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ウイングメーカーとハートの美徳

11黒炉:2018/01/25(木) 20:09:29
大和田菜穂さんのブログからコピペ

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ノンデュアリティ難民ができてしまう理由がわかりました。(笑)

いつも言っているのですが、誰かが全体になるのではなく、誰かが全体だと気づくことでもなく、

気づける誰か(何か)は初めからない。初めから分離はない。というのが、ノンデュアリティ

です。

ただ、私も「人間の苦しみのメカニズム」「私のキャラクター」について語ることはあります。

そして、「わたし」がメッセージに触れていくことで、楽になっていくことは、表面的には起きて

きます。

ただ表面的で、誰かの変化は、究極のメッセージが指していることではありません。

なぜなら、自然と表面的に起きてくるだけで。そんな誰かはいないのですから。

そして、これはまだ夢の中のお話です。

ただ、私というキャラクターは、自分の幸せを求めるエネルギーなので、

ここがなかなか聞こえてこないのです。

真に求めていることは、初めからない、誰かのものにはならない、

「すべて=愛」です。 

「私という檻」をよくすることは、居心地の良い檻を造っているような

もので、居心地の悪ささの元になっている、檻は変わらないのです。

ただ、私は、すべてのあらわれですから、現れ自体は愛そのものです。

ただ分離の存在にはそのことは、真の意味では知り得ないのです。

なぜなら、分離が消えた時に、初めて真の愛が現れるからです。

ただ、わたしという檻は幻想です。

誰かが、何かを手に入れるのではなく、全てを失った時に

これが自然と明らかになります。

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