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管理者日記

1メビウス@管理者:2010/11/16(火) 00:26:38
管理者のブログorツイッター代わりのスレです。

109メビウス@管理者:2011/09/28(水) 00:29:02
ラッセルの刹那的独我論にしても、ヒュームの知覚がそれぞれ個別の存在と
いう考え方にしても、意識の連続性がやはり問題になる。

やはり、個別のクオリアはそれぞれ唯一の現象的意識というものの「性質」と
考えた方が合理的だと思う。カントもウィトゲンシュタインも時間空間は対象の
形式と捉えるけど、それは暗に対象を見る自我を想定している。

還元主義的な立場ではその自我を否定するから現象的意識が丸ごと「一つ」の
存在者と考えた方が合理的。

110メビウス@管理者:2011/09/28(水) 00:35:21
あるいは「他者」の存在が問題になるかもしれない。

しかし還元主義では自分と他者に絶対的な境界はないとするから、
他者の現象的意識も自分の現象的意識も区別は不要になる。

むろん、今の自分と過去の自分には「記憶」という紐帯があるという
立場もあるけど、科学的には、記憶はその時々に創造される現象的意識に
すぎないし、また人は過去の自分について忘れていることも多い。

忘れている過去の自分は「他者」であると考えることもできるし、
それは逆に、他者とは「忘れている自分」であると解釈することもできる。

還元主義を透徹すればそうなる。

111メビウス@管理者:2011/10/11(火) 23:36:12
ウィトゲンシュタインは『論考』5.64で、
「独我論の自我は広がりを欠いた点にまで縮退し、自我に対応する実在が残される」
と書いていて、これを入不二氏は独我論的な無主体論と解釈してるんだけど、
その「実在」という言葉は「クオリア」に置き換えてもいいように思う。

永井氏は「〈私〉とは世界を開闢する原点」という言い方をするんだけど、
「世界を開闢しないクオリア」というのは無いわけで。

カントは統覚の働きが全ての表象に「我思う」を伴わせると考えたけど、
これもクオリアの側から考えれば、「我思う」が伴っていないクオリア
なんてない、といえるような。

112メビウス@管理者:2011/10/20(木) 01:01:08
チャーマーズは物理学者たちの影響を受けて情報の二相理論によって、
根源的な存在を「情報」と考えてるんだけど、
しかし「情報」とは誰か――主体に認識されることが前提の言葉だから
違和感がある。

だからこそ、「時空」そのものさえ情報空間の中にある可能性を想定して、
絶対一元論的な世界観を展望しているのかもしれない。
時空が実在しないとなれば、「認識」という動的な作用も想定する必要が
ない。だから「世界とは差異」という結論に至ったのかも。

113メビウス@管理者:2011/10/21(金) 00:18:07
あと多元論とネーゲルのページを作りたい。

いきなり忙しくなって本を読む暇も無いから
いつになるかわからないけど。

114メビウス@管理者:2011/10/29(土) 21:39:02
根源的な存在を「情報」と考えるのは暗に無主体論の立場を前提としてる。

またその情報が時空の内部にあるのでなく、逆に時空が情報の内部にあると
考えるのは、やはりチャーマーズは絶対一元論的な世界をイメージしてる。

それぞれの情報が因果関係によって繋がっているというなら、時空が実在
しないことを前提にすると、全ての情報は「唯一の存在」の一つらなりの
「性質」として解釈する他はない。

そう考えるとチャーマーズの思想は私の至った結論に極めて接近するわけだが。

115メビウス@管理者:2011/11/11(金) 00:46:49
ライプニッツが「モナドには窓が無い」としたのは、
他の存在に作用されるようでは「実体」の定義からしておかしいからで、
だから彼は神による予定調和を想定せざるを得なかったのだろうけど。

神の存在を信じない私や多くの現代人からすれば、存在間の相互作用の
方を信じるしかないわけだけど、そうなるとライプニッツが見抜いた
ように世界から「実体」が存在しなくなる可能性がある。
だからバートランド・ラッセルは実体を否定して「出来事」だけを想定
したのかもしれない。

116メビウス@管理者:2011/11/11(金) 00:51:03
ラッセルの「出来事」は現代の量子力学と相性が良いと評価する意見も
あるのだけれど、それでも実体を否定するとやはりおかしなことになる。
たとえば普通は、「波」とは「水の運動」であると、現象を説明するのに
実体の概念を用いるのであるけど、ラッセルのように実体を否定するなら、
「出来事の原因は出来事である」と循環論法になるような。

117メビウス@管理者:2011/11/11(金) 00:55:22
その循環論法を一気に解決してしまう方法はただ一つで、
「出来事の原因は出来事である」というようなものは、
全て「唯一の実体」内部の「性質」であると考えること。

