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★アメリカ&韓国&湯田屋さん&親米派&親韓派の嫌いな人
71
:
名無しさん
:2012/08/15(水) 22:30:22
日本軍は終戦直後、サハリンで朝鮮人を5000人も虐殺したニダ 証拠もみつかったニダ
1 :ケツすべりφ ★:2012/08/15(水) 21:08:31.65 0
太平洋戦争の終戦直後、サハリンで暮らしていた朝鮮人の数が急減したのは、
日本軍の虐殺によるものとする旧ソ連の公文書が14日に公開された。
この公文書は、韓国の国家記録院がロシアのサハリン国立文書保存所から
入手し公開したもので、1946年に旧ソ連が作成した人口報告書の草案だ。
民生部門の人口調査の関係者が手書きしたこの報告書には「第2次世界大戦前、
サハリンのエストル(恵須取。現在のウグレゴルスク)に住む朝鮮人の人口は
1万229人だったが、(戦争直後の)1945年11月には5332人に減った」という
内容が含まれている。
当時、サハリンにいた朝鮮人は、ほとんどが日本によって強制的に徴用され、
炭鉱や森林の伐採地で働いていた人々だ。
人口報告書にみられる当時のサハリン・エストル地域での朝鮮人の減少は、
常識では考えにくいものだ。エストル地域に居住していた日本人は、
戦前の7万262人から、45年11月には5万424人と28%減少したが、朝鮮人は、
同じ期間に47%も減少していた。
民生当局の担当者は、急激な人口減少の理由について「戦争中の疎開、
南部および日本への自発的避難もあり得るが、日本軍国主義者たちが朝鮮人住民を
殺害した結果ではないか」と記した。しかしこの文書は、いつ、どのようにして、
何人殺害されたのかに関する明確な記載はなかった。
第2次世界大戦直後のサハリンでの日本軍による朝鮮人虐殺事件は、
1945年8月21−23日に日本軍の憲兵や警察が上敷香(現在のポロナイスク)で男性18人、
瑞穂(現在のポジャルスコエ)で妊婦や子どもを含む27人を無差別に殺害したという
二つの事件がこれまでに明らかになっている。
イ・ジェジュン記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2012/08/15/2012081500916.html
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