰り返されてたり不明になってたりの場合。
真言宗式で普門品(法華系対応)・心経(禅宗系対応)・阿弥陀大呪(浄土系対応)を勤行式に加えておけば、オールマイティ対応・・・とはいきませんか?
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極楽さん、
13さんの話に関連することですが、諸霊の供養による開運法の源流に位置するのは、
江戸末期から大正初期に活躍した西田俊蔵氏という法華行者のようですね。
彼は仏所護念と万霊供養の実践を説き、その教えに共鳴した久保角太郎氏が若月チセさん
という中山法華経寺の女性行者とともに霊友会の前身(霊の友会)を発足させ、
それがのちに霊友会として発展し、法華経による祖霊供養を通じて万霊を供養する
という教義を完成させたようです。
これが現在、「先祖の霊が浮かばれていないから幸福になれない」などと言って
自派に導く新宗教の宣伝文句の元ネタになっているようです。
ちなみに、この霊友会や分派の立正佼成会の秘教部分を補佐したのが自修団という教団で、
あまり有名ではないですが、ここはかなり高いレベルの霊術を体系的に収めていたということです。
いずれにせよ、諸霊供養による開運法というのは、大正から昭和初期にかけて勃興した
法華系教団の活躍がその源泉にあるようですね。
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西田俊蔵氏という人はその活動のわりにその名をほとんど知られていませんが、
現在の日本の宗教思想に大きな影響を与えており、慶応大学の由木義文氏などは
『西田無学・研究ノート』でこれを指摘し、彼の理念やその行動を正当に評価すべきだと述べているそうです。
西田氏は、既成宗派のお布施による戒名のランク付けを徹底的に批判したり、
先祖代々の霊を僧侶に供養してもらうことは、自らを他人任せにすることに
等しいと主張するなど、僧侶が独占してきた行法を一般在家に開放した人のようです。
伝統宗門の僧侶を見限り、自らの開運は自らの修行によって為されなければならない
とするところは、宗派は違えど極楽さんの主張ともかぶりますね。
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自修団か・・・
あそこは日蓮系新宗教の中でも、密教や修験の行法をかなり広範に修めている所ですな。
まぁ、日蓮さん自身が諸宗兼学の人だし、日蓮正宗や創価学会のような偏狭なやり方は
今の時代となっては日蓮さんの本意ではないかもしれませんな。
禅や念仏もそうだけど、「仏道修行の専修化」という中世の歴史的な命題の中で、
日蓮さんも法華至上主義を唱えただけだしね。いろんな伝説は弟子の創作が多いみたいやしw
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>>23
普門品全部読むといいというのは、餓鬼レベルの祖霊に守護霊的な活動が出来るようになることを
期待してるものであり、そう言うことを期待していない常の供養であれば偈だけでもいいですよ。
>>25
「一心称名観世音菩薩」や「観世音菩薩名者」などですか。どの行というか、とにかくピンチの時には
必死に南無観世音菩薩と唱えて助けを請えばいいと言うことを、自分を見守ってる祖霊に知ってもらう
必要があるのです。その場合、偈はそれを前提に功徳の方だけ強調してあるので偈だけでは
「念彼観音力ってどうすればいいの?んんー!と、きばればいいんかな?」とかなりそうです。
偈の方にはアレだけきれいに功徳が強調してあるのに、具体的には称名すればいいと言うことが
一言も言及されていないのですよ。ですから餓鬼レベルの祖霊にも本人が気が付かないピンチなどの時
代わりに観音様の助けを求めてもらう事を期待するのであれば、偈だけでは片手落ちと言うことなのです。
>>24
後ほど考えて答えます。
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>>25
>護身法の仏部にあたる印は、
アレは「仏頂印」と言って、仏様の頭の天辺にあるいわゆる(如来にしかない)32相の一つです。
福慧云々は上座部系の三帰依文などにある「福運に満ちた世尊に帰依し奉る」などの福運と
同じ趣旨です。
如来となるにはそもそも世界の大王になれるくらいの福運が無いと無理だったと言いますが、
その手の趣旨と受け取って頂ければと思います。
>あと、先祖代々で宗旨替えが繰り返されてたり不明になってたりの場合。
>真言宗式で普門品(法華系対応)・心経(禅宗系対応)・阿弥陀大呪(浄土系対応)を勤行式に加えておけば、オールマイティ対応・・・とはいきませんか?
ダメなようですね。先祖に一人も原理主義的な人が居ないと言うならそれもありですが。
私も>>15-16で言ってるのは宗派が入り組んでるのでオールマイティな法要を模索した結果、
「物のお供えだけにする」という結論に至ったものです。
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宗派が入り組んでるというか、父方と母方で宗派が違うなんてことは普通にあるだろうし、
どちらかの家系や特定の故人を供養するとかならともかく、単に「先祖代々・累代の諸精霊」と
自分に有縁の霊位をすべて供養するなら、どうしても無宗派の法儀にならざるを得ないと思います。
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>>26-27
興味深い情報をありがとうございました。祖霊供養による開運法というのは江戸時代からあるように
思っていたのですが、開運法としては昭和に確立されたのですね。
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ただ、既成宗派の擁護というわけではないですが、在家にはいくら修行しても絶対出来ない供養があります。
「引導」です。作法だけ知ってて在家の資格のままするのは詐欺と言っても過言でないでしょう。
それと、先祖供養による開運法は「善行為・布施」の一端にすぎませんし、経典に説かれてる
福田には如来〜動物まで七段階説かれていますが、餓鬼衆は規格外なようです。動物以下の
餓鬼衆にする布施の功徳をいつまでも期待するのはやはり本末転倒だと思います。
やはり先祖供養は感謝や遺徳を偲ぶ心・思慕の心でするものです。
開運のためにするのは限度があると心得るべきだと思います。
それでもするのは、他人に対する善行為を判断する智慧が未発達な内にする善行為は反対に
迷惑なこともあるので、祖霊ならばそこら辺ダメージが少ないので先祖供養から始めるのは
理に適ってると言えるからです。でも、いつまでもそれではダメでしょう。
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>>33
>ただ、既成宗派の擁護というわけではないですが、在家にはいくら修行しても絶対出来ない供養があります。「引導」です。
そうなりますと、今流行の僧侶を通さない葬儀(樹木葬や散骨など)をすると、
死んだ方はどこにも行けないということになってしまいますね。
もっとも仏教が入ってくる以前の日本では「引導」という概念はなかったので、
その時代の「迷える霊」が今でも彷徨っていることになりますが・・・
また神式の葬儀でも仏教の引導はないので、やはり迷える霊になってしまうとお考えですか?
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>>26
中々ご存知ですな。
今でも霊友会の秘密の行法(陰の修行・霊感修行)の初歩の行は、大本教の鎮魂帰神法の影響が濃厚ですからね。あとは松原皎月の行法も混じってますが。
更に言えば弥勒菩薩の開眼に弥勒菩薩根本陀羅尼を用いてるなど、奥の辺りは色々大正〜昭和の霊術の影響は多いのです。
でも導入した人物は実兄の久保角太郎氏以外にはダンマリを決めこんで逝去したので、霊友会内でその辺を理解してる人など余り居ませんが。
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>>34
そんなこと無いですよ。単に「引導」というチョトプレミアムな作法はちゃんとした僧侶以外出来ないと
言うだけのことです。
世間に出回ってる作法書にはこの引導や灌頂の作法が入ってるのがあり、
「これをよく知らないで在家の資格しかない行者などがするのは、知らずに詐欺をするようなもんだな」
と、言うことです。葬式の次第は普通に引導の作法が当たり前のように入ってますが、次第だけ
入手して在家の資格しかない人がそれをなぞったら知らずに詐欺をするようなものです。
で、その引導もしてもらうのともらわないのとで何か差があるのかどうか不明ですし。
生前に僧侶になって修行してたならともかく、死んでから僧侶になってもどうなんかと。
でもまあ、死んでから持っていける数少ないものなんですから、それを考えると引導に
価値があると思える人もいるでしょう。
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>>24
>>漸九三
>>これは浮気を戒め、頑固に保守的であることを勧める卦です。改宗は見送った方が良さげです。
>
>とのことですが、うちの宗派は祈祷や行法などにも力を入れている宗派なので、
>(持戒や善行為は当たり前として)先祖供養以外の修行も宗派立てのもので行なったほうがよいのでしょうか?
漸九三は先祖供養に関する占的で筮したものですので。
比初六
ちょっとこれは条件付きなようですね・・・。
・既にやっている。
・指導してくれる先達・先輩が居る(必ずしも師僧でなくても良い)。
そうでもなければ出遅れ気味なので、一生かかってでもする覚悟があるならともかく、
今からではどうかな?と、思います。
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>>37
極楽金剛さん、
再び卦を立てていただいて有り難うございます。
>比初六
>ちょっとこれは条件付きなようですね・・・。
>・既にやっている。
>・指導してくれる先達・先輩が居る(必ずしも師僧でなくても良い)。
じつは数ヶ月前にあるお坊様(同宗派ですが菩提寺住職とは別)との出会いがあり、
まだ本格的ではないのですが、その方の寺にたまに伺い在家修行を始めています。
占っていただいた比初六は、おそらくその方のことだろうと思いますが如何でしょうか?
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>>38
そう言う事情があるならそれでいいと思いますよ。残念ですが、
それらの方を頼りにするようにして、もう私はあてにされない方がいいと思います。
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いや、来るなとは言いませんが、私とそれらの方で意見が違った場合は、必ずそれらの方に従って下さい。
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>>39、>>40
極楽金剛さん、
>そう言う事情があるならそれでいいと思いますよ。残念ですが、
>それらの方を頼りにするようにして、もう私はあてにされない方がいいと思います。
>いや、来るなとは言いませんが、私とそれらの方で意見が違った場合は、必ずそれらの方に従って下さい。
極楽金剛さんにはちょっと失礼なことをしてしまったようで申し訳ありません。
私も不安に駆られる毎日で、つい横道にそれてしまいました。
極楽金剛さんには、沢山のアドバイスをいただきまして有り難うございました。
極楽金剛さんとのリアルにおける出会いがあれば、極楽さんに弟子入りして、
真言法における修行をさせていただきたいところなのですが、
そういうわけにもいかないのでこれもご縁と心得、これにて失礼させていただきます。
極楽金剛さんにはいろいろとご心配をいただき、また何度も卦を立てて占っていただき、
本当に感謝しております。誠にありがとうございました。厚く御礼申し上げます。
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>>41
こちらこそ拙いアドバイスなのに今まで福田になって頂き、ありがとうございました。
新しい入門先で素晴らしい人間関係に恵まれ、問題解決とより高い境涯への進趣をお祈り致します。
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何だかなあ。
でも実際どうなんだろう。是ならなぜなのだろう。
【関西カケモチ】生駒山・清荒神・信貴山【最強神仏】8
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1369578400/
480 名前:名無しさん@京都板じゃないよ [sage] :2013/07/29(月) 20:38:31.28
創価のほうが、ご利益出てるよねw
創価学会をいろいろ調べたら、結構な実業家やら有名人が多い。
密教ってマジうん〇だな。かなりショックだわ。
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>>43
単純に考えれば、分母が日本最大なんだから有名人とかが多いのは当然とかなりそうですが。
密教の方に問題があるとすれば、本スレで「在家は勤行式だけしとけ」と突き放すような言い方する
人が居ましたが(突き放す態度をわざわざやってきてするのも、よく考えたらあほですね( ´,_ゝ`)プッ)、
自分で祈らなければならない祈祷を人任せにするようなシステムが問題でしたね。
つか、その引用で創価が良いと言ってる人は、
「創価学会の祈祷師の方が効く」
「創価学会で祈祷を頼んだ方がご利益がある」
と、思って言ってるのでしょうか?
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創価学会や日蓮正宗には祈祷師やそれに類する制度はなく、ガンになっても自分で祈って治すそうです。
せいぜい仲間のために祈願するという事があるだけだそうです。
密教の信者も、自分の祈願は人任せにしないで創価学会の根性を見習ったらどうでしょう。
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>>43
宗教は祈祷だけではないのですが、宗教における祈祷の役割ということを考えると、
祈祷は圧倒的なリアリティを持って神仏の存在を人々に伝える布教の大切な手段です。
ところが最近は、この「布教の手段」が機能しなくなっていることも事実です。それは何故か?
祈祷の本質は「思え、思え、その思いは成就する」というもの。
ただ、人間は「努力逆転の法則」が働いて素直に思いを一本化できません。
そこで、乱れやすい心をひとつにまとめ思いを具現化するために、
いろんな宗教が心をコントロールし、思いを実現させるメソッドを持っているわけです。
そして、そのメソッドを担っているのが宗教家や祈祷師の人達というわけです。
ところがご存知の通り、最近の宗教家や行者さんは職業坊主やサラリーマン神主と
化しているので信心が非常に薄く、祈祷における一番大切な思いの部分に欠落を生じているわけです。
信心という点に限定して話をすれば、新興宗教の信者さん達の方が圧倒的に真面目であり情熱的です。
(ただし、情熱だけが際立っているので、ちょっと社会的な問題を起こしたりするのですが・・・)
普通の仕事であれば、熱意はなくとも技術や経験で仕事が出来ちゃったりするのですが、
宗教、とりわけ祈祷の場合は、どうしても信心という熱意が大きなウェイトを占めてしまいます。
だから、創価学会や真如苑のような新宗教(つまりアマ)のほうが霊験が出たりする場合があるのです。
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ところで極楽さん、在家用の勤行式を続けるだけでは、やはり法力を付けるのは難しいでしょうか?
朝夕に在家用勤行式を読誦し、普段から功徳を積むように心がければ一応の法力は身に付くと思うのですが。
それに大抵の人は仕事がありますので、なかなか本格的な修法を行なうのは物理的に難しいかと・・・
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>>47
そんなこと無いけど、「意に沿わない」行など身が入らんし長続きもしないでしょう。
「在家は勤行式だけしときなさい」で、納得できる人ならそれでいいが。
在家勤行式では物足りないから、あるいは一意専心的に真言行をしたいという向きのために
私が手助けしましょうかと言うだけのことです。
ただ、師に就いたなら多少意に沿わなくても言われたとおりにしなければなりません。
私も滝行の師匠は法華系だったので、題目唱えながら滝行をしましたが、
心の中では「え゙え゙〜〜、今さら題目ぅ〜・・・('A`)」とか思ってましたが、一所懸命言われたとおりに
頑張ったものです。
>それに大抵の人は仕事がありますので、なかなか本格的な修法を行なうのは物理的に難しいかと・・・
まとめサイトの「極略作法」は、時処軌にれっきとした根拠のある作法ですが、それでもダメなのですか?
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>>48
ご回答有り難うございます。
>在家勤行式では物足りないから、あるいは一意専心的に真言行をしたいという向きのために
>私が手助けしましょうかと言うだけのことです。
なるほど、そういう意図でしたか。それなら納得です。
今は昔のように本格的な修行をさせてくれる道場も少なくなりましたから、
修行したい人のためにネットを利用して手助けしようということなのですね。
>私も滝行の師匠は法華系だったので、題目唱えながら滝行をしましたが、
>心の中では「え゙え゙〜〜、今さら題目ぅ〜・・・('A`)」とか思ってましたが、一所懸命言われたとおりに
>頑張ったものです。
え!法華系の滝行場なんてあるのですか!?
私は法華と真言・修験の融合を目指しているものですが、
日蓮宗寺院ではお坊さんが水行をするだけで信徒に水行はさせてくれませんよね。
どこのお滝場かはお教えいただけないかもしれませんが、関西方面でしょうか?
法華系で水行をさせてくれる場所を探して長年困っているのです・・・('A`)
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極楽金剛さん
スレチですみません。2ちゃんの方は色んな宗派の裏話満載で、教団や僧侶のあり方にはガッカリする事も多いですよね。
個人的にはあまり接点がないのですが、真宗の門徒さんで驚異的な知識を持ち、信仰に生かしてるようなケースが見受けられます。尊敬できそうな研究者もいるように思います。排他的とも限らないような気も。
絶対他力も、究極的には即身成仏と変わらないような気もしますし、
念仏も、「往生の手段ではなくそれ自体が目的であり功徳」という境地なのであれば、真言信徒としても何か参考になるのかな、と思います。
漠然とした質問で恐縮ですが、極楽
さんの真宗に対する評価ご意見、何か参考になると思われている点など、伺えましたら幸甚です
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>>49
>え!法華系の滝行場なんてあるのですか!?
>法華系で水行をさせてくれる場所を探して長年困っているのです・・・('A`)
あいや、「今さら題目・・・('A`)」を言いたいから法華系と言いましたが、正確には(客観的には)
法華神道です。知識のあるものなら法華神道と位置づけするでしょうが、あまり教学的には
どうでもいい感じの行場に師匠でしたので自称では神道系でした。
>日蓮宗寺院ではお坊さんが水行をするだけで信徒に水行はさせてくれませんよね。
ようつべで、修行僧に続いて在家の人が水行してる動画を見たことありますよ?
あのお墓に良くある形の桶に水汲んで勢い付けて頭からかぶる作法のヤツ。
たしか京都のお寺だったと思います。
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>>50
真宗というのは「修行などするのは弥陀の本願を信じてないと言うことであり、失礼である。」という
結論になった宗派のようですので、基本的に行をしません。ですからその分教学を究める形になって
仏教の学者では真宗と浄土宗が一番多いそうです。私も藤本晃師など参考・注目してる学者です。
ちなみに。
功徳はなぜ廻向できるの?―先祖供養・施餓鬼・お盆・彼岸の真意
http://www.amazon.co.jp/%E5%8A%9F%E5%BE%B3%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%9C%E5%BB%BB%E5%90%91%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%82%8B%E3%81%AE-%E2%80%95%E5%85%88%E7%A5%96%E4%BE%9B%E9%A4%8A%E3%83%BB%E6%96%BD%E9%A4%93%E9%AC%BC%E3%83%BB%E3%81%8A%E7%9B%86%E3%83%BB%E5%BD%BC%E5%B2%B8%E3%81%AE%E7%9C%9F%E6%84%8F-%E8%97%A4%E6%9C%AC-%E6%99%83/dp/4336048053/ref=sr_1_19?s=books&ie=UTF8&qid=1375240921&sr=1-19
>カスタマーレビュー
>こころや功徳は物質ではないからやり取りできない。
まだ読んでませんし、レビュアーの文章ですから違うのかも知れませんが、
「心は(物質でないから)やりとりできない」の、根拠をお訊きしたいところです。
真宗スレでちょっと訊こうかと思い、なかなか勉強されてる方も揃ってるようですが、
なんでランボーが居るのよ?
('A`)
-
ありがとうございます。この著者の本は読んでみようと思います。やりとりできないが共鳴する、というのは唯識の薫習とかそういうことなんですかね。
スマナサーラ長老の影響も受けておられるようで、大乗仏教を堂々と主張する、というのとはちがうのかな。長老の説法会は参加したことがありますが、
凄いとおもったのは不特定多数との「質問と回答」というリスクの高い形式を採用してることですね。日本の僧侶で立場か危うくなりかねない、
そんな形式にチャレンジする人がいるのかな、とは思いました。もっとも、日本人はある程度遠慮はするでしょうけれど。
真宗スレは開いた瞬間に閉じました。w 何してんですかね。
-
>>53
>やりとりできないが共鳴する、というのは唯識の薫習とかそういうことなんですかね。
薫習は確かにやりとりと言うよりは共鳴ですね。
ただ、密教と禅宗は心がやりとりできるという前提で成り立ってますので(灌頂と以心伝心)
やりとりなのか、共鳴をやりとりと勘違いしてるのか、はっきりさせておきたいと言うところです。
>長老の説法会は参加したことがありますが、
>凄いとおもったのは不特定多数との「質問と回答」というリスクの高い形式を採用してることですね。
それは初耳ですが、確かに凄いですね。絶対にぶれない確立した信念とそれを支える論理力と
語彙力が必要とされると思いますが、やはり一廉の人はひと味もふた味も違いますねえ。
-
輪廻について質問したオッチャンがいて、長老が逆質問。それに対して「わかりません」。間違ってようがなんだろうが、徹底的に食いついていけばいいと思うんですけどね。
サンドバッグ状態は気の毒でもありましたが、聞いていることに答えないのは不誠実だ、とかなり辛辣に言われてました。全般的にシビアですけど。
質問てのは、本当に知りたいことについている為されるべきものなんだなあ、と思いましたw
-
>>55
まー、質問に質問で返すのは御法度ですが、相手の前提が自分と違うかも知れない場合が
ありますからねえ。そう言う輪廻の問題など、霊魂など業の乗物が肉体から肉体へ乗り移っていくと
考えてる人が圧倒的で、業によって五蘊を形成しては消えていくと認識できてる人は希です。
また、我が国の場合は大乗仏教のフィルター通した知識を上座部でも通用する知識と思ってる
のがままありますから。それを確認するために相手に聞き返すのはともかく、
質問に質問では単なる詭弁でしょう。その辺はどうでした?
-
おそらく、様々な事物の実存性を「○○は存在するか?」という質問責めの中で、矛盾が生じてくるのを体感させる意図があったのだと思います。多分、最終的に霊魂の実在性を否定するオチになってたんでしょうね。アーガマにそういうスタイルもあったかと思います。
ところが、最初の一つか二つくらいで、質問の意図を考え過ぎたせいか質問者がフリーズしてしまったというか。思ったことを言えばいいのに、と感じました。
私もそうなんでしょうが、質問するのもされるのも苦手な文化なんですかね。
あと、一刀両断的な回答としては「瞑想で集中できないんですが」「できるまでやればいいでしよ、なんですぐできると思うんですか、ハイ次」なんてのもありましたね。そりゃまあ、そうだな、と。
-
>>57
ああ、なるほど、インド的な中観の元になった議論の形式を持ち込もうとして失敗だったわけですか。
それじゃあ反発されて日本人には受け容れがたいでしょうね。やはり上座部が日本に根付くのは
もうちょっと我が国の事情を知ってくれてる比丘かワンクッション置いてからでないと無理でしょうか。
私としてはなんとか福田としての上座部式のサンガが根付いて欲しいものですが。
-
>>57
>あと、一刀両断的な回答としては「瞑想で集中できないんですが」「できるまでやればいいでしよ、なんですぐできると思うんですか、ハイ次」なんてのもありましたね。そりゃまあ、そうだな、と。
この手の質問は禅宗なら曹洞宗でも「入室して老師と一対一の状態で訊きなさい」と言い、
鈴木一生師のミャンマー修行体験談でも似たような感じだったのですが、
スリランカは違うのかな?
-
>>58
明治時代に釈興然さまが住職をされていたお寺にお参りしたことがあるのですが、客観的には上座部の導入は壮大な実験、に終わってしまったようですね。
私としては、大乗仏教に清浄のお坊様が現れるのを期待したいのですが、2ちゃん板を見ると暗澹たる気分になりますねえ。
そもそもふんぞり返ってる時点で全然違うんでしょうな。
-
>>60
>私としては、大乗仏教に清浄のお坊様が現れるのを期待したいのですが、2ちゃん板を見ると暗澹たる気分になりますねえ。
ttp://blog.goo.ne.jp/tenjin95/e/db87806a735a111e6c0d5e1eda30a907
>道元禅師は仏陀在世当時からこのような者が居たのだから、今の我々が卑下をする必要は無い、問題なのは如何にして発心・修行・菩提・涅槃の行持道環を努めるか?だと諭すのである。
まー、他人を変えることは出来ませんので、結局自分のことは自分でするしか無さそうです。
-
極楽さん、初680さん、
スマナサーラ長老の「般若心経は間違い」は読まれましたか?
上座部の視点から大乗経典に鋭く切り込んだ書で知識人たちには好評なようですが、
なにより問題だと思うのは、日本の仏教関係者からの正式な反論がないことです。
極楽さんや初680さんは、長老の見解をどのように受け取られますか?
-
>>62
臨済宗の僧侶とテレビ討論して心経の話しが出、言い返せなかったという話は聞いたことあるのですが、
スマ師の主張が本になってたのですか。
今から購入して読もうと思いますので、しばらくかかりますがそれでもいいですか?
しかし、ざっとネットで拾える反論のほとんどがランボーとドングリの背比べみたいなレベルの理解で
反論していて、朝から暗澹たる気分になりましたよ。
スマ師の見解に反論するとしたら、こいつらの側に立つことになるのか。
orz
-
仏教の最古の経典であるとされている『スッタ・ニパータ』の中で、
釈尊は、占星術や呪術的なこがらに関して捨て去れと言っていますね。
スマナサーラ長老のような仏教原理主義の立場に立つと、
密教全体や易占を併用する極楽さんも否定されることになりますな。
私は何事においても原理主義は嫌いなので、別段「般若心経は間違いだ!」
と云われても、「あ、そう。それで?」という立場なんですが・・・
-
>>62
長老の著作は、「怒らないこと」などは以前読みましたが、挙げられた本は読んでいないので、何ともいえません。大乗非仏説については講談社学術文庫の「バウッダ」などに書いてあることに納得した上で、大乗仏教徒たらんとしてます。
パーリ語文典も文献学的に必ずしもブッダの教えそのものではない、そうですが、まあ個人的にはどちらでも構いません。
前スレにも書きましたが、持戒の後ろめたさの故に長老を黙殺してるとすれば由々しきことですが、極楽さんが言われるように言い返す内容自体が
お粗末なら、より残念ですね。立派な反論は既に揃っているとは思うのですが、学界に止まっているだけなのかなあ。まあ、在家は在家で保つべき戒を守り、
人のせいにしないでやっていけたらと思ってます。
-
>>64
易や呪術に関しては、全否定ではなく「比丘がそれで生活するのが悪い」とおっしゃってます。
つまり、比丘は托鉢と布施によって生活すべきであり、報酬をもらって何かする比丘はいわば
「劣化福田」であるのでこれを戒められたのでしょう。
また、私は比丘ではないのだから適用外だと申してるわけでもございません。
占いや祈祷は人に依存心を生じさせますので厳密に運用する必要があります。
その為には在家であっても絶対金品を受け取って占ったり祈祷したりしないという
スタンスは重要な運用方法だと思います。
-
>>64
まあ、スマ師が私を否定したところで、「私などいちいち取り上げて下さってありがとう」と言う感じかな?
確かにどうでもいいわ。 ( ´,_ゝ`)プッ
-
>>66
>易や呪術に関しては、全否定ではなく「比丘がそれで生活するのが悪い」とおっしゃってます。
そうなると密教顕教関係なく、日本の伝統宗門は全て釈尊の言葉にそむいていることになりますな(笑)
祈祷を行なわないのは浄土真宗ですが、あそこは肉食妻帯を最初に打ち破った宗派ですし。
そもそも、宗教の遺産というものは歴史の中で醸成されるものですから、
時代性や地域性によって変容していくのは当たり前で、
それを原理主義の立場から否定されても困りますね(笑)
-
>>68
あと、禅宗なども作務で畑を作るのは当たり前のようにするし、夢窓国師が確立された造園なども
具足戒で禁止されてる行為です。
それとか、水たまりに小便するのも具足戒で禁止されてるので洋式トイレも使えませんw
しかし、原理主義はともかく、原則を否定してしまうのもダメでしょう。
それを考えると河口師のように在家主義にならざるを得ません。
比丘が戒律をちゃんと守っていけるようにするには、在家ががっちりサポートする必要があります。
それもまた在家の布施であり、持戒清浄の比丘はそれにふさわしい福田でしょう。
その点、期待してるんですからスマ師と周辺の人たちには頑張って欲しいものです。
-
>>69
>比丘が戒律をちゃんと守っていけるようにするには、在家ががっちりサポートする必要があります。
ここがポイントなんですよね。ところが近代日本の精神文化としては、
>それもまた在家の布施であり、持戒清浄の比丘はそれにふさわしい福田でしょう。
この感覚がわからないために、今の日本人は持戒清浄の比丘達をサポートすることに意味を見出せないのです。
それゆえ日本仏教は、葬式儀礼仏教と化して生き残っていくしかなかったんでしょうね。
まぁ国家としては、国民皆が本物の宗教家に憧れるような社会では困るので、
腐敗・堕落した宗教家が増えてくれたほうが都合が良いのかもしれませんが(笑)
-
>>52 読んでみました。
「自業自得」が大前提なので、善行の果をモノのように他人に譲り渡すことはできない。ただし、四無量心の「随喜」のように、共有することはできる。
これが共鳴ですね。従って、善行は他者のためにも意識的顕示的であるべきだと。この辺は特に非真宗的、非唯識的かな。
(善行については宗派内でもシリアスな意見の相違があるようにネット情報からは思われます。)善行と回向は別物で、両方意識すれば功徳もより大きいとのお考え。
追善供養の対象は餓鬼衆のみ。その他はその世界の食物意外は受け付けられない。初期仏教の五趣の世界のみを考えているので、
中陰も餓鬼道からの救済期間と捉えています。臨終直後に霊魂が待機するということはないと。誰でも一旦は餓鬼道に行く。
概ねこういった内容と思いました。真宗の歴史は尊重されていると思いますが、個人の心情的には殆どテーラワーダではないかとお見受けします。戒律も必要と。
ただ、法要はお布施の意味もあるので、葬式はお寺で行うのがベターというニュアンス。ここは日本仏教的ですね。
アビダルマの著作もあるようなので読んでみて、佐々木閑先生の著作あたりと比較してみようかな、と思いました。
-
>>70
>この感覚がわからないために、今の日本人は持戒清浄の比丘達をサポートすることに意味を見出せないのです。
もうなりふり構ってないで「【金口説法】お釈迦様の開運法【本当仏教】」「原始経典お墨付きのご利益!」とかいって
ご利益で釣るしか無いでしょうね。スマ師も初期の四無量心の本など「運命がどんどん好転する」などと新宗教ばりの
センセーショナルな表題付けて売り出したんですから、今さらという気もしませんが。
-
>>71
すると、>>52で疑問を呈した「心や功徳はやりとりできない」は、レビュアーが勝手に言ってるだけで
著書の中では何も触れられてないわけですか?
>臨終直後に霊魂が待機するということはないと。誰でも一旦は餓鬼道に行く。
まあ、霊魂がないのだったら「中有」って一体何よ?と言うことになりますが、
中有と呼んでるものが餓鬼趣のことだと言うなら納得いきます。
死んですぐ執着が消えずに、受け容れることに多少時間がかかるのは理解できますし、
その間だけ餓鬼霊になってる、いつまで経っても執着を捨てられない者がそのまま
餓鬼道に留まる。と言うだけのことだというなら、却ってスッキリしますw
-
>>73 レビュアーのように読めなくもないのですが。
心は刹那滅を繰り返しており、ある行為の果はその時点の心ではなく、以降の心に刻み込まれる。
それは他人の心に刻まれることはない。功徳はその人の新たな心に現れるものである。心から功徳だけ取り出して他人にあげることはできない。
私の読みでは、「あげられない」というより、「功徳だけ分割して取りせない」という方に力点があるように思いました。結果としては「分割してあげることができない」
ので同じかもしれませんが。
-
あと、私の心と他人の心は決して混ざらない(共鳴はする)とは明確に書いてあります。
-
お話の途中申し訳ありません。
功徳の積み方についてお尋ねいたします。
社内政治や派閥抗争等の日常で、とても功徳が積めるような環境にない場合、
どのようにして功徳を積んだら良いのでしょうか?
読経や真言・題目・念仏等を出来るだけ行い、日々の懺悔をするしかありませんかね?
ただ、懺悔と功徳を積むことは別でしょうから、果たしてどうすればよいのやら・・・
-
>>74
そうですか、まああれこれ訊いても仕方ないから近いうちに自分で読みます。
>>76
>読経や真言・題目・念仏等を出来るだけ行い、日々の懺悔をするしかありませんかね?
それしかないですね。
以上一般論。
以下個別論。
艮初六
これは焦ったりあわててはいけないと言う卦です。
一般論に同じ。あなたの場合はとりあえず功徳を損ねることは免れてますので、
その正しい心を失わずにいれば、功徳を積むチャンスが来たときに正しく功徳を得ることが
出来ると思います。
-
>>62
まだ70ページぐらいまで読んでないけど。なんかこう、旅に出たい気分だ。
orz
-
「波羅蜜」の解釈を完全に無視してなに言うたはるんですか。
orz
-
私は仏教が広く行われて世の人々の光となり、福音となることを切に願っており、
既成仏教はもちろんのこと、スマ師のグループにも上座部や比丘のサンガが日本に根付いてくれるよう
そのご活躍を心から応援してるつもりなんだが。
よく知らないことは黙っといて下さいよ。
orz
-
虚無主義で十八界や十二因縁は無いと言ってるんじゃなくて、これは主体と客体の差別が無くなった状態でんがな。
涅槃に至った状態では四聖諦の「道」も筏の喩えで言う筏でしょうが。
orz
-
ランボーみたいなうんこ坊主いくら貶しても、実力の報復以外怖いことは何もないが、
スマ師はちゃんとした比丘だからな〜・・・。
orz
-
毎度失礼致します。
最近、護身法を修しております際、大した行も積まずに己を「行者」と観想するのが
何だか後ろめたくなって参りました。特に、蓮華部の部分が…。
在家の身であってみれば法を説くことなどないわけですが、ここはどう心得ればよいのでしょう。
自分の読経が先祖たちにとって効験のあるものになる、と信じるとかでよいのでしょうか。
-
>>62
それとか、「菩薩」の定義を原始・上座部仏教の定義で話を進めていて、無理矢理上座部の土俵に
観音様を引きずり込んで阿羅漢以下の存在とした上だから、波羅蜜の定義以前に詭弁である可能性がある・・・。
orz
-
>>83
密教大辞典によりますと、行者とは「仏道を修行する人」とあります。その他にも狭義的な
定義もありますが基本は仏道修行者のことなので何も恥じることはございません。
>在家の身であってみれば法を説くことなどないわけですが、ここはどう心得ればよいのでしょう。
観音経にいわゆる「三十三普門示現」が説かれてますが、その三十三の中にはわけのわからん
妖怪の類もあります。そんなのに較べたらかなりの高確率で880さんも観音様の化身として
人様に何かアドバイスすることがあるかも知れないじゃないですか。
その時的確で功徳も取りこぼさずアドバイスしたいでしょ?
つか、前スレ880さんどこかでちゃんと三部被甲の護身法習ってきてたのですか?
だったら軍荼利尊の印は是非被甲護身の印でやって下さいね。
-
>>65
>前スレにも書きましたが、持戒の後ろめたさの故に長老を黙殺してるとすれば由々しきことですが、極楽さんが言われるように言い返す内容自体が
>お粗末なら、より残念ですね。立派な反論は既に揃っているとは思うのですが、学界に止まっているだけなのかなあ。
今、ざっとネットに上がってる他の人の心経解釈を見てみましたが、無〜〜のところを「とらわれない」と解釈
してるのがほとんどです。「十二因縁にとらわれない」「四聖諦にとらわれない」十二因縁や
苦諦集諦にがっちり絡まれてる凡夫がとらわれないなんて、服役囚が懲役にとらわれないと
ほざくようなものでわけが解りません。「それが、涅槃の状態である」という指摘は皆無なようです。
これじゃあスマ師のご本に反論するどころではありませんね・・・・・。
orz
-
>>77
さっそくお返事をいただきましてありがとうございます。
>艮初六
>これは焦ったりあわててはいけないと言う卦です。
>一般論に同じ。あなたの場合はとりあえず功徳を損ねることは免れてますので、
>その正しい心を失わずにいれば、功徳を積むチャンスが来たときに正しく功徳を得ることが
>出来ると思います
私の心の中を見透かされたようで驚いています。
まずは焦らず懺悔の行に励むように心がけていきます。
そして、仏法修行とのご縁をいただけるように、日々念じていきます。
ありがとうございました。
-
「般若心経は間違い?」は、間違い。
・菩薩の定義を上座部の定義のままで読み、大乗仏教の土俵は無視。
・波羅蜜を「修行の完成」とせずこれまた「修行途中」という上座部の土俵で語る。
・ゆえに「舎利子」以下を本来の覚った立場から解釈せずに、凡夫目線で言うから虚無主義とか言う。
観自在菩薩はこれから修行して阿羅漢目指そうという方ではなく、正法明如来という仏様がより大きな
功徳を積むためにより衆生目線に近い菩薩に降りてこられて修行されてる方です。一般衆生目線で
いろいろときめ細かい感じのご利益を授けてくれますが、大阿羅漢である舎利弗尊者の目線では
「第一義諦」を語られました。スマ師の言うような問答形式であるのかも知れません。
「第一義諦」と言うのは、それらしい字面の通り中観の白眉になる概念で「一切は平等である」と
言うことです。主体と客体の区別の付かない涅槃の絶対平等の境地であり、唯識や捨無量心の
観想で言う「能取所取を離れ」であり、心経ではそれを五蘊も無い四聖諦も無いと表現しているのです。
まだ80ページくらいまでしか読んでないし、読む気も失せたのでここまでとしますが、
般若心経を読誦してどうして功徳が生じるのか解説し、皆さんもそれを意識することによって
より効率よく功徳を頂いてもらうため、修道論やご利益崇拝の立場から解説してみようかと
思ってたところなのですが、それまでにはちゃんと目を通しておこうと思いますw
-
>>88
個別には各宗派の優れた僧侶が、各自で反論を出していますね。
ただ、日本の所謂「知識人」と云われる人たちには、やはりスマ師の本は受けがいいようです。
彼等からすれば、そもそも大乗仏教自体が間違いという前提ですからね。
まぁ、確かに大乗経典には仏陀釈尊の直言はないので、そこを突かれるとどうしようもないのですが・・・
-
>>87
功徳を積むというのはなかなか大変で、修行や祈願なども、いくら神仏と感応してても、
せっかくお膳立てして下さってても、功徳が薄いばかりに行が進まない、
目の前の運を手をこまねいて見送らざるを得ないとか、あるものです。
お互い頑張りましょう。
-
>>89
>そもそも大乗仏教自体が間違いという前提ですからね。
それを言うなら「般若心経は非仏説です」で、終了ですから、虚無主義だの集合論だの言うのは
話しをややっこしくさせるだけです。そう言う話しをややっこしくさせるような考え方はスマ師も否定
してるんだから、あの本をありがたがってる知識人とやらはあまり大したことないのじゃないですか?
-
↑集合論云々というのは、「色即是空、空即是色」を阿羅漢目線の対偶法ではなく、
凡夫目線の集合論で論難してるという事ね。
-
>>89
>ただ、日本の所謂「知識人」と云われる人たちには、やはりスマ師の本は受けがいいようです。
まあ考えてみれば中途半端な知識人には
「彼我の区別が無くなった絶対平等の悟りの境地から見た見解です」と、
言うのは分かり難いかも知れません。
お釈迦様の時代は涅槃の状態を表現する言葉がなかったのでしょうが、時代が下がって語彙なども
増えてきたから「彼我の区別が無くなった絶対平等の状態」と、ある程度は説明出来るようになりました。
私は大乗仏教の値打ちはそこにあると思います。
煩悩を捨断しやすい順番に十段階に分けたものを「十結」といいまして、下から三番目までを「三結」と呼び、
これを捨断すれば預流果であり、輪廻にタイムリミットが出来て不死に至るのを約束されたといえます。
で、「三結」とは「身見・疑惑・戒取」というぶっちゃけ勘違いのような煩悩で、その上が欲と怒りなので
欲や怒りなどより捨断しやすく、原始経典には仏様の説法を聞いただけで在家でもどんどん預流果や
その上の一来果に至った方が登場します。まことにウラヤマシスな感じです。そういう感じでお釈迦様の説法を
直接聞いて覚った方を大乗仏教の定義で「声聞」と呼んで小乗の低い境地だと侮蔑的な言い方をしますが、
嫉妬もあるのかも知れませんw
欲や怒りは肉体や自分に執着する心に大部分が由来してるので、そう簡単に捨断できませんが、
勘違いみたいな三結なら時に他人から与えられた智慧の力で清める事が出来ます。
そして阿羅漢を目指すのは誰でも出来るわけではないが、預流果なら在家や天人でも頑張ればもちろん
時には棚ぼた的になることが出来そうです。永遠に続いて地獄に嵌るかも知れない輪廻の先が見えるのは
まことに仏法に出会えた甲斐というものです。
最高の阿羅漢を目指すのではなく、最低限の預流果を出来るだけ多くの人や天人が目指し、
仏法の功徳を出来る限り多くの衆生が享受できるようにする。
何によって?智慧によってです。
「何によって?智慧によってです。」昔から言われてる抽象的な理想ですが、
私が考える具体的なところはこう言ったところです。
-
空=虚無主義はニーチェ以来の欧米知識人のデフォなんもあるんで(最近は多少変化してきたにせよ)、それを念頭に置きがちでさりとてちゃんと仏教知識をきっちり学んだ訳でも無い
いわゆる進歩的知識人の面々方としてはスマ師の言葉が言質でもあり、我が意を得たりというか自分たちが認識してきた通りだと安心してるだけのような感じもするダスよ。
要は恐らくスマ師の論すら理解出来てないんじゃないかと。
-
>>94
>要は恐らくスマ師の論すら理解出来てないんじゃないかと。
スマ師もその人らも、よく知らないことは口出しせずに黙ってればいいのにね。
でもまあこういう前例があるので、
「修道論は技術みたいなものなので大乗上座部関係ありません。また、
スマ師は相手の土俵を無視して自分の土俵で語るという詭弁のようなことをされた
前例があるので、上座部以外の事を言ってる分に関しては信用できません。」
スマ師を錦の御旗に立てて騒ぐ上座部厨はこれでおk。
補足。
相手の土俵を無視して自分の土俵で語るというのは喩えるなら、英語圏の人が
「桐生はおまえを殺すという意味です」と言い張った上で桐生市とかの話を進めるようなものです。
-
>>88
> 「般若心経は間違い?」は、間違い。
>
>・菩薩の定義を上座部の定義のままで読み、大乗仏教の土俵は無視。
>・波羅蜜を「修行の完成」とせずこれまた「修行途中」という上座部の土俵で語る。
>・ゆえに「舎利子」以下を本来の覚った立場から解釈せずに、凡夫目線で言うから虚無主義とか言う。
分かっててやったら詭弁ですが、知らずにやったのなら「ボタンの掛け違い」というヤツですね。
-
>>36
>そんなこと無いですよ。単に「引導」というチョトプレミアムな作法はちゃんとした僧侶以外出来ないと
>言うだけのことです。
新宗教で葬式は出さないのでは?
出したとしても普通に読経等をするだけで、別段「引導」を渡すようなことはないと思いますよ。
伝統宗教が力を失ったのは、やはり霊験をなかなか出せないという点に尽きるでしょうね。
仏教系新宗教の嚆矢ともいえる本門仏立宗は、圧倒的な現世利益によって教勢を伸ばし、
多くの人を救いましたね。また、戦前巷では「金光様の二度びっくり」という言葉が囁かれていたそうです。
神道系の金光教の支部にお参りして霊験あらたかなことにまずびっくり。そして、
岡山の本部にお礼参りをして、本部のみすぼらしさに二度目のびっくりという(笑)
(教祖の金光大神が寄付を極力受け取らない姿勢が背景にあったようです)
いずれにせよ、伝統宗教は霊験ということをあまりにも軽視し過ぎているように思います。
無宗教の葬儀や埋葬が広がりつつある日本では、葬式仏教も先細りでしょう。
弘法大師の密教が日本を席巻した理由は、その高邁な理論はともかく、加持祈祷を行なって
人々の切なる願いに応えたからです。伝統宗教はもう一度「霊験」に真剣に向き合うべきです。
-
>>97
生憎ながら、新宗教と言えども葬式は挙げるダス。
引導「もどき」な所作・作法を伴う所すらあるダス。
日本で最大級の新宗教の某学会は友人葬という形式で引導作法は存在しないとは聞きますが、だからと言って他も同じく引導は無いという訳ではありません。
これが実際に引導という結果をもたらしているか否かオイラには分かりかねるダスが。
現実にオイラは実家が某新宗教に属し、事情でそこのぺーぺーに過ぎないオイラがそこの引導作法受けていて
やろうと思えばやれるんダスから。もちろん、実際に引導渡せてるかどーかは知らんダスがw
-
>>97
いやあ、言いたかったことは、
>>98
>やろうと思えばやれるんダスから。もちろん、実際に引導渡せてるかどーかは知らんダスがw
と、言うようなことなんですが。
>>97
>いずれにせよ、伝統宗教は霊験ということをあまりにも軽視し過ぎているように思います。
まあ実際のところ、「あのブドウは酸っぱいに違いない」と言うことなんでしょう。
-
>>97
>伝統宗教はもう一度「霊験」に真剣に向き合うべきです。
霊験は人々に依存を生じさせますし、そもそも福徳が無いと神仏でもどうしようもないものです。
しかし、それを理由に放棄してるのは昨今医療などで言う「アカウンタビリティー」に悖るものでしょう。
アカウンタビリティー的な理論構築もと言う意味で私も真剣に向き合ってほしいですね。
-
>>100
>霊験は人々に依存を生じさせますし、
しかし、霊験がないと人々は神仏を信じることは出来ませんよね。
密教がこれだけ広まったのは、理論ではなく加持祈祷によるものでしょう。
まずは目の前の苦しみを救う。そして徐々に深い道へと誘う。
これこそが真実の方便というものでしょうね。
>そもそも福徳が無いと神仏でもどうしようもないものです。
今では新宗教も伝統宗教化していてあまり霊験はないようですが、
昔の新宗教のあらたかさといえば大変なものでした。これはどう解釈されますか?
-
>>101
>今では新宗教も伝統宗教化していてあまり霊験はないようですが、
>昔の新宗教のあらたかさといえば大変なものでした。これはどう解釈されますか?
私が見聞きしたり経験した霊験は、人々が色々助けてくれた中の一つに神仏の力添えがあったという
ような感じのものばかりで、ちょっと「あらたかで大変な霊験」の実例に関してピンと来ないので何とも言えません。
-
ご無沙汰しております。
ずーとバタバタしてて、なかなか書き込めませんでした。
お世話になっているのにすみません。
ちょっと色々ありすぎて、なかなかお唱えできなかったら、お数珠にカビが生えてました><
ネットに入れて洗濯機で回せば、お数珠のカビはどうにかなりますでしょうか?
あともうちょっとで10万回にたどり着きます。
中級のやり方が、いまいちわかんないとこがあったので、ずっと初級のやり方でやってます。
お施餓鬼のやり方について、質問ですが、極端な話、お供えはうまか棒2本とかじゃ、ダメでしょうか?
また後で質問とか書き込ませていただきます。
どうぞよろしくお願いいたします。
-
施餓鬼供養についてですが、
できれば夜の実施のほうがいいとか、
戸外に出たほうがいいといったことはありますでしょうか?
宜しくお願いします。
-
>>103
>咲夜(鳥忘れました)
>中級のやり方が、いまいちわかんないとこがあったので、ずっと初級のやり方でやってます。
お手数ですが、新しくトリップも付けて下さい。咲夜さんと合わない方には
透明アボーンや読み飛ばしで対応もらい、円滑にスレ運営するためです。
その上で何でも訊いて下さい。
>ネットに入れて洗濯機で回せば、お数珠のカビはどうにかなりますでしょうか?
確かカヤでしたね?私ではよく分かりませんので珠数屋や仏壇屋などで聞いて下さい。
修法上は洗ってもシミになって取れなくても問題はありません。
>お施餓鬼のやり方について、質問ですが、極端な話、お供えはうまか棒2本とかじゃ、ダメでしょうか?
餓鬼衆は基本的に湿潤な物しか受用出来ませんので、出来たらそれにコップ一杯の水を添えて下さい。
-
>>104
>できれば夜の実施のほうがいいとか、
そうですね。
朝など日中にやった場合は片付けずに一晩放置しておいてもいいです。
>戸外に出たほうがいいといったことはありますでしょうか?
それもそうです。基本、施餓鬼は戸外でするものです。屋内には位の高い餓鬼衆しか入れません。
便法として、修法が終わった後餓鬼衆向けの供物を屋外に出してしばらく置いておきます。
日中にした場合は前述の通りです。
-
ありがとうございます。
とりあえず取り付けました。
お数珠は梅です。 大丈夫なら洗濯機で回してそのまま使います。
うまか棒は水でふやかしてあげたほうがいいのでしょうか?
ありがとうございます、また後で来ます。
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>>106
なるほど了解です。
ありがとうございました。
-
>>107
>お数珠は梅です。 大丈夫なら洗濯機で回してそのまま使います。
ですから私では物理的に大丈夫かどうか判りませんから、専門家に聞いて下さい。
>うまか棒は水でふやかしてあげたほうがいいのでしょうか?
それではうまか棒的に不味いでしょうから、コップ一杯の水を一緒に添えるだけでいいです。
-
>>64
>仏教の最古の経典であるとされている『スッタ・ニパータ』の中で、
>釈尊は、占星術や呪術的なこがらに関して捨て去れと言っていますね。
>
>>66
>易や呪術に関しては、全否定ではなく「比丘がそれで生活するのが悪い」とおっしゃってます。
>つまり、比丘は托鉢と布施によって生活すべきであり、報酬をもらって何かする比丘はいわば
>「劣化福田」であるのでこれを戒められたのでしょう。
>
視点を変えれば、
密教は古代バラモンの叡智を現代にまで継承してきた価値ある系譜かと思います。
ある意味、ゴータマの教えを守ってきたのです。
『究極に達したヴェーダの達人が祭祀のときに或る(世俗の人の)献供を受けるならば、
その(世俗の)人の(祭祀の行為は)効果をもたらす、とわたくしは説く。』(Sn.458)
『マーガよ。三種の条件を具えた完全な祀りを実行するそのような人は、施与を受けるにふさわしい人々を喜ばせる。
施しの求めに応ずる人が、このように正しく祀りを行うならば、梵天界に生まれる、と、わたくしは説く。』(Sn.509)
『火への供養は祭祀のうちで最上のものである。サーヴィトリー[讃歌]はヴェーダの詩句のうちで最上のものである。
王は人間のうちでは最上の者である。大洋は、諸河川のうちで最上のものである。』(Sn.568)
(「ブッダのことば」スッタニパータ/岩波文庫/中村 元訳)
-
ありがとうございます。
餓鬼衆も美味しいとか美味しくないとかわかるんですか?
じゃあ、うまか棒を10回続けて出されたら、飽きて食べなくなったりするのでしょうか?
たまにはペヤングとか、メニューも考えた方が良さそうですね。。
-
>>110
殊に密教の護摩は、お釈迦様が「木片を焼いても心は清らかにならない」と批判されたのを
大日経で重ねて批判し、ヘーゲル弁証法的に発展させたものだと言えます。
ただ、実際のところランボーが三千座も修してアレなのは、漫然とやるだけでは梵天上生の効果すら
おぼつかないと言うことでしょう。結局密教の場合は「事相と教相は両輪」と言う但し書きが付いてきます。
-
>>111
餓鬼衆は常に飢えてますので飽きたから要らないと言うことはないので、そう言う気遣いは無用です。
ただ、トウモロコシや麦よりも米の方がアジア属性の餓鬼衆には受けが良いと思いますよ。
-
おはようございます。ありがとうございます。
うまか棒より雪の宿の方がいいみたいですね。
また後ほど書き込ませていただきます。
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アボーソ
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>>115
本人にトリップ付けるように頼みましたので、
専用ブラウザを使って透明にするか読み飛ばして下さい。
-
承知
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アボーソ
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>>118
人は人、自分は自分です。
円滑なスレ運営のため、今後は一切そのことに触れないで下さい。
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>>112
>殊に密教の護摩は、お釈迦様が「木片を焼いても心は清らかにならない」と批判されたのを
>大日経で重ねて批判し、ヘーゲル弁証法的に発展させたものだと言えます。
>結局密教の場合は「事相と教相は両輪」と言う但し書きが付いてきます。
まぁ、お釈迦様の仰ったことは倫理的かつ非常に合理的・現実主義的なものですからね。
そのままでは大衆に布教できないと考えた大乗仏教が、土俗の呪術信仰を仏教的な
意味を持たせて吸収し、自己薬籠中のものとしたわけでしょう。
大乗非仏説というのは文献学的には常識となっていますが、信仰の遺産というものは
長い歴史の中で醸成されるものですから、学問的な話とは分けて考える必要があると思います。
宗教学は宗教の分析には必須ですが、宗教学では人を救うことは出来ません。
心理学が心の分析は出来ても、心理療法で救われる精神病患者がほとんどいない事と一緒ですね。
自分にとって何が一番大切なことなのか、それを忘れないことです。
-
>宗教学は宗教の分析には必須ですが、宗教学では人を救うことは出来ません。
>心理学が心の分析は出来ても、心理療法で救われる精神病患者がほとんどいない事と一緒ですね。
本筋からずれていることも承知の上で、決して揚げ足取りのつもりもありませんが、
現場の臨床心理士の立場からは聞き捨てできない例えです。
心理学は分析だけの学問ではなく実践のバックボーンである学問です。宗教学と信仰との関係に対となるものではありません。
どういうつもりで挙げられた例えであるのか、きちんとご説明願います。
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>>121
これは私の主治医から直接聞いた言葉です。「精神医学にあまり期待しないで下さい」と。
私は多くの精神科医や臨床心理士に会いましたが、彼等によれば、統合失調症や人格障害、
また重度の精神病に対して、精神医学や心理学は役に立たないそうです。
そして、人間としての尊厳を大いに傷つけられる言葉を吐かれました。
今、思い出すだけでも、はらわたが煮えくり返る思いです。
そしてこれは私だけの体験ではありません。
今まで沢山の同病者と接してきましたが、精神科医や心理士からの罵詈雑言や心無い言葉によって、
さらに傷を深くしてしまった精神障害者が多いことに驚かされました。
しかし今は、精神医学や心理学はそういう学問なので致し方のないことだと思って諦めています。
-
>>122
なるほど、ありがとうございました。
あなたにはやはり心理療法が必要ですね。
-
>>123
自分達の医療行為で患者を治せないとみるや、
そうやって患者を小バカにして全く反省するところがないから、
日本の精神医療は役立たずとか揶揄されるのだと思いますよ。
散々心理療法を体験してきたけれどそれでも治らないということは、
心理療法は全く役に立たない医療行為であるということですよね。
違うというなら、そうやって相手を茶化すような言い方をするのではなく、
きちんと筋道立てて更なる医療行為が必要なことを説明するべきでしょう。
あなたがどのようなカウンセラーなのか知りませんが、猛省を促したいと思います。
-
>>124
猛省すべきはあなただよ。
他罰
それこそがあなたの病理の根本です。
それを指摘されてもあなたは反発するだけでしょう。
自分で自分の問題に気づくまで、あなたはそうやって今まで受けてきた医師達に他罰的になるだけ。自分を省みることなしに。
自らの問題に自ら気づくことの必要性の理解を促し、その方向に進みゆくことが心理療法であり、カウンセリングです。
カウンセリングで治してもらうといったことがそもそもお門違い。
心理療法は医療行為ではありません。
病気をなおすことでもありません。
例えだすならしっかり勉強してください。
-
>>112
追加訂正。
>殊に密教の護摩は、お釈迦様が「木片を焼いても心は清らかにならない」と批判されたのを
>大日経で重ねて批判し、ヘーゲル弁証法的に発展させたものだと言えます。
↓
お釈迦様が「木片を焼いても心は清らかにならない」と批判されたのを
大日経で重ねて「外道の護摩は火の本質を解ってない」と批判し、ヘーゲル弁証法的に発展させたものだと言えます。
-
>>121-125
この件、私が預からせてもらいます。お互いにレスしないで下さい。
言いたいことは私がうかがいます。
-
>>125
やっぱり言うと思ってた「他罰」。
その言葉をそっくりあなた達にお返し致しましょう(笑)
結局、あなた達はそうやって患者の苦しみを分析して披露するだけ。
役に立たないだけならまだしも、患者に対して「君のような駄目な人間を受け容れる
場所など何処にもない。皆が君を虐めるのは当然です」などという罵詈を浴びせて、
なんら自らを省みることもない。あなた達は所詮、患者を馬鹿にして楽しんでいるだけなのでしょう。
なにしろ相手は弱っている人間だ。言いたい放題やりたい放題。その上法外な料金を請求する。
これを役に立たない医療行為と云わずして何と言いましょうか?そうなると今度は
カウンセリングは医療行為ではない?病気を治すことでもない?
だったら「○○クリニック」などという看板は取り下げることですね。それこそ詐欺ですよ。
やはり心理学は単なる分析だけの学問であり、実社会において役に立つものではないですね。
-
>>127
これは極楽さん、おはようございます。
了解いたしました。修法と関係のない話を長々と申し訳ありませんでした。
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>>124
>自分達の医療行為で患者を治せないとみるや、
>そうやって患者を小バカにして全く反省するところがないから、
奇しくも本スレに社会的弱者を罵りあざ笑う僧侶が居ますが、いい見本です。
宗教と医療の違いはありますが。
ランボーと共にアレもこの流れで肥やしになってるように思えてきます。
-
>>128
>役に立たないだけならまだしも、患者に対して「君のような駄目な人間を受け容れる
>場所など何処にもない。皆が君を虐めるのは当然です」などという罵詈を浴びせて、
>なんら自らを省みることもない。あなた達は所詮、患者を馬鹿にして楽しんでいるだけなのでしょう。
>
>なにしろ相手は弱っている人間だ。言いたい放題やりたい放題。その上法外な料金を請求する。
ただ、それらは確かに9割間違いですが一つだけ、大部分の不愉快な指摘に惑わされて
拒否せずに受け止めて考えたいところがあります。
「虐められたり受け容れてもらえないのは弱いから」
「憎まれっ子世にはばかる」と言う昔からのことわざの通り性格が悪くても強ければ虐められませんし、
能力があればとりあえず利用したいから受け容れてもらえます。
酷い目に合われたことには同情するところですが、それはそれとして
前向きになるための材料として身心強化を考慮されてはいかがでしょうか?
-
>>131
>「憎まれっ子世にはばかる」と言う昔からのことわざの通り性格が悪くても強ければ虐められませんし、
>能力があればとりあえず利用したいから受け容れてもらえます。
全く同感です。どんなに性格が悪くとも、いろいろな意味で強者であれば、
虐められることもないし、必要な存在とされますよね。
>前向きになるための材料として身心強化を考慮されてはいかがでしょうか?
私もそう思いまして、心身の強化のためにいろいろと頑張ってはいるのですが、
その中のひとつとして、読経を続けるというものがあり、そこでこちらのスレを参考にさせてもらっています。
もちろんこれだけでは無理だとは思いますが、自己改善の為の一助となりますでしょうか?
-
アボーソ
-
ほう、
私ももう10年以上の精神科通いですが、
薬物療法での治療は根治にはならないですね。
精神治療の根治は、精神医学ではなく人間実存的なことではないかと思います。
ただ128さん、きちんと説明あったか知りませんが、カウンセリングや心理療法は、医療行為ではないというのは正確ですよ。
ところで極楽さま、
例の修法公開はまだまだ先になりそうですか?
だいたいで結構ですので、いつ頃になるのか教えていただきませんか。
-
>>134
>ただ128さん、きちんと説明あったか知りませんが、カウンセリングや心理療法は、医療行為ではないというのは正確ですよ。
きちんと事前に説明を行なうべきですよね。
医療行為ではないのだから、「これであなたは治ります」などということは言わないことです。
誤解を防ぐためにも、カウンセリング専門の○○クリニック・○○治療院などというのは看板を変えるべきでしょうね。
>精神治療の根治は、精神医学ではなく人間実存的なことではないかと思います。
全く同感です。薬物療法でも心理療法でも本当の治癒は無理でしょうね。
その意味でも、宗教的な問題は大きな意味を持つと思います。
-
アボーソ
-
>>133
>>136
言いたいことがあるなら私が聞きますと言ってるでしょう。
-
>>132
>その中のひとつとして、読経を続けるというものがあり、そこでこちらのスレを参考にさせてもらっています。
>もちろんこれだけでは無理だとは思いますが、自己改善の為の一助となりますでしょうか?
謙六二
これは土の中に山を築くという卦です。土台の中の土台です。家を建てる時に土を掘って捨てコンを
打ち、その上に部屋の形をした縁の下にも見える基礎を造作しますが、その捨てコンのレベルです。
もちろん一助になってますが、どうしても今から土台を築いていくという事になり、
時間がかかるのは免れませんから腰を据えてかかる必要があります。
-
>>134
>だいたいで結構ですので、いつ頃になるのか教えていただきませんか。
最悪二年くらいかかると思っていて下さい。
主だった天部である「十二天」を一通り修するつもりでまだ半分しか出来てません。
十二天外の聖天や弁才天、大黒天なども把握しておきたいし、同時進行でランボー調伏とか
公約した修法も進めておきたいので、申し訳ございませんが近いうちにとは思わないで下さい。
-
>>139
Σ(゚д゚lll)
思い込んでいたのは私の勝手ですが、近いうちにと考えておりました…
-
あと128さん、
だまっておこうかと思ったのですが、今後皆さんと助け合って道を進んで行きたいと考えたのであえてカミングアウトします。
わたし心理士です。
今現在、臨床心理士ではではありませんが
、今年その資格もとるつもりです。現在も精神疾患に苦しみ精神科に職名を隠して通院し服薬してる私がです。おかしな話でしょう?笑
臨床心理士にもいろんな人間がいます。精神科医もしかり。
卵が先か鶏が先か、真摯に心理支援するがゆえに精神疾患を発症する心理士も珍しくないですし、精神疾患を発したがゆえに心理臨床の世界に入った人間もいます。私は後者です。
私自身の問題は私の臨床家としての力量では限界を感じています。先ほど実存的な問題ということを話題にしましたが、私も宗教的な行を通して現状の殻を打破したいと考えこのスレでおせわになっています。
ただ心理学者にもそうした実存的な問題を究極と捉え、そのアプローチに人生を捧げた人もいます。(「夜と霧」の著者、実存主義サイコセラピーのフランクルなど)人の抱える苦悩はそれぞれ。カウンセリングのアプローチもそれぞれ。
128さんの出会われた精神科医と臨床心理士には私も怒りと申し訳なさを強く感じますが、薬物療法としての精神治療アプローチはともかく、苦悩の軽減を目指して心理的アプローチは100パーセント無駄なものではないという考えを少し心の隅においてくだされば幸いです。スレ違いになるのでこれ以上詳しく書きませんが、また機会と時期がくればゆっくり語れるといいですね。それまで、それぞれの信仰と行を頑張って、諦めず生きていきましょうね。(頻繁に折れそうになりますが…)
-
>>140
私も心の予定では近いうちなんですが、どんなイレギュラーがあるか判りませんし、
期待させてまた延ばすのもひどいでしょうし・・・・。
>>142
横から失礼しますが、なるほどそうでしたか。今まで書き込まれた文章見てる限りでは
「大威徳明王の方がいいのでは??」と常々思ってましたが、そう言う職種でしたら軍荼利尊で納得です。
前不動スレ66さんなら相手の痛みが解るいい臨床心理士になれると思います。
-
>>142
すみません、匿名掲示板とはいえ自己開示には抵抗があったもので…もう3年越しですね。
大変厚かましいお願いですが、大威徳明王の方がいいと思われてこと、軍荼利尊で納得されたということ、その辺りの理由など詳しくご説明いただけないでしょうか。
-
>>143
学校に通われてるんだったら智慧系の大威徳明王がいいのではと思ってました。
でも、臨床心理士目指しておられるなら分析で単に人の心を知るよりも「人の痛みを知る」
平等智の軍荼利明王で最適であったと納得した次第です。
>すみません、匿名掲示板とはいえ自己開示には抵抗があったもので…
もちろんそれは全然構わないのです。それに配慮するための易ですし、たまにこういう事もありますと
原理主義者や合理主義者の批判を恐れずに易を用いて行法アドバイスしてて本当に良かったと思います。
-
>>144
>平等智の軍荼利明王で最適であったと納得した次第です。
>
なるほど、そういうことでしたか。
ありがとうございますm(._.)m
しかしなかなか状況が好転しないのが苦しいところであります。
少し上で話題になっていた時に感じましたが、私にはその積んだ功徳が少ないのでしょうね。
-
>>145
私も最近思うんですが、誰でも少ないのじゃないですか?「隣の花は赤い」というヤツで
他人と較べてしまうと、どうしてもそう思えてしまう・・・。
でもまあ、少ないと思うから得ようと思うのも密教の言葉で言えば「大欲」。
お釈迦様も悟りを開いた後でも積極的に「欲された」ものです。
-
>>141
前不動スレ66さん、
いろいろとご心配をおかけして本当に申し訳ありません。
それにしても心理士さんだったとは・・・
前不動スレ66さんのように本当に大変な苦労を重ねてきた方が
臨床心理士さんになられるとは、なんとも心強いというか嬉しい話です(変な言い方ですが・・・)。
前不動スレ66さんならクライアントの痛みがわかるいい心理士さんになれると思います。
これからの道のりも長いと思いますが、是非頑張ってください。
>苦悩の軽減を目指して心理的アプローチは100パーセント無駄なものではない
>という考えを少し心の隅においてくだされば幸いです。
私も今までの経験だけで判断していたきらいがあることを反省しております。
今は薬物療法のみで治療を続けておりますが、もう一度カウンセリングを見直し、
カウンセリングについて勉強して心理療法に再び臨みたいと思います。
いろいろとご親切なアドバイスをいただきまして、本当に有り難うございました。
-
>>138
極楽さん、
昨日は私の所為でご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。
>もちろん一助になってますが、どうしても今から土台を築いていくという事になり、
>時間がかかるのは免れませんから腰を据えてかかる必要があります。
私の方法は極楽さんの勧める密教修法とは少し異なるのですが、
博識な極楽さんのお話をいつも参考にさせていただいております。
読経については、極楽さんの占い通り、地道に腰を据えてやっていくつもりです。
謙六二ならば成果が上がっていないわけでもないみたいですし、安心しました。
今後ともよろしくお願いいたします。
-
極楽金剛さん、はじめまして。
初歩的な質問で申し訳ありませんが、お札の祭り方について少々質問させていただきます。
東京の高尾山薬王院で護摩修行をし祈祷札をいただいたのですが、
そのお札をなるべく丁寧におまつりしたいと考えております。
お花とお線香とお茶などを供えて、毎日お経や御真言を唱えて
法味を捧げるというようなやり方で問題ないでしょうか?
