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資料集 Part2

256アルゴラブ ◆gNfxxWHnBY:2013/08/13(火) 21:47:45
>>255続(終)

もうひとつ別に、余談として、今回「隆バーチ」と「日蓮の霊言」を見比べていて新たに感じたことがあります。

潮文社での善川のシリーズ、この日蓮以降の書籍では、章ごとに「霊声者○○、対話者○○」といった記載がありますが、この「日蓮の霊言」では、まえがきに「本書での霊声者は大川隆法、質問者は、善川三朗に、富山誠の両名です」と一文が入っているだけです。


「隆バーチ」の様子も参考にしながら内容を追っていくと、基本的に善川を相手に対話形式でなされたものは確かに大川のイタコによるものであろうということは推察できますが、そうしたパターンを基準にすると逆に異質な部分も浮かび上がってきます。


対話形式の際の大川日蓮のボリュームのない薄っぺらさから比べると、分量、内容共にまとまって整理されている箇所があります。あとがきの中には、「主として霊言によるものと、筆者の霊聴、自動書記によったものなどである」と書かれているので、こうした部分が彼らの言う「霊聴、自動書記」、実質的には作文によるものと思いますが、その顕著なところは対話者が富山こと隆の兄の中川力によるものでした。


中川家のイタコ芸は、初めは父の忠義と長男の力によって行われていたことは親戚による証言があります。
それが根本的に本物かどうかは別問題ですが、中川家の中での霊能発揮は兄の力の方が先で、しかも兄は京大の哲学科を出ていますから、自ずと父の忠義や隆よりも知識は豊富であったことでしょう。


家内製霊言事業に嫌気がさして、学習塾の仕事に抜けるまでは、特に初期の段階は兄の方が思想的軸になっていて、対話者が富山になっている部分というのは、ひょっとすると富山ひとりのイタコと考えることもできそうです。そうなると「人生は一冊の問題集」という教団内における数少ない売り文句も、大川でなく富山によるものであったということになります。


このことについてはあくまで想像の域を出ませんが、「方便の時代の終わり」に、初期の霊言の中でも特にこの「日蓮の霊言」の封印に拘ったのは、傍から見れば所詮カルト本の類にすぎぬ代物でも、当事者にとっては完全な自分のオリジナルではないというところに理由があったのかも知れません。

>>225->>255


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