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方言の衰退・共通語化

11名無しさん:2010/09/14(火) 23:26:36
東京都市圏の範囲(雇用都市圏)
http://ja.wikipedia.org/wiki/File:Tokyo-Kanto_definitions,_Tokyo_UEA.png

この範囲は首都圏方言への同化が激しくて在来方言がかなり危機的状況である範囲と重なるだろう。
東京へ通勤する人が多いし、東京のベッドタウン化していて、東京に通勤するために余所から移住してきた人も多い。

かつて、茨城県の取手と千葉県の我孫子は、僅か5kmしか離れていないのに、
利根川を挟んで方言が激変する場所として有名だった。
我孫子は完全な東京式アクセントで西関東方言的な音韻なのに、
取手は完全な無アクセントで東関東方言的な音韻だからだ。

しかし、戦後しばらくすると、この境界線が不明瞭になってきた。取手でも東京式の人が増えてきたからだ。
無アクセントの人が東京式化するのは容易なことではない。今でも茨城や栃木の若者が完全に東京式化していないのを見ても分かる。
取手の場合、余所からの移住が非常に多かったため、元々の無アクセントの住人が少数派になってしまったのだ。

国勢調査で見ると、1965年に2万6179人だったのが、1970年に4万0287人、1975年に5万2816人、
1980年に7万1247人、1985年に7万8608人、1990年に8万1665人と推移した。
東京近郊の都市の多くが戦後にこのような人口の激増を経験している。
移住してきた人はわざわざ在来方言を習得しようとはしなかったし、元々の住人は移住者に影響されて共通語化が進んだ。

12名無しさん:2010/09/20(月) 01:22:59
「行かなかった」という表現の世代差(八丈島、1978年調査)

           三根           大賀郷           樫立           中之郷           末吉
(老年層)A家|B家|C家|D家|E家 A家|B家|C家|D家|E家 A家|B家|C家|D家|E家 A家|B家|C家|D家|E家 A家|B家|C家|D家|E家
子      ●  ● ●× × ▲   ●  ×  ○  ● ×  ● ●  ● ●  ●  ● ▽  ●  ◇ ●  ●  − ●  × ▲
孫      ●  ×  × × ▲×  ×  ×  ○  ● ×  × ●  ● ●  ×  ● ▽  ×  ◇ ●  ●  − ×  × ▲
友達    ●  ●  ● × ▲   ●  ×  ○  ● ×  ● ●  ● ●  ×  ● ▽  ●  ◇ ●  ●  − ●  ● ▲
先生    ◎  ◎  ◎ × ▲   +  ×  ○  + ◎  ◎ ●  ◎ ◎  ×  ● ▽ ◎× ◎ +  ◎  − ×  ◎ ×
外来者  ◎  ◎  ◎ × ◎   ◎  ×  ×  ◎ ◎  ◎ ◎  ◎ ◎  ×  × ◎  ◎  ◎ ◎  ◎  − ×  ◎ ×

           三根           大賀郷           樫立           中之郷           末吉
(中年層)A家|B家|C家|D家|E家 A家|B家|C家|D家|E家 A家|B家|C家|D家|E家 A家|B家|C家|D家|E家 A家|B家|C家|D家|E家
父       ▲ ▲  ▲  ▲ ▲   ▽  ●|▲●|●□|−  ×  ▲  ▲  □ □  ■  □  ◆  ◆ ◆  ▽  × ▲ ▲● ●
子      ▲ ×  ▲  ▲ ×   ▽  ● ▲  × −   ×  ▲ ▲▽ × ×  ■  □  ×  × ◆  ▽  × ▲  ×  ×
友達    ▲ ▲  ▲  ▲ ▲   ▽  ● ▲● × −  ×  ▲ ▲▽ □ □  ■  □  ▽  ◆ ◆  ▽  × ▲  ●  ◎
先生    ▲ ◎  +  + ×   ◎  ● ■  ◎ −  ×  ▲ ▲▽ □ □  ×  ■  ×  × ◎  ◎  ◎ ▲  ◎  ◎
外来者  × ◎  ◎  ◎ ×◎ ◎  ◎ ×  ◎ −  ◎  ◎  ×  ◎ ×  ×  ◎  ×  × ◎  ◎  ◎ ◎  ◎  ◎

           三根           大賀郷           樫立           中之郷           末吉
(若年層)A家|B家|C家|D家|E家 A家|B家|C家|D家|E家 A家|B家|C家|D家|E家 A家|B家|C家|D家|E家 A家|B家|C家|D家|E家
祖父     × △  ×  △ ×  ×  ×  ■  ■ ×  ×  ■  ×  × ×  × ■× ×  × ×  △  ■  ▽ ■  ■
父       ■ △  ×  △ ×  ×  ×  ■  ■ ×  ×  ■  ×  × ×  × ■× ×  × ×  △  ■  ▽ ■  ■
友達   ■▽ △  ×  △ ×  ×  ×  ■  ■ ■  ×  ■  ×  × ×  × ■× ×  × ×  △  ■  ▽ ■  ■
先生     × ×  ×  △ ×  ◎  ◎  ■  × ◎  ×  ◎  ×  × ×  × ■× ×  × ×  △  ■  △ ■  ■
外来者   × ×  ×  △ ×  ◎  ◎  ■  ◎ ◎  ×  ◎  ×  × ×  × ■× ×  × ×  ▽  ×  △ ×  ×


●イキンジャララ
○イキンジャッタ
▲イキンナララ・イッテキンナララ
△イキンナッタ・イキンナッタラ
■イキンナカッタ・イキンナカッタラ
□イキンナカララ
◆イキナカララ・イキナカラー
◇イキナカッタ
+イキータシンジャララ・イキータシンナララ
×イカナカッタ
◎イキマセンデシタ・イカナカッタデス
▽その他
−なし・不明

13名無しさん:2010/09/20(月) 01:37:40
>>12は真田信治『方言の日本地図-ことばの旅-』p.85、講談社、2002年から引用した。
元の出典は沢木幹栄「地域差と世代差と場面差」『方言の諸相』三省堂、1985年。

八丈島には、三根(みつね)、大賀郷(おおかごう)、樫立(かしたて)、中之郷(なかのごう)、末吉(すえよし)の
5つの集落があり、それぞれ固有の特徴があって互いに聞き分けられる程度に方言が違っていた。
この調査では、それぞれの集落から5家族を選んで、「行かなかった」という表現に対応する形式として
どのような形を用いるかを場面ごとに調査し、3世代の世代差を見たもの。

例えば三根のA家なら、老年層の人は子供・孫・友達に対しては「イキンジャララ」、
先生や外来者に対しては「イキマセンデシタ」を用い、
中年層の人は父・子供・友達・先生に対して「イキンナララ」、外来者に対しては「イカナカッタ」を、
若年層の人は祖父・先生・外来者に対しては「イカナカッタ」、父に対しては「イキンナカッタ」、
友達に対しては「イキンナカッタ」かその他の形を用いていたことが分かる。

恐らく元々の固有の形式は「イキンジャララ」で、それより新しい形式として「イキンナララ」がある。
若い世代は共通語と同じ「イカナカッタ」に変わりつつあるが、いきなり共通語と全く同じに変わるのではなく、
「イキンナカッタ」「イキンナッタ」のような方言と共通語が混交した中間的な形の段階を経ている。
改まった場面では「イキマセンデシタ」が侵入しているが、若年層ではこれをまだあまり習得してないのも興味深い。