というように、存在論から論理的矛盾を除去しようとすると、
どうしても絶対一元論に行き着いてしまう。

118メビウス@管理者:2011/11/11(金) 00:57:41
実体と多元論と、ネーゲルとウィトゲンシュタイン独我論の
ページを作らないとな。

忙し過ぎて何年も先になりそうな。

119メビウス@管理者:2011/11/20(日) 04:58:25
>>107に関連して、
三浦俊彦の「意識の超難問」批判があまりにずさんなので、
永井・渡辺両氏をフォローする形で書いといた。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/133.html

120メビウス@管理者:2011/11/24(木) 00:57:47
>>119はウィトゲンシュタイン独我論とセットで説明しないとわかりづらいかも。

忙し過ぎて加筆する暇が無いな。

121メビウス@管理者:2011/11/30(水) 22:13:38
パーフィットの混合スペクトラムの思考実験が
現象的意識やクオリアについても適用できることを書いてみた。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/128.html

122メビウス@管理者:2011/12/06(火) 22:27:57
ようやくウィトゲンシュタイン独我論の解説おわた。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/75.html#id_13477f70
あちこちでウィトゲンシュタインを引用しておきながら、
その独我論についての説明が適当だったので、頑張って書いてしまった。

年末の忙しい時に何をやってるんだろう私はw

123メビウス@管理者:2011/12/07(水) 21:56:52
永井均への批判は上のウィトゲンシュタインの問題と重複してるので大幅に整理した。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/49.html

124メビウス@管理者:2011/12/12(月) 21:55:59
ウィトゲンシュタイン独我論と対の問題といえる
動物の心を大幅に加筆修正。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/116.html

意識の境界問題や汎経験説まで関わってくるので面白い。

125メビウス@管理者:2011/12/15(木) 21:46:57
>>122-124と関連して、人格の同一性もかなり修正。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/128.html

まだ書き残したことがあるような気もする。
まあ、人格の同一性問題は哲学の問題が全て詰まってるし。
このページは永遠に完成しないかも。

126メビウス@管理者:2011/12/16(金) 02:52:35
他人の掲示板に書き込む際の最低限のマナーも知らないで、
的外れな批判をしている人を書き込み禁止にした。

ここは2chじゃないし、私もボランティアで講義してやるほど暇でもない。

127メビウス@管理者:2011/12/20(火) 21:47:11
大森荘蔵のページは他サイトからの引用ばかりで上手くまとまってない。
でもまとめる気力が無くなってしまった。
以前は夢中になって読んでたのに、今ではほとんど共感できなくなった
からだろう。

フッサールも同様。

128メビウス@管理者:2011/12/26(月) 01:07:55
今年はもうサイト更新しないと思う。
来年はたぶん引越しがあるのでネーゲルのページ作るのは
いつになるかわからない。

129メビウス@管理者:2012/01/10(火) 00:18:26
心の哲学の用語を若干修正する必要あり。
忙しすぎて週に一つぐらいしか出来そうにない。

130メビウス@管理者:2012/02/08(水) 01:37:14
ただ今引越し準備中。
まとめサイトの更新は当分お休み。

131メビウス@管理者:2012/03/10(土) 03:50:10
ようやく引越しの日時が決まった。

それはともかく最近、西田幾多郎って大したことないんじゃ?
思うようになってきた。「変化」を無条件に前提してるような
気がする。ベルクソンの影響を受けてるから当然かもしれないけど。

132メビウス@管理者:2012/03/28(水) 00:54:04
ようやく引越し終わった。
落ち着いたらまとめサイトの更新を再開したいと思う。

133メビウス@管理者:2012/04/05(木) 19:24:27
久しぶりに渡辺氏のページを見ると、遍在転生観についてこんなことが
書いてあった。

>遍在転生輪廻説の主張の最低限の要件は、他者とは時間を異にした私である、という点にあるからだ。
http://fantastiquelabo.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-fe89.html

私の考えを要約すると、時空は実在しない、ゆえに他者も存在せず、
ゆえに全ては〈私〉である、ということになると思う。

この辺のことは人格の同一性やパルメニデスのページでも書いてるけど、
時間論についてのまとめページを作るべきかもしれないな。

134メビウス@管理者:2012/04/08(日) 02:42:56
意識の超難問については、
物理主義によっては定義できない「何か」は確かにあるのだけれど、
仮にそれを「魂」や〈私〉だとしても、やはりパーフィットの
スペクトラムの思考実験では存在することは不可能に思える。

