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死んだらどうなるの?

81アルキ猫:2012/07/02(月) 06:50:20
分かりました。
少し勉強させて下さい。

82アルキ猫:2012/07/04(水) 18:43:15
>メビウスさん
すみません、また質問させて下さい。
「意識がクオリアという最小単位に還元でき、その知覚の束が意識を産み出す」ということは、死んだ場合、肉体を構成する元素と同じように意識は分解されて個別のクオリアに分解される(可能性がある)と言うことでしょうか?
クオリアは残ってもバラバラになって別のそれぞれ別の知覚の束=別人の意識に再構築されるならば、死ねば自分の意識は消失し、この世から無くなるということになるかと思います。
またノンレム睡眠時のクオリアはどうなっているのでしょうか?無意識状態の人のクオリアは消失し、別の人の意識の元になっているのでしょうか?

83メビウス@管理者:2012/07/04(水) 21:21:06
>死んだ場合、肉体を構成する元素と同じように意識は分解されて個別のクオリアに分解される

これは性質二元論の立場の一つで「汎経験説」という主張ですね。
この立場では自分が死んで無くなるか否かはパーフィットが結論した
通り恣意的な判断だと思います。

なお、それと対立する立場に物理主義の立場の「創発説」というのがあります。
この立場ではクオリアは物質から生成されると考えているので、死ねば自分は
消滅します。

ちなみに、私の考えでは上記の二つの立場はともにナンセンスだと思っています。
私の考えをここで簡潔に説明することはできませんが、もし興味ありましたら
まとめサイトのTOPページに私の見解を記述したページを表記してありますので、
のんびりと読んで頂ければ嬉しいです。

84was a bee:2012/07/21(土) 18:38:19
>>76
おお、ありがたいです。
あまり咀嚼できてはないですが、何となく雰囲気は分かるような気がします。
とはいえ
「「「今・私にクオリアがある」というクオリアがある」というクオリアがある」・・・
的な無限後退が発生しそうな気もします。しかしそれもまた面白そうですが。

85メビウス@管理者:2012/07/23(月) 23:41:05
>>84
おや、お久しぶり。
確かに無限後退的な部分があって、その点をどう解決するかが課題だと感じています。

アイデアのひとつは、ゼノンのパラドックスを逆用して、存在は無限分割が可能だと認めることでしょうね。
もう一つは、今まとめているのですが、大森荘蔵の「立ち現われ一元論」のような立場で、
デリダが「差延」としたものに対して、「過去自体」を措定することだと思います。

しかし、いずれにしても永井・入不二両氏が問題にしている「現実性」について上手く説明でき
ないのが難点で、そこが今の私の最大の関心事です。

was a beeさんに何かいいアイデア、あるいは私の問題提起の仕方そのものについての疑問や批判が
あればぜひ伺いたいと思います。

86メビウス@管理者:2012/07/26(木) 21:05:50
あと一つ、まだまとまっていないアイデアなんですが、
「無限に分割する」というのは論理的には可能でも、自然的には不可能だろうと
考えたことがあります。
自然数を全て数えるというのは不可能です。またたとえば、自分は無限の言葉の
組み合わせを行うことができると考えていても、実際には有限の組み合わせしか
行えません。

つまり宇宙にあるクオリアの数は有限個かもしれないという可能性があるわけで、
実際には無限分割はできないという可能性です。

この考え方は決定論と自由意志の否定に繋がる問題なので、複雑ですが。

87was a bee:2012/07/30(月) 17:57:26
>>85
メビウスさんの考え、少しずつ読ませてもらってます。
非常にざっくりと考えると、時間も空間も意識へと還元する、意識一元論みたいなものと言って良いのかなと思いました。
そして堆積のパラドックス(人間→馬→ミミズ→微生物→・・・)を考えると独我論的な私という考えを維持しがたい、
この批判は、私もそう思います。
ただそう思いつつも、それでも独在論的な問題設定は形を変えてやはり存続するように思えます。