この元の調査は1978年で、既に32年が経っている。約1世代の年月だ。
若年層は中年層、中年層は老年層になり、老年層の人はほとんどが既に亡くなったと思われる。

真田は2002年の段階で以下のように述べている。
>ただし、この調査から四半世紀後の現在、八丈島の状況にはきびしいものがあります。
>とくに若年層ではほぼ完全に東京語の体系に変化してしまっています。

14名無しさん:2010/09/20(月) 01:46:51
真田は2002年の同書の204-206頁で以下のように述べている。

> 日本語の場合、そこにはあくまで言語変種感の闘争があるのであって、
>日本語という言語が消滅するわけではありません。しかし、言語変種としての
>純粋(伝統)方言の記述調査は、掛け値なしで、ここ数年が勝負である、
>と私は考えています。

> 本当に純粋方言というものが存在するのかどうかは実はわからないのですが、
>私の経験では、少なくとも今までの教科書に載せられていたような伝統的方言を
>確実に記述することができるのは、やはり明治生まれの人が最後のような気がします。
>大正生まれになるとかなり変形しているように思われます。たとえば、富山県での
>調査データで見ますと、沿岸部や平野部の山間よりの地域における、中舌の母音、
>いわゆるズーズー弁的要素は、もう明治の生まれでないと聞かれないという実態があります。

> また、たとえば八丈島方言。この方言ではもう少しの余裕さえ残されていないほどに
>深刻です。中年層以上の世代をのぞけば、わずかな方言語彙、わずかな方言語法を
>知識としてもつだけで、話せないどころか聞き取りもできない、といった状況にあります。
>中高年層でさえ、地区によっては東京語による侵食が著しく、体系的な伝統方言の
>所有者はすでにまれな状態で、これまでかろうじて保たれてきた独自の体系が、ほぼ完全に
>東京語の体系に置き換わり、今まさに絶滅しようとしています。若年層では地域差が
>ほとんど感じられないほどに東京語化が進んでいるのです。

> さて、現在のウチナーグチの使用度ですが、状況としては、ほぼ、
>・六〇代以上:概ね自由に操れる。
>・三〇代〜五〇代:聞けばわかるが正しく話すことはできない。
>・二〇代以下:聞くことも話すこともほとんどできない。
>といった様相にあります。ウチナーグチも、まさに危機に瀕している言語なのです。

15名無しさん:2010/09/20(月) 09:32:46
>>14
乙。うちなーぐちもヤバイのか
テレビではイントネーションが違う発音してるから
余り気にならなかった

16名無しさん:2010/09/20(月) 16:15:26
>>15
ウチナーヤマトゥグチを話す若者はいるけど、あれは共通語がウチナーグチの干渉を受けて少し変形したという程度のものだからね。
もはや琉球方言ではなく本土方言の変種。音韻、文法、語彙などどの面にも方言の干渉はあるけど、基本は共通語。
アクセントは比較的在来方言を継承しているらしいが、若い世代はそれも共通語のものに変わりつつあるらしい。

逆に、方言を喋ろうとするときに、共通語の影響を受けて本来の方言にない形を作ってしまう
ヤマトゥウチナーグチというものもあるようだ。中には本来の方言の意味と違ってしまって誤解を産むものもある。

例えば「消す」「悲しい」「新しい」を方言風にして「ケースン」「カナサン」「アタラサン」という。
ところが、本来のウチナーグチで「消す」「悲しい」「新しい」は「チャースン」「ナチカサン」「ミーサン」という。
そして、本来のウチナーグチの「ケースン」「カナサン」「アタラサン」には、
それぞれ「返す」「愛しい・可愛らしい」「惜しい・勿体無い」の意味がある。

17名無しさん:2010/09/20(月) 20:35:39
>>15
アクセントが沖縄訛りなだけで「ウチナーグチ」は話してないし、若者はウチナーグチを理解しない。
ちょっとしたウチナーヤマトグチを使うのみ。

18名無しさん:2010/09/20(月) 20:37:48
カナサンが 愛おしい 可愛らしい というのは大和んちゅの俺でも知ってるのに、
そんな変な意味に変えて使ってるやついるの!??

てか何故そんな偽ウチナーグチが出来タンだw

19名無しさん:2010/09/20(月) 20:46:04
>>18
共通語の「い」「しい」をそのまま「サン」に変えてとりあえずウチナーグチ風にしてみたということだろうね。

他の話として、若い人が酒の席で、酒を注いで他の人に渡しながら、
「これを飲んで回してください」という意味のつもりで「ウリ ヌマーニ マーシミソーレー」と言ったそうだ。
ところが、「回す」を「マースン」としてしまったのは間違いで、本来のウチナーグチなら「ミグラスン」だ。
そして、「マースン」には「死ぬ」という意味があって、「これを飲んで死んでください」という意味になってしまったそうだ。

このように、若い世代はもはやウチナーグチのネイティブではないために、
無理に方言を使おうとしても、共通語から単純に変換してしまい、正しい形を使えないことがあるようだ。

20名無しさん:2010/09/20(月) 21:06:53
まじか・・・それ年寄りが聞いたら・・。

21名無しさん:2010/09/20(月) 21:28:44
>>20
というか、若い人がわざわざ方言を使ったということだし、敬語の形だから、
多分年寄りに酒を注ぎながら言ってしまったってことだと思うw
その場で相手が怒ったのか笑ったのかは分からないけど。

22名無しさん:2010/09/20(月) 23:41:28
沖縄の小中学校では週に二時間「琉球語(うちなーぐち)」の授業を設けるべき。
石垣島や八重山諸島は、それぞれの方言の授業で。

23名無しさん:2010/09/21(火) 00:05:18
カタルーニャ語ぐらいの地位に復活させろよ

24名無しさん:2010/09/21(火) 00:07:33
なんていうか、中途半端にしゃべれる人なら結構いるんだろうけど
早くしないと本当にちゃんとしたウチナーグチを話せるネイティブが絶滅してしまうね

フィジャ・バイロンのウチナーグチはどうなんだろう?
ちゃんと研究してるぐらいだから結構正確なんだろうけど、それでも年齢的にネイティブとは言えないだろうし

25名無しさん:2010/09/21(火) 01:14:56
沖縄に限らず、>>14のように、本当に「ちゃんとした」「純粋な」方言の話し手は、
2010年になった今、ほとんどの地域では「既に絶滅した」と言ってもいいぐらいの状況だろう。
明治45年生まれ(1912年生まれ)ですら既に98歳だ。もうほとんどの人が亡くなっている。
100歳以上が4万4449人だというから、明治生まれは残り5万〜6万人程度だろう。
仮に生きていても元気に喋れる人は少ないだろうし、周囲に同世代もほとんどいないだろう。

もう「純粋な方言」を直接収集することはほぼ不可能だろう。2000年代前半が最後のチャンスだった。
多少の共通語の影響には目をつぶって、80代後半の人の方言を記録し、
本人の使う言い方だけではなく、親や祖父母の使っていた言い方を思い出してもらえば少しは手がかりになるだろう。
ただし本人の使う言い方じゃないとどうしても信頼性は落ちる。

26名無しさん:2010/09/21(火) 01:21:05
うん。そうだね

みんなが日本語をしゃべらなかった時代の沖縄を見たい

27名無しさん:2010/09/21(火) 01:31:45
http://www.youtube.com/watch?v=CAv_AEf3wDI
あの動画を字幕つけてうpされてるね
たまににほんご

28名無しさん:2010/09/21(火) 01:38:11
http://www.youtube.com/watch?v=nBcBFGs_Seo&feature=related
東京式風で・・

29名無しさん:2010/09/21(火) 03:31:10
100%ウチナーグチで話す98歳のオバー
http://www.youtube.com/watch?v=l-iMX2Dt45M&feature=recentlik

30名無しさん:2010/09/21(火) 04:08:43
津軽弁で話す?地元の人々@蟹田駅
http://www.youtube.com/watch?v=mqc8YG39354&feature=related


これマジで分からんな
ネイティヴなリアルな会話

31名無しさん:2010/09/25(土) 03:46:38
宮古方言
http://www.youtube.com/watch?v=GBnM6pdwZGQ&fmt=18

32名無しさん:2010/09/25(土) 04:38:34
http://www.youtube.com/watch?v=JZOUjhEOUq0
おお!沖縄語の通訳という光景だ!!!