それとも、祈祷札に対してはそこまですることはないでしょうか?
-
>>149
丁寧にお祀りしたいと思う場合、以下の優先順位を努力目標とします。
1. 毎日礼拝。
2. 物のお供え。
3. 法楽。
4. 掃除。
さらに、それぞれの中での努力目標はこうなります。
1.毎日の礼拝は一日の内に、
一回>二回>三回
2.物のお供えは、
閼伽>線香>灯明>飲食>花>塗香
線香と灯明は前後しても構いません。お茶は「飯食」ですので閼伽とは別です。
また、閼伽以外はそれぞれの標幟によって自分で優先順位を決めてもいいでしょう。
替える頻度の努力目標は礼拝の度にです。
3.の法楽は毎日礼拝の内容になります。
手を合わすだけ>五体投地礼>真言を唱える>お経を唱える。
真言を唱える場合は、
慈救呪>小呪>火界呪
お経を唱える場合は、
般若心経>不動経>その他随意
4.掃除も毎日が理想です。なお、物のお供えと掃除を合わせて「お給仕」と言います。
-
>>150
>真言を唱える場合は、
>慈救呪>小呪>火界呪
すいません、高尾山の護摩札はカンマン字だったと思うので不動尊だと思ってましたが、
違うようですね。ここの部分寺院指定の真言でどうぞ。
>お経を唱える場合は、
>般若心経>不動経>その他随意
これも不動経は寺院指定の経典と差し替えます。
-
横からすみません。高尾山の話が出ているので、極楽さんに質問があります。
極楽さんは高尾トンネルの件はご存知でしょうか?
国は高尾山のど真ん中にトンネルを掘り高速道路を通したのですが、
あれによって富士山〜高尾山〜皇居と続く龍脈が断ち切られたという話を聞きます。
この龍脈は東日本の霊的源泉で、非常に大切なものだという話です。
また、龍脈の話は別としても、古代からの真言密教の霊山にトンネルを通すという
行為はとてつもなく恐ろしい話のように思います。あれによって高尾山に見切り
をつけた行者さんや信徒さんも多いという噂を聞きます。
極楽さんがどの地域にお住まいなのか存じ上げませんが、高尾トンネルの件について
行者さん達の間では、実際どのように云われているのでしょうか?
ああいう行為をして日本の国は大丈夫なのでしょうか?
最近の日本で打ち続く自然災害や天候不順も気になります。
高尾トンネルによる高尾山の霊的被害について極楽さんの所感をお聞かせください。
また、ナナスさんやzoneさんもよろしければご意見をお聞かせください。
(オカルトめいた話になって恐縮ですが、よろしくお願いします)
-
>>152
横からスマソ。
滝が枯れたというわけでもないなら、特に問題は無いのでは?
>最近の日本で打ち続く自然災害や天候不順も気になります。
日本は元から自然災害の多い土地柄。
郷土の歴史を紐解けば先人の工夫や努力が窺える箇所があるはずです。
-
>>153
高尾トンネルの件に関して詳しそうな方ですね。行者さんですか?
>滝が枯れたというわけでもないなら、特に問題は無いのでは?
滝が枯れなければ、龍脈に影響はないと判断して良いのですか?
また、あれを機に高尾山から離れた行者さんも多いと聞いたのですが、
それについてはどう思われますか?
-
>>152
龍脈云々については問題ないと思います。
風水とか信じないわけではございませんが、そういう物は所詮「縁」であって、そう言う意味では
大事ですが、仏道修行者が必死になるものではございません。
高尾山ですが、観光客が多いと気にする行者も居ますのでそう言うこともあるのではないですか?
人目を気にすると言うのをはばかるように思える人が龍脈とかにこじつけてるとか。
先日「ヤマノススメ」という山ガールのアニメを見ましたが、本当にあんな感じだったら修行の場としては
ちょっとと思いますよ。
関西で言えば箕面滝が重要な行場だったらしいのですが、今は観光客や猿が多くてとても
落ち着いて行など出来ません。
私の自宅から一番近い滝が、休日は観光客が割と来るところで、夏休み中など十なん組もの家族が
シート広げて飲み食いしてるところを白装束で合掌しながら縫うようにして滝壷に行ったり、
水際で戯れてる幼児にお父さんが「修行しやはるんやから邪魔したらあかんよ」とか言ってたり、
その時は必死でしたから気にしてませんでしたが、今考えると恥ずかしいことこの上ないです。
-
入滝中に通りすがった香具師に写真撮られたこともあったな。関東の行者でもそんなことされたら嫌だろう。
-
>>152
それとか、にちゃんの滝スレでやたら細かく自分のやり方を押しつけてくるおばはん行者のことを
書き込んでる人が居て、あまりうざいので次に遭ったとき慈救呪を唱えて干渉をはね除けたという
書き込みを読んだことがあります。
そう言う本当の意味で「我の強い」行者ばかり集まってるなら、理由を付けて近寄らなくなるのも
仕方ありません。
-
>>155
極楽さん、お返事をいただき有り難うございます。
>風水とか信じないわけではございませんが、そういう物は所詮「縁」であって、そう言う意味では
>大事ですが、仏道修行者が必死になるものではございません。
なるほど、龍脈などの問題は「縁」として捉えるわけですね。
そう考えれば仏道修行者としては、あまり気にすることはありませんね。
>高尾山ですが、観光客が多いと気にする行者も居ますのでそう言うこともあるのではないですか?
>人目を気にすると言うのをはばかるように思える人が龍脈とかにこじつけてるとか
確かに高尾山の場合、観光客がお滝場の写真を撮ったり、また遊び半分で滝行に参加する人達なども
いるようで、そういうことを嫌った行者さん達がいたのかもしれませんね。
>水際で戯れてる幼児にお父さんが「修行しやはるんやから邪魔したらあかんよ」とか言ってたり、
>その時は必死でしたから気にしてませんでしたが、今考えると恥ずかしいことこの上ないです。
でも、そうやって親御さんが「修行の邪魔をしてはいけない」と子供に教えるということは、
関西方面では、まだ宗教や行者さんを大切にする風習がまだ残っているということですよね。
関東だったら、修行してる方が邪魔者扱いされますからね・・・orz
ご回答いただき有り難うございました。
-
>>153
>通りすがりさん
>日本は元から自然災害の多い土地柄。
>郷土の歴史を紐解けば先人の工夫や努力が窺える箇所があるはずです。
最近の異常気象や自然災害は世界レベルで続いていますよね。
「気象は人心の反映である」という古来よりの言葉を信じるならば、
今の時代は何か世界史的な大変動期なのかな?という感じがします。
-
>>159
増えた感はありますね
けれどどうなんでしょうね?!
これだけ人が地球上に溢れかえってこれだけ情報伝達が早くなって・・・となると
それまでは氷山の一角でしかなかった情報も見えるものが増えることによって
今は溢れかえってくると「多く」感じさせるというのもあるのかもしれないです。
私はそういう情報や知識に流されるだけでなく生かせる智恵したいなぁと思う今日この頃かもしれませんが・・・。
すごい駄レスでスレ汚しですみません^^;
-
>>159
>最近の異常気象や自然災害は世界レベルで続いていますよね。
人間の寿命で考えるからそう思えるだけだと思う。
地球にとっては自然な営み。
-
>>160
夏の南極は場所によっては緑に覆われていたりするのですが、
知らない人が見れば「地球温暖化の影響で氷が溶けて草が生えてる!」と
勘違いすると思われ。
-
>>162
所謂、温暖化ビジネス(エコビジネス)ですね。
今の旬は『反原発』やら『領土問題』・・・
これもある程度は煽り立ててビジネス化しようとしているのかな?!とも思えてきてしまいますね。
こんなこと思うのは(あくまでも個人的な観想ですが)本屋に行けば立ち並ぶ自己啓発モノやビジネス書って、
冷めた目で見ると道理や哲学の薄い悪い意味で新興宗教チックorPR広告に思えてしまいます^^;
少しでもより良くの・・・欲もまた必要なのだと思いますが、
変に恐怖をあおったり個人差の大きすぎるどうにもならないモノをいかに売り込むかと
極端すぎるのもどうかなとは思っちゃいます。
その数だけ現実と乖離しているのかなとも思えてきたりもします。
本来の意味とはかけ離れていると思いますが、それらの「中道」を行くのがいいのかなとも。
-
>>163
>これもある程度は煽り立てて
内容そのものより、煽動が嫌なんですよね。
本当に大事なことならじっくり考えさせてくれればいいのに、
考える隙を与えずにああなんだこうなんだと吹き込む。
吹き込まれた方は何がなんだかわからないまま、
そのセンセーショナルな宣伝のままにエキサイトしてしまうという。
(例:神の国発言)
脳の興奮に身を委ねるのは危険な気がする。
-
祈りが無駄だと言ってるわけではありません。
浪分神社という先人の知恵が立証されてるわけですから。
畏怖の念があれば気をつけることはできるわけで。
私たちは日本の神々に対してどのように接すればいいのでしょうか?
経典によっては帰依も礼拝もダメと書かれているようですし、
でも、普通に初詣行ったり、神棚にお供え物したりしてるわけで。
-
>>165
>私たちは日本の神々に対してどのように接すればいいのでしょうか?
一つのモノの見方に過ぎませんが、仏が恩師や恩人とすると神祇は父母と考えてます。
-
>>164
>考える隙を与えずにああなんだこうなんだと吹き込む。
資本主義一直線の世の中ですからねぇ・・・
人々の欲望を煽り立てて、それを軸に世の中を回転させるのが資本主義ですから、
とかく人々は比較され煽られ駆り立てられ商売のタネにされがちですよね。
これから人々は自分の「本当の意思」を感じることが出来なくなる世の中になると、
ある社会学者が指摘していました。
とはいえ、皆が走らされているときにひとりだけ悟り済ましているわけにもいきませんから、
その辺りは己を見失わない程度に自分も一緒に走るより他はありませんね。
>>165
>経典によっては帰依も礼拝もダメと書かれているようですし、
そんなこと書いてある仏教経典があるのですか!?
一神教の聖典ではなくて?
>>166
そういえば極楽さんはキリスト教の神(God)を、仏教の天部の神と考えておられるようですが、
それはどういった根拠に基づくものなのでしょうか?
もし差し支えなければお教えいただけませんか?
-
>>161
>人間の寿命で考えるからそう思えるだけだと思う。
>地球にとっては自然な営み。
大きな目で俯瞰することも大切ですが、
人間の目線で考えることも忘れてはならないと思いますよ。
自分がどういう時代に生きているのかということを自覚するのは、
宗教者といえども常に考えておかなければならないと思いますね。
マクロとミクロの視点を両方持ち合わせることが大切でしょう。
-
>>167
・学問的に水天が聖書の神になったという説がある。
・学問的に雷廷神で括られる。雷廷神のカテゴリは他に帝釈天、ゼウス、玉皇上帝など。
・生天の方法が「信仰」。(仏天では聖天さんなど)
・愛を説く神であって、因縁とかあまり高度なことは説かない。(梵天のレベル)
ざっとこんなところです。
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>>166
社家の家柄の人はまんまそうですね。
社家以外の人でも地縁としてどこかしらの氏子になっているから、
血縁ほどダイレクトな関係ではないけど無関係というわけでもない。
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>>167
マスコミの横暴が酷すぎて話になりません。
枚挙に暇がありませんが、
最近で言えば麻生さんの「喧騒の中で決めるのは宜しくない」という発言が
ナチス礼賛としてすり返られたりとか。
誣告罪ですよ。
>そんなこと書いてある仏教経典があるのですか!?
基本的に天部さんは帰依の対象ではありません。
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>>168
普段から勤行にてお寺さんや在家信者が国家安穏の祈願をしているわけで、
それでダメなら災害に備えるより他に対策の取りようがないと思うのですが。
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こんばんは。失礼ながら取り急ぎ要件のみにて。
護身法についてですが、浄三業は澡浴即ち水による浄化、被甲護身は金剛智火を以てするので火による浄化、とイメージしてよろしいでしょうか。
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>>173
浄三業はそれでもいいですが、被甲護身は智火をもって「防御」するので浄化とは違います。
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早速のお返事ありがとうございます。
なるほど、では西洋の魔術でいうところの火による「聖別」の方が近いのでしょうか。
印の形についてですが、被甲護身は火の形に近いですけど、浄三業の場合は蓮華で水と結びつく感じでしょうか?
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西洋魔術の火による聖別というのは存じませんが、旧約聖書のレビ記に燃えない物は火によって
清めることが出来る云々という記述があるので、それと似たようなものと考えても真言法のお清めは
まったく別物と思っていいです。
基本的に仏教以外の宗教には「心と身体は別物」(名色分離智慧:三学の慧学で最初の智慧)という
考え方が出来なくて物質の延長である霊魂みたいな物を想定してしまい、物質と心を厳密に区別しないせいか
物質の浄化を以て心の浄化にも仮託してるように思われます。
仏教の浄化、殊に護身法の浄化は浄三業だけが浄化で後の三部被甲は文字通り護身です。
そして浄三業によって浄化するのは、
・十悪の罪障(中院)
・差別の心(三憲)
ですのであくまで浄化するのは「心」なのです。
他宗教の物と心の区別してない浄化の概念を護身法に持ち込むのはジュースを水で薄めたり
するようなもので、もったいないと思いますよ。
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>物質の浄化を以て心の浄化にも仮託してる
承前。
じゃあ護摩はどうなんだと言われそうですが、物質を操作する「外護摩」と心の中でする「内護摩」の
二つが相応(理事相応)して初めて成就を得るとするのが真言法の護摩です。
-
>>177
心の話・・・でふと気になったのですが、便乗させていただきます。
以前は宝生如来お授け有難う御座いました。
以前のご指導いただいたとおり細々と続けております。もう何回進んだか分からなくなりましたが^^;
別の行法の後世俗の生活に戻って、ふと、感じたのですが
「客体に対する期待を捨てると楽になるな」と改めて感じたんです。
というのは俗世で生きるとどうしても「何か」に「期待」するわけで、
「〜なりたい・〜なって欲しい」という欲求が、逃避なのか「〜」を得る為に
執着が生まれていく行程は観察できたものの、自分の心ながらどういう法則か分かりませんが
「見返り」的期待を生んでしまう。当然「期待通り」でなければ、「裏切り」だの「怒り」だの「失望」だの
を生むわけですから、その「見返り的期待」を断じてしまう方が善い生き方なのかなと感じたわけです。
以前と同じようにそれを捨てることで心に空虚な「寂しさ」に似た感覚はあるものの、
自分のしなければならないものなどがみえてくる利点もありって、この考え方壁にぶつかると
引っ張り出してきてわ、世俗にまみれ・・・を繰り返しているのも事実だったりしますが・・・。
ここにわざわざ書きましたのは、やはり行法に限らずなのかもしれませんが、
行法(次第を用いて修する所謂修法など)にも通じるモノなのかな?と思えた次第です。
どうなんでしょう?!
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>>178
いやいや、それは立派な道果ですよ。
仏教用語としての「妄想」や所知障の働きを実地で気が付いたわけです。
妄想に振り回されない分心が自由になって楽になるわけです。
妄想に捕らわれない分いろんな物が見えてより良い判断が出来るようになったのです。
>ここにわざわざ書きましたのは、やはり行法に限らずなのかもしれませんが、
>行法(次第を用いて修する所謂修法など)にも通じるモノなのかな?と思えた次第です。
このような「道果」があったか無かったかで行法の良し悪し正誤が判断できます。
殊には無師で修行する際には重要な判断材料になります。
俗世のご利益がいくらあってもそう言う道果が一つもない行法は「外法」と断ぜられ、
そう言う修法を続けてると終いには功徳を損ねたり使い果たしたりしてせっかく人間として
生まれてきたのに虚しく功徳を浪費し、来世からは悪趣に生じて次はいつ人間に生まれるか
分からないなんてことにもなりかねません。
-
ありがとうございます。
なるほど、文字通り「内心の澡浴」ということですね。
以下の浄三業に関する論文を見ると(p42)この印明が物理的な澡浴の代わりとなると取れる儀軌も複数あるようですが、むしろ塗香が物理的澡浴の代わりとなると考えればよいでしょうか?
http://www.koyasan-u.ac.jp/mikkyobunka/blog/documents/kiyo10/10_sato.pdf
そういえば、護身法の前の塗香というのは必須の作法なのでしょうか。行法最後の浄三業抜きの際は、改めて塗香することはないと承知しておりますが。
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>>180
塗香は澡浴みたいに洗い流すものではなく上書きする物であり、厳密には「荘厳」であるので、
澡浴の代用とするには浄三業より遠くなる感じです。
それと、行法の初頭に於いては塗香は必須です。行法中にもけがれたと思えば観想無しで
塗りなさいとされています。私も我慢できなくて小鼻を掻いたとか、護摩中におしぼりを
使った後などに用いることがあります。
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宝部と業部は護身法ではスルーされてるのは何故でしょうか?
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>>182
◎一番身も蓋もない答えですが、護身法が確立された頃には金剛界五部が揃ってなかったのでしょう。
◎五部を当てはめる場合は、
・浄三業が宝部、被甲護身が羯磨部(我宝伝)
・浄三業が仏部、仏部三昧耶が宝部、被甲護身が羯磨部(仁海伝)
◎全部を三部で括る場合は、
・浄三業が仏部
・三部三昧耶が蓮華部
・被甲護身が金剛部
このようになります。
浄三業に関して「澡浴」の話が出ていますが、実際の観想の文脈は「勝義の澡浴」と観想します。
「勝義」とは、中観の白眉で第一義とも言って彼我の区別が一切無くなった涅槃の境地に於ける
平等の三昧です。また、三憲の観想も彼我の迷いから来る差別の心に気付かせます。
こう言った平等の三昧が宝部の平等性智と対応します。また、涅槃の境地に通じるのだから
浄三業が仏部とする説も理解できると思われます。
-
>>169
>>167です。
極楽さん、お礼が遅くなりまして申し訳ありません。
ご回答いただき有り難うございます。
参考になる情報を教えていただき感謝申し上げます。
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>>179
所知障の体感、道果と受け止めていいんですね。
「あぁ、そうなのか」とやや嬉しくもあり「いやいや精進々々」という気持ちもあり、自分自身の慢心を恐れて
ご返信遅くなって申し訳ありません。
選んで頂いたときに宝生仏の「功徳」を調べてそれを祈願文としていたので色々腑に落ちた次第です。
ただ、余りに玄妙すぎてすぐとらわれ始めるので(そういう環境なので)
「我慢」に気をつけて宝生仏の功徳にあやかろうと思います。
細々とでも続けていこうと思います。
ところで、以前ふと行で疑問に思った(というよりそう感じた)のですが、極楽金剛さまの次第の意図は
自らがその受け取る器(受容身?)となって師(佛)に教えを請う行と感じましたがどうなのでしょうか?
だからこそ、十八道の三回の本尊加持が不要であるのかと思った次第です。
ならば余計、最後に示して頂いた護身法(正式なもの)と偶にランバン加持、本尊真言、念誦法・・・・
と言う次第で余計なもの一切を取り除くのもありというのが納得した次第です。
(体長の加減もありましたが)
それから、護身法の話をされているところで、私も丁度タイミングよく護身法について
中川善教先生や大山公淳先生の著書にあたって調べていたりしたので、
色々「なるほど」と納得する部分があります。余談ですがこういう著書が何故か手の入ることが多く
これも御縁なのかもしれないなぁと思っています。
最後についでで、護身法ですが三重護身法を紹介されていますが、実のところ金剛界・胎蔵生いずれも
形だけ習っておりまして次第には(金剛界法では省かれておりますが)元々観想の
ないのもありますが多少の口伝もあり、印明観想のあるものはそれに従う形でもよろしいのでしょうか?
沢山の質問で申し訳ありません。
-
>>185
>極楽金剛さまの次第の意図は
>自らがその受け取る器(受容身?)となって師(佛)に教えを請う行と感じましたがどうなのでしょうか?
え?ですから初めて公開したときからそう申してますが?
http://vidyaraja.wiki.fc2.com/wiki/%E4%B8%AD%E7%B4%9A%E8%80%85%E5%90%91%E3%81%91%E5%BF%B5%E8%AA%A6%E6%AC%A1%E7%AC%AC%E8%A7%A3%E8%AA%AC
(本尊加持の項目)
私に一言も相談せず、マニュアルだけ見て行をする人を想定してますから、
何らかの安全弁を設けるため、本尊加持を公開しました。
>余談ですがこういう著書が何故か手の入ることが多く
>これも御縁なのかもしれないなぁと思っています。
宝生仏や虚空蔵菩薩など宝部尊の功徳です。
私の知識も虚空蔵様の功徳によるものが大きいです。欲しかったのはお金でしたがw
>金剛界・胎蔵生いずれも
>形だけ習っておりまして次第には(金剛界法では省かれておりますが)元々観想の
>ないのもありますが多少の口伝もあり、印明観想のあるものはそれに従う形でもよろしいのでしょうか?
ええ、ちゃんとご存じなら用いてください。
しかし、金剛界の護身法の観想習いませんでした?常の護身法に較べるとごくシンプルな観想で、
確かに次第を一瞥しただけでは作法の説明のように思える、日本人には漢文がなんとなく解るもんですから
きっちり確認して把握することなく一瞥しただけでは観想が省いてあるように見えますが、どうです?
ただ、観想の長い方で正念誦など最後に「まくのみ(而已)」と、あるのをそこまで読むらしいので、
伝にブレがあるらしいのですが。
-
>>186
いやはや何ともお恥ずかしいw
確かに書いてあって言葉の上では理解していても、改めて書いてみると同じことなのに、
読み聞きしていることを本当に理解できるのは体験によるんですね。
それとも単に私が理解力がないのか。それか・・・その両方ですね^^;スミマセン
お金ですか・・・そうなると・・・・天部?!。天部で思うのですが、楽しみにしています。
宝部や如意宝珠からは・・・実際に役立つ智恵+α=宝生なのですかね。
>常の護身法に較べるとごくシンプルな観想で
実のところ20〜25年以上の前のことでもあり、若かりし私は今よりずっと理解力に乏しく・・・
(ぴんとくるかもしれませんが新興宗教でした)、社会人となって一旦捨てて、
改めて佛教を学び直そうと思ったのがこの5〜6年前からです。
その際に過去の「新興宗教の一切を捨てたい」思いがあったんでしょうが、
先の火災でその次第をきれい本当にさっぱり焼いてしまったのでした。
ヒントを元に振り絞って思い出すと確かに「シンプルな観想」であったと思うのですが、
昔のことで更には手元に次第や手記はないので自信がないのも事実です。
(今手元にあるのはその書かれていない方なのです)
而已=「〜ただそれだけ」と訳せるだけですが、本当にその中身を理解するのは、大変ですね^^;
-
あらためてであった師には過去の捨てたかった記憶を上書きして頂いたというのもあります。
なのでとっても貴重でした。・・・と今思うととても貴重なんだなと思います。
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>>187
では、金剛界の護身法はもう観想無しでやって下さい。
金剛界護身法は、実は儀軌は一つしかないのですが、何故か各流派の次第で相違が出てるので
これという観想はお出しできません。
ところで178さんは、前スレで三種真言などは時期尚早とか申した方ですか?
-
初心者です。教えてください。
観音様を拝む場合は聖観音様じゃなきゃダメですか?
他の7観音様でも良いですか?
その場合は観音経お唱えで良いでしょうか?
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>>189
178です
>ところで178さんは、前スレで三種真言などは時期尚早とか申した方ですか?
大変失礼いたしました。仰られるとおり、前スレでの817です
七支や十八道は時期尚早とのことで、護身法を知っているならばとのことで
本尊加持と念誦を中心にしておりましたが、その後、体力(精神?神経?)の消耗が激しかった為、
再度「剥六二」で「これは土台が不安定で成長がついて行かないと言う卦です。」と頂きまして、
休みながらのんびりと続けて、最近やっと護身法+中級次第で続けております。
残っている過去ログみていたら、そういえば。。。。半年(5ヶ月)近く経ったわけでした。。。
偶にお供物のお供えなどの時は洒水・加持供物も入れてはいますが、
基本の中級次第は崩さないようにしております。
三重護身を考えたのは、宝生仏での念誦ではなく、ただ坐る時の時などでこだわらない時で
且つ不安定な時に使わせて頂いている(いただこう)と思っております。
>これという観想はお出しできません。
はい、それは申し訳ないので大丈夫です。
既に、上記で「漢文」と仰られたのを思いだし先日より調べまして
大虚空藏菩薩念誦法など(仰っている儀軌はこれでしょうか)を調べてなるほど、
仰るとおりだったように思いました。
ただ、浄身と差し替わってサイトのページ記載の浄三業は次第に入ってなかった記憶があります
(以前のは中院ではなく名目上三憲だったかと思われます)。
-
>>190
はい、聖観音様でなくても、どちらの観音様から入っていっても結構です。
お経は、今まで何も読んだことが無いというなら、「延命十句観音経」からどうぞ。
慣れてきて流暢に読めるようになったら、般若心経、観音経偈、長行を含めた観音経という
具合に増広していきます。
-
>>191
824
メモ
三種 夬九二
二種 大有九三
一種 大畜六五
単独 益六二
四明 家人初九
9/17
予六五
進无妄初九
退頤六二
そうですねえ、行の頻度や量はそのままで、三昧耶会の真言も用いて下さい。
印相は両方とも外縛中指宝形の印で。
バザラ キジャナウ タラク。
>大虚空藏菩薩念誦法など(仰っている儀軌はこれでしょうか)を調べてなるほど、
そうです。金剛界護身法の儀軌は初会金剛頂とかでなく大虚空藏菩薩念誦法一つなのですが、
何故か法流によって少しずつ違うのです・・・。
-
>>192
アドバイス有難う御座います。それから女性に霊験のある観音様となるとどの観音様がオススメでしょうか?
-
>>194
ちょっとそれだけではピンと来ません。
もうちょっと期待したい事を絞っていただかなくては。
漠然と女性に霊験があるというのは観音様ではなく普賢菩薩とされています。
-
便乗ですが、十句観音経を読む前に開経偈や経題(「じっくかんのんぎょー」、かんぜーおんなーむーぶつ…といった感じで)は必要ですか?正式な経典ではない場合上記二種は不要な気がするのですが、不心得でしょうか。
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>>196
した方が丁寧だと思いますよ。
スマ師の本に触発されて、私も般若心経の解説をしようと思ってます。
殊には、心経の読誦や写経によってどうして功徳が生じるのかを詳しく説明しようと思いますが、
その構造は、「延命十句観音経」が功徳を生じる構造と同じなのです。今は詳しく述べませんが。
白隠禅師が擬経と知った上で「仏が説こうと戯作者が作ろうと功徳はあるんだから」と
宣揚されたのも、むべなるかなと思ってます。
-
そんな凄い経典を正式な経典扱いしないのはどうか?と。
-
成る程。ありがとうございました。
もう少し経題の件でお聞きしたいのですが、「延命」の部分は不要でしょうか。付けると何となく効験が長寿に限定されるように思えるのですが。
あと短い擬経として、舎利礼の場合はどうでしょう。同様に冒頭「しゃりらいー、いっしんちょうらい…」とやる方がいいですか?
-
>>199
>効験が長寿に限定されるように思える
まあ、そう思えて仕方ないのならそれでもいいと思いますけど。
舎利礼とかも、私は基本お唱えするとき据わりの良さとか重視します。延命などの句も
「せめて預流果に至るまで死ぬわけにはいかない」とか、そう言う風に捉えて脳内を整理します。
-
>>193
178です
ありがとうございます
羯磨会の後に額加持で3〜4遍追加で散念誦は羯磨会真言のみでよいでしょうか
あとこちらは帰命句はなくてよいのでしたでしょうか
早速加えようと思います。
-
>>201
>羯磨会の後に額加持で3〜4遍追加で散念誦は羯磨会真言のみでよいでしょうか
額加持と言うのは四処加持の事ですか?そう言うことで話を進めますが、
その通りでいいです。散念誦も当分は要りません。
>あとこちらは帰命句はなくてよいのでしたでしょうか
要りません。次第によってはオンを加えてるものもありますが、実際にやってみると
帰命の句無しの方が集中できて三昧には入りやすいのです。
-
延命十句観音経について極楽さんのご見解をお尋ねします。
まず、「仏法僧縁」と「仏法相縁」の二伝があるようですがどちらが
正しいと思われますか。
また「常楽我浄」を「つねにわれのきよきをねがふ」と「楽」の字を
「ねがふ」と訓じたのを見かけたことがありますがどうでしょう。
「仏法僧(の三宝)は常楽我浄(の四徳)と縁せしむ」あたりが妥当かと
個人的には思っておりますが。
-
>>203
>まず、「仏法僧縁」と「仏法相縁」の二伝があるようですがどちらが
>正しいと思われますか。
文献学的には「仏法相縁」の方が正しいようですが、どちらでも決定的に違うわけではありませんから
どちらでもいいでしょう。
「仏法相縁」だと、相≒正しくと言う感じですね。日本人であれば三宝に縁がないという人は
まず居ませんが、「相縁」となると限られてきますね。また、「御仏とダルマ」ではなく
「仏法、すなわちダルマ単独」と言う解釈も出来そうですね。
大乗の理想としては「仏法僧縁」でしょうか。「仏法相縁」も冷静で現実的ですね。
何でもいいから三宝に縁があれば未来のいずれかで救われるのか、やはりちゃんと修行しないと
無理なのか。私的にはその時々でいずれかにぶれますが、未だに答えは出ていません。
今の気持ちなら「仏法僧縁」です。
>「仏法僧(の三宝)は常楽我浄(の四徳)と縁せしむ」あたりが妥当かと
>個人的には思っておりますが。
これは私もそう思います。これを涅槃の四徳と捉えるからこそ読誦書写が「法供養」になり、
功徳が生じるのですから、凡夫のレベルに貶したらあかんでしょう。
-
先月25日のにちゃんねる個人情報流出事故の件で。
私は関係ないと思っていたのですが、トリップ情報なども流出してるらしいので
2013/09/21(土) 15:08:07.67を以てこのトリップに変更します。
-
護身法の観想は必ず唱えるものなのですか?
-
初心〜已達の内はそうした方がいいでしょう。
-
便乗ですが、観想を唱えるのは印明の所作の「後」なのですよね?
前に読むならその内容が頭の中にしばらくは残るので、その後印を
結びつつ真言を唱えれば結果として初心者でも幾分は三密揃う形に
なるように思われます。然るに、後に読む形だと印・真言と観想が
切り離されてしまうような気がします。
あと、護身法はその前に三密観があってこそ十全に効力を発揮する、
との説を知りました。これがないとダメなものなのでしょうか。
-
極楽金剛様
ありがとうございます。
もう一つお聞きしたいのですが、
真言の後に観想、もしくは、観想の後に真言と流派によって違うのですが、どちらが正しいとかはあるのでしょうか?
-
>>208-209
だいたい弘法大師の頃は「印明→観想」だったそうです。それが江戸時代以降「観想→印明」と
指導する阿闍梨が主流になったそうです。
>前に読むならその内容が頭の中にしばらくは残るので、その後印を
>結びつつ真言を唱えれば結果として初心者でも幾分は三密揃う形に
>なるように思われます。然るに、後に読む形だと印・真言と観想が
>切り離されてしまうような気がします。
私もそう思います。しかし、実際のところはどうでもいいようです。
三密揃うと絶大だけど、揃わないとダメと言うことではないからです。
現行の三憲の護摩は「印明→敬白→観想」という順番です。
法力を引き出すのに特化してると言う三憲でこれですから。
>あと、護身法はその前に三密観があってこそ十全に効力を発揮する、
>との説を知りました。これがないとダメなものなのでしょうか。
ダメとは思いませんが、三憲など浄三業が差別の迷いを打ち破る観想を用いる作法では
罪障消滅に弱いからまあやれば完璧だと思いますが。
私は普段三憲に近い作法で護身法を修しますが、
最近の場合ですと日に六〜七回修する内三密観を修するのは二〜三回です。
-
>>210
>実際のところはどうでもいいようです。
>三密揃うと絶大だけど、揃わないとダメと言うことではないからです。
承前
だから観想も印相も無い真言行を公開しています。
また、消災呪なども最初から印相も観想もありませんね。
-
>>208さんと同時刻に同じような質問にびっくりしました。
極楽金剛様
ご教示ありがとうございます。
とてもスッキリしました。
これからもっと精進します。
-
たびたびすみません。
護身法を使った後は、護身法を解かないといけないのでしょうか?
台密の護身法では、浄三業を除く三部三昧耶と被甲護身で解くらしいのですが、
そもそも台密の護身法は、東密のそれと同じように印明に加え観想も唱えるのですかね?
回峰行者の護身法を見たのですが、真言はそれぞれ3回唱え観想はありませんでした。
-
>>213
>護身法を使った後は、護身法を解かないといけないのでしょうか?
必要ないです。避難所初スレの888以降にその話題が出ておりますのでご参考までに。
また、そう言う流派もあるようですが、それに対する意見は避難所初スレ907で述べました。
>回峰行者の護身法を見たのですが、真言はそれぞれ3回唱え観想はありませんでした。
そもそも観想は「観想」するものですから唱えるものではございません。
脳内を誘導する手段として口先で唱えるのです。
-
極楽金剛様
教えていただきありがとうございました。
まだ質問したいことがございますが、これ以上は失礼かと思いますので、また日を改めてお願いいたします。
-
>>215
>まだ質問したいことがございますが、これ以上は失礼かと思いますので、また日を改めてお願いいたします。
それはいいのですよ。なのごとも疑問点ははっきりさせておかねばなりません。
でもまあ整理してから訊いてくれる方が助かります。
-
お尋ねします
ネットで覚えた護身法をとなえるのは危険ですか?
-
危険と言うことはありませんが、いくつかの問題はあります。
・間違いや抜けがあるかもしれない。
・そうでなくても、ちゃんと伝わってるか確認できない。
・印相はまず無理。
でもまあ効果が無いという程度で危険などはありません。
危険があるとすれば、
効果のない護身法をあてにしてしまって、危険な鬼神や餓鬼霊に接することでしょう。
-
極楽金剛様 こんにちは。
お寺に行っていろんなお堂を巡ってお経を唱える際、
お経を唱える前に毎回護身法はやったほうがいいのでしょうか?
宜しくお願いします。
-
すみません私からも。
護身法で印明を修する際は無心で、その後観想文を唱える際は特に
何かイメージを視覚化することもなく観想文の言葉に集中するだけで
一般在家としては十分でしょうか。加えて、加持が効いていることが
素人でもわかる何らかの目安みたいなものはございますか?
最後に1つだけ、これは伝授頂いた際に特に注意された記憶がない
のですが、各印を結ぶ位置は一貫して胸のあたりでよいのですか?
金剛部が少々不自然に肘を横に張る形になるのですが。。。
-
>>219
毎回する方が丁寧ですね。
>>220
>何かイメージを視覚化することもなく観想文の言葉に集中するだけで
それだけでもいいと思います。
密教の世界は時代が下がってから成立したので膨大ですから、理想を言うと
切りがないので、その辺はまあ各人で考え取捨する努力目標と言うことです。
>加持が効いていることが
>素人でもわかる何らかの目安みたいなものはございますか?
修すると身体に温感がするという人が多いですね。反対に清涼感がすると言う人もいますが、
素人と言うよりは二三年続けてる中堅以上の人ですね。
ただし、日に一回しか修しないような人であって、日に何回も修する人はなりません。また、
しばらく行をしなくて三日ぶりぐらいに修したら強く感じたりしますので、むしろ加持が抜けた状態の
時の方が強く体感があると言うことです。
ですから、結論としてはあまりそう言うことにとらわれるのは、ばかばかしいと言うことになります。
師伝された護身法なら先ず間違いはないから、効いてることを信じて下さい。
>各印を結ぶ位置は一貫して胸のあたりでよいのですか?
>金剛部が少々不自然に肘を横に張る形になるのですが。。。
それは師僧に質して下さい。確かに「定印」のようにする伝もあるようですから。
>金剛部が少々不自然に肘を横に張る形になるのですが。。。
そうですかねえ?今から言うのは法とは無関係な話しですが、
肩凝りとか首筋の筋肉が張ってるとかで違和感を感じると言うことはないですか?
-
今更な質問ですが、塗香は必須として含香はどうでしょうか?
こちらは昔結縁潅頂を受けて以来、丁字を用いてますが。
-
>>222
含香については特に聞きません。塗香などは戒清浄などの標幟がありますが、含香には
特にないので重要視されてないようです。灌頂など特別な儀式には必須ですが、
常の行法には用いればより丁寧という感じです。
丁字が普通ですが、経典には赤蓮華などもあります。
-
ご縁あって1ヶ月ほど前から不動明王の真言をひたすら唱えています。
家には仏壇がないので、天台の非行非坐三昧の歩行禅のように仕事が休みの日にはずっと歩きながら真言を唱えています。
真言を唱えている時、どのような観想をすればいいのでしょうか?
不動明王のお姿か、もしくは護摩の炎をイメージすればいいのでしょうか?
-
>>224
>真言を唱えている時、どのような観想をすればいいのでしょうか?
>不動明王のお姿か、もしくは護摩の炎をイメージすればいいのでしょうか?
どちらでもやりやすいようにすればいいのです。他にも種字を観じたり、剣、剣と羂索、
尊容を観じる場合でも進んでは二大童子付きや曼陀羅で観じたりとか。
以上一般論。
以下個別論。
晋六三
これは向上心があって下の人も助けてくれるという卦です。
あなたの場合お姿でいいんじゃないですか?そしてだんだん二大童子を従えられたお姿、
八大童子を従えられたお姿、金剛界曼陀羅と言うように進めていくのもいいでしょう。
-
ありがとうございます。
お姿を想うのは、青不動などの仏画でもいいでしょうか?
朝、晩に勤行のようなものも我流ながらやっていまして
・懺悔文
・開経偈
・般若心経
・聖不動経
・不動明王中呪(朝七遍、夜百八遍)
・光明真言 三遍
※真言の発音は天台宗のものです
・祈願(夜は一日のお礼)
・法華成仏偈
以上なのですけど、全部ネットから探したもので、これでも不動明王に気持ちが届きますでしょうか?
これも入れたほうがいいものがあったら教えて下さい。
護身法もやりたいのですが、まだ師僧に縁がありませんので、簡易護身法か三重護身法を入れてみようかと思っています。これらは本来の護身法と同じ効果はありますでしょうか?
不動明王の小呪と大呪の天台宗の発音をご存知でしたら教えて下さい。
質問ばかりで申し訳ありません。。。
-
>>226
>お姿を想うのは、青不動などの仏画でもいいでしょうか?
はい。そもそも密教の場合、尊像は観想のための法具という意味合いもあるのです。
>以上なのですけど、全部ネットから探したもので、これでも不動明王に気持ちが届きますでしょうか?
>これも入れたほうがいいものがあったら教えて下さい。
特に問題はありませんが、懺悔文と開経偈の間に「発菩提心」と「三昧耶戒」を入れるとより良いと思います。
>護身法もやりたいのですが、まだ師僧に縁がありませんので、簡易護身法か三重護身法を入れてみようかと思っています。これらは本来の護身法と同じ効果はありますでしょうか?
まあ2/3ぐらいは。真言は印と観想が伴って三密揃って万全だとか、印と観想が無ければ
無意味だとまで言う人もいますが、実際のところは真言が一番比重があるのです。
>不動明王の小呪と大呪の天台宗の発音をご存知でしたら教えて下さい。
申し訳ないですが天台の法はよく存じません。
>質問ばかりで申し訳ありません。。。
それは構わないのです。むしろキッチリ把握するまで、疑問を解消できるまで質問しなければなりません。
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ありがとうございます。
天台の読み方は濁音が少ないので、優しく唱えられるので全部天台読みでいきたいですが、真言宗より伝法が厳しいせいかあまりネットでは散見できません。
簡易護身法なのですが、加持力を十分いただきたいので不動明王中呪を五処加持で二遍ずつ計十遍でも大丈夫でしょうか。
勤行の次第に、最初に普礼真言三遍、最後に一遍。般若心経は読み始めたばかりで、ゆっくり読んでも間違えるので光明真言の後に大金剛輪陀羅尼一遍を追加しても大丈夫でしょうか?
先日護摩を受けて紙札をいただいたのですが、祈念するさいに合掌の手の中に包み込んで心願成就を祈ってますが問題ないでしょうか?
お経や真言を唱える時は目の前においています。
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>>228
>簡易護身法なのですが、加持力を十分いただきたいので不動明王中呪を五処加持で二遍ずつ計十遍でも大丈夫でしょうか。
するのであれば、
・集中する、集中力を籠めて行ずる。
・規定の作法を複数回行う。
>勤行の次第に、最初に普礼真言三遍、最後に一遍。般若心経は読み始めたばかりで、ゆっくり読んでも間違えるので光明真言の後に大金剛輪陀羅尼一遍を追加しても大丈夫でしょうか?
構いません。
>先日護摩を受けて紙札をいただいたのですが、祈念するさいに合掌の手の中に包み込んで心願成就を祈ってますが問題ないでしょうか?
>お経や真言を唱える時は目の前においています。
それはお札を受けられた寺院でお訊き下さい。そういう使い方は想定してない所では
よくないと言う所もあると思います。
行や信仰を始めた頃は、お力を戴きたくて仕方ないから色々強引なことをやりがちですが、
結局一番お力をいただけるのは細く長く続けることです。
しかし、はやる心を菩提心に転換出来れば効率がいいというかエネルギーが無駄になりませんね。
そう言う場合のエネルギーの向け先、向け方として、
・集中する、集中力を籠めて行ずる。
・忙しいときでも出来るよう規定した作法を複数回行う。
のがいいと思いますよ。
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ありがとうございます。
まずはお加持を受けるために集中してこの勤行次第と、外にいるときは不動明王の真言をひたすら唱えることを自分のルールとして怠らず続けます。
大金剛輪陀羅尼を覚えようとネットで探したのですが、
・しっちりや じびきゃなん たたぎゃなん
・しっちりや ちびきゃなん たたぎゃたなん
・しっちりや じびぎゃなん さらばたたぎゃたなん
発音が違うのは分かるのですが、「さらば」、たたぎゃ「た」なん
と抜けてたりするものがありますが、どれを覚えたらいいでしょうか?
天台宗式のお数珠を購入したのですが、お数珠には開眼というか魂入れなどの作法は必要でしょうか?
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>>230
>・しっちりや じびぎゃなん さらばたたぎゃたなん
天台や三憲はこちらですので、天台にあわせたいのならこちらでしょう。
>天台宗式のお数珠を購入したのですが、お数珠には開眼というか魂入れなどの作法は必要でしょうか?
ご縁があれば、するに越したことはないでしょう。必ずしもというものではありません。
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ありがとうございます。
不動明王の真言を唱えてから、人間関係が徐々に良くなったり、自分の怠惰で放置していた課題を今すぐやれと言わんばかりに気付かせてもらっています。
もっと精進して、不動明王の慈悲を感じたいと思います。
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教えてください。本尊の脇仏として神仏をお祀りする場合は左右どちらでも構いませんか?どちらかが尊格が上とかありますか?
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>>233
伝統的には右側(向かって左)が尊位とされてますが、スペースの都合があるとか
見た目的に向かって左は尊べない感じだとかなら、どちらでも構いません。
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>>234
有り難う御座います!
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虚空蔵菩薩真言のオンバザラアラタンノウの後はウンが良いのかオンタラクソワカが良いのかそれとも使い分けがあるのですか
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>>236
事相上「ウン」を多く用います。私も今のところ虚空蔵菩薩単独でアドバイスしたことはありませんが、
「ウン」の方をお奨めしています。「オンタラクソワカ」は実は典拠が明らかでないので感得と思われます。
使い分けは、「オンタラクソワカ」の方が大勢で唱和するときなど据わりがよいですね。
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>>237
有難うございます
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>>202
いつも有難う御座います。
178(前スレでの817)です。
まだ、心は微妙ながらもそれなりに良いタイミングで物事が廻ったりと恩恵もあり、
それでも最近は確かに座に坐れない時は2〜3日置きに可能なら毎日という具合に
次第に則ってのんびり続けております。
次第について以下を付け加えても良いでしょうか。
1.発菩提心、三昧耶戒の後(若しくは前)に五大願(一旦置珠するのに)
2.普供養に観想(つい入れてしまうので常用化してしまっています)
3.後の三力
1については恐らく後の方がしっくりいくようで作法通りに続けていく上でもよいように思い
入れてみましたところ、定に入りやすかったです。
2〜3は慣れもあってそちらがやりやすさがあったのでと言う感じです。
より丁寧かとも思うのですがいかがでしょうか。
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>>239
後、ついでで申し訳ありませんが、読経等に理趣経を抽出して唱えるなどはよいものでしょうか。
以前は手解きを受けて、全段唱えておりましたが行じ始めてからかれこれ読む時間が無く、
流石に時間の限りもあるのでそう思った次第です。
聞いた話で申し訳ありませんが法要など序説〜初段、間を飛ばして十六段から最後の様な読み方をするなど
聞いたことがあります。
例えば宝生仏なら恐らく六段を加えて
序説〜初段、六段、十六段〜最後の様な形で読経を入れてもいいものでしょうか。
普段は、あまり入れませんが、時間に余裕があれば般若心経か百字偈などを入れることもあります。
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>>239
節初九
これは時期尚早を知って進まないと言う卦です。
手慣れた作法だからストレスが少ないし、やるに越したことはないだろうと言う気持ちは解ります。
でもあなたの場合、以前の卦も総合して何かとにかく急進はダメという感触があります。
出来るだけ簡素な作法で、毎日出来るようになるのを目指した方がいいと思います。
>>240
般若理趣経を略して読む場合は初段か百字偈を用います。法要などの場合は尺の関係で
そう言う調整をすることがありますが、あまり如法とは言えません。
以上一般論
以下個別論
未済初六
これも時期尚早という感じです。しばらくは控えた方がいいと思います。
>次第に則ってのんびり続けております。
その余裕でもっと内容を増やしたいように思うのは分かりますが、
当面の目標は「簡略な作法のまま日課になる」ようの方向で努力されることをお奨めします。
-
>>224です。お世話になってます。
ずっと祈り続けていまして、今までとは違った感覚になっています。
世俗的なご利益を得たいために不動信仰を始めましたが、お願い事は二の次になっており、祈っている最中は漠然と菩提心というかただただ何かを悟りたいという気持ちになっています。
お願い事の叶う叶わないではなく、この祈りを続けた先に何が待っているのかという期待で祈っています。
こういった願望にない漠然とした祈りでも不動明王に気持ちは届きますか?
勤行次第に発菩提心の真言を入れました。この真言を唱えるときは無心で唱えても大丈夫でしょうか?
なにかこういった観想をしたほうがベターだというのがあれば教えて下さい。
12月に比叡山に参詣しようと思っておりついでに大阪に行く予定です。
そこで真言宗の阿闍梨から護身法を伝授された在家の人が8000円で護身法を教えてくれるというセミナーみたいなのがあります。
この方は調べた限りでは四度加行を受けてない普通の在家です。
この方から護身法を学んでも、きちんと護身法を伝授されたことになりますか?
-
>>242
>ずっと祈り続けていまして、今までとは違った感覚になっています。
>世俗的なご利益を得たいために不動信仰を始めましたが、お願い事は二の次になっており、祈っている最中は漠然と菩提心というかただただ何かを悟りたいという気持ちになっています。
>お願い事の叶う叶わないではなく、この祈りを続けた先に何が待っているのかという期待で祈っています。
>こういった願望にない漠然とした祈りでも不動明王に気持ちは届きますか?
いやもうそれは届くも届かないも、「お不動様の説法」をお聞きになってる結果です。
信仰としての仏教の理想的なあり方の一つです。本来は信仰ではない仏教が信仰のシステムによって
道果を得せしむのが大乗仏教の修行と言うものですが、実にこういった方法で菩提に進趣するのです。
これからも頑張ってください。
>勤行次第に発菩提心の真言を入れました。この真言を唱えるときは無心で唱えても大丈夫でしょうか?
>なにかこういった観想をしたほうがベターだというのがあれば教えて下さい。
無心でいいですよ。観想をするつもりなら、菩提心の内容である「普賢十大願」などの内容を
普段少しずつでも勉強したり考えたりしてみるのがいいでしょう。
>この方から護身法を学んでも、きちんと護身法を伝授されたことになりますか?
う〜ん、それだけの情報では何とも。「阿闍梨」というのは、少なくとも2人の阿闍梨によって
伝授した内容が正しく伝わってることを証明してもらうことによってなれるものですから、
阿闍梨の資格のない人はそう言うチェックがされてないと言うことなのです。
ですから「相承」という問題に関しては保証がされてないと言えます。
(私が公開してる法も、相承という点に関しては無いものと思ってください)
修法上、実用上の問題は、あなたがその人を信用できると思えるのなら問題ないと思いますよ。
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>>241
ありがとうございます。
> その余裕でもっと内容を増やしたいように思うのは分かりますが、
> 当面の目標は「簡略な作法のまま日課になる」ようの方向で努力されることをお奨めします。
そうでした。。。私の最も根深い(ある意味)カルマなのでした。。。
どうしても周りに流されてしまいますね。。。
ご指摘有難う御座いました。
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>>243
ありがとうございます。
不動明王の説法ですか。。。
初心者でしかも今まで神仏を否定してた自分に説法していただくとは。。。
感じるものは素直に信じて精進したいです。
護身法に関してはやはりこれから訪れるであろう師僧とのご縁を待つことにします。
勤行の最中、ほんとにとんでもない良からぬ妄想が頭を過ぎってしまいます。
普段は全くないのですが、勤行の時だけはなぜか起こってしまいます。
相手にしないという態度ですが、ほんとにとんでもない妄想でして、これが本当は自分が望んでいることなのかと結構考えてしまいます。
勤行中の妄想というかふと出てくる全く関係ない考えは全部魔境と見なして無視でいいでしょうか?
真言の回数をお数珠で数えています。
両手で持って右の親指で上から時計周りに数えています。
例えばこれを左手だけで持って時計周りに数えた場合、手のあいた右手は膝の上に置いておけばいいでしょうか?
よろしくお願いします。
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>>245
>勤行の最中、ほんとにとんでもない良からぬ妄想が頭を過ぎってしまいます。
>普段は全くないのですが、勤行の時だけはなぜか起こってしまいます。
>相手にしないという態度ですが、ほんとにとんでもない妄想でして、これが本当は自分が望んでいることなのかと結構考えてしまいます。
性的な妄想でしょうか?であるなら「常随魔」と言うものです。
比較的初心の行者に多い魔境です。行が進むとだんだん無くなってきます。
これはいわゆる誰でも通る道ですので、先輩に一言相談すればな〜んだと言うようなものですが、
独学行者は大いに悩んでしまうところです。
>勤行中の妄想というかふと出てくる全く関係ない考えは全部魔境と見なして無視でいいでしょうか?
煩悩を捨断する方向でないものは、おっしゃるとおり全て魔境です。
>例えばこれを左手だけで持って時計周りに数えた場合、手のあいた右手は膝の上に置いておけばいいでしょうか?
なるべく両手で持ってください。左だけで数える場合は、右手で何か所作などしてるときです(加持香水など)
両手で持つのは、「説法印」を意識するからです。http://www5a.biglobe.ne.jp/~houon/midain1.jpg
実際は5〜7遍まで中薬小広げてますがそれ以降は閉じて内向きにします。
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>>246
ありがとうございます。
性欲とかは不動明王の真言を唱え始めて一週間くらいでびっくりするほど減退しちゃいましたw
お酒も毎日たっぷり飲んでたんですが、この信仰を始めて一滴も飲まなくても大丈夫になりました。
今まで人に散々迷惑かけてきた人生なので、どす黒い業が出てきたんでしょうかね。
気にせず降伏しちゃいます。
数珠は左手固定の右手の指が動いていく感じですか?
数珠が天台式なんですが、関係なくやっても大丈夫ですよね?
今日、夜に勤行をしたんですが、結構集中して真言を唱えているので体が汗ばんでくるんですが、背中だけがなぜかヒンヤリしてました。
初めてのことだったので、最初はなんだろ?と思いいましたがあまり気にせず唱え続けました。
体の前は汗ばんで温かく背中はヒンヤリは勤行の終までつづました。
霊感とか一切ないのでわからないのですが、今日も集中して不動明王を観想しながら唱えられたので、気にする必要はないですよね。
よろしくお願いします。
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>>247
>数珠は左手固定の右手の指が動いていく感じですか?
左手が親玉に来たら固定ですが、基本両手をスライドさせていきます。
>数珠が天台式なんですが、関係なくやっても大丈夫ですよね?
天台の作法はよく存じませんが、修法上問題はないと思います。
>体の前は汗ばんで温かく背中はヒンヤリは勤行の終までつづました。
>
>気にする必要はないですよね。
そうです。要は魔境というのは、煩悩が捨断されまいと抵抗や邪魔をするため、色々気を惹こうとしたり
したりもしますので、そう言うわけのわからない事象があれこれ攻めてきます。
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>>248
ありがとうございます。
私の朝晩の勤行次第は
先、普礼真言 三遍
次、塗香
次、護身法
次、懺悔文
次、発菩提心真言 三遍
次、三昧耶戒真言 三遍
次、開経偈
次、観音経(夜のみ)
次、般若心経
次、聖不動経
次、不動明王大呪 二十一遍
次、不動明王中呪 朝二十一遍、夜百八遍
次、光明真言 七遍
次、大金剛輪陀羅尼 三遍
次、祈願(夜は一日のお礼)
次、護身法
次、法華成仏偈
次、普礼真言 三遍
教えていただいた通りの「細く長く」をモットーにしているのでこれ以上詰め込むのはどうかと思うのですが、この次第に本尊加持と結界・解界を入れてみたいと思っています。
もし入れてもいいなら、どこに入れてたらいいでしょうか?
本尊加持は、
・仏菩薩の真言 三遍で四処加持
・不動明王小呪 三遍で四処加持
・不動明王中呪 三遍で四処加持
・不動明王大呪 一遍で四処加持
この順番でいいでしょうか?
あと、仏菩薩の真言とはどんな真言でしょうか?
小呪の天台読みに近いのをネットで探しまして、
ナアマク サアマンダ バサラ ダンカン
この読み方でも合ってますでしょうか?
よろしくお願いします。
-
>>249
>この次第に本尊加持と結界・解界を入れてみたいと思っています。
>もし入れてもいいなら、どこに入れてたらいいでしょうか?
結界解界はそれぞれ先の護身法の直後と後ろの護身法の直前です。
本尊加持は三昧耶戒の後です。
本尊加持をされるなら、「細く長く」の目的のために
真言の遍数や経典読誦を削っても構いません。
>本尊加持は、
>・・・
>この順番でいいでしょうか?
長い真言の方が先になりますので、ちょうど反対ですね。
>あと、仏菩薩の真言とはどんな真言でしょうか?
不動尊の場合は「オン バザラ ダトバン」(金剛界毘盧遮那仏)です。
>この読み方でも合ってますでしょうか?
天台であるかどうかはよくわかりませんが、実用上この形でされても問題はありません。
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>>250
ありがとうございます。
天台読みにこだわるのは、初めて覚えた真言(慈救呪)が天台読みだったので、出来る限り統一したいと思うからです。
結界・解界の際の軍荼利明王大呪で、
「ナモ」 アラタン「ナウ」 タラヤーヤ 「ナアマク」シセンダ マカ「バサラ」
と、「」内を天台読みに近いように変えましたが、実用上は問題ありませんか?
真言を暗記する際、仕事中にブツブツと暇があれば唱えて覚えています。
きちんとした祈念ではなく、暗唱できるように唱えてるので、こういう場合おかしな作用が起こることはありますか?
一応、会社では時間を決めて3回ほど護身法を修しています。
関東三十六不動尊巡礼を始めまして、お堂で勤行をする際、本尊加持、結界・解界を含めた先の勤行次第でお参りしても大丈夫でしょうか?
よろしくお願いします。
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>>251
>と、「」内を天台読みに近いように変えましたが、実用上は問題ありませんか?
別に構いませんよ。
>きちんとした祈念ではなく、暗唱できるように唱えてるので、こういう場合おかしな作用が起こることはありますか?
天部以外の真言であれば別に問題はありません。
>関東三十六不動尊巡礼を始めまして、お堂で勤行をする際、本尊加持、結界・解界を含めた先の勤行次第でお参りしても大丈夫でしょうか?
構いませんが、人にはあまり見られないようにして下さい。
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>>252
ありがとうございます。
今現在の最後の質問です。
勤行は法界定印でやってます。
確認の意味で調べ直したら、仏像は左手の上に右手を乗せ、座禅は右手の上に左手を乗せています。
私は左手の上に右手を乗せていますが、合ってますか?
不動明王の独鈷印は教えてもらったので、確実に結べます。
この印を本尊加持の時の印にしてもいいでしょうか?
よろしくお願いします。
-
>>253
>私は左手の上に右手を乗せていますが、合ってますか?
結論から言うと、それでいいです。
密教は原則右が上ですがどちらでもいいようです。
儀軌には右が上が主流ですが、七巻理趣経など左が上という儀軌もあります。
私も参禅してたことがあるので混乱しますが、行法上問題はないです。
むしろ右か左かで迷ったりする方がマズい気がします。
>不動明王の独鈷印は教えてもらったので、確実に結べます。
>この印を本尊加持の時の印にしてもいいでしょうか?
それはでかしました。火界呪と一字呪の印に用いてください。
-
>>254
ありがとうございます。
慈救呪は独鈷印だとまずいでしょうか?
-
>>255
慈救呪の印は刀鞘印です。その代用と言うことを忘れなければ構いませんよ。
-
>>256
ありがとうございます。
今のところの疑問は全部晴れました。
後は、実践のみでこれからは背伸びしてもしょうがないので、一年間はこの形を変えず細く長く続けて精進しようと思います。
長々と私の疑問に丁寧に答えていただきありがとうございました。
この御恩に報いるのは、ただただ精進するのみだと思います。
本当にありがとうございました。
また、分からないところが出たらその時はよろしくお願いします。
-
>>257です。
過去スレに目を通して、ちょっと気になるところがあったので質問させてください。
過去スレに、外出先で唱える真言はあまり良くないとありました。
私は、出勤と帰宅は電車を使わずに慈救呪を唱えながら歩き、帰宅の道は少しでも長く唱えたいとの気持ちでわざと遠回りになる道を選んでます。
休日は、2~3時間ウォーキングしたり、山を登ったりして慈救呪を唱えています。
ウォーキングついでに唱えているのではなく、一心に唱えるために歩いています。
不動明王の説法を聞けるのもこの時で、時間すら忘れてしまいます。
歩く前にはきちんと護身法を修しています。
過去スレにあったようにあまり良くないことなのでしょうか?
あと、昨日は不動明王の縁日だったので都心の有名な不動尊の護摩供に参加しました。
護摩供の中で、知らない真言が唱えられていたので脳内コピーして後で調べました。
不動施残食呪というものらしいのですが、これはどういった時に唱えるものなのでしょうか?
よろしくお願いします。
-
>>258
>過去スレに、外出先で唱える真言はあまり良くないとありました。
自動車の運転や仕事中など、別のことに気を取られてたりすると危険な場合は避けてくださいと言うことです。
修法上・行法上の問題ではありません。善無畏三蔵の禅要には経行しながら真言を唱える作法について
詳しく述べられてますし、理趣三昧や回峰行もそうですね。
ですから、安全なところで歩きながら唱える分に関しては、より良いのであれば大いにやって下さいと
言うことですが、「危険行為」は止めて下さいと言うことなのです。仕事中などもその作業によっては
能率が落ちたりするなら止めて下さいと申してます。
と、言うわけで、条件付きならいいと言うことは基本お奨めしていません。
>不動施残食呪というものらしいのですが、これはどういった時に唱えるものなのでしょうか?
残飯をお不動様に供うずる真言です。世界広しと言えども残飯を供えていいというのはお不動様だけです。
また、残飯を供えるとは根本無明の滅尽を表してると言います。ですから施残食呪というのは
不動尊の真言の中でもより深い出世間的な道果を求める真言と言えます。
-
>>259
ありがとうございます。
安心しました。
-
四無量心観(真言法)の観想について質問させてください。
一つ目ですが、
「観ぜよ六道四生の一切有情」はときて「三密の功徳力を以ての故に」によって、「等同ならしむる」のは、
「我が修する〜功徳力」で対象の「一切有情」(自他諸共)を及ぼす・・・と言う意味にもとれると思うのですが
いかがでしょうか?
最初は「我」だけが同体になって広がっていくさまのように思っていたのですが、修している内にこの部分
大乗的で密教的な自利利他の思いがこもっているように捉えることで、
慈なら「一切衆生が幸せでありますように」に始めて繋がってくるように思えます。
二つ目になりますが、「悲」について
「生死の苦海に沈溺して〜」とありますが、人や衆生が単純に「分別」に迷いながら、
その自己等の「生死輪廻」により「苦」に溺れていく様を「苦海」として表現しているように思っていたのですが、
その当時の考え方・思考法に則って捉えてみると、「生死」は刹那の生と滅の繰り返しをも指しているようにも
思えてますが、そこはどうなのでしょうか?またどう捉えていくのがいいのでしょうか?
上手い表現は出来ませんが・・・今の「時間」の概念と違って「時」が連続していく概念ではなくて、
過去から今の空間(?)、今を生きて、不確定な「苦」や「業」を取り除いた未来は作っていく(呼び込む?)ように、
その象徴として「虚空蔵菩薩」なのかとも思えてきまいます。
よって、上座部式の「一切衆生に悩み苦しみがありませんように」と言うことにつながってきます。
ついでで、「魔境」や「魔縁」についてですが、
自分が修している世界(映像)以外の現実周りで起きているもの、
つまり例えば音や光や温度や背筋から首までや頭頂・額にむずむず感や何かが上がってくる感触、
雑念や喜怒哀楽は、「魔境」にと断じて「夢(?)」と切って捨てることとしてよいのですよね?!
随分以前の話でまだここに来る前の話ですが、ヴィッパサナを行っていた時、
暗黒漆黒の中で自身も動けず腹部が空虚(?)になり、
「自分に何も無い」と感じつつ数日間恐怖に似た感覚と無気力に襲われた時期がありました。
なのでやはり、(逆に真言法を行うきっかけにもなったのですが)、それも魔境と切って捨てるのでいよいのかと
いまだに思っていますがどうなんでしょうか。
どうしても「七仏通誡偈」に照らし合わせて考えてもこれらは魔縁でしかないにも思えていますのです。。。
-
>>261
>四無量心観(真言法)の観想について質問させてください。
はい。そのような理解でいいですよ。
「哲学的にひねり倒してあるが、上座部流と同じ」と、言うことが解ってもらえたと思います。
>これらは魔縁でしかないにも思えていますのです。。。
はい。それもそう言う理解でいいのです。
経験と行によって生じた智慧でそのうちスパッと「これは魔境」「魔境乙w」という感じになれますよ。
-
>>261
>随分以前の話でまだここに来る前の話ですが、ヴィッパサナを行っていた時、
>暗黒漆黒の中で自身も動けず腹部が空虚(?)になり、
>「自分に何も無い」と感じつつ数日間恐怖に似た感覚と無気力に襲われた時期がありました。
禅定の状態で似たようなのがありますが、魔縁の目的は恐怖感を与えて修行を止めるよう
脅迫してるのだと言うのが、第三者の目からは判ると思います。
-
>>262
>>263
ありがとうございました。
意識(?)の世界なので上手く表現が出来なくてすみませんが
また何かあったら質問させてください。
-
本スレおかしいですね。書き込めない。
-
>>265
レス数が1000に満たなくても容量が512kバイトになると書き込めなくなるのです。
長文連投によってランボーがよくやるスレ潰しでです。
切りがありませんから、ランボーを調伏で絞めるまで次スレを立て控えようと思ってるのですが、
ご都合悪いですか?
-
どれどれ
-
お世話になってます。
ヤフー知恵袋で火界呪の天台宗の読み方を質問したところ、
「部分的な解釈に頼ったり、自己流の発音で行ったり、指導もなしに同じ言葉を繰り返したりすると、気の流れの上で大変危険です。むやみに唱えないでください。
あまり危険でない真言もありますので、正しい発音で、少しずつ唱えることが大切です。
個人的には、やはり梵音でないと効果は薄いようです。それでも絶対に唱え続けることはしません。」
と回答が付きました。
http://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/q14115844239
極楽金剛さんはどう思われますか?
さすがに初心者の私だと恐くなってしまいます。
ちなみに勤行の際に唱えている火界呪は
「ナマク サルバ タタギャ テイビャク サルバ モッケイビャク サルバ タタラタ センダマカロシャナ ケンギャキギャキ サルバ ビキナン ウンタラ タ カンマン」
です。
よろしくお願いします。
-
>>268
結論から言うと、「魔境魔縁が怖いのなら仕方ないですね。」と言うことです。
私としては、諸仏諸菩薩が恐ろしい目にあわせるような事はあり得ないから、何も恐れることはない。
と、主張してきてまいりましたし、今も変わりません。
昔本スレで5160と対話したとき、クンダリニーだとか私の発言を一言も引用しないでわら人形理論を
展開してたりとか、一瞥しただけでゴミカキコと判るからまともに読んでませんでしたが、今思うと
彼は魔縁とか魔境とかちゃんと理解してないし最悪経験したこともないと思われます。
そう思った上で真言唱えるのは危険だとか言ってる人たちの発言をもう一度洗ってみると、
魔縁というものをちゃんと理解していないのではと思われます。それで魔境に嵌ったとき
気とかクンダリニーとか越法とか発音とか変な理由付けをして納得しようとしているように思えます。
-
>魔縁というものをちゃんと理解していないのではと思われます。それで魔境に嵌ったとき
>気とかクンダリニーとか越法とか発音とか変な理由付けをして納得しようとしているように思えます。
まさに魔縁の思うつぼ。
( ´,_ゝ`)プッ
-
>>268
>ちなみに勤行の際に唱えている火界呪は
>
>「ナマク サルバ タタギャ テイビャク サルバ モッケイビャク サルバ タタラタ センダマカロシャナ ケンギャキギャキ サルバ ビキナン ウンタラ タ カンマン」
天台読みであってるのかどうかと言う件は判りませんが、行法上は問題ありません。
-
ありがとうございます。
>諸仏諸菩薩が恐ろしい目にあわせるようなことはあり得ない
非常に心強い言葉で安心します。
念誦の際に不動明王を観想しようとすると、必ず良からぬ邪念が出てきます。
そういう魔が入ってくるということは、逆に考えれば、不動明王と自分がつながろうとしている証拠だと感じています。
だから間違った行ではないと信じ、これからもひたすら唱えていきます。
まぁ、邪念を払うというか、無視するのは容易ではありませんが。。。
一つお聞きしたいのが、功徳、徳を積むということはどのようにすればいいのでしょうか?
