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金魚とホテイアオイ

487名無しさん:2012/08/05(日) 05:02:38
>>486
新羅のあった地域は日本から半島に渡った開拓者や中国からの移住者などが混在したところで
日本人と中国人が同居し混血化するのではなく、人種民族毎に集落を作って暮らしていた地域だった。
中国系といっても中国の方から来たと言うだけで色んな人種民族が故郷を捨て流れ着いたような人たち。
一方日本からの開拓者というのは政略的に進出し支配する尖兵みたいな者たちだった。
そして半島南部には日本の直領地である任那日本府が置かれた。つまり日本人の役人が統治した。

半島の付け根部分には扶余族の国である高句麗が勢力を拡大してきて半島北部を支配するようになる。
この高句麗と、任那日本府の緩衝地帯に百済が誕生する。
この百済の民は色んな人種民族のごった煮であり、支配層は高句麗と同じ扶余族と言われたが
実質的には日本の間接支配地であり、百済の王族は日本に人質として取られていた。

新羅は日本が関わって作った国で、支配層は百済とは異なるが、実質日本の間接植民地であった。
ところが新羅は異民族に乗っ取られる。それが後期新羅となる。
この後期新羅は、高句麗を侵略して倒した軍事大国の唐と通じて百済に侵攻する。
日本は百済の要請により兵を送るが唐の軍事力の前に敗退する。
このとき新羅は百済の仏教寺院や仏像を破壊しまくったと言われている。

つまり新羅に弥勒信仰があったというのは前期新羅のことであり、唐の軍事力を借りて朝鮮半島を
統一し廃した後期新羅とは中の人(支配層)が全く異なると言うことだよ。
当然後期新羅は仏教国ではないし、野蛮な殺戮行為や仏教寺院や仏像の破壊などをから見ても
神も仏もない蛮族であったことは言うまでもない。




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