つまり一見、存在論的独我論と、それと相反する立場の主張が同時に
正しいよう思えるわけで。

そのことが示すのは、論理的に矛盾の無い〈私〉の在り方を模索すると、
素朴実在論を否定するしかない……ということになるような。

これは人格の同一性のページの終盤で考察した結果でもあるけど。

135メビウス@管理者:2012/04/09(月) 02:12:49
>>134の問題を超難問のページに加筆。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/133.html

136メビウス@管理者:2012/04/14(土) 13:06:41
ウィトゲンシュタインのページを微修正。

137メビウス@管理者:2012/04/18(水) 19:57:05
「コウモリの感覚」のページ名を「コウモリの視点」に変更。
「コウモリであるとはどういうことか」では長いし。
ネーゲルも「視点」の概念に拘ってるのでこれでいいかも。

人格の同一性のページにもネーゲルの見解を加えておけば、
ネーゲルのページを独立して作る必要はないような。

138メビウス@管理者:2012/04/19(木) 00:22:57
Wikipediaの関連項目リンクに「時空の哲学」を追加。

しかしWas a beeという人は存在論関係で随分頑張って書いてるな。
私のまとめサイトも見てるっぽい。
私の問題意識とほぼ重なってるし。

139メビウス@管理者:2012/04/27(金) 22:57:47
「人格の同一性」のページにネーゲルの見解を加筆。

140メビウス@管理者:2012/04/30(月) 13:42:05
大庭健は自分の問題意識から外れてるので著作を読んでも放置してたのだけど、
永井均やトマス・ネーゲルと並べて見ると面白いかもしれないと思って、
「意識の超難問」のページに大庭健の見解を加筆。

141メビウス@管理者:2012/05/06(日) 22:48:54
現在パルメニデスのページを書き直し中。
今読み直すと随分荒い文章だし。
他サイトからの引用部分も明確になってないし。
一元論に関する自分の意見はあちこちのページに分散して纏める必要がありそう。

渡辺恒夫氏のページも大幅に修正しないとな。
自分の思考の往路に過ぎない部分も書いてるし。

142メビウス@管理者:2012/05/16(水) 22:50:14
パルメニデスのページを書き直すために色んな資料を読んでるんだけれど、
エレア派が「空虚」を否定する論法は間違ってるな。

「ない(空虚)」を主語として考えなければならないのに、
「ない」ものが「ある」は矛盾だと、主語と述語と意図的に混同してる。

まあ、このような見方は一般的なものでWikipediaのエレア派の項目にも
似たようなことが書いてあるけど、問題はそれだけではないのが面白い所。

143メビウス@管理者:2012/05/22(火) 22:26:13
以前読んだ井上忠の『パルメニデス』を再読してるのだけど、
やはり解釈が強引なような。
『西洋哲学史1』の納富信留からも一般的な解釈ではないと評されてるけど、
やはりパルメニデスに関しては一番情報量が多い。

144メビウス@管理者:2012/05/30(水) 00:13:11
内山勝利の『ここにも神々はいます』は内容が薄くて残念。
しかしパルメニデスについては独特の見地をもっていて、
買って損はなかったかも。

しかし、哲学というのはどのように読み替えてもいいのだとなと
改めて思って、デリダの脱構築がいかに優れた概念かを今更だけど
理解したようなw

145メビウス@管理者:2012/06/01(金) 22:44:04
入不二氏のマクダガートは既に何度も読んだんだけど、
読む度に考え直させられるな。
時間論は底なし沼みたいなものだとつくづく思う。

時間論を考え尽くすには人生の時間が足りないw

146メビウス@管理者:2012/06/06(水) 22:51:05
私が「現象的意識の非論理性」の解として述べたことはデリダの
「差延」と類似のロジックであるような。
デリダの場合はあくまでポストモダン路線の認識論だろうけど、
私の場合は認識論であり存在論でもあるが。

入不二氏も類似のことを書いてたんだよね。
結局、懐疑主義をおし進めれば誰でも行き着く所は
同じということかな。

147メビウス@管理者:2012/06/12(火) 23:40:08
にしてもデリダの「差延」には時間論的な問題意識が感じられない、
というか感度が低いな。
ポストモダンの人だから当然ではあるけど。

フッサールの受動的総合=大森荘蔵の立ち現われ一元論の立場から見れば
デリダの認識論は問題ではないような。

148メビウス@管理者:2012/06/13(水) 22:54:51
「パルメニデス」のページを大幅に修正
http://www21.atwiki.jp/p_mind/editx/96.html
自分の一元論は「一元論の合理性」として書いた。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/14.html#id_e9f8d93e