33名無しさん:2010/09/25(土) 04:52:32
>>32
北のことは「にし」って言うのか。ややこしや

34名無しさん:2010/09/25(土) 22:17:01
>>33
琉球方言では、基本的に、東は「あがり」、西は「いり」、北は「にし」、南は「はえ」に由来する形を用いる。
これが共通語化に伴ってどう崩れているかも興味深いな。
まず、共通語と琉球語で意味が違う「にし」が使われなくなって、西が「いり」、北が「きた」となったあとで、
西に「にし」が入り込むという過程を経ると予想できる。

35名無しさん:2010/10/06(水) 01:09:42
テレビがない時代は語彙や語法が共通語化しても音韻やアクセントはほとんど変わらないものだったけど、
テレビが登場してからは、音韻が非常に大きく変化し、アクセントも各地でかなり変化してきている。

テレビがない時代は、無アクセント方言の人は共通語も全く無アクセントでしか話すことができず、
しかも無アクセントで話している自分と共通語アクセントで話している他の人の違いを認識することができなかったが、
今の無アクセント地域の若者の多くは、他の地域に行けば大体はそれらしく共通語アクセントを操ることができる。
アクセント知覚もそれなりに身につけてきている。

36名無しさん:2010/10/06(水) 14:26:30
>>35
>アクセント知覚もそれなりに身につけてきている。
この判断にだけは、いくつかの実証研究にもかかわらず、俺は絶対反対。
彼ら無アクセント方言話者は、
共通語アクセントを、「イントネーション」として理解しているだけで、
「滝の位置」という「音素(かぶせ音素)」として知覚しているわけでは決してありえない。
というのは、某掲示板で、「笑撃的な茨城人」のレスを見てしまったからだ。
「自称アクセント知覚のある茨城人」曰く:
「首都圏方言での「神戸(兵庫県の港町)」の発音が『平坦化』している」
と主張したんだ。最初は、一体彼が何を言っているのか全く誰もわからなかった。
神戸弁の話?京阪式の話に飛んだ?と、とんちんかんなレスが続出した。
そもそも彼のレス自体が、全くの意味不明だからだ。

要するに、彼は音の高低をイントネーションとしては聞き取っていても
「滝の位置の知覚が全くできていない」から、
こういう有アクセント話者には宇宙人の書き込みとしか思えないような内容を、
平然とできてしまうということになる。
ここが実証研究の落とし穴で、
「単語ごとに、首都圏方言っぽくイントネーションに差異をつけられること」と
「乙種アクセントの型知覚を獲得したこと」は、実は全然違う。
少なくとも、水海道から仙台までの常磐無アクセント圏母語話者は、
転勤族以外、首都圏方言アクセントの知覚を獲得できた者などだれもいないというのが
真の状態だろう。

37名無しさん:2010/10/06(水) 17:06:54
ウチナァンチュも「方言」とか言ってるが、
まず「方言」などと言う認識を変えないといけない
俺はウチナーグチに敬意を払うべくフィジャ・バイロン氏のようにウチナーグチ、方言あいびらん沖縄語と言っているが、やはり「語」と言う認識は残念ながら一般的ではないから、実際はれっきとした言語を勝手に日本語の「方言」なんていう方が失礼なのに、
とくに言語学をやっているような沖縄人でなければ「沖縄語」と言うと、「沖縄は日本だ」と言う風にキレられて差別して馬鹿にしてるように思われてしまうのが現状。


最近言葉狩りが流行ってるけど、いっそ「方言」こそ差別用語にしたら良いと思う。
名古屋の河村市長の言うように「〜言葉」と言えば良い。

どうでしょうか?

東京と対比させて、劣ったものというニュアンスのある「方言」という言葉は要らない。
考えれば考えるほど差別用語だな。

「方言がない」なんてへんてこりんな認識をみてもわかる。
それぞれ平等に、独自の言葉がある。その意識に変えることが必要。

38名無しさん:2010/10/06(水) 19:32:51
>>36
そのスレにはリアルタイムでいたし、レスもしたので、彼のアクセント知覚が怪しかったのは確かだと思うが、
実際は東京式の型知覚を身につけている人は珍しくないだろうよ。
今の時代、テレビがあるんだから、地元人との会話よりテレビのほうで主に母語を身につける人だって全く珍しくない。
たとえ両親が無アクセント地域出身で、生まれてから無アクセント地域を離れたことがない人だろうと、
両親が東京式地域に長期間住んだことがあり、「イントネーション」としてでも東京式を真似することができる人で、
家庭内では両親との間でも共通語を用い、学校などでの友人の会話があまり多くなく、
友人の方言を積極的に学ぶ姿勢もなく共通語志向で、そして一日何時間もテレビを見ているような人ならば、
無アクセント話者の影響を受けて多少アクセントが揺れるにしろ、アクセント知覚を身につけることは普通にできるだろう。
そして上のような状況では現代では決して珍しくないはずだ。

39名無しさん:2010/10/06(水) 21:20:01
テレビが無かった時代の無アクセント話者は、イントネーションとしても真似することもできず、
東京の人が「端」と「箸」を順番に言って何か違わないかと言っても「何言ってるんだこの人、同じだろ…」という感じだったらしいから
それに比べたら、時々変になるにしても大体東京式らしい音調で発話できるだけでも相当な共通語化だろ
しばらく会話しても無アクセント地域出身と分からない人も多い

40名無しさん:2010/10/07(木) 16:45:45
なら無アクセントの人って歌もめちゃくちゃ音痴・・?

41名無しさん:2010/10/07(木) 19:48:50
>>40
別に無アクセントの朝鮮語やフランス語と複雑な声調を持つ中国語とで
歌における話者の音感に差があるとは聞いたことがないから関係ないだろう。
歌では音感があるんだろうが、言葉を話すときには、音の高低を語の区別などのために弁別する習慣がないというだけだろう。

42名無しさん:2010/10/07(木) 21:59:55
>38
×彼のアクセント知覚が怪しかった
○彼の(滝を音素として弁別する乙種の)アクセント知覚は全くゼロ

「神戸(こうべ)」の首都圏方言アクセントを「滝無し」と判断するということは、
首都圏方言のアクセント知覚のテストとしては、明らかに「0点」だ。
100点満点の部分点でも1点たりともあげられない。全くの0点。
他のどんな「音程の高低」を聞き取れて、実証的に部分点を稼げそうでも、
この点が致命的であるという以上、
他の「聞き取れるように見えた要素は全部まやかし」であって彼の点数は明らかに「0点」だ。

