したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

上代特殊仮名遣い

148名無しさん:2015/04/06(月) 20:27:49
ちなみに*oは一部はuに合流し、一部はoのまま残ったためオ甲の出現頻度が低くなったんだろうと思う。
傍証として森博達が分析した魏志倭人伝の日本語ではオ甲に出現頻度が日本書紀に比べて有意に高かったことがあげられる。
出現割合から考えて、おそらく2音以上の語頭のoはほぼ機械的にuに融合したのだろう。他にもアクセントなどで融合した例があるかもしれない。
時期は魏志倭人伝〜日本書紀の間、つまり3〜8世紀の間。

これは畿内の日本語だけで起こったことで、関東の日本語では起こってないと見ている。
ペラールも似たようなことを考えていて、形容詞の連体形 -eや動詞の連体形 -oは融合を起こさなかった音形だって書いている。

つまり動詞の連体形とは、語根に [何らかの子音]+oが下接したものが原型ではないだろうか。
[何らかの子音]をCと置くと、

四段動詞<<書く>> kakCo → kako (重子音は許されないため消滅) → kaku (o→u融合)
下二段動詞<<建てる>> tataCo → tataro (子音が確定) → taturu (o→u融合 + 母音が前に影響)(ちょっと説明苦しい?)
上二段動詞<<過ぎる>> cugəCo → cugəro (子音が確定) → cuguru (o→u融合 + 母音が前に影響)(ちょっと説明苦しい?)
上一段動詞<<見る>> miCo → miro (子音が確定) → miru (o→u融合)
ナ変動詞<<死ぬ>> cinCo → cin -oro (子音が確定、渡り音が挿入される) → cinuru(o→u融合)

というように、子音で終わる音の中でnだけ動きが違う
このため、[何らかの子音]Cはnで、n+nの子音重複を避けるために渡り音を挿入したのではないかと考える。
そこで、連体形の接辞は「no」ではないだろうか。

149名無しさん:2015/04/06(月) 23:10:49
まとめ。
(1世紀あたり)上代特殊仮名遣い前史はペラールの再構形である6母音体系をしていた

[日琉祖語] a e i o u ə

(3世紀あたり)この母音体系が地域によって分裂、畿内と中部あたりで一部母音が高舌化した→eの一時消失

[東日本]  a e i o u ə
[中部]    a i o u ə
[畿内]    a i o u ə
[西南九州] a e i o u ə

(3〜8世紀のどこか) 名詞化や他動詞化、自動詞化など複数の機能を持った接辞が -iに統合、母音重複が起きまくって融合的な中舌母音が発生

[東日本]  a e i o u ə
[中部]    a i o u ə
[畿内]    a i o u ə ɨ
[西南九州] a e i o u ə

(8世紀) 東日本から上代特殊仮名遣いが崩壊、5母音体系に。東日本の影響を受け中部・畿内でeが復活、エ甲発生

[東日本]  a e i o u
[中部]    a i o u ə e
[畿内]    a i o u ə ɨ e
[西南九州] a e i o u ə

こんな流れ。音韻の変化が地方→中央に波及する流れは、オ列長音の開合の統合やエ・セの直音化などで類例があるので
そんなに不自然ではないと思う。ただ東日本でəが消滅して5母音になったのは案外もっと早い時期かもしれない。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板