無財の七施というものがありますが、簡単そうで非常に難しいです。
真言を唱え続けたり、お寺の浄財にお布施することは徳を積むことになりますか?
よろしくお願いします。
-
>>272
>一つお聞きしたいのが、功徳、徳を積むということはどのようにすればいいのでしょうか?
>無財の七施というものがありますが、簡単そうで非常に難しいです。
それを知るには「四無量心観」をしっかりやって下さい。要するに衆生に対して善行為を施すのですが、
何が善行為であるとか、自分が何をどれだけするのかが難しいところだと思います。その為に
先ず何が善行為であるのかを知るのが「慈悲喜」の「三無量心」であり、自分が何をどれだけするのかを
知るのが「捨無量心」です。
>真言を唱え続けたり、お寺の浄財にお布施することは徳を積むことになりますか?
なりますよ。真言読誦は法供養として出世間の福徳を積んでるとも言えます。
お寺とかも、クソ坊主寺でもお寺が維持されていれば形だけでも仏法が伝わっていくことになり、
それが功徳になります。
-
ありがとうございます。
「クソ坊主寺」
良い表現ですねw
護摩供などでよく坊さんの所作を観察しますが、参拝者が一生懸命祈ってるのにアンタそんな態度でやっていいの?と思う時があります。
自分→僧侶(中継)→仏菩薩 じゃなくて、
自分→仏菩薩、これを大事にしたいです。
四無量心観をさっそくやってみたいと思います。
これを勤行次第に組み込むとすればどこに入れれば良いでしょうか?
または、単体で独立してやってもいいのでしょうか?
よろしくお願いします。
-
>>274
十八道に準拠すると懺悔や発菩提心の直後と言うことになりますが、やはり別行で一時期でも
構いませんから徹底的にされることをお奨めします。
-
ありがとうございます。
懺悔文の後に組み入れてみます。
例えば、慈無量心で
私が幸せでありますように ×3
オン マカマイタラヤ ソワラ ×3
こんな感じで良いでしょうか?
よろしくお願いします。
-
>>276
はい、それでも構いませんし、(上座部式・真言式)どちらか片一方でも構いません。
-
ありがとうございます。
頑張ります!
-
仮定の話で申し訳ありません。
もし、讒言で被害を被った場合、報復するべきでしょうか?
それとも、復讐はいけないと自分に言い聞かせて何年もずっと我慢するべきでしょうか?
-
>>279
先ず考え方としては、仏教では「悪いことをしてはダメです」「心を清らかにしましょう」と申します。
そもそも仏教が「悪いことをしてはいけません」と言うのは、その報いを必ず受けることになり、
それは善行為で穴埋めしたり帳消しには出来ないので言うのです。ですから考え方としては
「その報復の報いもまた将来自分が受けることになる。それでもいいか?」と言うことを考えてみましょう。
また、仏教徒として最低限してはいけない悪いこととしては、
・法律に触れること。
・世間一般から非難を受けるようなこと。
と、します。(具足戒の思想に準拠した解釈)
だからといって激しい怒りを我慢しすぎて「心が汚れる」のも良くありません。
そう言うわけで、世間に容認されるような範囲でなら復讐もアリでしょう。
忿怒尊を拝んでる方なら、調伏をお願いする形でガス抜きするのもいいでしょう。
以上一般論。
以下個別論。
後ほど考えて返事します。
-
>>279
以下個別論。
賁六五
これは多少他を顧みないくらい本業に徹していれば、やがて吉になると言う卦です。
また、復讐や報復、いずれも他人を裁く心ですが、裁いて刑する噬ロ盍という卦に似てると
易の方術上解釈したりもします。
考えられるアドバイスとしては、
・本業なり一所懸命していれば見返すことが出来る。
・当スレ的に本業とは「忿怒尊の修行」ですので調伏をお願いする。
と言ったところです。
どうしても怒りが収まらないときなど、ご本尊様に調伏祈願の形で怒りをぶつけてみても良いでしょう。
密教は煩悩を肯定する宗教と言われますが、欲の肯定より怒りの肯定の方が歴史があります。
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>>281
アドバイスありがとうございます。
>>131を読んで、結局は自分の不甲斐なさが招いたことだと何となく気がついて、
それでもまだ納得できずにいました。
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いつもお世話になっています。
あれから時間を決めて何とか毎日行じられる状態になってきました。
>>280
ついでなので便乗で質問させてください。
私の様に宝生如来である場合は、一時的な短期間特別な祈願があった場合、
例えば上記の様な調伏となった場合、単純に散念誦にその部の忿怒尊を加える方がいいのでしょうか?
それとも、よりマッチした尊格を加えるのがよいのでしょうか。
本当は知る尊の修法を修するのがよいのでしょうが、なかなか時間の都合上難しいものがあります。
実は・・・以前のその後の流れで(詳細は記せまんせんが)ある人物の欲の為に他者を脅迫して
他者のものをせしめようとする者に対し(社会的にみても異常な行動で司法に頼らざる得ない事態です)
怒りを感じている日々です。
これも、何か成長の為の苦難であるにしても流石に、悲しいかな今回ばかりは、怒りが抑えきれない状況
に先日とうとう抑えている感情が暴走しそうになるほどの陥っている状態になっていました(T_T)。
本来の自分の道の探求の為には宝生尊にはこのまま行じていくべきと考えますので、
次第を崩さない様にとなって少し迷うところだったりしています。
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離六二
あなたの場合、すべて宝生仏にお任せして下さい。
ある程度土台が出来て無い内に祈願によって尊格を替えるというのは、結局どっちつかずな結果になります。
-
>>284
ありがとうござます。
>あなたの場合、すべて宝生仏にお任せして下さい。
ということは、補助的に加えるものしない方が善いと言うことでよいですね?
元々の本尊と同様に散念誦の際に補助的に加えるというつもりだったので、
現時点で尊格を変えるつもりは全くなかったりします。
如来の尊格で調伏も願うと言うとピンとこないですが、阿閃仏の様な例もありますので不可能ではない
のでしょう。
>離六二
易はあまり詳しくはありませんが「離為火」の「六二」でよいのでしょうか。
「離為火」は燃え上がりすぎると災いを招く的な意味があったと思いますが、そう思うとなるほどな部分はあます。
私にはただただ耐えろと・・・いうことなんですね・・・いつか笑える日が来ますように。。。
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>>285
>ということは、補助的に加えるものしない方が善いと言うことでよいですね?
そうです。178さんの場合、とにかく今は宝生仏一筋で菩提心の土台を築かねばならないのです。
例えば家の土台を造作するときに溝掘って捨てコンを打ちますが、それをやってる最中に
柱のカンナがけとかしてたら、後で使うときになっても風雨や作業のどさくさで傷んでしまい、
二度手間か最悪使えないで廃棄するようなこともあるでしょう。
>如来の尊格で調伏も願うと言うとピンとこないですが、阿閃仏の様な例もありますので不可能ではない
>のでしょう。
調伏には四つあって、
・摂化降伏: 怨敵調伏
・除難降伏: 災難消滅
・無明降伏: 煩悩調伏
・悉地降伏: 様々な邪法の調伏
おっしゃってるのは「摂化降伏」ですが、先の話題で言ってる調伏はその他に当たる調伏です。
実際に怨敵を下すよりも、自心の怒りをガス抜きして菩提心に転換することであって、
そう言うことなどは特に忿怒尊専門の法門と言うわけではないのです。
>易はあまり詳しくはありませんが「離為火」の「六二」でよいのでしょうか。
>「離為火」は燃え上がりすぎると災いを招く的な意味があったと思いますが、そう思うとなるほどな部分はあます。
他にも火が燃え移ったりすることから「あっちこっちに付く」という意味もあり、また、六二は特に
的確であることが求められてる卦なのです。
ですから、その時その時的確な尊格を拝めばいいのですが、「今はその判断力を養ってる段階」
ですので、今の段階で的確であるとは結局余尊は拝まずに何でも宝生仏にお願いして下さいと言うことなのです。
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>>286
細かくご説明、有難う御座いました。
>他にも火が燃え移ったりすることから「あっちこっちに付く」という意味
モヤモヤしてしまっていることは、ここには非常に納得します。
冷静に"よ〜く"考えてみると、感覚の精密なバランス調整中というところなんでしょうね。
頭で理解しつつも言葉だけでなく、やはり体現してみるしかないのかなと思っています。
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お世話になってます。
質問をさせてください。
勤行で護身法の五処加持は印を結んで運心でやってますが、本尊加持の四処加持は実際に四処にかざして修しています。
本尊加持も運心でやったほうがいいでしょうか?
過去スレで、本尊加持仏で菩薩真言→大呪→中呪→小呪とありました。
私は仏菩薩真言を最後にやってますが大丈夫でしょうか?
あと、法力が具わるとはどういったものなのでしょうか?
修行を続けていけば、実感としてわかりますか?
よろしくお願いします。
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>>288
>本尊加持も運心でやったほうがいいでしょうか?
はい、慣れてきたら運心でお願いします。
>過去スレで、本尊加持仏で菩薩真言→大呪→中呪→小呪とありました。
>私は仏菩薩真言を最後にやってますが大丈夫でしょうか?
いえ、仏菩薩を最初に持ってきて下さい。
本尊加持や礼拝する順番は原則くらいの高い仏様からです。
>あと、法力が具わるとはどういったものなのでしょうか?
>修行を続けていけば、実感としてわかりますか?
だいたい実感としては、
・気付きがある。
・仏法に対する理解が深まる。
・とりわけ事相に対する理解が深まる。
・「臨在」を感じることが出来る。
と言ったところですね。
真言法を独習する場合は二・三番目辺りが重要です。
先日のことですが、私はある尊格に関して多分修行することはないだろうと思っていました。
しかし、その尊格に助けて頂きたいと思えることが出来して近い将来その尊格の修行をやろうと
決めたところ、改めてその尊格の儀軌を見ると以前は何のことか全く見当もつかなかった記述が
当たり前のように「これはこういう事だな」と理解できたり、本質的・内證に関する記述が以前も
見てるのに、ちゃんと理解できて大きな誤解が解けたりしました。
こう言ったことも皆さん経験していただけたらなと思います。
-
極楽金剛様、
真言法に関係ないことで恐縮なのですが、少しよろしいでしょうか?
私は発達障害と鬱病を抱えて20年近くが経ち、今もその苦しみから逃れることが出来ません。
精神的にも社会的にも、もう限界が近づいてきているのがわかります。
そこで、自分は自殺しても神仏はお赦し下さるか?と卦を立ててみたところ、
「沢火革 五爻変」を得ました。自殺は神仏の道に反することかと思いきや、
改革・革新の完成を意味する卦が出たので驚いています。
自分は死ぬことによって全てを一新し、新たに生まれ変わることが出来るのでしょうか?
-
>>290
そもそも革というのは、ちゃんと準備がととのってから改革に着手せよとと言う卦です。
革九五というのは、その準備が充分調ったときに断行するから「虎の毛が生え替わる」
「占うまでもない」というようなことが書いてあるのです。
あなたの場合は、今死んでも来世はちゃんと仕切直せるという根拠はなんですか?
生きてる間であれば失敗の経験に基づいてうまくやることも出来ましょうが、生まれ変わったら
現在の知識は全てリセットされるのですよ。現世での経験による思考パターンやトラウマ、
性格などだけが次の生存に相続されるので、失敗がそう言うことに起因するものであれば同じ
事を繰り返します。
それと、生まれる場所は功徳に左右されますので、今生先進国である日本に生まれて仏法にも
少なからず縁ができましたが、もし今生で積んだ功徳より使った功徳が多ければ来世はもっと
条件の悪いところに生まれるでしょう。
これらの条件を準備クリアしてのことですか?
あるいは三結断じて輪廻にタイムリミットが出来たという自信がございますか?
-
>>291
>そもそも革というのは、ちゃんと準備がととのってから改革に着手せよとと言う卦です。
↓
革、「已日乃孚。」元亨。利貞。悔亡。
-
>>289
あの・・・大変うかがいにくい話なのですが・・・
夢とかで事前に知らせてくれる(いわゆる予知夢)ということはあるんでしょうか。
普段逆に夢を全く見ない(というより忘れてしまうらしいですが)のに、
ある程度(私の受け止め方にも問題あるかもしれませんが)悪い方向に確定した時点で
夢の形で知らされることが立て続けにありまして・・・・重なっているだけに、
あまり嬉しくないことでもありますので。。。
実のところ思い出すと今回の >>283 も、余計な夢を見たことに一気に吹き上がってきたのもあります。
最初は色々な気になっていることが、巷で言われるように心理的にストレス解消の形なりなんなりで
出てきたのだろうと思っていたんですが、それにしてはと言う部分もありまして。
これもいわゆる魔縁なのかとも思えるので、無視するのがよいのだろうと思っていますが、
行があらぬ方向に進んでしまっているのだったら修正すべきだと思いますし、
こういう時ってどう対処するのがよいのでしょうか。。。?!
折角調伏のお話を頂いたので、それも祈願するのがいいのかもしれないのですが、
もしくはご経験上どうされていましたでしょうか。
-
>>291
極楽金剛様、お答えありがとうございます。
>あなたの場合は、今死んでも来世はちゃんと仕切直せるという根拠はなんですか?
そうですね。自分の識だけが転生し、自分としての記憶はなくなり、
あとは何処か知らない別の他人になるわけですから、
性格や思考パターンが相続されたとしても別にいいかな、という考えでおります。
>それと、生まれる場所は功徳に左右されますので、今生先進国である日本に生まれて仏法にも
>少なからず縁ができましたが、もし今生で積んだ功徳より使った功徳が多ければ来世はもっと
>条件の悪いところに生まれるでしょう
そうですねぇ、逆に日本のような先進国でなければ、私のような発達障害の人間にも
生きる場所はあったのではないかと思ったりもします。
先進国=勝ち組と考えれば、勝ち組は勝ち続けなければならないので、
私のような人間にとっては生き辛い事この上ないですね。
私のような人間には、信心深い人が多い発展途上国の方が合っているのかもしれません。
そして、いずれにせよ転生した先では自分としての意識・記憶はないわけですから、
何処でどうなろうと知ったことではないかな、と思ったりもします。
こういう考えでおりますので、準備完了とは言えないでしょうか?
-
>>289
大変伺いにくいことで恐縮なのですが、
>・気付きがある。
>・仏法に対する理解が深まる。
>・とりわけ事相に対する理解が深まる。
>・「臨在」を感じることが出来る。
①と④は宗教に嵌った人間によくある「かかった状態」で、
②と③は勉強と修練の結果と言えるのではないでしょうか?
>以前は何のことか全く見当もつかなかった記述が
>当たり前のように「これはこういう事だな」と理解できたり、本質的・内證に関する記述が以前も
>見てるのに、ちゃんと理解できて大きな誤解が解けたりしました。
勉強や仕事でも、修練を繰り返していくと、こういうことはよくあると思いますが。
これをもって法力というには、ちと苦しいかと・・・
他に、第三者にもわかるような「霊験」「利生」のようなものはないのですか?
現世利益に捉われてはなりませんが、現世利益が出せない宗教はただの哲学だと思いますので。
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>>289
ありがとうございます。
仏菩薩の真言は最初に唱えるものなのですね。。
とんでもない勘違いをしていました。
法力に関して、私は非常に納得しました。
霊験や願いが叶うというのは、結局、自分の徳だと思います。
天台宗の大行満大阿闍梨さんも、その人に徳が残ってなければ、いくら自分がその人のために祈っても叶わないと仰っていました。
教えや事相を深く理解できるということは、深く祈れる→三昧の境地に近付ける→仏様への自分の声が届きやすくなる。
善業を積み、法力によってその徳を使う。
私はこう理解しました。
-
利益を頂ける器を育てる修練の結果が出やすくなる利益を頂くことによって利益を頂ける器が…
訳わからないですねwよこやりスマソ
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>>293
>あの・・・大変うかがいにくい話なのですが・・・
>>295
>大変伺いにくいことで恐縮なのですが、
それは全く構いません。私がにちゃんにこだわる理由の一つは常々申しておりますとおり
無師に替えて歯に衣着せぬ議論を望んでるからです。自分の知らないことを教えてくれた人は
誰であろうと一時の師であり、キツい論調であっても冷静に汲むべきところは汲むべきです。
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>>293
夢告の類はあまりあてにしない方がいいと思います。
合理的な内容も時にはあるとのことですが、精度が低いものをあてにするのは危険です。
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>>294
>いずれにせよ転生した先では自分としての意識・記憶はないわけですから、
>何処でどうなろうと知ったことではないかな、と思ったりもします。
>こういう考えでおりますので、準備完了とは言えないでしょうか?
それはどう考えても「面倒を人に押しつける」発想であり、しかも罪障が巡り巡って異熟するのに
最短が今生中の自業自得で最長が無限の輪廻の先なら中コースという感じですね。
>性格や思考パターンが相続されたとしても別にいいかな、という考えでおります。
来世も嫌になったら自殺してその次の「有」に押しつけるのですか?
おそらく現在の窮状は前世からそうやってきて、より悪くなってきた結果だとは思えませんか?
私としては、愚かな先送りをここで止めて踏ん張って下さいと提言します。
-
>>295
おっしゃるとおりこれらは各々の行者が体感する主観なので「似て非なるもの」と区別が付きにくい
感がありますが、正しく法力が身に付いた上で祈願などするとちゃんと法験が出るものです。
しかし、
>>496-497
それで祈祷によって何でもかんでも自分の思いどおりの人生になるかと言えば、なかなか
そうもいかないことがあり、結局自分の功徳を越えて無理なことは叶わないと知ります。
よく「信仰などしてないけど成功者や幸福者はごまんといる」と言いますが、何のことはない
本人の功徳果報にしくは無いだけのことです。
-
>>300
極楽金剛様、再度の御回答有り難うございます。
>私としては、愚かな先送りをここで止めて踏ん張って下さいと提言します。
踏ん張りたい気持ちもありますが、なにしろ精神的・社会的にかなり追い詰められた状況にありまして、
ここから先、何十年も生きていくのは現実的に困難なのです。
せっかく仏法に巡り合うことが出来ましたが、「縁なき衆生は度し難し」という仏様のお言葉の通り、
私のような業の深い者は仏法でもどうしようもないようですね。
>それはどう考えても「面倒を人に押しつける」発想であり、
自分の来世である他人に押し付けるのは、確かにその方に悪いとは思いますが、
今の状況では「悪いけど頑張ってくれ」としか言いようがないですね。
卦が示すように、心の準備は出来ておりますので、あとは実行に移すのみです。
極楽金剛様には、本当にいろいろと有り難うございました。
それでは失礼致します。
-
>>302
ちょっと待って下さい。私ごときに相談してダメだったからと言って諦めないでください。
世にはもっと優れた僧侶や行者がいます。そう言う方にちゃんと窮状を話して助言を戴いて下さい。
また、「いのちの電話」というのがありますhttp://www.find-j.jp/ 私などには及ばない
アドバイスなども期待できるかも知れませんから、相談してみてはいかがですか?
私から申せるのは今死ぬのはマイナスです。
心の準備は出来たのでしょうがカルマの準備は全然駄目です。
-
>>302
まだ逝くのは早いですよ。
-
大変な状況の方がいらっしゃるこの状況で大変書き込みにくいのですが…
極楽さん、僕も今現在、ヤバい状況です。
どうか助けてもらえませんか
希望を信じ続けられず今にも絶望に飲み込まれそうです。
何か見直すところはないでしょうか
無理ならせめて急場をしのぐ方法はありませんか
申し訳ありません
-
>>305
益六三
これは凶事が却って大きな利益をもたらすという卦です。いわゆる焼け太りなどですね。
>何か見直すところはないでしょうか
大畜六五
別に問題は無さそうですね。確かに今までよりは大きな困難かも知れませんが、
やってやれないことは無さそうですよ?
>無理ならせめて急場をしのぐ方法はありませんか
萃六二
これは一種の四面楚歌状態で押しつぶされそうですが、本尊(九五)と正応なので
簡単なお供えでも心からお願いすればちゃんと通じるという卦です。
ご本尊様にお願いはされました?
希望が無さそうと言うことですが、乗り越えれば元を取って付加価値もあるし、ご本尊様に
お願いすれば急場も何とかなりそうですが、どうでした?
-
>>306
極楽さん、早速卦までしてくださり、本当に申し訳ありません。
>益六三
>これは凶事が却って大きな利益をもたらすという卦です。いわゆる焼け太りなどですね。
焼け太り?これを乗り越えると肥えるということですかね?
>萃六二
>これは一種の四面楚歌状態で押しつぶされそうですが、本尊(九五)と正応なので
>簡単なお供えでも心からお願いすればちゃんと通じるという卦です。
>
>ご本尊様にお願いはされました?
>希望が無さそうと言うことですが、乗り越えれば元を取って付加価値もあるし、ご本尊様に
>お願いすれば急場も何とかなりそうですが、どうでした?
詳しくありがとうございます。
実はキチンとした次第での行は、もう1ヶ月以上滞ってます。
毎日朝の不安緊張がすごいので、出勤前に神棚の榊と水入れのお水を交換して挨拶。ご本尊には、ご飯とお水交換、花瓶の水換えをして、1日の平穏を祈ってはおりますがその程度です。(時間にして5分程度)
帰宅後は、ぐったりした疲労感と強い抑鬱気分で早々に意識が飛んでます。ご本尊の前に座りすらしてません。
しんどいですが、無理してでも以前のようにキチンと1日1座してお願いすることで、乗り切れますでしょうか?
あと、本尊(九五)とはなんでしょうか?
本尊により異なるということでしょうか?
本当に申し訳ありません。
-
>>307
益六三と言うのは、戦争や災害などの緊急事態を収拾するために任命される役人の卦なのです。
そう言う「凶事」とはいえ、任官は任官だし、立派にやり遂げれば後々も評価されるでしょう。
であるから、めげずにがんばれと言う卦なのです。
>焼け太り?これを乗り越えると肥えるということですかね?
焼け太りというのは、火事になって火災保険がおりて、却って前より立派な家が建つことを
言うのですが、しばしば益六三の引き合いに出されることです。まあ忘れて下さい。
>>萃六二
萃六二の原文は、
「引吉、无咎。孚乃利用[示龠]。」
ざっと訳すと
「九五と引きあえば吉で過失もない。誠意があれば略式のお供え(簡略な作法)でもいいのである」
>あと、本尊(九五)とはなんでしょうか?
現在ご本尊にされてるお方です。軍荼利尊でしたね。
萃九二という卦は、間に六三・九四にはさまれてますが、九五と正しい相手として繋がり本質的に
引かれ合ってるので、初六・六三にはさまれて四面楚歌であるが呼べば九五が助けに来てくれますので、
質素なお供えや簡略な作法次第であっても誠意があれば通じるのですから、大したことは出来ないと
萎縮してないでお願いしなさいと言うことなのです。
>実はキチンとした次第での行は、もう1ヶ月以上滞ってます。
ですから「最近は大したことしてないから」と萎縮してたのがマズかったようですね。
その状態でも構いませんから、とにかく乗り越えるのに必要なお願い事は遠慮せずに
ちゃんとご本尊様に申して下さいと言うことです。
-
>>308
すごくご丁寧に解説いただいて恐縮です。
ありがとうございますm(__)m
卦とその意味とてもよくわかりました。
ただですね、
キチンとした次第での行はできてないのですが、
朝のご挨拶は、それこそ1日で1番地獄のような時間ですから、
すがる気持ちで必死にお願いしているのです。本当に必死の気持ちで。
それでも持ちこたえきれないとなると、やはりキチンと行を再開するべきでは(する自信はあまりないですが)と思うのですが、そういった問題ではない感じでしょうか?
-
>>309
であるならば、「>>307>帰宅後は、・・・ご本尊の前に座りすらしてません。」が、マズいんでしょうね。
作法も何もいいですから、とにかく座って手を合わせるとか、五体投地一回だけとかでもいいから
夕べの座をするようにしたらどうです?お願いもそれだけの行しかやってないからと萎縮せずに
乗り越えるにに必要なお願い、問題解決なり体力回復なりなどはちゃんとやって下さい。
-
>>310
わかりました。
ありがとうございます。
最後に極楽さん的にオススメのプラスαを何かアドバイスいただけませんか?
-
>>311
そうですねえ、
坎上六
これは戦前の価値観で言う「男子本懐」の卦です。逃げずに苦しみに耐える時です。
今後最悪の状態を抜けてもしばらく苦しい状態は続きます。でもまあ知ってと知らずでは
精神的に差がありますので、長期戦になると腹をくくっておけば多少精神的には楽かと思います。
-
はじめまして、質問させて下さい
今、家族の健康の事でお薬師様と地域の氏神様のお参りしてます。
お薬師様は地元にあるところで手を合わしてますが、ここのお寺は由緒
はあるものの、現在、住職が不在のようで毎日のお給仕がなされてるかどうか
定かではありません。
このようなお寺にあっても自分ひとりがきちんと手を合わせて真言なりをお唱えすればきちんと
通じているのでしょうか?
ネットでいろいろ薬師様の祈祷をしているお寺を探してそこに頼んでちゃんとした
祈祷なりを申し込んだほうがいいのでしょうか?
また、この、私の家族の健康問題に力をかして頂ける神仏、縁のある神仏が居られましたら
教えてください。
-
>>313
>このようなお寺にあっても自分ひとりがきちんと手を合わせて真言なりをお唱えすればきちんと
>通じているのでしょうか?
噬ロ盍初九
ちょっと個別論的に弱そうですね。
> ネットでいろいろ薬師様の祈祷をしているお寺を探してそこに頼んでちゃんとした
>祈祷なりを申し込んだほうがいいのでしょうか?
漸六二
そうですね、どこがいいとは申せませんが、それがいいようです。
> また、この、私の家族の健康問題に力をかして頂ける神仏、縁のある神仏が居られましたら
>教えてください。
損初九
これは能動的に病人に対するという卦です。
そのご家族の病気は神仏にすがらないとどうにもこうにもという病気なのですか?
どうも卦的には神仏にすがるより、よくよく看病なさる方がいいみたいな感じなのですが。
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>>314
>>個別論的にいうと弱るそうです、
というのはどういう事なんでしょうか?
今、ネットでイロイロ祈祷のお寺を探していますが永代供養なり墓地が隣接するような寺院は避けるべきですか?
選ぶ お寺の目安としてどのようなところに注意すべきなんでしょうか?
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>>289
>ある尊格に関して多分修行することはないだろうと思っていました。
きっと、某天部さんのことですね。
オールマイティな不動尊ではなく、
敢えて天部さんを引っ張り出してきたのはどうしてなのか、
訝しく思っていました。
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>>315
> >>314
>>>個別論的にいうと弱るそうです、
> というのはどういう事なんでしょうか?
噬ロ盍初九という卦は、悪さをしないように足枷をするという卦なのですが、お堂にお参りすることが
悪いこととは考えられませんし、何か書き込まれたことだけでは判らない不具合がありそうなのです。
> 今、ネットでイロイロ祈祷のお寺を探していますが永代供養なり墓地が隣接するような寺院は避けるべきですか?
>選ぶ お寺の目安としてどのようなところに注意すべきなんでしょうか?
こればっかりは実際に試すか、信用できるリアル知り合いの評判を聞くしかございません。
墓地とか永代供養とかは、最近の寺院経営を考えると仕方がない部分があり、必ずしも
金に汚い祈祷寺であるとは言いきれないものがあります。
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お世話になってます。
質問をさせてください。
不動明王は胎蔵界の大日如来の化身だと本にのっていまして、
私がよくお参りに行く不動尊の明王像の裏にも胎蔵界の大日如来が置かれています。
撿本尊加持の仏菩薩真言で、金剛界の大日如来の真言を唱えるのはなぜでしょうか?
撿不動尊にお参りの際、そのお寺には不動明王以外にいろんな諸尊がいます。
本尊が不動明王の場合も、仏→菩薩→明王の順でお参り(読経・真言)したほうがよろしいでしょうか。天部は怖いイメージがあるので合掌と礼のみしてます。
撿慈救呪をひたすら唱えるウォーキングで、よく道端に地蔵菩薩が立っているのを見かけます。
悲惨な事故や事件の鎮魂のために置かれることがあると聞き、お参りして良からぬものが憑くのは怖いですが、菩薩様を素通りするのもどうかと思い、お辞儀程度でもやったほうがいいでしょうか?
撿不動明王の信仰を始めてもうすぐ3ヶ月経ちます。
まだまだ雑念が多すぎて心から祈れず、また自分の功徳の無さで祈願は叶ってませんが、やたらと上司や年上の人に可愛がられるようになりました。びっくりするほどです。
こういう祈願もしてないし、自分の意図していないことも良くなるのは、不動明王のお力のおかげと思ってもいいでしょうか?
長々と申し訳ありません
よろしくお願いします。
-
>>317
有難うございます、では、
①ネットなどで祈祷寺院を探し、ここぞというところに祈祷を頼む、
②今までと同じように、地元の、お薬師様のお堂への参拝を継続する、
というスタイルで今のところ祈願をすればいいでしょうか?
それとも②は当分、控える方が宜しいでしょうか?
-
>>318
>不動明王は胎蔵界の大日如来の化身だと本にのっていまして、
>撿本尊加持の仏菩薩真言で、金剛界の大日如来の真言を唱えるのはなぜでしょうか?
「五大明王の内の不動明王」である場合、金剛界五仏の化身が五大明王なので、中尊の不動尊は
金剛界大日如来の化身となるのです。
それとだいたいどの次第も本尊加持の前の大日加持では金剛界の印明を用いていますので、
経験的にも金剛界大日如来が適切なのではと思われます。
>撿不動尊にお参りの際、そのお寺には不動明王以外にいろんな諸尊がいます。
>本尊が不動明王の場合も、仏→菩薩→明王の順でお参り(読経・真言)したほうがよろしいでしょうか。天部は怖いイメージがあるので合掌と礼のみしてます。
原則はその通りですが、お参りしやすい順でも構わないです。
また、その寺院なりの特別なしきたりなどがあるならばそれに従って下さい。
>撿慈救呪をひたすら唱えるウォーキングで、よく道端に地蔵菩薩が立っているのを見かけます。
>悲惨な事故や事件の鎮魂のために置かれることがあると聞き、お参りして良からぬものが憑くのは怖いですが、菩薩様を素通りするのもどうかと思い、お辞儀程度でもやったほうがいいでしょうか?
それはその方がいいです。
そのお参りして却って変なものに取り憑かれるのが嫌だと言うことですが、確かにちゃんと供養
されてない仏像などの周りには、不良がたまり場にするように悪鬼の類がたむろしてる場合などあります。
しかし、不動尊などの行をしてちゃんと感応しているのであれば取り付く島もないので大丈夫です。
また、その余裕があれば掃除片づけなどちゃんとして、月一回ぐらいは法楽を挙げるなどしてちゃんと
供養しておくのもいいでしょう。
>祈願は叶ってませんが、やたらと上司や年上の人に可愛がられるようになりました。びっくりするほどです。
>こういう祈願もしてないし、自分の意図していないことも良くなるのは、不動明王のお力のおかげと思ってもいいでしょうか?
革上六
いわゆる君子豹変の卦です。変節という意味でなく本来の意味の。
虎はごっそり毛が生え替わるんだそうですが、豹は徐々に生え替わるんだそうです。ですから、
考えられるのはその本来の祈願が成就に至る過程として、それが必要なのではと思われます。
-
>>319
①はそれでいいでしょう。
> それとも②は当分、控える方が宜しいでしょうか?
需九二
これは善いことしてても文句言われることがあるという卦です。
良くない結果にはなりませんが、何かトラブルはあるかも知れません。
それでどうこうと言うことは無さそうですが、不愉快な思いはするでしょう。
それでもいいか、やっぱりそんなの嫌かで判断されればいいかと思います。
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>>312
お返事お礼が遅くなり申し訳ございません。
道はかなり険しいが、乗り越えられないことはないということですね。
正直、「持つんか?」と半分まだヒビってますが、何とか食らいついていきたいと思います。
本当にいつもありがとうございます。
今後ともよろしくお願いいたします。
-
極楽金剛さん、質問させて頂いてよろしいですか?
「子授け」のご利益というとどなたになるのでしょう。もちろん個々の事情によって色々でしょうが、一般論として…
-
>>323
観音様ですね。取り分け准胝観音様は、
若有女人設欲求男禮拝供養観世音菩薩便生福徳智慧之男
設欲求女便生端正有相之女宿植徳本衆人愛敬
の、功徳に特化された観音様と言えます。
聖宝尊師は准胝尊に祈られて朱雀天皇・村上天皇がお生まれになられたと聞いてます。
あと、烏枢瑟摩明王に訶梨帝母様や閻魔法王とか。
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>>320
ありがとうございます。
なにか嬉しい卦で、もっと不動明王に感謝の気持ちで祈りたいです。
まだ駆け出しの身なのでもっと行を進めてから聞こうと思ってたのですが、
極楽金剛さんのレスに出てきたのでお聞きしようと思います。
感応とはどういった状態なのでしょうか?
よく加行で不動明王の姿を見た、声を聞いたという人の話を聞きますが、こういうことを感応というのでしょうか?
聖不動経に「無相法身 虚空同体」とあるので、姿が見えるということはどういうことなのか?と考えています。
同経に「無其住所 但住衆生 心想之中」とあり、お姿が見えるのではなく意識の中で何かしら起こることが感応なのでしょうか?
もし見えたり聞こえたりするなら、それが魔境か、本物かを識別するにはどうすればいいのでしょうか?
よろしくお願いします。
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>>324
早速ありがとうございます!実は私の友人夫婦が不妊で悩んでいまして。
病院で何度も検査や相談している様子ですが、夫婦どちらにも原因が見つからずでもう十年近く…
昔とても世話になった友人なので力になれたらとご相談しました。
例えば私が友人のために祈る場合、私は軍荼利尊に守り本尊となって頂いてるので、同じ忿怒尊の烏枢沙摩明王の方が通じやすいとか、そういうことはありますか?
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>>325
>感応とはどういった状態なのでしょうか?
例に挙げられてる状態が確かに感応であることがあります。魔境との違いは基本的に「道果」
つまり「煩悩や罪法の捨断」が伴ってるかどうかですね。
あと、そういう感じのことが全くなくても、祈願がちゃんと通じるのも感応してると言うことなので、
魔境と同じくあまりこだわったりするのも良くありません。
行者などそう言うことを吹聴する人がたまにいますが、どうかな?と言う感じの人が多いです。
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>>326
>例えば私が友人のために祈る場合、私は軍荼利尊に守り本尊となって頂いてるので、同じ忿怒尊の烏枢沙摩明王の方が通じやすいとか、そういうことはありますか?
萃九四
ちょっとやはり忿怒尊でも軍荼利尊と烏枢瑟摩尊では遠いから特にそう言うことはないですね。
(烏枢瑟摩尊と近い尊格は不動尊・金剛夜叉尊)
>例えば私が友人のために祈る場合、
鼎九二
天部に祈る場合は、しっかり三宝に対して帰依供養してから行って下さい。
聖天 否六二
閻魔 剥六五
烏枢瑟摩 大有九二
本尊 革九四
訶梨帝母 蠱上九
准胝 大過上六
如意輪 震六三
千手 師初六
乾闥婆 漸六二
軍荼利尊で拝むのがそろそろ腕試しどう?という感じですね。
烏枢瑟摩明王や乾闥婆尊でもいいですが、きっちり普段の行とは別に一座設ける必要があります。
殊に乾闥婆尊なら天部ですから粗相などあってはいけませんので神経を使って下さい。
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>>321
ありがとうございます、薬師様の護摩ですが複数の薬師護摩を行っている
お寺に祈願を頼むより、1つのところに決めておくべきですか?
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>>328
補足。
鼎九二
これは嫉妬して邪魔する者が居るので、取り付く島を与えてはいけませんと言う卦です。
祈願の方向としては、妊娠障害排除、わけの判らん悪鬼の類はもちろん、ご夫婦の良くない
感情なども排除除滅してしまう方向で。
調べてみると、子持ちや妊婦に対する嫉妬が尋常でない人が少なからず居られるそうです。
嫉妬というのは「瞋」、怒りに属する煩悩ですので、排他に働き、人道の縁を尋ねてくるカルマを
弾いてしまうようなのです。
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>>329
夬九五
同一の尊格であれば複数のところでお願いした方が当たりはずれのリスクを減らせそうです。
ただ、卦がなんかずぶずぶの関係になったり足抜け出来ない状況に気を付けなさいとも言ってますので、
何かそう言う手を切ろうと思ってもすぐ手切り出来ないようなこと、檀家や会員になるとかは
止めておくようにと言う感じです。
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>>328
天部は避けるつもりですw軍荼利真言20万回程度の新米雑密行者の私ではまだ怖いw
私の場合、新たに子授けのご利益のある方に祈るより、普段から祈っている軍荼利尊との多少深まったご縁に期待出来るということなんでしょうか。
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>>332
そうですね。革九四というのは「多少準備不足のきらいはあるが、やってやれないことはない」
と言う卦です。
出来れば祈願のために一座別行させるのが理想ですが、無理なら念誦を加上したりお供物を
余計にお供えしたりと工夫してみて下さい。祈願は「○○ご夫妻懐妊障害除去」「○○ご夫妻子宝成」
など。
「○○ご夫妻懐妊障害除去」と言う言い方は一般的ではありませんが、今回の場合の特例です。
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>>333
×「○○ご夫妻子宝成」
○「○○ご夫妻子宝成就」
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>>330
補足に関しては思わず唸ってしまいました。極楽さん流石です。
妊婦への嫉妬は奥さんですね。旦那さんも結果が出ずナーバス気味ですが。
しかし不妊の現在の原因がそういう負の感情だったとして、もともとの原因はなんだったんでしょうね。不妊で悩む人がいて、デキ婚でバタバタしちゃう人もいて…世の中うまくいかんもんです。
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>>333
おお、335の文章に悩んでいる間に極楽さんからレスを頂いていた。
別に一座やるつもりです。
そしてもし奇跡的に効果が出ても、そのことは墓場まで持っていきますw
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「○○ご夫妻子縁成就」でもいいかも知れませんね。
>>335
>しかし不妊の現在の原因がそういう負の感情だったとして、もともとの原因はなんだったんでしょうね。
節初九
たまたま子縁が調ってなかっただけみたいですね。
>>336
そう。口からこぼれる功徳もあるw
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>>327
ありがとうございます。
嬉しい報告があります。
昨日、不動尊で護摩木に「良縁招来」と書いてお祈りしたらすぐに叶いました。
天台密教の行者さんに師弟の縁を結んでいただき、諸作法と護身法の伝授をしてもらえることになりました。
別の意味の良縁を期待してたのですが、
不動明王が「お前は煩悩だらけだから、当分仏道修行に専念しろ」という計らいだと思っています
この道果は極楽金剛さんから教わった行法で得たものなので、行者さんからは護身法のみ伝授していただき(とゴリ押しでお願いしました)、引き続き今までの行法を修していきます。
一つ願いが叶いました。
不動明王と極楽金剛さんに感謝します。
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>>338
>この道果は極楽金剛さんから教わった行法で得たものなので、行者さんからは護身法のみ伝授していただき(とゴリ押しでお願いしました)、引き続き今までの行法を修していきます。
あいや、妙な義理立ては無用です。護身法だけでもちゃんと知ってると大きいですが、
もっと色々教えてもらえるなら教えてもらうに越したことはございません。
私としても、功徳を得るために行法公開にアドバイスしているのですから、相談された方が
より大きく羽ばたかれていくことが私の功徳になると思っています。
それに、もう来るなと言ってるわけではないです。阿闍梨様や行者様に師事しながらも、
リアルで聞きにくいことなど聞かれればいいですし、リアル師匠が教相に疎い方であれば私が
調べてきてでもお教えしましょう。
>行者さんからは護身法のみ伝授していただき(とゴリ押しでお願いしました)、
もったいないなあ。今からでもわび入れて教えてもらえませんか?
護身法教えてもらえるだけでもでかした状態ですが、その次の段階である「十八契印」まで
教えてもらえたら、結界や簡単な供養も出来るようになるのです。
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>>339
ありがとうございます。
今の行法で十分というのが正直な気持ちです。
まずは信仰心をたもつことが私の当面の課題で、今の行でしっかり功徳を得て、仏様に感謝でき、信仰心を強くできるのに他に何を望むのか?と考えます。
ましてや今の行法にまだまだあやふや部分もいっぱいありますので、新しいものを学ぶのは時期尚早と思っています。
当面は自分の為の祈りの行で、しっかり土台ができたら他の人の為の祈りの行にシフトチェンジしていこうと思います。
その時がくればもっと高度な行法を学べる縁がくると信じてますし、そう祈ってます。
だから今の行で十分なのです。
でも、極楽金剛さんがもったいないと仰るので、来週に護身法を授かりますのでちょこっと聞いてみたいと思いますw
今後ともご教授をお願いします。
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>天台密教の行者さんに師弟の縁を結んでいただき、諸作法と護身法の伝授をしてもらえることになりました。
すごい展開になってますね。
唖然と言うか、いきなりそんなことになってしまうものなのかと。
縁というのはすごいな。
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>>341
私自身も正直びっくりしていますw
まぁ私の無謀なゴリ押しですが。。。w
私が不動明王の信仰で初めて叶った願いなので、この縁は大事にしたいと思います。
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>>337
口からこぼれる功徳…本当にその通りですねw
正式な護身法を教えて頂けるまでは他人を祈るまいと思っていましたが、やる時がきましたかね…
最近の行に関しては真言15万回あたりから何故か越法が途端に&強烈に怖くなりだし、一先ず顕教仕立に戻しておりました。
これもそろそろ戻そうかと思っています。
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>>343
>最近の行に関しては真言15万回あたりから何故か越法が途端に&強烈に怖くなりだし、一先ず顕教仕立に戻しておりました。
>これもそろそろ戻そうかと思っています。
観上九
これは高い地位に進んで身を引き締めるという卦です。
一種の魔境ですね。レベルが高くなる=今までの自分ではなくなる→捨断されてしまう煩悩の抵抗
と言うところです。
まあ、これは私に聞いたらどうもないと言うに決まってるじゃんと言うことで、聞きづらかったですか?
w
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>>342
地道にやってる人には相応の道果が得られるということなのでしょう。
おめでとうございます。
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>>331
私が上で、永代供養なりをしている寺院を気にしてたのは、望まざる霊魂とか無縁さんが寄ってくるかもしれないと思ったからです。そういう心配はどうですか?
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>>346
建前はそう言う御霊を引き受けてるのがお寺の供養と言うものですが、確かに真面目にやってない
坊主の寺なら御霊がよその縁を求めることもあり得そうですね。
睽九四
これは隔絶されてるという卦ですので、そう言う心配は無さそうです。
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>>344
どうせ魔境だろうとは予想してたんでw
とはいえ即座に地獄に真っ逆さまのような恐怖感は凄かったので、一先ず顕教仕立で手を打ち、落ち着いたら再開しようとしてたんです。
以前に景色が目茶苦茶鮮やかに見える魔境にあった(ここでご報告したことがあります)時よりハードでした。魔境恐るべしw
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>>348
>とはいえ即座に地獄に真っ逆さまのような恐怖感は凄かったので、
>以前に景色が目茶苦茶鮮やかに見える魔境にあった(ここでご報告したことがあります)時よりハードでした。魔境恐るべしw
今となっては魔境が「脅迫を以て」行を邪魔すると言うことが、実地にご理解されたと思います。
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マンガの話しですが、「聖☆おにいさん」であらゆる誘惑と脅迫がシッダールタに通じなかった
マーラが、次には笑いを取って修行を妨害するという話しがあります。
ネタとは言え、あらゆる方向から修行を邪魔すると言う魔境の一面をあらわしていて興味深いものです。
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>>349
確かにモロ実地ですねw
以前のは慢心を起こさせようという策ですか。今回は恐怖心で攻めてきたわけですね。本当の敵は内側にしかいないのだな、という感想です。
では密教仕立に戻すために作法を再確認したいのですが。
大金剛輪や結界で水平に円を描く箇所がありますが、あれって時計でいうと6時の位置(自分に一番近い位置)からスタートで合っていますか?
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>>350
それで構いません。
>>345
皆さんの道果やご利益が私の功徳にもなります。
ちなみに最近の私は、冬の法衣がこんな感じに進化しました。
如法衣+ジャージ+ルーズソックス: 酉酉5スレ420の頃。
↓
如法衣+作務衣+ルーズソックス: ランボー調伏の頃。
↓
如法衣+作務衣+ナイロン足袋←今ここ。
註:ルーズソックスは最初普通の靴下でした。中国製の靴下は穴が開く前にルーズソックスになりますねw
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>>340
リアル行者のご縁があるなら護身法より習って欲しいことを忘れていました。
是非念珠で数を取るやり方を教わって下さい。正念誦かと聞き返されるかも知れませんが、
散念誦、あるいは単に念珠のつまぐり方と言ってみて下さい。
それとご本尊は不動尊で独鈷印は教えてもらったが刀鞘印は不明とかおっしゃってませんでした?
刀鞘印ぐらいならすぐ教えてももらえると思いますから、是非教えてもらって下さい。
出来れば智拳印も。
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>>352
ありがとうございます。
印相はきちっと教えを請いたいと思います。
結界の軍荼利大呪は被甲護身の印でできると過去スレにありましたが大丈夫でしょうか?
大金剛輪は摩利支天(?)の印だと本にありました。
これは合掌のままでいいでしょうか?
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>>353
>結界の軍荼利大呪は被甲護身の印でできると過去スレにありましたが大丈夫でしょうか?
軍荼利尊の印を被甲護身の印でするというのはあくまで「代用」です。独鈷印で慈救呪に
充てるような感じです。ですからあくまで「代用」してると言うことを念頭に置いといてください。
>大金剛輪は摩利支天(?)の印だと本にありました。
大金剛輪陀羅尼の印は大金剛輪印です。
摩利支天を拝まれるのですか?「隠形印」というのが普通の摩利支天の印であって、
大金剛輪印は「頭頂印」と言って、道中安全の作法に用いますがあまり一般的ではありません。
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>>354
ありがとうございます。
> 摩利支天を拝まれるのですか?
今生では天部を拝む予定はありませんw
学研かなにかの密教本で大金剛輪陀羅尼の説明の中に摩利支天の記述があったので、大金剛輪を唱える時はちょっとビビってました。
この陀羅尼は摩利支天とは関係ないものですか?
結界は法界定印
大金剛輪は合掌でやっていきます。
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>>349
348>とはいえ即座に地獄に真っ逆さまのような恐怖感は凄かったので、
348>以前に景色が目茶苦茶鮮やかに見える魔境にあった(ここでご報告したことがあります)時よりハードでした。魔境恐るべしw
そんな魔境もあるんですね。
始めた時は2000反として飛ばしていたんですが、逆に不安定になってご指導通り、
途中減らして、もしくは休みながら週一1000反としていました。
先月の叱咤していただいてから、時間決めて1000反ずつ1日一座としています。
数えてみて本日で10万を超えてきました。途中が辛かったので・・・こんなものですか。
実際の空が鮮やかに見えるわけではないので例として違うんだと思いますが・・・・
正念誦と違って散念誦の場合特に指導を受けたわけではなく、字輪観に近い要領で行者(私)と本尊の
間を唱える真言の行き来を観ながら行じることとしています。これは別の行で習った要領なので正しいの
かどうかわかりませんが、集中力が保てるのでこの方法をとって念誦三昧しています。
で、今更な質問になりますが、以前からの話になります。
その際、頭頂がピリピリする感覚と共に頭の上が真っ白な光で包まれてくることがあるのは
念誦中のことで気にする必要は無いですよね?というか無視して続けることにしていますが。。。
聞くまでもないと思って、また気になることもないので、これまでずっと放置というか無視するようにしています。
上記のコメント読み直してみて鮮やかなで思いだしたんですが、
前日の行中に赤や緑など曼荼羅に使われる色の光に包まれた光景に変わっていて、
本尊から戻ってくる際に波を受ける様に観えて無視して続けて念誦を終えました。
今の回限りと思えますのでまだ続くようなら、一旦手と念誦を休めてでも伝に従って
「○字(伏字します)を感じて焼き尽」してから再開でいいもんなんでしょうか?
妄想やらの時湧いては消え、段々自身が無くなってきてしまいまして。
もう一つはテンプレ倉庫を読みなおしていて、塗香についてです。
十八道をする加減で前具と二器は在るのですが単純に、香炉・柄香炉・二器・独鈷杵・灯明・華𦹀と樒の造花
として理供養亊供養をするわけではないのでと思って。六器を準備して供えていないのです
より丁寧にであれば、理供養亊供養をせずとも、修験のように片供で三器にして、もしくはちゃんと六器を
供えた方がいいのでしょうか?もしくは塗香だけでもいいでしょうか?
いずれにしても現状、樒は入手が難しいので、佛榊代用するか造花で準備するかで迷うところですが。。。
時間の加減や物理的な加減で毎日変えるのは難しいところでも在ります。この辺はどうでしょうか?
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>>356 つづき
もう一つは
常で金剛薩?威儀に住してから入堂(と観じて、狭い部屋なので)、三禮、着座の作法も伝に則って
威儀(と言っても折り五条を直しつつ姿勢を正すだけですが)後、香、次いで法界定印で観本尊として
いますが、このあたりは問題ありませんでしょうか。
#どうも、以前どこで読み間違ったか、観本尊の後に三禮していたのですが、この辺は修正しています。
これで問題ないでしょうか?
改めて次第に則って読み間違えを正しつつ初心に返ってうかがってみたいと思った次第です。
-
>>355
>この陀羅尼は摩利支天とは関係ないものですか?
そうです。たまたま印が摩利支天のレアな作法に用いると言うだけのことです。
>>356
>そんな魔境もあるんですね。
そしてさらには、
>妄想やらの時湧いては消え、段々自身が無くなってきてしまいまして。
と言う魔境もあるわけです。正確には五蓋の内の「[心+昏]眠」(昏沈)蓋」というものですが。
ご自分の文章を人ごとだと思ってご覧になれば、自信喪失の方向で行の邪魔をしていると
ご理解できるかと思います。捨て置くのが一番です。
>もしくはちゃんと六器を
>供えた方がいいのでしょうか?もしくは塗香だけでもいいでしょうか?
もちろん六器を供えた方がいいです。内容をちゃんと弁備出来なければ六器全部閼伽だけとか、
塗香だけとか、あるいは生米盛ったりちょうどはいる大きさの個別包装菓子や餅などでもいいのです。
シキミの入手が困難であれば、華鬘器は他の花や葉でもいいですよ。私は水を半分に張って
田んぼで採ってきたレンゲソウの花頭を浮かべて用いてたこともありました。
ちなみに片供と言うのは、甑岳師とかがおっしゃってる修験のは六器片側という意味らしいですが、
真言宗では前供養しか使わないと言う意味です。略儀の意味ではありません。(むしろ+α)
折敷に六器の内三器と灯明火舎を並べて用います。壇での供養に用いるわけではございません。
>>357
蠱九三
正式な入堂〜着座を知っておられるなら、習われた通りの方がいいかと思いましたが、
やはり込み入った作法はまだまだ止めといた方がいいみたいなので、
もうしばらく「>>357その通り」でやって下さい。
-
極楽さんこんにちは。昨晩友人の子宝祈願で一座やりました。
軍荼利真言三種に准胝真言を添える形にしたんですが、特に軍荼利大呪(普段は甘露呪がメイン)と准胝真言が驚くほど行にシックリ。
なんか傍から「もっと!もっと!」と煽られているような感じで疲れ知らず。結局准胝真言は数が分からなくなりましたw
飽くまで自身の行が優先ですが、このまま続けようと思います。
-
>>358
有難う御座います。
あぁ、なるほど・・・。行に限らず・・・、
「[心+昏]眠(昏沈)蓋」が様々なところに出ていると考えると、色々合点がいきます。
今、丁度改めて唯識の本を読み進めているところなので、普段においてこの部分を観察してみようと思いました。
とは言えど、環境状況的にそうさせられる原因もあるのでしょう。。。
もっと紐解くならば「分別」に集約されていくのでしょうが、判断材料になる実体験が足らないのかもしれない、
と思うのも、また、昏沈ですか。。。堂々巡りですよね^^;
>捨て置くのが一番です。
考えてみるに行に限らず様々な焦りがあるのだと思います。
断じれないもの・どうしようもないものがある事に対する歯がゆさがあるんだと思えてきました。
どうしようもないのに執着、ほとほと困ったものです。。。
>もちろん六器を供えた方がいいです。
本来的には準備にも手間を掛けるべきなのでしょうが、ほこり被ってしまったりと、
くだらない完璧主義を興させるとまた支障が出てしまうのでは?略せるものは略して負担にならないように
と思っていたので、出来るだけ簡便に手入れを出来て今の状況にあった方法を模索してみたいと思います。
逆にそう誘導くださいまして、幾つかの例、有難う御座います
そのようにいたします。
>>357
>蠱九三
確かに現状では最善策だと思うので、自信もっていくこととします。
-
極楽さん、おはようございます。
先日、自殺についての話がありましたが、彼のことが気になったので、
こちらで彼の自殺について卦を立ててみましたところ、<雷沢帰妹五爻>が出ました。
発達障害とも言っていたので、恐らく大変に心が清らかな人なのでしょう。
しかし、心が真に綺麗な人(≒脳に何らかの障害のある人)は、何らかの突出した才能
でもない限りこの世では(特に先進国では)生きていけませんから、可哀想ですが、
仏菩薩に引き取ってもらうしか方法はないのかなと判断しました。
密教修法も前世の薫習がないと心身に悪影響を及ぼす可能性大ですし、
そういう善徳のない「落ちこぼれ」(あえて過激な表現を使います)を救済するために、
法然&親鸞さんや日蓮さんが、原理主義的でかつ実践容易な新仏教を確立したのでしょう。
ですが、現在の浄土宗や真宗、日蓮宗は、他の伝統宗門同様、ただの既得権集団と化していますし、
熱い信心を保持している創価学会等に入れば更におかしな方向に行ってしまいます。
もう何処にも救いはありませんね。
帰妹は「正道ではない道」を表しますが、五爻は内面の美しさが賞賛される意なので、
易神は、何処にも救いのない純粋な精神障害者の自殺は許されると判断したのですかね。
何か、どうしようもない現実を見た気がして、仏道にも疑問を感じています。
せめて、仏菩薩に彼の冥福を祈ってやるくらいしか方法はないのでしょうね・・・
-
>>360
極楽金剛さま
>捨て置くのが一番です。
何だろう何だろうと、考えていて人と話していて「端から見ていて極端だよね」「思想じゃないかな?!」と
言う言葉にヒントを得たんですが、どう思われますでしょうか?
一つ思い当たることとして、儒教や道教の五常、「仁義礼智信」が私の行動規範であるように思えてきました。
深い刷り込みの部分もあり、特に「義」と「礼」が根強く、結局はこの二つに「分別」が組み合わさって
押し潰されている構図が見えてきた気がしています。もちろん他にもあるはずですが。
笑ってしまうことに、水沢節九五をえまして、「節」が保てるなら苦労はないんですよね。。。多分。
ここから離れて置き換えていくのが、薫習になっているのかどう置き換えていくのか。
で、思考停止してしまいました^^;
お大師さんの『三教指帰』や密教的な昇華として四近菩薩も気になるところですが。。。
中国に仏教を伝来する時に既にあった思想が、大きな障壁になったと聞きますが、それでも融合して
いったのであるならばいい方向付けも可能かと思うんです。
いつもですと、自分に更に問えと言うところなのですが、お知恵をお借りしてみるのもありかと思いまして
お邪魔いたしました。
-
>>361
何かヒントがと思えたので・・・横やり的にすみません^^;
中国思想の基盤に多分、生善説があるのではないかと思えます。
対して仏教は「空」に代表されるところが根本的に違う様に思えてます。
善行を為すのにも「心」に「善いことだからする」であれば道教儒教的には○なのですが
仏教的にはそういう心は業を作るから「×」ですし。
そう考えると正道・中庸は仏教の中道とは似て非なるものなのじゃないかと思えますし、
アプローチが違えば結果も異なるであろうとは思うんです。
そうなるとそもそもの「徳」の捉え方が異なりますし、正誤、善悪、浄不浄もそもそも
行き着くべきは「空」ですし。
「罪垢」を「清浄」にするのも「断」ずるも「空」に帰すための前段階の「安心」を得るにすぎないと
捉えてしまっています。偏っているかもしれませんが。。。
>そういう善徳のない「落ちこぼれ」(あえて過激な表現を使います)を救済するために
甘いかもしれませんが。。。そういう人であっても自然の摂理としては必要だから居てもらって
生かして(もらって)いて、それにまた自分も生かされているんじゃないかと・・・思えるんですよね。
ただ、利権に走ってしまっている社会はそれを求めないから結局は同じ事になってしまう。
かといって、理想だけを追い続けてしまってもチベットのように悲劇になってしまう。
バランスが・・・非常に難しいところなのかもしれませんね。
まだ思いとどまっていてくれていることを信じたいところです。
-
>>361
帰妹には「兌の泥沼から震の大輪蓮華が咲く」象が見えます。そもそも帰妹六五と言うのは、
臣籍降嫁に付いてきた侍女の方が姫よりいい服を着てるが、姫の方が高貴なんだから
ボロ服の下から光を放つようであると言う卦で、確かに心がきれいだけど、その心の美しさは
置かれた立場など関係無しに光り輝くようであるというのです。
政略結婚で身分が低くなる上に侍女よりボロい服着せて嫁がされたという現実に負けない徳の輝きです。
現実の汚さに負けた美しい心などではありません。
>法然&親鸞さんや日蓮さんが、
この三宗派の共通項は「末法思想」であり、お釈迦様の教えに消費期限があるから現代では
無効と言う教えですが、私のバックボーンである禅・真言・上座部では知ったことではありません。
つまり、前提が違うので修道論が中心の私とは議論は出来ません。
>密教修法も前世の薫習がないと心身に悪影響を及ぼす可能性大ですし、
そんなことはありません。誰が言ってるのですか?
むしろ帰妹六五が出たことで「泥中の蓮華」(理趣経の百字偈)を目指しなさいと言う感じです。
まあ、先日の人は節初九を得たので思い直して帰ってくるのではないかと思ってます。
-
>>362
革九三
これは今非常に微妙な時期であると言う卦です。進退のタイミングを失してはいけないと言う卦です。
前具が揃ってるなら事供養に徹したやり方もあるし、どうだろうか?
帰妹九二
現状維持
晋六五
今の行から後退するのも、もったいないようだし。
まあ、色々迷いはしばらくあるでしょうが、その迷ってることに対しても捕らわれないようにしてください。
適当なところで切り替えて疲れない程度に。
行に関しては現状維持で増やすのは控えてください。
-
>>364
>政略結婚で身分が低くなる上に侍女よりボロい服着せて嫁がされたという現実に負けない徳の輝きです。
>現実の汚さに負けた美しい心などではありません。
いや、臣籍降嫁ですから、現実の前に随わざるを得なかったという所でしょう。
しかしその中でも、気高い心持ちが周囲の賞賛を浴びるというものです。
釈尊も条件付きではありますが自殺を容認しましたから、彼の自殺も容認されるのではないでしょうか。
>つまり、前提が違うので修道論が中心の私とは議論は出来ません。
いや別に他人の自殺について、極楽さんと議論するつもりなんてありませんよ。
あなたはすぐに何でも議論に持って行きたがりますが、今回ばかりは
人の生死に関わることですから、そういう態度は控えた方がよいでしょう。
>むしろ帰妹六五が出たことで「泥中の蓮華」(理趣経の百字偈)を目指しなさいと言う感じです。
密教修法は、前世の薫習のない「落ちこぼれ」には、むしろ悪影響の可能性大ですからね。
もしかしたら、それで死期を早めてしまったのかもしれません。
こういう事があるから、本来は修法の自修は厳禁なのでしょう。
世襲利権で固まった現代の伝統仏教では難しい話かと思いますが、
ああいう人は、やはり出家して師僧に就かないといけないんですよね。
まぁ、今となってはどんなことを言っても詮無いことですが・・・
>まあ、先日の人は節初九を得たので思い直して帰ってくるのではないかと思ってます。
節初九ならば、自分の内なる世界を固く閉ざしたという意味にも受け取れますから、
やはり自殺してしまったのではないでしょうか。そうだとすれば彼の冥福を祈るしかないのでしょう。
世の中にはどうしようもないことはあるものです。
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>>366
>密教修法は、前世の薫習のない「落ちこぼれ」には、むしろ悪影響の可能性大ですからね。
ですからそれは誰が言ってるのですか?
-
>>367
誰が言ったのかは、ここで言うことはできません。
あなたが個人情報に関することを一切明かさないように、
私も個人情報に少しでも関係することは口外することは出来ません。
それにそんなことはどうでもいいはずです。
お釈迦様も条件付きではあるものの自殺を容認したということは、
仏教は自殺について完全否定はしていないということでしょう。
>むしろ帰妹六五が出たことで「泥中の蓮華」(理趣経の百字偈)を目指しなさいと言う感じです。
バカなことを言ってはいけません。
普通の人間は「泥中の蓮華」を目指そうと思っても力及ばす、仕方なく周りに流されて生き延びるだけです。
まして、発達障害で精神病の弱者に対して「泥中の蓮華」を目指せなどと、誰が言えましょうか?
思い遣りがないというか、想像力に欠けるというか、もう話にも何もなりません。
そんな愚かなことを易が告げるはずもなく、彼の自害は仕方の無いものとして容認されたと考えるべきでしょう。
妙な拘りを捨てて、自殺者の冥福を祈る気になれませんか?
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横レスながら、まだ自殺したか否かも確定情報があった訳でも無いのに追善を祈れとは
さも人に死んでいてほしいと願ってるかの様に誤解され兼ねぬのでは無いかと。
そんな事は考えておられぬと思いますが、人によってはここぞとばかりに逆ネジを噛ましてくるような気がしますよ。
それに釈尊が弟子の自殺を許したのはあくまで阿羅漢の境涯を得てからという結構ハイレベルな条件付きだった筈。我々凡夫はそれ以前の段階な気がします。
私も幼少期にイジメを受けて自殺を図った事ありますから、自殺したくなる気持ちはある程度理解出来ますが
とはいえ他人にホイホイ勧める気にもなれません。
まー、生きて行くのも死ぬのと同じ位嫌で辛いですがね。
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前に書き込みしてた方は自殺したんですか?
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>>369
>さも人に死んでいてほしいと願ってるかの様に誤解され兼ねぬのでは無いかと
確かにその通りですね。軽率でした。申し訳ありません。
>それに釈尊が弟子の自殺を許したのはあくまで阿羅漢の境涯を得てからという
>結構ハイレベルな条件付きだった筈。我々凡夫はそれ以前の段階な気がします
確かにそうなのですが、帰妹五という卦を見て、彼の自殺は例外として許されるものかなと判断したのですよ。
発達障害の人というのは心が吃驚するほど綺麗な人(ゆえに社会には適応不可)が多いですから、
そういう人の自殺は許されるのかなと。
とはいえ、このまま行くとスレ違いの話題が続いてしまいますから、
この話は終わりにします。スレ汚し失礼致しました。
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>>368
>誰が言ったのかは、ここで言うことはできません。
>あなたが個人情報に関することを一切明かさないように、
>私も個人情報に少しでも関係することは口外することは出来ません。
つまり、隠す必要のない顕徳ある方や経論にあることではないのですね。
分かりました。その話は結構です。
しかし、それを私のスレに来て言うのは嫌がらせに他なりませんので、もう言わないで下さい。
>普通の人間は「泥中の蓮華」を目指そうと思っても力及ばす、仕方なく周りに流されて生き延びるだけです。
>まして、発達障害で精神病の弱者に対して「泥中の蓮華」を目指せなどと、誰が言えましょうか?
>思い遣りがないというか、想像力に欠けるというか、もう話にも何もなりません。
単に「泥中の蓮華を目指せ」とコンセプトだけ言うなら確かに無責任です。
しかし、私はそれが出来るようになるために何からどうやってやっていくのか相談に乗る用意が
あるのですが何か?
蓮の種は堅い殻を持ってます。2000年経った後も発芽するほど堅固に中身を守ります。
私なら先ずその方向でアドバイスするかも知れません(実際に話聞いてみたら違う方向になるかも知れない)
それでも思いやりがないと言われるのですか?
つか、それを先日の方が言うならともかく、第三者のあなたがどうしてそんなこと言うのですか?
>妙な拘りを捨てて、自殺者の冥福を祈る気になれませんか?
本当に自殺されたのなら、確かにこだわるも何もそれしかできませんね。
自殺されたとどうして判るのですか?
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>>371
>>それに釈尊が弟子の自殺を許したのはあくまで阿羅漢の境涯を得てからという
>>結構ハイレベルな条件付きだった筈。我々凡夫はそれ以前の段階な気がします
>
>確かにそうなのですが、帰妹五という卦を見て、彼の自殺は例外として許されるものかなと判断したのですよ。
帰妹六五を私はそのように解釈できませんし、解脱を果たした条件でしか自殺は許されないと言う
仏の教えも曲げる気はございません。
そもそも、本当に心が綺麗な人に自殺していいよなどと言う神経が理解できません。
私だったら、心が綺麗な人にはなんとかお助けしたいと思えます。
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>>372
>つまり、隠す必要のない顕徳ある方や経論にあることではないのですね。
ここは不特定多数の人間が見るインターネットです。
他人に迷惑が掛かるだけではなく、下手をすると私個人の情報も探られる恐れがあります。
顕徳があるかないかは関係ありません。インターネットの特性を考えてのことです。ご了承ください。
>しかし、私はそれが出来るようになるために何からどうやってやっていくのか相談に乗る用意が
>あるのですが何か?