関連ページも大幅に整理しないとな。
あちこちのページに似たようなこと書いてるし。

149メビウス@管理者:2012/06/15(金) 01:59:50
入不二氏が時間の本性として、変化を否定した上で無数の「今」の間の
「現実性」の推移とした動機はわかるのだけど、私がこれに異論がある
のは「パルメニデス」で書いたとおり。

しかし入不二氏の論点から見えてくるものがあるような。

無数の「今」があって、それらが全て「現実性」を有していたとしても、
それは論理的に間違いでも矛盾でもないように思える。

150メビウス@管理者:2012/06/16(土) 00:23:18
「意識の超難問」を微修正。

渡辺氏が超難問に関心をもって遍在転生観を主張した背景には、
「私」が消えたり生じたりすることの不合理性を感じていたに違いないと思う。

ならば変化と時空の実在性を問わざるを得ないはずなのに、
渡辺氏は遍在転生観を科学的実在論と調和させようとしている。

151メビウス@管理者:2012/06/16(土) 21:16:37
「渡辺恒夫-遍在転生観」のページを大幅にスリム化。
他のページでも書いてることを削除した。

152メビウス@管理者:2012/06/22(金) 21:16:30
WikipediaでWas a bee氏が編集した「形而上学的ニヒリズム」にヒントを得て
「パルメニデス」のページを加筆。

形而上学的ニヒリズムは可能世界としてはあり得るような。
でもこの世界ではパルメニデスの論理で不可能性を主張できると思う。
しかし「引き算論法」というのは多様性が前提になっているので
論点先取のような気もする。

153メビウス@管理者:2012/06/23(土) 13:40:38
>>149に関連してるけど、大森氏がカントの物自体にならって
過去を「過去自体」としたのは優れた発想だなと改めて思った。

154メビウス@管理者:2012/06/27(水) 00:55:22
存在論においてどのような時間論の立場を取ったとしても、
最後に問題として残るのは特権的な「今」というリアルな
感覚が持続することだと思う。

自分にとってベルクソンは通り過ぎた人という感じだったけど、
もう一度読み直してみようかな。

他に修正しないといけないページもあるんだけど、
どうにも自分の時間論には、まだ大きく欠如した部分が
あるような気がする。

155メビウス@管理者:2012/06/27(水) 20:27:24
もちろん、その「リアルな持続する〈今〉」も
存在者であるクオリアの「性質」だとすることができる。

しかし、一度「性質」という大きな枠組みを作ってしまうと、
何でもその中に入ってしまうので、かえって何も解答していない
ような気がする。

156メビウス@管理者:2012/06/28(木) 01:28:02
>>149で書いたような、無数の「今」があって、それらが全て「現実性」を
有している、というのは「形而上学的無主体論」で書いたことに通じるわけだけど。
ヒュームは知覚が全て独立した存在者だと考えたけれど、特権的な「今」という
リアルな感覚の持続が説明し辛いことが致命的な弱点だと考えて『人性論』を
封印しようとしたのかも。

しかし、持続が感じられる特権的な「今」が説明し辛いというのは、結局の所、
「今」というリアルな「性質」のクオリアを線形で表現されている時間軸上に
位置づけようとしていることが原因で、時間が実在しないという立場を取れば、
これは問題自体が錯覚だということになるのかも。

大森荘蔵も時間というのは線形で表現できるというのが本質だとベルクソン
を批判したけど、それを私流に換言すれば、「時間の感覚」というクオリアが
線形時間という概念を派生させている、となるような。

つまり再帰的にカントの認識論を選択しているわけだけど。

157メビウス@管理者:2012/06/28(木) 01:34:48
それにしても、クオリアがそれぞれ、リアルな「今」という性質を
もって実在しているというのは、イメージするのは全く不可能。
この辺が人間の思考の限界なのかも。

かつてのヒュームだけでなくチャーマーズも類似の形而上学を
構想してるけど、やはり論理的帰結としてしか語られていない。
まさに「語りえない」もの。

158メビウス@管理者:2012/06/30(土) 01:42:52
クオリアを時間軸上に位置づけるのは間違いとするならば、あるクオリアと他の
クオリアはただ因果的関係として記述できるのみなのかもしれない。

「位置づける」という言葉自体が空間的であるし。
大森氏のいう「過去自体」や、未来と因果関係を持つ、ということのみが表現可能かも。

この点、ウィトゲンシュタインの論理空間内での「事実」同士の関係の類比かも。

159メビウス@管理者:2012/07/03(火) 20:38:53
「一元論」のページを多少加筆修正。
本当はこのページの自分の見解は「パルメニデス」のページに書きたかったこと
なんだけど、atwikiが1ページ50キロバイトまでという糞制限なんで分割せざるを
えなかった。