バラバラに散らばった変化も運動もすることなき、意識トークンの集まりの全体が、この世界であったとして、
それでもなお、やはりまだ問えることが残るように思います。

「なぜこの意識トークンが体験されており、別の意識トークンが体験されているのではないのか?」

太古の人々が導入した霊魂といった概念、デカルト的な我の概念、またカント的な統覚の概念、永井的な<私>の概念、
これらの概念が導入されたことの背景には、常にこのような問い、現に在る経験があまりに非対称的であるという事、があったように思えます。

そしてこのことは「一つである全体的意識」を導入してもなお、「なぜこの意識トークンか?」と形を変えてなお存続するよう思えます。

このことを「覚えている経験」と「覚えていない経験」という記憶に訴える形の議論を導入して、解決するか?
ここは何か自分の中でモヤモヤしてますが、微妙に解決しないような気がしてます。

この「なぜこの意識トークンか?」というのが、何かやはり最後に残る大きい問いのような気がします。

88was a bee:2012/07/30(月) 18:19:19
最近この論文を読んでちょっとおもしろいと思ったのですが、

「温度計に意識はあるか?」 by 大泉 匡史、土谷 尚嗣
http://www.emotion.caltech.edu/~naotsu/Naotsugu_Tsuchiyas_homepage/papers_for_download_files/12%20Mar%2030%20LiSa%20Oizumi%20Tsuchiya.pdf

麻酔は本当に「痛み」を消しているのか?それとも「痛み」は消しておらず、ただ「麻酔時の記憶」を消しているだけなのか、
みたいなことが少し書かれてました。
これは身近だけど、深い問題のように思います。経験と記憶。

89was a bee:2012/07/30(月) 18:38:32
ちなみに、今のところ自分は意識についてハッキリとした立場は持ってないのですが、
立場についての立場、どういう考え方がありえそうか、については
Crazyism (キチガイ主義?)とかいう考えに共感を覚えます。
http://www.consciousentities.com/?p=1068
意識の問題についてどういう答えが最終的に普及するにせよ、
そうした理論は必ずどこかしらキチガイじみた内容を含まざるをえない、と。

90メビウス@管理者:2012/07/31(火) 21:58:32
>>87
>そしてこのことは「一つである全体的意識」を導入してもなお、「なぜこの意識トークンか?」と形を変えてなお存続するよう思えます。

これは最もな疑問で、>>85でも書いた「現実性」の問題だと思います。
「現実性」と言っても永井均、入不二基義ではニュアンスが微妙に違ってますし、
そもそもこの問題はエレア派の時代からあったものだと思います。
ヒュームが主著『人性論』を封印しようとした事情は宗教的な問題かもしれませんが、
ひょっとしたら現実性の問題に気づいていたからかもしれません。
現在まとめている大森荘蔵の「立ち現われ一元論」も類似の問題に苦悩した形跡があります。
大森哲学はヒュームと同型の「無主体論」といえるものであり、was a beeさんが指摘されたのと
同様の指摘を大森に対してしている人がいます。
http://www.geocities.jp/toryon33/tokinagarezu.html

91メビウス@管理者:2012/07/31(火) 22:06:10
なお、現実性の問題に対する私の解答ですが、was a beeさんの以下の文、

>「なぜこの意識トークンが体験されており、別の意識トークンが体験されているのではないのか?」

このような捉えられ方をされるのは仕方ないのですが、私が構想したのは、
言語によって分節され、多数あるように見える意識トークンが、
実はひとつらなりの「唯一の」意識トークンではないかというものです。

この点、現段階では説明に苦慮していますが、いくつかアイデアが
ありますので、いずれ「一元論」のページに自分の見解として書くつもりです。

92メビウス@管理者:2012/07/31(火) 22:18:35
>>89
>Crazyism

確かにそうでしょう。
性質二元論の立場から主張されてる汎経験説では、原意識というものを
想定せざるを得ず、トースターにも何らかの意識があると考える人もいます。
対して物理主義の創発説では、脳を構成する素粒子の中にクオリア製造装置が
あるというようなものです。
上の二つの立場を拒否するなら、時間の実在性を否定する私のような一元論の
立場を取るしかないように思われます。