現代の精神医学を持ってしても、発達障害の治療法というのは確立されておりません。
あなたは精神医療の現場を知らないからそんなことが言えるのでしょう。
あなたの用意とやらが、現代の精神医学を超えるものであるという保証はどこにあるのですか?
>蓮の種は堅い殻を持ってます。2000年経った後も発芽するほど堅固に中身を守ります。
>私なら先ずその方向でアドバイスするかも知れません(実際に話聞いてみたら違う方向になるかも知れない)
>それでも思いやりがないと言われるのですか?
そういう抽象的な観念論を言っているのではありません。
現実に発達障害というのは医療で治す事が出来ないのです。程度にもよりますが、社会に適応することも困難です。
それを医療の知識のない人が、しかもネットだけで指導しようなどと、少し無責任過ぎやしませんか?
>自殺されたとどうして判るのですか?
それについては撤回済みのはずです。ちゃんとレスを読んでください。
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ここは医学のスレじゃないんだが
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>>373
>帰妹六五を私はそのように解釈できませんし、解脱を果たした条件でしか自殺は許されないと言う
>仏の教えも曲げる気はございません。
そうですか。解釈の違いとしか言えませんね。
ただ、条件付きとはいえ、仏教は自殺を完全に否定してはいないということでしょう。
私は仏菩薩の大いなる慈悲を信じます。
>そもそも、本当に心が綺麗な人に自殺していいよなどと言う神経が理解できません。
>私だったら、心が綺麗な人にはなんとかお助けしたいと思えます。
それはあなたが精神医療のどうしようもない現場をご存知ないからです。
発達障害の人は心が綺麗な人が多いです。しかし、それは脳の先天的な障害によるものなのです。
そういう人に、強いもの勝ちの資本主義社会の中で、「泥中の蓮華」の如く生きていけ!
などと平気で言える神経が私にはとても理解できません。
>私だったら、心が綺麗な人にはなんとかお助けしたいと思えます。
その熱意はわかりますが、医療の知識も無い人が、しかもネットで
やり取りするだけでは、とても無理な話だと思います。
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>>374
私が治すとは言ってません。もとより出来ることしかできませんし出来ることしかしません。
例えば入院してる友人が居るとします。その友人のために身の回りの物を調達したり、
学校や会社の情報を頻繁に伝えたりを「自分なりに出来るサポート」として精一杯やってます。
それをしてる人に、
>あなたの用意とやらが、現代の精神医学を超えるものであるという保証はどこにあるのですか?
>それを医療の知識のない人が、しかもネットだけで指導しようなどと、少し無責任過ぎやしませんか?
と、文句言うのですか?
ずいぶんトンチンカンと言うか無茶な文句ですね。
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>>375
極楽さんは医学を超える技を持ってるの!?
でも、幕末の神道系新宗教や、昭和初期の日蓮系新宗教は、当時の医療で治せなかった病を治したりしてたというから、
密教に現代の医学を超える技を期待するのも、わからない話ではないね。
ただし、極楽さんが彼等を超える「教祖様」足り得るのかどうかはわからないけど。
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>>376
>>帰妹六五を私はそのように解釈できませんし、解脱を果たした条件でしか自殺は許されないと言う
>>仏の教えも曲げる気はございません。
>
>そうですか。解釈の違いとしか言えませんね。
>ただ、条件付きとはいえ、仏教は自殺を完全に否定してはいないということでしょう。
>私は仏菩薩の大いなる慈悲を信じます。
すみません、どうも何かあなたとは似て非なる「違う宗教」という気がします。
二つの正義は両立しません。お引き取り願えますか?
解脱しなければ同じ苦しみを転生先で繰り返すのだし、しかも自殺はより多くのカルマを背負わせる
ようなことになるのに、「大いなる慈悲」とは、解釈の違いというレベルではありません。
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>>377
>例えば入院してる友人が居るとします。その友人のために身の回りの物を調達したり、
>学校や会社の情報を頻繁に伝えたりを「自分なりに出来るサポート」として精一杯やってます
たとえ話にもなっていません。全然違う話です。少しふざけ過ぎではありませんか?
あなたは思ったよりも非情な人だったのですね。
もっと深刻な問題なのですよ。実際に人の生死が関わっているのですからね。
はっきり言ってあなたは無責任です。発達障害は治らないものなのです。
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医学を超えるも何も、先天的で治らないからこそ、周囲のサポートが重要となる。
そのサポートというのは、社会的、福祉的であったり心理的であったり。具体的なサポート手段はわかりませんが、極楽さんが言われてるのはその何らかのサポートをしていきたいということでしょう。
そもそも発達障害の方は心の綺麗な方が多いとか、それ故に不適応とか、社会適応困難とか、コメディカルの立場からは失笑もんですよ。発達障害の方は様々な困難ありつつ、それなりに適応されてる方の方が多いんです。知らないんですか?あなたこそ精神医療、療育、地域援助を勉強し直してください。しないなら知ったかはやめましょうね。不愉快だから。
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>>380
>あなたは思ったよりも非情な人だったのですね。
だから「出来ることしかできないし出来ることしかしない」と言ってるのですが、
一体私にどうしろというのですか?
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>>379
>解脱しなければ同じ苦しみを転生先で繰り返すのだし、しかも自殺はより多くのカルマを背負わせる
>ようなことになるのに、「大いなる慈悲」とは、解釈の違いというレベルではありません。
極楽さんは、治らない苦しみを抱えて地獄の思いをしている人に、
「泥中の蓮華の如く生きよ!」と平気で言える人なのですね。正気の沙汰とは思えません。
>二つの正義は両立しません。お引き取り願えますか?
そうですか。わからないのなら仕方がありませんね。
ただし、あなたが考えているほど、発達障害や精神病は簡単なものではないということだけはご理解ください。
失礼致します。
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>>381
>発達障害の方は様々な困難ありつつ、それなりに適応されてる方の方が多いんです。知らないんですか?
>あなたこそ精神医療、療育、地域援助を勉強し直してください。しないなら知ったかはやめましょうね。不愉快だから。
そりゃ軽度の方はそれなりに適応されている人もいるでしょう。
しかし、ほとんどの人は社会に適応できず、ニートや引き籠りになって、
最終的には自殺に及んでいる方が多いのです。知らないのですか?
どうせ机上の勉強だけで、知ったかぶりをされているのでしょう。
浅い知識で何の救いにもならない理想論を言わないでくださいね。不愉快なのはこっちです。
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確かに発達障害という脳の先天的機能不全は治らない。
しかし治らないということはどうしようもないということではない。
この方は発達障害を必要以上に過剰にむつかしく障害だとお考えの様子。
発達障害は治らないが、現実適応という目的に向けて、専門家の療育や治療がらなされ、十分に社会適応できることの方が今や多い。
もちろん専門家以外の人のサポートは必要。それの基本スタンスとはまさに
>「出来ることしかできないし出来ることしかしない」
に尽きる。
スレチとは思いつつも間違った認識でのドヤ顔は不愉快なので書き込みました。
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>>384
逆に重度の障害者の方が、福祉的なサポートを受けられてますよ。
問題なのは軽度・中度の方。一見、普通の健常者と変わりが無いために、
医療や福祉のサポートを受けられず、また社会からはただのハグレ者と看做され、
孤立無援の状態に陥っている人が多いです。
そういう人がニートやひきこもりになり、果ては自殺に至るのでしょう。
前に出ていた人は、そういう軽中度であるがゆえに、孤立無援の状態にある人ではないかと思われます。
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>>383
>ただし、あなたが考えているほど、発達障害や精神病は簡単なものではないということだけはご理解ください。
簡単だろうが難しかろうが結局「出来ることしかできないし出来ることしかしない」それだけのことです。
それぞれの人がそれぞれの器量に従って「出来ることをして出来ることだけでいい」それでいいのです。
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>>387
>簡単だろうが難しかろうが結局「出来ることしかできないし出来ることしかしない」それだけのことです。
勝手にすればいいんじゃないですか。結局、何をしようが当人にとっては何の救いにもならないのですから。
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>>385
>もちろん専門家以外の人のサポートは必要。それの基本スタンスとはまさに
>「出来ることしかできないし出来ることしかしない」に尽きる。
その心がけは素晴らしいことだと思うけど、現実の今の日本社会でどれだけそういう
サポートを受けられるんですかねぇ?あなたは善い心理士さんだからそういう考えを
持てるだろうけど、ほとんどの人間は自分が生きるだけで必死でしょ?
私も精神病患者だけど、一般人はもちろん、医師や心理士にも不信の念しかありませんよ。
そう言うとまた「他罰」がどうのこうのとか言って来るほかの臨床心理士がいるだろうけど(笑)、
現実には信頼できない人間ばかりです。
所詮、虚しい理想論のような気がします。
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>>388
あなたはここで何がしたいんですか?
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>>378
>極楽さんは医学を超える技を持ってるの!?
>でも、幕末の神道系新宗教や、昭和初期の日蓮系新宗教は、当時の医療で治せなかった病を治したりしてたというから、
>密教に現代の医学を超える技を期待するのも、わからない話ではないね。
>ただし、極楽さんが彼等を超える「教祖様」足り得るのかどうかはわからないけど。
宗教は、医学から見捨てられた人を救済してきた。
心の救済において力を発揮してきたし、
時には奇跡的治癒をも宗教は示してきた。
まして、仏教者・密教者であれば、その心に絶望という文字は持たないものと思う。
>>374
>それを医療の知識のない人が、しかもネットだけで指導しようなどと、少し無責任過ぎやしませんか?
何もするなというほうがおかしい。
それに医学の限界を超えているのならば、尚更、宗教にこそ人の救いがあるというものです。
ここに投稿してきたのは本人からですよ!
極楽さんから、向こうへしゃしゃり出たわけじゃないから。
>>388
>勝手にすればいいんじゃないですか。結局、何をしようが当人にとっては何の救いにもならないのですから。
「何をしようが無意味」とは、かなり酷い考え方だと思う。
そういう決めつけ方では世の中は何も進歩しないでしょう。
人は自分に出来ることしかできませんが、それでも自分の最善を尽くことには意義がある。
ましてや、極楽さんは宗教者ですから。
-
逃げたのですね、ランボーを調伏できなくて。
-
>>391
>ましてや、極楽さんは宗教者ですから。
え?極楽さんはただの在家の密教マニアでしょ。
本人曰く、ランボーと2chで張り合って名を挙げた、ディープな宗教オタクですよ。
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>>391
>そういう決めつけ方では世の中は何も進歩しないでしょう。
世の中は進歩している・・・
そう思っていた時期が私にもありました。
-
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜お知らせ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
スレをご覧の皆様にはお手数かけますが、ただいまより掲示板の仕様を、
・強制ID
・ハンドル使用
の、ように変更します。
にちゃんの高野山スレにここが貼られ、昨晩の激しい討論に便乗して明らかに荒らすつもりの
書き込みなどなされてますので、「敵意や悪意」と言いたいことを言いたいのとの線引きのためにも
ご理解のほど、よろしくお願い致します。
合掌
-
>>365
騒がしかったので、少々控えておりました。
>行に関しては現状維持で増やすのは控えてください。
亊供養どうしようか悩んだのですが、通常は六器と常用華で意に従って気持ちを添えることとしました。
護身法で前のを最後の護身法で後のを手を添えてお薦めするだけで、
何かを作法を次第にはさむのはしない形にしようと思います。
また、条件が揃って準備できる余裕のある時はちゃんと供物を揃えようと思います。
しかし、魔境色々な形で出てきますね・・・。
このところ、お腹は冷えるわ、今日は頭痛(偏頭痛持ちです)だわ、時間は押しているわ
冷えは以前夏場だというのに行中だけ偶に感じていたんですが、とうとう普段まで^^;。
さて、ふと思ったんですが、(蒸し返すようですみませんが・・・)
そもそも「前世の薫習がない」人っているんでしょうか?
表現の違いで「前世の薫習に気がつかない」人というのはほぼ全員そうなのでしょうが、
前世現世に限らず原因となる思考法や記憶を確認して受け入れて可能なら書き換えていくこと
だと思いますし、私の場合は特に「次第に手を加えない」がこの「一環かな」と思えるわけで。
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>>396
>亊供養どうしようか悩んだのですが、通常は六器と常用華で意に従って気持ちを添えることとしました。
>>358の補足ですが、要は六器全部閼伽だけでも構いませんから、「六つとも全部盛ってる」
ように用いて下さいと言うことです。
>冷えは以前夏場だというのに行中だけ偶に感じていたんですが、とうとう普段まで^^;。
いやw それは今の場合季節のものもあるんでしょう。
>そもそも「前世の薫習がない」人っているんでしょうか?
唯識とかで言うところの「前世の薫習がない」状態は阿羅漢ですね。
それは居られるでしょうw
言葉を正確に解し捉えるのと、本人の言いたいことはまた別のことがあります。
>>361の言ってることは今考えると「末法思想」と天台-日蓮系で言う「下種益」の考え方だと思われます。
正・像法の間はそう言う「前世の薫習」とやらがある人が生まれてくるので修行をどんどん完成させる
人が出るが、末法になるとそれが無い人ばかりになるから修行の完成が不可能になり、
・如来が常在していつでも説法が聞けるところに生まれ変わって修行→浄土思想
・衆生に新たな薫習かますため、お釈迦様とは別の仏法が必要→日蓮思想
と言うのが末法思想に基づく鎌倉仏教の一思想潮流です。
でも、禅宗や真言宗、上座部は末法など知ったことではないので関係ありません。
前世の良い薫習があっても今生でさぼってれば実ること無いし、無いとゼロから始めるという
不利があるでしょうが、そんなことでいちいち悲観的になって修行をしない理由にするのは
愚かだと思います。
-
末法思想について一家言。
ただ、貨幣経済もろくになかったお釈迦様の時代に較べて、時代が下がるに連れ個人が受け取る
「情報量」の増大は、不還果や阿羅漢果という俗人が日常生活で接するような情報による薫習までもが
問題になるような高度なレベルでの修行を邪魔することになるので、社会が複雑になるほど
高度な道果の修行環境としては劣悪度が高いと言えます。
そう言う観察の説明を付ける理屈として末法思想が出来たのではないでしょうか。
-
なんだか、私の所為でスレが荒れてしまったようで申し訳ありません。
私ならまだ何とか生きています。しかし、練炭などの準備も整え、
これから冬に向かって自殺をする準備は整っています。
今は詳細な履歴書を書いて、私が今まで受けてきた仕打ちや、
周囲に訴えたかったことなどをまとめている作業の最中です。
医師も臨床心理士も周囲の人間も宗教家も、もう誰も信用できません。
「いのちの電話」などは気休めもいいところです。何の役にも立ちません。
私にとって出来ることは、このままひっそりと自殺することか、
社会への復讐として無差別殺人でもやってやるかくらいのものです。
無差別殺人をするなら、自殺の方がまだ罪は軽いですよね。
極楽さん、いろいろと心配いただき有り難うございました。
>>361さん、優しいお心配りを有り難うございました。
でも、もうさようならです。
もう私には何もかもがどうでも良いのです。
極楽さんは「来世の他人に押し付けるのは卑怯だ!」と仰るでしょうが、
もうここまで来ては仕方がありません。というか来世も今世も、もうどうでもいいです。
有り難うございました。さようなら。
-
周囲に訴えたところでどうにもなりませんよ。
訴えてわかってもらえるような周りなら、今現在の状況はないはずです。
遺書を読んでも嘲笑うんじゃないでしょうかね?
死ねばそれこそ言いたい放題言われ、あることないこと言われ、
全ての責任を押し付けられた挙句、厄介者が去ったと喜ばれるでしょう。
許せますか?
泣き寝入りするんですか?
悔しくないですか?
復讐したところで、その手の連中は良心の呵責なんて感じませんよ。
絶対に許せないのであれば生きて行に励むべきかと思います。
つか、見ていてこちらもやり場の無い怒りがふつふつと・・・。
-
あとね、書こうかどうしようか迷ったけどさ、
私があなたの立場ならこう書く。
「極楽さん、今までご指導いただきありがとうございました。
一応の目途が立ちましたので、しばらくはこんな感じでやってみます。
わからないことがあったらまた質問します。
それでは。」(^^)ノシ
最期くらいは思いやりの心を示したいものだわな。
スレ主。
私のカキコは削除して下さい。(>>400-401)
読む人によっては不快を与える可能性がある。
-
>>399
>私ならまだ何とか生きています。しかし、練炭などの準備も整え、
>これから冬に向かって自殺をする準備は整っています。
>今は詳細な履歴書を書いて、私が今まで受けてきた仕打ちや、
>周囲に訴えたかったことなどをまとめている作業の最中です。
まだそう言うことをする気力も体力もあるのに、なんで行をしようとしないのですか?
私が過去に相談を受けた中には、自殺する気力もないとか、この期に及んでやっぱり恐いとか
切々と訴えられた方も居ますが、その人達に較べたらまだそんな余裕があるのに。
私のスレに来て、どうして行の一つの相談もせず死ぬ死ぬ言うのですか?
-
>>401
>私のカキコは削除して下さい。(>>400-401)
断る。
このまま汚れ役を引き受けておくがよい。
(・∀・)ニヤニヤ
-
>>399
>今は詳細な履歴書を書いて、私が今まで受けてきた仕打ちや、
>周囲に訴えたかったことなどをまとめている作業の最中です。
それは、相手が全く反論できない状態で言いたいこと言う意図ですね。
およそ周りの人間はその人の鏡と申しますが、確かにあなたの卑劣さからあなたが
受けた仕打ちが手に取るように判る気がします。そんな連中など、>>400の通りですよ。
あなたの自殺で一矢報いるなど無理です。
本当に悔しくないのですか?
-
死ぬことを考えることは生きることを考えることだと言います。であるなら、
意義ある人生をおくれなかった者がその死だけ意義あるものにしようというのは無理でしょう。
-
お世話になっております。
話の流れを変えてすみません。。。
護身法、刀鞘印、智拳印、数珠での数え方を行者さんから伝授頂けました。
護身法は、東密のそれと違ってとてもシンプルでした。
十八道は、2年早いと言われましたw
早速、護身法と習った印を本尊加持に用いていきます。
-
>>406
>護身法、刀鞘印、智拳印、数珠での数え方を行者さんから伝授頂けました。
それはようございました。よろしくご精進下さい。
>十八道は、2年早いと言われましたw
いや、「十八道」じゃなくて「十八契印」・・・。
orz
まあ、それだけ習ってご縁も繋いでおけば十八契印も一年くらい先でもいいでしょう。
-
>>406
おめでとうございます。
書き込みからも真面目な方と分かるマサさんだからこそのご縁ですね。正直羨ましい!
私も精進しなきゃ!
-
>>407
ありがとうございます。
> いや、「十八道」じゃなくて「十八契印」・・・。
てっきり一緒のものかと思っていました。。。
地道にやっていけば習う縁は必ず来るからゆっくり精進しなさい、と私が思ってたことを言われたのでゆっくりやっていきますw
とりあえずスレが落ち着いたら、わからないところをお聞きしたいです。
よろしくお願いします。
>>408
ありがとうございます。
今までは神仏を否定する人生でしたが、ご縁で仏様に懺悔と感謝を抱けるようになりました。
まだまだ駆け出しですが、心から祈ればきちんと導いてくださると、少しずつですが実感しています。
共々に精進していきましょう!
今後ともよろしくお願いします。
-
>>409
ちょっと訂正します。
これっきりのご縁ではないようで何よりです。であるなら十八契印は無理にとは言いませんし、
十八道習うぐらいならいっそ正式に入門されて下さい。
この次に何か教えてもらえるなら、「三密観」「持戒清浄の大事」など聞いてみて下さい。
-
アボーソ
-
アボーソ
-
リアル行者・阿闍梨よりの伝授にご縁があった場合の優先順位まとめ。
・念珠で真言などの数を取る方法。
・護身法。
・大金剛輪印明若しくは小金剛輪印明。いずれかなら小金剛輪。
・本尊と本地仏菩薩の印明。いずれかなら本地仏菩薩。
・三密観
・持戒清浄の大事
・十八契印
・智拳印と金剛界大日如来真言(金剛界大率塔婆印)
・外五鈷印と胎蔵大日真言(大日剣印)
・仏眼印明
ここまで習えば「小供養法」「沢の略念誦法」が出来ますので、在家はこれで充分だと思います。
「持戒清浄の大事」というのは、護身法の仏部三昧耶と蓮華部三昧耶の間にはさむ作法で、
戒清浄の功徳をいただく作法です。実際のところ、やはり戒が守りやすくなります。
・軍荼利身印>不動尊印明>烏枢瑟摩明王印明
弁事明王として、お給仕の際や一日の始まりに護身法に続けて結呪し、お給仕なども弁事明王の
働きとして、坐禅が仏様の真似であるように身業をして弁事明王の真似とせしめます。
・十八道・・・・
-
>>413
×結呪
○結誦
-
>>402、>>404、>>405
まぁ、何とでも好き放題言ってください。別に極楽さんと議論する気はありませんから。
行などもう散々やりました。その上で、神も仏も来世も今世もどうでもいいと思えるようになりました。
(某大作家が言っていたように、宗教というのは「大虚構」なのかもしれませんね。)
医学や科学がもっと進んでいれば、私のような者も普通に生きられたのでしょうが、今はまだ無理のようです。
そういう時代に生まれれば良かったのでしょうが、まぁこれも運命という奴でしょう。
>あなたの自殺で一矢報いるなど無理です。
一矢報いる?そんなつもりは全くありませんよ。
身辺整理の一環として、軌跡を残しておこうと思っただけです。
本当に一矢報いるつもりなら、標的の人間達を殺すか、無差別殺人でも行います。
もちろん、そんなことをすれば残った家族に迷惑が掛かるので、一人静かにいく道を選びます。
私はただ、この地獄から解放されて楽になりたいだけの話です。
それでは失礼いたします。
あと、心静かにいきたいので、もうレスは不要です。
私はただ、革九五の解釈を聞きに来ただけなのですから。
それに帰妹六五も得られたようで、本当に心の救いになりました。
これで安心して死ぬことが出来ます。有り難うございました。失礼致します。
-
テンプレ倉庫更新情報
不動尊の項目、節食の一例として、
>あるいは「十三頭陀支」の内在家にも希望者にはさせる、
>・一座食支:一日一食。ただし、食事中に席を立ったらそこまで。
>・一鉢食支:お代わりをしない。
>などもいいでしょう。
を、追加。
-
>>410
ありがとうございます。
三密禅という止観法は習いましたが、三密観とは違うようですね。
行者さんに聞いてみます。
入門は当分先になると思いますw
質問なのですが、
観本尊で「略義で眉間を観る」とはどういったものでしょうか?
仏像がないので、観想して目の前に不動明王をお迎えして勤行をしています。
観本尊のときは、お迎えしてまず金剛石の台座、御足、剣、羅索、御顔、炎、二大童子の順番に観て、最後に全体を観ています。
こんな感じでも大丈夫でしょうか?
よろしくお願いします。
-
>>417
>三密禅という止観法は習いましたが、三密観とは違うようですね。
未敷蓮華合掌で浄三業の直前にはさむ作法です。全く違うものだと思われます。
>仏像がないので、観想して目の前に不動明王をお迎えして勤行をしています。
>観本尊のときは、お迎えしてまず金剛石の台座、御足、剣、羅索、御顔、炎、二大童子の順番に観て、最後に全体を観ています。
>こんな感じでも大丈夫でしょうか?
それでいいですよ。それが出来ない人が、
>観本尊で「略義で眉間を観る」
白毫などだけ観て、全容を観た事に代えるのです。
-
極楽金剛さん
お世話になってます。中級作法、大呪の回数は短縮版と 216回が混在してますが、昨年7月から欠かさずやってます。
節食についてお尋ねしたいのですが、私は平日は夕食、週末は昼食の一食が多いのです。ただし、平日はビタミンなどの錠剤とヨーグルトを朝に摂ってます。これは一食とはよべませんでしょうか。
また、1鉢は文字通り一皿じゃないといけませんか?また、最初からご飯大盛にしてると、駄目でしょうか。
いずれにせよ毎日ではなくて、大体、という頻度です。よろしくお願いします。
-
>>419
>節食についてお尋ねしたいのですが、私は平日は夕食、週末は昼食の一食が多いのです。ただし、平日はビタミンなどの錠剤とヨーグルトを朝に摂ってます。これは一食とはよべませんでしょうか。
ヨーグルトは攪拌しておけば非時食にはなりませんが。
ビタミン剤はどうでしょうねえ?「薬」であれば食事になりませんが・・・。
損初九
ん〜、間接的に病を損するじゃあ薬とは言えんし・・・。
ビタミン剤やサプリメントを薬とみなすことの是非。
帰妹初九
正夫人をれっきとした医薬品とすると、サプリメント類は付き嫁扱いだから、独立させて扱うわけにはいかないと。
ちょっとビタミン剤の類は食事に分類せざるを得ないようです。医薬品を飲むついでなら可ですが。
どうしても非時に摂って非時食に入れたくないなら、砕いて溶かして飲むという手もありますが。
>また、1鉢は文字通り一皿じゃないといけませんか?また、最初からご飯大盛にしてると、駄目でしょうか。
そうです。しかし、大皿に小皿盛ったり和式の「膳」でひとまとめにしたものは構いません。
インドでは我が国の膳みたいに、お盆にいろんなものを盛って一人分とします。
十二天供という修法では、一つの器に食べ物やお香、灯明を盛ったものを13杯用意してお供えします。
また、写真で見るとおり南方の鉢は禅宗とかで使うものよりかなり大きいです。丼より大きいですね。
http://www.thaiokoku.com/fundamentals/images/religion_photo5.jpg
>いずれにせよ毎日ではなくて、大体、という頻度です。よろしくお願いします。
まあ、頭陀支というのは早い話が「苦行」ですので、あまり仏教徒が必死にする修行ではないですから。
-
>>419
>最初からご飯大盛にしてると、駄目でしょうか。
言い忘れましたが、器を大きくしていいのですから、大盛りにしても可です。
-
ありがとうございます。易や背景のご説明まで頂き、御礼申し上げます。
ビタミンなどは、食事と一緒に摂るようにします。仏教の修行の本質とは違っているようなので、程々にしておきます。
-
>>418
ありがとうございます。
小三鈷印は軍荼莉尊ですよね?
これは大呪の結界に使えますか?
あと、真言、観想なしなので伝授なのか怪しいところですが、
護身法の次の結界法の二種類の印だけ教わってます。
よろしくお願いします。
-
>>423
>小三鈷印は軍荼莉尊ですよね?
>これは大呪の結界に使えますか?
そうですけど、被甲護身の印をご存じでしたらそちらで代用して下さい。
>あと、真言、観想なしなので伝授なのか怪しいところですが、
>護身法の次の結界法の二種類の印だけ教わってます。
それは「地結」(金剛ケツ)と「金剛墻」ですか?
両手中指と薬指を互いの外側の股に入れて組む?
印だけ教わったというのがよく意味が解りませんが、雑談などの話題に出たついでに
組み方を教えてくれたとか、別の人に教わったという感じですか?
真言と観想は自分で調べろと言う趣旨ですか?
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>>424
おはようございます。
> それは「地結」(金剛ケツ)と「金剛墻」ですか?
それです。
それとなく結界について聞いたら、小三鈷印とその印の結び方を教わりました。
「こういうのもある」程度なので伝授とは言えませんね。
東密は印を隠し、台密は真言を隠す。
と教わり、真言は本などに載ってる真言でも構わないと教わりました。
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>>425
>「こういうのもある」程度なので伝授とは言えませんね。
でもまあ印相はしっかり解ったわけですね。
どうします?結界も用いられますか?
-
>>397
ありがとうございます。
> >>358の補足ですが、要は六器全部閼伽だけでも構いませんから、「六つとも全部盛ってる」
毎度毎度変えるようにした方が善いと言うことでもありそうですね。
ここは可能な限り・・・になっちゃいますか・・・。
> >冷えは以前夏場だというのに行中だけ偶に感じていたんですが、とうとう普段まで^^;。
> いやw それは今の場合季節のものもあるんでしょう。
強烈な低気圧が通りましたね^^;
頭痛も熱っぽさも冷えも、確かに季節的なものかもしれないですね。
元々化火する体質(肝火上炎?)なので、実体験で体を観察する癖もあるのですみません^^;
強引に下げるとお腹下しますし・・・、どうもどなたもそうかもしれませんが気候の先取りをするので。
タダこのお腹の内部の冷えは経験上無い冷え方だったりしてるので何だろうかと疑っているところです。
> >そもそも「前世の薫習がない」人っているんでしょうか?
> 唯識とかで言うところの「前世の薫習がない」状態は阿羅漢ですね。
それは納得です!!!
うーん、確かに、家は浄土系ですが、私個人が学んだ過程(?)で禅・密教拠りなようで、
「下種益」は考えたこともなかったです。。。
信仰としてのある意味、「新たな薫習」だったわけですね。
ただ「三劫」なのか「三業」なのか、この点、台密には台密の救い(?)もあったんでしょうね。
今更のように小学校の教師が「今は末法の世ですから悟る事なんて出来ません!」
と自信満々に講じていたのを思い出します。
この方によって幼かった頃に様々なトラウマを生んだ教師だったので、
今更私がそこに反抗しているのかなとも思えなくもありません。まさに反面教師かもしれませんw
> そんなことでいちいち悲観的になって修行をしない理由にするのは
> 愚かだと思います。
確かに。
そういえばお釈迦様のおられた時代が更に古くなりそうですね。
道元禅師のいう「さとりても猶行道すべし」と言う言葉には、道の険しさと力強さを感じますし。
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>>426
ありがとうございます。
> どうします?結界も用いられますか?
是非ともお願いしたいです。
この結界で魔境はもっと防ぐことができますか?
-
>>427
>元々化火する体質(肝火上炎?)なので、実体験で体を観察する癖もあるのですみません^^;
>強引に下げるとお腹下しますし・・・、どうもどなたもそうかもしれませんが気候の先取りをするので。
「肝火上炎」というのは、その知識がある薬剤師なり鍼灸師なりに聞かれたことですか?
また、体が硬いと言うことはありませんか?
-
>>428
>この結界で魔境はもっと防ぐことができますか?
魔境は防げませんが、魔境に負けない菩提心を養うことが出来ます。
結界の本来の目的は、菩提心を守ることです。
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>>430
ありがとうございます。
今、父の身体の具合が悪く、如来の大慈大悲の甲冑を着て父の為の祈りをしてますが、魔境が半端ないです。
そう簡単には祈らせてくれないようです。
自分以外の人を祈る難しさを知りました。
自分の内にある無明の仕業なので、無視するというより戦ってやろうという気合いで祈ってます。
結界の真言は、キリキリとサラサラであってますか?
軍荼莉尊の結界と差し替える感じでしょうか?
よろしくお願いします。
-
◎金剛ケツ(地結・地ケツ)(ケツは[木厥])
親指合わせた先を下にして真言を誦するに従って下に打ち込むように降ろします。その後少し
手前に引きます。降ろすのが杭を打ち込む所作で、手前に引くのは鍬で整地します。
地結は毎回の修法で修しますが、解界の時は結願まで置いときます。つまり、結願までは
解界は次の金剛牆までで終わりです。
座数や日数を限らない日常の修法であるなら、掃除や移動などのときだけ、真言を誦しながら
上に向かって抜き取る所作をします。
地結と言うのは、護摩壇などの四隅に立てて金剛線が一巻きして掛けてある柱です。
本来は得度して比丘になる時の戒壇の場を区切るのが結界です。
原則壇の地結に沿って観想しますが、机などを用いているなら机の脚に沿うと想われても
いいですし、部屋の四隅の柱に沿うと想われてもいいでしょう。ただ、この範囲は狭ければ狭いほど
いいとされてますので、「心の大小に随って」と任せてしまうのが一番いいです。
真言:
オン キリキリ バザラ バジリ ホラ マンダマンダ ウンハッタ。
観想:
『四方に金剛杵の杭を打ち込み、菩提心を守る。その大小は我が心の器量に随う。』
◎金剛牆
印を三転真言三唱します。一回転ごとに一遍です。
三鈷の垣根を地結の沿って張り巡らします。印から火炎が出ると観想の文言にはありますが、
その炎から三鈷の垣根が出現します。(炎そのものを巡らすのは火院と言って別の作法)
真言:
オン サラサラ バザラハラキャラ ウンハッタ。
観想:
『印より火炎を出して煩悩妄執を焼き払い、更にその火炎から三鈷の垣根を出して
我が心の器量に応じた金剛堅固の城となる。一切の魔障近づくこと無し。』
-
>>431
>今、父の身体の具合が悪く、如来の大慈大悲の甲冑を着て父の為の祈りをしてますが、魔境が半端ないです。
>そう簡単には祈らせてくれないようです。
萃六二
お父様のために祈られるなら、行法で祈らずに、別に物のお供えをして手を合わすだけで
祈ってみて下さい。
>軍荼莉尊の結界と差し替える感じでしょうか?
軍荼利結界の前にはさみます。
地結→金剛牆→軍荼利明王
と言う感じです。
本来の十八道は、
地結→金剛牆→当部明王→網界→火院
と言う感じです。
-
>>432
ありがとうございます。
・金剛ケツは、杭を一本打つ度に真言一遍+観想で、計4回やる感じでしょうか?
杭を打ち始める場所は決まっており(右上からなど)、順回りで打ち、解界は逆回りで抜く感じでいけばいいですか?
・金剛牆は軍荼莉尊の結界と同じように順回りで、解界は逆回り三遍で金剛杵の垣根を取り払うようなイメージでいいでしょうか?
・解界の順番は、軍荼莉尊→ 金剛牆→金剛ケツ(必要なら)で大丈夫ですか?
よろしくお願いします。
-
>>434
>・金剛ケツは、
真言と所作は三回各一編合計三遍で、4本一斉に打ち込んだり抜いたりします。
>・金剛牆は
解界は逆回り一遍です。
>・解界の順番は、軍荼莉尊→ 金剛牆→金剛ケツ(必要なら)で大丈夫ですか?
はい。
-
>>434
>・金剛ケツは、
結界は所作と真言が一回一遍合計三回三遍で、解界は抜く所作と真言一回一遍合計一遍です。
4本一斉に打ち込んだり抜いたりします。廻すのではなく親指合わせた先を下にして上下させます。
-
>>436
ありがとうございます。
なかなか難しいですね。。。
頑張ってやってみます。
父の為の祈りの卦をしていただきありがとうございます。
きちんとお供えをして祈ってみます。
-
>>437
>なかなか難しいですね。。。
文字で説明するとなるとどうしても込み入った感じになりますね。
実際に前でやってみせると、どうってことないのですが。
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>>438
ありがとうございます。
やはり印相だけは文字や絵だけじゃ正確に結べないということがよくわかります。
-
コテに思案中です。
>>429
いつも有難う御座います。
> 「肝火上炎」というのは、その知識がある薬剤師なり鍼灸師なりに聞かれたことですか?
ここ数年で体温が低かったのが改善してきて、軽度の高血圧(遺伝も有り)と不眠、を持っています。
もちろん専門についてのことなのでご安心くださいませ。
また、東洋系の思考に従って多少の食事療法もしくはサプリメントなどで補ったりします。
> また、体が硬いと言うことはありませんか?
実のところ昔のように大会に出るような運動していた現役時代に比べたら固くなりましたが、
年齢と共に固くはなってきていますね。同年代では・・・柔らかい部類のようです^^;
ただ、このところ、両者ともそれどころではなくて今は運動不足や見えないストレスの方が心配です。
そういえば、お不動さん真言は気がしっかり下腹部に下りると言いますが、
私の体験上も同様なのですが、極楽金剛さまは実体験としてどうですか?!
祈念はしていますが、今回の初ケースで効くかどうかわかりませんが、
あんな経験もあるので試しに散念誦で一時的に加えてみてもよろしいですか?
多分こちらは四明や四菩薩は関係無いと思いますし(もちろん体質改善はつづけます)。
それともこういうのは向かないですかね。
-
769 名無しさん@京都板じゃないよ sage 2008/06/23(月) 21:03:22
金剛羯磨菩薩印(こんごうかつまぼさついん)だろ・・・
左右転各三遍だから。左に三回転。右に三回転だよな・・・
773 ◆極楽金剛twXU0W.kWs sage 2008/06/23(月) 23:03:23
まあ訊かれたのでお答えしますが、それは「羯磨加持」と言うもので、
供養や儀式を司る金剛業菩薩(虚空庫菩薩・広大儀式如来とも)の三昧に
入って完璧な護摩を修することが出来るよう祈るものです。
774 ◆twXU0W.kWs sage 2008/06/23(月) 23:13:46
>>768 > 廻すほうほうなどルールがあるのでしょうか?
流派ごとに定めがあります。>>770の人などは私と違った流派みたいです。
80 名無しさん@京都板じゃないよ sage 2008/06/24(火) 14:27:15
> 廻すほうほうなどルールがあるのでしょうか?
> 流派ごとに定めがあります。>>770の人などは私と違った流派みたいです。
どうして異なるのですか???? ランボーさん早く来ないかなあ。
廻す意味が明確であれば、どちらかが間違いだと言えると思いますが。
86 名無しさん@京都板じゃないよ sage 2008/06/24(火) 17:57:57
この順逆と逆順場合、単なる所作違いではない。
意味合いが全く異なってくるから。
ランボーさんは問題だとすると思うよ。
もっとも、理解できないのなら、教える価値もないと云うかも知れないね。
-
補足
>>432
>ただ、この範囲は狭ければ狭いほど
>いいとされてますので、「心の大小に随って」と任せてしまうのが一番いいです。
ただし、下限は爪の大きさ。
-
>>440
>年齢と共に固くはなってきていますね。同年代では・・・柔らかい部類のようです^^;
>ただ、このところ、両者ともそれどころではなくて今は運動不足や見えないストレスの方が心配です。
「肝火上炎」「肝陽上亢」などというのは早い話が気詰まりですので、ストレッチなどすると
案外簡単に改善することがあるのでちょっと聞いてみたのです。
>そういえば、お不動さん真言は気がしっかり下腹部に下りると言いますが、
>私の体験上も同様なのですが、極楽金剛さまは実体験としてどうですか?!
不動尊は揺るぎない菩提心を御名前にしておられますから、腹が据わるという功徳は
まあ当然かなとおもえます。あと、私は気がどうこうとか、そう言うのはあまり無いです。
>祈念はしていますが、今回の初ケースで効くかどうかわかりませんが、
>あんな経験もあるので試しに散念誦で一時的に加えてみてもよろしいですか?
>多分こちらは四明や四菩薩は関係無いと思いますし(もちろん体質改善はつづけます)。
>それともこういうのは向かないですかね。
ちょっとこれが何のことか過去ログみても合点がいかないのですが、
訟上九
これは何かつまらない感じのことになる卦なので、とりあえず止めといた方がいいでしょう。
-
>>441
>773 ◆極楽金剛twXU0W.kWs sage 2008/06/23(月) 23:03:23
>まあ訊かれたのでお答えしますが、それは「羯磨加持」と言うもので、
「極楽金剛」を初めて名乗ったのはこの時です。
888 名前:極楽金剛 ◆twXU0W.kWs 投稿日:2010/02/11(木) 10:51:21
>「酉酉5スレ420 ◆twXU0W.kWs」は、ばか法師討伐用のハンドルですから、
>因縁はこれで始まりましたが一応分けます。
-
多分言いたかったのは「酉酉5スレ420=極楽金剛」だろうが、そんなこと注釈でも入れれば済むのに
わざわざ必要もないのに引用文を改竄して信用を落とすとは、だいぶん壊れてきてるな。
-
>>442
ありがとうございます。
爪の大きさは非常に難しいですね
30cm四方が今の自分の器量です。
不動尊にお参りに行った時などは結界は必要でしょうか?
護身法だけで十分ですか?
よろしくお願いします。
-
>>446
護身法で充分ですよ。基本的に結界は固定した場所で壇を築いて行をするためのものと思って下さい。
-
>>447
ありがとうございます!
-
>>443
有難う御座います。
> 「肝火上炎」「肝陽上亢」などというのは早い話が気詰まりですので、ストレッチなどすると
> 案外簡単に改善することがあるのでちょっと聞いてみたのです。
一つ勉強になりました。
一応、体操も含めながら対処してみます。
> 不動尊は揺るぎない菩提心を御名前にしておられますから、腹が据わるという功徳は
> まあ当然かなとおもえます。あと、私は気がどうこうとか、そう言うのはあまり無いです。
これだけでも十分かもしれません、
多分仰っている「気」は同じレベルの話だと思いますのでご安心ください。
> ちょっとこれが何のことか過去ログみても合点がいかないのですが、
> 訟上九
> これは何かつまらない感じのことになる卦なので、とりあえず止めといた方がいいでしょう。
すみません、言葉足らずで。。。祈願内容は「健康増進」などを加えてみようと思った次第で
何でも、宝生尊にお願いするという話でもありましたので・・・となると確かに矛盾とも受け取られますね。
スミマセン^^;
そして有難う御座います。
ふと思ったのですが、今更誰にも聞けないことかもしれないので教えていただけますか
次第の順番が狂ってしまった場合、例えば本尊印明→三昧耶印明の後の普供養を忘れてしまって
散念誦に入ってしまったとします。
1.散念誦を中止して飛ばしたところに戻り(普供養を行い)、散念誦は最初からやり直す。
2.散念誦を中止して飛ばしたところに戻り(普供養を行い)、散念誦は途中から数を取る。
3.散念誦を終わらせてから、飛ばしたところを行い補欠に大金剛輪、散念誦後から次第に従う。
最近、こういうことが無かったのですが今日は時間の加減で3で進めてしまいました。
こういう時の対処を教えていただけますか?昔十八道などは1で戻っていましたが、結界などは
複雑になりますから一回解いてからやり直すべきなのだろうとか、疑問になりつつすぐ
忘れてしまうので、その度に困っていました。。。
後関係ないですが。。。。
>>441
もう解決されていることだと思いますが、
・・・あちら2chでは特にコメントさけましたし、ここでも多くは書けませんが、
「羯磨加持に限っては」と伝は私も他とは 86 に同じ順番が逆になっています。
(極楽金剛さんと同じだったかと)
伝法院流関連の書籍に加持供物は私の聞いた伝と総合してかなりのヒントになりましたです。
そこまで研究したわけではないですが、かなり昔、阿○宗の特殊なケースでの加持供物は上記の
書籍の説かれる、印面の異なる加持の仕方も習っていました。
一回は捨ててしまったことなので記憶も定かではありませんが。。。
-
>>450
>次第の順番が狂ってしまった場合、例えば本尊印明→三昧耶印明の後の普供養を忘れてしまって
>散念誦に入ってしまったとします。
>1.散念誦を中止して飛ばしたところに戻り(普供養を行い)、散念誦は最初からやり直す。
>2.散念誦を中止して飛ばしたところに戻り(普供養を行い)、散念誦は途中から数を取る。
>3.散念誦を終わらせてから、飛ばしたところを行い補欠に大金剛輪、散念誦後から次第に従う。
こういう場合はどうするかというと、要するに「集中が途切れないようにする」のが肝心なので、
あまり作法がどうこうとこだわるより自分ならどれがスムーズ且つ集中が途切れないかで考えます。
(であるなら、全部最初からやり直すのが作法的な事も両立して一番理想なのもお解りかと思います)
私だったらその都度でいずれも用いますし、
4。そのまま略す。
事もあります。
>>>441
>「羯磨加持に限っては」と伝は私も他とは 86 に同じ順番が逆になっています。
>(極楽金剛さんと同じだったかと)
元の話しはこの768以降です。私的にはどうでもいいから普段いちいち反論しませんが、真言を所作だと
↓ 延々と言い張っています。流れで判るとおり最初から罠に掛けるつもりだったのでしょう。
【本物密教】大元帥明王【本物秘法】其の四
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1203113844/l50
ミラー:http://mimizun.com/log/2ch/kyoto/1203113844/
確かに、羯磨加持の廻すのは業菩薩の事業をあらわしていて、右に左に作業で動き回るようなことなのですから
廻す順番はぶっちゃけどうでもいいので、伝によって違いがあろう事は想像できました。
>そこまで研究したわけではないですが、かなり昔、阿○宗の特殊なケースでの加持供物は上記の
ランボーは羯磨加持の内容を「加持供物」と丸っと勘違いしていて、それで廻す順番にこだわっとるのですが、
どうしてそう言う間抜けなことになってるのか不思議でした。
阿○宗で羯磨加持の内容を加持供物にすり替えて教えてて、それがランボーの元ネタなのでしょうか?
-
>>451
>確かに、羯磨加持の廻すのは業菩薩の事業をあらわしていて、右に左に作業で動き回るようなことなのですから
>廻す順番はぶっちゃけどうでもいいので、伝によって違いがあろう事は想像できました。
補足
でも、元の話しを見れば判るとおり廻し方じゃなくて真言が違うと言ってるだけです。
-
>>451
有難う御座います。
> 私だったらその都度でいずれも用いますし、
> 4。そのまま略す。
> 事もあります。
集中力優先と最善策、ケースバイケースと言うことで
皆さんどうされているのだろうと考えるとすっきりもしました。
様々な加減もありますし、状況とによっては大混乱してしまいますしね。<何度かありまして。。。
> ランボーは羯磨加持の内容を「加持供物」と丸っと勘違いしていて、それで廻す順番にこだわっとるのですが、
> どうしてそう言う間抜けなことになってるのか不思議でした。
ご本人ではないので何とも言えないですが、
悪意無く受け取るならば、そういう伝を受けていて、
多分色んな伝があることも既に知っておられて、
そこから取捨択一するのは本人次第、状況次第と智恵となって昇華されていて、
また郷には入れば郷に従えということなのでしょうね。。。
(上の集中力と最善策ケースバイケースの例じゃないですが。。。)
> 阿○宗で羯磨加持の内容を加持供物にすり替えて教えてて、
私の知る護摩は別の伝で、そこ(阿○宗)の護摩法は伝授されていないのであそこの羯磨加持については
何とも言えませんが、「加持供物」一つとっても形が部署の人によって違うのは、
一流だけの人が集まっているわけじゃなく、様々な流儀のところから集まっている状況などがあり得るように思えてきました。
極楽金剛さんも似たようなこと仰っていますが、
やはり別のとある方が言ってました、真言や文の読み方が違うとか(私の知るところでも結構ありました)
「その先生から習ったのが一番正しいと思ってください」と、多分作法なども含めてなんでしょうね。
多分それが流儀で、またそれが流儀を継ぐことなのかもしれませんし・・・。
私が以前、印明を教わった時もそうでしたが、そこに必ず答えを教えていただけたわけじゃなく
「その意味を常々考えなさい」と。私は逆に考えすぎる嫌いはありますが。。。
いまの知識は後で必ず将来役に立つのだろうと、納得するまでここは貪欲になろうと思ってます。
あと武術の世界もそうでしたが先生によってかなり教え方も所作も違いますし、
どの世界でも同じなんでしょうね。。。
どうかお気をわるくなされませんよう、逆に蒸し返してしまったようですみませんm(_"_)m
-
>>453
>いまの知識は後で必ず将来役に立つのだろうと、納得するまでここは貪欲になろうと思ってます。
ごもっともですね。ですから、
>どうかお気をわるくなされませんよう、逆に蒸し返してしまったようですみませんm(_"_)m
それはいいのですよ。確かに相手がランボーであれば白を黒と言い張って人を貶めたいだけなのですから
話しする気になりませんが、ちゃんと議論できる相手であれば何聞いても下さっても構いません。
そもそも本当の意味で蒸し返されて困るような事は、私の側には何一つ無いですから。
-
>>266
> >>265
>レス数が1000に満たなくても容量が512kバイトになると書き込めなくなるのです。
>長文連投によってランボーがよくやるスレ潰しでです。
>
>切りがありませんから、ランボーを調伏で絞めるまで次スレを立て控えようと思ってるのですが、
>ご都合悪いですか?
と、思ってましたが思うところあって次スレ立てました。
【諸相無慢相】 五大明王 【甘露洗滌雑染】
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1385816345/l50
メモ:
予定どおり謙六四
立てる泰六四
進退いずれ井上六
-
極楽さんこんにちは。
ネット等を見ていると軍荼利尊の左の下の持物が鉤の像と鈴の像がありますが、正確なのはどちらなのでしょうか。
追伸、折角だから分かりやすいハンドル付けました。
-
>>456
鉤が一般的で鈴は普通降三世尊の持ち物です。
ただまあ、軍荼利尊の最多臂は千臂なので、どちらでも構わないので正解は無いでしょう。
しかしまあ、ご利益とかで考えるなら、
金剛鉤:地獄に堕ちるのを防ぐ。人や物を引き寄せる。仏や御霊もこれで引き寄せて供養する。
金剛鈴:五股杵と共に三十七智の象徴。音楽の供養。人を喜ばせる。
と言ったこともご参考までに。
-
そうなんですか。鉤の方が一般的みたいですね。我が家のお像も鉤です。
では印についてはどうですか?我が家のお像は印が間違ってるんですよ。お迎えして何年もして気付いたんですよ(TT)
今は「胸に手を当ててよく考えろよ。仏性は確かにお前の中にあるぞ」と言って下さってると思うようにしていますが(というとどう間違ってるか分かりますねw)。
-
>>458
>今は「胸に手を当ててよく考えろよ。仏性は確かにお前の中にあるぞ」と言って下さってると思うようにしていますが(というとどう間違ってるか分かりますねw)。
つまり、「身印」(羯磨印)が小三古で右を上にクロスは合ってるけど、それが胸に当たってると
言うことですか?確かに正確には小三古の先が上腕の下を押すのですが、作像的に難しいのか、
下の方に来てるのが多いようですね。あまり気になさることはないかと。
-
>>459
いえ、要は指を五本揃えて伸ばしておられるわけです。
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>>460
それは、確かにちょっとあんまりな感じですね・・・。
姤九四
これは無い物ねだりでしかも無理すると余計ヤバいという卦です。
まあ仕方ないからそちらのお像を軍荼利尊だと見立てて当分お祀りするしか無さそうですね。
どうしても気になるのであれば、
・思い切れるなら撥遣してお隠れ頂き、新しいちゃんとした尊像をお迎えする。
・身印の部分だけ造りかえる。
などの方策が考えられます。
-
>>461
あんまりな感じですか〜まぁそうかなとは思ってましたが…
私の今の信仰のスタンスのキッカケになったお像なので、暫くはこのまま行を続けてみようと思いますが、このままだと支障がありますか?
-
>>462
乾九四
とりあえずは問題ないと思います。気になってきたら>>461のようにと言うことで。
-
お世話になってます。
質問をさせてください。
護身法の観想で、それぞれの部で加持してくださる代表の尊格は、
仏部→釈迦如来
蓮華部→観自在菩薩
金剛部→金剛さった菩薩
であってますか?
不動明王はこの場合どの部に属すのでしょうか?
よろしくお願いします。
-
>>464
>仏部→釈迦如来
それでいいと思いますが、私の意見です。
密教で仏部の部主は大日如来です。まあこのことは覚えておかれるほうがいいと思います。
>不動明王はこの場合どの部に属すのでしょうか?
不動尊は仏部若しくは金剛部です。
-
>>463
問題ないわけがないなと思いながらも、このお像に巡りあった縁を殊更に否定するのもおかしいと考え直してお祀りして数年。もうあまり気にならなくなってますw
私が更に成長すれば、身の丈にあったよいお像に巡り会えるかもしれませんしね。
-
丁度尊像の話が出たのでついでの質問。
東日本大震災の時に追善と復興を願い百日間限りで始めた結縁灌頂で得てた釈尊の真言念誦も、そのまま個人的願望も兼ねて続けとうとう95万遍を超えてしまったんですが
今に至るまで画像も尊像も調えないまま来ました。
清涼寺釈迦如来像の画像を開眼してもらおうかと考えた時期もありましたが結局せず終い、箱に納めた結縁灌頂で授かった釈尊の名札に向かい続けてました。
そんなある日念誦しながら、どうしたもんかねぇ今更ながら尊像調製した方がええんかな?と考えてたら
「法身は法界に遍満す。何ぞ形像を求めんや」
なんぞと頭の中にひらめいてきたんです。
余りに如何にもな文言なんで妄想に近いだろうとは思うんですが、どんなもんでしょうか。
-
>>467
>「法身は法界に遍満す。何ぞ形像を求めんや」
いやもうそれで納得できるものならそれが一番でしょう。
だいたいお釈迦様の頃のバラモン教では、「神の像を描いたり刻んだりすると神の徳がそれに制限されてしまう」
と言う理由で偶像を作らなかったわけで、仏教もそれを継承して長らく仏像を作る習慣は無かったわけです。
哲学的には仏像を造って拝む今の方が退化してるわけです。
しかしまあ、修道上仏像があった方が「瑜伽」の一種として供養する心の向きを整えられますから、
詰まるところは出来る人出来ない人の問題と言うことになります。
-
>>468
まあもう百万遍も近づくと今更調製もアレだよなー、という気もしてた時にこんな文言でしたんで
余りに自分の気分に沿いすぎてたもんですから。
しかしまあ観法もマトモに出来てた訳でも無しでここまできて、お釈迦さまよく勘弁してくれたな〜な気持ちではあります。
本来の願いは叶った、とは言えませんでしたが長年勤めてたブラック企業を何故かアッサリ辞められて速転職決まりました。
転職先は体力勝負ながら休みと賃金は昔よりマシ、というのは果報の内なんかもしれません。
-
>>469
先ずは良い転職おめでとうございます。
>まあもう百万遍も近づくと今更調製もアレだよなー、という気もしてた時にこんな文言でしたんで
百万遍は一つの区切りですから、その後どうするかはまた考えるわけです。それでこのまま
お釈迦様で続けると言う結論になられたのなら、百万遍の区切りで釈迦像を迎えるというのも
いいでしょう。あるいは他の尊格にしてみるならその尊像であるとか。
始める当初より今の方がより「これ」と言った仏像にご縁が出来たり、イメージが変わったてたり
するものです。「イメージが変わったてたり」とは、私の場合ですと、昔だったらちょっと厳しい
顔つきの、悪魔に容赦無さそうなお釈迦様が良かったのですが、今は普通にある穏やかな
お顔のお釈迦様がいいと思っています。
お仕事が変わったなら、また行のやりようを工夫しなければならないかも知れません。
その際、お給仕中心の行であるなら尊像をお迎えした方がやりやすいですね。
まあ、百万遍達成してから考えるのご参考までに。
-
>>470
>始める当初より今の方がより「これ」と言った仏像にご縁が出来たり、イメージが変わったてたり
>するものです。「イメージが変わったてたり」とは、私の場合ですと、昔だったらちょっと厳しい
>顔つきの、悪魔に容赦無さそうなお釈迦様が良かったのですが、今は普通にある穏やかな
>お顔のお釈迦様がいいと思っています。
補足:
だからどうなのかというと、当初思い描いた厳しいお顔のお釈迦様をそのままお迎えしていたなら、
今になると「失敗した」と思うわけです。
人は行で変わります。やり始めに大きく変わって、ある時期になるとグラフで言う傾きの少ない線に
なるような成長パターンの人は、初期投資を控えて安定成長期に入ってから色々揃えるのが
いいと思われます。
-
>>465
ありがとうございます。
観想文がなかなか難しい言葉ばかりですが、一語一句身体に染み込ませるように調べて学んでいます。
仏像はやはり安置したほうがいいですか?
ずっと尊容を観想して祈ってきて、心想之中の不動明王が出来上がってると思ってる(だけかも)ので、仏像の安置はあまり積極的ではありません。
ずっと観想で祈っても大丈夫でしょうか?
それに付随するのですが、観想で祈ってるので当然祈る場所が床の上だけで台とかもありません。
先日教えていただいた金剛ケツは自分の座ってる前の床の上に30cm四方の金剛杵を打ち込むと観想してやっております。
これがレベルが上がって四方が爪の大きさになっても座ってる前のところに打ち込む感じでいいでしょうか?
よろしくお願いします。
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>>472
仏像をお迎えするか否かは、実地にスペースを取ることでもありますから身の振り方なども
考慮されてよくよく考えて下さい。
しかしまあ、お迎えできるものならお迎えした方が、物理的な法の中心、瑜伽の対象が出来ますので、
今後の行の進捗によっては深く祈らずに物のお供えお給仕で過ごした方が良い場合などの時など
やりやすいです。
私の場合も、先日食玩だけど大変良いお顔で気に入った仏像を見つけてお迎えしたところ、家の中の
空気が変わったようで「やはり立体は違うなあ」と思いました。
以上一般論
以下個別論
漸六二
これは水鳥が堅固な岩地に拠ることが出来て安定を得るという卦です。
水鳥を成長していく心に見立てると、岩地は心の拠り所、瑜伽の対象に見立てられます。
そうですねえ、やはり仏像をお迎えすることをそろそろ考えてみてはどうでしょう?
それと、結界はレベルが上がると範囲が大きくなるので、爪の大きさが最善というのは初心者
の場合や、用心深く修行したい人がやるのです。まあ、「心に随って」「心の大小で」と思って
最初の内はあまり大きさにこだわらない方がいいと思います。
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おっと、ナナスさんは仏像どうかな?
謙九三
これは終わりを全うするという卦です。
とにかく百万遍までは今までどおりでやって、その後はまたそのとき考えたらいいんでしょうね。
それとか、土の下にある人体で墓の象があるのですが、仏像ではなく仏舎利塔をお迎えする方が
いいのかも知れません。
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>>473
ありがとうございます。
不動明王もそろそろきちんと金剛石に座りたいと思ってるのかもしれませんね。
きちんと検討してみたいです。
仏像の立像、座像に何か意味的な違いはありますか?
金剛ケツは、特定の場所に打ち込むのではなく、心の中で打ち込んだとイメージしても大丈夫でしょうか?
よろしくお願いします。
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>>475
>仏像の立像、座像に何か意味的な違いはありますか?
立っておられる方がより能動的に救済される姿です。観音様は立像が多いのはこのためです。
如来は禅定の相で坐像が多いですが、阿弥陀如来は「来迎」、すなわち浄土から出向いて下さって
お迎えに来られるから立像もよく造られます。
>金剛ケツは、特定の場所に打ち込むのではなく、心の中で打ち込んだとイメージしても大丈夫でしょうか?
いえ、結界は基本的に場を清めるものですから、あくまで特定の場所です。
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>>476
ありがとうございます。
ちょっと座像の安置を検討してみます。
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極楽金剛様
いつもありがとう御座います。
軍茶利行者さんが甘露さんということで、「うーん」となり、じゃ、竜王吼でと思ったんですが
本当は無畏宝吼菩薩の「宝吼」の響きがこちらがよかったので。^^;
幾つかヒントを得て、何時も散念誦で、やや俯き加減で念誦していたんですが、
このあたり質問させてください。
何人かの本職の行者さんの護摩供などを見ていて気がついたのですが、
視線の少し斜め上にお顔を上げてらっしゃるわけですが、やはりお大師さんを「明星が飛び込む」の
ヒントなのでしょうが、行中の姿勢とも関わってくるので、百会を頸椎に乗せるイメージで
少し上向きの方がいいように思えましたがどうなのでしょうか?
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>>478
それは多分単に見た目が悪いからそうしてるのだと思われます。
爐中観といって、炉の中に種三尊や曼陀羅を観想するので本来うつむいてしまいますが、
それは人前で修するには見栄えが悪すぎますから、そう言う工夫をされてるのでしょう。
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>>474
仏舎利ですか。
むー、今の所貴石の類で丁度手頃なのは無いし
ましてや寺から分けてもらえる当ても無いから、信貴山辺りの如意宝珠を入手してその厨子の中に梵字の法身偈を仕込み仮の法舎利としましょうか。
法身偈は震災の時にチベットの高僧が天変地異を鎮める法験があると言ってたらしいので、釈尊にも相応する法楽にもなるからと以来ずっと漢文のを唱えてたので
存外案配がいいかも知れません。
無理に形像を求めずとも、なんて一応ひらめいた事でもありますしなw
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>>480
まあ、色々考えてみて下さい。
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>>479
いつもありがとう御座います。
なるほどなるほど。やはり、気にするほどのことはないですかね。
5〜6年前以前、百日間、とある資料を元に次第(今から考えると中級次第に道場観と事供が
加わった程度のものでしたが)を起こして、虚空蔵求聞持法に挑戦したことがありまして満願の日の
経験からそうした方がよいのかと思った次第です。
回数的にも一座1000回程度なので100万回にもほど遠いですし、
日にちを選んで云々というわけでもないので、大した行ではなかったのですが、
体の中をこみ上げていって頭頂に抜けていく感覚を記憶してまして、
その時が少し顎が上がったような状態になったので、関係あるのかなと思ったんです。
あれは魔縁か魔境だったのかなぁ?!と未だに判断付かないですし、何とも言えないのですが。
結果論から言えば何か変わったかと言えば何も変わっていないので気のせいでしょう(笑)
集中するまでの間、目のやり場に困った時仏像は鼻先を見る姿をしておられますから、それと同じく
しておりまして、今知っている伝や、月輪観や阿字観など目の高さより少し下とされていますから
薄目をあいてみた時に丁度いい角度だったりしますし、とふつふつ考えていて、気になった次第です。
元々姿勢が非常にわるいので、やや俯き加減になるのはやはり仕方なさそうですね。
お年を召した行者さんでも背筋が曲がってしまっていたりもしますし、集中が途切れない限りは、
気にとめても仕方ないですね^^;
あともう一つ悩みを思い出しました、観本尊ですが、今は30〜40センチほどの「ご本尊が居るお姿」を
想像して見つつ行っておりますが、等身大の方がいいのでしょうか、それとも、もっと小さい方がいいの
でしょうか?
-
>>480
昔、ガユーナセアロ師が数限定で祈祷済みの舎利塔をわけてくださったんですよね。。。
水晶製の舎利塔で、中には瑪瑙の石がかなりの量入っていました・・・。
先の火災で舎利の方は完全消失して舎利塔の一部が残骸となってそれを仏舎利の
代わりにしています。。。
あの時よく聞くとどうも真言宗の方がその舎利塔を分けてくださったそうで御縁があったんでしょうね。
もう、今は売られていないかと思います。。。。残念です。
-
>>482
>あれは魔縁か魔境だったのかなぁ?!と未だに判断付かないですし、何とも言えないのですが。
>結果論から言えば何か変わったかと言えば何も変わっていないので気のせいでしょう(笑)
魔境でしたね。不思議な感覚に気を惹かれただけで終わってるのですから。
お大師様の「三教指帰」にある虚空蔵求聞持の「谷響きを惜しまず、明星来影す。」も、どうやら
魔境と思われます。お大師様の年表を見ると、24歳の時に書かれてこの後30代まで空白の時期があって、
その頃にちゃんとした道果を得られたのではないかと推察できます。晩年のお大師様にとっては
「谷響きを惜しまず、明星来影す。」の記述は黒歴史なのではないかと思っています。
>あともう一つ悩みを思い出しました、観本尊ですが、今は30〜40センチほどの「ご本尊が居るお姿」を
>想像して見つつ行っておりますが、等身大の方がいいのでしょうか、それとも、もっと小さい方がいいの
>でしょうか?
大小いずれがいいかという話しでは大きい方がいいのですが、一般的に行者の力量に随ってと
言われますので、それでいいでしょう。
-
>>484
> 魔境でしたね。不思議な感覚に気を惹かれただけで終わってるのですから。
なるほどなるほど。
> 「谷響きを惜しまず、明星来影す。」の記述は黒歴史なのではないかと思っています。
そうやって考えると、御大師様の二度の得度された説もありますが、
当時の歴史から推測するに国に認められ得た正規のものでなかったからと思えても居ましたが
もしかしたらリセットしたかったとも受け取れますよね。お釈迦様も苦行から切り替えられて修行を
やり直しているとも受け取れますから。逆に敷居を下げる方便としてはありなのでしょうね。
深い・・・深いですね。
> 大小いずれがいいかという話しでは大きい方がいいのですが、一般的に行者の力量に随ってと
> 言われますので、それでいいでしょう。
逆に言えば特大のでもいいし、白毫のような点でもよい、と言うことに繋がってくるわけですね。
広観と斂観も実際の社会での視点を変える準備体操的な哲学意味とも受け取れますが、
実際効果ってあるものなのでしょうか?実際に昔、練習してみて非常に苦手で放置してものでもありますが。
多分、依他起性・・・縁起を実体験として知って生かせて、始めて意味があるんだろうと今の段階では
それほど重視しているわけではなく、訓練として役に立つのかな?とも思えますし、四無量心観がその
一つの現実的なツールとして利用できるとも思えますがどうなのでしょう。
あと、縁起・・・依他起性で思い出しましたが曼荼羅のこと、伺ってもよいですか?
-
>>485
>実際に昔、練習してみて非常に苦手で放置してものでもありますが。
法界に遍満させたつもりで先に進めば良かったですね。あるいは法界まで広げずに部屋いっぱい
程度で先に進めるとか。広金剛などちゃんと出来るようになるには「空無辺処定」「識無辺処定」レベルの
禅定が出来ないとムリに決まってるんですから。
お釈迦様が最初に師事したアーラーラ・カーラーマ仙が空無辺処定の行者でしたが、アーラーラ仙が
禅定にはいると、五百台もの車が前を通っても気付かなかったという高度な禅定です。
>実際効果ってあるものなのでしょうか?
般若心経を意味も解らずとなえていても、悟りの先取りで効果があるように、大日如来の遍法界の
徳を識無辺処定なんか出来なくても先取りできるわけです。
>あと、縁起・・・依他起性で思い出しましたが曼荼羅のこと、伺ってもよいですか?