あの場に(ネット上で)居たのなら覚えていると思うが、
彼は「京都」の首都圏方言アクセントも「平坦化」していると主張したはず。
「京都」「神戸」は、やや意地悪な聞き取りテストではあるが、
これができない以上、彼は「0点」だ。
おそらく、「無アクセント方言地帯若年話者の乙種アクセント獲得」なる実証研究の大半は、
このまやかしに嵌っているだけだと思われる。

43名無しさん:2010/10/07(木) 22:16:58
>>38>>39
>>40
無アクセント方言の場合、母音を発音する場合の音程の高低は、
実は感情から待遇表現まで表現する「イントネーション」の独占領域となっている。
音程の上げ下げをしても、単語の弁別にかかわらないので、
自由自在に音程を上げ下げして、典型的には話者の微妙な感情を表現する。
常磐地域の「〜ぺ」の音程の微妙な高低に込められた話者の意志や感情は、
有アクセント方言話者としては聞き取りが難しい。
(俺自身、山形県内陸で「〜ぺぁ」の発話ごとのニュアンスの理解に苦労した。
微妙な上げ下げが、肯定/否定、承認/疑念など、複雑なニュアンスをもつ。
しかもこれが自立語のイントネーションと連動するから複雑怪奇になる。
何より、有アクセント話者は、どうしても
音程を弁別音素として理解「してしまう」から、本当に意味不明になる。)

だから、「イントネーションとして音程を真似すること」はそんなに困難ではない。
だが繰り返す通り、これはオウムの「発話」と同じで、
音素を弁別して意味を理解しているわけではない。

44名無しさん:2010/10/09(土) 08:47:07
>>42
彼一人のレスを随分針小棒大に受け取っている気がするけどね。
彼が仮に0点だとして、他にアクセント知覚を獲得したひとが「だれもいない」なんて、
近年の共通語化の程度を舐めているんじゃないだろうか。

「常磐無アクセント圏母語話者」の定義がどうなのか分からないけど、
転勤族も多い都市部なんて、無アクセント圏に育ちながら東京式の共通語を母語とする人もゴロゴロいるだろう。
親や祖父母が無アクセント圏生え抜きで、周囲にもそういう生え抜きばかり、テレビもあまり見ないという人なら知覚無しだろうけど。
今じゃそんな純粋な環境の人も減っている。

たとえ無アクセント圏でも東京式のほうに多く触れながら育つことは珍しくないだろう。
そうでも無ければ、いくら元々有アクセントだろうと、他の地方でこれほどアクセントの共通語化は進まない。
もはや親からではなくテレビからアクセントを身につける人が多いことを示している。かなりの割合の人の言語的な「母」はテレビなのだ。

45名無しさん:2010/10/09(土) 13:35:23
>>44
テレビテレビテレビテレビテレビテレビテレビテレビテレビテレビテレビテレビテレビテレビテレビテレビテレビ
というけれど、
テレビの影響を過大評価しすぎだと思う。
というのは、日本の多くの地方で、若年層で劇的に方言の衰退が起きたのは
90年代後半から今世紀初頭にかけて。
ところが、この時代、すでに「テレビ離れ」は顕著なものになっていて、
若年層はテレビを見なくなっている。
老若男女みんながテレビに熱中したのは、1970年代から80年代にかけてだが、
この時期は、各地方の方言の態様は比較的安定していた。
むしろ学校系新方言があちこちに生まれた時期で、首都圏方言の浸透は顕著ではない。
「トレンディードラマはトレンディードラマ。俺らは俺ら。」だった。
若年層が軒並みテレビを見なくなって、
「(特に出現当時は音声と縁遠かった)ネットやメールで意志疎通する社会」に移行した時期に、
なぜか諸地方の方言がガタガタになっていった。確実に理由は別のところにある。

テレビは過大評価すべきではない。
そもそも前段階で「ラジオ」というのがある。言語とはまずは音声なのだから、
ラジオの出現のほうが、よほど破壊力が強いものだったはずなのだ。

46名無しさん:2010/10/09(土) 14:13:55
>>45
言葉が最も影響を受けるのは、いわゆる「若者」の10代後半〜20代頃より、
むしろ「子供」の部類に属する3歳〜18代前半の年代だろうから、
そういう年代がテレビを見なくなったのかどうか考える必要があると思う。
いわゆる「テレビ離れ」はある程度成長した年齢の話で、子供は相変わらずテレビに影響を受けているのでは?

「日本の多くの地方で、若年層で劇的に方言の衰退が起きたのは90年代後半から今世紀初頭にかけて」という指摘は興味深い。
確かにそういう感じの地域(30代より上と20代より下で方言の濃さが全然違う)もある。
ただ、やはり言語形成期におけるテレビの有無(70代より上と60代より下)には断層を感じる。
30代より上と20代より下に第二の断層ができているということだろうが、一体なぜそこに断層ができたんだろう。

そもそも本当に40代〜50代では安定していて、30代〜20代で劇的に衰退した(そこで衰退が加速した)んだろうか?
体感的には何となくそんな気もするが、それを示すはっきりした定量的なデータでもあるとありがたい。

47名無しさん:2010/10/09(土) 17:33:33
>>46
>言語形成期におけるテレビの有無(70代より上と60代より下)には断層を感じる。
俺は、この見解自体にかなり強い疑念がある。というか理由を全く支持できない。
直系家族制度が強い東日本の、特に団塊世代あたりで特に顕著だが、
「家業を継いだ長男」と「東京や大阪に出た二男三男や他の町に嫁いだ女子」で、方言継承に決定的な断層がある。
後者をみると、確かに60代と70代で明確な差がみられるが、
前者は、場合によっては戦前世代のほうが「(戦前教育の)国語標準語が達者」だったりする。これは徴兵制の結果。
後者の場合、なんだかんだ言って移住先の都市の方言を覚えていく。
東京なら(形成期の)首都圏方言だし、当時は大阪移住組も多く彼らはぎこちないながら「関西弁」を覚えていった。
つまりテレビのせいというのはおそらくみかけの話で、
高度成長期の強烈な人口流動のおかげというのが正しいのだろう。
同じように考えると、90年代末から今世紀10年にかけての様相も明らかになってくる。
この時期、地方に起きた最も強烈な現象は、「地方都市の中心市街地の完全壊滅」だ。
人口数十万クラスの地方都市の中心部が、人一人歩いていないシャッター街となり、
江戸時代以来の文化的求心力を完全に喪失した。要するに「全国総ジャスコ化」だ。
新方言を見るとわかるが、新方言を生むのは純農村ではなく地方都市であることが多い。
古くからの地方ごとの「言語的求心力」が、大店法改正の直撃を受けて完全壊滅した結果、
地方ごとの方言というものの存立基盤が破壊されたのではないか?

48名無しさん:2010/10/09(土) 18:19:46
2chには新説を吹聴したいちょっと賢めの人が多いさかい。

49名無しさん:2010/10/10(日) 10:20:33
>>47
確かに地元を出たかそうでないかで、団塊世代あたりでは人によって方言の濃さが全然違うな。

面白い考察だけど、仙台とか名古屋みたいに、中心市街地がまだ栄えていて
ジャスコ化、シャッター街化してないところでも方言の衰退が激しいのはどう説明する?
単に人口移動で説明できそうな気もするけど。

大都市圏では人口移動、中小都市圏では市街地の壊滅で方言が衰退したということ?

