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明治天皇のおかげで共産主義国家・ソ連が誕生した

9名無しさん:2014/09/11(木) 11:57:10
乃木大将は日露戦争で旅順をなかなか落とせず、
乃木大将に対する批判が日本中に渦巻いてました。

それでも明治天皇は乃木大将を信頼し、ここで乃木を替えたら自死すると替えなかった。

                ・・・

一方で乃木大将の奥様は伊勢神宮に行き、
どうぞ旅順を落とさせてくださいと祈ります。

その時、

「旅順は大丈夫だ、しかし、二人の息子の命はもらうぞ」

と声がしました。

奥様は

「いえ、私たちの命も差し上げます」

と答えます。



日露戦争が日露講和によって集結し、東京に凱旋する乃木大将は、、
恥じるように下を向いて凱旋してきたという。

世界最強と言われたロシア陸軍からは、乃木は悪魔だ、
乃木には悪霊がついていると恐れられ、世界に武功を轟かせた将軍は、
二人の息子とともに戦死することを願い、生きて還ることを心より恥じていた。


静子夫人は5人の子供を産んだ。
育ったのは戦死した勝典と保典だけであとの3人は皆成人になる前に夭折した。

明治37年5月27日の南山における長男勝典戦死の報に接し、
静子夫人は3日間泣き通し血の涙を流したと伝えられている。

しかし、同年11月30日の次男保典戦死の報は静かに受け止め泣かなかった。
それを予知していたからだ。



日露戦争が終わり、国民は乃木第三軍が遭遇した旅順と奉天の戦いがいかに
困難な難戦であったかを知っていた。

また、乃木が、その戦いの中で二人の息子を亡くしたことも知っていた。

乃木のように多くの親が息子を亡くしていた。

人々は乃木のことを思い、次のように歌った。

「一人息子と泣いてはすまぬ、二人なくした方もある」


・・・



しかしロシアに勝った軍部は乃木大将の言葉は封印し乃木大将を英雄にしてしまうばかり

そしてロシアに勝てたのだから米英だって負けるはずはないと泥沼の大東亜戦争へ突入し

さらに多くの家族を犠牲にしたのである。


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