まあ私で解ることであれば。
-
>極楽金剛様
まず、突然このような書き込みをする非礼をおわびします。
私は、下記のレスを書いた者です。
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1383488797/910
スレで私のレスがランボー法師による自作自演であると言われたため
そうではないということを知ってもらうためにここに書き込みしています。
私が、ランボー法師を知ったのは純愛板にあるスレ「絶対…恋愛…信じろ…叶う…書け」
のリンク先が神社仏閣板になっており、リンクを踏んで見に行ったところ
ランボー法師がよく書き込みをしていたからです。そして、ある人物に非常によく似ているからです。
私自身は、神社仏閣関係者ではありません。
その純愛板のスレには、亡くなった知人が亡くなる少し前にレスを書き込んでおり
あるネット上の人物の名前が書かれていました。
彼の死の原因は、その人物とのネット上のいざこざであったと私は確信しています。
私が、このことについて調べようとすると必ず邪魔が入るのです。
おそらく今回の出来事もその延長であると思います。
極楽金剛氏に対しては、私は、悪い感情は持っていません。
私の事情に、無関係な極楽金剛氏が巻き込まれないように願うばかりです。
スレに関係のないお話をして申し訳ありませんでした。
-
>>487
事情はよく存じませんが、私は何も気にしてませんから。
-
>>413
>・智拳印と金剛界大日如来真言(金剛界大率塔婆印)
>・外五鈷印と胎蔵大日真言(大日剣印)
を括弧閉じを除外で訂正。「大率塔婆印」というのは外五股印や無所不至印で、大日剣印というのも
別の印でした。耳学問で裏を取らずに書き込んだことをお詫びします。
-
>極楽金剛様
ありがとうございます。
亡くなった知人は、自らの手で日にちを指定して非業の死を遂げており
私に知らされたのは「仕事上の理由ではない」という事だけでした。
しかし、2ちゃんねるの失恋板に私宛と思われる書き込みが残されていました。
何故、そのレスが知人の書いたレスなのかがわかるのかについては
私にもわかりませんが、強く私に語りかけてくるのです。
このような事をリアルで口にすれば、それこそ回りから頭のおかしい人と思われて
現実生活に支障をきたすでしょう。
神社仏閣板に行けばもう少し事情がわかるかと思いましたが
身の危険(理由のわからない激しい憎悪)を感じるだけでした。
ここは私にとって安全な場所であると思い、
このような迷いごとを書いてしまい申し訳ありません。
ただ、私の遭遇した不思議な出来事を誰かに話したかったのです。
スレ汚し失礼いたしました。
-
いつもご指導いただきましてありがとう御座います。
実はお陰様で、改めて御舎利の佛縁をいただけることになりました。
そんな折、休日でしたので二座目、いつも観本尊で念じているお姿ではなく、
またいつも念誦中想像してしているお姿とは違う、
東南アジア風の肉髻の長い黄金のお姿が想像とは別で心の目(?内?)に
朧気ながらもまばゆく映っておられました。
上記のような御縁なのでお釈迦様?とも思えたのですが、宝生尊と同じ手印だったので
そのお姿で現れたのかもしれませんし気にしないで行じていました。
応援していただいているような感覚でまたお会いしたいと思っているほどで精進しなければと
思っています。
このところ、集中が途切れるのか、宝冠がある如来(智拳印なので大日如来なのだと)の姿
に変わっていたりと、その度に修正して、また「魔境?w」とも思ったりしていたのですが、
今回はそれとは違う脳で想像・・・想像しようとするとどうしても目で見る感覚に頼ろうとしているので、
内観(?)をするような意識に変え始めた矢先だったのと、七佛通戒偈に照らしても何とも言えない
ですが、姿がどうのなどいずれにしても気にしないでおきます。
>>193
前スレ >> 824 より
> メモ
> 三種 夬九二
> 二種 大有九三
> 一種 大畜六五
>
> 単独 益六二
> 四明 家人初九
>
> 9/17
> 予六五
> 進无妄初九
> 退頤六二
>
> そうですねえ、行の頻度や量はそのままで、三昧耶会の真言も用いて下さい。
> 印相は両方とも外縛中指宝形の印で。
二種三種等(四菩薩?)はまだ早いとの話でしたのでしたし、
伺うと本当に貴重なものらしく、御舎利を奉ずるにあたって、御舎利と言えば宝生尊ですし
後夜念誦にちなんで普供養のあとの読経等のところに抜粋して
舎利印明と龍印明を加えることお許し願えますか。
龍印明は未だ火災に遭った恐怖もあって請雨といえば・・・龍かなと思えるのですが、
その恐怖で言えば意味が違うとも思えますが。。。
もしダメなら舎利礼文としようかと思っています。
>>486
> >あと、縁起・・・依他起性で思い出しましたが曼荼羅のこと、伺ってもよいですか?
> まあ私で解ることであれば。
ありがとう御座います。
まだ整理する時間が無くお聞きしたいのはもっと単純にかみ砕いたことになります。
それぞれの如来のそれぞれ供養の形として十六菩薩を生じていくわけですが、
以前から如来の誓願を助けて心理的な意味で知恵の象徴を名前で表しているように
思えるんです。そんな理解でよろしいんでしょうか?
例えば、宝生佛ならば宝、光、幢、笑の菩薩の徳が必要な知恵の象徴というようにです。
ただその時点で思考停止しまっているので、違うのかと思ってもいまして。
-
自己レスです
>>491
> 後夜念誦にちなんで普供養のあとの読経等のところに抜粋して
> 舎利印明と龍印明を加えることお許し願えますか。
「いやいや、自ら進んで魔縁に迷ってはいかんよな」と、その際は舎利禮だけにしようと思います。
下手に増やすと自ら辛くなってしまいますものね。
・・・失礼いたしました。
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アボーソ
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アボーソ
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>>491
>舎利印明と龍印明を加えることお許し願えますか。
訟初九
う〜ん、まだまだ時期尚早ですねえ。
>それぞれの如来のそれぞれ供養の形として十六菩薩を生じていくわけですが、
>以前から如来の誓願を助けて心理的な意味で知恵の象徴を名前で表しているように
>思えるんです。そんな理解でよろしいんでしょうか?
>例えば、宝生佛ならば宝、光、幢、笑の菩薩の徳が必要な知恵の象徴というようにです。
だいたい合ってますが、「自受法楽」と言って、悟りの内容がそのまま尊格として出生してますから
必ずしも誓願をお助けするだけとは限らないのです。
-
このランボーのしつこさときたら。絶対個人情報取られるわけにはいかんな。
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>>505
> 訟初九
> う〜ん、まだまだ時期尚早ですねえ。
うわわ、すみません。
ありがとう御座います
>>492
> 「いやいや、自ら進んで魔縁に迷ってはいかんよな」と、その際は舎利禮だけにしようと思います。
> 下手に増やすと自ら辛くなってしまいますものね。
・・・の通り、もうこれまでの自信のなさが表に出てしまう時がありまして。。。
お手数おかけしました。
その後のアレだったので・・・トリップ入れることとします。
というより、単純に排除しようとするのではなく(?)、一信者からすれば、
端から見ていると阿字観や方便や結縁灌頂、加持だけでなくもっと時代に合った
布教の方法を変えていく時期なのかなとも思えてしまいます。。。
私のような「底辺で貧乏人は去れ」的に思えてしまって現状は非常に悲しいです。
ニンマ派の様に・・・、学びにくい世になったものです。そして難しいですよね。
かといって、阿○に戻るなんて事はさらさら無いですし・・・。
不悪口でしたね、すみません。
> >例えば、宝生佛ならば宝、光、幢、笑の菩薩の徳が必要な知恵の象徴というようにです。
> だいたい合ってますが、「自受法楽」と言って、悟りの内容がそのまま尊格として出生してますから
> 必ずしも誓願をお助けするだけとは限らないのです。
法楽を愉しんでもらう=「供養」なワケですね。
思考停止の原因はこれですか・・・。
そうなるもっともっと砕いて。。。一尊一尊仏画としての尊像なのですが、
実のところ、言葉を借りるなら○十年、無神論者でもあった過去から、
根底には人格化した尊像をそのまま信じられているわけではないものですから、
どうしても、行とのその間で矛盾が生じて行ってしまうと言うこともあります。
結果偶に上のように壊れていく、もしくはそうなっていっていると感じる。
そしてこのところ言葉の呪縛に悶々と考えてしまっています。
もちろん尊像を象徴を読み解いていくのも行なのでしょうし、
その反面、恐らく遍満していて自分の思っている姿とは違って、抑も無形であるが
読み解けて且つ時期が来たら意味がわかって智恵となっていくのだろうととは思いますが
何かこういう場合の一旦「セオリー」から離れて、「種子だけ」や「三昧耶形」だけの様な、
いく方法ってありますでしょうか?
-
>>507
> というより、単純に排除しようとするのではなく(?)、一信者からすれば、
> 端から見ていると阿字観や方便や結縁灌頂、加持だけでなくもっと時代に合った
> 布教の方法を変えていく時期なのかなとも思えてしまいます。。。
高野山真言宗の三井英光師など、一般信者にもどんどん加行や作法を授けられたそうです。
やろうと思えば出来るのでしょうねえ。表に出てこないだけで実際居られるのではないでしょうか。
真言の唱え方だけアドバイスしてる私がこれだけ叩かれるのですから、よく見知った相手にだけ
こっそりと・・・。
> 私のような「底辺で貧乏人は去れ」的に思えてしまって現状は非常に悲しいです。
解 り ま す 。 この世界はご縁が無ければお金が無いとどうしようもない感じですね。
> 何かこういう場合の一旦「セオリー」から離れて、「種子だけ」や「三昧耶形」だけの様な、
> いく方法ってありますでしょうか?
そう言う場合は一反考えるのを止めて行に集中するか、「粗い行」などに切り替えます。
護摩行や滝行、上座部系なら不浄観などですね。
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極楽どん、2ちゃんで書く気がしないので書かなかったけどゲルクでゲシェにならないと学べないのは所謂無上瑜伽タントラ・具体的には秘密集会などの父母タントラなんダス。
これらは空性の智恵を知識で理解した上でないと、修行で体感しても正しく理解し得ないという考え方らしく
ゲシェになるまでに中観・唯識の理解力を徹底的に高めてから修行での空性の体感に入るんだそうで。
そのかわり無上瑜伽タントラより下位のタントラ行(瑜伽・行・所作)はゲシェになれなくても習得は出来るダス。
無上瑜伽タントラが現身で成仏するのを目指す高度な行法であるのに対し、三タントラは実際の仏を拝むための行法と考えられてるので普通に寺の祈祷をする為や日々の瞑想や勤行の為には必須。
また無上瑜伽タントラより下位であっても、これらを習得し修行するのも成仏する為の福智二資糧を積むのに必要なので大事にされてるダス。
逆にニンマは今は結構高度の行法の灌頂を熱心な俗人にも授けてるダスが、今の僧侶主体でなく昔の熟練俗人行者が主体の頃だと
確かに俗人にも授法はされていても才能の有無をかなり問われたらしく、長年修行していてもある種の高度なヨーガ行になると
「ワシのイダムがまだだとお許しされぬからアンタにゃダメ」
と師匠がOKしてくれず結局授けられず終いになる事もザラだったとか。
中々難しいもんダスが、確かにある種のヨーガ行は人間の深層意識をいじくりまわしかねない行法もあり(どうも個人のトラウマまで触れるものとか)、やり過ぎて精神に異常をきたし
仕方ないので荒れた精神を鎮める為の無量寿仏の観法をずっと続ける行者もいたそうダス。
-
>>509
> ゲルクでゲシェにならないと学べないのは所謂無上瑜伽タントラ・具体的には秘密集会などの父母タントラなんダス。
そうなのですか、ありがとうございます。
> そのかわり無上瑜伽タントラより下位のタントラ行(瑜伽・行・所作)はゲシェになれなくても習得は出来るダス。
> 無上瑜伽タントラが現身で成仏するのを目指す高度な行法であるのに対し、三タントラは実際の仏を拝むための行法と考えられてるので普通に寺の祈祷をする為や日々の瞑想や勤行の為には必須。
普段使いの勤行などで所作タントラまでは普通だろうとは思ってましたが、そうですか、三タントラまでは
普通に日本の坊さんと同じなのですね。
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>>509
雑談的なことですみません。
ちょいと、行とは無関係かもしれませんけれど
> 中々難しいもんダスが、確かにある種のヨーガ行は人間の深層意識をいじくりまわしかねない行法もあり(どうも個人のトラウマまで触れるものとか)、やり過ぎて精神に異常をきたし
通常の行中ばかりではないんですが、一旦表に「トラウマ」など出たて来た時ってどうされてます?
行に集中することや先で言う「粗い行」で一旦は離れることになるかとも思いますが、
苦行的に別に意識を向けても、普段にもどればまた悶々とするわけですし、
受け止めてじっくり考える時間も必要かと思えど無理に納得しようとすると酷くなるわけですし。
・・・受け止めるという微妙さ、さじ加減って難しいですよね。
逆に「無量寿仏の観法」ってことは「癒やす」事なわけでしょうか?
-
確かに行が負担になりすぎると、修練というより単なる苦痛だったり自分を磨くというより摩耗させてるだけになる事はあるダスな。
そういう時はやはり一時休息に限るんダスが、オイラは基本が「怠け者」なので「働け!動け!」と尻叩く位が丁度いいのは我ながら情けないダスよ。貧乏性なのか要領が悪過ぎるのか、楽はさせてもらえないもんで。
チベットで師匠が極端に尊敬(瞑想でもまず自分の師匠を観想し、その師匠が本尊に変化するとする程)するのは、まさにそんな時や異常事態に的確な指導・ツッコミが出来るからこそなんダスな。
一応、仏亡き現世に仏法を説く師匠こそ現前の仏なりとは言うのですが
師匠の存在の有り難さはこういう事の為にある訳です。
ですが師匠が居てもその場に居ない時や、自修してる時にある種の行をしていてたまに精神に異常をきたしてしまう不運な人も過去はよく居たという事ダス。
無量寿仏は基本的に寿命を延ばす本尊とされていて、癒しというよりキツイ行で衰えた心神の活力を回復させるカンフルみたいな(チベットの無量寿仏の持物は不死を齎し神薬でもある甘露)のが目的みたいです。
今でもチベット仏教でよく無量寿仏の長寿潅頂が行われるのは、一般信者の長寿を図るためであるんダスな。
-
>>512
おぉ、ありがとうございます。
逆に言えば・・・怠惰なのが私だけじゃないんだとかなり安心でもあります^^;
そして色々、別件も絡んで腑に落ちた感じでもあります。
別件の記事は、『母象の虐待を受けた子象、涙を流すこと5時間。』
ttp://japan.techinsight.jp/2013/12/yokote2013121622060.html
喜怒哀楽の「感情」って単なるネーミングなんだなと。
特定の感情を感じた時そこに名前で呼ぶことで、共有も出来る反面、固定された感情の枠にハマってしまうということ。
流涙をジェームズ・ランゲの説で「悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しい」ってのは確かに的を射てると
改めて思いました。
今更、言葉を介して起きている「五蘊」が理解できました^^;
とてもまだ「皆空」とは結べないですが。。。
> チベットで師匠が極端に尊敬(瞑想でもまず自分の師匠を観想し、その師匠が本尊に変化するとする程)するのは、まさにそんな時や異常事態に的確な指導・ツッコミが出来るからこそなんダスな。
やはりこのあたりが十四根本堕・八支粗罪戒と三昧耶戒に繋がってくるのかもしれないんですね。
そうして考えるとお大師さんはそれだけ偉大な人だったんでしょうね。。。
と、話が飛んでしまっていますが、確かに目の前で的確な指導を受けられたら、ただでさえ皆尊敬しますものね。
甘露が単純に癒やしではないというのもかなり色々腑に落ちました。
そう考えると・・・かなりな勘違いだったなぁっと。
加持供物で甘露咒を使う時、どちらかというと、すごく俗な言い方なんですが、「お・い・し・く・な〜れ(ハート)」みたいな^^;
寧ろ、表面的な「味」ではなく、やはり根底は「慈悲」なんですね。
すごく失礼なことをしていたような気がしてきました。。。
何か変なオチが付いてしまったようですみません^^;
-
>>512
> 無量寿仏は基本的に寿命を延ばす本尊とされていて、癒しというよりキツイ行で衰えた心神の活力を回復させるカンフルみたいな(チベットの無量寿仏の持物は不死を齎し神薬でもある甘露)のが目的みたいです。
あら?そうなのですか。
私は僧籍が無いものですから、先亡供養に一般的な光言法は、微妙に本当の意味での、アンチが
意地悪や無知で言うのとは違う越法になるおそれがあるので先亡供養は主に無量寿法を用いてきました。
確かに修法後いつも癒し系の感じがして、「これが先祖供養や慰霊供養の功徳と言うものか」と
思って言いましたが、無量寿法の功徳を自分で受けてただけか。
('A`)
でもまあ考えるですが、
シナ撰述の地蔵菩薩本願経に「七分獲一」と言って、作って回向した功徳も亡者には1/7しか届かず
6/7は本人が自ら受用するとありますが、本当のところ、回向とは共感によるものだそうですから、
功徳は作った本人のもので、共感による分が増えてるからシナ人が考えるようにプラマイ0では
無いわけですね。
>>513
> 加持供物で甘露咒を使う時、
確か中院流でしたね?中院は甘露呪を使うのですか?
-
>>514
ご指摘ありがとう御座います!
当時のことすっかり記憶の彼方に飛んでいますね^^;
旧来覚えたのが吉里吉里か甘露なので改めて次第をめくってみると、
ご指摘の様に四度では法則的にそれぞれ選択されてます。
災害からこちら四度には手を付けていなかったのもあってか、
このあたりお恥ずかしいことに・・・以前聞いた記憶が曖昧だったりしています;;
ノートなどの殆どは消失してますし、現場で焼けて一部消失の次第とその張り符(?)やメモ書きが
残っているだけだったりします。今は宛がない以上は失伝のままですね。。。
一般に入手可能なものには次第や解説によっては吉里吉里か甘露の次第(四度以外)もあるには
あるようですですが、複数の法流の方だったりしていますし、出典元などの絡みもあるかもしれないので
何とも言えないですね。その時に問えなかったのが私の不勉強と不徳のするところでしょう。。。
その感じですと多分ご存じなのだろうと思いますが、今の時点でお役に立てずすみません;;
仏道はライフワークと思っているので、この件はいつかチャンスが出来た時にはすっきりさせようと思います
その時までには御縁を持つなり何か自分の中で納得できるようになっておきたいなと思っていますので、
今はまず何とか最低100万遍目指そうと思っています。
-
>>515
そうでしたね。すみませんでした。
加持香水は両様あるのが普通ですが、加持供物はキリキリ呪しか見たこと無いし、密教大辞典
にも経軌には色々あるがキリキリ呪が一般的とありましたので。
-
極楽さんご相談してもよろしいですか?
最近勤務先の都合で収入が激減したところに家族の入院が重なり、経済的安定や金運上昇を願わずにはいられず、本尊にお願いしております。
そこで状況を好転させるのに何に重きを置くべきかみて頂けますでしょうか。
読経を増やすべきか真言か?服気の類いか…
宜しくお願い致します!
-
>>517
師初六
これは規律のない軍隊などたとえ正義の戦いであっても凶という卦です。
ズバリ「戒律」ですね。
坎の流水が、初爻塞がって兌の溜まり水になる象もお金や運気の流失を防ぐ象があります。
-
>>518
戒律ですか!なるほど〜つい真言の回数を増やそうとかそういう方に考えが行きがちでした。
忘れていたわけではないのですが盲点だったかもしれませんね。戒律というと具体的にはなにが有効なんですかね?
-
自分の書き込みを見て、やはり基本の五戒かなと思いました。
…禁酒かなw
-
>>520
> 自分の書き込みを見て、やはり基本の五戒かなと思いました。
そうですね。
以上一般論。
以下個別論。
予上六
これは止悪よりは逸楽を戒める卦です。特に音楽。
不飲酒の他八斎戒の「不坐臥高広大床戒」「不作唱技楽故往観聴戒」など意識してはいかがでしょうか?
持戒清浄大事
漸六四
「持戒清浄大事」というのがあって、三部被甲の護身法なら仏部三昧耶と蓮華部三昧耶の間、
当サイトで指南してる簡易護身法なら直後に入れます。
もしされるならおっしゃって下さい。しかし、以後必ず修するようにして下さい。
-
「不坐臥高広大床戒」について一家言。
私はここ数年こたつ布団を出していません。今年も出さずに敷布の下に電気毛布を敷いています。
ご存じの通りこたつに入ったら最後、出るのがイヤになりますw 用事や家事などしてる途中で
一休みしようと入ったらもうそれで最後ですw 仕事など終えて体力回復してから何かするつもりでも
こたつに入ってしまうと、寝るために敷いたふとんに入ってしまう以上の魔力があります。
「不坐臥高広大床戒」の心とは、こう言ったことを戒めて修行に励む心ではないかと思います。
-
>>521
なるほど逸楽をですか。しかし音楽となると…逆に疎いくらいだから…どうなんですかね?
寝床は下がタンスになってる二段ベッドタイプなんです。これが「高広」にあたるかどうかですね。
持戒清浄大事というのは興味があります。それをすることでどんなことが期待出来るのでしょうか。
-
>>523
> 寝床は下がタンスになってる二段ベッドタイプなんです。これが「高広」にあたるかどうかですね。
厳密に適用するとダメと言うことになりますが、「不坐臥高広大床戒」の本質が>>522や贅沢を戒めるもの
であると考えるなら、我が国のような住宅事情の地域に於いてスペース有効活用のための二段ベッドは
セーフで、逆に何もない二十畳和室を独り占めして敷くふとんの方がダメなのではと思えます。
また、逸楽のための設備投資などが贅沢の基準ではないかとも考えられます。
などなど、
> 持戒清浄大事というのは興味があります。それをすることでどんなことが期待出来るのでしょうか。
これを修することで「戒律の心・本質」が身に付きます。すると前述のような判断が自分で出来るように
なるわけです。
戒律には「戒相」があって、人目には戒相をきちんと守らねばなりませんが、人目は次善でいいから
より本質的に止悪不放逸を心がけ神仏の心に沿う事を考えれば、「戒律の心・本質」と言うものを考える
必要があります。それがいただけるのが持戒清浄の大事です。
-
>>513
いやオイラも昔ガキの時分に不幸があった時に涙が出ず、何が悲しいやらなんやら解らんと思いつつまずは泣かねばと泣き始めたら辛い・もう帰って来ない・惜しいといった感情がやっと湧いて出た
なんて事ありまして、我ながらナンチュー下衆野郎なんかオイラは、と情けなくなった事がありましたが存外そんなものもあるのダスな。
ある意味根本無明の無知と、それに何事にも意味を無理に付けようとする行為を我々は無意識に無数に不断に続けてるだけなのやもしれません。
甘露は慈悲である、とは大日経三句の法門にも繋がる見解、善き法味を頂戴致しました。有難うございます。
>>514
チベットでは、って事ダス。
チベットでは同じ阿弥陀とはいえ無量寿と無量光は本誓を異にしていて別尊扱いされてるのです。
無量寿仏が寿命に関わるのに対し、無量光仏がポワなど往生に関わる尊とされているようで無量寿が如来形で甘露の入った壺や托鉢の鉢を持物とすると
無量光は明妃を抱いたり蓮華を持ったりと色々な姿の様な感じダス。
でもこれはチベットではの話で、中国以東の仏教圏では無量寿・無量光は単なる阿弥陀の異称でしかないので当然日本の密教では無量寿法を追善の修法に用いてもなんら不思議ではないんダスよ。
日本の流儀に従うなら、従来通り先亡追福の為でいいんじゃないかと。
チベットや中国では同一の尊や姿が同一でも「名前が違えば別の神仏」という信仰のパターンがあり、同じ白衣観音の姿の像でも白衣観音とばかり限らず
ある時は霊感白衣観音、またある時は高王観世音と呼び、同じ廟に同じ尊像が隣り合わせで併祀されていても名称が異なれば別扱いされてしまうダス。
-
>>524
なるほど、宜しければその持戒清浄大事を教えて頂けますでしょうか。やれるだけのことはやってみたいと思います。
寝床に関しては安心しました。戒律に関して少し勉強しなきゃいけませんね。
-
>>516
そんな・・・とんでもないです、お気になさらないでください。
私の浅学がするところですので改めて学ぶ機会、逆にありがたいでした。
> 加持香水は両様あるのが普通ですが、加持供物はキリキリ呪しか見たこと無いし、密教大辞典
以前、師より譲って頂いた指南本(著書名は伏せておきます)の著者の前師にあたる中川善教師の
書かれた本を読んでみますに、「加持香水」と「加持供物」の項目で、真言とその説明内容が逆さになっているものがあります。
亡くなられてから東方出版が第一版として出したのかそのままを改訂せずに世にだしたのか不明ですが、
指南本と同じ内容が他の方(大山公淳著)の著書で散見される為、どちらが正しいのか、
若しくは師(の師)によって違う様々な伝があるものと思われますし、あえてわざと入れ替えたのかは不明です。
ですので、もしかしたら手元の市販の次第でキリキリ咒や甘露咒が書かれている部分も、
本来は仮定の仮定にになってしまいますが、本の言葉を借りれば、
「秘法ならば」違う別尊(教令輪)の真言を使う可能性はあると思います。
>>525
共感が出来る方が居て嬉しくもあり励みにもなります。
> ある意味根本無明の無知と、それに何事にも意味を無理に付けようとする行為を我々は無意識に無数に不断に続けてるだけなのやもしれません。
> 甘露は慈悲である、とは大日経三句の法門にも繋がる見解、善き法味を頂戴致しました。有難うございます。
いえいえとんでもないです。
私も、お陰様でもう一つ、真言宗常用経典で「妙法蓮華経観世音菩薩普門品」が選出されているのか謎が解けた気がします。
三密や唯識を学び、観自在菩薩となって、
「観音様に念じて助けてもらう」のではなく、「自ら観音になってその力で悪難から退ける」のだと。
私は残念ながら未だに法華一乗の考えが受け入れられず、逆に軽視していた経典でもあります。
火災前、法華経を信奉する方が周りに多かった為、試しに本を読んでみたものの、やはり他力的すぎてどうしても
受け入れがたかったんです。
と言いつつ、仏壇に舎利塔と脇侍に不動・愛染を祀っているのですから多大に影響を受けているとも言えなくもないですが、
それでも般若心経と並んであえて入っているとしたら納得のいくところかもしれませんし、師に唯識の話をした時だったか、
「あなたがそれで観自在菩薩になるんだよ」の意味が繋がった気がします。
改めてありがとう御座いました。
-
>>525
>>527
いつも色々教えて下さってありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
>>526
持戒清浄大事
仏部三昧耶と蓮華部三昧耶の間に修す。若しくは簡易護身法の直後。印相は合掌で可。
右の膝を地に着け、首を挙げて、
※「文殊菩薩、獅子に乗じて剣を持つを視たてまつる」と観想。
この所作はこの通り着座の後脚を崩して行い、終わったらまた着座するのが丁寧であるが運心で可。
※「顕密の一切の戒を招集し、この印明の加持力によって、無量無辺の世界の一切衆生の
たぐい、ことごとく持戒清浄の益を得。」
オン サラバ ハラダイモクシャ キリダナン ソワカ 三遍
観想は二つに分かれてるが、実際は「※」の箇所を続けて行う。
-
>>528
ありがとうございます!それと中級次第に懺悔文を入れるなら簡易護身法の後ですか?
-
>>529
はい、懺悔文入れるなら簡易護身法の後ですが、持戒清浄大事も入れるのならその後です。
-
>>530
ありがとうございます。
戒律についても色々調べてみます。
-
>>528
> 持戒清浄大事
私も加えてみようかな。。。と思って、国文学研究資料館から拾ってきてみました
ttp://base1.nijl.ac.jp/iview/Frame.jsp?DB_ID=G0003917KTM&C_CODE=XSE1-03001&IMG_SIZE=&IMG_NO=5
> 仏部三昧耶と蓮華部三昧耶の間に修す。若しくは簡易護身法の直後。印相は合掌で可。
印は仏部三昧耶のままでいいんでしょうか
上のを見ると云々で所々略されていますが、参考になりました。
> ※「顕密の一切の戒を招集し、この印明の加持力によって、無量無辺の世界の一切衆生の
> たぐい、ことごとく持戒清浄の益を得。」
云々で略されていた全文はこれなのですね。
> オン サラバ ハラダイモクシャ キリダナン ソワカ 三遍
ちょっと気になったので、觀自在菩薩隨心呪經や上を調べてみて、
「ハラダイモクシャ」の読み訛りと考えた方がいいでしょうか。その場合は「モ」で正しいのだと思うので。
それとも梵字そのまま読んでみて「ハラダイヤクシャ」でしょうか。
細かいところですみません;;
-
>>532
> 印は仏部三昧耶のままでいいんでしょうか
いえいえ、三部被甲の護身法ご存じの方も合掌でやって下さい。そのまま仏頂印でする伝もありますが、
私が実際にやってるのは印に動きがあるのでより説明が難しいのです。
また、明恵上人の伝では蓮華合掌(普通の合掌)です。
> 「ハラダイモクシャ」の読み訛りと考えた方がいいでしょうか。その場合は「モ」で正しいのだと思うので。
> それとも梵字そのまま読んでみて「ハラダイヤクシャ」でしょうか。
「ハラダイモクシャ」とは「波羅提木叉」です。「具足戒」ですね。梵字の方が間違ってますね。
真言のざっとした意味は、「具足戒の心よ」と言う感じですか。
-
今日は休みだったもので、朝から戒律について改めて調べ直し、極楽さんから頂いた「不坐臥高広大床戒」と「不作唱技楽故往観聴戒」に加えて十重禁戒を目標とすることとしました。
最初は八斎戒に注目したんですが、「不著香華瓔珞香油塗身戒」はアクセサリーや香水の類に頓着ないので問題ないとして、「不過中食戒」は体力を使う仕事なんで体が持たないなと判断し、毎月日にちを決めてやろうかなと。
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>>533
> 「ハラダイモクシャ」とは「波羅提木叉」です。「具足戒」ですね。梵字の方が間違ってますね。
納得です!
ありがとうございます。
-
お世話になってます。
細々と行を続けており、ここぞというときに不動明王にお守りして頂いてると実感できるようになりました。
今は、暇があれば不動尊に通い、図書館で密教の文献を読んでいます。
真言の読み方の質問なのですが、
金剛を意味する真言は、バザラ、バゾロ、バサラ、バシロとたくさん読み方があります。
例えば、金剛部三昧耶でバゾロ(私はバシロと読んでいます)と読み、被甲護身ではバザラ(バサラ)となるのは何か意味があるのでしょうか?
素人感覚だと、統一してよ。。。となってしまいますw
-
>>536
極楽金剛さんではありませんが、
それぞれに訛があると聞きます。
若し師に習ったのであればそれが一番正しいと教わっています。
実際、御不動さんを始め、私の知る範囲でも読み方がおかしいものは沢山ありますが、
縛曰羅なら va jra が本来的な読みになるのでしょうが、
日本人に発音がなかったとか(母音がどうしてもあるのが日本語ですし)推測できますし、
行の内に早口になっていきますし読みやすさであったり、
それぞれの師から師への伝授の内に変化していったことも考えられるんじゃないでしょうか
出会った方の中には元のサンスクリット読みにこだわる方もいらっしゃいますし、
サラバを sa rva(だったかな?)をサルバと教えて頂いてもいます。
次第を見るとサラバとなっている場合もあります。
次第によってはノウマクだと、こだわってナウマクと表記してあるとか、
実際には na mah(これも怪しそうだな・・・)だったり。
多分梵字を学んでみるとそれがわかると思いますよ。
ローマ字表記も実際どこまで正しいのかもわかりませんがそれが最も本来の読みに一番近いとも考えられます。
今ここで極楽金剛さんが師であるならば極楽金剛さんに従って頂くのが最善だとも思います。
若しくは、先達などに教わったものにあわせるか・・・ですね。
多分、極楽金剛さんからもちゃんとしたコメントがあると思うので、私のはあくまでも参考までということで、流してくださいまし。
#間違ってたらごめんなさい
-
>>537
初めまして。
私も、オン ・・・ ソワカ を連続で早口で唱えると、ソワカとオンが合体して、オン ・・・ スコン ・・・ スコン ・・・ となってしまい、いろんな人の訛りが口伝で伝わっていくことが容易に想像できます。
行をするにあたっては全く問題ないことなのですが、何にでも少しでも疑問がでると国会図書館などに行って調べ尽くさないと気が済まない性格なので困ってしまいますw
-
>>536
> 金剛を意味する真言は、バザラ、バゾロ、バサラ、バシロとたくさん読み方があります。
>
> 例えば、金剛部三昧耶でバゾロ(私はバシロと読んでいます)と読み、被甲護身ではバザラ(バサラ)となるのは何か意味があるのでしょうか?
「バザラ」と「バサラ」は同じ言葉の伝のちがいですが、「バゾロ」「バジロ」は音便か何かの語形変化で
あまり詳しくは存じませんが、サンスクリットの文法的にちゃんと意味があります。
ノウマクやナウマクと「南無」も本来一緒なのですが、いわゆる「空耳」的にインド人がしゃべってるのを
聞くと「南無」と聞こえます。「what time」を「ホワット タイム」と言うより「ホッタイモ」と言うとより
原音に近いと言うようなものです。そう言うことを言い出すと切りがないから、
>>537
> 若しくは、先達などに教わったものにあわせるか・・・ですね。
と言うのが基本になります。原音に近づけるとかの工夫は
「行の判断が自分で出来るようになってから」です。
-
>>536
> 例えば、金剛部三昧耶でバゾロ(私はバシロと読んでいます)と読み、被甲護身ではバザラ(バサラ)となるのは何か意味があるのでしょうか?
「ドハンバヤ」は多分「オドハンバヤ」という言葉じゃないですかねえ?それで、
バザラ オドハンバヤ→バゾロドハンバヤ
ハンドマ オドハンバヤ→ハンド(モウ)ボウドハンバヤ
タタギャタ オドハンバヤ→タタギャトウドハンバヤ
と、いう風に音便が変化するのではないかと思います。
で、被甲護身は
バザラ アギニ(火)→バザラギニ
と言う感じで、続く言葉がaで始まるので語尾変化は無しと。
-
>>540
ありがとうございます。
サンスクリットの原音となると難しそうですね。
私が修している発音だと
如来 タタァギャトゥ
蓮華 ハドモゥ
金剛 バシロゥ
と最後を伸ばしてるので、後に続く「オドハンバヤ」のオが訛って連結して伝わったのでしょう。
修法とは関係ないですが、こういうのも知るとなんかワクワクしてしまいます。
-
>>540
逆にお恥ずかしながら・・・習ったまま何とも思わなかったので・・・^^;、便乗しますと
宝生如来のように(梵名がラトナ・サンバヴァなので)
「a」を加えたケースはこれまた何故なんでしょう?
そうやって考えるとWikipediaを見ていて気がついたのですけれど、
> オン・ガラタン・ナウサンバンバ・タラク
更に「ア」に変えて「ガ」が加わっているとか。
「n+a」でなまって「ナ」→「ガ」などと説明はつきそうですが、それでも「a」が加わりますし。
開敷華王如来だと、"ロケイジンバラ「ア」ランジャ"などだと元々長音だったり、
・・・と、法則の見いだせないのもこう考えると色々面白いものですね。
>>538
> 行をするにあたっては全く問題ないことなのですが、何にでも少しでも疑問がでると国会図書館などに行って調べ尽くさないと気が済まない性格なので困ってしまいますw
問いだすときりがないですよね(笑)
皆好きなんですよね、こういうのが。
-
>>542
> 「a」を加えたケースはこれまた何故なんでしょう?
「R」の発音はシナ語にも無いので、「R」の音をシナ語で表現する工夫と思われます。
ロケイジンバラなどは「L」ですから普通の音写で済ませてますね。
-
>>543
ありがとうございます。
> 「R」の発音はシナ語にも無いので、「R」の音をシナ語で表現する工夫と思われます。
> ロケイジンバラなどは「L」ですから普通の音写で済ませてますね。
「R」の音がないのでしたか、なるほど。
確かに工夫のぽいですね。
>>542
>開敷華王如来
正しくは観自在王でしたね。何か一つ気になるとまわりが見えなくなる、こういう間違えって多いんですよね。。。^^;
すみませんでした。
-
極楽金剛さん、こんばんは。大変ご無沙汰しております。
随分以前ですが、人格障害の母親の事で相談をし、金剛夜叉明王様と
ご縁をいただきました。
色々ありましたが、ちょっとだけ落ち着いたかなと思ったところ、私の
居場所(住所を知らせず引っ越しました)をどうやったのか調べ上げられ、
今日いきなり電報が来ました。内容は電話してもメールしても無視しやがって、
いい加減にしろ云々なのですが、住所が分かってしまった以上、生きた心地がしません。
金剛夜叉明王様に毎日お願いはしていますが、明日から31日までこんな時期では
ありますが非常に重要な仕事があり、心を乱しているわけには行かないのです。
なのにこんなにうろたえた私がいます。
私の声は、金剛夜叉明王様に届いているのでしょうか。何かが足りず、結局こういう
ことになってしまうのでしょうか。
取り留めのない文章で申し訳ありません。
-
>>545
无妄九四
取りあえず落ち着いて下さい。今すぐどうこうとは無さそうですから、今は気をしっかり持ち直して下さい。
お母様が訪ねてきたら警察に通報するぐらいの強い気持ちをお持ちになって下さい。
> 私の声は、金剛夜叉明王様に届いているのでしょうか。何かが足りず、結局こういう
> ことになってしまうのでしょうか。
晋九四
これは居場所が悪いので結局何しても不可という卦です。
肉親であれば探偵に頼むなどごく正当な依頼であり、国内であれば犯罪者が協力者を得て
逃げ回るような工夫でもしない限り見つからないと言うことは難しいでしょう。
肉親からの追跡をかわすのは基本的に不可能ですから、何かが足りなかったと言うよりは
来襲が落ち着いた頃に、心を強くする方向で備えられた方が良かったのではと思われます。
引き続き金剛夜叉尊
賁六二
やはり支えて下さるのは金剛夜叉尊しか居られないようです。
とにかく落ち着けるよう心を強くできるようお祈り下さい。
+して摩利支天
夬九二
今までどおり金剛夜叉尊を信仰され、プラスして摩利支天にも頼られてはいかがでしょうか?
ただし、願意はお母様からの追跡来襲を避ける事だけにして下さい。
金剛夜叉尊の作法に挿入する場合は金剛夜叉尊に祈願した後、回向の前にはさんで下さい。
般若心経一巻・三巻・五巻いずれか。
真言:
オン アニチャ マリシエイ ソワカ。 五反。
真言の遍数は守って下さい。唱えすぎはいけません。
緊急事態的にその場で唱える場合は三反にしておいてください。
-
>>546
お恥ずかしい内容の書き込みにも関わらず、こんなに早くお返事を
いただいて、本当にありがとうございました。
やはり金剛夜叉明王様を筆頭にお願いするのがベストなのですね。
緊急時に摩利支天様ですね。ちらっと検索してみましたが天部と言われる
所の神様のようですね。頑張ります。
唱えすぎないよう、本当は摩利支天様の真言に頼らずとも、心を鋼のように
強くできるのが何よりの解決方法なのだとわかっております。
でも、こちらで最初に相談させていただいてから恐らく1年か、いや2年は
たっていると思うのですが、なかなか駄目ですね。情けなくなります。
ありがとうございました。
-
>>547
いえいえ、一年や二年で心が鍛えられるものではありません。焦らずやっていきましょう。
-
極楽金剛さん
当初の予定で今年中に24万には到達できませんでしたが
途中休みながらのも含めて、
この休み中は頑張って年末までには何とか15万に達せそうです。
1080反が基本としており108反はカウントしていませんから、
もう少し多いのかもしれませんが
体調を崩していた間はそれでも休日に1080反としていましたのでなんとか、
叱咤激励して頂いたおかげであれからずっと毎日、休日余裕がある場合は座数を増やす等です。
本当にありがとう御座います。
ふと聞き忘れたのですが、本尊加持、普供養の後、読経等となっておりますが、開経偈は入れるべきなのでしょうか
と言っても以前お話ししたとおり舎利禮文のみとしております。
ちなみに、中級念誦次第に従っております。
また、諸事情あって優先する為、持戒清浄大事は今加えておりませんが、
後学の為それを加えた場合は護身法が終わった後
懺悔文を加えるのがいいんでしょうか。
この数日、雑念妄想魔境は減りつつ合って、
丹田に心が下がって落ち着きながら散念誦しておりますが、この感じでいいのでしょうか、
多分意識すべきは本尊だと思いますが、丹田に落ち着いた状態で念誦がしている自分がうかがえます。
ただ行の間は問題ないのですが、通常の生活に戻ると少し胸が圧迫されるような痛みがことがありますが
こちらは病気?と呼吸法が悪いのかな?と両方で考えております。あまりに軽すぎる痛みなので、また
収まっている時は問題ないですし、気にならない時もあると言う感じです。
風水渙六三を得ました。、病気なら快方に向かう・・・であるけれど
六三で助けを求めよとは医者に行った方がいいってことでしょうか?
若しくはこういうことってあるんでしょうか。
質問が多くなって申し訳ありませんが宜しくお願いします。
-
>>549
> ふと聞き忘れたのですが、本尊加持、普供養の後、読経等となっておりますが、開経偈は入れるべきなのでしょうか
今は読経も略しておいた方がいいでしょう。
> また、諸事情あって優先する為、持戒清浄大事は今加えておりませんが、
> 後学の為それを加えた場合は護身法が終わった後
> 懺悔文を加えるのがいいんでしょうか。
ちょっと質問の趣旨がよく解らないのですが、持戒清浄大事と懺悔文は別にセットではありませんから。
> この数日、雑念妄想魔境は減りつつ合って、
> 丹田に心が下がって落ち着きながら散念誦しておりますが、この感じでいいのでしょうか、
> 多分意識すべきは本尊だと思いますが、丹田に落ち着いた状態で念誦がしている自分がうかがえます。
それでいいと思いますよ。
> ただ行の間は問題ないのですが、通常の生活に戻ると少し胸が圧迫されるような痛みがことがありますが
> こちらは病気?と呼吸法が悪いのかな?と両方で考えております。あまりに軽すぎる痛みなので、また
> 収まっている時は問題ないですし、気にならない時もあると言う感じです。
> 風水渙六三を得ました。、病気なら快方に向かう・・・であるけれど
> 六三で助けを求めよとは医者に行った方がいいってことでしょうか?
> 若しくはこういうことってあるんでしょうか。
それはお医者様に行った方がいいでしょう。念誦と関係ない病気が出てるのかも知れません。
渙六三であれば最悪手術が必要な病気である可能性があります。
-
>>550
2chの方も大変な時に、ありがとうございます。
いつも話が長くなってしまうので多分に割愛してしまいすみません。
> ちょっと質問の趣旨がよく解らないのですが、持戒清浄大事と懺悔文は別にセットではありませんから。
12月より休みの日は時間を決めて二座やることにしています。
書面で読んでいて知っていても知っていたことではあるのですが、
宝生如来−平等性智−末那識と考えていくと、やはり、唯識で言うところの、
我痴、我見、我慢、我愛だなと、このところ感じるようになりまして、
妄想のことを、色々思い出してみるにその日の反省であったり、怒りであったり、やはり三毒が
湧いては消えでした。
すぐウダウダ考えてしまう性分なものですから、それで更に「不安になる」「自信をなくす」「行動に移せなくなる」
そういうスパイラルがどうしても出来てしまいます。
で、休日どうせ二座であるならば片方は懺悔の行をと、そういう根源を思惟する座を設けるのもよいのでは?と
思うようになったのが本音です。それによって効果があるかどうかはわかりませんが、
先ほどはテンプレ倉庫を見せて頂きながら私の知る礼拝行よりもより、(念誦がないので目標が遠のきますけれど)
懺悔の要素も強いなとも思えてはいます。
もう一つついてですが持戒清浄大事をすぐ始められない理由は私は夜間の学校に通っている為、
様々な制約が出来てしまっていることです。
先日八齋戒の話もありましたが、例えば現状の生活ですとどうしても夜型で、
本来の「不過中食戒」は難しいだけでなく、体力系でもあるので、
形式上昼の12時から夜の0時まで(帰宅は11時)食べると言う逆の形をとっていますが、
生物本来の生活を考えてこの戒があるのだろうとも思えるので、これは意味がないのではとも思えるのです。
朝の食事による糖分摂取は本当は必要なので、飲み物でとしておりますが。。。
> > 風水渙六三を得ました。、病気なら快方に向かう・・・であるけれど
> > 六三で助けを求めよとは医者に行った方がいいってことでしょうか?
> > 若しくはこういうことってあるんでしょうか。
> それはお医者様に行った方がいいでしょう。念誦と関係ない病気が出てるのかも知れません。
> 渙六三であれば最悪手術が必要な病気である可能性があります。
ありがとう御座います。
少ない資金のやりくりですので(ありがたいことにタイミングよく歯医者が一段落しても居ますし)、
年明け早々、内科・心療内科に行くついでに相談してこようと思います。
必要なら球循環器系紹介してもらおうかと思います。
-
>>551
極楽さんのご意見が優先と思いながらも横から失礼します。
私が思うに戒というものの本質は、自ら制約を設けることにより、眼耳鼻舌身意が逸楽に流されないようにするところにあるのではと。
ですから昼夜逆転していても意味はあるのではないでしょうか。
-
>>551
> 2chの方も大変な時に、ありがとうございます。
それはいいのですよ。私にとって大変なのは入力だけですからw
http://imgcc.naver.jp/kaze/mission/USER/20130924/15/196835/0/480x760xae114a5b6ec8b6fe8086d032.jpg
> 12月より休みの日は時間を決めて二座やることにしています。
> で、休日どうせ二座であるならば片方は懺悔の行をと、そういう根源を思惟する座を設けるのもよいのでは?と
鼎九三
いや、願意は分けずに同じにして下さい。
> 先日八齋戒の話もありましたが、例えば現状の生活ですとどうしても夜型で、
> 本来の「不過中食戒」は難しいだけでなく、体力系でもあるので、
八斎戒でなくとも五戒でいいんじゃないですか?八斎戒どうでしょうと言うのは甘露さん個別の
提案ですので、宝吼さんがそこまで悩まれることはないですよ。
-
>>552
> 私が思うに戒というものの本質は、自ら制約を設けることにより、眼耳鼻舌身意が逸楽に流されないようにするところにあるのではと。
ありがとう御座います。
もちろん無意味とは思っていないですよ。
結論から言えば私は最初そう納得していたのも事実で「現実的に選べない」や「それが必要」なので致し方ない部分があります。
許容してしまうことは乱れも生んでいるのも事実でもあると思うんです。
現代的にこなすのであれば、尚更、戒律はむしろ自戒の要素も強いと思っていますし、
お釈迦さんとダイバダッタの「人里を離れて山で生活する」ことを戒律にしようとしたも話にもありますし。
ただ、現実はそうでない反面もあるし、その人にあわせて人に強要もすべきではないですし、
両極の正しさと間違いに下手すると矛盾にも陥る、選べない部分が沢山ありますから。
懺悔もそもそも正否やガチガチに行うのでなく自ら納得することに意味があるのではと思うんです。
今こうして考える時間がありますが、普段それを考える時間ってなかなかないならば、
思惟する時間をむりやり割くのもありだと考えるようになった・・・というわけなんです。
>極楽さんのご意見が優先と思いながらも横から失礼します。
いえいえ、考える機会を与えて頂けたこと感謝します
実際選べない現実や障害があるのも事実なので。
勿論、それを判断できるように菩提心(私の場合は金剛の如き智恵なのかもしれませんが)を
養うのが優先だと言われればそれまでだなと思ってはいるのですけれどもね。
-
>>553
> それはいいのですよ。私にとって大変なのは入力だけですからw
> http://imgcc.naver.jp/kaze/mission/USER/20130924/15/196835/0/480x760xae114a5b6ec8b6fe8086d032.jpg
そう言って頂けるとありがたいです(笑)
> 鼎九三
> いや、願意は分けずに同じにして下さい。
同じように行をした方がいいと言うことですね。
>>554 じゃないですがある程度答えは出ていたので「魔縁、尽きるまで頑張ってみるか」と最後の一押しありがとう御座います。
踏ん切りもつきます。
> 八斎戒でなくとも五戒でいいんじゃないですか?八斎戒どうでしょうと言うのは甘露さん個別の
> 提案ですので、宝吼さんがそこまで悩まれることはないですよ。
ただそういって頂けるのもある意味ありがたいところでもあります。
本当はセットでなのでしょうが可能なものは守れれば猶よしでもあるかとも思えてはいますので・・・
なんせ怠惰でまわりに流される人でもあるもので・・・^^;。
そこを鍛えるということで、選んで頂いたのもありますし。
丁度良い落としどころが見定められず、ご迷惑おかけします。
-
>>554
こちらこそ宝吼さんと極楽さんのやりとりでこっそり勉強させて頂いてます。同じように頑張ってらっしゃる方を拝見するのは励みです。
少し早いですが来年も宜しくお願いします。
-
お世話になっております。
今年はいろんなご教授やご助言をいただき本当にありがとうございます。
不動明王の信仰を始めて日が浅く、不動の菩提心を得る道程はまだまだ遠く感じます。
来年も怠ることなく行を続けていきますので、どうぞよろしくお願いします。
今年最後の質問をさせて下さい。
大金剛輪に関してなのですが、護摩供の所作を拝見していて、最初は十八道を修して(印で判断したのでおそらくです)、その中で大金剛輪印を逆廻し→順廻し、最後にその印で五処加持をしていました。
大金剛輪でも五処加持するものなのでしょうか?
-
>>557
> 大金剛輪でも五処加持するものなのでしょうか?
順逆で供具の欠損を補い、五処加持で行者の不備を補うのです。
-
>>558
×順逆
○逆順
-
>>558
ありがとうございます!
本年もよろしくお願いします!
-
あけましておめでとうございます。今年も皆様が弥栄でありますように。
-
明けましておめでとうございます
お(・∀・)め(・∀・)で(・∀・)と(・∀・)う!
>>556
本年もよろしくお願いします。
>>557
> 大金剛輪に関してなのですが、護摩供の所作を拝見していて、最初は十八道を修して(印で判断したのでおそらくです)、その中で大金剛輪印を逆廻し→順廻し、最後にその印で五処加持をしていました。
極楽金剛さんから既にレスついておりますが(そう思って。。。ちょっと遠慮してました)
次第をみると目的によって使い分けてますし、確か・・・天台読みにこだわれていたかと思いますし、
多少の伝の違いはあるので先達さんに聞かれるのが、特に流儀による違いの吸収するにはいい機会かもしれないですよ。
>>561
今年も宜しくお願いします
16万回に到達した新年早々、定が深くなって心身脱落(?)した瞬間、
以前ヴィッパサバで経験した鳩尾付近に空虚な感覚に襲わまして
少しあの時の恐怖が蘇り焦りました。。。恐怖という魔縁だなと思ったので、
念誦に集中しつつも、慌ててもう一回月輪観をしつつ字輪を観じて漸く納まりましたが・・・。
こうしたのは、常に心に月輪と阿字を置けなどともいいますのでこうしたのですが、
禅やヨガだと「遊離した真我(プルシャ)を鳩尾に引き込まれていく」なんていうことも聞きます。
そうなると観念している仏様に入っていただくように観念する方がよいのでしょうか?
また後で少し近い状態になってと立て続けで・・・・。
頭痛持ちなので、体調が優れない方が定が深いのも皮肉なものなのですが、
座の時間のタイミング的にこれは魔縁と思って無理したんですけれども、
体調の優れない時に無理してやらない方がいいのかもしれないと思いましたし。
-
>>562
> 以前ヴィッパサバで経験した鳩尾付近に空虚な感覚に襲わまして
> 少しあの時の恐怖が蘇り焦りました。。。恐怖という魔縁だなと思ったので、
> そうなると観念している仏様に入っていただくように観念する方がよいのでしょうか?
いえいえ、取りあわないで下さい。
> 禅やヨガだと「遊離した真我(プルシャ)を鳩尾に引き込まれていく」なんていうことも聞きます。
ヨガは知りませんが、禅宗でプルシャなど言わないはずですが。
仏教ではそんなの妄想だと斬って捨てます。
> 頭痛持ちなので、体調が優れない方が定が深いのも皮肉なものなのですが、
> 座の時間のタイミング的にこれは魔縁と思って無理したんですけれども、
> 体調の優れない時に無理してやらない方がいいのかもしれないと思いましたし。
それは無理されない方がいいでしょう。
仏教には禅宗という宗派もあるくらいですから多くの人が勘違いしてるのですが、覚り(智慧)と
禅定はあまり関係ないから、こだわったり必死になったりする必要などないのです。
だいたい、仏伝でお釈迦様が出家されて早々に九次第定の八番目である「非想非非想処定」に
到達するも、いきなり捨ててしまわれたのを皆さん忘れてるんですかねえ?
宝吼さんのように体質的に合わない人は捨て置いていいのです。インド人は禅定体質らしく、
お釈迦様もいきなり非想非非想処定に到達できたのは体質もあったのでしょう。それで
インドではどの宗教も禅定があり、仏教もかなり惹かれて多くの禅定が説かれていますが、
実はそれほど重要ではありません。体質や因縁によっては禅定が適してる人も居ますが、
それでも第四禅定まででいいのであって、それ以上は仏道修行としてはオーバースペックなのです。
-
>>562
> 頭痛持ちなので、体調が優れない方が定が深いのも皮肉なものなのですが、
> 座の時間のタイミング的にこれは魔縁と思って無理したんですけれども、
> 体調の優れない時に無理してやらない方がいいのかもしれないと思いましたし。
ですから、
定がどうこうにこだわらずに、真言を唱えると言うことだけに心を向ければいいでしょう。
-
>>563
> いえいえ、取りあわないで下さい。
ありがとうございます。
真っ暗闇で動けないで数分の後の恐怖と開けてからの襲った無力感・虚無感が、
あの時に相当にすり込まれてしまったようです。。。そうなるとその部分が魔縁・魔境なのでしょう。
> それは無理されない方がいいでしょう。
(中略)
> それでも第四禅定まででいいのであって、それ以上は仏道修行としてはオーバースペックなのです。
多分私の落としどころが間違っているのだと思えてきましたので、
禅定についてもちょっと学び(調べ?)直して納得してみようと思います。
>>564
> 定がどうこうにこだわらずに、真言を唱えると言うことだけに心を向ければいいでしょう。
体調が最悪の時は最略にして休んで、可能ならば念誦で繋ぐ様な形にします。
ホント無理はいけないですね^^;
今、ゆっくり時間をおいて考えてみるに、真言を唱え続けることによって意識がそこにある分、
離脱(?)が早くて、魔縁・魔境ならば「とるに足らない」と言うことが解った分いい経験したのかもしれません。
断ち切れることが解ったこと、次その状況に例え落ちても確実に戻れる意味では、
逆に確かな自信(?まだ恐怖はあるものの)は出てきたので、
このまま進められる証明でもあるのかとも思えてきました。
久しぶりに味わうと・・・連続だったのもありますが、何だろう何だろうと考えてしまいました。。。
多分「解らない事」への恐怖なのでしょうか、根底に引っかかる何か、
はたまた私自身の「死への恐怖/生への執着」なのでしょうか、何かがそこに在るのかもしれません。
臆病なんでしょうね。。。
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明けましておめでとうございます。
昨年末はうろたえながらの書き込みに、丁寧に対応してくださり、
本当にありがとうございました。
おかげさまで緊急の仕事に関しては無事にこなす事ができ、
ちょっとだけホっといたしました。
新年がここにいらっしゃる皆様にとって穏やかな一年となりますように。
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>>565
まあ、お釈迦様という降魔の先達が居られたからある程度はあらかじめ出来ますが、それぞれの
当人にとっては未踏の領域なので、怖いのは仕方がありませんね。
>>566
それはようございました。今年もよいお年でありますように。
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極楽さんあけましておめでとうございます。本年も宜しくお願い致します。
新年を迎えるにあたり、実家のボロい仏具を新調しました。そこで仏壇について以前からお訊ねしたかったことを…
如来の供養に懈怠は許されないというお話が以前ありましたが、仏壇の本尊は如来が多いですよね?とすると出張が多いとか日々の供養が完璧を期しがたい人は、仏壇の本尊を菩薩様等にお願いした方が無難なんでしょうか。
また仏壇にも開眼がありますが、あれは仏壇自体に何を開眼しているのですか?
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>>568
> 如来の供養に懈怠は許されないというお話が以前ありましたが、仏壇の本尊は如来が多いですよね?とすると出張が多いとか日々の供養が完璧を期しがたい人は、仏壇の本尊を菩薩様等にお願いした方が無難なんでしょうか。
行者であるなら。普通の人は多分如来様の方で期待してないから大丈夫です。
だいたい、仏壇を尊重するにも伝統的な家庭祭祀として大事にされてるのがほとんどであって、
「如来」というお方がどういうお方でどういう存在であるか知ってしまったら、仏壇のお祀りも疎かには
出来なくなってしまうはずです。
以上一般論。
以下個別論。
豊九五
問題無いようです。
> また仏壇にも開眼がありますが、あれは仏壇自体に何を開眼しているのですか?
「地鎮祭」や「道場建立」です。よく各宗派の仏壇はその本山の本堂に模してると言われますが、
であるなら仏壇を新調したり修復したりすることは寺院の建立や修理に相当すると想像できると
思います。仏像の開眼とは違うものですが、専門的に説明するのがめんどくさいから一般にも
解りやすく開眼と言ってるんでしょう。
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>>569
個人的にお迎えするのでなければ大概は如来なのでどうなんだろうと…。なるほど、知っているのと知らないのとでは違いますもんね。実家の仏壇も整備しなおさなきゃいけないので参考になります。
では中級次第で仏壇の如来にご供養申し上げる場合、当部明王はあみだ
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途中で送信してしまいました(汗)
阿弥陀様の場合は大威徳尊、お釈迦様は金剛夜叉尊ですか。それとも阿弥陀→馬頭ですか?
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>>571
阿弥陀仏が馬頭明王で釈迦仏が不動明王です。
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皆様あけましておめでとうございます。
旧年は何かとお世話頂き篤く御礼申し上げますと共に、本年もご鞭撻賜りますようお願い申し上げます。
何とか本日釈尊の真言念誦百万遍成満致しました。
怠けたり忙しくなって欠く日もあり無魔とはいきませんでしたが、一応の達成を得たのは偏に本尊の慈悲と皆様のご縁のお陰でございました。重ねて篤く御礼申し上げます。
百万遍は成満しましたが、元は東日本大震災に因み始めた事なので補欠も兼ね一日千遍のペースを本年の震災忌までは今まで通りで行こうと思ってます。
ついでながら釈尊の所縁ある明王というと不動尊とあとは無能勝明王もそうですな。単独で祀られた例が無く修する例も非常に少ない尊ですが。
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>>573
今年もどうぞ宜しく!
> 何とか本日釈尊の真言念誦百万遍成満致しました。
おめでとうございます。
とても励みになります!
> 百万遍は成満しましたが、元は東日本大震災に因み始めた事なので補欠も兼ね一日千遍のペースを本年の震災忌までは今まで通りで行こうと思ってます。
すばらしいですね!
ナナスさんのチベット密教・仏教の知識は私はとても感心する部分がございます。
また色々お話しいただければと思います。
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>>567
> まあ、お釈迦様という降魔の先達が居られたからある程度はあらかじめ出来ますが、それぞれの
> 当人にとっては未踏の領域なので、怖いのは仕方がありませんね。
ありがとう御座います。
後述しますが、先に、増やすなと言うことでしたので、すみません。
本当は、極楽金剛さんの指導の元に決めて行くつもりでしたが、
独自の判断で宝生真言、三昧耶印言の後、
本来とは違いますが宝生真言+四明、行中の加護を願ってと加えてこの数座やっておりました。
その後、ご加護あってか先の集中しつつも魔境に入りかかっても、
鳩尾の上に強い黄金の光が感じられて若しかしたら守って頂けたのかもしれません。
まぁ、ブラシーボなのかもしれませんけれど^^;
三が日の間だけと思っていましたので、宝生真言+四明を外して元に戻しております。
後学の為伺いますが金剛界法と同じで四明は加わっても印はそのままだったと思いましたが
それでよろしかったですよね?
実生活での元々の問題の関係で色々ありまして、仕切り直しになるかもしれません望んだ形になるかは
解りませんが、いい方向に動きつつもあります。相手はプライドの塊で端から見ると人格障害なので
難航しないといいのですが・・・。
そして少しこのあたりで妄想の魔縁も増えてしまっては居りますが・・・・折角収束してきたのに・・・と悔しい部分もあります。
とりあえず、ご心配おかけしました。
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>>572
不動尊ですか!大日→不動と思っていたので少し意外でした。荒廃(敢えてこの表現にします)している実家の仏壇を早く復興したいと思っています。
>>573
100万回おめでとうございます!同じように震災をきっかけに始めたのに20万回の私…まぁ焦らずいきますw
無能勝明王ですか。確かにあまりお会い出来ない方ではありますね。
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>>573
>>576
私も震災復興祈願で力を付けて、天部の世界に踏みだす事が出来ました。
ほんとうにこう、「情けは人のためならず」ですね。
>>573
無能勝明王はお釈迦様の降魔の三昧なので、一般的なご利益とか聞きませんからねえ。
しかし、もしかしたら真言法によって四沙門果の境地に至るためには重要な尊格かも知れません。
そのうち必ず無能勝明王の修行をして内證をきっちり把握したいと思ってます。
>>575
>金剛界法と同じで四明は加わっても印はそのままだったと思いましたが
そうです。
>>576
理論的には無能勝明王かおっしゃるように金剛夜叉明王若しくは烏枢瑟摩明王ですが、
事相上は不動明王です。
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いつもお世話になっています。
つかぬ事をお聞きします。
六器以前のご指導通り出来るだけ全部、閼伽で行を行っています
華鬘ですが、樒が入手できない場合、仏榊を代用してもいいものなんでしょうか。
昔、師に伝授の際に仏榊を使用しておられたのを思い出しまして、華鬘器に榊で代用でもいいかなと思った次第です。
関東以降は榊は榊でも仏榊が売られているといわれていますのでそれならばどこでも入手しやすい利点が
あったのでお伺いしました。
ちゃんと聞けなかったのが不徳ですね。。。
追伸:2chの方も頑張ってくださいませ。
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>>578
> 華鬘ですが、樒が入手できない場合、仏榊を代用してもいいものなんでしょうか。
「仏榊」って、なんですか?ひじゃこひさかきなどの類という前提でお答えしますが、
華鬘器に用いるのは一向に構いません。
塗香器や閼伽器に香気のない葉を用いる場合は、何か香りのある物を添加して用いるなどして下さい。
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>>579
ありがとうございます。
あ、ヒサカキのことです。何方かが言っていたのをそのまま書いてしまいましてすみません^^;
もしかしたら「仏さん柴」というのとごっちゃになって脳内変換されていたのかもしれません(笑)
本榊は関東〜北陸流通せず、ヒサカキは元々佛花だったそうですよね。
> 塗香器や閼伽器に香気のない葉を用いる場合は、何か香りのある物を添加して用いるなどして下さい。
凄く現代的かもしれませんが。。。アロマオイルか何かで香り付けするようにしてみます。
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>>580
> 本榊は関東〜北陸流通せず、ヒサカキは元々佛花だったそうですよね。
シキミは創価-日蓮正宗が使うから、国内で流通していないところがあると考えにくいですが、
そうでもないのですか?市販品よりは割高ですが最近は通販もありますけど。
六器用のシキミは、住宅事情によっては管理の方が大変ですがね。
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>>581
>シキミは創価-日蓮正宗が使うから、国内で流通していないところがあると考えにくいですが、
このところ減ってるのですかねぇ。
今住んでいるのが団地なので密集度の反面、全然売れないのか
近所の花屋から農園、スーパーや苗木を販売する量販店までもおいてませんでしたね。
仏具屋さんに置いてあるのはシルクフラワーですしね。
それか。。。創価-日蓮正宗は、多分、公営住宅に住む様な庶民には用がないのかもです ^^;
学会の人がよく買いに来るけどなんて言ってるところ確かにありましたねぇ
前住んでいた場所のすぐ近くのスーパーに置いてあったんですが、
やめてしまったようで、何度か通うけれど入荷の様子なかったですし。。。そこのが日持ちもよくてよかったのですが。
この数年の退きよう逆にちょっと驚いてもいます。
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樒ダスか。
拙宅はド田舎で、JAやらスーパーで当たり前に樒は本榊やシャシャキ(姫榊)と一緒にいつも売られてる
というか山に行けば普通に生えてるのを苅って帰る地元民がいるような所なので、なくなると言うのがある意味驚きダスな。
ただ普通の都会や市街地では樒は墓参りに大量消費する商品なんで、時期を過ぎると余り売れなくなるから出してない可能性が高いダスよ。
大きいホームセンターは確認されてますかね?割合通年で置いてある事があるダス。
最悪の一手としては、学会会館近くに必ずある学会員の仏具販売店に…
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>>582
> この数年の退きよう逆にちょっと驚いてもいます。
通販もあるが割高だと申しましたが、調べてみると創価相手の通販だとかなり割安で、地域での
横の繋がりも強い創価だとまとめ買いとかも容易なのかも知れません。
私の創価情報は前世紀のまま止まってるので最近の事情にはうといですが、
ネット社会で情報が増えて創価を止める人が多いと言うこともあるのかな?
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>>583
> 最悪の一手としては、学会会館近くに必ずある学会員の仏具販売店に…
それどうでしょうねえ?と言うのも、相手も商売なんだからと考えればいちいち余計なこと言わずに
買いに行けばいいだけのことですが、根付きシキミ一本税込み200円で売ってるところなどは
ぎりぎりで儲けなんか無いじゃないでしょうか?二年以上かかる作物が大根の市価と変わらない
ようでは、農家の取り分がほとんどではないでしょうか?
その企業努力は当然学会員のために向けられたものです。部外者には厳しいかも知れませんね?
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確かに「最悪の一手」 は相手に配慮の無い一語です。
すいませんでした。
根付き二百円は激安ですな。
こちらはJAで切り花の状態で230〜250円位です。根付きはもうちょっと色が付く位ですか。
スーパーだとそれが50から100円増しになるので、200円というのは。
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>>586
いえいえ、「いちいち余計なこと言わずに」というのは、「私学会違いますけど売ってもらえますか?」
などとか言わずに黙って買いに行くと言うことであって、別に責めたわけではありませんから。
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通りすがりで失礼します。
確かに学会の周りには多いですよね。私なんかは学会員じゃないのはまるわかりですが快く売って頂いております。安すぎてびっくり価格ですが。またどうしても入手できない場合はその季節ごとの花をお供えします。時花とありますので本来その季節ごとの花をお供えするのが本義とも習っておりましたので。
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>>588
そうなんですか!ちょっと検討してみようかな?