160メビウス@管理者:2012/07/04(水) 21:25:57
「観念論」と「認知的閉鎖」を微修正。

大森荘蔵を再読しようと思って著作を探してるんだけど、
どうやら引越しの際に大量に消失したもようorz
三年に一回ぐらい引越ししてるんで、引越しの度に本が消える。

161メビウス@管理者:2012/07/19(木) 21:18:29
大森荘蔵の著書で残ったのは2冊だけ。
さすがに失ったのを全部買いなおす気はしないので、野矢茂樹の
『大森荘蔵――哲学の見本』を基に大森哲学をまとめようと思う。
今の大森氏のページは引用だらけで全然なってないし。

野矢氏の本は上手くまとまってると思うけど、かなり突っ込んだ
解釈もあるような気が。
大森氏がアウグスティヌスと同様の時間論を選択したとは思えない。
確かに、『時は流れず』にそういう表現も一部あるのだけど。

162メビウス@管理者:2012/07/19(木) 21:27:05
大森氏が時間の矛盾を自覚しながらも変化を否定し切れなかったのは、
永井氏や入不二氏、そしてマクダカートがつまずいたのと同じ「現実性」の
問題が背景として存在していたからだろうと思う。
これは>>154-157で書いた問題。

163メビウス@管理者:2012/07/19(木) 21:34:49
ここで改めて、ハイデガーやパルメニデスとは違った視点から、そもそも
「在る」とはどういうことなのか問わなければならないような気がする。

時間・変化を存在者の「性質」と考える私の立場からすれば、「在る」とは
現実性を有した存在者そのものであり、その現実性とは、「無いものが在る
ものになる」という性質のことなのだ、と考えるしかないような……。

164メビウス@管理者:2012/07/21(土) 02:07:47
「今」の「リアル」という特権的性質が確かに問題の焦点なんだけど、
そのリアルには確かに「幅」がある。実在としての時間的な幅というのでなく、
「無いものが在るものになる」という性質としての幅。

これは一瞬でも「持続」として感じられるクオリアがそうだともいえるし、
一瞬でなく一年でも一生でも同じことであるような……。

165メビウス@管理者:2012/07/21(土) 02:13:01
入不二氏は「今」が変化して過去になり未来が到来するというのでなく、
変化を否定して「現実性が推移する」と考えたのだけど、
>>164のような考えなら、一生丸ごと「現実性」がある、としても矛盾では
ないような。

166メビウス@管理者:2012/07/23(月) 23:20:52
上で書いた現実性の問題について永井・入不二両氏が対談するそうな。
http://www.asahiculture.com/LES/detail.asp?CNO=164064&userflg=0

地方に転居したんで行けないけど、まあどうせ両氏の問題提起の仕方から
すると説得力のある論理的な解答は得られないだろうと思うし。

167メビウス@管理者:2012/07/26(木) 21:36:00
>>166のリンク先に
>現実性は可能性や必然性とならんで「様相」の一種だとされる

とあるけど、これは事実そうだろうと思う。
問題はその「在り方」。
永井・入不二両氏はその「在り方」の問い方を間違ってるんじゃないかと思う。

168メビウス@管理者:2012/07/26(木) 21:48:47
「我思うゆえに我あり」というのは現象的意識とされる。
現象的意識とクオリアの違いは、クオリアが単純な知覚であるのに対して
現象的意識は持続的な意識であるとされるが、本質的な違いはない。
「持続的に感じられる」というのも一個のクオリアかもしれないからだ。
ならば「我思うゆえに我あり」も一個のクオリアかもしれない。

ならば、「私は丁度十年前には映画を見ていて、今この瞬間は哲学的問題を
考究している」という思い、またその思いの対象となっている「過去自体」
もこれから先の人生も丸ごと含めて一個のクオリアかもしれない。
これは自分の考えとして「一元論」のページに書いたこと。
で、>>164に書いたんだけど、リアルや現実性というものの本性が、
「無いものが在るものになり、在るものが無いものになる」という感覚で
あれば、それは(時間的な)幅をもっている。
ならば現実性が無くなったと思っている「過去自体」も含め、人生丸ごと
現実性がある、と考えても論理的に間違いではないように思える。

169メビウス@管理者:2012/08/04(土) 22:39:47
永井均が現実性の問題について、〈私〉と他者は「今」と「過去」の類比と
みなしたことは間違いだと指摘したんだけど、私のような時間の実在性を
否定する立場からは、この類比は正しいと思った。
「この今」は「1年前の今」と対等の立場で存在するとみなすから、
なぜ「この今」なんだと現実性を問わざるを得ない。