50名無しさん:2010/10/10(日) 11:06:42
>>49
概ねそんなところじゃないかなあと、俺は思っているよ。
中核都市クラスの大都市の場合、中都市よりも東京企業の転勤族子女が多い。
非常に興味深いのが名古屋で、名古屋市東部の強い首都圏方言化は80年代には始まっている。
名古屋市東部の丘陵地帯に藤が丘という地域があるんだが(ほぼ東名高速名古屋IC周辺)
86年のローカル朝番組で、転勤族の町、藤が丘の子どもたちの特集があった。
そこでは地元民も含めた小学生たちが、見事な首都圏方言を操っている。
これが昨今の名古屋の強烈な首都圏方言化の契機だったことは確実。
問題は「なぜ80年代には山手だけだったのに90年代以降山を下りて全域を席巻したのか」という話で、
これは、さまざまな理由があるように思う。
一つはこれに抗する「(原義の)ダウンタウンの地場の都市文化」が脆弱だったこと。
支店経済にも関わらず比較的方言継承がうまくいっている福岡と比較すると、
名古屋は、博多に残るような「伝統的町衆の文化的結束」が既に破たんしている。
博多祇園山笠のような強い共同体を前提とする都市祭礼が絶滅したことでもわかる。
もうひとつは、同一ブロック内からの移住者が名古屋方言をマスターする契機に欠けること。

51名無しさん:2010/10/10(日) 11:34:12
俺自身が、テレビの影響力を非常に小さく評価しているのは、次のような事実が認められると考えているから。
昭和50年代の全国的な「関西漫才ブーム」とともに、
テレビ番組で地のトークにおいても「関西弁(緩やかな京阪共通方言)」が事実上「解禁」された。
(「関東(江戸)系芸人」だったビートたけしが「テレビにおける関西弁の席巻」を予言したのは有名)
これ以来30年あまりにわたって、京阪式アクセントは全国ネットで流れ続けているが、
首都圏でも「関西芸人の関西弁シャワー」を浴び続けた「お笑いファン」は多数いたはずなのだが、
結局誰一人として、京阪式アクセントを習得できた者はいなかったという事実がある。
精々アクセントが「ひっくり返る」位で、それ以上の体系的習得はテレビでは困難なのだ。
同じことが>>35にも言えるはず。
アクセント習得というのは、どこまでも「エントロピー法則的」であって、
より単純な母語話者が、テレビくらいで複雑なアクセントを習得することは困難。

52名無しさん:2010/10/10(日) 12:11:39
京阪式はあくまでもお笑いの言葉で、「標準語」のような威信・威光までは伴っていなかったというのが理由なんじゃないか?
もし近代以降京都や大阪の方言を基盤に標準語が制定され、テレビのアナウンサーまでもが京阪式アクセントで話していたら、
今頃各地で京阪式化(表面上の「イントネーションの真似」に近いものも含めて)が起こっていたと思う。

現実の東京式化よりは遅れていただろうし、元々京阪式の地方以外では、高起式と低起式の区別が怪しい垂井式もどきが大量発生していただろうけど。
そういう世代の子供の世代はほぼ正しい京阪式を身につけていただろう。
無アクセント地域でも、東京式をイントネーションとしてでも大体真似できる世代が生まれたら、その子供はほぼ東京式を身に付けられる。

北海道では、入植第一世が京阪式地域の場合、二世は京阪式、三世で曖昧化が起こって無アクセントに近くなり、
四世で北海道共通アクセント(北奥羽式)に変わったようだ。
また、一世が無アクセントの場合、三世までは無アクセントで、四世でやはり北奥羽式に変わった。

もし無アクセント話者の一家が有アクセントの地域に移住した場合、一世と二世は無アクセントだが、三世ではアクセントを獲得するに至る。
現代では、テレビもあるし、大都市圏や中都市圏では周囲に転勤族の東京式話者もいるだろうから、有アクセント地域に移住したのに近い状況だ。
戦後すぐの団塊世代を一世として、団塊ジュニア世代が二世、その子供が三世。

54名無しさん:2010/10/10(日) 18:42:20
確か西南九州式の地域でも今は共通語化が起きて、東京式のようなn+1種類の型がある体系になりつつあるようだけど

55名無しさん:2010/10/18(月) 04:03:07
あと30年もすれば、仙台や郡山や水戸や宇都宮、福井、宮崎などでも、
東京と変わらないアクセント知覚を持った若者がどんどん増えてくるだろう。
表面上は東京とほぼ変わらない言葉を話せる世代が親になるから。
アクセント以外でも同じだ。

今は方言安定期だなどという人がいるが楽観的すぎて、
今の若者の子供世代で完全に各地の方言は壊滅するだろう。
各地の新方言は伝統方言を捨てるまでの中間段階に過ぎない。
既に共通語と単純対応するようになった新方言が多く、完全な共通語・首都圏方言への移行は容易だ。
次の世代は明治・大正生まれの濃い方言に触れる機会もない。
若い世代でも比較的安定していた感情や程度を表す形容詞や日常動作を表す動詞すら使用頻度がどんどん下がっている。

56名無しさん:2010/10/18(月) 19:07:11
東大生でもちゃんと京阪式でしゃべってる人かっこいい

57名無しさん:2010/10/22(金) 03:39:18
言葉を意思伝達の道具だけと捉えるならば、世界の言葉は世界共通語の英語さえあれば良いということになります。
しかし、言葉はそれを母語とする人々にとっては、心の故郷、アイデンティティの拠り所であり、かけがえのないものです。
自然も生物も、そして人間が創り出した文化も多様性があるからこそ、私たちが生きるこの世界は豊かであるといえます。
言葉においてもそれは同じではないでしょうか。
一言語社会と、地域語(方言)・共通語(日本語)・英語の使い分けができるような多言語社会とどちらが好ましいのでしょうか。

http://www.yorontou.com/minzokumura/modules/tinyd0/index.php?id=3


その通りや!!

58名無しさん:2010/10/24(日) 22:25:05
共通語と伝統的方言の両方を使うというバイリンガル主義はそんなに難しいことだろうか。
日本人はとにかく、一つの言語を身につけるには他の言語を捨てなければ無理だという感覚が強いように思う。
60年代頃までの方言撲滅運動も、標準語を身につけるには方言を捨てなければ駄目だという考えで行われたわけだし。
バイリンガリズムの考えが日本には無かったのだろうか。

59名無しさん:2010/10/24(日) 23:23:14
ウチナーグチのような独立言語レベルの差があるものを日常的に用いている人ならバイリンガルで良いよね。
ただ、中途半端な方言を使ってる人には差異が少ないから統一される感じになるのだろう

60名無しさん:2010/10/25(月) 19:30:38
俚言ってこれまでに出版された俚言集に記録されているものでほぼ全部なの?
それとも結構捕捉されていない語があるの?