普段の行にはいいけど、護摩など五葉の房花を使いますから大量にいるし・・・。
時花はおっしゃるとおりですね。
でも、華瓶にもシキミの枝挿しただけのお寺が多いですね。どこも苦しいのかな?
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>>589
五葉を切り出すだけでも本数が必要になりますからね。あの手のお店は納めてる側もどっぷり学会員さんなのであまり儲けは無いでしょうがこちらとしては大変ありがたいばかりです。うちもたまに樒だけの時があります(((^_^;)汗
-
こんな盛り上がってしまうとは・・・(笑)
>>584
ありがとうございます。
ネットという手が・・・悪くないですね。
> ネット社会で情報が増えて創価を止める人が多いと言うこともあるのかな?
うーん、どうなのでしょう。。。
学会向けの店確か5つ駅先のところにあったような気はしますが、そうなるとやはり現実的なのは通販ですかね^^;
いっそのこと、鉢植えとかどうなんだろっと、毎座変えることを考えると丸裸になって育たないかと断念したことがあったのを思い出しました^^;
>>583
ありがとうございます。
> 大きいホームセンターは確認されてますかね?割合通年で置いてある事があるダス。
数年前から入手が怪しくなりまして。。。ちょこちょこ周りのお店をのぞいては聞いてみて
絶望的だと言うことが解ってきた状態だったりします。
ホームセンターも。。。やっぱりなかったんです。
>>588
ヒントありがとう御座います。
時花が本義・・・どこかで聞いていたかもしれませんが、すっかり忘れしまっていました。。。
皆様の様々なヒントありがとう御座います。
逆にこうも入手できないとなると何か悔しくなってしまう(?)ものですね(笑)
-
ホームセンターもダメでしたか、それでは如何とも。
しかも学会員用店舗すらそんなに離れてるなら、オイラが同じ立場でも買いに行く気にならんダス。
もともと樒は時花の略儀みたいなもんだから、実際の花…といってもその上に飯食やら塗香を載せるのも大きさによっては無理ダスなー
紙の散華じゃ代用にすらならないし、結構難しい。
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>>590
> 五葉を切り出すだけでも本数が必要になりますからね。
本義は時花と言うことを考えれば、比較的安価な小菊やスプレー菊、タイ産の蘭や業務用パックの
食用菊なども試してみましたが、六器にはやはりシキミの葉が使いやすいですし、護摩にくべたり
頭だけの花ってインドでは当たり前のように用いられてますが、日本人の感覚ではなんだか
可哀相な感じがして、ちょっと宗教的な儀式に用いるのはどうかという感じです。
>>591
> 鉢植えとかどうなんだろっと、毎座変えることを考えると丸裸になって育たないかと断念
場所があれば、5〜10鉢ぐらいでローテーションするという手もありますが。いや、10鉢で間に合うか
判りませんが。護摩までするならその料のためいっそ専用の畑など欲しいと思って貸し農園検討
したこともありますが、高いですわ。だいたい駐車場とほぼ同じ相場ですね。家庭菜園など趣味と
実益を兼ねた趣味だと思ってましたが、買った方がコスパはいいですね。
>>592
> その上に飯食やら塗香を載せるのも
塗香はシキミなら香気があるので略せますね。結局シキミが使い勝手も含めて一番いいという
結論にならざるを得ません。
シキミや花の上に飯食載せるとはどういう事なんです?
-
あ、指摘されるまで推敲途中の奇っ怪な内容に気付か無かった(汗
同時に二カ所カキコミはやはり間違いますわ。
多分他のタグで開いて書いてた文章もオカシクなってるに違いないダス、ツッコミ感謝致します。
幸いこちらは山に行けば樒があるとはいえ、何等かの理由で樒が無い時は困ったもんです。
シャシャキじゃ葉っぱ小さいし、別に匂いが特にいい訳じゃないし。榊もしかり。
柴手水の伝に倣って毎度柴やら何かの葉っぱ代用でも構わんて訳にもなりませんしな…まだ小菊の葉っぱの方が匂いがしてマシな位。
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>>594
> まだ小菊の葉っぱの方が匂いがしてマシな位。
あ、それいいですね。花を目的にしなければ菊の方がシキミより育てやすそうだし。
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>>595
小菊は育てやすいですよ。葉の病気にさえ気を付ければ、かなり強い植物です。
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>>596
そうなのですか、ホームセンターやJAで菊専用の土とかあるので難しそうと思ってましたが。
でも、葉数の多い品種って、検索ではよく判りませんねえ?どれも一緒かな?
-
>>597
綺麗な花を沢山咲かせようとすれば難易度は上がりますが、葉っぱ目当てなら(笑)
土を弱酸性にしてつぼみをむしりまくれば、あら簡単(笑)
-
補足ですが、今の園芸用品種でとりわけ葉が多いのはちょっと聞きませんね。ま、大概花が目的ですしね。
菊用土というのは花を沢山咲かせようと考えてのものですから、土を弱酸性に保てば特に不要です。
まさか五大明王スレで園芸の知識を使うことになるとは(笑)
-
>葉っぱ目当てなら(笑)
>土を弱酸性にしてつぼみをむしりまくれば、あら簡単(笑)
あ、そうなんですか、へぇー!やってみますわ。
苗買ってこなくても、菊なら市販の切り花から取った枝で挿し木で出来ますよね?
いくら何でも苗は買った方がいいですか?
>土を弱酸性に保てば特に不要です。
それはどうするんですか?確か雨が酸性なのでほっとくと酸性になると聞いてますが、
草木灰などのアルカリで中和すると言うことを一切やらないでおけばいいのですか?
-
>>600
挿し芽大丈夫ですよ。充分に水上げさせてから鹿沼土に挿せば。
植える際にも市販の土に鹿沼土を混ぜれば弱酸性になるはずですよ。
-
重要なところが抜けてました。市販の切り花では挿し芽出来ません。もう花が咲いてしまってからじゃ無理なんです。
新芽を10センチ弱挿さないと難しいですね。おすすめはGW頃前にまだ花のつかない苗を手にいれ、先端から10センチ毎に切っていって増やす方法です。葉っぱさえついていればそこから伸びますから。
-
>>602
> 重要なところが抜けてました。市販の切り花では挿し芽出来ません。もう花が咲いてしまってからじゃ無理なんです。
あ り が と う ご ざ い ま す 。
そんな話し初めて聞きましたw
いや〜、やっぱりテキストばかり漁ってないで知ってる人に訊くのが一番。
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>>603
お役に立てて何よりですw
菊も季節によって種類が色々あるのでご検討下さい。
-
やっと、念珠回数を過去の補完をしながら5分の1の20万回に到達しました。
うまくすれば、3数ヶ月強で1年目になるまでには足らなかった分もあわせて3分の1まで到達できそうです。
四無量心観は個々にお集まりの法友の方々を中心にできる限り沢山の方を目標に増やしています。
正月の不調は通り過ぎまして、妄想はチラッチラッとなかなか難しいですね。
元々の祈願の一つも家族のことも多少伸展して新たな展開となってきております。
御仏のご加護でしょうか、まだ始まってみなければ解らない、そんな状態です。
今後長い裁判などにもなるのかもしれませんが、先は解りませんね。。。
相変わらず相手が有利な条件(と思っている)を作りつつ、
まるで893のようなイチャモンでホトホト困っている次第です。
私が直接参加して方向性を決めるのがいいのかどうかみていただけますでしょうか。
-
はじめまして。先生のお話、いつも興味深く参考にさせていただいております。
私、ある恋をしたのがきっかけで聖天様、愛染明王様、仏眼仏母様の真言念誦をしておりました。
念誦を始めてからいろいろ苦労が続き、信仰を捨てかけたこともありましたが、いまでは愛染明王様の真言を30万遍唱えれば、等覚のお悟りが頂けるというのでそちらの方が楽しみで聖天様の真言、1日1万遍、愛染様1日1200遍唱えて愛染大呪15万遍に届くところです。
そこでお伺いしたいのですが、当初、好きになった相手がお金をせびってくる人で生活がめちゃくちゃになり、また、急速に縁が薄れて行っています。
そして、あらたに好きな人が出来ました。
私としてはこのまま、以前から好きな人の改心と復縁を祈るべきか、それとも新しい恋に向かうために愛染様におすがりすべきか迷っています。
それと、得度して密教の行をいたしたく、興教大師を尊敬しているので、事相、教相ともに興教大師ゆかりの豊山派か三宝院流で祈祷を頼むと験の出がいい気がするので三宝院流の醍醐or智山か、知り合いのいる天台系か、なんだかんだ修行の環境が調っていてユギ灌頂までそろっている高野山かで迷っています。
それと修行のための資金ぐりをお薬師さんか如意宝珠真言で祈ろうと思いますがどちらが適切でしょうか。
さらに、灌頂というのは例えば結縁灌頂を何回も受ければその分だけ、魂に下駄をはかせてもらえるのか二回目、三回目でも補強的な効果しかないですか。
例えば結縁灌頂を何回も受け続けて受明灌頂や伝法灌頂レベルまで下駄をはかせてもらえるのですかね。理論上。
質問が多くてすみませんがお答え願えれば幸甚です。
-
>>605
> 私が直接参加して方向性を決めるのがいいのかどうかみていただけますでしょうか。
それは、ご家族もしくはご一家のトラブルに現在ノータッチでこれから関わると言うことですか?
-
>>606
> 好きになった相手がお金をせびってくる人で生活がめちゃくちゃになり、また、急速に縁が薄れて行っています。
これに関しては私に相談されるより先に相談された事があるなら、多分その男はもうやめとけとさんざん
言われたのではないかと思いますが、皆さんの言うとおりです。
ですから、
> 私としてはこのまま、以前から好きな人の改心と復縁を祈るべきか、それとも新しい恋に向かうために愛染様におすがりすべきか迷っています。
益上九
これは心が定まらないので凶だという卦です。ちょっと新しい恋に関しては成り行きに任せ、
内面を高めて男を見る目を鍛える方向でしばらく修行されてはいかがでしょう?
> それと、得度して密教の行をいたしたく、興教大師を尊敬しているので、事相、教相ともに興教大師ゆかりの豊山派か三宝院流で祈祷を頼むと験の出がいい気がするので三宝院流の醍醐or智山か、知り合いのいる天台系か、なんだかんだ修行の環境が調っていてユギ灌頂までそろっている高野山かで迷っています。
こればかりはご縁なので、私からは何とも言いようがありません。
> それと修行のための資金ぐりをお薬師さんか如意宝珠真言で祈ろうと思いますがどちらが適切でしょうか。
剥六二
いずれも不適切なようです。
漸初九
これは適切な順番を踏むという卦です。
先ず生活再建から漸次行っていけば修行の資金も何とかなるでしょう。
-
>>606
> さらに、灌頂というのは例えば結縁灌頂を何回も受ければその分だけ、魂に下駄をはかせてもらえるのか二回目、三回目でも補強的な効果しかないですか。
萃六二
魂に下駄を履かせてもらうために一回は受けたいものですが、二回目以降は確かに
補強や無くなってしまったので再灌頂などの意味しかないようです。
種をいくらもらっても育てなければ意味がありません。
> 例えば結縁灌頂を何回も受け続けて受明灌頂や伝法灌頂レベルまで下駄をはかせてもらえるのですかね。理論上。
結縁灌頂と受明灌頂や伝法灌頂は別物なので、ダイコンの種でトマトやピーマンを期待するようなものです。
また、灌頂によって授かった菩提心や悟りの種を育てることが受けた後のこととして重要になります。
何回も受ける工夫より具体的な修行を工夫すべきです。
> 質問が多くてすみませんがお答え願えれば幸甚です。
それは構いません、私に解ることであればお答えしますから、疑問は徹底的に解消して下さい。
-
>>607
> それは、ご家族もしくはご一家のトラブルに現在ノータッチでこれから関わると言うことですか?
先の災に始まり入り口以外は今まで蚊帳の外で勝手に進んだ話と言うのが正解でしょうか。
よくある親のモノカネを目当てにする私利私欲のオンパレードに他者を蹴落とす為に手段を選ばない悪意に満ちた様相に
あきれている状況で蓋を開けばすでに泥仕合です;;。
今後その親の亡くなった後のことにも関わってくる以上、嫌でも関わらなきゃならないという答えは出てしまっていますが、
距離を置いて外から眺めて淡々と決まっていくことに受け入れていくか、
あえて泥沼に飛び込んで矢面に立つかということになります。
お恥ずかしながら既に餓鬼地獄ということがぴったりくるかもしれません
もう、先の災が私のカルマならもう逃げられないと言うことでしょうし、
いい加減にして欲しいと言う気持ちと同時に、これまでの悪意に対して怒り心頭でもあります。。。
-
ありがとうございます。菩提心、お悟りという大それたものは
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ありがとうございます。菩提心、お悟りという大それたものはどうやって得られるものなのかわからないけれど、とりあえず愛染大呪を唱えたり、愛染明王様にご祈祷をお願いするときに「頓成菩提」の願意で拝んでもらったり、理趣経の百字偈を7の倍数回唱えたり、お護摩を頂くときに父母所生身速証大覚位で添護摩を頼んでいます。
それに加えて転識論と明王様の配当のお話を拝見していて、光明真言は五智如来の総呪だから個別の明王様よりこちらのほうが、転識得智は速いのかしらなんておもってますがどうなんでしょうか。
それと男を見る目を養えという卦でしたが、なりゆきに任せると言うことは無理に諦めなくてもよいということでしょうか。
また、そのためにおすがりする尊格は愛染様だけで大丈夫でしょうか。それとも眼をということだったので仏眼大呪の方がよろしいですか。
-
ありがとうございます。菩提心、お悟りという大それたものはどうやって得られるものなのかわからないけれど、とりあえず愛染大呪を唱えたり、愛染明王様にご祈祷をお願いするときに「頓成菩提」の願意で拝んでもらったり、理趣経の百字偈を7の倍数回唱えたり、お護摩を頂くときに父母所生身速証大覚位で添護摩を頼んでいます。
それに加えて転識論と明王様の配当のお話を拝見していて、光明真言は五智如来の総呪だから個別の明王様よりこちらのほうが、転識得智は速いのかしらなんておもってますがどうなんでしょうか。
それと男を見る目を養えという卦でしたが、なりゆきに任せると言うことは無理に諦めなくてもよいということでしょうか。
また、そのためにおすがりする尊格は愛染様だけで大丈夫でしょうか。それとも眼をということだったので仏眼大呪の方がよろしいですか。
生活再建から順を踏めとのこと。この場合、お力添えを願うのはお薬師さんか如意宝珠様か改めてお伺い致します。
ちなみに聖天様と豊川稲荷、伏見稲荷は昔から信仰していていまでもしています。
あとはお付き合いで年に一、二度三面大黒天様にお札を頂くのとときどき三宝荒神さんに添え護摩しています。天部に関してはこれでよいのか、聖天様と弁天様、ダキニ天様は仲良しだそうだから弁天様も増やそうか迷っています。
いかがでしょうか。
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追伸、611、612は操作を誤って書きかけのものを投稿してしまいました。お許し下さいませ。
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>>607
すみません、そしていつもありがとうございます。
状況が状況だけに多くを明かせないことお詫びします。
補足しますと、先の災以前、
父が生きていた時代、20年以上前から始まっていることで一昨年前の災害を悪用(?)された・・・トリガーになったのは確かです。
一度得た優位を利用して、一応、現時点で遵法とはいえど風習慣習的・人道的には決して正しい方法で進んできたわけではなく、
詐欺まがいの嘘や狂言を使い親と残された家族を追い詰め、まるでどこかのドラマのようですが、
以前書きましたように人格障害なのか可哀想なほど話のわからない人間なのかもしれません。
そして・・・恐らく・・・、分け前を増やす為に兄弟の内誰かを社会的に抹殺したいのでしょう。
これによって欲を充足することを以前からの彼の望みと一致した行動でした。
その上で、相手(私たち)に何かしらの罪を着せて動けない状態にした上で話を進めた(<蚊帳の外>)わけです。
そして、当の本人は別のところに住んでいるとから、今苦しんでいる家族を高みの見物しつつ、
イチャモンを付け「もっともっと」を一年間繰り返しているのが現状で災以降この一年以上は弁護士が足っている以上、
直接関わってはいませんが、それでも親を脅しそそのかし証拠を隠滅させ、そしてまた更に脅し、またつり上げようとしている。
別件で自分の道を切り開かなければならない時に、この災いで早く且つ公正にが願いでしたが、もうこの数ヶ月、
調伏を祈っているのも事実です。老いた親と弱者を食い物にしようとするスタンスは私には許せませんから。
世の中悲しいです。こんなにもカネカネカネ・・・腐った人間が身内にいることが悔しいです。
私の父は、自分の住むところがあり、祖父の亡くなった時、相続放棄をし兄弟に譲っていました。
その父の背中を見てなんでこんな人間になったのか・・・・都合のいいところで父の遺言を口にし、
結果真反対のことをしている人間に対し殺してしまいたいと殺意がわくほどです、身内だから余計にです。
だから本音として余計に遠ざけたいのかもしれません。
そして、今切り開こうとしている別の路の途上で非常に邪魔な案件でもあります。
そして出来るなら親と他の兄弟を救いたい・・・それが祈願の一つだったりします。
話はそれますが、勿論、別の路を切り開く祈願もしていますが、全て宝生仏にお任せするとのことでしたので、
現状では常にご先祖への感謝や恩人への感謝、私の周りの支えている人への感謝と功徳を廻向しつつも、
私の周りの人達の幾つかの祈願が加わっていますこんな状況です。
-
>>615
すみません、取り乱してしまい。
普段は、お陰様で煮えくりかえった気持ちが少し少し軽くなってきていた状態でしたが、
ぶちまけてしまったことにより、本当の怒りが表に出てしまいました。
言葉を選んでいたつもりですが、普段ものすごく我慢している反動なのかもしれません。
お気をわるくされませんように。すみませんでした。
-
いやいや、日頃愚痴ばかり言っていても良くありませんがたまには言わんと溜め込むのも良くないダスよ。
ここの人たちは大概の事は勘弁してくれるでしょうから。
少しでも状況が好転すれば良いですが、金が絡むと肉親すら鬼に化けるのが常
さぞかしジワジワと迫る不快感と苛立ちでお辛い立場だろうと思います。
私も親が親族の代替わりに伴い裁判沙汰となり、その親族の親の代から借りてきた故郷の家を失って跡形も無く潰された事がありましたから
親族同士の争いがいかに堪え難いかは幾分解ります。
さしたる力にもなりませんが、善き様になりますようお祈り申します。
結縁灌頂といえば、二十代の頃最初に某所で受けて釈尊と結縁したのですが受けて一ヶ月さっぱり性欲が涌かなかった、なんて事がありましたな。
その時念誦やらなんやら行をしてたら、もしかしたら結構進歩や果報があったんでは?と今更ながら思いますが
記念大法会の記念だからと受けたというかなり軽い理由だし、受明灌頂でなかったので特別に何か印明も授かって無い(説明チラシには秘密のナントカを授かるとかあった気もするけど)ので
当時特に何もリアクションを取らなかったという有様、所詮オイラはこの程度のオッサンwであるダス。
チベットではやたらと機会があれば信心深い民衆は灌頂を受けるのですが、どうしても俗人生活をしていると戒を破ったりしてしまうので
灌頂を受けて本尊の曼荼羅を拝して破戒の罪を消し、戒を受けるんだとか。
-
>>610
> 距離を置いて外から眺めて淡々と決まっていくことに受け入れていくか、
> あえて泥沼に飛び込んで矢面に立つかということになります。
艮初六
これは止まることに全力を注ぐという卦です。
前者の方がよろしいようです。多少の不利があっても傍観で済むものなら傍観に徹した方が
傷は浅くて済むようです。
-
>>613
> それに加えて転識論と明王様の配当のお話を拝見していて、光明真言は五智如来の総呪だから個別の明王様よりこちらのほうが、転識得智は速いのかしらなんておもってますがどうなんでしょうか。
転識得智が早いのは大威徳尊です。転識得智の順番は、
観察智→平等智→円鏡智・所作智
と言う順番なので、転識得智を目的とするなら大威徳尊です。
ただ、理論上はそうですが個別にどうであるかはまた別問題です。
> それと男を見る目を養えという卦でしたが、なりゆきに任せると言うことは無理に諦めなくてもよいということでしょうか。
諦められるものであれば諦めてください。こういう相談の一般論として、理屈でダメだと分かっていても
惚れてしまったのだから仕方がないので相談に及んだというのを想定して柔らかくお答えしました。
> また、そのためにおすがりする尊格は愛染様だけで大丈夫でしょうか。それとも眼をということだったので仏眼大呪の方がよろしいですか。
泰六四
今までどおり聖天さんも含めて三尊で。
> 生活再建から順を踏めとのこと。この場合、お力添えを願うのはお薬師さんか如意宝珠様か改めてお伺い致します。
蠱六五
「どっちか?」で立てましたが、これは自分でコツコツ収拾を付けていくという卦ですので、
どうもあまり神仏を頼らずご自分で考えてやっていく必要があるようです。
> ちなみに聖天様と豊川稲荷、伏見稲荷は昔から信仰していていまでもしています。
> あとはお付き合いで年に一、二度三面大黒天様にお札を頂くのとときどき三宝荒神さんに添え護摩しています。天部に関してはこれでよいのか、聖天様と弁天様、ダキニ天様は仲良しだそうだから弁天様も増やそうか迷っています。
> いかがでしょうか。
離九四
これ以上増やすのは向こうからのご縁でない限り、やめとかれた方がいいでしょう。
-
>>617
ありがとうございます
ふと、「殺してしまいたい」と書いたことについて人の生死を簡単に論じたりするのはどうかという部分に
立ち返ってみると、「生をまっとうしよう(させたい)」と心から願ってくださるところで、不適切と感じた故
お詫びさせて頂きました。
そう言って頂けると本当にありがたいです。
>>618
ありがとう御座います。
今後出来るだけ距離を置くことに徹して、自分を守る方向で行きます。
お手数ですが、もう一つみて頂いてもよろしいでしょうか・・・。
数日後の平日この一件で弁護士に合う時間が設けられました。
偶然すぎる一致なのですが休日にあたる日となりました。
ある意味「導き」のようなものかとも思ったのですが、これは好機と見ず出席しない方がよいのでしょうか。
ただ同じ環境に育った分、その人の立場で思考や行動を推測すれば最悪の事態は予測できますし、
先日弁護士に合った時や家族に今まで私が話した予測があまりに一致していた為、
周りからはどうしても出席して欲しいとの声もあります。
文章化して先方に事前に送っておくという手段があることはあります。
イライラして待つならば行ってしまった方が無難でしょうし、
また一人の行者としても、もしそれが自分の持てる知恵であるならばそれを提供すべきでもあろうし、
ただ、距離を置いてであるならば出席もさけるのがよいともいえますので、
私が行きそれをアドバイスすることで残った家族にとって善き方向に動くのか否か、宜しくお願いします。
-
ありがとうございます。三尊というのは愛染、聖天、仏眼ですね。
わかりました。体験的に大威徳様を拝むと聖天様の御利益がストップした時期があったので、知り合いの聖天行者さんにきいたら、不動、愛染、グンダリ以外の憤怒尊を聖天さまと一緒に拝んだらご機嫌が麗しくないと言われました。
私は聖天様を実の親のように感じて聖天様の御前で念誦をしているとときを忘れます。
聖天様のご機嫌を損ねるのは悲しいので、大威徳様ではなくて阿弥陀如来根本陀羅尼ではいかがでしょうか。
それと愛染様はなにか他の明王様とは異質に感じます。魔性っぽいというか。
なんか華やかな例えが悪いかも知れませんがジャニーズっぽいというか。憤怒尊というには洗練された、色気も含む美しいエネルギーな気がします。他の明王様は皆様、けっこう共通の空気を感じますが愛染様だけ。
やはりなにか特殊な明王様なのですか。
-
>>620
> イライラして待つならば行ってしまった方が無難でしょうし、
これが当に艮初六の「艮其趾」と言う辞に相当しますし、変じると内卦離が文書でそれを外卦艮で
止めるという象になり、文書を送るだけにするというのも出来うるものなら今は止めといた方が
よろしいかと存じます。
-
>>621
> 体験的に大威徳様を拝むと聖天様の御利益がストップした時期があったので、
それは聖天さんがへそ曲げられたのではなく、大威徳尊が道果の妨げになるようなご利益享受を
捨断されるからです。聖天さんは人々の喜ぶ笑顔が見たいから言っては何ですが節操なくご利益を
お授け下さるきらいがありますが、大威徳尊はそう言う過失があるかも知れないご利益は断ち切られます。
> 大威徳様ではなくて阿弥陀如来根本陀羅尼ではいかがでしょうか。
いろんなご利益より優先して転識得智が欲しいのでしたら大威徳尊ですが、どの尊格にも
多少転識得智の功徳はありますので、今までどおり拝んで愛染尊や仏眼尊にお願いされてはいかがです?
> やはりなにか特殊な明王様なのですか。
不動尊が奴僕の三昧であるのに対し愛染尊は国王の三昧とされてます。四大明王も大なり小なり
弁事明王として裏方に回られる傾向がありますので、そう言う意味で一線を画してる感がありますね。
また、息災・増益・調伏・敬愛の「四種法」に於いて、息災が最上とする思想と敬愛が最上とする思想が
ありますが、敬愛が最上とする思想の代表尊格が愛染尊です。
-
ありがとうございます。愛染明王の秘伝書に十万遍で1アソウギの修行分の果を得させると書いてあったので今まで通りにしてみます。
そのほかに聖天様の御利益を遮断する尊格がいらっしゃればうっかり拝まないよう気をつけますのでお教え下さい。
体験的には十一面様がその傾向があるようなのですが。
-
極楽さん横からすみません。聖天様に代表される天部に多大なご利益を頂くと、本来無上菩提に至るための功徳が消費されてしまう、というような感覚でいいんでしょうか。
-
横からに横からすみません。私の理解では功徳云々よりも御利益を出した結果、願主がお悟りとは反対の方向に進んでしまう可能性のある場合、と受け取りましたが、どちらが正しいのか私も先生のご回答をお待ちします。
-
>>624-626
要するにそう言うことです。天部は悟りを開いていないのですから菩提の事は解りませんので、
普通の人間の考え方の延長でご利益を下さいます。
殊に聖天さんの場合は十一面様が導師なんですから、十一面様で捨断されてしまうようなご利益は
かなり功徳の無駄遣いしてる虞があると言わざるを得ません。
そう言う尊格をうっかり拝まないようにするのではなく、ちょっとご利益もらいすぎでヤバいかもしれない
と言うことに考えを巡らせてみてください。
-
ありがとうございます。功徳を浪費しないためにも天部衆は聖天様とダキニ天様と三宝荒神様とときどき、住職と知り合いなので付き合いで報恩謝徳で三面大黒天様のご祈祷をお願いするに留めようと思います。
-
>>627
やはりそうなりますか。天部にお願いしている方は注意ご必要ですね。
ダキニ天の監視役は大黒天と読んだことがありますが、大黒様も天部ですよね。この場合、大黒様にも監視役がいらっしゃるわけですか?
-
>>629
監視役というのは聖天さんとダキニさんしか聞きませんねえ。
大黒天はもとより寺院の食事調達守護の天部ですし、三年以上信仰してから効験を顕されるとも
されていますが、逆に言えば三年掛けて貧乏性を治し様々な因縁を調整してくださるわけです。
効験が早い天部はそれを端折るから無理が出たり障碍が出たりするわけです。
ですからそう言う智慧のある尊格の、監視と言うより「指導監督下」でないとそう言う祟りみたいに
見えるようなことがあると言うことです。
-
横レスながら大黒天法の観法に大日から不動、不動から大黒に変じるというのがありますんで
広義は大日如来、狭く直接的には不動尊がその任をされてるんでないかと。
天部を直接教令するのは大概観音部の諸尊や明王部の諸尊が宛てられてますな。
-
>>630
天部でも違いはあるでしょうね。私の印象では毘沙門様は無茶しないイメージでしたが、大黒様もでしたか。
他には弁才天様は多少荒っぽいのかな(嫉妬深いイメージから)と思ってました。
-
天部でも
梵天、帝釈天
大黒天、毘沙門天、弁財天
は格が高いイメージがあるけどどうなんですか?
-
>>631
それはその天部の「法身」若しくは「報身」が大日如来であり、不動尊であると言うことですから、
内側から教勅を受けることになりますね。
そう言う風に拝まれた天部はデフォルトで大日如来や不動尊の指導監督下にありますが、
そうでもないところは元来のと言うか実類の、生天部なのです。
>>632
弁才天の嫉妬云々はデマみたいですw
また、いわゆる「蛇神」と習合してるようなところは、ナナスさんへのレス内容と反対のこと
してるわけですから、もしかしたら本当にその程度のヤバいことはあるかも知れません。
-
>>631
ナナスさんこんにちは。
確かに。他にも文殊→ダキニもありますね。
-
>>634
デマという話は読んだことがありますw
妙音天タイプと八臂タイプ、宇賀神との関係によっても違いますか。観法の問題ですかね。
-
>>633
仏菩薩明王以外は「天部」で括ってしまいますが、実際は天道・天趣ではない方も居られますので。
それらの天尊は正真正銘天道の方々です。
-
関連するのかわかりませんが、少なくとも私は弁天様を拝むとてきめん、恋愛運が下がります。これは嫉妬ではないとするとどういったことなのでしょうか。
それと灌頂についてですが、昨今は受明灌頂そのものを行っていない宗派が多く、いきなり伝法灌頂の宗派が多いですが、これは実際、拝む上で問題はないのですか。やはり、結縁、受明、伝法と進むのと何か違いはでますかねえ。
-
>>636
> 観法の問題ですかね。
そもそも真言法では道場観でその尊格の自性法身若しくは他受用報身を観じ、尊像と招請した
本尊とを冥会せしめて拝みます。ですから、大日如来なりその他仏菩薩なりの化身を自性身
若しくは報身とした天部ならともかく、そこらへんがきっちりしないでヤバい存在と合わせて
しまったような神様も居るかも知れませんね。
>>638
> 少なくとも私は弁天様を拝むとてきめん、恋愛運が下がります。これは嫉妬ではないとするとどういったことなのでしょうか。
恋愛は道果の邪魔になることの方が多いですから。
自分を磨いてくれる恋愛など出来たら素晴らしいものですが、残念ながら少なからず自分を
貶めたり磨り減らしてしまうようなのがありますから・・・。
> 結縁、受明、伝法と進むのと何か違いはでますかねえ。
受明は下駄履かせてもらえ無い分自分で頑張ることになると言うことになります。
-
確かにまず観法で仏が変じて天部になるのは、あくまで仏が衆生を引導するため利益を示す方便として天に化身した、に近いですから
聖天さんあたりのような端から十一面尊や軍荼利尊が教令するパターンとは違うダスな。
>>637
具体的には鬼趣の神で仏道に帰依した訶利帝母や畜生趣の住者である龍王、大概は毘沙門天配下になる散脂(宝蔵)大将のような有力な夜叉などでしょうか。
-
ということはやっぱり結縁から順に受けるに越したことはないのですね。
受明や伝法灌頂を受けても下駄ははかせてもらえないとしたら、受明や伝法は霊的にはどのような変化をもたらすものなんですか。
-
>>640
そうですね。あまり失礼なことは言いたくないので、まあ・・・。
>>641
下駄を履かせてもらえないと言うことは、スタート地点が一からと言うことです。灌頂によって
これが3とか5とかから始められるようになるわけです。家造りで喩えるなら基礎工事が既に
してあって大工工事から始めていけばいいか、更地だから基礎工事から始めざるを得ないか
という感じです。
-
そういやヤバい、難しいと上記レスにある弁天さんも確か梵天・毘沙門天等と共に金光明経で重視されたせいかもしれんですが権類扱いだった筈だけど
本地に宛てられた尊格は真言では余り言われてないような。
天台では本地観音説があった気もしますが。
-
ということは受明灌頂を受ければ結縁灌頂は必要ない。伝法灌頂を受ければ受明灌頂は必要ないという解釈でよろしいですか。
あと、灌頂って金胎に分かれてますが、例えば胎の灌頂のみ受けた場合、金剛界の真言を唱えるときには更地状態なのですか。
-
>>641>>644
あるいは、伝法灌頂は阿闍梨としての灌頂ですから、個別の印明である受明灌頂との関係は
普通免許にもれなくついてくる原付や公認会計士の税理士や薬剤師の甲種危険物
みたいな感じなのかも知れません。
ちょっとここいら辺は結縁灌頂しか受けたことの無い私ではよく解りません。
>>643
いや、いつもありがとうございます。
-
なるほど。ありがとうございます。広沢流では受明灌頂というものがそもそもお大師さんも受けなかったという解釈になっていると伺ったことがありますのであるいは原付と普免なのかも知れませんね。
あと、普賢菩薩の真言と胎界中台の観自在菩薩の真言にはどのような力があるのかご存知でしたらお教え下さい。
-
それと、私、聖天様の真言をもう百万遍を優に越える回数唱えていますが、その法力的なものがついているとは実感できていないし、ご内証がどんなものなのかもわかりません。
何か目安とかありますか。
行者になりなさいって言われた夢を見たのと、密教僧でないのに灌頂を受ける機会を得たのと、やたらキリスト教との縁が深まっているくらいですねえ。
-
>>646
> 普賢菩薩の真言と胎界中台の観自在菩薩の真言
普賢菩薩は金剛薩埵と同じです。菩提心を起こしたり育てたり堅固にすると言う功徳があります。
中台の観自在菩薩は「世尊陀羅尼」と言ってこの陀羅尼は本来の意味の「総持」という意味で、
大日如来の法門をよく保つという徳を表しています。祈願で言えば「令法久住」と言うところですね。
>>647
> それと、私、聖天様の真言をもう百万遍を優に越える回数唱えていますが、その法力的なものがついているとは実感できていないし、ご内証がどんなものなのかもわかりません。
単に合わなかったり、足りてないこともありますが、基本的に天部の真言では道果は無理です。
以上一般論。
以下個別論。
晋上九
これはもう進みようがないと言う卦です。
やはり聖天さんでは今得られたものが精一杯のようです。
-
そうですか。では現世利益しか期待できないですね。聖天様では。
世尊陀羅尼を私が頑張って唱えたとした場合、具体的にどういった変化が期待できますか。
これと普賢菩薩と三部総摂阿闍梨位の印明が今、授かっている印明のすべてで密教に転じない限り、これ以上、授かるあてはありません。
普賢菩薩はなんとなく想像がついたので、三部総摂阿闍梨位の印明で得られる功徳と合わせてお示し願えれば幸甚です。
-
>>649
> 世尊陀羅尼を私が頑張って唱えたとした場合、具体的にどういった変化が期待できますか。
> これと普賢菩薩と三部総摂阿闍梨位の印明が今、授かっている印明のすべてで密教に転じない限り、これ以上、授かるあてはありません。
> 普賢菩薩はなんとなく想像がついたので、三部総摂阿闍梨位の印明で得られる功徳と合わせてお示し願えれば幸甚です。
それは事相教相ともに勝れた阿闍梨様とのご縁が期待できそうですね。
真言僧として出家されるなら、良いご縁が期待できそうです。
そもそも各宗派お寺がお寺として存続に必死であるのは「令法久住」の願いからでもあり、
真言法の法統を絶やさずに伝えていきたいと言う思いに応えられる法器になれることが期待できます。
「三部総摂阿闍梨位の印明」を授かってるのですか、すごいですね。
摂一切阿闍梨行位真言を勝手に唱えてる私などと違って、ちゃんとした法統の中で活躍される
徳をお持ちなのかも知れませんね。
-
>>649
咸九三
あー、いやでも、あまりそう言うこと(>>650)に興味はないですかねえ?
-
いや、あります、あります。まさに密教寺院の住職になって正しい法灯を継承し、自他ともに無上菩提を得るのが私の望みです。
世尊陀羅尼はわかりましたが、三部総摂阿闍梨位印を唱えているとどういった功徳が期待できますか。具体的には。
-
あと、その摂一切阿闍梨印明は唱えるとどういった功徳があるのかもお教え下さい。
-
>>652
ですから両方合わせての功徳と聞かれたからそう答えましたよ。
ただ、咸九三はそう言うのに興味がないんじゃないかと最初解釈しましたが、興味があるという
ことでしたら、かなり自分の意に沿わない運命を歩まされます。あの世界にご興味があるのでしたら
僧侶という「業界」も様々なイヤな面があるのはご存じだと思いますが、当然巻き込まれて精神的に
かなりダメージを受けると思います。過酷な道になると思いますので、あまり頑張ってくださいとは
言いにくいです。
「三部総摂阿闍梨位」の三部とは「金剛界・胎蔵・蘇悉地」の三部で、天台では重視する概念です。
その三部の阿闍梨の位の功徳を戴くという印明です。ちょうど持戒清浄の大事が具足戒を実地に
持戒していなくてもその功徳を頂けるようなものです。
>>653
「三部総摂阿闍梨位」に準じます。
-
ということは唱えることで実質阿闍梨様と同じ験力を発揮できると考えてよいですか。唱えてみようかな。やはり百万遍目安ですか。それとも正式に授かった印明で灌頂も伴っていれば少な目で済みますか。
-
>>655
> やはり百万遍目安ですか。
乾九五
そうですね。
-
愛染明王はお経には三十万遍とありますが、やはり百万遍ですか。
世尊陀羅尼も百万遍目安でいいですか。お教え下さい。
-
ていうかお寺で働いたことがあるので寺院内のそういうのなれてますw
-
お世話になってます。
早口のせいで、例えば観音様の真言を連続で唱えると、「おん あろりきや そゎこん あろりきや そゎこん あろりきや」と、「そわか」と「おん」が合体して「そゎこん」となってしまっています(汗)
もっと早口になると「すこん」になります。。。
この読む癖が体に染み込んでしまい、ゆっくり読むとなにか祈った感じがしません。
このまま唱えても大丈夫でしょうか?
やはり真言なのでゆっくり正確に唱えたほうが良いでしょうか?
よろしくお願いします。
-
>>657
剥六三
まあ世尊陀羅尼も百万遍目標でいいんじゃないですかねえ。
>>658
咸九三というのは人に振り回される卦ですので、例として寺院内の確執を挙げましたが必ず
そうとはかぎらず、他のことで何か人に振り回されてしまうようなことがあるかも知れないと言うことです。
>>659
> この読む癖が体に染み込んでしまい、ゆっくり読むとなにか祈った感じがしません。
それは気のせいです。と言うか変に薫習されてしまってるからそう思ってしまうのです
ちゃんと矯正してください。
ちなみに大水量や寒行で滝行の時、防衛本能が働いて自然に腹から声が出るようになり、
そう言うときにそう言うクセが付いてると、そのままはっきりきっちりと「す・こ・ん」とか言ってしまい、
実にマヌケな感じです。
-
ありがとうございます。100万遍目標で頑張ってみます。
-
ちなみに、前に相談した色恋沙汰について、先生の易を参考にして、ある方向で聖天様と愛染、仏眼様におすがりしようと思っています。その方向で正しいかどうか易を立てて下さいませんか。
-
あと、世尊陀羅尼と三部総摂阿闍梨位印を唱えることによって苦労することはわかりましたが、最終的に私の宿願はとげられましょうか。
-
病気治し祈願で、いろいろ寺社を回ってます、私にとっていったいどこのお寺や神社が
いいんでしょうか?
-
>>662
中孚九五
まあ大丈夫なんじゃないでしょうか。
>>663
遯初六
これは乾の聖人君子が山に籠もろうにも逃げられないという卦です。
人間関係や政治的な意味でがんじがらめにされて自分の修行ははかどらないような感じです。
例として、お寺に入れて加行も受けられてれっきとした阿闍梨に成れたのはいいが、やれ葬式だ
月参りだ供養の依頼だなどで忙殺されてじっくり修行などやってられないというのが相当します。
実際のご自分の宿願と照らし合わせて見て下さい。
-
>>664
方向:随九四 青鼠さんのお住まいから西にあるところで、
大壮上六 ぎりぎり通えるより少し遠いところ。
今どういう生活されてるのか存じませんが、毎日通える距離よりも遠い場所の神社仏閣が良さげです。
-
>>666
西ですか、どうもありがとうございます、真西でしょうか?神社か仏閣、どちらが適していますか?
また、その祭神、本尊はどの方に頼めばいいですか?
-
>>667
だいたい西です。真西でなくても多少構いません。
>神社か仏閣
漸初六
神社:
小畜九五
寺院:
旅初六
神社で。
-
>>667
> また、その祭神、本尊はどの方に頼めばいいですか?
ちょと神道の祭神については専門外ですので、候補を絞ってから適当な記号を付けて
提示されるとかしていただけないでしょうか?
-
思いつくところで西方向の神社というと地理的に見てもわずかです。
①龍神様を祀る神社
②大己貴様を祀る神社
位です。
-
追加、
②は地元で近いのでちょっとあてはまりそうにもないかと。
-
ありがとうございます。
ああ、観音様はお厳しい方だから信者には苦労をさせるんですね。
三部総摂阿闍梨位印明だけだとそう悪くもなかったのにw
どうでしょう。最終的には100万遍をめざすとして三部総摂阿闍梨位印明を多めに、世尊陀羅尼を少な目に加減することで試練を緩やかにしようという手は有効ですか。
-
それと、前にお尋ねしたんですが、愛染明王呪はお経通りだと30万遍ですが、まあ、印を組めないので多目に40万遍で一応、行としては卒業か、それとも100万遍まで頑張るべきでしょうか。
-
横から失礼します。大己貴神様は医薬の祖神のお一柱でいらっしゃるのでよろしいかと存じます。
-
>>670
> ①龍神様を祀る神社
復初九
> ②大己貴様を祀る神社
乾九二
そのオオナムチ様を祀る神社が良さげですね。
-
>>672
> 試練を緩やかにしようという手は有効ですか。
それならそう言う逃げ道のある卦が出ますので、先ず無理です。
仏教本来の目的と我が国の寺院の役割は別ですが、寺院や師僧に頼る限り寺院の都合や師僧の
意向をを無視するわけにはいかないでしょう。
そう言うしがらみのないところで私などはやってきましたが、私がやってきたやり方はあまり人様に
お勧めしたいとは思いません。
先日、菊の挿し木は花が咲いたら出来ないと言う事を知りましたが、一言聞かなければ市販の菊で
試して数年間失敗し続けてやっと判るというと言う体たらくだったと思います。私の行もそういう感じで
進めてきました。その経験から後進にアドバイスさせて頂いてますが、同じ道をやって下さいとは
言えません。縁があるならちゃんとした得度加行やって下さいと思います。
ですから、試練がイヤならその道は諦めてくださいとしか。
>>673
一律百万遍はマニュアルだけ見て相談されない人を想定しています。
それまで居られるなら30万遍達成したところでまた相談してみて下さい。
-
かりました。試練覚悟で頑張ってみます。師僧の候補が二人おられます。真言系と天台系。私の腹次第なのですが、どちらとご縁を深めて行くべきでしょうか。
-
ちなみに教相は真言系、事相は天台系の方が秀でておられます。制度上、許されており、前例もあるようなので二重僧籍も視野に入れてます。三択で卦を立ててみて頂いてもよろしいですか。
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>>677-678
天台
震六三
これは恐怖感に震えるような目にあうという卦です。
真言
泰上六
これは積み上げていったものが瓦解するという卦です。
二重
大有九四
これはいわゆる明哲保身の卦です。
ちょっとこれはまたすごい卦が。最初から二重僧籍なんてダメだろうと思いましたが、
どちらかだけでは却ってリスクがあるので、両方進めるようにすることでリスクヘッジに
なるようです。
ただし、増長の振る舞いだけには気を付けてください。常に謙虚であることが身を守ります。
いいですか、聖染さんの身を守るのは「謙虚さ」です。それだけ気を付けて下さい。
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>>622
ありがとう御座いました。
全くその通りとなりました。
行くだけ無駄だったようです。
その後相手側では周りから本人を説得する手段に出たようです
さてその先、単純に相手の出方を見て艮六二を得ます。
「艮其腓,不拯其隨,其心不快。」
どう解釈すればいいでしょう?
相手が従わされて不満に終わる。つまりこのまま進むと言うことなんでしょうね
タロットや気学など占いは昔からやるものの自分のことや身内のこととなると自我が邪魔をして
全く読み切れない、・・・やはり、身内に関わることは正常な判断がつきにくく聞いてみた方が善いなと
言うところでした(苦笑)
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わかりました。ありがとうございます。謙虚さですね。心がけます。
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>>680
随わされるというか、相手が一歩も引かないからイライラすると言う卦です。
その相手というのは九三ですが、九三も身を引き裂かれそうなのに抵抗して必死なのです。
卦だけでいかに泥仕合なのかが伝わってくるようです。
また、六二というポジションは中正なので、なんらか向こうに理があるからそれで分があると
踏んでるからしつこくやってくるのではとも考えられます。
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愛染明王呪を唱えていたら、途絶えかけていた収入源が復活しました。こういう利生もあるんですねw
それはさておいてある会社の社長親子のせいで長年、不当な圧力を受けております。
また、ある目的のために必要な人脈を引き寄せたく思って
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>>682
ありがとう御座います!
> 随わされるというか、相手が一歩も引かないからイライラすると言う卦です。
長引きそうですね。。。
> その相手というのは九三ですが、九三も身を引き裂かれそうなのに抵抗して必死なのです。
> 卦だけでいかに泥仕合なのかが伝わってくるようです。
ほんとうにそうなんです;;
> また、六二というポジションは中正なので、なんらか向こうに理があるからそれで分があると
> 踏んでるからしつこくやってくるのではとも考えられます。
この「向こうに理がある」の場合は「単なる思い込み」もふくまれるんでしょうか?
あまりに素っ頓狂な主張の割に世間知らずな主張のオンパレードなのですよね。
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>>683
初めまして。
> 愛染明王呪を唱えていたら、途絶えかけていた収入源が復活しました。こういう利生もあるんですねw
愛染法は調伏・敬愛・鉤召・増益・息災と意外と万能ですからね。
詳細は明かせませんが、左の下の手には拳を握っている像を見たことがあるありますがそこの持物が変わると言われています。
> それはさておいてある会社の社長親子のせいで長年、不当な圧力を受けております。
> また、ある目的のために必要な人脈を引き寄せたく思って
極楽金剛さんがきってみてくれると思いますので待って頂くとして、
これこそ二つとも愛染明王に頼んでみては?なんて思います。
御不動さんに比べて比較的温和な心理的な調伏のイメージだったりしていますが。
もっぱら十八道ばかりで愛染護摩は試したことないまま、今の私の窮地に至ってしまっていますので、
そこまで験も出せたことないので参考にもならない話ですみません^^;
聖染さんはなかなか凄い方とお見受けしていますし、私の話は参考にもならないかもしれませんが^^;
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いいえ。大変ですね。そちら様も。聖天様のお浴油かダキニ天様におすがりするかが早いような気がする大変さですね。
大威徳のチベット護摩も早かったですが、副作用がキツいので私はやりませんw
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左の空拳っていわゆる彼手ですね。私も観相でいろいろ握らせてます。普段は如意宝珠ですがw
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>>683
> 愛染明王呪を唱えていたら、途絶えかけていた収入源が復活しました。こういう利生もあるんですねw
それはようございました。また、何事もなじみのあるご本尊様に頼られるのが一番というのも
実感されたのではないでしょうか?
> それはさておいてある会社の社長親子のせいで長年、不当な圧力を受けております。
蹇初六
これは放置して時が来るのを待つという卦です。
取りあえず今すぐ困ったことになってないのなら、様子見されればいいでしょう。
> また、ある目的のために必要な人脈を引き寄せたく思って
そう言うことも愛染尊や聖天さんにお頼り下さい。
鉤召の徳は降三世尊が最上ですので、普段のご本尊に降三世尊の真言を添えるのもいいでしょう。
以上一般論。
以下個別論。
萃上六
これは縁が無いことが却って安全になってるという卦です。
ちょっと何のことかは存じませんが、止めといた方がいいとアドバイスさせてもらいます。
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>>687
如意宝珠なら収入源復活もある意味納得ですね。
愛染尊…魅力的な尊ですね。カリスマオーラのせいか私もひかれています。
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>>684
> この「向こうに理がある」の場合は「単なる思い込み」もふくまれるんでしょうか?
「中正」というのは易で重要視する概念で、最悪相手に法律上の根拠があるかも知れません。
例えば、「宇奈月温泉事件」というのがあります。温泉のパイプを引いたら私有地に間違って通してしまい、
当初の持ち主は適当な使用料で納得していたのですが、その土地を買い取った人物が温泉組合に
相場の14倍の価格で土地を引き取れと要求したのです。当時の法律上その人の要求は正当でありました。
結局大審院(当時の最高裁)までもめて「そんな権利の濫用はダメ」ということになりましたが、
こういうのは14倍君が艮六二で温泉組合が艮九三な感じだと思います。
ですから、とにかく当事者に任せて宝吼さんは傍観に徹して居られた方がよいかと思います(艮初六)。
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ありがとうございます。私は聖天様と稲荷明神に日参しているのですが、いつも1万遍唱えているご真言を等覚位速疾成就のため、愛染明王呪に集中したく、成満まで千遍に減らすお断りと行中、私が煩わしい世事に邪魔されないようお願いしたので聖天様のお働きもあるのでしょう。
頑張って成満したいと思います。如意宝珠をもった愛染様は広沢では稲荷明神のご本地なので、普段、なんにもないときは私は愛染様と如意宝珠の真言は必ず同数唱えてます。
今は愛染明王呪にさきたいので減らしてますがw
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あと愛染さんは拝んでみると強引な甘さときらびやかな華やかさがあって夢中にさせられてしまいますねw
こう、不動明王さまは尻を叩いて悟りに向かわせる感じ。
愛染明王さまは悟りという甘い蜜を直接、口に含ませて下さる感じが癖になりますねえ。
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>>690
> こういうのは14倍君が艮六二で温泉組合が艮九三な感じだと思います。
あぁ、なるほど。
色々な腹積もりが見えました。
それもよいのかもしれませんね。
ありがとうございました^^
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今日、ある師のところで受明灌頂をうけられるとの情報が入ってきました。
私は胎蔵界だけで金剛界のは受けていないので密教の行に入る前に受けておきたいですが、灌頂はお授け下さる師がしっかりした法力をお持ちでなければ効力を発揮しないとうかがったことがあります。
かの師は賛否両論が入り乱れているかたなので不安材料があります。
かの師からの受明灌頂をうけてもよいか卦を立ててみて頂いてもよろしいですか。
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>>692
妖艶というか、独特ですよね〜!
聖染さんと愛染尊とのご縁が益々堅固となるよう応援させて頂きます。
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>>694
蹇初六
止めとくというよりは様子見の卦ですね。
棚ぼた的な事でもない限り見送られたらどうですか?
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甘露さん。このアイドル的な雰囲気を感じます。
前にもかきましたがジャニーズっぽい。
お経をみても憤怒尊だから明王ですが、むしろ仏母部に入れたいような扱いですよね。
実は聖天様と愛染様の行者になりたいのです。
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先生、ありがとうございます。今回は見送ります。
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>>697
まさにキングオブ敬愛という感じですよね。
同時に二尊の行者ですか。なかなかハードそうですね。
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>>675(極楽金剛さん)
どうもありがとうございます、大己貴命様は自宅のすぐ近くですよ・・・
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極楽さん質問させて頂いてよろしいですか?
敬愛・息災・増益・調伏など祈願の目的によって炉の形や衣の色、座る方角が変わると言いますが、我々在家の人間がそれに倣って服や供物の色やらを意識するのは何か効果があると思われますか。
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>>660
返事が遅くなりました。
ありがとうございます。
しっかり正確に唱えるように心掛けます。
密教の本を読むと蓮華念誦や金剛念誦などがあり、自分の発声はだいたい蓮華念誦のようで、かすかに聞こえる程度なのです。
不動尊にお参りに行くと皆様大音量で唱えてるのですが、しっかりとした音量で唱えたほうがいいのでしょうか?
口だけ動かして意識で真言を唱えても効果はありますでしょうか?
よろしくお願いします。
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極楽金剛さん
2ch読んでいて気がついたんですが、
中級者向け念誦次第の本尊加持は身語意どれなのでしょう?
不動尊の前に金大日印言入れている方を見ていて「あれれ?」と思った次第です。
もしかして重大なこと聞き忘れていたのかしら^^;
後が散念誦だったりすることからもしやと思いまして。
テンプレにはそこが探せなかったのですが、十八の三度目の本尊加持だったのかと・・・?。
ふと不動略念誦思い出してみるに、今まで間違っていたのかなとも(--;
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>>700
大壮上六というのは、垣根に引っかかって進むにも戻るにも出来ないと言う卦でして、
それを通うには微妙に遠いところではと最初解釈しました。結局よく判りませんが、なんらか
他の意味に当てはまるのではないかと思われます。
>>701
ユニフォームを揃えてビシッと意思統一とか、心理的に効果があるでしょう。
>>702
> 不動尊にお参りに行くと皆様大音量で唱えてるのですが、しっかりとした音量で唱えたほうがいいのでしょうか?
> 口だけ動かして意識で真言を唱えても効果はありますでしょうか?
音量はやりやすい大きさで問題ありません。よそ様のところではまあ郷に入れば郷に従えということで。
>>703
> 中級者向け念誦次第の本尊加持は身語意どれなのでしょう?
全部まとめてです。
> 不動尊の前に金大日印言入れている方を見ていて「あれれ?」と思った次第です。
まとめてですが、だから字輪観の後の本尊加持の形式に揃えたというわけではなく、
経験上本地の本尊加持と組み合わせて用いるのがより良いという結論に基づいての次第です。
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>>704
であれば何故、近くの大己貴命様なんですか?
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>>705
個別に筮して一番いい卦が出たからです。大壮のはあたりを付けるために筮したのですから、
順位的にあまり重要ではありません。
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横レスながら、病気治しの祈願に大己貴命は最適ですよ。
大己貴命こと大国主命は少彦名命と共に農業・治病・禁厭の祖神とされ、それ故に中世の神仏混淆の頃は本地仏に薬師如来が宛てられていました。
易占で出て来たとはいえ、その手の祈願には最も相応の神様です。
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>>704
いつもありがとうございます。
> > 中級者向け念誦次第の本尊加持は身語意どれなのでしょう?
> 全部まとめてです。
--snip--
> まとめてですが、だから字輪観の後の本尊加持の形式に揃えたというわけではなく、
> 経験上本地の本尊加持と組み合わせて用いるのがより良いという結論に基づいての次第です。
そうなると、その辺りの話が出てこなかったので無くても可だけど
私の場合も大日印言入れた方が尚ベストなのですね?!
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>>704
あ、その程度でしたかw
でもその精神集中こそが重要とするならば、案外意味深いかもしれませんね。
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>>705
こういうチャートでした。
・神祇はよく解らないので方角でまず西(随九四)とあたりを付ける。
・西のどんだけの距離かで大壮上六を得たが、それを遠距離と読み違え。
これは象がどうであるかを提示して青鼠さんに判断してもらったら良かったですね。
・西の方向に二社で、その中から占ったらオオナムチ社がベストという卦に。
ちなみに龍神社もそこそこ良い。
>>708
旅九四
いいえ、宝生仏は如来なんですからその必要はありません。また、
光明真言あたりが砂糖水だとすると舎利真言は水飴です。今までの卦やご相談の感触からして
宝吼さんには濃いのを少しずつが良く、あまり多すぎる法は良くないようです。
>>709
それはありますね。部屋の色合いで寒暖にも少なからず影響しますからねえ。
集中できる環境を整えると言う意味で大事なことであるかも知れません。
-
上のレスを拝見して思ったんですが、私は愛染明王さまとの組み合わせで如意宝珠真言を唱えていますが、その場合でも本地として宝生如来真言でも唱えたほうがよいですか。
-
>>711
そう言う目的によって組み合わせて用いるのは良くありますね。
以上一般論。
以下個別論。
艮六二
止めといた方が良さげです。俗世的な成功を菩提に繋げようとする愛染尊と、平等智の宝生仏では
三昧が対立してしまうようです。
-
なるほど、宝生仏だと四煩悩が浄化されてしまうので煩悩即菩提の愛染さんとは、、、な訳ですね。だったら聖天様と愛染明王は共通するものがありそうですねw
なんとなく聖天様がグンダリ尊を苦手な理由がわかった気がします。
-
ところであと2つほどお伺いしたいのですが、私が今、恋をしている方が愛染尊になんとなく似ておられるのですが、昔、本で読んだ祈祷法で愛する方を愛染尊と観相して祈祷する法があったので試してみようかと思います。有効でしょうか。
そしてもう一つ。お経の注釈書通りなら私は今、二アソウギの途中の修行段階のはずなんですが、そうおもっていていいのでしょうか。あるいはそれより下かそれより上か。とある有名な高僧が卦を立てて自分の修行段階を確認していたときき、先生に伺って、今後の励みにしたく思いました。お願いできますでしょうか
-
>>714
> 愛する方を愛染尊と観相して祈祷する法があったので試してみようかと思います。有効でしょうか。
節九二
止めとかれた方がいいみたいです。タイミングを失しています。
> あるいはそれより下かそれより上か。
ちょっとそれは私には不可能です。自分が得た道果以上のことは理解できないからです。
行法に詳しいのと境地がどうであるかは別なので、聖染さんが私より上だったなら卦の
答えてるところが読みとることが出来ません。
-
タイミングとはなんのタイミングでしょうか。
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>>716
遯上九
因縁がもうあわないようなので、今からだとやっても無駄だと言うことのようです。
-
ああ、見たときにやれよということですねw
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極楽様
いつもお世話になっております。
また聞いていただきたく申し訳ありません。
以前11月頃にカキコさせていただきましたが、おかげさまで何とか今日までやってこれています。
無事に資格も取得できました。ありがとうございました。
それで、去年も似たような相談をさせていただいたのですが…
資格を手にし、より専門家として研鑽を積みたいという気持ち、貯蓄を切り崩してる
現状から脱して経済力の向上をはかりたいという両方の気持ちから、散々迷った末に去年より始めた今の非常勤の仕事を3月末までにして更新をしないことにしました。そして資格を生かした専門家として働けるように就活を再び始めています。
しかし、(まだ始めてそんなに経ってませんが)いくつか面接を受けても、かつて15年勤めた職をなぜ辞めたのかと詰問されることがほとんどで、酷い時にはそれだけで終わることもあり、何のための面接だったのかというようなものもあります。この点は去年と全く同じで、強みだと思っていたかつての職の経験が実は辞めた奴、何かある奴、要注意人物と見なされ、まるでブラックリストのようにされてるのかと。それがもし事実なら自分の今後の社会人家族人としての人生はどうなるのかと、つんでるのかと、本当に4月からもやっていけるのかとどんどんネガティブに考えてしまい精神削られていってるような感じです。
何とか諦めずに頑張りたいと思いますが(ていうか諦めることは家族人として許されない)、今の自分に何かアドバイスいただけないかと思い書き込みました。
現状は御本尊様五秘密菩薩、向かって右に不動尊、左に軍荼利尊。
朝はご挨拶のみ。夜は念誦回数は少ないものの中級次第で。
1日15日はまとめサイトの次第で素人施餓鬼。
また氏神様八幡様ご先祖様の神棚には毎朝拝礼。
三面大黒天像は毎朝家内安全の感謝と家運隆昌を願って手を合わせるのみ。(塩米水のみお供えしてます)
といった感じです。
申し訳ありませんが、何かアドバイスいただけると幸いです。よろしくお願いいたします。
-
極楽様
密教寺院では“お加持”といって、
参拝者の手荷物などを護摩の炎にかざしていますよね。
あれはどういう意味合いや効果をねらったものなのですか?
つまり、それは手荷物の盗難防止のためであるとか、
或いは、荷物の中に入っている様々な品々の、
ある物はお清めが目的であり、またある物はお守り代わりにするためであったりといった、
幸運パワーのチャージupを図ったり、等々なのでしょうか?
教えてください。
-
>>719
> 無事に資格も取得できました。ありがとうございました。
それはようございました。
> それで、去年も似たような相談をさせていただいたのですが…
> 現状は御本尊様五秘密菩薩、向かって右に不動尊、左に軍荼利尊。
あれ?五秘密尊と申したあの方ですか?軍荼利尊で通してなかったのですか?
> かつて15年勤めた職をなぜ辞めたのかと詰問されることがほとんどで、酷い時にはそれだけで終わることもあり、何のための面接だったのかというようなものもあります。
それは要するに責任もって仕事をしてもらえる人かどうか見られてるわけです。辞めた理由が
どうであれそれが、「他者他人のせい」にしてる部分があればダメだと言うわけです。
親の悪口と一緒で、それが本当のことであっても口が裂けても言ってはなりません。
じゃあどう言うのがいいのかというと、
「新しい分野に挑戦したかった」「自分を活かす場を探してる」
だいたいこの二つです。ですからあらかじめこの方向でプレゼンできるよう整理しておく必要があります。
以上一般論。
以下個別論、
未済六五
これはオーラが出てると言う卦です。
上の「新しい分野に挑戦したかった」「自分を活かす場を探してる」と聞いて正直「無理!」と
思われませんでした?そのマイナス思考が負のオーラを出してるようです。
徹底的に気持ちの整理を付けて気持ちを切り替えましょう。
> 現状は御本尊様五秘密菩薩、向かって右に不動尊、左に軍荼利尊。
> 朝はご挨拶のみ。夜は念誦回数は少ないものの中級次第で。
> 1日15日はまとめサイトの次第で素人施餓鬼。
> また氏神様八幡様ご先祖様の神棚には毎朝拝礼。
> 三面大黒天像は毎朝家内安全の感謝と家運隆昌を願って手を合わせるのみ。(塩米水のみお供えしてます)
坤六五
特に問題ないようです。
-
>>719
確か、専門性の高いお仕事とかでなかったですかねえ?そう言うお仕事ならなおのこと人的に
代えがすぐ利かないんだから、会社側としては無責任なことされるとたまらんわけです。
>>720
> つまり、それは手荷物の盗難防止のためであるとか、
> 或いは、荷物の中に入っている様々な品々の、
> ある物はお清めが目的であり、またある物はお守り代わりにするためであったりといった、
> 幸運パワーのチャージupを図ったり、等々なのでしょうか?
と、言う効果を期待して信徒や信者が望んだものでしょう。護摩の火にかざせばそう言う効果が
ありそうな気がしますが、経軌にそんな記述はありませんし、そもそも修法が終わった後の炎は
ただの火です。修法中であれば財布などかざしたりお札などで護摩の炎を切るような作法は
むしろ失礼な気がします。
-
今、現在、好きな人と結ばれるために聖天様、愛染様、ダキニ天様にお願いしています。
これで充分でしょうか。
あるいはピンポイント敬愛の金剛夜叉尊か鉤召の降三世明王あるいは両方を加えてみようかとおもっているのですが。
-
>>721
早速お返事いただきましてありがとうございました。
>あれ?五秘密尊と申したあの方ですか?軍荼利尊で通してなかったのですか?
説明足らずで申し訳ありません。
専門職といえど日本ではまだまだ安定した身分保障が厳しく就職口も待遇も非常に厳しい世界。かつ非常に狭い世界です。その狭く口の少ない世界で食べていくには、キャリア実績をコツコツ積んで少しずつキャリアアップしていく必要があり、そのためには人とのご縁を大切にし人との繋がりを生かして仕事を見つける(キャリアアップしていく)ことが重要と言われています。
主に年齢や経歴で就職口を探していくことが特に易しくないだろうと不安が強い私にとって、過去レスで拝見したご縁をいただける繋いでいただける敬愛系の御本尊である五秘密菩薩様に縋りたくなり勝手にそのようにいたしました。ご指導いただいていたのに勝手なことをして本当に申し訳ありません。また今更ですが、この選択には問題があったでしょうか…?
>未済六五
>これはオーラが出てると言う卦です。
>上の「新しい分野に挑戦したかった」「自分を活かす場を探してる」と聞いて正直「無理!」と
>思われませんでした?そのマイナス思考が負のオーラを出してるようです。
>徹底的に気持ちの整理を付けて気持ちを切り替えましょう。
よくわかる気がしました。経歴が経歴だけに面接ではしつこさの差はあれ必ず聞かれるのですが、正直にキツさや無理して病んでしまい鬱病になったなどと言える訳もなく、それなりに考えた答えを用意していつも言っていました。でも自分的には黒歴史でもありあまり突っ込んで欲しくないというのが正直なところで、そういう気持ちが自信のなさ、マイナスオーラとなって出ているようにも感じます。
おっしゃるように徹底的に気持ちの整理を付け直して、堂々と語れるように内容態度ともにプレゼンを備え直そうと思います。
ありがとうございます。
-
>>723
節初九
充分です。これ以上増やしたり天部に重心をかけるのは良くないようです。
>>724
> この選択には問題があったでしょうか…?
既済九五
これは驕りを押さえて質素誠実な祀りをするという卦です。五秘密菩薩は慢心をも菩提に転換する
と言う内證をお持ちで(慾金剛)、慢心を降伏する軍荼利尊と対立する三昧です。先ほど申したような
気持ちに整理を付けてしっかりしたプレゼンが出来るようになるのがいいのであって、カリスマ的な
要素は不必要なのでは無いかと思われます。
-
>>725
ありがとうございます。
五秘密菩薩様と軍荼利明王様は対立する三昧…
となると、今のように両方をお祀りするのは避けるべきなのでしょうか?御本尊は五秘密様で脇に軍荼利様にして軍荼利様のを添えるような形で念誦していますが…。
どちらかにすべきとかありますでしょうか?