170メビウス@管理者:2012/08/04(土) 22:43:05
もっとも、三浦俊彦のような立場からすれば「事後確立の誤謬」なのかもしれない。

171メビウス@管理者:2012/08/07(火) 20:50:05
デイヴィッド・ルイスが様相実在論を主張したのは単なるナンセンスだと
思ってたけど、現象主義の立場からは独特の根拠があるかもしれないと
思うような。

172メビウス@管理者:2012/08/07(火) 20:51:56
とりあえず大森荘蔵のページを書き直して、次に永井均のページを
修正する必要がありそう。
今のページは〈私〉のニュアンスの変化を十分フォローしてないような。

173メビウス@管理者:2012/08/10(金) 23:20:39
ようやく「大森荘蔵――立ち現れ一元論」のページまとめおわた。
野矢茂樹の大森本のまとめみたいだけどw

野矢氏も難解で曖昧な大森哲学をよくあれだけ簡潔にまとめたと思う。
かなり恣意的な解釈もあると思うけど。

ページの方はまだ加筆修正が必要かな。
大森氏の最大の欠点は変化を説明できないことだと思う。
これはアウグスティヌスもマクタガートも同様だけど。

174メビウス@管理者:2012/08/10(金) 23:25:43
自分は変化を説明したような気でいるけど、
現実性の問題を棚上げしてるような気がする。

永井氏のページを書き直したら現実性の問題について書いてみようかなと思う。

175メビウス@管理者:2012/08/11(土) 12:42:19
永井・入不二両氏の対談って朝日カルチャーセンターの中之島なんだな。
http://www.asahiculture.com/LES/detail.asp?CNO=164064&userflg=0

てっきり東京でやるのかと思ってたけど大阪ならなんとか行けそうな。
本にしてくれればありがたいんだけど。

176メビウス@管理者:2012/08/14(火) 00:43:57
朝日カルチャーセンター申し込みしたw
大阪なら2時間ぐらいで行けるし。
現実性の問題は今の自分の最大の関心事でもある。

でもあまり期待してないんだよね。
永井氏、入不二氏とも言語哲学の枠組みで話すだろうと思うし。

糞暑い最中なんでキャンセルするかもw

177メビウス@管理者:2012/08/14(火) 00:50:29
永井氏、入不二氏に質問してみたいとも思うんだけど、
現実性の問題は簡潔に短い時間で質疑応答するのは難しいような。

178メビウス@管理者:2012/08/15(水) 23:13:52
講義参加のために入不二氏のマクタガートを再読。というか4回目。
以前は曖昧に理解してたマクタガートの形而上学をほぼ完全に理解した気がする。
大森荘蔵の時間論とほぼ同じだと思った。
時間が取れればマクタガートのページも作ろうと思う。
心の哲学にも大いに関係するし。

しかし入不二氏が自分の形而上学を述べた部分は説得力に欠ける。
やはり講義も退屈な言語の時制・人称表現の問題とかになりそうな。

179メビウス@管理者:2012/08/18(土) 22:06:36
朝日カルチャーセンター行ってきますた。
大阪駅着いて南口が見えて、さあのんびり歩いて行こうかと思ったら
いきなり豪雨キタorz
駅で40分ほど待って小雨状態になってから向かう。
まぎらわしいことに朝日新聞社ビルは2つあって、最初に入ったビルは間違い。
ようやく到着したのは4時ちょっと前。
受講者数は40人ほど。
平均年齢は40歳ぐらいで思ったより高め。
女性の数は6-7人ぐらいで思ったより少なめ。

講義の内容は明日にでも整理して雑談スレにも書きます。

180メビウス@管理者:2012/08/19(日) 22:13:13
カルチャーセンターでの講義は期待してなかっただけのことはあったw
でも両氏の講義を生で聞けたのは意義があったと思う。
著作だけからはわからない部分というのが見れたし。

講義内容は私の問題意識から外れてたので結局質問はせず。

もしまた大阪で講義があったら、講師が入不二氏なら行くかも。
入不二氏は新宿のカルチャーセンターで講義やってるそうな。
こんなことなら首都圏に住んでた時に行ってれば良かったな。

181メビウス@管理者:2012/08/19(日) 22:24:22
しかし両氏の講義から影として浮かび上がる問題があったと思う。
入不二氏の「現実性」についての問題意識は永井氏の〈私〉とパラレルで、
特権的で、それが全てでありそれしかないというあり方(全一性)ならば、
そんな異質・特殊な性質がぽんぽん生まれたりササッと消えたりするのは
不自然だろうに。二人ともその辺の問題の掘り下げが足りない。
「死んだら現実性はどうなるの?」という質問が出たのは当然でもある。
まあ、永井氏には信仰があるみたいだけど。