61名無しさん:2010/10/25(月) 21:01:29
比較的大きな都市で、大正・昭和生まれあたりまで使われていたような語なら大体記録されてるだろうけど、
使われていた地域に大都市がなく、たとえば使用人口が10万人以下だったりとか、
明治30年代生まれ以前までしか使っていなかった古い俚諺とかだったら、相当取りこぼしがあるだろうなあ。
俚言集の充実度にも地域差があるから、それなりに使われていたのにたまたまその地域の俚言集が少なくて
記録されないまま消えてしまった語も相当あるだろう。

元々俚言が消えるというのは今に始まったことじゃなく、江戸時代以前から各地の方言で語彙の交代は延々と起きていたから、
どこまでを近代の共通語化の影響とみなすかという線引きもできないだろうし。

たとえ記録に残っていても、それが語彙の形を完全に記録しているかというとまた別問題。
大半の俚諺集は語彙を普通の仮名で書いていて、アクセントもないし、細かい用法も用例もない。
共通語と音韻体系が異なる方言では、方言にある発音の区別が反映されていないこともある。

たとえば東北方言なら、語中のカ行とガ行、タ行とダ行が書き分けられていない(どちらもガ行、ダ行で書かれている)ものが大半だろう。
また、エ段とエァ段の区別がある方言なども多いが、単にエ段で表記して済ませているものがほとんどだろう。
アクセントはまず付いていないから、大半の俚言はアクセント不明だし、アクセントが付いていても平板型と尾高型のどちらか不明の場合もある。
単に共通語訳を書いているだけで、共通語との意味範囲や用法の違いがあっても分からないことが多い。

62名無しさん:2010/10/25(月) 21:09:43
さらに根本的な問題は、俚言集というのは共通語と異なる語彙だけを記録していることがほとんどだということ。
共通語と同じ形の語彙は記述されない。だから、「鼻」「飲む」などを本当にその方言で「ハナ」「ノム」と言ったのかどうか分からない。
だから、ある基礎語彙を各地の方言で何と言ったか調べたくても統一的・客観的な比較に俚言集は使えない。

本来なら、各地の方言も一つの言語としての完全な体系を備えているんだから、
語彙だって共通語と同じものも含めて数万語をアクセント・用例・例文付きで詳細に記述する必要があるし、
音韻体系、アクセント体系、文法なども詳細に記述して、初めてその方言を記述したことになる。

だが、こういう記述がしっかりなされている方言というのは極めて少ない。
もっとも完全な記述に近いのは、「ケセン語」として有名な宮城県気仙沼方言だ。むしろこれしかないと言ってもいい。
東京方言すらこのような完全な記述はない。例えば静岡市部だとかになるとまともに記述されていない。
本来は、気仙沼方言のような記述が各地から出るべきなのだ。

俚言集で満足していては、その方言は単なる「変わった単語」の集まりに堕してしまう。
自分の言葉が一つの完全な言葉であるという誇りがあり、それを残したいのなら、完全な記述を目指すべきなのだ。
だが、現実にはそれには言語学的な知識が必要で難しい。優れた母語話者がすなわち優れた記述者であるわけではない。

また、現在元気に生きている世代の方言は既にかなり共通語化してしまっている。
方言の完全な記録を残すにはもう遅すぎる。明治生まれがまだかなり生きていた2000年頃が最後のチャンスだった。
もう「方言の記録」の取りこぼしは増える一方だ。

63名無しさん:2011/01/05(水) 01:44:31
絶滅危機のブルトン語、フランスは多様性と向き合えるか

ブルトン言語局によると、
20世紀初頭の時点でブルトン語を話す人は約200万人いた。
しかし今ではユネスコ(国連教育科学文化機関)の統計で約25万人に減り、
深刻な絶滅の危機に瀕している言語に指定された。

しかもブルトン語を使う人のほとんどは70歳以上の高齢者が占め、
毎年約1万人のペースで減っている。

ブルトン言語局の局長は
「ブルトン語はわれわれの文化とアイデンティティーの中心的存在」
「もし言葉を失えば、すべてを失ってしまう」
と危機感を募らせる。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110103-00000009-cnn-int

--
日本じゃなくてフランスの例だし、方言じゃなくて独自言語(ブルトン語はイタリック語派ではなくケルト語派)の例だけど、
これもかなり深刻な状況らしいね。
フランスも近代化の過程で強力に「標準語」化を推し進めてきたという点で日本と似ている。
現在の方言の残存状況はどうなっているんだろう。
オック語(オック諸語)地域の現在の老人・中年・若者の言語状況は?

64名無しさん:2011/01/06(木) 00:01:49
>>57
言語は意思伝達の道具だと思うよ。
それ以上でもそれ以下でもない。
ただ、万能の道具というものを私は見たことがない。

>>58
両方の言語を日常的に使う状況を作らないと
バイリンガリズムは成立しないと思う。

自分は、父と母が同郷で、かつ転勤族で数年ごとに異動という状況で、
方言のバイリンガルになったけど、
地方に居ながらにして・・・あるいは、
単に20歳近くになって東京に出てきた・・・という状況で、
殆ど干渉を受けずに2方言併用になるのは無理じゃないかな?

65名無しさん:2011/01/23(日) 18:08:51
方言を表記できないってのも危機的な状況だなあ。
仮名で表記できないから、名古屋弁の8母音も、多くの方言のエァも消えてしまった。
これらを書く術があれば、こういう発音があるという認識ができるしもっと安定的に発音が保たれたかもしれないのに。

66名無しさん:2011/01/23(日) 22:39:35
>>65
<アイ>と書いて[æ:]と読めばいいのではないか。東北方言の中舌母音も<シ>と<ス>を同じに発音すればいい。
aiと書いてエと読むのは英語ではザラだ。ドイツ語ならあいまい母音をeと書いていて異なる音素を<e>がかねている。スペイン語なら区別を失ったvとbを書き分けている。
同じことが仮名でできないはずはない。アイと書いたら[ai]にしかならないというのは思いこみに過ぎない。
方言の表記については、正書法として基本的に標準語と同じものを用い、
その一方で発音を表すためのピンイン的なローマ字表記を設けるという二本立てで望むのがよいのではないか。
そもそも仮名はアイウエオの5母音以外は用意されておらず、音節文字であって子音単独の表記もン以外はできない。
表記は音素と書記素が一対一に対応するのが望ましいというイデオロギーにとらわれるなら、
仮名は方言の表記に不適当ということになるだろう。
ではかわりに使う文字は何か?ラテン文字か?
しかし言語学に通じる一部の人を除いて、大衆は日本語が仮名(+漢字)で書かれているものしか目にしていない。
方言の読み書きにおいて、慣れないラテン文字表記を使わせるのは、
言いかえれば、自分たちに非常に身近なもののはずの方言が、
書かれるときには見慣れないラテン文字になるというのは大衆的には問題がある。

67名無しさん:2011/01/23(日) 22:47:15
>>66
理論的にはそれでできるかもしれないけど、結局それだと共通語の発音に吸収されてしまう。
例えば「高い」を [taɡɛ]、「寿司」を [sïsï] と発音しているとして、
それを「たかい」「すし」と書くだけでは、結局 [takai]、[sɯɕi] と発音するようになってしまう。
もっと方言的な発音であることを明示する書き方が欲しい。

68名無しさん:2011/01/23(日) 23:03:05
>>66>>67
「現代かな使いは発音通りである」という、戦後の一部の人に生じた都市伝説を啓発しないといけないからなあ。
地域や教育慣行にもよるらしいが、
助詞の「を」だけは絶対にwoと発音するのが正しい!!(ただし「女」は「おんな」になる(笑))
「通り(とおり)」と「桃李(とうり)」は発音が違う!!
などと、一点の疑いもなく主張する人が大半を占める不思議な地域がある(なぜか九州方面に多い?)。
これを何とかしないと、>>67みたいな話は出てくるだろうと思う。
だが、かき分けの方法はあり得る。
1,弁別が失われた音素は書き分けないことを明示する
2,連母音融合は、もとの音のうち後のカナを小さく書く
こんな現実的妥協案でどうだろう?
「高い(たかぃ)」「寿司(すす)」「清水小路(すずこぅず:仙台の地名)」