-
なるほど、じゃあ今信仰している尊格を拝みこんでみます。
ちなみにもともと好きだった人の私への本当の気持ちって卦である程度、把握できますでしょうか。
もし、ただ私から利益を得るためだけに付き合っていたんだとしたら、いろいろ取り戻す方策を講じようと思うんです。
-
>>722
ご意見ありがとうございました。
-
三昧が対立するというお話、興味深く拝見しました。
三昧が対立する二尊にひとつの願意なので問題なんでしょうか。
-
>>726
軍荼利尊に絞って下さい。五秘密尊にお隠れ頂くのがアレでしたらそのままお祀りしてても構いませんが、
ご挨拶だけにして祈願や行は軍荼利尊でやって下さい。
>>727
ちょっとそこまでになると当サイトの趣旨を逸脱しますので、ご自分で占うかよそ様で訊かれるかして下さい。
>>729
対立といいましたが、噛み合わない感じですね。水と火を上手に使い分けて様々な物を作り出すことも
ありますが、使いどころを間違ったら何にもならないみたいなもんでしょうか。
-
>>730
ありがとうございます。
わかりました。五秘密菩薩様は外させていただき、軍荼利尊を中心に御本尊として行と祈願をやり直します。
ちなみにしつこくて申し訳ないのですが、
五秘密尊より軍荼利尊を勧めていただいた理由は、
これまでの私の経緯や現在の立場や境遇
または打たれ弱さ、ストレス耐性の弱さ人間関係の不安などといった特性、
経済的不安や仕事の発展を何とかしたいといった願意、
これらには五秘密菩薩様よりも軍荼利様の方が適しているということでしょうか?
-
>>731
一番大きな根拠は>>725の卦です。
今まで聞いた話しやその話しだけで考えた場合、特にどの方と特定できないです。それこそ話しだけでは
五秘密さまでもいいように思われます。おそらく書き込みだけでは判らない事情や私に把握出来てない
因子などがあって、それで結局軍荼利尊がベストという結論なのではと思われます。
例えば、>>677-679などですと常識的に考えたらどっちかに決めなければならないと言うことになりますが、
何か書き込みだけでは判らない事情も含めて考えたら最初から二重僧籍のつもりでやってみましょうと
いう結論になりました。
-
>>732
ご親切にありがとうございました。
よくわかりました。軍荼利様を信じて行を一からやり直し、頑張って進んでいきたいと思います。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
ありがとうございました。
-
あ、なんか私が例えにつかわれているw
ところでふとこちらのテンプレ倉庫をみてて愛染尊と不動尊と転識論との絡みで理論上の疑問が 何点か。
愛染尊が金剛夜叉尊と降三世明王と同体なら愛染尊はアーラヤ識と前五識を同時に転じることがおできになるのか。
愛染尊を調伏で用いた場合、どのような特色があるのか。
アマラ識はもとから浄分なので転じる必要はない。ならば転識論における不動尊の存在意義は?
あとこれは実践してみてですが、愛染尊、仏眼尊の二尊は魔縁の発生率が他の真言より少ないです。
しかし、愛染尊の真言を唱えると猛烈にお腹が空くのと身体が勝手に動いたりします。なぜでしょうか。
以上、お分かりになられましたらお答えいただければ幸いです。
-
>>734
> アマラ識はもとから浄分なので転じる必要はない。ならば転識論における不動尊の存在意義は?
「識」が迷いで「転じた智」が菩提なのですから、アマラ識が浄分とか言ってる時点で矛盾が生じ、
破綻しています。ですから唯識の主流は八識論・四智論です。九識論・五智論は早々に破綻しているので、
それを取り込んでる胎蔵法次第など見られたら笑われてしまうので「秘密」にしたのではないかとも思ってます。
> ならば転識論における不動尊の存在意義は?
後述しますが、転識論とは切り離して「三十七智」として。
> 愛染尊が金剛夜叉尊と降三世明王と同体なら愛染尊はアーラヤ識と前五識を同時に転じることがおできになるのか。
不動尊と同じで基本的に愛染尊は「三十七智」です。特定の識と対応することなく覚りに向かいます。
本来の唯識は八識まで立てる「四智」が主流ですので、四大明王以外はあまり転識論になじまないと
お考え下さい。
> 愛染尊を調伏で用いた場合、どのような特色があるのか。
「飴と鞭」みたいな感じがします。調伏した相手をその後仲間にして従わせたいような時にはいいかもです。
あと、調伏は基本逆賊などに対して行われますが、そう言った大義名分が無い欲得だけでしかも
「天皇陛下」を調伏してお隠れ頂いたという恐ろしい調伏は愛染尊だけしか聞いたことありません。
国王の三昧である愛染尊でないと、そう言う正当性のある王者を調伏するのは不可能でしょう。
> あとこれは実践してみてですが、愛染尊、仏眼尊の二尊は魔縁の発生率が他の真言より少ないです。
そもそも魔縁とは、煩悩が捨断されまいと抵抗する働きです。煩悩を「敬愛」によって仲間に取り込んで
しまってる愛染尊や何もかもお見通しの仏眼尊は確かに少ないですね。
愛染尊はおいしいことずくめのようにみえるが、「菩提心」が屁だと功徳も屁なんだなこれがw
> しかし、愛染尊の真言を唱えると猛烈にお腹が空くのと身体が勝手に動いたりします。なぜでしょうか。
明夷九三
これは拙速に効果を上げると言う卦です。
生体エネルギーを使われてるんじゃないですかね?
-
仏眼尊レベルになると遮断とかなんとかいうレベルじゃあないということですかね。
逆に十一面尊とかは魔縁が激しく出るのはなんでだかお分かりになりませんか。
生体エネルギーを?どうしてそんなことなさるんだろう。
あと、よく王者と奴僕と愛染尊と不動尊を対比しますが、具体的にどういう意味で王者でどういう意味で奴僕なのですか。
降伏して仲間にしたいときは愛染尊ですか。まさに降伏して仲間にしたい。敵の中に味方にしたい人間がいる状況なんですが、この件は愛染尊でいけますかねえ。
-
てゆうか私の菩提心はどの程度の大きさなのかしら。知る方法を教えて下さい。あと、如意宝珠を菩提心として唱えて菩提心の速成栽培を狙ってるんですが有効ですか?
-
>>736
> あと、よく王者と奴僕と愛染尊と不動尊を対比しますが、具体的にどういう意味で王者でどういう意味で奴僕なのですか。
横やり長文失礼します。
多分不安に成られる気持ちわかります。
そしてそれは多分ご自身の中に実は答えがあるのかもしれません。
ここまで来る以前、私は沢山のヒントを頂けました。
ので、その一部をですみませんが、
御不動さんの場合、「〜させて頂く」を中心に「一を多に」と言う傾向が強いです。特に護摩法は何でも叶えてくれる傾向が強いように想います。
>>286で極楽金剛さんがご説明してくれていますが、それは如来であれ菩薩であれ明王であれ変わらないと思います。
私は得度するまで無神論者に成っていたんです。師匠に手解きを受け四度加行を触り伝授して頂きました(正当なモノではありません)。
元々阿○宗にいましたから、その知識をより正しいモノに昇華したいが為の上書きだったんです
新興宗教をやめるような人間であればそれが無神論者に変わったとしたらどれほどの無神論者となったかはご想像のままにさせていただきます。
そんな中で四度加行を自行で修して行き、不動略護摩法を教えて頂いたんですが、あまりの強力さに我々が想像するような姿ではないにせよ
そんな存在があると言うことが嫌でも確信したんです。ここは私の黒歴史に成るのであまり話したくはありませんが調伏です。
験の詳細はあえて語りませんが、調伏された者は申し訳ないほどのものである側面自業自得の結果と成りました。
こんな事もあります。
その後に教えて頂いた愛染法を修したのは不動略護摩は知っていても五段護摩は自分で研究しておきなさいと師僧に言われたことにありまして、
基盤と成る十八道を修す為の許可を得る為でした。
護摩法が出来る状況にないので不動尊に十八で修しますとあり得ない縁結びが出来ています。ただ本当にその縁は体育会のりで、
最後の最後は慈悲のこもった退路を準備してくださったんです。
よく本職の方がこう仰います。
私が結びつけたのじゃない。お不動様のお力によるものだと。ある意味ここに奴僕三昧があるのかなと解釈しています。
実際給仕させて頂くという気持ちですから。そして当時の私は見識が非常に狭かったんです。
今思うに愛染尊だろうと不動尊だろうと特化していても縁結びぐらいはやって頂ける意外と万能な存在であることが経験から知ることに成りました。
当然御不動さんで、増益から鉤召、敬愛、息災と調伏不可能ではないのだろうというのが今の見解です。
ただ、御不動さんも流石に手が届かないところがある、そこを愛染尊が宝生仏と阿しゅく仏を(極楽金剛さんに)結んで頂いたのだろうというか
影響を及ぼした可能性は有ると思ってます。元々仏舎利を信仰していますので。
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>>738 続き
じゃぁ、愛染尊は?と思うとそこで何かを変えないと験は出ない(多分私は平等性智と大円鏡智が足りない)とということと、「多を一に」見れる力
且つ「広い視点から一点を見抜ける力」とを必要としていると思って、不動法も愛染法も今暫くは封印しているところです。
逆に存在は否定は出来なくなったとはいえ未だ信じられない佛がいるからこそ、こういう風に一つ一つ増やすのをやめた次第です。
私も実は灌頂印明の一部を知っています(一部を除いて口伝がなかったですが)。まぁそれを考えて大日印言を加えた方がいいのかなと
思えたわけですが、そんなことはこっちに置いておいて、本題ですが、私にはその菩提心の部分がいびつなのだろうと言うことと器がまだ
その法を受け止められるだけの器に成っていないことが先に書いた平等性智と大円鏡智なのだろうと思っているわけです。
お不動様は会社役員レベルなら確実に影響を及ぼしてくれます。ただ、その時は「自利利他」の思いが強かったんです。
命は取らないで欲しいと願ったしとはいえ、だからキツい仏罰に至ったのかと。
多分そういう修法が得られるのは生前の徳であったと思っていますが、器(菩提心)はまた別だと思っています。
天部尊の勧めて頂いていましたが、今の私は残念ながら十二分に恩恵を受けていますので親の財産が欲しいとかいう気持ちは
これっぽっちもなく、むしろ祈願も自利利他のものが殆どで他者(但し自分に関わる近い人のみ)の祈願が殆どです。
というか、普段は明めてしまっています。
折角無瞋恚の願を発していても、時と来て思い出すと怒りに変わりますが・・・これが私がまだまだな部分だと思います。
多分ヒントにはなるかと思いますし、これまでの聖染さんの書き込みを見ていて「あれ?」と言う部分があったのも事実ですが、
私の平等性智は修行の途たかがしれてますので、どうぞお気を悪くするようなことがないように。
祈願に直接加えるわけではないですが、よりよい方法に向かうこと私からもお祈りいたします。
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>>738-739
極楽金剛さん
多分私が間違った解釈も有るかと思います。
今後の糧にも成りますのでこのあたりは遠慮せずご指摘頂ければ幸いです。
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ごめんなさい。気は悪くしていないんですが、はっきり申し上げてよくわからなかったw
ただ、勘違いなさってるとあれなので一応。
私は過去の色恋沙汰に気持ちの整理はついていて聖天様と愛染尊に過去巻き上げられたお金を修行の資金として取り戻してもらいたいが、過去、かれに
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愛情が少しでもあったなら私も愚かだったとあきらめようと思って伺ってみただけで病んではおりませんよw
で、敵の中に味方にしたい人間がいるというのは色恋とは関係ない別件です。
それにしても護摩を焚かれるのですね。ちなみに流派を伺ってもよろしいですか。
で、質問の答えはよくわからなかったので先生、お願いします。
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>>736
> 逆に十一面尊とかは魔縁が激しく出るのはなんでだかお分かりになりませんか。
同人上九
これは和同していないと言う卦です。変じると「革」と言う卦になるので変革の苦しみが加わるのでしょう。
愛染尊とか煩悩を積極的に捨断してしまわないと言うことは、人間性としての成長や進化があまり無いと
言うことなのです。
> 生体エネルギーを?どうしてそんなことなさるんだろう。
すいません、確かに変ですね。式神などは生体エネルギーを活動力にしてるそうですので、
それと混同していました。よく考えたら仏菩薩がそう言うことをする必要はないし。
改めて明夷九三を検証しますと、坤の肉の下で離の体温が燃えていて、その炎の先(九三)で
坎(二三四)の脂肪が燃えてる象ではないかと思われます。脂肪燃焼のダイエット効果が起きていて、
それでお腹が空くのかも知れません。
> あと、よく王者と奴僕と愛染尊と不動尊を対比しますが、具体的にどういう意味で王者でどういう意味で奴僕なのですか。
愛染尊をジャニーズ系の風情があるとおっしゃってましたが、ああ言ったカリスマ性で仕事するアイドルと
それを裏方で支えるスタッフやプロデューサーがそれぞれ国王の三昧奴僕の三昧と捉えてみては
いかがでしょう。
王というのは基本的にカリスマ性で人や物を動かす存在です。奴僕とは奴隷なんですが、そこから
一反離れて「奴僕」という言葉はカリスマ性の王に対して実務的な実力を持った概念と思えば良いでしょう。
> 降伏して仲間にしたいときは愛染尊ですか。まさに降伏して仲間にしたい。敵の中に味方にしたい人間がいる状況なんですが、この件は愛染尊でいけますかねえ。
まあ。
以上一般論。
以下個別論。
訟六三
ちょっと無理です。
>>737
> てゆうか私の菩提心はどの程度の大きさなのかしら。知る方法を教えて下さい。
ご自分で易など立ててみたり、尊崇する寺社でおみくじなど引いてみればいいでしょう。
> 如意宝珠を菩提心として唱えて菩提心の速成栽培を狙ってるんですが有効ですか?
速成になるかどうかは別として、如意宝珠も菩提心の現れの一つなんですから有効ですよ。
以上一般論。
以下個別論。
明夷六二
あれ?これは九三の助けを得ればより良いと言う卦なのですが、昨日の卦と関係あると
考えれば、やはり愛染尊を中心に行じる事を忘れてはいけませんよと言う感じですね。
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>>740
特に無いですよ。
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敵を味方にしたい場合、じゃあ、私の場合、ダキニ天はどうでしょう。
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愛染さんにものをたのむとそういえば基本、私が動くのではなくて周りの状況が動いていきました。
お不動さんにものをたのむと、基本、自分が動いて、ことがスムーズにはこび、妨害が入らないといったところでした。
これが王者三昧と奴僕三昧の違いという解釈でよろしいですか。
また、愛染さんなどの変革を伴わない尊は成長もないとのことですが、では成長がなければどうやって悟りに至るのでしょう?
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ちなみに、ほかに魔縁の生じにくい尊がおられたら紹介してくださいw
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アボーソ
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アボーソ
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>>745
> 敵を味方にしたい場合、じゃあ、私の場合、ダキニ天はどうでしょう。
どうしてダキニ天が敵なのですか?
>>746
> これが王者三昧と奴僕三昧の違いという解釈でよろしいですか。
そうですね。
> では成長がなければどうやって悟りに至るのでしょう?
気が付いたら煩悩はいつの間にか調伏されてしまってるのです。魔縁との戦いで丁々発止と
修行を進めていくのではなく、ある日突然だまし討ちにしたように無くなります。
軍荼利尊の行者と同様愛染明王の行者もあまり目立たないようですから、気が付いたら高い
道果を得てるのでしょう。
>>747
> ちなみに、ほかに魔縁の生じにくい尊がおられたら紹介してくださいw
忿怒尊一般がそうです。私が独習の本尊として推すのはそのためでもあります。
他に愛染明王と似た三昧の五秘密尊もそうですね。
ちなみに宝吼さんに宝生仏としたのはそう言う意味でどうかなあ?と思ったのですが、見ての通り
頻繁に状態を書き込まれる方ですから、なるほどこういう人ならネット上で御世話するのに適してるので
易で宝生仏という結論になったのだなあと思います。
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もう、仏眼尊と愛染尊と五秘密尊と天部だけ拝んで一生終えることにしようかなw
五秘密尊の憤怒形が愛染尊だと書いてある本がありましたが五秘密尊と愛染尊はなにが違うのですか。逆に。
言葉足らずですみません。例の敵の中の味方にしたい人を降伏するのに愛染尊、ダキニ天、仏眼尊に頼んだらどうだろうと思ったのです。明日、愛知県の豊川稲荷に行くので。
そうですか。愛染尊は煩悩を安楽死させるんですねw
仮説ですが瑜祇経由来の尊格は魔縁が出にくいのではないかと思います。大勝大日尊は試してないのでわかりませんがどうなんでしょう。
愛染行者は目立ちそうですのにね。王者三昧のジャニーズ明王(勝手に命名しましたw)だから。
宝生仏は魔縁がキツいんですか?
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>>741
うわー、ごめんなさい^^;
経験的なことを思うがままにかいてしまったのでわかりにくくて忘れてくださいまし。
実はこの数日高熱に魘されている中で何かに気に触れて書き込んでしまった・・・。
というか、今昼頃に大量の汗かいてやっと熱が冷めて・・・もう言い訳にしかならないのですみません。
結果的に懺悔に成ってしまったわけですが^^;
流儀は何度か書いていることなので割愛しますが、
同時多発的に流派が出来たわけではなく、私の知る二つの流派(片方は似非かもしれませんが)は
大本はお大師さんで同じで(哲学的な)解釈や伝承の違いなので、験の出方は多分結局は同じなんじゃないかと思ってます。
(多分気にされるであろうところとしての話で飛躍していますが)
ただ、有名処で大元帥法など伝わっていないところもありますし(でしたよね?!)、
わざわざ、本職の方で複数流儀学ばれている方も多いようで、細かなところが多分やっと埋め合わせられるのだろうと思いますし
理由あってのことでしょうからどれがいいのかってのは私には解りませんし、まさに縁なのだと思ってます。
ちなみに面白いなぁと書籍を読んで感服したのは伝法院流でしょうか。
>>750
尻ぬぐいみたいなことになってしまい、すみません・・・。
上と重複しますが、先週末より咳嗽と高熱でこの2日ほど行できずじまいでした。。。
そんな折、必要ないかとずっと思っていたんですが、限定に心揺れて格安で宝生如来像入手できました
(と言っても人工水晶なので安いのは当たり前ですが)。
本日より尻を叩かれる思いで行を再開しますです^^;
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宝吼さん。お風邪ですか。大変ですね。経験上ですが、ひきはじめで仏頂尊勝陀羅尼を二、三遍あげるとそれ以上、重くならずにすっと治りますよ。
それにしてもそんな体調の悪いときに無理は禁物です。
私、その哲学的なところをすごく重要視する性格でそこに納得というか論理的整合性がないと観想に集中できないので流派は大事なんです。
私も伝法院流はいいですね。すごく論理が美しいです。
西院流も好きですが。
基本的に広沢系が好きです。しかし、観音の総体については小野の伝、稲荷本地は広沢、ある部分は淨厳師、ある部分は台密の伝という風に使い分けてます。さらに極楽金剛先生とお話して今まで微妙に疑問符がついていたところが、すっきり整合性がとれたり、自分が拝むべき尊格の系統がはっきりしたりしたので私の事総系の事をまとめたノートに極楽師に曰わくが最近、頻出しています。
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>>753
ご心配頂きありがとう御座います^^;
昨晩は38度今朝は39度薬飲んだら37度と
それがその・・・不思議なことに風邪なんでしょうが、レントゲンやら血液検査やら触診やら、
一般的な検査はやった上で高熱の原因がもしやのインフルエンザでもない肺炎でもない他の疾患の疑いもないで
医者からは原因不明のウィルス感染と言うことでかたづけられまして(苦笑)
(実は一昨年前同じで最初風邪と診断されて翌日はインフルエンザの診断がくだりました、あれは地獄でした)
昔とある神社の水が痛み止めに噂から開発された薬がある話を思い出して思ったのですが
咳熱が辛すぎただけに例えるなら私には西洋医術や医薬品はまさに天部の働きなのかもと思った次第です。
まぁ、ウイルスとて非生物とされるとしても命としたならこの身体を借りて天寿を全うして
貰って私を生かしてくれたならそれでよしとしようかと思いますです^^;
若しかしたらこの病変でいらんもの切り捨てられたのかもしれませんしね。
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>>754 の続き
様々な情報から取捨択一するのも重要ですよね。そうすると二重僧籍の後は単立ですかね?!
聞ける時に聞けなかった、当時疑問にも思わなかった為に折角の機会を失ったものが今山積みになりつつあります。
境涯や菩提心のレベルと申しましょうか器の小ささがこういう事態になっているのだと私は解釈して自省しています。
けれども複数を参考にすることで腑に落ちるものがある反面、行事ていく内にふと「気づかされるもの」があるのも事実です。
>私、その哲学的なところをすごく重要視する性格でそこに納得というか論理的整合性がないと観想に集中できないので流派は大事なんです。
昔は学僧として宗派に隔てがなかったと言われていますし、諸流を複数学んで取り入れていった痕跡があったりしますし、
本当はそれが本来なんではないかと思ってます。
お金という価値基準でしか成り立たなくならざる得なかったのでしょうが、本音は私は頂けないとも思ってますけど
贖うことも今の私じゃ無理なのでひたすら積み上げていこうと思ってます。
今の現代では複数乱立してしまっている以上、この世界に限らず流儀って凄く重要ですね。
私は脳みそ格闘家で育っていますから、体感として空手やら居合やらで経験しました(現在進行形のもありますが)。
でも、目的はあくまでも最低限の護身と終局は時間稼ぎ逃げるが勝ちだと思ってます(笑)。
そして内よりその前に戦いに染まらず何より避けられる自分を作ることが本来の武道なんですよね。
ほらなんですか、結局敵って自分にとってだけの利害のある存在であって、結局は「悪は人(自分)が作っている」じゃないですか。
今の日本の周りのように。けれど実はそれが微妙なバランスで成り立っているのも事実でそれが必要なのかもしれないんですよね。
何が不要で何が必要か単純に利害だけで白黒付けるのでなく中道をお釈迦さんが示してくれたなら先ずは自灯明法灯明を鍛えるのも
菩提心なんだと思います。
そうそう、私と極楽金剛さんは流儀が違いまして、以前極楽金剛さんとも話していたんですが、何故こんなに拘るのか?な結果として
例え一見違っていても内証を理解してそれをも含めて継ぐと言うことが一流を継ぐことなんだと納得したことがあるんです。
不思議じゃないですか、無名有名に限らず沢山の命に紡がれてきたものそれを習い後世に伝えていくこともそれが指命だと思うんです。
よいところに出会えるといいですね。
そうそう、ここでお会いした法友として四無量心観の中で聖染さんも加えて悟りに向かわれる様に願っていますのでお互いに頑張りましょう。
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ありがとうございます。得仏から言って私の仕事は令法久住らしいので私もがんばります。単立は考えてないです。私の密教観は基本東密立ちなので東密の不備を台密で補いたいだけです。
とりあえず、流派としては伝法院流、三宝院流、西院流、勧修寺流、古安流、子嶋流はコンプリートしたいと思ってます。
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極楽さんご報告です。
先日、懇意にしている台密僧の方に師僧になって頂くお話を頂きました!嬉しい限りです。
「密教の部分だけ幾ら熱心にやってもただのまじない師で終わるで。顕基礎にせんと」とおっしゃり、その辺りから改めて教えて下さる運びとなりました。
何にせよかなりの前進ですね!極楽さんや皆さんのお陰です!ありがとうございます!
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訂正です。
×「顕基礎に」
○「顕教を基礎に」
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>>751
> 五秘密尊の憤怒形が愛染尊だと書いてある本がありましたが五秘密尊と愛染尊はなにが違うのですか。逆に。
忿怒尊か寂静尊であるかですね。
また、五秘密尊や五大虚空蔵尊は「尊像=曼荼羅」という特異性があります。
> 例の敵の中の味方にしたい人を降伏するのに愛染尊、ダキニ天、仏眼尊に頼んだらどうだろうと思ったのです。明日、愛知県の豊川稲荷に行くので。
大壮六五
これは逃げる者は逃げるに任せるという卦です。
ちょっと無理なようです。離れていく因縁の者を無理矢理引き込んで因縁にひずみが出来て
却ってややっこしい事になると思いますよ。
> そうですか。愛染尊は煩悩を安楽死させるんですねw
それはうまい言い方ですねw
> 仮説ですが瑜祇経由来の尊格は魔縁が出にくいのではないかと思います。大勝大日尊は試してないのでわかりませんがどうなんでしょう。
五大虚空蔵尊など結構魔縁は出ましたけどね。大震災の節にも復興祈願に息災増益護摩各七座の
誓願立てましたが、増益護摩でもの凄い抵抗に遭ってあと四座残したままになってます。
これは我が国の業なのかも知れませんが・・・。
> 宝生仏は魔縁がキツいんですか?
忿怒尊以外はキツい方が多いですね。
にちゃんのほうにも観音様や菩薩様はキツいなどと言うスレがあったような。
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>>752
そうでしたか、ご無理はなさらないで下さいね。
尊像を入手できたのは良かったですね。しかも水晶ですか。
宝部に属する素材の宝生仏尊像とは幸先が良いですね。
>>753
> ひきはじめで仏頂尊勝陀羅尼を二、三遍あげるとそれ以上、重くならずにすっと治りますよ。
おお、それは試してみよう。
でも去年から風邪引かなくなったし・・・。
>>755
> 四無量心観の中で聖染さんも加えて悟りに向かわれる様に願っていますのでお互いに頑張りましょう。
宝吼さんは女性だったのですか?
いや、勝手に男性と思ってて聖染さんも女性だと思ってましたが?
四無量心観の所縁は、異性と死者、架空の人物はダメですからどうかと?
>>757
それはようございました!なんだか続々とと言う感じでめでたいです。
正式に得度なさるんですか?在家の行者としてやっていかれるのですか?
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その、愛染が憤怒で五秘密が寂静というのはわかるのですが、憤怒と寂静で実際出てくる働きはどうことなりますか。
それと気になるのが仏眼尊は魔縁が少ないですが、対になる金輪仏頂はどうなんでしょう。
根性のないひと向け、楽して悟れる次第を組んでみようと思ってます。
観音様でも如意輪尊とじゅんてい尊はまだしも、十一面尊のきつさ。私、14座ご祈祷をお願いしたら一回ホームレスになりましたし、道心堅固な密教僧が鬱になって還俗しかかるわ、一人知り合いで破産したのとかいます。トラウマです。
わかりました。その敵の中の有能な人物は諦めるとして、知り合いではないのですが、一方的に彼の仕事ぶりをみて是非欲しい人がいてその人と縁を結んで下さいと聖天、ダキニ天、愛染尊、仏眼の私がかねがね拝んでいる四尊に千巻心経2セット目で頼んでるんですがそれはこの組み合わせで行けますかねえ。
先の敵の中の有能な人物か彼のどちらか一人は是非欲しいんです。
-
>>761
> 憤怒と寂静で実際出てくる働きはどうことなりますか。
まあどっちかというと五秘密尊の方が出世間的です。あまり変わりません。
> それと気になるのが仏眼尊は魔縁が少ないですが、対になる金輪仏頂はどうなんでしょう。
普通にありますよ。金輪尊も王者の三昧なんですが。
> 根性のないひと向け、楽して悟れる次第を組んでみようと思ってます。
まあ、仏眼尊とセットにしたら、魔縁対策にもなりますかね。
> 観音様でも如意輪尊とじゅんてい尊はまだしも、十一面尊のきつさ。
真言とかどうしてます?中呪や小呪で済ませてませんか?あと、大呪も「ダラダラジリジリ」で
始まるヤツで済ませてませんか?実際に使われてる十一面法の次第は見たこと無いのですが、
もしかしたら半分だけの陀羅尼を大呪として通用してるのでは無いでしょうか?
> わかりました。その敵の中の有能な人物は諦めるとして、知り合いではないのですが、一方的に彼の仕事ぶりをみて是非欲しい人がいてその人と縁を結んで下さいと聖天、ダキニ天、愛染尊、仏眼の私がかねがね拝んでいる四尊に千巻心経2セット目で頼んでるんですがそれはこの組み合わせで行けますかねえ。
> 先の敵の中の有能な人物か彼のどちらか一人は是非欲しいんです。
萃六三
これは上の人なら泣き付いたら聞いてくれると言う卦です。
部下とか配下、対等な関係は無理です。
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>>751
> 五秘密尊の憤怒形が愛染尊だと書いてある本がありましたが五秘密尊と愛染尊はなにが違うのですか。逆に。
考え方の一つとして、五秘密尊から更に展開すると金剛界九会曼荼羅の向かって右上の
「理趣会」になります。反対に一尊にまとまると愛染尊になります。
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>>760
!!!御指摘ありがとう御座います
むしろ・・・失礼いたしましたの二重です^^;
確かに節々「彼」と言う言葉が出ていましたね、今更確認しました。
ついでなので、ふと質問なのですが、当然、母親や姉妹なども含めて範囲に及ぶのですよね?
ある意味これは解るような気がするんです。
で、同一性障害は解るのですが、そこまではないけれどかなり女性っぽい方面の友人(男性)とかはどうなるのでしょう。
こちら(私)が「異性がきっちり定義できない」わけではないので、普通に入れてしまっていいのですよね、やっぱり。
どう聞いてよいものやら聞くに聞けない質問だったのですが。。。
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>>757
お、おめでとーございます!
-
うーん。その有能な人を腰を低くして拝み倒してみるかな。
欲しいのは能力であってどちらが上とか下とかは気にしないw希有な人材なので。
ええと、スカウトの場というかチャンスを下さいというのはきいてもらえてると解釈でよろしいですか。
十一面尊って大呪だと魔縁が出にくいんですか。
-
すいません。私、大変なことを忘れてまして、私がいつも占ってもらっている宿曜の先生いわく、来年は今年は特殊な年で火曜星と土曜星が一遍にまわるらしいんですが、星祭は4回やったし、仏眼尊と愛染尊は拝んでいるんですが、破宿曜星の効果はそれで充分でしょうか。
私、過去に黒星を無視してえらい目にあって以来、神経質になっておりまして。
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>>764
異性は執着の対象なので慈心の毀失である「貪愛」を生じさせます。
はっきり同性と認識してる方でも、「男の娘」みたいな人や自分がそう認識してしまう人は
止めておくに越したことはないでしょう。
>>766
> うーん。その有能な人を腰を低くして拝み倒してみるかな。
> 欲しいのは能力であってどちらが上とか下とかは気にしないw
「上の人」というのは、聖染さんがどう扱うかという問題ではなく、現状がどうであるかと言うことです。
そう言う人が居ないとかそうでないのなら諦めてください。
> 十一面尊って大呪だと魔縁が出にくいんですか。
にちゃんで十一面様は障碍をもたらすなどと言う書き込みを見たことがありますし、先日の話しも
ちょっとにわかには信じられない感じです。十一面様は懺過法の本尊にもされる懺悔・罪障消滅に
加えて極楽往生の功徳もある観音様ですから、この世の苦しみなんて地獄の苦しみに比べたら
屁みたいなものですので、それで罪障がチャラになるのならお安いもんだと言うわけですが、
それにしても極端な感じです。
で、いわゆる大呪、「オンダラダラジリジリ」で始まるのは前半分が略されています。前半分はほとんど
帰命の章句で陀羅尼の正味はオンダラダラからですが、これしか用いられていないと言うのであれば
十一面様の罪障消滅・極楽往生だけしか働かず、現世での安穏は封じられてしまいそうな気がします。
気がするというのは、私は最初から陀羅尼全文を用いて十一面様を拝んだからです。
通常のオンダラダラから始まる陀羅尼だけを用いていないから、それだとどうだか分かりません。
人様のひどい目にあったという話しだけ聞いてチョトずるい感じですがw
>>767
> 仏眼尊と愛染尊は拝んでいるんですが、破宿曜星の効果はそれで充分でしょうか。
充分です。ユギ経の仏様はみな破宿曜の功徳があります。後は自分の功徳次第ですね。
宿曜というのはそもそも「縁」の表れです。愛染尊とかが王者の徳で縁を動かされると言う功徳を
考えると、破宿曜の効果もむべなるかなです。
-
ああ、なるほど。まずその人の上司とかと仲良くなるように心がけます。
馬を射るのにまず将を落とすハメになってしまいますねw
十一面尊は特に経済的な方面の魔縁が強くでるようです。私は東大寺の観音様に毎月、お札をつくってもらい、めげずにお水取りでご祈祷を頼んだらエラいめにあって、それから十一面尊恐怖症になり、眼を合わせないように通っています。灌頂のときも心の中で、観音様以外でお願いします。といいながら投げて観音様に捕まったので孫悟空の気持ちでしたw
私だけならともかく、皆さんそうのようです。
特に鬱になった密教僧の方などは真面目に大呪を唱えていたのにそんなことです。
あと、お薬師さんは寂静尊なのに魔縁が出ないというかキツいときに拝むとおさまります。どういう理屈でしょうか。
それと小呪だったらオンロケイとオンマカの二種類で何か現実の作用に違いはありますかね。聖天信仰をするものとして十一面尊のトリセツは知っておきたいので。
-
>>769
> あと、お薬師さんは寂静尊なのに魔縁が出ないというかキツいときに拝むとおさまります。どういう理屈でしょうか。
癒し系の総本山だからです。
> それと小呪だったらオンロケイとオンマカの二種類で何か現実の作用に違いはありますかね。
あまり無いと思います。
> 聖天信仰をするものとして十一面尊のトリセツは知っておきたいので。
大呪はちゃんと「ノウボウアラタンノウ」から始まる全文を用いるようにしてはどうですか?
-
>>760
得度を視野に入れてます。そういう人間だからOKが貰えたんでしょうね。位階には興味ないって言ったら爆笑されましたが。
>>765
ありがとうございます!思いがけない展開にw
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この、煩悩でさえも癒やしてしまうという解釈でよろしいですか。
わかりました。十一面尊恐怖症が落ち着いたらそうしてみます。
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>>771
そうですかそうですか。
細々と密教を紹介するスレをやっていて、その中から実際に出家なさる方が出られて感無量です。
-
ちょっとまた疑問が浮かんだのでお伺いしてもいいですか。
瑜祇経由来の真言はみんな宿曜に効果ありと伺いましたがそれって大日大勝金剛尊や三部総摂阿闍梨位印明も含まれます?
あと、阿弥陀様に敬愛の徳がおありだと伺いましたが、その敬愛って恋愛も含みます?
如来様
-
それとちょっと思うところありまして先ほど上の人なら泣きついたらきいてもらえてると言われたのはこの尊格に願をかけていいかと伺ったのも考えあわせて、今のところ拝んでいる最高尊格は仏眼尊なので、その上の方、大日大勝尊ではないかとピンと来ました。
それでこの尊格の組み合わせに大日大勝尊を加えるか、天部と大日大勝尊に絞るか考えています。
引き抜きたい相手が大日大勝尊と縁がありますし、愛染尊を拝んでいたら大日大勝尊のお顔がはっきり浮かんで来ましたもので。
今、縁が欲しいと思っている人と縁ができれば、後顧の憂いが一つ消えますので必至なんです。どうでしょうか。
-
>>773
まぁ出家自体は随分先の話になるとは思いますが。
基礎を一からというのはかえって嬉しいです。
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あと金輪尊が王者の三昧なのに魔縁がでるとおっしゃってましたが、もしかしてそれは魔縁ではなく、金輪尊は折伏の方なので魔縁というより折伏を食らっているとは考えられないですかね。
-
>>774
> 三部総摂阿闍梨位印明も含まれます?
それは違うから無いと思います。
> あと、阿弥陀様に敬愛の徳がおありだと伺いましたが、その敬愛って恋愛も含みます?
阿弥陀仏の敬愛法はどっちかというと鉤召的です(最大最高の鉤召は極楽往生)。
恋愛はどうですかねえ?やってみないとわかりません。最高の鉤召なら案外
最高の恋愛かも知れませんし・・・。
遯九四
なるほど。離れるのがイヤになるような相手も落とせると言うことですかねえ?
>>775
> その上の方、大日大勝尊
萃六三はそう言う意味ではないです。
> 今、縁が欲しいと思っている人と縁ができれば、後顧の憂いが一つ消えますので必至なんです。どうでしょうか。
それは総合すると無理っぽいですのでお勧めできません。
他の方策で解決を計られたらどうです?
参考までに。
革六二
これは人々の同意を得て改革を断行するという卦です。
>>776
先方は軍荼利尊の行などしてることをご存じなんですか?
>>777
折伏(調伏)は魔縁に対して行われるものです。
-
>>778
ええ随分前からご存知です。
「明王って聞いてたから、てっきりお不動さんやと思ってたら軍荼利さんか!」と驚かれたのはいい思い出ですw
-
なるほど。極楽往生はたしかに引き寄せですものね。
いや、如来様が色恋に手をかされるのかなと不思議だったもので。
ん?そうか。阿弥陀様に人材を引き寄せてもらおう。その場合、唱えるのは根本陀羅尼でいいですか。
あと、魔縁の出方は阿弥陀様ってどうですか。
覚悟しとかなきゃいけないですから。
-
前回の易等も参考にして、遠くにいるある人物を側へ引き寄せることを思いつきました。
ちなみに色々なリスクは覚悟の上です。多少、時間がかかる計画ということも納得してます。
その上で阿弥陀様にこのことに関しておすがりするのが適当かどうか今一度、卦を立てていただけませんでしょうか。
-
>>779
まあそう思われるでしょうね。どう答えられたんです?このスレのこと言ってしまいました?
>>780
魔縁よりもそもそも今回の場合、引き寄せた後の方がやっかいなのでお勧めできません。
>>781
> 前回の易等も参考にして、遠くにいるある人物を側へ引き寄せることを思いつきました。
ちょっとそう言う相手の都合も考えずに、運命を支配しようと言うやり方には賛同できません。
-
相手も給料があがるし栄典になるので悪いはなしじゃあないし、私としてもいい助手がいないとどないもいきまへんのです。
相手は転勤もやぶさかでなく、機会がないだけなんです。それでもあきませんか?
-
ん?てゆうか引き寄せたあとが大変というのが引っかかったw
どう大変なんですか?
期待したほど働かないとか?
-
>>782
いえ言ってませんね。「こればっかりはご縁やからな」とおっしゃり、ひかれたのも大事な縁と納得されたご様子でした。
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>>783
師六三
これは指揮官の人事を間違えて戦死者続出という卦です。
そもそも使えると思い違いしてるようですよ?
>>784
そうです。
要するに遯九四というのは、手切りする必要があるとき切れない虞があるのです(まあ、浄土に迎えた
衆生を、こっちの都合でまた放り出すわけにはいきませんからね)。で、さっきの師六三とも考え合わせると、
思ったような働きしてくれなくても引き抜いたりした手前、ずーと使い続けなければならないでしょ?
その好待遇のままで。
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そういえば思い出しましたが、前に色恋沙汰で聖天尊にお願いして、たまたま、ご本尊が阿弥陀様だったのでおつとめに大日真言のあと阿弥陀真言を加えたら有り得ないスピードと流れで結ばれたのはいいけど、その後、別れたいのに切れなくてヒドい目にあったんですが、あれは阿弥陀様の功徳も入ってたんですね。
ちなみに訊くんですが鉤召の徳は根本陀羅尼と小呪、どっちにあるんですか。
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>>787
どっちでも良いと思いますが、大呪にははっきり「現世利益」の意味が入ってますね。
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そのときは両方唱えたので。てゆうかそんな危険な鉤召法の用途ってなんなんでしょう?
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>>789
そもそも鉤召法というのは、地獄に堕ちていく者を引っ掛けてすくい取る趣旨の法です。
チーム蓮華部の諸尊にとって極楽往生の決め手になる法です。
危険も何も、相手を選ばず吟味せず自分で引き寄せたんですから。
どんな悪人も引き受ける度量がなければ、やめといて下さいとしか言いようがないです。
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チーム蓮華部って基本的に極楽往生のためのチームなんえすか?
鉤召法はあまり世俗の人間関係に用いるべき法ではないんですねえ。
そのときは阿弥陀鉤召どころか鉤召ということばすら知らず、ただ、ご本尊が阿弥陀様だったのでおつとめに加えただけだったので。
今度から気をつけます。
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>>791
まあ最終手段は極楽往生ですね。つか、チームリーダーがそもそも阿弥陀仏ですから。
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なるほど、蓮華王
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すいません。愛染明王と仏眼仏母の合わせで五大明王に勝てますかね。五大明王のご加護を受けている人間と競争して勝たなければならない。
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>>794
勝ち負けで言えば「功徳のある方」が勝ちます。
例えば、個人情報を暴こうと功徳の無い者が十八道で護摩まで付けて仏眼法を修しても、
功徳の勝れた者の摩利支天印明三遍に及びませんし、摩利支天供を護摩付きで定期的に
修してたランボーが自爆して自分から顔まで晒すが如しです。
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ランボーってだれですか?で、功徳ってどうやったら積めます?よくいわれる公衆トイレの掃除とかでも大丈夫?
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>>796
にちゃんねるの寺社板は見られたこと無いんですか?まあ、ランボーというのが寺社板に居て、
摩利支天護摩供を定期的にしてるのに、普段の行いが悪いから個人情報が漏れてしまった人がおるのです。
功徳の積み方はそのトイレ掃除でも構いませんし、様々な善行為を工夫して行います。
無財の七施など調べて参考にされても良いでしょう。
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わかりました。ありがとうございます。
ところで守護本尊がチーム蓮華部のサブリーダーだからと思い、阿弥陀如来根本陀羅尼を唱えてますが、気分が悪くなっていきます。なぜでしょう。
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>>798
魔境ですね。魔縁や魔境というのは煩悩が捨断されるのに抵抗する作用です。
気分が悪くなると思って修行止めたらその分解脱が遠のくでしょ?
以上一般論。
以下個別論。
訟九四
これは相手が悪すぎる・大きすぎるので止めておけという卦です。
まあ、取りあえず中呪や小呪や金剛法の真言でやってみて、それでも気分が悪くなるなら
しばらく阿弥陀仏の真言は控えてみて下さい。
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阿弥陀如来様がまだ早いということかしら。
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極楽さん度々横からすみません。聖染さんの状態は、ある意味効果が出てると見ていいのでしょうか。
魔境が「煩悩が滅尽されることへの抵抗」とするなら、裏を返せば煩悩を滅尽させる方向へ進む可能性があるからこそ魔が抵抗するわけで。
煩悩まみれでいたいという方なら別ですが、聖染さんは頓成菩提を願っている方だとすると、ある意味いい方向では。まぁ小咒あたりから慣らす方がいいということかもしれませんが。
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甘露さん、ご心配ありがとうございます。
その後、伏見稲荷に参拝して、不思議と境内では元気。
しかし帰ってきたらまた体調悪いです。小呪にかえたらだいぶましですが。
私は大学で唯識と華厳を専門に勉強したんですが、なんで一番、転じやすいはずの意識相手にこんなに手こずるのでしょう?ほかの如来様は平気なのに。
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いえ心配というほどではないんですがね。
他の如来が平気なんじゃなくて、阿弥陀さんが良くも悪くも一番効果が出ていて、他の如来は魔縁が抵抗するほどには縁が出来上がってないのかと思っちゃったんですが。どうなんですかね。
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なんか極楽往生を狙った行をするといつも魔縁が出るんですが、こんなに激しいのは初めてです。
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>>801
>>803
まあそう言うことです。
>>802
> なんで一番、転じやすいはずの意識相手にこんなに手こずるのでしょう?
いやいや、「一番=最初」です。一番転じ「易い」ではありません。
観察智はむしろ魔縁にとって城壁や堀なんですから、激しい抵抗がありますよ。
煩悩を捨断しやすい順番に整理したものに「十結」というのがあり、その最初の「三結」と言われる
「身見・疑惑・戒取」を捨断したら預流果であり、もう阿羅漢までは時間の問題なのです。輪廻に
「タイムリミット」が出来ますが、煩悩にとっては無限に存在し続けられたはずなのに「寿命」が
出来るわけです。
「身見・疑惑・戒取」が転じると「見清浄・渡疑清浄・道非道知見清浄」という智慧になりますが、
唯識に当てはめると妙観察智に含まれるでしょう。
-
極楽さんよろしいですか。
行者が他人の祈願をする場合、依頼者の業というか、マイナスを自分が被るというようなことはあるんですか?
-
なぜ伏見稲荷にいる間、平気だったのかの謎解きはどうなりますか?
-
・・・いや、すごいな。
また、得度せしめたのですか。。。。
-
>>806
そう言うことは無いのですが、確かにそう思える現象はありますね。結論から言うと魔縁です。
先ず、カルマはあくまで自分のものですから、俗世間の借金の肩代わりや引き受け、恩赦減刑の
ような事は出来ませんしあり得ません。依頼者に与えるか奪うかで生じるカルマしかありません。
ですから、そう言う現象はこれまた菩提心にケチを付ける魔縁の働きなのです。真剣に依頼者の
幸せを願った祈願や占いほど却ってそう言う現象が起きます。で、嫌気を惹起させるのが
魔縁の狙いなワケです。
>>807
魔縁に勝てるほどの元気をもらえてたと言う事じゃないですか?
-
へえ、伏見さんすごいな。また行こう。
てゆうか今日、重要な仕事相手といきなり縁が切れたんですが、これも魔障ですかねえ。
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>>809
魔縁!またお前かw
精神的な部分だけでなく、時間的や経済的な言うなれば物理的な部分での不都合が続いたもので。
以前ご相談した友人だけでこれなら、出家行者になったらどうなるんだろうw
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甘露さん、私もです。取引先がお困りだったので親切心で聖天尊を紹介して差し上げて、私も日参してお祈りしていたら取引先に不都合が相次ぎ、八つ当たり気味にお前なんかしるかといわれw
魔縁ですね。きっと。
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>>812
私は他人には紹介しないことにしてます。相手の考え方や状態をすべて把握出来るわけでないし、あらぬ誤解を招くおそれがあるしで。
難しいですね〜
-
私も今度から紹介するときはよくよく考えてからにします。
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>>810
魔縁魔障とは「煩悩が捨断されるのに抵抗する働き」であるので、その事象が煩悩捨断や菩提心の
成長に邪魔してるのかどうかで考えてみて下さい。
>>811
やはり祈願を引き受けるほどの行者や、真剣に依頼人の幸せを願ってる占い師などは経験的に
滝行をするようです。「悪因縁を引き受ける」のを滝行で「清める」という趣旨ですが、実際のところは
滝行によって罪障消滅がなされ、魔縁のネタが尽きると言うところでしょう。
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今から習慣にしておいた方が良さそうですね。
罪障消滅…尊勝陀羅尼などどうですかね。
-
甘露さん、それ私もききたい。罪障を楽に速やかに消す方法とか。
-
てゆうか例の取引先さんは得度や加行の経済的バックアップを申し出て下さってたので痛いのは痛い。あいたたた。ですねw
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>>816
そうですね、尊勝陀羅尼か准胝尊ですが、マイルドにして先延ばしにする感じです。
>>817
おそらく「滝行」ではないかと思います。まだ結論ははっきり出せてないのですが、滝に打たれると言う
行為が悪業の消化に効果があるのではないかと思っています。悪業を善業によって帳消しにすることは
出来ず、悪業は悪業として受けねばなりませんが、全く同じ性質の業報を受けなくても同じ苦しみに
属する業報なら、性質の違う業報を消化できるのかも知れません。
色界の上から五番目までの天を「五浄居天」と言って、阿羅漢の手前不還果の修行者がおもむく世界ですが、
ここの天人は寿命が尽きれば完全に解脱して阿羅漢になります。が、その寿命は一万六千劫と言い、宇宙が
一万六千回も生滅を繰り返す間中、普通レベルの欲や怒りを解脱し、天人としての快楽も享受しつつ
微妙な迷いの中でぬる〜い苦しみを気の遠くなりそうな時間の間受けて悪業を消化するのではないかと
思われます。
-
マイルドにして先延ばしというのは緩く長くって感じですか?
-
>>819
世尊がお捨てになった「苦行」というものにもし一定の意味を見出だすならそこでしょうかね。
-
>>820
そのようです。五浄居天の話しを持ちだしたのはそれの説明もあります。そういう感じの利生ではと。
>>821
禅定は一説に三日で終わって三日坊主の語源になったなどと言う、落語の枕かも知れないような
話しがあるほど短期間で見切られたのに、苦行は六年間されましたね。もかかわらず、禅定は
定学・四十業処として重要な修行として取り入れられたのに、苦行は「十三頭陀支」だけで、
知らない人の方が多いという始末です。
結局、業報を受けるのがイヤだと言うのは世俗のレベルであって、二つ目の智慧(渡疑清浄)まで
獲得してしまうとどうでもよくなるから、あまり注意が払われなかったように思われます。
以前から苦行によって悪業を消化することが出来る文証が無いものか探してるんですがねえ。
-
苦行によって業が消滅できる話ならアングリマーラの故事はいかがですか。
私にとって尊勝陀羅尼は風邪が治る陀羅尼以外の何物でもなかったですがw
-
>>822
苦行にも、ただ苦痛を味わうだけの程度の低いものと、高次のものがあるような気がしてならないんです。
-
てゆうか千巻心経とか真言100万遍とかはある意味苦行だから罪障も消えるんじゃないかしら。
三宝荒神さん拝むと魔縁が大人しくなります。経験上。この尊は天部ですか?
-
>>825
「修行」と「苦行」をどう線引きするかによりますよね。個人差もあるでしょうし。焼肉好きが菜食したらさぞ苦行だろうなw
私なぞ写経好きの肉嫌いなんで、千巻心経も菜食も苦行にはなりませんしねw
-
やっぱり、尊像を物体として置くのはいいですね。
生死を伴う生まれ変わりとしての「輪廻」は経験のしようが無い(記憶が無いのであるならば)のでこっちに置いておいて
個人的な考え方ですが、六道十界、次元をことにして平衡・平行して存在するのかないつも考えてしまうんです。
元来本当に救うべき人達を救えないならと無神論者でしたから、姿形に意味を未だに見いだせないのですが、
恐らく先達たちの経験に基づいて、それらの象徴が特定の尊に同調しやすかったからなんでしょうね。
そうすると、どこにでもおられるという御不動さんという一種のエネルギー体(?)のようなモノも含めて、
見えないけれど今ここの空間に存在していると考えるのが良いのだろうと。
こういう考えに基づいていたので、あえて水晶だったので透明な存在を空中に想い描くのに最適ですね。
ぶっちゃけてしまえばガラスでも何でも良かったともいえますが、まぁ、縁があったと言うことで。
>>819
そういえば、記憶をたどると師曰く、やはり礼拝行も懺悔の意味もあると仰っていましたね。
だから最初に加行では礼拝行をさせると。
やっぱり四魔特に我見我慢に根ざしたものに気づくのは最適ですよね。
死ぬような思いでもしなければ周りの共生によって生かされてることなんて気づくことすらもはや不可能な世ですし、
生きていると小さな集団の中でも利欲に従って「私が!俺が!僕が!」なんて言うことになる。我慢我愛なんでしょうし。
否定も沢山あるようですが、私は見えないその世界のパワーバランスを含む関係性を立体ピラミッドに模して
二次元の胎蔵生曼荼羅に落とし込んだ様に見えてすまうんですよね。
順序以外はただ単に解りやすく並べただけで実際には重なり合っているのかもしれないし先達の経験則に従って
実相を描いていったのでしょうし。
胎蔵生曼荼羅に限らず後世チベットでは円形と方形が入れ替わってますが、これも経験によるものなんでしょうね。
話はそれましたがそうやって世を生命と捉えたならバランスをとりながら自分もその一部で更に深く一如を認識していくんでしょうね。。。
ところで・・・阿弥陀如来を選んだ方がおられて、こういう時にこういう質問は。。。と控えておったのですが、
中期密教に限らず後期密教にも残っていった訳ですが、浄土思想と甘露の部分以外で阿弥陀如来の密教的に魅力って何でしょう?
私も浄土に生まれ直して永劫に近い時間と空間の中に心の苦しみを味わいながら逃げ出すことも出来ないで修行をするのは
御免だと思う口でして。。。が、実際、興教大師覚鑁上人も世の流れとはいえ阿弥陀如来に注目していますし。
干支の縁(方便ですが)も家の宗派も阿弥陀如来(まぁこれは縁なんでしょう)ずくめなので結構うんざり感があって
是正せねばとも思っていたりしてます。
-
>>826
ある意味、修験道で行われる行はある程度苦行でしょうね。
余裕があったら参加したいところなんですよね。なんせ、激貧でそんなお金がないですし(笑)。
お大師さんも山岳信仰されていたようですし、そこから学べるところも大きかったのでしょうから。
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>>823
苦行というか、アングリマーラ尊者は出家してからも暴行迫害を受けてそれをお釈迦様から
「甘んじて受けなさい」と言われてそのようにして殺人の罪を消滅せしめられたわけです。
他人からの迫害を甘んじて受ければ、その受けた迫害から新たな業が生じないのです。
迫害に対して報復すれば新たな業が生まれて切りがないわけですが、出家ならともかく
在家が現実に生きていたら報復しないと言うわけにはいかない場合もありますし、迫害を
甘んじて受けるにしても迫害した側には新たな罪障が生じるという問題があります。
そこで、
>>824
私も、有情から受ける迫害ではない「苦行」に意味があるのではないかと考えるのです。
-
>>823
> 私にとって尊勝陀羅尼は風邪が治る陀羅尼以外の何物でもなかったですがw
じゃあ准胝尊が良いかも知れませんね。私などは准胝尊が合わなかったようなのですが。
眉間がチリチリする魔境だけで終わりました。
>>825
> 三宝荒神さん拝むと魔縁が大人しくなります。経験上。この尊は天部ですか?
天部です。障碍も強いのでその予防のための法があるくらいです。
魔縁がおとなしくなる尊格は、もしかしたら煩悩に逆らわないだけのことかも知れません。
先日も伏見稲荷は聖染さんにとって気力をもらえるのではないか?と申しましたが、
煩悩に逆らってないだけのことかも知れません。
>>828
> >>826
> ある意味、修験道で行われる行はある程度苦行でしょうね。
ズバリ「抖?」というのは「頭陀」の意訳です。
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あれ、眉間がチリチリするのは魔縁なんですか。私、愛染さん拝んでるとよくそうなります。
荒神さんを拝むと修行に邪魔が入りにくいというので拝んでます。月に数百円の護摩木を一本くべるだけですがw
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>>831
それだけで終わりましたからw
愛染尊も准胝尊も三目なので、第三の眼が開くんじゃないかという期待させる魔縁ですかね?
-
なるほど。じゃあジュンテイ尊と尊勝陀羅尼を一生懸命やってみます。
-
>>827
阿弥陀如来なら、
1、妙観察智
2、蓮華部の総元締めということで、敬愛の総本山
このあたりじゃないでしょうか。
私は極楽に魅力を感じます。極楽に無限の修行があろうと、心と身体と金銭と血縁と愛欲と…と無限の苦しみのある娑婆世界に比べたらw
-
>>834
逆説すれば妙観察智があるとすれば、意識が変容は、この世・娑婆世界もま既に極楽じゃないですかね。
そうなればすでに敬愛も不要ですしね。
その境地を求めたというのに終始してしまうんですよね、つまりは甘露ですし。
『面白く無き世の中を面白くするは己が心なりけり』
果たして現世利益として求めるならそこなんだろうかと?それだけじゃないんじゃないかと思えるんですよ。
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阿弥陀如来根本陀羅尼と仏頂尊勝陀羅尼をいっしょに唱えたら魔縁がすごく楽になりました。
そういえば三陀羅尼つながりの宝篋印陀羅尼にも罪障消滅の功徳がありましたよね。実際、どんな功徳があるんですかねえ。
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>>835
確かに妙観察智があれば、ある意味その境地に達するでしょうが、そこまで達した人はもう娑婆のかりそめの楽しみに執着しないように思うんですよ。偏らないありのままを見るのが妙観察智ですから。楽しみを見いだそうとするのは「妙観察」じゃないかなと。
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>>837
えぇ、ある意味、根底に慈悲があるが私の甘露を指しているので、快楽を指しているんじゃなく、
真実を見いだした上での甘露ですよね、まさに。
と言うか例えが悪かったか、『面白く無き世の中を面白くするは己が心なりけり』はあくまで例えです。
あ、議論したいんじゃないですよ?
真実ってある意味その人の中にしかないので言葉で表現して行くには限界ありますし同じ事いっていてこれ平行線なのが見えた気がしました。
ですので「極楽」と「甘露」以外でと打っておいたので。。。。
細かな節々をとってお互いが揚げ足取りに終始してしまうなら甘露さんとこの話、
納得いかないでしょうけれど一旦やめましょう^^;
-
そうですね。大人げなく申し訳ありません。
多分私の方が厭世感が強いんですかね。
それと前の書き込み、大円鏡智が微妙に混じってましたね。すみません。
スレチ覚悟で宝吼さんに質問を…弥勒信仰に上生と下生のふたつがありますが、宝吼さんならどちらですか?
-
あの、私、滝行の話で考えたんですが、昨日、功徳積みの例に上げたトイレ掃除。非常に効率的なのではと思いついたんです。
つまり掃除は功徳積みですし、不特定多数の使用したトイレを掃除する不快感で罪障も消えるんじゃないかしら。と。
まあ滝行ほどじゃないにしても日常生活における積徳、罪障消滅法としていいんじゃないかと。
どう思われますか。
-
>>836
「宝篋印陀羅尼」はちゃんと修行してないのでよく分からないんです。
宝篋印陀羅尼はそれを封じた塔が仏舎利塔と同じ功徳を具えるようになると言う陀羅尼ですが、
そう言うことをする意味が解らなくて保留したままでした。仏舎利塔の功徳とは、仏舎利を仏舎利と
認識する事によって生じるのですから、実際は代用品でも構わないわけです。それが気に入らん人が
自分の中で辻褄合わせるためにひねり出した修法のような気がしてなりません。
-
>>837
ただ、観察智としては不完全ですが、三結捨断して生滅智までに至ることが出来れば預流果であり、
百千万劫難遭遇の仏法に出会えた縁を活かしきったと言えますので、在家としては預流果まで
頑張ってあとは好きに生きるのも一つの有り様だと思います。
-
>>840
そうですね、不快に慣れてしまうまでは罪障消滅としての効果も期待できるでしょうね。
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>>842
そうか、在家としてはそこまででいい方も多いでしょうね。
いやしかしつい議論してしまう悪い癖w懺悔とお詫びに夕方の勤行の願意に「極楽さん宝吼さん及びスレの皆さんの諸願成就」を入れました。
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トイレ掃除がんばろうっとw
そういえばもう今、手近に思いつく人材を諦めて、時間がかかってもちゃんとした人を。という願意に変更しました。
私のいつもの方々、聖天尊、愛染尊、仏眼尊、ダキニ天尊、荒神尊に鉤召の阿弥陀様、魔縁からのディフェンスとして尊勝仏頂、ジュンテイ尊、という布陣ですがどうでしょう。これでいけますかねえ。
9日に愛染尊の祈祷、毎月初午にダキニ護摩、毎月ですが、今月は15日から浴油をしてます。
-
>>844
それはいいのですよ。詭弁を弄さないとか節度を守った議論なら意見交換として非常に有効です。
その中から新しい知恵も出てきましょう。
>>845
それは手を広げすぎじゃないですか?今までどおり愛染仏眼聖天尊でいいとおもいますよ。
殊に阿弥陀仏の鉤召は「>時間がかかってもちゃんとした人を」であるなら余計だと思います。
阿弥陀仏と愛染尊の鉤召比較。
阿弥陀仏:
無差別鉤召。極楽往生の決め手なので、誰でも引き寄せてしまう。
愛染明王:
国王の三昧。国王に招かれたら行かざるを得ないから。必要な者だけ招く。
-
>>839
いいんですよ、受け入れるだけのキャパはまだないのが今の私なので、
それ(議論)を避けたくて出すに出せなかったと言うのが本音ですし、その点は全く気にしないでください。
それに・・・甘露さんにとって厭世感だとすると、私には既に絶望しかないので・・・^^;
あまり興味が無かったので、弥勒信仰は一般的なこと以外よく知らないのですが
щ(゚д゚щ) 今でしょ!
・・・ですから下生なのでしょうね、私は^^;
あまり興味が無かったので、弥勒信仰は一般的なこと以外よく知らないのですが
浄土信仰を含めてどうしても末世が前提の方便と思えてしまうので。。。
少なくとも今の菩提心現在製造中の私には当然そんな道果はないので解らないことだらけでして、
その当時の時代背景やらを加味して本人になった気持ちで考えるとそれに何かしらの真実だったか
本当に不可思議な力がある(あった)のかなのでしょうし、
今の段階では先人の知恵として書いてあることを確証として捉えていくしかないんだろうなんて思ってます。
その上で生死の意味での輪廻は一種の仮説・・・方便としてとらえていて、否定はしていないんですが肯定も出来ないなと。
後世の先達が様々なアプローチ方法を用意してくれたんですから、うまく活用して体験して、
そして『捨てる』というか取捨していく事を同時に行っていくもがいていくしかないんでしょうね。
ついでを言えば弥勒菩薩は広隆寺の尊像が美しすぎて否定したくないです(笑)
-
>>847
私は上生派なんですよw
現在の弥勒信仰のイメージの原型は相当古く、キリスト教やゾロアスター教に見られる救世主信仰と祖先が同じらしいですね。
弥勒信仰、阿弥陀信仰、末法思想これがどう絡み合って成立したか興味深いです。
-
なるほど、国王に招かれたらゆかざるを得ない。たしかに。どうせ唱えるんだから阿弥陀様にも手伝ってもらおうと思い、どうせ行くんだから荒神尊にも手伝ってもらおうと思い、どうせお護摩はしてもらうんだからダキニ天尊にも手伝ってもらおうと思った結果、大人数になりましたが、変な人がくると困るので阿弥陀様はやめときますかね。
つまり、阿弥陀様の場合、ピンポイント敬愛とかピンポイント鉤召はできないんですね。
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>>849
> つまり、阿弥陀様の場合、ピンポイント敬愛とかピンポイント鉤召はできないんですね。
そうです。極楽往生を願うもの全てを受け容れる時に作用する鉤召法なんですから。
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ありがとうございます。ところで得度に向けて一歩前進しました。欲しかった情報や人脈があつまりつつあり、ついでに金函玉鏡といって十年ほど前から覚えたくてたまらないけどご縁がなかった占いを急に格安で覚える機会を得ました。すべておかげさまと喜んでおります。
-
あのですね、病気や怪我や障害も罪障消滅の効果はありますか。
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>>848
> 私は上生派なんですよw
だと思いました(笑)
過去七仏から発展したんではないかとも言われていますよね。
ミトラ教でしたっけ。インドの占星術もそうですが、
少なくとも十二星座が全く同じですから西洋占星術に多大な影響があったんでしょうね。
興味も無く調べていませんが。
12繋がりで十二因縁も後世の仏教者が考えたらしいですが、
カバラのセフィロトの樹も12進数と言ってもいいし「愛」で擦り合わせて順番を弄ると結構似ていて面白かったりします。
片や思考パターンで片や成功(魔?)術でこういうのワクワクしちゃいますよ。
五大(お釈迦さんの時代は四大元素)なんて西洋魔術ではそのまんま使っているんだろうと思うほどですし
ジプシーの信じる神が彼らによって、カーリーと聖母マリアと融合させているんでしょうしね。
元々、身体を壊したとき原始経典(増谷文雄著)を読み漁ったんですよね、何度も何度も。
一見すると全く真逆のことをいっていたりしますし、対象によって使い分けていただけなんでしょうね。
それ一つの教えとしてしまったことに後世それを読んだ人達が、
アレはダメこれはダメがごっちゃになってしまったんだと思います。
お釈迦さんの梵天灌頂されているのに、ある人へは神への信仰は釈尊の教えに足しにならないと言ってみたり、
地方へ釈尊は行けば土地の神を尊んでみたり、と一見すると矛盾しているようで筋は通ってたりもします。
更には日本人は漢字って読めちゃいますから自分たちの感性で経典を読んでしまうとあらぬ誤解や読み違えも
起きてしまうのが、今の沢山の宗派を生む原因にもなったんじゃないかと思えます。
かといって現代的な科学で解明できている後世に書かれた経典も大切だと思うし、優劣は私には付けられないんですね。
で、密教というアプローチをとりつつもそういうベースでもあるのでどうしても真言宗系になりますかねぇ。
ある意味沢山のアプローチが出来たのでありがたいことでもありますけれどもね。選ぶのは「私」ですからね^^
といいつつ私なんて法華一乗を好ましく思っていないといいつつ、
今の本尊の配置、中央に舎利塔、右に愛染明王、左に不動明王の配置、
ヒントは日蓮の法華曼荼羅ですからね(笑)。金剛界曼荼羅と胎蔵生曼荼羅を掲げたとき、
それぞれの浄土を考えた配置でもあって、そのままでは寂しかろうと二尊の入れ替えをしていますが。
ある意味、舎利塔は舎利石を入れていますが、お舎利は釈尊でもあり宝生如来でもありですから、
そう考えていくとまんまですね、皮肉なもんですがやはり頭良いなと思った次第です。
ここに来て、最初、阿しゅく如来と宝生如来を選んで頂いたときは迷わず宝生如来をとったわけです。
今の状況だと阿しゅく如来の方が適しているかなとも思ったんですが、今後を考えると宝生如来で正解なんじゃないかと
思ってますよ。おバカちゃんで怠惰で絶望的、宝生尊の智恵にあやかりたいもんですから^^
天魔外道皆仏性四魔三障成道来魔界仏界同如理一相平等無差別!我慢我慢です
ちなみに破天荒な「銀魂」(ギャグマンガ)好きですが、
滝行際、九字斬りで読まれる一文で「銀魂」とは関係ないです(笑)
ってこんな事(九字のこと)書いて良かったのか?!修験は好きなんですよ、装束はあれど参加していないだけで^^;
-
>853
やはりバレましたかw一時期阿弥陀様と弥勒様、どちらに私みたいなもんを迎えて頂けるか、真剣に悩んでいた時期がありますw
現存している(とされる)釈尊のお言葉はほぼ出家に向けてのものであり、しかもどんな事情や状況でかの説明がありませんからねぇw
かの孔子もひとりには「やれ」といいもうひとりには「やるな」といい、「あいつはやらな過ぎだしこいつはやり過ぎるから、相手を選んでアドバイスした」というような発言をしていますし。
-
>>854
どちらでもよいしなくてもよいのかもしれないです。
私は阿弥陀さんの来迎図って本当だと思いますよ。
浄土宗の熱心な信者だった父が他界したとき枕経(何日目だか忘れましたが、まだ棺桶にも入っていない段階だったかなぁ)で、
天井近くの上方から金色の光に包まれた姿をこの目で見ましてね。シルエットまでしか解らなかったので阿弥陀如来だとは言いませんが。
偶々来てくれたお坊さんと意識が同調したのかもしれないし、そう願ったのがそう見えてしまったのか、
それとも疲れで白昼夢を見たのか今となっちゃ解りませんがね。
> 現存している(とされる)釈尊のお言葉はほぼ出家に向けてのものであり、しかもどんな事情や状況でかの説明がありませんからねぇw
一般信者向けも結構あったんじゃなかったでしたっけ、けど確かに記憶は薄くて思い出せないですね。
あと外道向けの強烈なのもあります(笑)
その手の本はまとめて無くなっちゃいましたから、今じゃ読み返すことも出来ないので、優先度も低いんですよね、つい他のを買ってしまう^^;
> かの孔子もひとりには「やれ」といいもうひとりには「やるな」といい、「あいつはやらな過ぎだしこいつはやり過ぎるから、相手を選んでアドバイスした」というような発言をしていますし。
医王に例えられますからね(笑)。
それともう一つ考えられると思うんですよ。
教えを広め始めた段階での、説教と後世とで年代によって多少の違いはあるなと。教えも成長していったのでしょうね。
-
>>852
もちろんそうです。多くの先哲は「病気の時は病気をしていなさい」とおっしゃいますが、
罪障消滅の観点から見てもなるべくそうありたいものです。
-
なるほど、障害というのはある意味生きてるだけで罪障消滅なんですね。
一年に一度くらい風邪をひくのは良いことかも知れないですね。
-
>855
どなたか私を引き取って下さいというw
しかし宝吼さんは学僧というか哲学者のおもむきがある方ですね!