改めて、私が存在論の根本問題はパルメニデスのアポリアにあると見たのは
正しいと思ったw

182メビウス@管理者:2012/08/20(月) 21:24:25
結局、心の哲学と同型の問題がある。
性質二元論者が物理主義に対し、クオリアが物質やエネルギーに還元不可能な
排他的性質をもつことを強調すればするほど、ならばそのクオリアはどのように
生まれるのかという問題が浮き彫りにされてくる。
性質二元論者は苦肉の策として原意識みたいなのを想定して汎経験説を主張する
わけだが、それだとトースターやサーモスタットにも意識があるかも……
なんて一種のナンセンスに至ることになる。

183メビウス@管理者:2012/08/20(月) 21:30:02
〈私〉であろうが「現実性」であろうが、それらは物質とかクオリアなど
他に存在するどのようなものとも比較しようの無い性質、他のどのような
性質にも還元不可能な絶対的な排他的性質であるとするならば、それらは
ポンポン生まれてサッサと消えるわけはない。
もし物質の離合集散なんかで説明するなら笑い話になる。

特権性、排他性を強調すればするほど、ならその〈私〉や「現実性」はどの
ように生まれるのか合理的な説明が困難になる。まさに心の哲学のクオリア
問題と同型。

184メビウス@管理者:2012/08/23(木) 00:52:47
大森荘蔵のページを微修正。

次は永井均のページを修正するかな。
その次がマクタガート。

現象報告のパラドックスや心的因果についても書きたいけど、
まだ自分の考えがまとまってないような。

185メビウス@管理者:2012/08/25(土) 21:00:32
永井均のページ修正。

カルチャーセンターで真意を問われた「神を信じてる」という文は
『私・今・そして神』にあった。
思考実験としての神が頻繁に出てくるので記憶に残ってなかったけど、
よく読むとそのくだりは文脈を外れて自分の体験談の脈絡で出てくるので、
これは信仰の告白と受け取られても仕様がない。

永井氏の著作を読んでいる時にいつも感じていた奇妙なバイアスの謎が
ようやく解けた気がする。

186メビウス@管理者:2012/08/27(月) 00:14:31
永井均のページを微修正。

あとデリダの「差延」のページはWikipediaの引用だらけなので消した。
今後同様のページは修正していきたいと思う。

187メビウス@管理者:2012/08/29(水) 23:08:34
ウィトゲンシュタインのページを加筆修正。
なぜウィトゲンシュタインが行動主義を選択したかという脈絡にも言及しといた。
結構間違ってる部分もあった。

188メビウス@管理者:2012/09/06(木) 20:23:55
マクタガートのページを作ろうと思ったけど、
時間の本質について考えざるをえないので後回しにするしかない。
大森氏がそうだったように終生の課題になるかも。

とりあえず多忙な状況が一段落したら心の哲学の関連項目を修正していこう。

189メビウス@管理者:2012/09/07(金) 23:41:22
水槽脳に私の現象主義的な考え方を書き加えた。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/35.html

ここには一元論に通じるセオリーもある。

190メビウス@管理者:2012/09/15(土) 22:49:45
大森氏のページを書き直した。
現象主義の立場では意識のハードプロブレムは錯覚問題だと思う。
現象報告のパラドックスや心的因果、随伴現象説も同様。

諸悪の根源は科学実在論を前提とした物理主義のような気がする。

現象主義を勉強しなおしてみようと思う。

191メビウス@管理者:2012/09/19(水) 22:18:06
観念論は二つの系統があるので、それを説明しておく必要がある。

唯物論も実証主義から見れば観念論の一種なんだよね。

192メビウス@管理者:2012/09/22(土) 23:25:50
観念論のページを大幅に修正
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/60.html

種村完司の『知覚のリアリズム』は読んでる途中だけど、各種の知覚・感覚論が
纏っていて読み応えがある。
種村氏は物理主義的な立場なんで違和感のある部分も多いけど。

193メビウス@管理者:2012/09/25(火) 21:08:01
観念論のページで少し言及したけど、
現象主義のページを書き直す際には、本格的な実在論批判をやってみようと思う。

実在論を前提にするから心の哲学の様々な問題が派生するわけで。
科学哲学や科学的実在論の論文や著作を読んでもそのことに言及されてない。

実在論の致命的な弱点は二元論に陥るということだと思う。

194メビウス@管理者:2012/09/30(日) 15:45:07
種村完司は唯物論者でマッハなどを批判しながらも、実在論の立場では
心身問題が解決困難であることを認めている点でまだ誠実だと思う。