69名無しさん:2011/01/23(日) 23:24:09
>>67
たとえば中舌母音用に新しく仮名を作るならs&iuml;,z&iuml;,ts&iuml;,dz&iuml;の四つが最低でも必要だ。
そしてɛには全部子音がつくから、∅,k,g,t,d,h,p,b,s,z,w,j,r + ɛで13文字以上余分に必要になる。
と新しく仮名を作るのはコスト的に問題があるから除外せねばならない。
では複数の字母を一組に用いる連字はどうかというと、これも音節文字と相性が悪い。
&iuml;はiとuの中間の発音ですよということで、たとえば寿司をsiusiuと書いたとしても、見栄えが悪くないが、
仮名で同じことをやると「シスシス(shisushisu)」とか「スウイスウイ(suuisuui)」「シウシウ(shiushiu)」になる。
慣れと言えば慣れだが、見栄えがひどい。

>>68
[e:]と[&aelig;:]はどのように書き分けるのか。方言的な発音を明示するというなら
連母音の(地域ごとに異なって)複数ある音価に全て別の表記をわりあてねばなるまい。
もうひとつは、たとえば薩摩方言にある、語末のiとuの脱落したものはどう書くのか。
「かく」と書いたら、kakでなくてkakuと読まれるのではないか。

70名無しさん:2011/01/23(日) 23:48:32
最低でもこれだけは仮名で明示する方法がないといけないと思うんだが、どうだろうか。

母音

・融合連母音

・中舌母音

・開音と合音

・語頭のiとeの混同

・uとoの混同

・語末のiとuの脱落

・語中ラ行の音節の脱落とその前の音節の母音の長音化

子音

・合拗音kw

・z,d,rの混同

・セの音価[ɕe]

・語末のiとuの脱落によって生じる鼻音-m,-nが中和された-n

・hiとshiの混同

・語中のk,tの有声化

・語中のg,b,dの前鼻音化(および鼻濁音のgと破裂音のgの区別)

71名無しさん:2011/01/23(日) 23:58:01
>>70
仮名で表せる部分は普通に仮名で明示してもいいと思う。
例えば「人」が「しと」になるならそう書けばいいし、「しつこい」が「ひつこい」になるならそう書けばいい。
合拗音が残ってるなら火事は「くゎじ」でいいし、「座布団」が「だぶとん」になるならそう書けばいい。
普通の仮名表記の範囲からはみ出す部分が問題になる。そしてそういう発音の衰退が激しい。

日本語で面倒なのは、漢字で書くという点で、漢字で表記される部分の発音が違う場合、
いちいちルビを振って発音が違うことを明示するかという問題がある。
例えば「坂」を「サガ」と発音する場合どうするか。いちいち平仮名で書くのは面倒だ。「坂゛」のような表し方を見たことがあるが。

形容詞の場合、語幹と語尾が融合した場合の表し方も面倒だ。
東京のように、仮名の範囲を出ない融合ですら、「たけえ」のような形をどう表すか問題になる。「高けえ」のような書き方が多いが。

あと、ɛː をアィで表すのはやや直感に反するような気がする。「たかぃ」だと単にaiを二重母音的に発音したように思える。
原則としては悪くないんだけど。

72名無しさん:2011/01/24(月) 00:21:34
>>71
漢字で書くときに発音が分からないのはしょうがないんじゃないかな。
「坂゛」のような書き方は、有声化するのが一か所ならいいと思うが、
たとえば「あたたかい」([adadagɛ]となるとして)のように二か所以上有声化がある語を使うときはどうする?
濁点を二つ書くわけにもいくまい。
「高けえ」のような書き方、一般化していえば、用言は、融合母音を含む音節からおくるということだが、多少例外を設けざるを得ないと思う。
一つは「舞い」、マイが[me:]になるとして、融合母音を含む音節からおくるとなると「舞めー」になってしまう。
同様に「悔い」は「悔きー」になりかねない。仮に実際の方言では融合しないとしても、規則の上ではこれを処理しておかないといけない。

73名無しさん:2011/01/24(月) 01:34:45
>>69(後段)
それはもう、「方言ごとに統一すれば」それでいいんじゃないのかね。それ以上のことは出来ない。
多言語同文字の場合は、世界各国必ずそうなっている。
importantをフランス人は「アンポホトン」と読み、イギリス人は「インポータント」と読む。
(もちろん不正確であって、カタカナで雰囲気を出しただけなのであしからず)
ちなみに、連母音融合で後行のカナを小さく書くのは、モーラの緩んだまたはシラビーム性の方言限定というのが、
>>69の暗黙の趣旨だったんだけどね。
モーラの厳密な方言の場合は、大きな仮名文字でそのまま読ませるしか無い。
「だいこんと書いてデァーコン(名古屋方言)」
要するに、戦前以前の仮名づかい(契沖仮名遣いとは限らない)の発想の復活ということ。
「あふさか(逢坂)」と書いて「オーサカ」、「だいこん」と書いて「デァーコン」

74名無しさん:2011/01/24(月) 01:54:53
>>69>>70>>72の発想は、実現不可能だと思うんだよなあ。
「グローバル化」が進行して、ヨーロッパ全域が英語に席巻されたとして
Les deux principaux partis d'opposition,
le Labour et le parti centriste Fine Gael ont propos&eacute; dimanche
une sorte de march&eacute; au gouvernementを、
レス ヂュークス プリンシポークス、パータィズ・ドポジッション、
リー レイバー イート リー パータイ センチュライスト…
と読むかい?読まれないようにするかい?という話。
つまり、方言ごとに正書法を確立すればそれでよいのであって、
他の言語話者がどう読むかまで規律することは、IPAでも使わない限り、
凡そ「人間の書く文字」というものの性質上不可能。

75名無しさん:2011/01/24(月) 13:45:44
洋楽や洋画のタイトルなどで使われる"to"は「トゥー」ではなく「トゥ」と書かれるが、
みんな「トゥー」と読む。「バック・トゥ・ザ・フューチャー」でも「トゥー」だ。
「コンピュータ」「エレベータ」「エスカレータ」も、表記通りには読まれず、誰もが語尾を伸ばす。
また、「ジャンパー」と書いてあっても「ジャンバー」、
「ジャージー」と書いてあっても「ジャージ」と読まれる。

76名無しさん:2011/01/24(月) 22:34:11
>>74
共通語式に読まれないように、音韻、文法と両立する範囲内で、
故意にねじ曲がった仮名遣いを選ぶことはできると思う。
「デァーコン」は「だへこん」、「ワコナイ」は「若ぉない」というふうに。

77名無しさん:2011/01/30(日) 17:48:06
方言がよく残っていると一般に思われている近畿でも、
若い世代だと例えば母音の無声化が起こってるとか、ウの円唇性が弱くなってきてるとか、
そういう文字に現れない発音の根本から共通語に影響されてたりするけど、
それはやっぱりテレビなどの影響がある限り避けられないことなんだろうか。

78名無しさん:2011/02/20(日) 22:05:47
比較的特徴的な「ねん」を使う(伝統的ではないにも関わらず)のと、アクセントが京阪式だから残ってると思われるだけで、そんなに残ってる方ではないだろ
方言という方言はかなり消えてる

79名無しさん:2011/02/20(日) 23:19:44
アクセントも東京式の影響でかなり崩れてきてるし
文法でもウ音便が廃れてきてるなど、かなり衰退が酷い
否定に「〜ない」が混ざる奴すらいる始末

