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上海雑伎団スレ【第六十四幕】

1011もぎりの名無しさん:2022/05/04(水) 00:58:56 ID:CYYeEjEk0
たとえば自分が部屋だとしますよ!

空っぽの部屋に棚やら冷蔵庫やら沢山ものを入れても、部屋自体が自分なんだから、部屋の輪郭をたどれば、ずっと空っぽですよね。

普通の人は、棚や冷蔵庫、コミックや机、それらを自分だと捉える。

だから、あれがないこれが無いといって不幸を感じる。

でも部屋なんだから最初から最後まで本当は空っぽなんです。

だからどんなものでも入れたり出したり自由なのです。好きなものを入れればいい。そしてそんな状態があなたらしさなんですね。

ほとんどの人はさ、自分で「○○がありません」というただの概念、記憶、そういったカタチなきものを部屋に入れて苦しんでる。

部屋の具体物自体を自分だと捉え過ぎた結果、その具体物がいま無いと、苦しむようになったんですよ。あなたらしさからズレているからね。

でも何度も言うように僕らはずっと空っぽの部屋なんじゃないかなーっておもうわけです。


瞑想や今にいるというのは、自分が空っぽの部屋だということを思い出してるとおもいます。

部屋自体になってしまえば、無いという苦しみがなぜ発生するか、それはカタチ無きものをわざわざ認識してるだけ、空っぽの部屋の中に掴めない概念をわざわざ作ってるだけなんだとわかるから。

マインドフルネスもそう。フルネスってことは何かがいっぱいってこと。部屋の中に水がいっぱいだったとしましょう。部屋いっぱいの水の輪郭をたどってみると、部屋の輪郭とぴったり重なります。そう、これもまた空っぽの部屋という状態なんです。

自己観察にしても全く同じ。空っぽの部屋という自覚になってしまえば、空っぽなんだからあらゆる物が部屋に入ることが分かるようなります。既にあるですよね。

自愛は、概念だろうとなんだろうと、あらゆるものを部屋に入れてしまうことを許してるんです。自分に甘くなる。

そうすれば自分は部屋だという自覚がなくても、あり方で言えば部屋ですという状態になる。

私たちは全てを入れることができる空っぽの部屋なんです。

何も無くて、全てあるんです。

それが認識の変更。


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