戸田山和久の『科学哲学の冒険』では、科学的実在論を擁護しながら、
その最大の欠点である心身問題に全く言及されてなくて呆れた。
科学哲学の入門書としてはいいんだけど、哲学的な感度が足りないw

195メビウス@管理者:2012/10/06(土) 21:37:59
マッハの『時間と空間』を読んだけど、さすがに難しかった。
で、木田元の『マッハとニーチェ』を購入。
マッハの思想と十九世紀の哲学がコンパクトに纏められていてかなり良い。

196メビウス@管理者:2012/10/10(水) 21:04:54
心脳同一説は間違いだと確信するに至った。

クリプキの固定指示詞と、
分割不可能なクオリアと分割可能な物質が同一だとすると堆積のパラドックスが生じること。

「脳の作用」というのも表象の一種。
「赤」という表象と、「赤を生み出すとされる脳の作用という表象」は異なるものであり、
ただ隣接関係にあるということであり、結局物質とはマッハの考えたように「記号」である
とすれば矛盾は無い。
大森氏の「重ね描き」は、ほぼこの意味であると思う。

197メビウス@管理者:2012/10/13(土) 13:29:51
よく調べるとフッサールは心の哲学と関係が薄いので、とりあえずページを消した。
ただ自分のフッサール理解は浅いので、勉強して考えが変われば復活させるかも。

198メビウス@管理者:2012/10/14(日) 00:40:29
現象主義のページを全面的に書き直した。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/124.html

次は実在論のページを書き直そう。

199メビウス@管理者:2012/10/24(水) 20:50:26
モリヌークス問題というのは面白いな。
http://www.furugosho.com/precurseurs/locke/molyneux.htm

200メビウス@管理者:2012/10/25(木) 22:16:22
観念論のページで書いてた自分の実在論批判は消した。
実在論のページでまとめることにする。

201メビウス@管理者:2012/10/28(日) 21:39:55
広松渉の『心身問題』を入手。

広松渉は左翼の哲学者だと思ってたけど、「唯物論と経験批判論」で検索したら
ガチ左翼っぽい人に観念論者だと批判されてるw
マッハ主義に一定の価値を見出しただけでこれだから、イデオロギーの色眼鏡
かけて哲学やってる人はコミュニケーション障害な人たちなんだなと思うw

202メビウス@管理者:2012/11/04(日) 23:23:45
心身並行説を修正。明らかな間違いがあった。
心身並行説の元祖はスピノザなんだから実体二元論でなく中立一元論だ罠。

適当に作ったページを今までチェックせず放置してたorz

203メビウス@管理者:2012/11/08(木) 22:34:47
廣松渉のページを大幅に加筆修正。
まあ、アウトラインだけだけど。

204メビウス@管理者:2012/11/10(土) 14:30:30
ライプニッツも修正の必要があるな。
モナド論はわかったようでわかってないような気がする。

ヒラリー・パトナムその他、Wikipediaを適当に加筆修正しただけのページも
大幅に書き直したい。

実在論のページ書き直しがいつになるかわからん。

205メビウス@管理者:2012/11/11(日) 15:04:01
とりあえずライプニッツのページを加筆修正。
モナド論における自我論は極めて難解。
また時間がとれれば勉強しよう。

206メビウス@管理者:2012/11/11(日) 21:54:21
Wikipediaの「心の哲学」ではライプニッツが心身並行説をとったと書かれてる
のだけど、そこはスピノザとすべきではないかと思う。年代的にも。

確かに予定調和説は並行説の一種ともいえるけど、一般的にはライプニッツの
予定調和説とスピノザの心身並行説は区別して解説されてると思うし。

207メビウス@管理者:2012/11/18(日) 00:28:30
戸田山和久は『科学哲学の冒険』で「道具主義」が独立性テーゼに「Yes」と
書いてあるけど、これは間違いだろう。
小林道夫『科学の世界と心の哲学』では、道具主義はカルナップにより主張され、
素粒子のような理論的存在を、マッハのような現象主義者のように「道具」とみなし、
実在と対応するものではないとする……という主旨のことが書かれてる。

実際、マッハや論理実証主義者のカルナップが取る立場なら独立性テーゼなんか認めるわけないし。

208メビウス@管理者:2012/11/19(月) 20:52:07
「実在論」のページを全面的に書き直した。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/91.html

自分の実在論批判はまだ書いてないけど。

それにしても「反実在論 anti-realism」とは紛らわしい呼称だな。
non-realismと峻別するためにanti-scientific realismとすればよかったのに。
日本語に直訳したやつも思慮が足りないと思う。
自分なら反科学的実在論と意訳するが。


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