80名無しさん:2011/02/23(水) 05:49:33
>>75
学校を「がっこ」、先生を「せんせ」と発音するのは京阪式(だけではないかもしれないが)で
そういう人がリードした専門分野の言葉の発音が正書法となったけど
首都圏の非専門の人の方言ではそうではないということでは。

標準語では「がっこう」だが関西方言の「がっこ」と訓読(=翻訳)しているのだ。
「コンピュータ」「エレベータ」「エスカレータ」の「タ」にはストレス(強勢)が無いから
「ター」と伸ばさないんだけど他の方言地域では伸ばす。で仮名遣いと実際の発音に違いが生じる。

81名無しさん:2011/02/23(水) 07:26:04
>>80
「コンピュータ」「エレベータ」「エスカレータ」などは方言によるものじゃないよ。
英語の音節末の-er、-or、-arをアーと写すかアとするかの違い。
元々は技術方面で、伸ばし棒と漢数字の一が紛らわしいので省略したのが始まりらしい。
学術・JIS表記ルールと呼ばれている。
長音を抜くと2音節以下になってしまう場合は長音をつける。
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2008/0725/ms.htm
当初はどうか分からないが、今は実際に短い形で発音することも珍しくない。
特に技術方面ではそうだ。「コンピュータ」と実際に発音する人はざらにいる。
「サーバ」「データ」「センタ」

「ティー」「トゥー」は上記の例とはまた違い、
長音を省略するのが慣用になっていることが多い。
「シティ」「エヌティティ」「セーフティ」「マウストゥマウス」など。
これらは実際には確実に長音を付けて発音される。

確かに近畿方言で長音を短呼する傾向があるのは事実だが、
それらの例とこれとは何の関係もない。近畿方言とは無関係。
このスレの趣旨と違うことが分かっただろうからこの話はここでおしまい。

82名無しさん:2011/02/23(水) 09:49:39
>それらの例とこれとは何の関係もない。

じゃあそれを証明してください。

83名無しさん:2011/02/23(水) 10:23:33
>>81のリンク先の記述
>文字コードについてはメーカーが独自にカスタマイズしていた。
これは誤り。
「文字コード」ではなく「文字フォント」。
もし文字コードをメーカーが独自にカスタマイズしていたのなら
異なるメーカーで作成したワープロデータに互換性がなく、
文字化けするが、そういった事実はない。ことは少し考えればわかるはず。

そういう事に気付かないで、いいかげんなことを書いているWEBサイトを
ソースとして引用するのは見識を疑われても仕方がない。

84名無しさん:2011/02/23(水) 14:21:32
>>82
悪魔の証明?w
関係あると主張するほうが根拠を挙げるべきだろう。
どちらにしろスレ違いだからこれ以上は別のスレでやってくれ。

85名無しさん:2011/02/26(土) 15:49:41
近畿で崩れた言葉遣いをするのは、京阪式圏外から来た移住者や
親が関東人など京阪式ネイティブじゃない者がほとんど。
代々地元の人は、きちんと話す。
関東人などが大挙押し寄せてきたら言葉も関東レベルまで衰退してしまいかねんわな

86名無しさん:2011/02/28(月) 13:35:16
京阪式を脅かすのはマスコミ、転勤族、スーパーの表示

87名無しさん:2011/02/28(月) 20:51:16
>>86
最後の一つはどういうことだ

88名無しさん:2011/03/01(火) 01:01:49
>>83
いや、本当に文字「コード」をカスタマイズしているんだよ。現に文字化けは発生していた。
ヨーロッパ圏では7ビットの範囲内の記号類が国によってバラバラだったし(ISO646)、
日本では各社が追加した外字や「新JIS・旧JIS」の違いが問題になっていた。
具体的には、PC-9801が1978年の規格(旧JIS)に固執したために、
1983年の規格(新JIS)に従うプリンタで印刷すると、人名を中心にしばしば文字化けが起きた。
今世紀になっても、携帯電話会社はやたらと外字を追加して世間に迷惑をかけている。

89名無しさん:2011/03/01(火) 13:32:15
>>87
関西に出店した東京系のスーパー店頭で挽き肉をメンチと表示している。
関西弁ではミンチという。

舅、姑と同居しない関西の若い主婦は
東京系スーパーの表示で自分の関西弁の不足分を補う。
同時に東日本から出向した店員のアクセントに染まる。

従来「競争」を使ってた場面で近年は「競い合い」を多く使うようになった。
これは韓国ドラマ「宮廷女官チャングムの誓い」の影響だ。

90名無しさん:2011/03/01(火) 15:20:15
なるほど、確かに食べ物の名前ならスーパーに影響されるな。

俚言の中でも動植物の名前は衰退が極めて激しいが、
これは子供が親から伝統的な方言名を聞くのではなく、
図鑑やテレビ、近年はネットなどから標準和名を覚えるからだろう。

91名無しさん:2011/03/01(火) 18:52:06
>>88
外字は決まったコードが無いからパソコン・メーカーどころか個人単位でバラバラ。
ワープロソフト一太郎で外字を使ったらその文書データと外字フォントも一緒にフロッピーに
コピーしないとダメだった。外字をハードディスクに持っていても
同じ外字が異なる文書で同じ外字コードを使っているとは限らないから。

初期のパソコンワープロではJIS第一水準しかキャラジェネ
が無かったからJIS第2水準以上の漢字は外字扱いだった。
(当時はフォントと呼ばずにキャラクター・ジェネレータ(CGとも略した)と呼んでいた)

MS−DOS4.0時代にはプリンター解説書の最後の漢字コード表に
NECやIBMの外字コード表なんてものが載ってた。

92名無しさん:2011/03/01(火) 19:00:23
スレの趣旨から脱線しすぎw

93名無しさん:2011/03/01(火) 19:05:37
なんだかんだでアクセントが最も共通語化しにくいな。

94名無しさん:2011/03/02(水) 19:59:41
>>80やら>>89やら、この掲示板らしからぬ珍説のオンパレードだな。
これでは、素人論議ばかりと悪名高い某掲示板の「方言板」よりひどい。
「競い合い」はもともと教育用語だ。韓国ドラマなどは関係がない。
http://ci.nii.ac.jp/naid/40000717047
造語を行うときに、漢字語根から安易に造語せず、既存の和語をできるだけ用いて
用言の連用形から名詞をつくっていく(転用や一般的でなかった表現の発掘などを含む)のは、
教育学関係者(や小学校教師などの教育現場)が特に好む方法で、日本の義務教育を受けた者なら馴染み深い。
「目当て(目標とは言わない)」「気付き」などと同じだ。
「子どもにわかりやすい」という目的と別に、和語の造語力に関する何らかの信条があるのだろうな。
造語方針として和語にこだわる教育学の体質は、何でもかんでも漢字語にする哲学(特にドイツ観念論研究)の体質の対極にある。
「競い合いと思いやりを目当てに掲げて、子供たちの気づきを導き、生きる力を育てる(教育学用語)」
「先験的自由と自然因果性の中間に位置する実践的自由は自由な決意性によって感性的衝動を克服する(ドイツ観念論)」
同じ日本語でも、業界ジャーゴンの体質というのはこれだけ違う。

95名無しさん:2011/03/02(水) 21:35:36
>>80>>89の人は多分昔からこんな感じの珍説を書いてきた人だろう。
文体や説の唱え方に特徴があるから何となく分かる。
知識はあるが言語的センス(というか常識)がないのか、変な説ばかり唱える。
あまり相手にする必要もないかもしれない。ふざけてるのかもしれないし。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/10958/1295276658/92
これなんかも同じ人だろう。


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