いずれも日常的感覚からかけ離れているのでクレイジーと思われて当然でしょうね。

でも、それは哲学なら当然のことでもあります。
哲学には日常的な世界の全てを転倒させる「力」があるのだと、私は信じてます。

93アルキ猫:2012/08/03(金) 20:38:33
こんばんは。
確かに意識が実は無主体であって個人固有のものでないというのは現代の常識や唯物論的科学観からすると主客転倒していて一般の人にはにわかに理解し難いものがありますね。
私も未だに分かったような分からないような…
まさに天動説が地動説になったような感がありますが逆に世の常識が逆転してるとも言えるのかも知れませんね。

94メビウス@管理者:2012/08/04(土) 22:32:32
>>93
アルキ猫さん、実は逆なんですよ。
近代以前の心身問題では素朴心理学が前提となっていたため、
「私」という自己が「痛み」などの感覚を知覚するという構図で
心的現象を理解していました。

しかし現代の心の哲学は自然科学の知見を前提として出発しており、
物理主義も性質二元論も同様に無主体論なんです。
すなわち物理的な実体のみを認める立場でも、それと対応して心的な
ものがあるする立場でも、物理的でもクオリアでもない「私」や「魂」
のようなものは認めないのが、大半の心の哲学の立場なんです。
ペンローズみたいな人は少数派ですね。

でも、それだけではどうしても上で書いたような「現実性」の問題が生じます。
その点はジョン・サールもチャーマーズも気づいていて、何かしら特別な原理が
あるかも知れないことを示唆しています。

95メビウス@管理者:2012/12/06(木) 21:27:24
>>76では自分の見解をふたつのページに分けてましたが、
atwikiの仕様が変わって容量制限が緩和されたので、パルメニデスのページにまとめました。
なお空間の実在性については別の見地から考究してみました。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/96.html#id_3812eb7c

97ある唯物論者(異邦人):2013/10/12(土) 21:35:06
私は唯物論者です。
クオリアや現象的意識を含めおよそあらゆる現象は物理的現象であると考えます。
将来のレベルアップしたアシモであればクオリアや現象的意識を持つことが出来る可能性はあります。
それが可能であるのはクオリアや現象的意識が純粋な物理的現象であるからです。

98メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/10/13(日) 21:55:58
>>97
スレ違いなので該当のスレにレスします。

99名無しさん:2013/11/16(土) 11:44:41
twitterやwikiを見るにメビウスさんのお考えも細かい変化があるように思われますが
ここで改めてスレッドの題について現在のメビウスさんはどのようにお考えですか?

100メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/11/17(日) 19:33:49
個々の人間と時空の実在性を否定して、「宇宙に本当に存在しているのはただ一つである」とする
エレア派の立場を取る点で私は一貫しているのですが、「何が存在しているか」という問題
については考え方が変わってきました。

以前は自分が見たり思ったりする心的「現象」が自分の理解した通り存在するのだと大森荘蔵同様に
思っていたのですが、最近は時間の問題を考究した末に、人間は「現象」を正しく理解できない
のだと思うようになりました。

この問題は11月1日に①〜⑩と連続ツイートしているのですが、
https://twitter.com/mobius774
いずれまとめwikiにも自分の見解として書くつもりです。

101名無しさん:2014/09/27(土) 23:13:37
まず、死んでも意識は続くと思う。霊体になっても人間や物などは見えてると思うし、もしかしたらあの世に行かなくても良かったりしてね。死んでもこの世に留まる霊はネガティブな思い100%で生きてきた霊だとどこかに書いてあった、よくいう成仏してないってやつだね。


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