-
甘露さん、大丈夫ですよ。阿弥陀様を拝んでしまったら嫌がって泣き叫んでも無理やり救われますよ。きっと。
-
>>859
無差別鉤召ですもんねw
今は「細かいことは考えず、取り敢えず精一杯やる」ということにしてます。そうすれば迎えて頂けるかなと。
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ちなみに私は弥勒様の信仰は薄いけど、どちらかというと上生より?
専門が法相なのと、和讃を呼んでいると天台も古義も聖天尊の当益を上生でみているようなので聖天信者としては。
でも往生するなら極楽世界か浄瑠璃世界希望ですね。
でも、阿弥陀様はありがたいけど人間の男だったら私、警察に相談してますわw
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>>861
確か聖天様の和讃には、聖天様を信じれば死後「龍華の會」に遇えると書いてありましたよね。龍華樹の説法といえば弥勒様。
弥勒様と聖天様の関係性が思い付かないんですが、何かあるんですかね?
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密教は弥勒信仰が弘法大師以来強いからじゃないでしょうか。
新義の当益は極楽ですし。天台教学の中にも密対顕の対立構造が見られますから密教はトソツという常識があったのかもしれません。
あと極楽先生、明日、あるところに行くか行かないか。行った結果の成否いかんで今後の修行の流れに大きな違いがでそうです。熱さえなければ迷わず行きますが、病をおして行く成果が見込めるかどうか。先生、卦を立ててはいただけませんでしょうか。
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>>863
ああ成程。そうかもしれませんね。
では私は雪対策に出ますw聖染さんお身体に気をつけて下さいね。
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ちなみにトソツ内院は浄土か穢土かという論争があったようで日本の学僧方の間ではむしろそちらの方が論争の的だったようです。
法相宗では極楽浄土は妙観察智を得た(一アソウギ)の修行を経た人間のいくところで念仏となえたくらいでホイホイいかれてたまるか。そんなの阿弥陀様のお慈悲による化土であって真実の浄土じゃないやいという批判から始まり、じゃあ、弥勒のトソツ内院なんか、天だからなまえからして三界内じゃないか。という端からみてると子供の喧嘩ですがw
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>>863
既済初九
これは慎重に事を構えると言う卦です。無理はしない方がいいでしょう。
>>865
そもそも「浄土=悟りを開いた存在の住所」という前提が間違ってると思います。
「浄土=修行のためなら至れり尽くせりの環境」であって、さすれば極楽も兜率の内院も等しく
浄土であると言えるのだと思います。
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今回は寝といたほうがいいかもしれませんね。
と、当時論争していた坊さんたちに言ってやって下さいw
ただ、浄土往生=初地は浄土諸宗でも踏襲されていて、ただ初地のものがいくところか、行った結果初地に至るのかで見解が別れる様子W
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その論争は私も読んだことがあります。
当初は極楽往生が至難と思われてたなんて、親鸞が聞いたら仰け反りそうですねw
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浄土に往生したら如何なる境涯に至るかですか…。
如来の主宰する浄土で初地なら、観音大士の補陀洛山や地蔵尊の伽羅陀山に往生した場合はどうなるんでしょうな。
確かチベット仏教でのヨガ行者の転生先はダーキニーの世界であるクァサルパナで持明者となるそうで、法身としてのダーキニーやダーカになってアガリみたいダス。
そういや我等が世界・娑婆世界も一応お釈迦さまの浄土でしたな…もっとも住んでる私に菩薩所か何かの境涯に到った自覚も何もありゃしませんが。
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>>869
多分初地もへったくれもなく行ってからどう修行するかでしょうね。
下品下生は蓮のつぼみに一兆年以上閉じこめられるそうですし、聖天さんのカイラス山浄土など、
本来餓鬼道に堕ちる人も引き取って天宮餓鬼になるんですから、まさしく初地もへったくれも無いです。
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浄土とは修行するところ。単に果報に従って快楽を受けて暮らすところは天。
天上・天国と浄土が巷間ですっかり混同されてしまってるのは嘆かわしいところです。
どうしてきっちり説明する人が居ないのかな?
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>>871
ぜひそれぞれの説明が聞きたいです。宜しくお願いします
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てゆうか親鸞みたいのが出てきたからそういう論争も起こるのでしょう。
聖天さまのご眷属に生まれかわるのを忌む人がいますが、本来受ける餓鬼の果報を軽くしてもらって仏道修行の可能性を担保して下さる聖天さまのアフターケアですよね。
十一面観音さまからとめていただかなかったらヤバかったw
私も。
チベットでは密教行者は三宝とラマとダキニの五者に帰依を求められるそうです。
私たちと曼荼羅諸尊、あるいは神仏と神仏の間をつなぐものとして独特の役割が与えられていますね。
鬼神から天部に出世して、後期密教でついにそこまでwと感心しています。
私、チベット寺院で先祖供養を依頼したことがありますが、ダキニへの供養はお肉だそうです。
日本より元の性格を残しているのやもしれませんw
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>>872
後で整理してから書き込みます。
>>873
> チベットでは密教行者は三宝とラマとダキニの五者に帰依を求められるそうです。
どうして僧宝にまとめちゃダメなんですかねえ?
> ダキニへの供養はお肉だそうです。
> 日本より元の性格を残しているのやもしれませんw
日本でもお稲荷さんのお供えは油揚げが定番ですね。
油揚げが肉の代用品のつもりで開発されたと言う訳では無いようですが、栄養や食感が似てますし
ネットで調べてみるとカレーや肉じゃがに肉の代わりに入れるとおいしいなどと言う記事が出て来ます。
私もダキニ天をお祀りするようになってから普通に肉食するようになりました。以前はどっちかというと
きらいな方でしたが、冬など風邪予防のため無理矢理食べててる感があったのが、今はおいしく
食べてます。赤ん坊の頃じいさんがどこかで仕入れてきたダメ知識で、赤ん坊には油分を
しっかり摂らせなければいけないとかで、すき焼きの鍋に引く油を出すウシの脂身を
コロコロと食べさせやがったそうなので、子供の頃は大っ嫌いでした。
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厳密に言うと顕れた三宝が仏法僧、秘密の三宝がラマ・イダム・ダーキニーだった筈。
順番は違うかもしれないダスが、ラマは「現在前の仏」扱いなので仏宝なのは確定してるダス。
だからチベットで密教を受けた行者は三宝に帰依する時にはこの顕と秘密の三宝を同時に帰依する、と観じるのだそうで。
そういや聖天さんの和讃には典拠不詳ながら、信者は竜華の庭にて会えるとの下りがあるのを勘案すれば
信者で例え行いが悪い人もまずは自分の鶏羅山に収容し眷属にして保護、最終的には下生した弥勒仏に導いてもらうシステムなのかも知れないダスな
つカイラス山浄土
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チベット人にきいたのですが、ラマは修行者にとってブッダより重要度が高いということ。
ダキニは密教行者の精神を変容させる力を持つのでこれも特別扱いで別格だそうです。
お稲荷さんの油揚げは歓喜団の代用だそうです。
お稲荷さんのご本地の一つに歓喜天があげられるからでしょう。
今でも伏見稲荷の神様が年に一度、東寺にお出ましの際には歓喜団を差し上げるそうです。
なんか天部信仰をしてると天部とにてきますよね。ダキニ天さんを拝むと肉が好きになるというのは昔から言われるようですし。
私、歓喜団とお大根とお稲荷さんと油揚げが大の好物でしてw
あと、豊川さんだけかもしれませんがダキニ天さん拝むとやせますねえ。食べても食べても太らないw
まあ、チベットの人にそういう話をきいたので私もなんかダキニ天さんは毎月、お護摩だけしてもらってますが、たしかに念誦の際に集中しやすくなるような。
私の中で聖天、荒神、ダキニ天は三大天部ですね。
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>>876
ワイルド系天部勢揃いですねw
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私、なんかやんちゃ系天部と気があうんですよね。
失礼かも知れないけれど、この三天様はお友達のように感じていてw
前まで荒神様は拝んでなかったんですが、聖天さまを拝むなら荒神様も拝んだほうがいいと真言宗のご僧侶からアドバイスを賜り、愛染さんを拝むなら荒神様も拝んだほうがいいとと天台宗のご僧侶からアドバイスを賜ったのでw
あとは元三大師のおみくじで大黒天、弁天、毘沙門天を拝めといわれたのと、お願いもしないのに毎年、お札を送って下さるお寺があって、何にもしないと悪いので年に1、2度ご祈祷をお願いします。報恩謝徳で。この三天様はお行儀がよすぎて苦手ですがw
悪い方ではないんですが遊び心が感じられないw
あとスレチかも知れないけれど金毘羅さんのお札を毎年、送って下さるお寺があるんです。
お伺いしたけれどよくわからないのでお伺いしたいんですが、金毘羅さんのお働きとか御利益ってどういうものなんですか?
ご存知の向きがおられたらお教え下さい。
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天台では愛染≒三宝荒神ですからね。また荒神経では荒神様が「私の別名はビナヤカ」と語る場面がありますし。
>大黒天、弁天、毘沙門天
ありゃ私好みw
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甘露さんは真面目な方なんでしょうね。大黒天、弁天、毘沙門天の三天様はどうも恋愛運が下がるw
私、恋と仏教が私の人生の二大柱なのでw
私がお寺を持てたら聖天本尊で荒神、ダキニ天を両脇侍にすえて、御前立は十一面様とグンダリ尊にお願いしようと思ってますw
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ぜんぜん真面目じゃないですw
ようは勇ましい系に惹かれる訳ですよ。仁王尊とか十二神将とか。
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>>872
おまたせ。
・天上 過去の果報によってその度合いに応じて生じるところ。
・浄土 仏菩薩が主宰する修行の場。
・天国 威力ある天部が主宰する一種の浄土。
共通点は「衣食の心配がない」「人道より楽で苦しみが少ない」こと。
◎天上は純粋に過去の善悪の果報によるもので、信仰や宗教などは無関係。
六欲天までなら人道の延長で異性や酒などの快楽を享受できる。
果報と寿命が尽きれば次は最悪地獄に生じる。
◎浄土は本来天道には生じることの出来ない衆生でもおもむくことが出来る。
仏菩薩から悟りを開くまで直接説法や指導を受けられる。
要するに至れり尽くせりの修行環境なので、酒や異性などの快楽は無い。
◎天国は浄土と似てるが、主宰してるのが威力ある天部。寿命は天上と共通で、
快楽や戒律はその天部次第。天道以下の衆生でも迎えてもらえるが、
地獄道はさすがに無理。その威徳ある天部を信仰することによって迎えてもらえる。
例)聖天のカイラス山浄土、聖書やコーランの神の天国など。
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>>875
押しつけられる弥勒仏もたまったもんじゃないですねw
56億7千万年後にカイラス山から有象無象を引き連れて聖天さんご一行が会座に連なるわけですかね?
寿命が400年と言われてる餓鬼衆がそこまで生きてますかねえ?
>>876
> ダキニは密教行者の精神を変容させる力を持つのでこれも特別扱いで別格だそうです。
それはありますね。常々ダキニ天は罪障消滅の三昧であると申してますが、実際のところは
「罪法消滅」です。隠所偈の滅除罪法の「罪法」、すなわち新たに罪障を作ってしまう身口意の行いですが、
もちろんそれは罪法の心根から生じるわけです。天部の扱いであるが如来の説法にも匹敵する
この妙功徳を考えると、チベット仏教でダキニ天が大事にされる由縁が解るような気がします。
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「わかっちゃいるけどやめられない」の、心を変容させてしまうとは、ダキニ天様は本当に
偉い神様だったんだなあ。如来の説法の徳をお持ちであると。
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>>875
>>884
ほへー、面白いっすね。
罪法消滅ならば肖りたいもんですね〜
もしダキニ天に願うならば別座にするべきなんでしょか?!
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>>884
それだけ聞くとダキニ様だけでいい人がいてもおかしくないですね。
●ダキニさんも聖天さんも滅多に障碍は起こさない。ただ荒ぶる神なのを忘れてはいけない。
●この二尊に行き着く人は大概、成就が困難な状況や願意が多いので、急速に叶えようとすれば当然反動も大きい。それがいわゆる障碍。
●眷族はガチでやんちゃw
だいたいこんなことを師僧に言われたことがあります。
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聖天和讃の古義バージョンは聖天さまのお徳に新義バージョンは十一面様のお徳に当益を見たものと言えそうですね。
キリスト教の神様って天部扱いなんですか?
先祖供養も受け付けてますがどういうことでしょう。
天部で先祖供養しちゃいけないっていいますよね。
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>>887
仏じゃないなら天部なんじゃ?仏教側からすればですが。
キリスト教からしたらお釈迦様を聖人枠に入れるでしょうね。違う宗教で概念が違うわけですから。
だから天部だから先祖供養は〜とこちらが説明しても
「what 's?」
で終了かとw
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甘露さん、すいません。結局、この二尊に行き着きました。でも二尊とも巷で言われてるほど怖くない。
大好きです。
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>>889
すべてはご縁ですから何も問題ないですよ。聖染さんのような熱心な方なら尚更。
冗談みたいな話ですが、師僧のご友人の方に天部行者(二尊のどちらかです)さんがいらっしゃるんですが、「怨敵調伏って出来ますか?いつまでに殺せますか」「ひと月以内に1000万頂けますか」とかガチでいらっしゃるそうですwwしかも珍しくないそうで。
そんな方が釈迦如来や文殊菩薩にすがるはずもなくw師僧が言ったのはそういう例を挙げてのものです。
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甘露さん、そうだとして仏教で天部本尊で先祖供養しない理由はなんなんでしょう?
ということはキリスト教の神様は仏教に帰依していない天部という解釈でいいんでしょうか。
キリスト教に仏伝が紛れ込んでつい最近までカトリックでは知らずにお釈迦様を成人として崇敬していたようです。
いまでも正教会あたりでは崇敬されているようですよ。
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あと、極楽先生、真言宗の僧侶の方から天部の以降に触れているかぎり眷属の寿命は延長されるとききましたよ。
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>>891
>天部本尊で先祖供養しない理由
シンプルに言えば悟りを開いていないからでは。
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あと仏教とは「先祖供養」自体の概念が違うのかも。
キリスト教には詳しくないんですが、仏教では先祖への回向と菩提成就が目的ですが、キリスト教の場合は「神様、そちらに親父がいますからひとつ宜しく」といった感じのことなのかも…
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甘露さん、私も恋敵には情け容赦ないですよ。
可哀想なので調伏はしないですが、別れさせるべく祈祷はします。
ただ、相手の方と恋敵が両思いだったりして、仲睦まじい様子を見てると、気の毒になってきて泣き寝入りというのがいつものパターンですがw
熱心というより臆病なんです。聖天さまは懈怠を嫌われるというので叱られるのが恐くてお供養もお参りも手抜きができない。
結果、端から見ると熱心に見えるのでしょう。
あと、とりあえずもう若いとも言えない歳なので、今、片思いしてる相手と絶対添わせていただきたいという執念ですかね。
相手、結構、年下だし難しいですがw
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あと先生、罪法が罪障のもとだということは罪法が消えれば罪障も消えますか。
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>>882
金剛さん忙しいのにありがとう御座います。大変勉強になります。コピペして保存します。
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>>885
> 罪法消滅ならば肖りたいもんですね〜
> もしダキニ天に願うならば別座にするべきなんでしょか?!
いいえ。必ず仏菩薩明王の行に付属させる形で。
まず閻魔天の真言を用いてからダキニ天の真言を用いるとなおよし。
>>887
> キリスト教の神様って天部扱いなんですか?
仏教としては。
仏教的には天部の定義が当てはまります。まあ、キリスト教の人には言わない方がいいでしょうが。
> 先祖供養も受け付けてますがどういうことでしょう。
キリスト教がですか?
> 天部で先祖供養しちゃいけないっていいますよね。
甘露さんがだいたい答えてるようですね。「天人師」と言って、天と言えども人間と一緒に並んで
如来の説法を聞く側です。基本的に阿羅漢とかでないと説法が出来ませんから、天部に
先祖供養を頼んでも天国に引き受けるぐらいしか出来ませんし、祖霊がちゃんと功徳の
ある方だった場合それは失礼です。
>>892
そうなんですか、ありがとうございます。
>>896
罪法が消えれば以後罪障を作らないと言うだけですので、それまでに作った罪障は罪障として
受け止めねばなりません。
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先祖供養という言葉は使いませんが、キリスト教にもあるようです。
-
>>899
そう言うことですか、故人を偲んで冥福を祈るなら、大抵の宗教にあるでしょうね。
仏教の場合は「冥福を祈る」具体的な手段として「法施」があるので、
それが出来るのは如来と比丘なので、天部で先祖供養をするのは微妙にお門違いなわけです。
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極楽さん、先ほど閻魔尊の話が出ましたが、閻魔尊も古くはヤマの天という天国に住まう信仰がありましたね。
いわゆる閻魔大王の裁判が有名ですが、裁判の結果、閻魔尊が引き取ってる死者もいるんですかね。
また閻魔尊の修法というと延命とか除病がよく聞きますが、破地獄的なものは聞いたことがないです。やはり破地獄などは明王以上ということになるんですか。千手観音は有名ですが。
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阿闍梨様になると天部からも一目置かれるのは法施ができるからですかね?
ちょっと疑問なんですが、どんな俗物のろくでなしな阿闍梨でもやはり天部からは一目置かれますか?
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キリスト教で先祖供養っぽい概念があるのはカトリックだけダスな。
他の教派は故人追悼の意味はあっても、基本的に追悼式をしたら確実に昇天するとは余り考えてないダス。あ、正教会は多少あるかもしれないか。
カトリックには他の教派には無い煉獄・免償・大乗仏教の回向に近い概念があるので、これを援用して先祖供養っぽい事をする場合があるダスよ。施餓鬼供養ぽいのもあるダス。
ただし日本みたいな「○○家先祖」を供養するではなく、西洋の家の概念が日本と全然違うのとキリスト教はあくまで神対個人の関係で捉えられるので
個人の先祖に何かするという形になり、「○○家」の先祖まとめて供養は有り得ないんダスよホエホエ。
-
>>901
> 裁判の結果、閻魔尊が引き取ってる死者もいるんですかね。
閻魔天が自分の天国に引き取るという話しは聞きませんねえ?お忙しいですから、そんな暇
無いような気がします。地獄行きかそうでないかの微妙な罪人のお裁きに、地獄送りの
罪障消滅のため自分も地獄で炙られたり、夜は嫁七人相手にしてと・・・。
> また閻魔尊の修法というと延命とか除病がよく聞きますが、破地獄的なものは聞いたことがないです。やはり破地獄などは明王以上ということになるんですか。千手観音は有名ですが。
破地獄と言うのも結局罪法を打ち砕くものであって、何が罪法であるのかは四無量心以上の
境界を具えていないと完全には解らないと言うことになるからです。ですから天部では一部の
罪法しか理解できないから、結局明王以上と言うことになりますね。
真天さんが例外ですかね?閻魔大王は説教と地獄送りでダイレクトに「罪障」消滅ですから。
>>902
まあ、灌頂でいただいた阿闍梨の位という一種の「権力」がものを言うわけです。
しかしまあ、そんな権力にものを言わせるやり方ばかりで実力を涵養しなければ功徳を損ねて
そのうち転けたり地獄はまりになるのは、いわずもながですが。
>>903
なるほど、いつもありがとうございます。
-
真天さんとは豊川ダキニ真天さんですか。豊川さん以外のダキニ天さんではダメですか。
天部と阿闍梨では結論として阿闍梨が偉いということですか?
ちなみにある阿闍梨様が阿闍梨はこの世で何をしてももう解脱決定なんだ。といってましたがホントですか。
私が受けている受明灌頂だけでも多少の権力はありますか?
前も話題に出た三部総摂阿闍梨位印明というのは結誦すると灌頂を受けていなくても阿闍梨と同じ権力をふるえると思ってよいですか。
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>>898
ありがとう御座います。
ちなみに中級念誦次第では普供養の前でよろしいでしょうか。
・・・個人的には普供養の後でもいいかとも思えてもいますが・・・。
これで、これまでずっと懸案だった御稲荷さんを神仏習合の形でキチンとお祭りできます。
近くに伏見の稲荷の御分社があって、物心つくの頃からお世話になっているところでして
今でも可能な範囲で詣っているところ、新しくもこの辺りでは最も大きいところだったりします。
今年は正月は凶後吉を頂いて苦笑いしてきたところでもありますが、叱ったりそっと助けて頂けたりと
何か土地の神様というのは父母のような存在なのですよね、それだけに邪険にしたくなかったので助かります。
>>903
神対個人、確かに。いつも肝な部分勉強になります。
プロテスタントだと生前のその人が行いよければ天国に、行い悪ければ無限の迷路を迷い続けると聞いたことがありますね。
先祖供養って儒教道教思想を取り込んだなんていう説も有りませんでしたっけ?日本においては神道か。。。
原則49日までが一つの区切りでと、しかしチベットでは先祖供養もしてくれるとは聞いてますね。
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>>904
やはりそうですか。小さい頃に住んでいた家の近所の寺に閻魔堂がありまして、「強そう」「カッコいい」と言う私に親は呆れたそうでwその頃から強そう系勇ましい系が好きな私w
やはり説法を乞いながら滅罪をするとなると明王以上になりますよね。将来的に明王から菩薩、そして如来と行の本尊を上げていけたらと以前から考えていたので、現在のレスの流れは大変勉強になります。
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>>905
> 真天さんとは豊川ダキニ真天さんですか。豊川さん以外のダキニ天さんではダメですか。
「真天さん」がダキニ天様の一番尊んだ呼び方の気がしますので、特に豊川さんとこのダキニ天様
と言うわけでなく一般的に用いました。私のとこの真天さんは豊川さんでも伏見さんでもありません。
どこの真天さんでもいいとも思いますよ。
つか、真天さんというのは豊川さんの固有名詞なんですかね?
> 天部と阿闍梨では結論として阿闍梨が偉いということですか?
まあ、「権(かり)の力」といえども三界法王位なんですから。
> ちなみにある阿闍梨様が阿闍梨はこの世で何をしてももう解脱決定なんだ。といってましたがホントですか。
本当かも知れません。チベットの無上瑜伽タントラの灌頂を受けると必ず七生の内に解脱するそうですが、
すぐに修行を始めないと地獄にはまるそうです。それと似たような原理で好き放題してたらその罪障を
速やかに滅するため地獄はまりは免れないと思います。
> 私が受けている受明灌頂だけでも多少の権力はありますか?
受明灌頂は、特定尊格の位です。その尊格と同じ権力ですかね。
> 前も話題に出た三部総摂阿闍梨位印明というのは結誦すると灌頂を受けていなくても阿闍梨と同じ権力をふるえると思ってよいですか。
そう言う考え方は絶対に止めて下さい。位がないのに権力だけを更に拝借するのですから、
調子に乗ってしまって罪障を作ってしまったらその罪障は計り知れないものがあります。
地獄はまりは同じとしても、阿闍梨は位だけはちゃんとあるから菩提の邪魔になる罪障を焼いて
その後はまた修行できるような境遇になります。それが「>この世で何をしてももう解脱決定」と
言うことです。普通の地獄はまりは、地獄の罪障が尽きても餓鬼道や畜生道などで苦しみ
続ける事があるので、結局仏縁をドブに捨てるような結果になるのです。
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>>906
> ちなみに中級念誦次第では普供養の前でよろしいでしょうか。
念誦の後に閻魔天・ダキニ天各七遍ずつ。
>>907
> 「強そう」「カッコいい」と言う私に親は呆れたそうでw
普通はやっぱり「怖そう」と思ってくれなければ道徳教育にならないからですかねえ?
少し前から地獄の絵本が静かに流行ってるそうですが、白隠禅師などもご幼少の砌に地獄絵図を
見たのがきっかけで、絶対に行きたくないけど、どうしたらいいのかと仏道修行を始められて
あのような傑出した禅僧となられたわけです。
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死ぬ死ぬ君も地獄絵本でも見て、現世でいくら苦しもうが地獄の苦しみに較べたら屁みたいなものだ、
これで罪障消滅出来るのならお安いもんだね。と思ってくれればいいのだがな。
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極楽金剛さん
もう年頃なので生涯の伴侶をめとりたいのですが、どの仏様ならお力を貸してくれ
ますでしょうか?
また巷で流れている、恋愛系のおまじない、を一緒にするのはどうなんでしょうか?
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>909
まあ親としてはそうでしょうねw
一切皆苦を説いた釈尊の「この世界は美しい。人生は甘美だ」というお言葉を思い出すたび、今生で「甘美な生」を感じる心を養わなければ、いつ養うのだろうと思います。「無上甚深微妙法 百千万劫難遭遇」ですもんね。
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真天様という呼称については廃仏毀釈のおり、稲荷という俗称から、無理やり神社にされてしまうのを逃れるためにまさしく仏教の天部であるということを強調するために豊川さんがオリジナルで名乗っておられるものだそうなので。
豊川山内でもダキニ尊天と書いてあるところも見かけました。
阿闍梨位の印明については慢心しないようにでもせっかく授かったので本当の阿闍梨位を得られるよう願いつつ唱えていきますね。ありがとうございます。
得仏と同じ権力か。私、結構、えらかったw
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>>910
未済上九
これは焦ると今まで積み重ねてきたものがパーになると言う卦です。
今まで拝まれてきた神仏にお頼り下さい。まじないとかも止めておいた方がいいでしょう。
原文には酒でも飲んで待っておれと、酒に溺れるなと両方書いてあります。つまり、
同じ事をしながら待つにしても、焦ってしまってはいけないと言うことです。
>>912
そうなんですか、じゃあ真天さんという呼称は豊川さん以外は止めといた方がいいですね。
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ええ、紛らわしいですよね。
ところで、愛染明王さんの真言を唱えているときにあるビジョンが見えまして、現世利益ではなく、出世間の道果を主目的として、ある尊格を加えたいと思いますが、大丈夫でしょうか。
そして、加えるタイミングとして、今、加えるのがよいか。
愛染呪をもう少し唱えこんでからにすべきか、どうでしょうか。
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>>914
何尊をですか?
-
今、拝んでいる仏眼尊と愛染尊が和合されて大日大勝金剛尊に変じるビジョンだったのでその三尊形式で行こうかと。
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>>916
鼎九四
なんか止めといた方が良さげです。せっかくの「中身」をこぼしてしまうと言う卦ですので、
余計なことっぽいですね。そのビジョンは魔縁だったのでしょう。
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>>極楽金剛さん
どの神様、仏様なんですか?今まで拝んできた事なかったので。
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>>918
そうなのですか。だったら未済上九に当てはまりそうな尊格と言えば、宴会でハメ外したとか
成功したのにいい気になってハメ外したというようなエピソードのある天部や神祇という感じですね。
少し考えさせて下さい。
>>all
「宴会などでハメを外す」「酒浸りになって持ち崩す」「今一歩のところで焦って失敗」
「水が下で火が上」
こういう感じの天部や神祇に心当たりのある方教えて下さい。
-
そうダスなあ、天部なら畏れ多いが女性関係で羽目を外した帝釈天王様
神祇では酒で失敗して禁酒の神になったと伝わる関東の来宮神社辺りが咄嗟に思い付くダスかな。
民話などから細かく探せば、神様が何かに失敗して逆に何かを禁じる神様になったというのは結構あったような。
カトリックの先祖供養のネタは明日以降にでも。
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宴会とか酒となるとちょっと違うかもしれませんが、失敗談という意味ですぐ思い付くのは帝釈天ですかね。
神々を束ねる偉大な天部ですが女好きなので恨まれて呪いをかけられたことがあるとかw
古くは雨で大地を潤す豊穣の神ですし、悪龍とたたかったりするから「下が水」と言えなくもないと。
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後は神様自体が失敗したのでなく、酒や宴会で敵を失敗させ嵌め潰したのでもよければ
八俣大蛇を八塩の口噛酒で酔い潰し伐った素戔鳴尊、宴会で敵を嵌めて討った神武天皇・日本武尊などがそうダスな。
古神道風に語呂合わせぽくても良いなら、水火を「ミカ」と訓ませて甕速日神(ミカハヤヒノカミ)、建御雷神、水火を「ミホ」と訓んで美保関の言代主命・美保津比売という辺りの神々も出せるダス。
地方に目を向ければ備後吉備津神社の門神は元々出雲大社のお使いの神だったのが、ある時神無月の出雲への神々の参集に備後吉備津神が来ないので呼び出しに行ったら
逆に備後吉備津神に大いに歓待されとうとう目的を果たさないまま、出雲へ帰らず居着いてしまったなんてのもあるダス。
そういや聖天尊というかガネーシャ神の神話に、人間の家で大好物の甘いお菓子の大歓待を受けてお腹がパンパンになるまで食べられて
帰りに転んだ拍子にお腹が破れてお菓子が出てしまい、仕方なしに蛇でお腹を縛った姿を月が見て笑ったので怒ったガネーシャ神が月に呪いを掛けたのもありますな。
-
>>919
> 「宴会などでハメを外す」「酒浸りになって持ち崩す」「今一歩のところで焦って失敗」
> 「水が下で火が上」
> 「水が下で火が上」
ずばり胎蔵法が浮かびますね。
ヒンズーから取り入れたならばヒンズーの神なら宴会と言えば踊り、踊りの有名なシバ神とカーリー神に関係の深いところ、
御不動さんや大黒天、大自在天ですし、カーリー神だと、ダキニ天?
酒といえば般若湯が隠語でしたっけ。
般若菩薩は持明院ですね。
・・・お酒は禁じられますが明王部だと御不動さんかなぁ
神仏習合なら・・・素戔鳴尊ですねやっぱり、牛頭天王ですから薬宝賢明王で本地は薬師如来。
うーん、天部とはかけ離れていってしまいますなぁ
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>>869
> そういや我等が世界・娑婆世界も一応お釈迦さまの浄土でしたな…もっとも住んでる私に菩薩所か何かの境涯に到った自覚も何もありゃしませんが。
何か遅ればせながらですが、ふと気になっていて考えていたんですが、
ナナスさんは思いやりや慈悲という意味では立派に菩薩道に歩まれ始めているのではないかと思いましたよ。
私のように知識のない人間にとっては辞書のように出てくる方ですし、真をついていていつも納得させられますしね。
日本の密教って金剛薩?になることが最初の入り口ですし、ナナスさんにしか出来ない本尊への供養もあるでしょうから
その意味では金剛薩?でしょうし、更に高みを目指そうとしておられたり、
ある意味からは観自在や文殊の知恵だってやっぱり有るなと思う次第です。
そういや関係ないですが、弥勒菩薩にせよ阿弥陀如来(無量寿如来は無量の寿命なのでないともいえますが)にせよ
寿命や転生ってあるんですかね。
とふと思ったのは折角の浄土もお釈迦様の寿命で娑婆と同様に「やれ末法だ」と同じ事になりはしないとかふと思った次第で
問いだしたらきりがない話でもありますけれど、くだらない愚問でした。
-
水が下で火が上なら、東大寺の二月堂の観音様はそうでしょう。
お水とり開祖の実忠和尚は今、一歩のところで東大寺別当になり損ねた恨み節を周囲にぶちまけておられたようだし。
-
神祇
同人九五
仏尊
漸六二
仏尊の方が楽だが、どっちかには絞れんなあ。
帝釈天
旅六五
来宮神社
節六四
八俣大蛇?
恒六五
神武天皇に嵌められた方?
随六二
日本武尊に嵌められた方?
随初九
甕速日神
節九五
建御雷神
升初九
言代主命
咸上六
美保津比売
小過上六
聖天
大畜六四
胎蔵法
復六五
東大寺の二月堂の観音様
大有九三
-
>>918
そうですねえ、建御雷神さまなどどうでしょう?甕速日神さまや来宮神社が次善という感じです。
祈祷などコストをかけられるなら帝釈天、一生お祀りできる覚悟があるなら聖天さんでもいいでしょう。
>>922
> 宴会で敵を嵌めて討った神武天皇・日本武尊などがそうダスな。
日本武尊が女装して討ち取ったくまそたけるでしたね。くまそたけるをお祀りしてる神社って
あるんですかねえ?まあ三善ぐらいですから無理に奨めたい訳ではありませんが。
>>924
> そういや関係ないですが、弥勒菩薩にせよ阿弥陀如来(無量寿如来は無量の寿命なのでないともいえますが)にせよ
> 寿命や転生ってあるんですかね。
まあ諸行無常ですから、阿弥陀仏も入滅される時が来られるでしょう。そして二代目極楽教主が
観音様です。いわゆる「補処の菩薩」ですね。
弥勒菩薩は、お釈迦様の「補処の菩薩」というポジションですから、その後はどうでしょうねえ?
龍華会というのは三回こっきりなので、50億年以上先の話しだともう人類滅亡のみぎわで、
最後の希望として説法されるという事じゃないですかねえ?
-
いや流石に熊襲武を祀った所や神武天皇に宴会で騙し討ちされた方の土蜘蛛を主祭神にする神社は、オイラも寡聞にして知りません。
つかこの方々が人間を加護してくれるんかなぁ、と。
穏当な神祇は建御雷神か来宮神社辺りな感じダス。
-
>>928
来宮神社のサイト見ても、酒で失敗した話し無いですねえ?禁酒祈願があるから間違いはないと
思いますが。黒歴史?どのご祭神が酒で失敗されたのですか?
-
オイラもうろ覚えでして(w
確かここの主祭神がこの土地を訪れた時に酒で何かあって、それに主祭神が懲りて以後禁酒をご利益とするようになったとかいう話だったと記憶してるダスよ。
相殿神でなく主祭神の大己貴神のお話だった筈。
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土蜘蛛が祭神の神社は大分県に一社あるきりですねえ。
-
あと来宮神社の主祭神は失敗というかお酒を飲んで寝ているときに火事に巻き込まれたようです。
-
>>930
>>932
そういう話しでは、ご利益あるのか無いのか微妙な感じで表に出したくない感じですね。
アメリカ人とかだったら肯定しそうだけど。
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>>924
宝吼さん、それは余りに過分のお言葉。オイラはそんなご大層な部類じゃありません。
俗世間じゃ只のドジな間抜けオッサンでしか無くて、周囲のお慈悲のお陰でやっとこ生きてるだけのお荷物でしか無いダス。
知識の類も長年生きて溜め込んだ物を垂れ流してるだけなので、見聞きした人がたまに役に立てて下さればそれで良し
長文三行に纏めろや、ウザ!と流されたらエライスンマヘンデシタ、なだけの事です。
オイラの名も何も残らずとも、というかそんなの残らぬ方が本望で知識が独り歩きして残ってりゃいいんダスよ。
それに肝腎の売りの知識も間違いあるしw
でカトリックの先祖供養ですが、あれは既にヨーロッパの時点からあるんです。別に中国布教の折りに儒教と触れ合ったせいでは無いんで。
何故そうなったかといえばローマ・ギリシャ人に布教した時には、ローマ・ギリシャには独自の冥界と先祖崇拝の文化がありました。
所がキリスト教の元になったユダヤ教は先祖崇拝が基本希薄なので、キリスト教も本来は薄いものです。
そんなローマ・ギリシャ人がキリスト教に入信すると、彼等が気にしたのはキリスト教を知らずに死んで行ったそれまでの自分の先祖達でした。
そのローマ・ギリシャへのキリスト教浸透の過程で生まれたのが、彼等の冥界を天国の周囲に置き
生前キリスト教を受けて無かったために隣の天国に入れぬ人々の世界とした煉獄です。天国の周囲にある故に別名辺獄ともいいます。
後にキリスト教徒であっても本当の救われない地獄に行く程の大罪は無いが、天国に入るにはまだ清らかでない人々の世界となりました。
カトリックの先祖供養とは、この煉獄に入ってるかもしれない先祖にミサや祈り・巡礼・苦行の功徳を神に捧げて罪の償いをする事なんですな。そこで償いが足りたら、先祖が隣の天国に引っ越し出来るという訳です。
ただカトリック以外の教派にこんな考え方はありません。あくまで人の善悪の行いはした本人だけに留まり、イエスの原罪の償いを例外として他人に与える事も押し付ける事も奪う事も出来ないとしているためです。
ですが、カトリックでは自分の善行の功徳(カトリックには免償という祈りや巡礼・聖水の使用などの善行に罪の一定〜全部の宥しを定める規定がある)を
神に一旦捧げて他人の為に祈るという形にする事で、功徳と罪の免償を他人に与えらるとしていて
これで先祖供養や無関係の煉獄の亡者に同じようにして施餓鬼に似た行為も出来るようになってるんです。
ただ先祖供養といっても、ヨーロッパの家概念は男女双系なので東洋の様な男系・女系どちらかという家概念でないので個人の罪の償いでもあるので基本個人にしかしないのです。
-
そして弥勒菩薩の寿命はそのものズバリ五十六億七千万年です。
これが兜率天での寿命で、それが尽きた時が弥勒下生のタイミングな訳です。因みに下生して涅槃に入るのは六万歳。
阿弥陀さんは極楽どんの説明の通り、無量の寿命で無餘涅槃に入り後は観音さんが極楽世界を継承し成仏されて主宰されるとされます。
>>931-932
聖染さん、よくぞオイラがド忘れしていた事をレスして下さいました。
ありがとうございます!
-
私、大学院でキリスト教神学をやったんですが、指導教授が神道マニアでして、その方から小耳に挟んだのを記憶してましたw
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そういえば、開運法として見た場合、先祖供養は仏式より神式で行った方が効果が早いとききましたが、どなたか、どういった理屈でそうなるのかお分かりの方がいらっしゃったらお教えいただきとう存じます。
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神道式の先祖供養というのは、祖霊を神として祀るもので、祖霊を仏弟子にする普通の仏教とは
一線を画しています。真言法だと更に灌頂を授け、仏の位に押し上げてから仏となった祖霊を
仏と同じように供養しますが。
それをするのがクソ坊主だった場合、素直に神として祀られるより祖霊は気分悪いと思いますよ。
そこらへんで功徳の優劣が出来てしまうんじゃないですか?
ちなみに、にちゃんねるの神社仏閣板にランボーというお人が居て、私の祖霊を自分の供養に
招いたそうです。自分の供養を一回でも受けるとその味が忘れなくなって、ランボーの供養に依存を
生じるようになり、子孫の私に祟ることを期待してたようなのですが、なんだかそれ以降却って
心底ランボーをばかにするようになりましたけど。
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>>937
神道では死者を神として祀るからではないでしょうか。
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>>938
あ、やはりw
しかしそういう場合、祖霊のその後はどうなるんですかね?
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>>940
仏教の場合は仏弟子になったんですから、修行するという建前ですが、
神式の場合はどうなんでしょうねえ?神としての修行があるんでしょうか?
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修行の建前のない状態だから、不安定は不安定なような。
柳田国雄は「妖怪とは祀られなくなった神の成れの果て」と言ったそうですが、祖霊もそんなことになるんでしょうかね。
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神式、仏式、両方でやってみたらどうでしょう。仏式で30年かかる効果が神式だと5年くらいででるそうな。
でも、最終的な効力は仏式の方が強そうですね。
あと、恋愛成就を祈る場合、相手の先祖も祀れ、といいますが何でなんでしょうね。
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あと、これは坊さんによって意見が別れるんですが元三大師護摩の願意で先祖供養っていいんでしょうか。
護摩木が安いので経済的に一番続け安い(1本100円)なので。
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>>943
どうなんでしょうね。ためた功徳を子孫の為に使い果たしてしまうんじゃないです?w
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甘露さん、それも気の毒ですねw
ちなみに私は一時期逆修にハマっててもう、自分の五十回忌までやっちゃったので仏式だと死後、やることがないですw
ところで神式と仏式の話で思い出したんですが、神仏習合ってすごくいい信仰形態ですよね。
神式で罪業を浄化して、仏式で功徳を積むというお互いの得意分野を生かしたw
私、神式で月に一回、お祓いを受け始めてから明らかにそれまでより、魔縁の出方が弱くなったんですよ。
-
神道のは…これが明確なのがありませんので。
民間信仰などでは何十年(仏教の影響で三十三回忌から五十回忌以降)経つと罪穢が消えたり、罪穢を消す祭りを行い祭り上げて仏(亡者の意味)から神(祖霊神)になるとされ
吉田・白川などは死後の遷霊をしてからは一応神としますが厳密には葬祭が穢とされてる辺り純粋な神とはいえず、完全な祖霊神とするのはほぼ五十年祭以降とします。その間供饌と祓はずっと丁寧に行われます。
ただ死者の行く先は記紀の黄泉の国が穢多い世界とされていたため、後世は伊邪那岐神の鎮まる日の若宮や高天原に赴くと変遷しています。
神社神道はほぼこれに準じているようです。
出雲大社教や黒住教はあの世を掌る幽世大神の大国主大神が面倒を見てくれたり、黒住教祖の宗忠神が神界で信者を指導するとされてますな。
基本、死後に神になる修行を課されると標榜する神道は余り無いのですが
唯一、宮地神仙道では神仙界(狭義の神界)また幽界(色々区分はあるが諸宗教の世界を含む広義の神界)に入る時に
現世での僅かに残った罪穢や自分の七代の祖先の犯した罪穢がある時、苦行をしたりしてこれを祓い清める場合があるとします。
-
ナナスさん、どうやら出雲系の神様の方が死後のアフターケアはしっかりしていただけそうですねw
-
>>943
> でも、最終的な効力は仏式の方が強そうですね。
クソ坊主の引導でも、引導は引導ですからね。
こればっかりはいくら法力の強い行者でも出来ません。
> あと、恋愛成就を祈る場合、相手の先祖も祀れ、といいますが何でなんでしょうね。
結婚するつもりなら、何のかんの言っても結婚は家同士の話し抜きには出来ないものです。
どういう人であっても、その背後には連綿と先祖から繋がってる命があり、恋愛や結婚はその
更に先に命を繋げようとする遺伝子の意思です。多くの凡夫は遺伝子の意思にたいがい支配
されてますので、ほぼ遺伝子の意思は先祖の意思とみなして差し支えないでしょう。
>>947
> 出雲大社教や黒住教はあの世を掌る幽世大神の大国主大神が面倒を見てくれたり、黒住教祖の宗忠神が神界で信者を指導するとされてますな。
なるほど、これは神道の「天国」(>>882)ですね。
> 基本、死後に神になる修行を課されると標榜する神道は余り無いのですが
そうなのですか。仏教なら天人となった後も功徳を積んで寿命を延ばしたり、さらに上位の天に
生じたりと言うことを説くのですが、神祇が仏法を欲したという伝説もあながち仏教側の喧伝では
ないのでしょうかね?
-
神道が死後のアフターケアを考え出したのは仏教に対抗してのことという話もありますから、影響しあってるんでしょうね。
-
教義上(教義というものが神道にあるとして)明らかにアフターケアは仏教の方が得意そうですもんねw
ひょっとしたら、遺体にお
-
失礼。変なところで書き込み押してしまいました。
遺体にお土砂をかけたら理論上、ほったらかしでもいいのかな?なんて思ってますがどうなんでしょうか。
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>>949
常若の思想があるということは、逆に日本の神にも五衰があるのか…八幡様としても歓迎だったのですかね。
>>952
それだと祟られたりww
インド然りギリシャ然り日本然り、古今東西神々とは感情の起伏が激しいですよね。確かに煩悩残してそう。
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>>952
あくまで理論上は。
じっくり偲びたいような故人ならともかく、どうでもいい死者に振り回されるのも不条理ですからね。
-
中には私は極楽の中品に生まれるから回向不要と言い残して亡くなられた密教僧もおられましたね。
それくらいの確信が持てるよう、がんばらねば。
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>>955
そうですね。僧侶や行者は他人に回向してもらうのをあてにしないで、今生の内にせめて
預流果にまでなっておく気概がなくてどうしましょうか。
-
ちなみに極楽先生はもう預流くらいいってるでしょ。絶対w
-
いえいえ、私など預流果がどういう状態であるかやっと理解できた程度ですので、まだまだ。
-
ひー。私、生きてる間にいけるかしらんw
-
>>959
出家なさって自坊も持つつもりなんでしょ?頑張ってくださいよ。
思うんですが、預流果に到達できた阿闍梨の灌頂は、確実に預流果の菩提心を植え付ける事が
出来ましょうし、そう言う阿闍梨が修する先亡供養も亡者を預流果に引き上げることが出来て、
当に生死の苦海を渡すことが出来き、大変な功徳のある霊供養が出来るようになると思うのです。
なんとなれば預流果を妨げる「身見・疑惑・戒取」という煩悩は欲や怒りよりも浅い「勘違い」的な
煩悩ですし、仏の説法を直に聞いただけで到達できた人が居るのです。中観で般若を強調するのも
ここら辺(とにかく預流果にさえなってしまえばしめたもの)に意義があるのではないかと思っています。
-
なるほど。とりあえず愛染呪と仏眼呪がんばります。
-
そういえば、愛染呪の道果はある日、突然、煩悩が消えるとか世尊陀羅尼は法器として育つとか尊格によって特徴がありますが、仏眼尊の道果と現世利益の特徴ってどんな感じですか。
-
いや、皆さんレベル高過ぎっスわw正直オイラはその手前すら今生では無理ダスな。
仕方ない、お慈悲に縋って百回位の転生でなんとかこらえてつかあさいだ!
ああ、目標低いわぁ…
>>949
まぁ黒住さんは天照大御神ファンクラブのよーな物ですから、天照大御神の下で宗忠神が導くという案配なようです。
信者は一応祖霊神として高天原に行くとされ、本部や所属教会所と自宅との霊舎で神として祀られていきます。
基本、神道では生きても死んでも祓い清めを続け、かつ祭祀され続ける事で高みに進むような教義が多く見られます。
仏教のように善行を行い徳を積み、迷妄を智慧にて断っていくというよりひたすら玉を磨く様に己を清めていく感じでしょうか。
悪行を行う事は穢れを生むから避けるのは当然で、善行は本人の徳を増し神の喜ぶ所なので推奨されるという感じダスな。
持戒は仏教では善行ですが、ここが神道で仏教を避ける場合が生じる理由の一つ。
神道で万物の核というべきもの(直霊や一霊とか称するもの)は天御中主神や天照大御神などの根元の神から分れ出たものであり
その直霊や一霊の有様そのまま・天然のままにあるのが理想とし、素のままで自ずから善をなしうると考えるため
戒律の様な物は逆に天与の本分を人為的に歪ませているとして国学者達は批判してきました。
そのため神道では清浄である為の礼儀や作法はあっても戒律は無い事になっています。だから戒律を守る事=善行にはならない辺りは大きく異なる所です。
でも教派神道はどうしても教団なんで、何らかの戒律みたいなルールは大体あります。黒住教でも当初から七箇条の決まり事がありますな。
宮地神仙道だと特殊な霊図類を用いたり、陽気を養う事・善悪と水火の事など神としての階梯を登る細かい理論が存在しますが、著しく特殊なんで一般の神道としては余り通用すると言い難いです。
-
そういえば本自体に賛否両論がありますが、日月神示でも戒律には否定的ですね。
-
>>963
ナナスさん、私も同じですw
私なぞは「准てい尊の真言を八十万回で、無量の罪を滅することができるそうですね」と師に質問したところ、
「そやで。でも数えても無駄やで」
「なぜ?」
「いちいち皮算用するヤツの罪なんぞ消えるかい!」
と叱られる(笑われる)始末w内心を見透かされましたw預流果なんて遠い遠い…
-
>>963
>>965
六根清浄の祓いを思い出しちゃいましたわ。
『人は則ち天下の神物』といい『万物の霊と同体』と言いきる辺りは神道的ですが
『目に諸の不浄を見て心に諸の不浄を見ず』この下りをみると神仏習合が始まってから後の仏教者達が考えたのかなとも思えますよね。
仏教的に捉えるなら善行悪行と拘っていることに執着があるとでも言いたいかのように感じてしまうんです。。。
-
みなさんそう言わないでください、
三結
一、身見 ・肉体に不滅の霊魂が宿ってる。(常見)
・死んだら何かも終わり。(断見)
二、疑惑 ・因縁果報の道理を信じ切れず、無から有が生じたりするのを期待する。
三、戒取 ・仏法以外の方法で解脱できると思う。
これをご覧下さい。欲や怒りに較べたら勘違いのようなものじゃありませんか。
このぐらいであればご本尊様に泣き付いたら説法してくださって解らせてもらえますって。
>>962
> 仏眼尊の道果と現世利益の特徴ってどんな感じですか。
准胝尊と似てますね。薄めた業報で罪障消滅。また、勝賢阿闍梨が義経発見のために修した
ぐらいですから、失せものなどの効能があります。
-
なんか、仏眼呪と愛染呪を唱えるとやたらと人に甘えられるんですが、なぜでしょう。
こう、カウンセラーとか顧問的立場が多くなりw
あと、そもそも、そろそろ嫁に行きたいと縁結び目当てで愛染、仏眼、聖天、ダキニ天、荒神尊の五尊戦隊を拝みだして五年。帰って縁遠くなりましたがなぜでしょう。
てゆうか皆さん、大丈夫ですよ。私なんか悟れないんじゃ。。。と思わせるのも魔縁です。きっと。
だからガンバってとりあえず不還果を目指しましょうw
と、自分に言い聞かせてみるw
-
>>968
> なんか、仏眼呪と愛染呪を唱えるとやたらと人に甘えられるんですが、なぜでしょう。
> こう、カウンセラーとか顧問的立場が多くなりw
それが「国王の三昧」、つまり、カリスマ性と言うことですよ。
ただ、カリスマ力だけに惹かれてきたのに相談されて功徳を損ねてしまうのだけ、お気を付け下さい。
> あと、そもそも、そろそろ嫁に行きたいと縁結び目当てで愛染、仏眼、聖天、ダキニ天、荒神尊の五尊戦隊を拝みだして五年。帰って縁遠くなりましたがなぜでしょう。
以前、付き合った男に紐られたそうですが、大なり小なりそういう男ばっかりだったのじゃないですか?
> てゆうか皆さん、大丈夫ですよ。私なんか悟れないんじゃ。。。と思わせるのも魔縁です。きっと。
> だからガンバってとりあえず不還果を目指しましょうw
おお!「預流果まで頑張るが、その後は魂の悠々自適で寿命まで暮らそう」という私より高い理想ですね!
頑張ってください。
上座部には先祖供養を受け付けると言うことをあまり聞きませんが、不還果の阿闍梨が修する
先亡供養はマジ彼岸送りの功徳の高い供養になるでしょうね。
>>967
> 三結
> 二、疑惑 ・因縁果報の道理を信じ切れず、無から有が生じたりするのを期待する。
承前。
この「疑惑」は般若心経で言えば「?倒夢想」ですね。
「疑惑」が「縁摂受智慧」で清められて「渡疑清浄」の覚りを得るのが「遠離一切?倒夢想」。
-
相談されて功徳を損なうというのはどういう状況を指すのでしょうか。
ちなみに仏眼尊はどういった三昧なのですか。
仏眼尊を拝んでると貰い物が増える気がしますがw
このまま、拝んでると仏眼尊がいい婿を見つけて下さるかしらw
以前、出会った人の業がわかるという人にあなたはどう転ぼうともう人界以下に戻ることはないよ。といわれたので当てにしてるんですw
-
ついでだからききますが、私の周りって基本的に私に甘えたい人ばかりでなおかつ、実利に結びつかない縁が多く、それはそれで功徳を積むためには結構なんですが、女も三十を過ぎるとたまには寄りかかれる存在も欲しいし、修行代を捻出するのに、現金収入に結びつく縁がもっと欲しいな。と。
そういうときにはどなたを拝めばそういう縁を下さいましょうか。
-
>971
バッチリ愛染尊のモテオーラ出てますね。
>修行代を捻出するのに、現金収入に結びつく縁がもっと欲しい
↑↑全力で同意しますwww
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いや、これがモテないんですよ。恋愛対象としては。こないだ五歳児にキスされましたがw13年はたってからまた来てくれって感じでw
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愛染尊の王者の三昧は、私個人としては恋愛向きに見えないんですよ。引力のようにあらゆるものを強力に引き寄せるのはいいんですが、何しろカリスマなので望んでないものもいっしょくたw
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>>970
> 相談されて功徳を損なうというのはどういう状況を指すのでしょうか。
相手が本当に相談したいわけでなく、単にカリスマ性に惹かれて来ただけの場合気を付けて
下さいと言うことです。本当に悩みの相談したいのではなく構ってちゃんの一種ですね。
そう言う人は何かで機嫌を損ねると敵に回ったりします。
(にちゃんの寺社板をご存じの方なら、「菅野千秋」などがその例です。)
> ちなみに仏眼尊はどういった三昧なのですか。
「諸仏能生の三昧」と言われます。だから「仏母」とも。
> 仏眼尊を拝んでると貰い物が増える気がしますがw
一説にはお釈迦様の徳の一部とも言われますので。
人々が競って在世中のお釈迦様に布施をしようとしたノリでしょう。
>>971
咸上六
諦めてください。
-
甘露さん、これが望んだものはこないの。
ダメンズばかりw
-
諦めてってwたしかに今、好きな人も年下くんの甘えん坊ですがw
諸仏能生の三昧というのは拝んでると現実面、また心理面でどういった変化があるので?
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>>976
極楽さんのアドバイスですべて説明されてますね。
愛染尊では出会いの選り好みは出来ないんだと思いますよ。手当たり次第に引き寄せるだけですから。
既に特定の人物がいらっしゃるなら話は別ですが。
-
>>977
> 諸仏能生の三昧というのは拝んでると現実面、また心理面でどういった変化があるので?
仏眼尊はだいたい余尊の加持力を強めるために修します。ですから仏眼尊だけ拝んでると
特に変わったと言うことなく道果が進んでいきます。
>>971
>>972
どうにもこうにも「実利的」なことは功徳に左右されます。どなたを拝めばいいとかなどは
普段からのご本尊様に頼めばいいだけです。私なども、
ちょっと金銭苦しいからどうにかしてくださいとお願いしても、そう言うとき何か功徳を作ることが
出来たら、すっとムダが無くなって余裕が出来たりとかで、臨時収入まではなかなか。
('A`)
-
ということは愛染尊と仏眼尊ばっかり拝んでる私は、なんのドラマ性もなく、気がついたら悟ってる感じだと思っていいですか。
わかりました。とりあえず功徳積みがんばりますw
-
水野南北さんの節食なんてのは徳になります?
あと仏眼尊の大呪を唱えると功徳が得られると読んだんですが、どういう理屈で?
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>>979
こればかりはねw修行が進めばいつの間にか不如意が解決してる、といった方が理想でしょうね。
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>>978
愛染尊の連れてくる方は、少なくとも私の場合はそうでもないですよ、
必要なところのすっぽりハマってくれる相手を連れてきてくれていますかね。
問題は選ぶ側の自分に目がないだけで・・・<私
悲しいかな所詮それぞれの個人の物差しでしかみてませんし、
そもそも相手も同じ人間、完全な人間なんぞおらんと思う今日この頃です。
結構長く一緒にいますが、自分自身の愛情の形・・・
というか全般的に人に対する思いやりや執着も変わってきたというのもあるのかもしれませんし。
・・・・鏡を見る度によくまぁこんな醜男に一緒にいてくれるもんだなぁと思っちゃいますし(悲しいかな)。
ところで、恐らく悟れば中性に近くなるんでしょうが、男形の尊と女形の尊、祈願の成就にも差が出るもんなんでしょうかね?!
人間である限りはしょうがない生理的な部分が前提となって、その尊の性格的な部分に関与することってありえるんでしょうか。
もしそうなら逆手にとるとその人にあった性別の尊を祀ると効果が出るのかなとくだらない考えに至ったわけですけれど。。。
-
>>981
> 水野南北さんの節食なんてのは徳になります?
ちょっと極端だと思いますよ。要は「資源のムダ使いをしない」事によって天地に対して功徳を積む
と言う考え方のようですが、尻拭きに使った紙を再生に廻すなど絶対やめれと思いますし、
米食しなくても酒飲んでたら一緒じゃんと思います。酒は米を普通に食べるより消費しますから、
江戸時代は飢饉の年など藩の役人が家々を回って酒造りの道具を封印して回ったそうです。
食事に関しては最新の研究知見に基づいて合理的であればいいと思います。
また、外国ではサメのヒレを生きたまま切り取って後は海に捨てるとか、蟹の足だけ取って
胴は捨てるとか、日本人の感覚を絶したムダ使いの仕方しますので、日本人なら普通に
省資源や節約に努めてればいいと思います。
> あと仏眼尊の大呪を唱えると功徳が得られると読んだんですが、どういう理屈で?
出世間の功徳がでしょ?
-
仏眼尊の大呪を1000遍唱えると転輪聖王の七宝のごとき福徳が得られる。つまり資具に事欠かなくなるんだと。
それと、お護摩を頼むときに願意を普菩提とか報恩謝徳にしとくと功徳積めます?
あとみんなの嫌われ者で誰一人顧みない方の追善供養をするとか、お寺の修繕費を出すとかはどうですか。
-
>>985
> つまり資具に事欠かなくなるんだと。
それは今の日本では微妙ですねえ。例えば七宝の内の如意宝珠は要するに「照明」なので、
誰でも問題なく享受できてますから。
> それと、お護摩を頼むときに願意を普菩提とか報恩謝徳にしとくと功徳積めます?
「普菩提」ってなんですか?あと、お護摩を頼むとは、添え護摩木を書くとかでなく護摩そのものを
一座から依頼すると言うことですか?功徳が積めますようにと言う願意でいいんじゃないですか?
> あとみんなの嫌われ者で誰一人顧みない方の追善供養をするとか、お寺の修繕費を出すとかはどうですか。
お寺の修繕費は昔から功徳があると言われてますね。
嫌われ者の追善供養は、その人に悪い意味で頼られてもはね返せるのなら。
そうでもないのならお勧めできません。
-
普菩提はすべての生きとし生けるものの菩提ということです。
元三大師護摩の添護摩木を毎月納めてるので一本増やそうかと。
あと、嫌われ者とは具体的にはイスカリオテのユダです。
もう一つ伺いたいのですが、五智如来の真言を個別に唱えても、光明真言を唱えても功徳は一緒でしょうか。今日、祖父の命日なので。
-
>>987
> 普菩提はすべての生きとし生けるものの菩提ということです。
そうなのですか。ちなみにどの宗派で主に言われます?
> あと、嫌われ者とは具体的にはイスカリオテのユダです。
よく判りませんが、頼られても困ることはないと言うなら。
> もう一つ伺いたいのですが、五智如来の真言を個別に唱えても、光明真言を唱えても功徳は一緒でしょうか。今日、祖父の命日なので。
一緒と言うことはないと思います。
-
私は真言系の方から伺いましたが浄土宗の方にも普菩提で通じました。
五智如来、個別で全部と光明真言でひとからげとどっちが功徳がいいですか。
-
>>988
横からすみません。極楽さんに質問です。ユダに限らず異教徒を供養することって出来るんですか?
例えば阿弥陀如来も仏教徒以外は救えないという主旨の記述がありますし、積極的な三宝への帰依がなくても効果的に回向出来るもんなのかなと。
-
甘露さん、善光寺如来の下の手は薬指と小指を一緒に握っておられます。これは下品下生のものとともに外道も救うとの意と伺ったことがあります。犬にも灌頂が有効なんだからまして人間は。。。と思いますがいかがでしょうか。
-
>>991
像に関しては個々に作られた経緯があるでしょうから、経典とのズレもあるでしょうね。
いや私の質問は、単純に相手が喜ぶかなという意味も含んでまして。
例えば仏教徒の私がクリスチャンの方に「うちの神様があなたをお赦しになりました」とか「神の国に行けるように頼んでおきましたよ」と言われても、一応お礼は言いますが何ともリアクションに困るなとw
そういう信仰上の齟齬がある状態で果たして双方に有効な功徳になるのかなと思いまして。
-
かと言ってユダの場合、引き取り手がないんだからw
-
>>989
> 私は真言系の方から伺いましたが浄土宗の方にも普菩提で通じました。
そうなのですか、どうも勉強になりました。
> 五智如来、個別で全部と光明真言でひとからげとどっちが功徳がいいですか。
亡者供養なら光言です。
>>990
> ユダに限らず異教徒を供養することって出来るんですか?
出来ますよ。お食事をさしあげるのに民族も宗教も関係ないが如しです。
相手の宗教や信念によっては受け取りを拒否されるかも知れませんが、
それは個別やその時その時の問題。
> 例えば阿弥陀如来も仏教徒以外は救えないという主旨の記述がありますし、
>>993
浄土は基本「道場」なんですから、修行する気のない人はと言うことでしょう。
でもまあ亡者の代わりに阿弥陀仏に引導をお願いするだけお願いしてチャンスを提供し、
最終的にどうするかはご本人が決めればいいと思いますし、ムダだとは思いません。
>>992
確かに恩着せがましく言われたら素直に喜べませんね。私たちは他人のふり見て我がふり直せで
黙ってやっときましょう。
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>>994
> >>990
> > ユダに限らず異教徒を供養することって出来るんですか?
>
> 出来ますよ。お食事をさしあげるのに民族も宗教も関係ないが如しです。
> 相手の宗教や信念によっては受け取りを拒否されるかも知れませんが、
承前
施餓鬼法の次第では、餓鬼衆にお食事をさしあげた後、法施として発意菩提心と三昧耶戒、
餓鬼衆でも出来る真言行として光言を授けます。
異教徒の餓鬼衆は、食事だけ取って法施はスルーしてるかも知れませんね。
( ´,_ゝ`)プッ
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そーですなー、ユダの場合はカトリックでも煉獄でなく絶対釈放不可のガチ地獄行きなんで(当然他の教派は地獄=ガチ地獄しかないけど)どんなダスかね。
もっとも地獄の確定は最後の審判で全ての存在を裁き賞罰を決した時、(ユダヤ・キリスト・イスラム各教の)神が彼等を地獄に追い込み「その存在を忘れる」事で完了するから
それまでは理屈として時間的猶予があるっちゃあるんダスが
基本全てのキリスト教教派で「(ガチの)地獄に行った者は永久に神に忘れられ済われる事は無い」なので
いや御仏の慈悲が飯はともかく釈放という形で余所さんの牢獄に通用するかどーか…。
それよか授記を受けたとはいえ、只今絶賛阿鼻地獄ガン責められ中とされる提婆達多さんを早い事解放して
さっさと菩提を証して頂いて説法開始してもらう方がよさ気な感じがするダスよw
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>>995
> 発意菩提心
「発菩提心」です。打ち間違い。
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>>996
> いや御仏の慈悲が飯はともかく釈放という形で余所さんの牢獄に通用するかどーか…。
ああ、それはありますねえ。
きっとそう言うケースに適用できるのが「破地獄」ではないでしょうか?
仏教の説く地獄は自業自得で自分の罪障によって堕ちるものですから仏でもいかんともしがたい
わけで、いくらお釈迦様より偉いと差別化を図りたい大日如来でもムリに決まってます。
せいぜい心に悟りの心を植え付けて地獄の責め苦が責め苦で終わるのではなく、罪障消滅の
「修行」になるよう図るのが破地獄だと思っていましたが、聖書の地獄はなんかこう聖書の神の
激しい怒りを感じさせるものがありますので、そう言う幾分理不尽な牢獄から脱獄させる法が
あってもいいように思います。
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ところで光明真言を唱えると聖天さまがお喜びになるとききましたがどうしてですか。
また、光明真言をたくさん唱えるといきがかり上、奉仕をすることが多くなり、やたらと忙しくなりますがなぜでしょう。
昨日から待乳山でお浴油をお願いしてるので光明真言を多めに唱えといたほうがいいかしら。
でも、またやたら忙しくなってもな。とw
それから大身呪というのを教わったんですが、やはりこれも一緒に唱えた方がよいですか。
例によって今、好きな人をお婿に下さい浴油ですがw
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ナナスさん、正教会あたりでは地獄の責め苦は実は有限であって本人が罪を認めてきちんと謝ると天国に入れるという解釈があるようです。
そしてどちらかというと地獄は神の愛を裏切ってしまった自責の念と良心の呵責の地獄であって、同じように神の光を受けて義人は後ろ暗くないから喜びに満たされ、悪人は勝手に苦しむんだそうで、神の愛を受け入れさえすればいつでも救われるという、唯識の一水四観的な地獄と天国の関係でした。
ちなみに私は基本的に正教をキリスト教の基本として見てます。あくまでも私のキリスト教理解ですので。
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