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メビウス@管理者
:2012/04/13(金) 00:49:43
雨野さんは永井均を誤解してると思います。
私は永井の著作は数冊を除いてほぼ全て読んでいますが、
素朴実在論が成立する過程の検証に多くの章を割いた著作はありません。
なお、そのような問い自体が無意味だと言うのではありません。
しかしそれはフッサールに代表される現象学の分野の問題になります。
歴史的経緯を簡潔に説明すると、デカルトの方法的懐疑を受けてカントは
物自体を想定し、人の認識の限界を論証します。
我々は知覚によって全てを認識しているのであり、主観も客観もメタレベルの
「主観」の枠組み内で分離されたものである――これが現象主義です。
その現象主義を押し進めたのがブレンターノ、フッサールの現象学になります。
この現象学の立場では「間主観性」という概念によって客観性を説明します。
一方、カントをフッサールとは違った読み方をして実証主義を押し進めたのが
ウィトゲンシュタインです。
ウィトゲンシュタインは感覚と言語の関係を「私的言語」というテーマで考究し、
言語の公的基準の所在や、我々の客観的認識がいかにして成り立つかを論じています。
ウィトゲンシュタインの結論をごく簡潔に説明すると、主観も客観もメタレベルの
「主観」の枠組み内で分離されたものである、という現象主義の立場を一旦認めた上で、
公的基準や客観性なるものの意味の源泉は、言語にしかないというものです。
ちなみに大森荘蔵は、他我問題についてはフッサールとウィトゲンシュタインで終わっている
といいます。
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