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金魚とホテイアオイ

1闇の声:2012/07/23(月) 10:35:16
書いておかなければならない事がある。
1、画を貼り付けたらもう書かない。
2、特ア在日はいい加減にしろ。
3、鳥肌花子引き算倭人大島無用

2闇の声:2012/07/23(月) 10:49:04
谷垣が焦りの色を濃くしているのは、一つには橋下人気が続いている事と反原発デモに関して、知識人層の参加が増え始め、結果的に様々な対立軸が共生する様になったからだ。
反消費税、反原発、反財界、反官僚、反アメリカに加えて既成の価値観に対する反発がそれに加わり、まだ形作られてはいないがそれでも少しずつ形が見え始めている。
例えば世代間の対立や教育制度に対する・・・もっと言えば学校に対する反発だね・・・それが加わり始めている。
早く選挙をやってしまわないとこれら得体のしれない支持層がどんな動きになってくるか、皆目読めないと感じているのだが、仕掛ける方は政官財の癒着構造と言う具体的な攻撃目標がある分やり易い。
橋下は橋下で第三極の結集と同時に左派勢力との共存をどう考えるか、それこそルビコンの川を渡るかの選択を迫られ始めている・・・これはまず政権を獲る為には手段を選ばずのマキャベリ的な選択肢が一番だろうと・・・
そう考える向きも見え始めている。
それだけ橋下は考えが柔軟であり手段を選ばない。
消費税増税で自民党と橋下との距離は相当離れてしまった。
自民党に対する包囲網はどんどん狭められている・・・これは坂本龍一や大江健三郎らインテリが好む知識人の動きが拍車を掛けている。
過日、鳩山がそのデモに加わったが、あれは民主党の内部でどっちに転んでも政権側に付いていられる様に仕組んだ動きで、それだけ政権に対する執着心は強い。
輿石の本音は野田が誰に変わろうとも幹事長の座に居座る事で、その為には出来れば三党合意をゆっくり壊しつつ、代表選まで持って行ければ良いというものだ。
最終的に民主党は自民党を叩く事で生き残りを掛けるだろうが、その生き残り方策が様々な反対運動とのリンクだと見ている。

3闇の声:2012/07/23(月) 11:01:06
どうも文章の長さが巧く行かないね・・・

森が引退を表明したのは、一つには安倍晋三への追い風が吹かないどころか全体的に
日本の国が左派的な傾向を帯びつつあって保守本流待望論に勝ち目がないからだと聞いた。
言い換えればそれだけ自民党に対する支持が拡大していない。
確かに党の支持率を見れば一位なのだが、自民党は無党派層を結集する事は出来ない。
結果あれ以上の数字は上積みできないって事だ。
恐らく、菅直人らは自分達の生き残りを掛けて反原発と原子力政策を全面的に否定する方向へと走るだろう。
その矯激な論調は当然財界と自民党との癒着へ向けれらるからそれはそれで影響力はあると見る。

ところで、韓国の経済状態が芳しくない。
この先どうなるか、ちょっと不安定要素が強まり始めている。
日本に対する無理難題も吹っ掛けて来そうで、その時に毅然とした態度を取れるかどうか・・・
外交的手腕も覚束ないね・・・玄葉はここで点数を稼いで細野か馬淵の先を行きたいところだが実は
玄葉には外交的手腕は何も無くてただ力むだけのポーズしか無いよ。

4名無しさん:2012/07/23(月) 11:25:10
【大津市いじめ】澤村憲次大津市教育長が11年前の暴力事件もみ消しに関与か
http://getnews.jp/archives/234206?utm_source=twitterfeed&utm_medium=twitter

1999年8月    青木悠くん(当時13歳)交通事故に遭う
2001年3月31日 青木悠くん(当時15歳)リンチ殺人事件発生
2001年4月1日  改正少年法施行
2006年4月1日  第十九代校長に澤村憲次氏就任
2006年5月15日 見張り役3人の控訴審 第1回口頭弁論
2006年10月6日 見張り役3人の控訴審 第2回口頭弁論
2006年12月13日 見張り役3人の控訴審(ネ)第1702号 判決
2008年4月1日  第二十代校長に片山義教氏就任

この事件において、実際に暴行を行った少年ら2人は2年間の少年院生活の後に普通の生活に戻り、
現場に居合わせて見張り役を行なっていた3人に対しては
法的責任は無いとされた。この見張り役3人は当時皇子山中学に在学。
06年の口頭弁論で無罪に持っていった、
この時の大津市皇子山中学の校長先生が現在の大津市教育長である、
澤村憲次氏なのだ

青木悠くんリンチ殺人事件とは
2001年(平成13年)3月31日、滋賀県大津市平野
小学校の給食室の裏庭で、当時16歳であった青木悠くん
が2人の少年によってリンチ殺人された事件。
悠くんは99年に交通事故によって左半身不自由になっており、
日中にリハビリを行うために定時制の高校へ通っていた。
もともと運動が得意であったのでリハビリも順調に進み、
全日制の高校へ進むため勉強もしていた。勉学に励み、
全日制高校への合格を果たした悠くんであったが、
その合格をよく思わない少年らによって暴行を受けた、
というのがこの事件のあらすじである




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